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<東京怪談ノベル(シングル)>


涼音

 りん…。
 高く澄んだ音が風に乗る。

 りり、り………と、まるで自然の風景に溶けてしまうかのように。
 ただ、音だけを。

 東京、鶯谷。
 少しばかり歩けば上野にも、御徒町にも行くことが出来るスポットに御影 涼は居た。
「何のために」居たのか、と問われたら「近いし、気が向いたから」としか言いようが無いのだが…何故かいつものような雑踏の風景ではなく少しばかり懐かしい風景を歩いてみたい気がした。
 何かが、そこにあるように思えたのだ。


 カタカタ……。

 何処かで風車が回っている。強くも無い風にさえくるくると踊る音。


 耳を澄ますと遠くから子供を呼んでいる母親らしい人の声。
 職人が意外に多く住むこの町特有の作業の音。
 何かを彫っているのだろうか……ノミを振るう音にリズムが生まれている。

(――そう言えば物を作る人たちにはその人特有の音があるって教授が言ってたなあ………)

 講義途中の四方山話、専攻している教授が時折話すちょっとした話が涼は好きだった。
 この職人さんの音はどのような部類に入るだろう、などと考えながらとある角を曲がる。

 ――すると。

 一瞬、街の風景全体がぐにゃり…と音をたて歪んだように見え、まるで、ここだけ時が止まったかのような錯覚を覚えた。

 河原が見える。
 東京では滅多に見なくなって久しい土手と地鎮の神である地蔵のある河原。
 なだらかに続く、道。

 何故だろう、酷く心がざわつく。
 この感覚を自分は知っているような気がする。
 だが――何処でだろう?

 何処でこの感覚を知った?
 自分の記憶をたどってもそのような記憶は一つとしてない――なら、何故?


 ちりん。


 涼へ告げる突然の音。
 抱えたくなるほど痛む頭をおさえながら顔をあげ――声が、かかる。



「――思い出は、如何でしょう?」



 艶やかに微笑みながら風鈴売りの少女は印画紙に焼きこまれた様に涼の目の前に立っていた。
 りん、と鳴く風鈴の音とともに。



***


「……思い出?」
「はい、もしお望みならば……音は様々なものを映し出す鏡として――そして」
「……なんだい?」
「消えぬ記憶をお求めならば如何様にも変幻自在にかわるものとして」
「――でも、これはただの風鈴だろ? 風鈴に思い出なんて……」
 映し出せるわけが無いじゃないか、と言おうとした瞬間。
 少女の指が涼の唇へと触れた。
 その手は、いやに冷たくまるで磨きこまれた大理石に触れられているようで言葉が止まる。

 ……何なのだろう、この少女は……この風鈴は。

 まるで風鈴全てに想いが宿っていると無言で伝えているかのようだ。
 鳴り響く音はどれとして同じものなど無く……びいどろで出来た涼を伝える音だけが――ただ、響く。
風に乗るように、風へ歌うように。

「…形あるものは皆移り行くもの……今ある形が全てと思われませぬよう」
「……不思議なことを言うね、ではその形が変わることなんてあるのだろうか?」
 くすり。
 意を得たり、と告げる紅を差しても居ないのに赤い唇が微笑の形を作り上げる。
「お客様は確かにそこにあるはずのものが見えなくなったりはいたしませんか? 先ほどまであったはずなのに…と」
 言われて――再び心がざわつくのを感じた。
 見えていたものが見えなくなるのは良くあることだ。
 急激にそこに在ったはずのものが瞬時として見えなくなる、不思議で、だが答えも出ないだろう出来事。
「………ある」
「ではどうぞ、風鈴をおとり下さい……料金はその記憶を私に覗かせて頂けること…それだけで結構でございます」
 とろりとした青みのある風鈴を涼へと向ける。
 受け取るべきか、受け取らざるべきか……まだ迷う、だが――。

『人の世は泡沫の夢、夢は現し世の続き』

 遠くから近くから、まるで囁く様な誰かの声と風鈴の音に涼は気を失いかけ…気づいたとき風鈴は手の中にあった。

 くるくると螺旋のように動くのは――遠い日の記憶と……そして。



***


『俺が、此処に居て戦っているのはさ……』

 …誰かに話し掛けている自分の姿が見えた。
 誰に話し掛けているのだろう……けれど酷く信頼している人のような気がする。
 だって、ほら。

 ――こんなにも自分の心が安らいでいく。

姿なんてうっすらとしか見えないけれど、この空気は…解る。
俺はこの空気を「知って」いる。
今の俺ではないけれど確かに何処かに刻み込まれている「記憶」――いや、「想い」か。

