コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


怪奇の帰還


■序■

 リチャード・レイが視聴覚室に入ったのは大体3時間ほど前だと、三下は言った。三下の言うことはあまり当てにならないが、防犯カメラは嘘をつかない。確認してみると、確かにレイは3時間前にフィルムを手にして視聴覚室に入っていた。
 そして――出てきていない。
 だが、麗香がレイにページ稼ぎの為の原稿を頼もうと視聴覚室に入ったときには、レイの姿はなかったのだった。麗香は冗談を言う人間ではないし、防犯カメラの如く嘘をつかない。
 ただ、無人の室内ではカラカラと映写機が回っており――
 フィルムが終わっていた。

 麗香は映写機を止めて、フィルムのラベルを確認した。
 つい最近の映画のようだった。タイトルは『Return Of Horror』。
 ふと、デスクに残されたペンと紙に目を落とす。

『  もしわたしが消えていたら、人を呼んで下さい。
   化物や怪異を退ける力のある人、
   もしくは強靭な精神を持つ人を。
   必ず人を集めてから、フィルムを回して下さい。
   わたしはこの手紙を書きながら、
   2時間後にはこの手でこの手紙を丸めて、
   ゴミ箱に捨てられることを願っています。

                   リチャード・レイ  』

 賢明な麗香は、フィルムを回そうとはしなかった。古風な書体の置き手紙とフィルムを手にすると、誰も居ない視聴覚室を出て、デスクの電話を手に取ったのである。
 この件は、今月のページ稼ぎに使えそうだった。


■人望は厚いのか■

「んー。俺は最近思うんだが、あいつはよく災難に遭う運命にあるんじゃなくて、自分から災難に飛びこんでいっているパターンの人間なんじゃないか?」
「三下さんとは対極に位置すると」
「そうだ。何と言うか、自業自得なのかもしれん」
「本人に言うときっと傷つくと思いますよ」
「そうか? 最近自分がうっかり者だと気がついたようだから、苦笑いのひとつで済ませると思うぞ」
 最近ではすっかり『応接間の住人』と化してしまったリチャード・レイだったが、この日はいない。麗香の呼びかけに応じた武神一樹と九尾桐伯は、確かに誰もいない応接間を目にして、改めて溜息をついていた。
「そう言えば、あの人はあまり笑わない方ですよね」
 ぴっちりとブラインドの閉まった窓を見て、桐伯はどこか気だるい呟きを漏らす。
 しかし、けたたましい悲鳴と足音がこの憂い混じりの沈黙を破った。
「おーッ、ここか! リチャードってやつの部屋は!」
「ぐっ、く、くる、苦し……」
「邪魔するぞ!」
 ばん、と荒々しくドアが開かれ、入ってきたのは――
 御母衣武千夜と、三下忠雄だ。三下は武千夜にヘッドロックを極められており、すでに顔色に紫がかかり始めていた。
「む?!」
 しかし、武千夜は『応接間にレイが居ない』ことを瞬時にして悟った。何しろ、中に居たのは日本人ふたりだ。
「おいこらサンシタ、居ないじゃねえか」
「……」
「あらあら、三下様の呼吸が止まっておりますよ」
「おおっと、そいつはまずいな」
 不意に現れた黒レオタードの海原みそのが、泡を吐いている三下の顔を覗きこんでもなお微笑んだ。武千夜は豪快に笑い飛ばすと、三下を解放し、軽く活を入れた。
「サンシタ、リチャードがいないぞ」
「……あの、僕、みのしたで……」
「レイ様は行方不明ですの」
 三下の代わりに答えたみそのの顔を見て、武千夜は眉をひそめた。
「本当だ」
 だまって一部始終を見守っていた一樹が歩み寄り、ようやく口を開く。
「まあ、居場所の見当はついてるんだが。映画の中か、どこか他の宇宙か」
「なに? またスケールの大きい迷子だな。――倅が世話になったって言うから、挨拶でもと思ってたんだが」
「これから探しに行こうと考えています。ご一緒にどうですか? 見つけだせば、ご挨拶も出来ますよ」
 桐伯の誘いに、武千夜は笑みで答えた。一見すると厳めしい40代だが、その笑みは無邪気な少年のもののようだった。
 桐伯と一樹とみそのが武千夜と会うのはこれが初めてだったが、レイとともにいつも関わっている『あちら側』のものと対峙することになっても、この不可思議な銀の男には何の心配も要らないような気がしてならなかった。
 むしろ心配すべきものは――
「僕もご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
 この、にこやかに眼鏡を直しながら現れた星間信人のような人間ではないだろうか。
 一樹と桐伯が仏頂面になって口をつぐむ中、みそのはにっこりと微笑んで、信人に挨拶をした。


