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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


輝ける魔法<刻の彷徨>

 永遠など何処にも無く、完全など何処にも存在せず。過去は存在し得た。未来はこれから存在し得る。しかし、現在だけは存在し得るかどうかはっきりとはしない。

 カレンダーにピンクのペンでハートマークが書かれていた。最重要だと言わんばかりに。丁度、九月十日の場所に。大矢野・さやか(おおやの さやか)はふわりとした茶色の髪を揺らし、青の目でじっとカレンダーを見つめながらにっこりと笑う。
「待っていたわ」
 さやかは嬉しそうに呟くと、クローゼットからワンピースを取り出し、大切に着た。全身鏡の前でくるりと回り、全身のチェックをして微笑む。
「本当に、ぴったり」
 さやかは頬を赤らめ、今度は宝石箱を開ける。一つをそっと手にとり、左の薬指にはめた。それを見て、再びさやかは頬を赤らめた。
「準備は、これでいいかしら?」
 そっと呟き、さやかは微笑んだ。どれだけこの日を待ちつづけたか、どれだけこの日を楽しみにしていたか。
 さやかはもう一度カレンダーを見つめた。昼の陽射しに反射するピンクのハートマークが目に焼きつく。それを愛しそうに見つめてから、さやかは部屋を後にした。ぱたん、と閉められたドアは静かに家中に響くのだった。