 ああ、この時の「俺」は酷く幸福な中に居たんだな……信頼できうる人と友人と、大事な…子。
 いつも傷だらけだったりしたけど、それでも満たされていた日々。
遠くから微笑う、影。
 ……其処に居たんだね。
 柔らかな笑みを浮かべて駆け寄ってくる少女に触れる。
声が、耳に届く。やわらかい、けれどはきはきとした区切りのいい声と一緒に鳴る鈴の音。
りん、りんと鳴るそれはさっき受け取った風鈴の音にも似て。

(君が消えていなくて、良かった)

 「記憶」からも「想い」からも。
俺がただ護ろうとしていた君だけに。
触れた感触を忘れないように力込める――けれど。


――場面は望むと望まざるに関わらず反転する。
魂の記憶から、今の自分へ……自分が覚えていない幼い頃へ。

 
『もー、駄目でしょっ? 机に落書きなんかしちゃ!』
『まあまあ……男の子なんだもの少しくらいいたずらが過ぎたって良いじゃないの』

笑いながら怒る母親とやはり笑いながら母親を止めるおばあちゃん。
……小さい頃に死んだって聞いてたから、おばあちゃんの顔なんて覚えていないと思ったのに。

――おばあちゃんも、こんなところに居たんだね。

笑い顔が誰かに似ている気がするよ。
誰だかは…良くわからないのに、そう思える…不思議だね。

夕暮れ時。
世界が全ての色を朱色に染めているように思えて怖くて駆け出した日。

逃げても逃げても追いかけてくる月。
のびる影。

夏の日に途切れることなく続くセミの声。

――七年も土の中に居て、七日で死んで。
なのに途切れはしない声があるのだと言うこと。

小さい頃は毎日が不思議の連続だった。
カタカタと何処かで風車が回っている。

『こっちだよ、こっち!』
『え、でもそこは入っちゃいけないって……』
『だから、内緒で入るんだって……それとも、涼は怖いとか?』
『――そんな事無い、怖くないよ……ただ』

 神社の裏庭へ友達と入った。
怖くは無いけれど大人たちから「入っては駄目だ」と言われていたから迷い込むものだと信じていた。
けれど、そこにあったのは。
神社のそれより小さな社と――そして、鈴。

りりり……まるで『出て行け』と言わんばかりに鈴の音が鳴り響く。

明るい時間だったはずなのにその時の記憶だけは白黒の写真のように色が失せてしまっている。

くるくる、風車は回り続ける。

記憶と同じように、螺旋と同じように旋回を続けながら。
風鈴の音と共に。


***


『全ては廻り、流れ、やがて辿る――記憶の道筋を』

 言葉に呼応したかのように風が、一瞬止まった。
そうして、風鈴も風車も全ての動きを止め――涼は誰かの手が自分を揺り動かしていることに気づいた。

「大丈夫かい?」
「あ……ああ、大丈夫です。少しだけ…立ち眩みがしていたものですから」
 咄嗟に出た涼の言葉にそうか、と男性は安心したように笑うとそのまま歩き出してゆく。
河原も土手も無い、普通の景色。
周りには長屋仕立ての建物がただ並んでいる。
陽の高さから見ても、それほど長い時間が過ぎている訳でもないらしい。

なのに。
屋台も風鈴売りの少女も居ない。
本当に初めから存在してなかったように。

(――あれは夢だったのか? いいや……でも)

 涼はまだ覚えている。
掌に触れた人の温もり、顔さえ覚えていないと思った祖母の顔も。
記憶の底に、確かにあったのだ。


不意に自分が今日此処に来たのは――様々なことを探し求めている気持ちが教えてくれたのかもしれない、と思えてきた。
自分にとって必要な記憶、隠されていた記憶。


こういう不思議な風鈴売りになら逢えてもいい。
涼は口元に柔らかな笑みを浮かべながら、立ち上がるとゆっくり歩き出した。


町並みの中に、ちりん……と。
涼の音を伝える鈴が鳴っている。



―End―