■うっかり保護者■

 視聴覚室の前まで一行が移動したとき、「あっ」と声が上がった。少女の声だ。一樹と信人には聞き覚えがあった。
 ポクポクとゴム長靴特有の足音を立てながら、黒いレインコートの人影が駆け寄ってくる――手に、丸いフィルムを抱えて。
「みさと!」
 一樹が少女の名を呼んだ。
 レインコートの少女は、初対面の者に軽く自己紹介をしたが、いささか落ち着きがなかった。しかし無理もないことか。保護者が行方知れずになってしまったのだから。
 彼女は蔵木みさとと言い、ある水神から洗礼とは名ばかりの呪いを受けていた。2週間ほど前からレイが身柄を保護している。
「みさとさんは、レイさんから何も聞いていませんか?」
 桐伯が問うと、みさとはフィルムをいじりながら小さく答えた。
「この映画に変な噂があるって……観て確かめなくちゃ、ってこと言ってました。そのくらいです。レイさん、噂には半信半疑だったみたい」
「ほほう。どのような噂でしょうか」
「観たひとがへんな怪物にさらわれて、戻ってこないって」
 信人の目が光った。だが、フィルムに手を伸ばしはしなかった――興味があるのは確かだが。
「……しかし、信憑性がないからって、そんな噂があるものを一人で観るか? まったく、今回もうっかりしてくれたな」
「はちべえ様ですわね」
「お? みその、うっかり八兵衛を知ってるか」
「お団子がお好きな方ですよね」
「それでうっかりするたび『こいつァいけねェや!』とか何とかな」
「おウ、あの存在は大事だったのに、最近の水戸黄門にゃ出てきてねえんだよな! 制作サイドは何考えてるんだか!」
「……笑いごとじゃないです……」
 みさとの恨めしげな視線に気づき、一樹と武千夜とみそのは口をつぐんだ。

「『Return Of Horror』……『恐怖の帰還』? それとも『怪奇の帰還』でしょうかね」
「ふむ、フィルムもアメリカ製のようです。みさとさん、レイさんは何か日記のようなものを残してはおりませんか?」
「あっ、はい」
 信人に言われて、みさとはポシェットから分厚い手帳を取り出した。
「要ると思って、レイさんのトランクから持ってきました。あとで謝らなくちゃ」
「保護者よりしっかりしているような……」
 桐伯は苦笑いを浮かべてから、信人が開いた手帳を覗きこんだ。
 一樹と武千夜も揃って手帳に目を向けたのだが、たちまちふたりは顔をしかめた。
「何だこりゃ、何語だ?」
「……英語でもないようですね……」
「どうやら、ルーマニア語のようですねえ。しかしこれはまた……古い言い回しです……400年ほど前の文の運び方ですね。訳すのは僕でも骨が折れそうですよ」
 信人ですらも眉をひそめるレイの手記に、一行は頭を抱えるしかなかった。何故30歳間近のイギリス人が400年前のルーマニア言語で日記をしたためているのか、知っている者はこの中でもごく一部だ。
「400? リチャードってのはいくつなんだ? 人間じゃないのか?」
「ララ様は399歳ですよ」
「ララ?」
「パ=ド=ドゥ=ララ様です」
「……」
 みそのの言葉も、ともすれば意味不明になってしまう。
 会話が交わされる中で、信人はひとり、黙々とレイの手記を読みふけっていた。


 ●九月十日
  米国ミスカトニック大学怪奇活動写真研究部より、件のフイルムを入手せり
  研究部員の手により大学の映写機すべては破壊されし故
  確認は東京にて行うものとする