 カレンダーをじっと黒髪の奥にある緑の目で静かに見つめ、露樹・故(つゆき ゆえ)は小さく苦笑した。ふと気付けば、今日が九月十日であった事に自嘲してしまう。
「今日ですか」
 長い時間を経てきた自分に、また再び時間が流れた事を告げる。もういい、もう充分ではないかという思いと、まだまだこれからも、いつまでもという思いが交差する。勿論、今はどちらかと言えば『まだまだこれから』の方である。今ここに存在していると言う時間が、たまらなく愛しい限りなのだから。
「さやかさんは、笑いますかね?」
 そっとカレンダーを見たまま故は微笑んだ。少し、恥ずかしそうに。今ここに自分が存在していると言うのは、まるでさやかに引き寄せられたかのような感覚を覚えるのだ。さやかがいるから、今自分は存在している。長い年月を経てきたのも、全てはさやかと巡り会う為のものだけのようにも思えるのだ。たまたまこの地に訪れ、たまたまさやかと出会った。何という偶然。否、もしかすれば必然だったのかも知れぬ。
「でも、俺は例え笑われても……」
 ピンポン、とチャイムが響く。故は呟くのをやめ、インタフォンに出た。
「はい?」
「故さん、さやかです」
 愛しい声を聴くや否や、故は慌ててドアを開いた。ドアを開けると、そこにはふわりと微笑むさやかが立っていた。手にはスーパーの袋と鞄を持ち、さやかの誕生日に贈ったワンピースを着ている。さやかの為に存在しうるワンピース。
(やはり、よく似合ってますね)
 自分の選んだワンピースを着ているさやかに、故はどうしようもなく愛しさを感じる。
「こんにちは、故さん」
「さやかさん、どうぞ上がってください」
 故はそう言ってさやかを家に上げる。さやかは「はい」と微笑んで故に続く。その時、さやかの左薬指が光った。さやかの誕生日に贈った指輪だった。さやかは故が誕生日にプレゼントしたワンピースを着、指輪をつけてきているのだ。
(うわ)
 故の頬が紅潮する。さやかに気付かれないようにそっと。
(これは、不意打ちですね)
 まるでさやかが故のものであるかのような錯覚さえ起こす。さやかはさやか自身のものなのに、その一端に自分がいるかのように。
(俺が、さやかさんの一部のように)
 故はじっとさやかを見つめる。
(俺が、さやかさんを形作る一端のように)
「……故さん?」
 さやかに言われ、故は即座にはっとして「はい」と答える。既に応接間に着いていた。そこでさやかはじっと故を見つめ、微笑んだ。
「誕生日、おめでとうございます」
 目の前が真っ白になる。目の前で微笑んでいるさやかの顔をじっと見て、故の思考が一瞬止まる。
「さやかさん……まさか、俺にそれを言いに……?」
 やっと動き出した頭で、故はそれだけ尋ねる。さやかは微笑んだまま頷く。頬がほんのりと赤い。
「ご迷惑、でしたか?」
「まさか!」
 故が即座に否定すると、さやかはほっとしたように微笑む。
(どうしましょうか)
 故は動揺する。目の前で微笑むさやかに与えられた、小さな幸せに。
(幸せすぎて、どうしましょうか)
「あの、故さん。お台所借りてもいいですか?」
「え?ええ」
「……私が作るんで、口に合うかどうか分からないですけど」
 さやかはそう言って、鞄からエプロンを取り出す。料理を作ろうと言うのだ。故の台所で、故だけの為に。
「そんな。さやかさんが作ったものが、口に合わないはずがありませんよ」
 故はそう言って微笑む。さやかは頬をそっと紅潮させてから、エプロンを身につける。
「それじゃあ、お借りしますね」
 さやかはそう言って台所に立つ。故はそれを愛しそうに見つめた。
(さやかさんが、俺の台所に立っている)
 ただそれだけの事なのに、胸の奥底から幸せが溢れてくる。
(今、この一時がなんと幸せな事か)
 さやかがいる、この一時。それが堪らなく愛しく、大切に思える。
(……ですが)
 忙しく動くさやかの後ろ姿を見つめ、故はふと翳りを見つける。それは極力考えないようにしていた事。逃れようも無い、真実。
(時に真実とは厳しく、辛いものですね)
 それは、寿命。長寿である自分とは違い、さやかは普通の人間だ。故に比べて驚くほど短命なのだ。
(俺はそうやって生きてきましたから)
 幾度も出会い、別れてきた。そしてそれは仕方の無い事なのだと受け入れてきた。実際、揺るぎようも無い事なのだから、受け入れるよりも他にありえない。否定しても拒絶しても、結局は受け入れなければならない事態に陥るのだから。
(ですが)
 今在ると言う事。今生きるという事。今までとは違う現在。
(だからこそ、俺は今を大事にしたい。大切にしていたい)
 故はそう思い、すぐに否定する。
(ですが、それは果たしてさやかさんの為になるのでしょうか?)
 故はそっと眉を顰める。自分はいい。長い時を生きてきて、そしてこれからも生きていく事を享受しているのだから。
(さやかさんは、普通の人間なのですから)
 あまりにも短命な、普通の人間。
(そんな短い時間を、俺に縛り付けていいのでしょうか)
 故はさやかを縛り付けているとは思っていない。また、縛り付けておきたいとも思ってはいない。だがその反面、心の何処かでさやかをずっと縛り付けておきたいと思っているのも事実だ。矛盾だと分かっていながらも、それを思う事に歯止めは無く、また最終的な答えも出されてはいない。
(俺は良いんです。それが俺なのですから、否定はする気はありませんし)
 目の前の台所で、料理をしているさやか。故の為に、一生懸命作ってくれている。
(いずれは、さやかさんは……)
 短い時間、短い年月。それを、自分に留めておくのは果たして良い事なのだろうか。
「故さん、辛いのは大丈夫ですか?」
 不意にさやかが故の方を振り返って尋ねた。故ははっとして「そうですね」と言いながらじっとさやかを見つめ、にっこりと笑う。
「大丈夫ですよ」
「良かったです」
