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変わらない記憶
「変な男につけられているの」
酷く不安そうな顔をしていた詩亜を思い出す。
「私――怖いわ」
怯えていた詩亜を、思い出す。
「気のせいだ」
そう応えたのは、俺。
「自意識過剰なんじゃないか?」
笑った、俺を思い出す。
(それはもう2度と)
忘れられない記憶。
(もう2度と)
変わらない、記憶だ。
かつて俺は、正統派の陰陽師として活躍していた。頼まれれば魔を払い、呪を結び、吉凶を占った。日々人々に感謝される存在。
(けれど)
今の俺に、その頃の名残など見ることはできない。
「――なぁ、そろそろ苦しいだろ?」
両手で握り締められているペンジュラムは、俺の集中力を最大限に高めていた。
「もう少し我慢していれば、あんたの中で崩壊するよ」
「……な…に…?」
かろうじて応えたのは、俺の前に立っている男。正確には、立たされている男。
俺は笑って終えた。
「あんたの、精神がさ」
「……ぐっ……うぁぁああああ」
男の声がこだまして、男の身体から白いオーラが立ちのぼる。そしてやがて、男はその場に崩れた。
それを見届けてから、俺は背を向ける。
――その時。
「ナルホド。キミが”外法術師”と呼ばれるわけがわかったよ。あれじゃあ再起不能だものね」
不意に横から割りこんできた声を、無視して歩き出した。そんな俺の様子に焦ることなく、声の主は続ける。
「……”待てよ獅刃”」
ピタリと、足がとまった。
(なんだ……?)
とめたのではない。とまったのだ。
それをいいことに、物陰から姿を現した何者かはこちらに近づいてくる。――俺はまだ、顔を見ていない。
「とまっただろ? それが僕の”術”なんだ。しばらく”そのままでいてね獅刃”」
俺の顔を覗き込むような仕草で告げる。妙に幼い顔をした男だった。背も俺よりずっと低い。
「……何が目的なんだ?」
男の言葉どおり動けなくて、じろりと睨んだ。すると男は満面の笑みを見せて。
「ねぇ。僕にキミの術をかけてよ。それは”はね返るから”」
「何……?」
「自分でできないなら、僕がやってあげるよ? ――さぁ、”僕に術を”」
「!」
手が勝手にペンジュラムを握りしめて、勝手に集中を始めていた。
「やめろっ!」
叫ぶ自分とは裏腹に、先ほども使っていた精神を蝕む術が放たれる。
「な……っ」
そしてそれは、男の言葉どおり。
「――いってらっしゃい」
俺の過去を、思い出を。
(蝕んでいった――)
★
あの日あの瞬間まで、俺は”日常”の中にいた。変わらぬ優しい空気の中で、ぬくぬくと生きていた。
(何も起こらない)
これからもきっと、今までどおり。
なんの確信もないくせに、そう思い込んで。
そんな自分が間違いだったと思い知らされたのは、詩亜の遺体を見た時だった。
(目を疑った)
ここに横たわっているのは、本当に俺の双子の姉なのか。
他の誰かじゃないのか?
(だって)
顔すら原形をとどめないほど、メッタ刺しにされていたから。
(俺の半身は)
俺とはまったく違う物体に、されていたから。
あとからそれは、ストーカーの仕業であったことが判明した。
(俺は自分を呪った)
あの時不安そうに告げた詩亜の言葉は、俺の望んでいた日常からはかけ離れていた。俺が過ごしてきた日常から。だから俺は笑って、取り合わなかったのだ。
(詩亜を殺したのは――俺だ)
俺が日常にすがりついたから。
(けれどその日常は)
失われてしまった。
――詩亜と共に。
「詩亜――――!!」
存在を確かめるように叫んだその時、俺の中で何かが崩れた。自分を憎み、ただ――詩亜を殺した犯人を憎んだ。
(俺はもう、戻らない)
ずっと法の外に、居続けよう。
それだけが唯一の、罪滅ぼしのような気がした。
(そして狩り続けよう)
誰かの異常な精神を、野放しにしておくことはできない。そんなもの、俺は許さないから。
(俺が支配しよう)
もう2度と、それにより死がもたらされぬように。
(たとえそれが)
外法であっても――
★
「ふぅん……キミはまだ、自分の術じゃ壊れられないんだ」
「な……んだ……と?」
先ほどとはまるで逆の立場になって、俺は男の足元でうずくまっていた。それでも男を見上げ鋭い視線を送る。
「だってやっぱり、自分がいちばん憎いんでしょ?」
「!」
告げられた言葉に、俺は心の中で無意識に頷いていた。
(……そうなのかも、しれない)
外法を使い、人を壊し、自分をどんどん闇に突き落としてゆく。黒く染めてゆく。
(俺は多分それを)
楽しんでいるから。
(いちばん壊れたいのは)
本当は自分なのだ。
「でもできないんでしょ? それはおそらく、そのペンジュラムのせいだよ」
男は思いもよらぬことを口にした。
俺の手には、まだそれが握られている。
「どう…して……」
「だって記憶は、変わらないもの」
「!」
「そして忘れられない。キミは――それで斬りはなすしかない」
何を言われているのか、よくわからない。
「だからダガーの形をしてるんだよ。斬りはなされた記憶は自由になる。きっと笑うよ? それこそが、キミの本当の望みではないの?」
「望み……?」
「――いや、違うか。それは彼女の望みだ」
「?!」
(彼女――詩亜の……?)
俺は地面に這いつくばったまま、呆然としていた。死んでしまった詩亜の想いなど……ましてや望みなど、考えたことがなかったから。
男は大袈裟にため息を一つつくと。
「もう”立って”いいよ。”術は外れている”」
俺の身体はまた勝手に起き上がる。男の言葉にある強制力には逆らえないようだった。
真っ直ぐに、男と向き合う。
俺は先ほどの言葉の意味を尋ねようと口を開いたが、それより先に男が発言した。
「僕もストーカーに殺されたんだ」
「!」
「同調したんだよ。この身体は、だから僕のものじゃない。――この”言葉”の力も」
「…………」
(ならば――)
ならばこの男は、俺に何かを伝えに来たのか? もう届かない、詩亜の言葉を。
そんな俺の感情が伝わったのか、男はこれまでとは違った優しい笑みを見せると。
「……いつか、放してあげてね。今は無理でも……」
そうしてその目は、ゆっくりと閉じられた。意識を失くした身体は崩れる。
「おいっ!」
とっさに支えて呼んでみるが、声が返ってくることはなかった……
”いつか、放してあげてね”
その言葉が、頭から離れなかった。
(それだけで)
どうにかなってしまいそうなほどに。
(俺を締めつける)
「――まだ、無理だ……」
ダガー型のペンジュラムを見つめて、呟いた。
(俺は憎い)
俺自身も、犯人も。
そしてすべての日常が憎い。
(ゆえにとまれない)
まだ、とまる時ではないんだ。
(――でも)
でもいつか、その時が来るのなら。
(俺はこの手を)
振り下ろそう。
詩亜の、笑顔のために。
終
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