「ふむ……」
 信人は軽く息をつくと、顔を上げた。
「読めないこともなさそうです。そうですね――その映画を観て、終わる頃には訳せているかもしれませんよ」
「冗談で言ってるのか?」
「さあて。ただ僕は、今すぐその映画を見る気にはなりませんね」
 信人は手記の一文を指した。
「ここに書かれている『名前』ですが」
 彼は、にいと口元を歪める。
 武千夜はルーマニアの古語を知らないわけではなかったが、読み物に慣れていないせいもあったし、第一レイの文字は達筆すぎて糸ミミズが紙の上でのたうっているようにしか見えず、指し示されても困惑するだけだった。一樹や桐伯もまた反応に困っているし、みそのはそもそも紙と字が見えない。
 ふ、と信人は軽く笑ってから、続けた。
「『Hunting Horror』とあります。そうですね……『忌まわしき狩人』とこちらでは言われておりますよ。或いは、『狩りたてるもの』と。ある偉大な、無貌の神の使者を務めることもあります」


 信人は映画を観る気にはならないと言った。「根が臆病なもので」と嘯きもしていた。一樹もまた、観ることを辞退した。彼は消えることを恐れてはいなかった。彼が恐れているもの――というよりも懸念しているのは、やはり星間信人の存在なのである。
 桐伯、武千夜、みそのの後ろで、カラカラとフィルムが回り始め――
 小さなスクリーンに、黒い映像が現れた。


■狩りたてる呪文■

  え う
  ねぶ にが くなあ くなあ いあ ナイアーラトテップ
  え う
  ねぶ ふんぐるい くやるなく あい ナイアーラトテップ

 映画は慄然たる恐怖を描いたもので、素人くさい退屈な展開であった。だが、暗黒の神話に対する執念じみた情熱はひしひしと伝わってくる。製作者はラヴクラフト、ダーレス、ブロックの『記録』を何度も読み返したに違いない。
 みそのは映画の中に流れる強い想いを見ていたし、映画に関わる仕事をしている武千夜も、制作側の想いを受け止めたつもりだった。桐伯はと言えば、映画に込められた神話の知識の深さにただ感心するばかり。
 ただアメリカ人が作った映画にしては、いやにテンポが遅かった。間違っても一般受けはしない作品だろう。役者は皆若く、学生であるように見えた。夜のシーンが多く、画面も暗い。暗すぎて何が起きているのかわからないシーンもある。
 桐伯は画面の隅々にまで目を凝らしていたし、みそのは映画の流れを見ていたが、特に何も変わったことはなかった。ひょっとすると、この暗い画面の中に、ひょいとレイが現れるのではないか――そんな寒々しい期待を抱いていたのだが。


  エ う
  ねぶ にが くなあ くなあ いあ ナイアーラトテップ
  エ う
  ねぶ ふんぐるい くやるなく あい ナイアーラトテップ
  エ う エ う うぐ ウグ 
  アイ アイ クナア ラクナア ネブ ショゴス!
  ナイアーラトテップ クフアヤク ブルグトム!


 ストーリーを追ってみると――
 ある1冊の危険な魔道書が何でもない古書店で見つかり、陰秘学マニアの学生がその翻訳作業に没頭し始めるのが、事の発端である。古いヘブライ語で書かれた魔道書を苦心しながら紐といてゆくうちに、学生は狂気に満ちた宇宙の真理のさわりを知った。
 だが彼は、文字だけから真理を知って満足することが出来なくなっていた。
 その目で宇宙のすべての意味を見届けるのだ。或いは、耳で聞いてみたい。
 次元を自由に渡り、人間の言葉を理解してくれるものを呼び出して、宇宙の中心にまで自分を連れていけと命じるまでは、彼は納得出来なかった。


  エ ウ
  ネブ ニガ クナア クナア イア ナイアーラトテップ!


「……!」
 みそのはその音を聞いたとき、漆黒の目を見開いた。
 時空の流れが、ごうっと逆流したのだ。まるでその音に呼応したかのようだった。ごうごうと猛る流れの中に、
 ひゅるり、
 ひゅうひゅう、
 意識と正気を掻き乱す笛の音が混じる。
「この、呪文――」
 桐伯がごくりと生唾を飲む。


  エ ウ
  ネブ フングルイ クヤルナク アイ ナイアーラトテップ!!