 さやかはほっとしたように言うと、再び故に背を向けて料理を続行する。
(心を読まれたかと)
 どくん、と撥ねた心臓に故は苦笑した。何でもないように振る舞い、何でもないように笑う。さやかには落ち着いた存在だと思って欲しいのかもしれない。いつもポーカーフェイスを崩さないように心がけて。胸のうちはこんなにも乱されているというのに。
(参りましたね)
 恐らくは、自分がポーカーフェイスを保ってはいられない唯一の存在である。愛しさばかりが肥大し、独占したいという欲望が渦巻く。
(今作って頂いている料理も、俺とさやかさん以外の口に入る事を許したくないだなんて思ってますしね)
 さやかを自分だけと過ごさせる事に小さな疑問を覚えつつも、その反面ではさやかが自分以外の存在と過ごすという事実は受け入れたくないものであった。
(傍にいたいと思う事が、こんなにも肥大するだなんて)
 さやかの為にはどうするのがいいのかは、未だに思いつかない。否、思いつきたくないというのが本音なのかもしれない。今、目の前にいるさやかの存在に安心しすぎて、さやかのいないという現実を想像できない。
 カタン、と目の前のテーブルで音がする。さやかが作った料理が少しずつテーブルに並んでいくのだ。色とりどりの料理たちがテーブルに置かれるたび、さやかがちょっと照れたように頬を紅潮させてから俯く。
「美味しそうですね」
 置かれるたびに故はさやかに笑いかけた。実際、置かれている料理はどれも良い匂いを放っており、食欲をそそられる盛り付けが為されていた。
(本当に、美味しそうです)
 それら全てが故の為にさやかが作ったものだと思うと、余計に食欲がそそられた。と同時に、本当にそれらを食べてよいのかという疑問にも捕らわれる。このままずっと飾っておきたいくらいだ。勿論、それは料理にもさやかにも失礼に値するのだが。
(宝石箱に入れて、永遠に保管しておきたいですね)
 永遠に。故はそう考えてからふと気付く。果たして『永遠』というものは存在しうるのかと。確かに自分は長い年月を経ているが、それが果て無きものだとは決して思ってはいない。では『永遠』の定義というものは存在しうるのであろうか?
 仮に目の前の料理を保管したとする。永遠を約束された金庫に、入れておくとする。だがこの料理はさやかが故の為に作ってくれたから永遠を過ごす権利が与えられたのであって、そういった事情を知らない者達にとっては永遠を過ごす権利は消え失せてしまうのだ。永遠、というと聞こえはいいが、結局の所空虚なものなのではないかと思ってしまう。
(……そんな事はどうでもいい事なんですけどね)
 大事なのは、今さやかが自分の傍にいてもいいのかという事であって。自分としてはさやかにはずっと傍にいて貰いたい。自分の傍から離れないで欲しい。だが、それは自分が長寿だからこそ言える事であり、短命であるさやかにそれを強要する事は出来ないのではないか。寧ろ、さやかの為にならないのではないか。
 カタン、と目の前にある椅子がひかれた。エプロンを外したさやかが、故の前にちょこんと座ったのだ。シャンパングラスにシャンパンを注ぎ、故に向かってにっこりと笑いかける。
「遅くなってごめんなさい」
「いえ、全然待ってませんよ」
 実際、待ってなどいなかった。延々と思考を張り巡らせていたのだから。
「本当に、美味しそうですね」
 並べられた料理を一望し、故はにっこりと微笑む。さやかが照れたように頬を赤らめ、俯く。
「故さんのお口に合えばいいんですけど」
「合わないわけがないですよ。さやかさんが作ったんですから」
「量も、ちょっと作りすぎちゃったし」
 確かに、さやかが作った料理たちは二人分の食事にしては量が多かった。だが、不安そうなさやかに何事も問題ではないように故は微笑む。
「大丈夫ですよ。もし余っても、必ず食べますから」
「良かったら、他の人にも分けてくださいね」
(まさか)
 故はにっこりと笑いながら答えなかった。もしも誰かがさやかの作った料理を欲しがったとしても、一口たりとも分け与えるつもりなど全くなかった。故のために作られたこれらの料理たちは、全て故が食べる事に意味があるのだから。
(それだけは決して譲りませんよ)
 結局、何も答えは出ぬままであった。だが確かなのは、故は現在さやかといる事が一番大切な事であり、最重要な事であるという事だ。これからも長い時間を経ていくのは分かっているし、今までもそうだった。だからなんだと言うのだ。今、さやかは故の目の前で微笑んでいるのだから。全てが愛しくてたまらない。
「故さん、お誕生日おめでとうございます」
「有難うございます」
 キィン、とシャンパングラスが鳴らされた。それに合わせてシャンパンがしゅわり、と泡を立てる。故はそれを一口飲んでから、料理を再び一望した。その全てが自分の為に作られた料理たちなのだから、その全てを得る権利が自分にはある。それは確かな事実。
「頂きます」
 手を合わせ、故は料理の一つに手を伸ばした。思ったとおり、料理は美味しかった。それが故の為に作られたものだと思えば、尚一層。
「どうですか?」
 さやかが不安そうに故を見つめた。故はにっこりと笑い「美味しいです」と答える。さやかはほっとしたように笑い、自分も箸をつける。
(本当に、美味しいですね)
 自分が美味しいと言った事に安心して微笑むさやかを見て、故は顔が綻ぶのを感じた。
(俺はこれからも、時を経て彷徨っていく事でしょう)
 それは恐らく、揺らぎようのない事実。
(ですが、だからといって悲観する事は何もないはずです。例え、答えが見つからなくても)
 今目の前に置かれている料理たちが酷く愛しく、美味しい。目の前にさやかがいる。それだけで全てが『充分だ』と思える。それでいいではないか。
 故は微笑む。確かに一つ経てしまった時間を、だが愛しい時間を心に刻みつけながら。

<彷徨に迷いが晴れないながらも・了>