 スクリーンの中で狂気に憑かれた学生が呪文を高らかに唱えると同時に、時が歪んであぎとを開いた。
『人間!! ニンゲン!! 呼んダか!! 我ヲ呼んだノか!!』
 その割れるような大声は、この次元のものではなかった。
 3人の鼓膜を打ち破らんばかりの勢いで震わせる大音声だというのに、ぴくりとも空気を震わせることはなかったのである。


■外■

「おや、どうも噂とやらはこのメモに書かれているようですね」
 視聴覚室の外で、信人はレイの手帳に挟まっていたメモに目をつけていた。最近の日記は一通り読み終えたが、映画について詳しくは書かれていなかったのである。
「で、何だって?」
 一樹は信人しか頼れる者がいないことがどうも腑に落ちなかった。そのため、終始仏頂面である。
「わかりやすく言いますと――覚え書きですね、自分さえ読めればいいという字ですな――『Return Of Horror』の学園祭での公開は見合わせ。試写会にてトラブル。作成されたのは2年前。お蔵入り。撮影段階では問題なし。上映の際のみ、出現」
「出現?!」
「待って下さい、下の方に――ほほう――エ ウ ネブ ニガ クナア クナア イア ナイアーラトテップ エ ウ ネブ フングルイ クヤルナク アイ ナイアーラトテップ 【台本上】え う ねぶ にが くなあ くなあ いあ にゃるらそてっぷ え う ねぶ ふんぐるい くやるなく あい にゃるらそてっぷ」
「召喚呪文か」
「初めて見る呪文ですね。このメモは貰っていくとしましょう」
「やめろ」
「ふむ、確かに。これはレイさんのものですから、許可をいただいてからにしましょうか」
「あのな……」
 一樹の睨みに気づかないふりをして、信人は言葉を続けた。
「どうやら、録音した際のノイズや音響効果が原因で――」
「偽の呪文が、本物に?」
「そういうこともあるかもしれませんねえ」
 一樹は弾かれたように動くと、視聴覚室のドアを開けた。
 言葉が出てこなかった。
 三下がこの場に居れば、きっと卒倒していただろう。いや、絶対に。


■忌まわしき大声■

『言え! 言エ! 望みは何だ! 我ラが『使者』の貌ヲ見るか! 盲目の中心へノ旅か! 血と死をもたらス狩りか! 言え! 言エ!』

「まあ」
 みそのが、嬉しそうに微笑んだ。
「願い事を叶えて下さいますのね」
 それを聞いて、桐伯は人並みに慌てた。
「ちょっと待って下さい、みそのさん。何を代償に取られるかわかったものではありませんよ」

『代償!』

 時空の歪みが大きくなり、狩人がその頭どころか――ロープのような身体と、ひとつしかない翼までもをこの次元に突っ込んできた。

『うぬラに! 我らが! 何を望ムという! うヌらは! ただ報イを受けるがヨいのだ!』

 狩人は髭のような感覚器官を震わせてまで、げらげらと可笑しげに笑い出した。
 フィルムはなおもからからと回り続け、笛の音と奔流の音とは止まない。
「要するに――願いは叶えるが、死んでもらうってことだな」
 武千夜はなおもパイプ椅子に座ったままだった。
「いいから黙って『リチャード・レイ』を返せ」
 充分に殺気を含んだ声で、武千夜は狩りたてるものに言い放った。
「レイ様をどちらへお連れしたのです? レイ様は何か望まれましたか?」
 狩人の傍らに、いつの間にかみそのが立っていた。彼女の物腰は、今にも狩人の脈打つ身体を撫でだしそうなものだった。
「お願い致します、『ララ』様をこちらの世界にお返し下さいませ」
「あの方がいなければ、私たちは多次元からの脅威に気がつきにくくなるのです。出来れば返していただきたい」
「あいつは俺の友人でな。いないと少しつまらなくなるんだ」
 武千夜と、みそのと、桐伯と、一樹の望みを――狩人はだまって聞いていた。
 狩人の濁った肉色の目は、ぎろりとドアの外の信人に向けられた。
「僕の望みはあなたでは叶えることができません」

『よカろう! かノ者は! 我らが神ノ供物が為に! 中心へ運んダ! 「リチャード・レイ」でありながら、「パ=ド=ドゥ=ララ」! カの者をうぬらへ!』

 どさッ!


 願いは叶った。
 灰色の男が、何もない空間から降ってきたのだ。

 そして――狩人が、代価を回収するべく牙を剥いた。
 一樹と桐伯が、同時に得物を取り出した。
「べつに、万引きするつもりじゃアない。ただこっちは、まだ死ぬ気にはならないからな」
 一樹は苦笑し、みそのに目配せをした。
 みそのは微笑み、捻じ曲がった時空の流れをまっすぐに正す――
 身体すべてをこちらの次元に出してはいなかった狩人は、みそのの力で元に戻ろうとする時空にロープ上の身体を絞めつけられた。狩人は地球上のどの言葉にも当てはまらない言語で罵った。
 桐伯の鋼糸が描き出した印が燃え上がり、狩人の脈打つ醜悪な上半身を照らし出す。たまらずといった素振りで、狩人は桐伯から目を背けた。
 その鼻面に、
「とっとと帰れ!」
 武千夜が蹴りを入れた。
 狩人の身体が、時空の結び目の中にねじ込まれた。翼の先の爪が引っ掛かり、しかし、みそのの視線に圧されるようにして、時空の傷口はその時閉じた。
 爪が千切れて、視聴覚室の床に落ちた。

『……おのれ! 必ず! 必ズうぬらを――』

「……何の騒ぎだ?」
 通りすがりのアトラス記者が、仏頂面で5人に尋ねてきた。ひょっとすると彼も狩人の声を聞き、片鱗をも目の当たりにしたかもしれないが、彼はいやに冷静だった。
「ああ、すみませんね。しかし、もう解決しましたから」
 信人が言うと、記者はひどい有り様の視聴覚室をちらりと覗き見て、少し首を傾げてから去っていった。
 何も知らない方が幸せだ。


■代償にされかかった男■

「……うっかり昔に戻りたいなどと考えてしまいましてね。故郷に飛ばされていました」
 レイは灰の髪の乱れを直しながら、渋面を作った。命の危険にさらされていたわりには冷静だ。ひよっとすると慣れているのだろうか――それはそれで情けないことだ。
 一体いつの時代のルーマニアに行っていた? とは、あえて誰も聞かなかった。彼らなりの親切心だ。
「でも、助かりましたよ。無貌の神や白痴の神の生贄にされるところでした。有り難うございます」
「礼は今晩の飯でいいぞ。みさとも一緒にな」
 一樹がにやにやすると、レイは石のように表情を硬くした。いつの間にかそばにいたみさとが、嬉しそうに――しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 かすれた声で、レイは何とか「はあ」と承諾した。この面子には、どんな言い訳も通用するまい。レイはうっかり者だが、無駄な抵抗とはどんなものであるのか理解できる男だった。
「お! そいつはいい考えだ。チョロい仕事で儲けたもんだな! わはは!」
「わたくし、近頃『いたりや料理』を食べたいと思っておりますの」
「ああ、イタリア料理ならいいお店を知っていますよ」
「じゃ、そこで決まりだな」
「食事の後は私の店などどうですか? いえ、レイさん、1杯程度ならば奢りますからご心配なく」
 盛り上がる一行(盛り下がっている者は約1名)を尻目に、信人だけはひとり、荒れた視聴覚室の中で映写機からフィルムを取り出していた。
 『Return Of Horror』。一樹が十種の力で封じてしまっているが――信人のコネクションの中には、一樹の強力な封印をも破る力があるかもしれなかった。
「……僕は、このフィルムをいただきます。イタリア料理の代わりに。その方が、レイさんも助かるでしょう?」
「あ、それは――」
「好きなようにしろ。好きに出来るならの話だがな」
 レイの言葉を遮って、一樹が信人に言い捨てた。
 信人はそれでも満足げに、フィルムを鞄の中にしまいこんだのだった。


<了>

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【0173/武神・一樹/男/30/骨董屋『櫻月堂』店長】
【0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー】
【0377/星間・信人/男/32/私立第三須賀杜爾区大学の図書館司書】
【1388/海原・みその/女/13/深淵の巫女】
【1803/御母衣・武千夜/男/999/スタントコーディネーター】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
               ライター通信
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 どうも、いつもお世話になっております、モロクっちです。『怪奇の帰還』をお届けします。今回の神性クリーチャーは『忌まわしき狩人』でしたが、ミ=ゴより50倍マイナーなこのモンスター、ご存知でしたでしょうか。モロクっちは結構好きです。猟犬とか狩人とか、とりあえず追いかけてくるようなものが好きなのかも……。
 今回はリチャード・レイのうっかりぶりが強調されていて、ちょっとコミカルなものになりました。皆さん、呆れつつもレイを心配して下さっていて嬉しかったです(笑)。
 蔵木みさとも特別出演しています。ちょっとだけ実は御国将も(笑)。楽しく書かせていただきました。皆さんにとっても楽しいノベルであることを願っています。

 またお会いできると幸いです。
 それでは!