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<東京怪談ノベル(シングル)>


burning thirst

 拳にぶつかる、固い骨の感触。
 蹴り上げる爪先に感じる、内臓の柔らかさ。
 口元を拭った指についた赤、それらが伝える全ての痛みに、動く事のない乾いた心。
 瀧澤直生は、親指の腹についた血の色に、一瞬、信じられない物を見た、そんな様子でその場で棒立ちになった。
「テメェ……ッ」
重い鉄パイプの地面を擦る、砂利の音に教えられて位置を知り、振り上げる動きより先に鼻先に肘を叩き込む。
「やる気、あんのかよ?」
直生は薄く笑い、鼻を打たれてのたうつ青年には一顧だにせず、彼を囲む輪を睥睨する…年齢的なバラつきはあるが、纏う雰囲気は一様だった。
 社会の内に居場所を見つけられない自分を持て余す…直生によく似た。
「俺が気に入らねェんだろ?」
ご丁寧に数を揃えて潰しにかかる、路地裏には既に三人の人間が倒れている…どれも直生の手によって。
 路地裏に追い込まれた形、で数の利もあちらにある。
 だが、狩られる筈の獲物が脅えすらせず牙を剥くのに、容易に動揺する…弱い者をなぶる事を力と錯覚しているそれだけで程度も知れたモノ、と直生は相手の動揺を煽った。
「だったら、殺る気でかかって来いよ!」
 睥睨する瞳の、その青の強さに、一番手前の少年、と呼んで差し支えない者が打たれたようにビクリと身を竦める。
「かかって来ないなら、こっちから行くぜ?」
質すように語調を変え、踏み出した足の下で砂利が鳴る、その音が奇妙なまでによく響いた。
「う、うわ……」
ただ一人、の直生の動きに対して10人だかの人間が後退り、最も至近でその眼力に晒された少年が懐内からバタフライナイフを取り出して震える手で脇に構えた。
「……やめとけ」
直生は嘆息する。
 店先に並んでいたままの色合いは、彼がスタイル以上の目的で持っていたとは思えない新しさで、商品が錆び付かぬよう刃に施された油分は光をテラテラと映し、持ち手の未熟さまでも顕していた。
「おいヤベェよ、やめとけ!」
仲間の制止も耳に届いていないのか、緊張と恐れとにがくがくと震える手で、直生から視線を外せずに居る。
 折に、見張りに立っていた者が警告を発した。
「ヤベェ、誰か通報しやがった!」
それに全員の注意が逸れた一瞬。
 直生は軽い衝撃に目線を下に落とす。
 肩からぶつかってきた、少年の髪がすぐ近くにあり…それがすとんと垂直に、遠ざかった。
 それによって、暗がりにも明確な赤がじわりと、白いシャツの脇腹から滲んで拡がる様、が見えた。
 それが引き金となって。
 わっ、と一同は散り散りに逃げ出した。
 警官の鳴らす甲高い笛の音が、その後を追っていく。
「……来いッ!」
直生は咄嗟、地面にへたり込む少年の腕を掴んで引き上げた。


「瀧澤さん……いやさアニキと呼ばせて下さいッ!」
行きがかり上、なんとなく助けてしまった少年は、街路の植え込みに腰をかけた直生にあれば尾を振らんばかりの勢いで、どことなく乙女に胸の前で手を組んだ。
「ボコにしようとしたどころか、アニキを刺した自分を助けてくれるなんて……ッ!」
感極まって瞳をうるうるさせている少年に、直生は「あ゛ー」と気のない様子に空を仰ぐ…銜えたままの煙草から垂直に立ち上る紫煙が、夜天に吸い込まれていく。
「刺したっても、ちょっと掠っただけだろうが」
シャツの色に大袈裟に見えただけで、実際、皮を裂いた程度でもう血も止まっている。
「もういいだろう、早く行け」
「いや、助けてくれた事に変わりありません!自分はアニキについて行かせて貰います!」
強く拳を握って少年は続けた。
「自分、アニキの話はトップに目ェかけられてるとか、ツルまねェで気取ってて生意気だとか、仲間内で聞いてただっけでその気になってスゲェ、バカしてしまいましたけど、ホントはスゲェ羨ましかったんス!」
遠い救急車のサイレンに何気なく聞き流していた直生だが、最後の一言にす、と胸の内が冷えた。
「何だと?」
返答が返ったのが嬉しかったのか、少年は大きく頷いた。
「施設育ちで、ハハオヤがベツカンに居るんでしょ?もうそっから自分らとは違うってカンジでかっこいーっス!」
人とは、違う境遇。
 それをスタイルと履き違えた少年が述べる賞賛に、直生は自分の喉元に手をやった。
 酷い乾きに喉の気管が張り付くような感覚が、呼吸を妨げるような。
「……お前の両親は?」
問われてきょとんと、少年は首を傾げた。
「ダメっスよ。子供なんざ自分の言う事に従順でなきゃ価値がない、みたいで」
拗ねたように唇を尖らせる。
 多分、直生の境遇を羨ましいと感じるこの少年は、二親が揃い自分を案じてくれる、それに煩わしさしか感じていないのだろう…身につけた物は、この年齢の者が独力で入手するには高価な品だ。
 其処からも彼の家庭の経済的な余裕が垣間見え、恵まれている、と呼んで差し支えのない環境を計らせた。
「家に帰れよ、お前」
何を言われたか理解出来ない、そんな表情で眉を寄せた少年に、直生は立ち上がると植え込みの影に配置されていたゴミ箱を蹴り飛ばした。
「うぜぇんだよ、ちょろちょろしてんじゃねぇ! とっととお家に帰っちまえってんだ!」
既に溢れかけていたそれは、中身を路上に播き散らながら騒音を立てた。
 ビクリと身を竦ませた少年に直生は続ける。
「いいか、俺がお前を助けたのは成り行きだ。テメェがサツでヒトを刺した、なんて言い出してみろ。事情聴取で煩わされるのは俺なんだぜ? 自分の利になる事が全部好意から来るモンだんなんて思いこむような甘チャンは、とっととパパとママの所へ戻れ!」
苛立ちのまま怒声を浴びせられ、少年は何か、反論しようとしてか口を開いたが、直ぐさま踵を返して小路へと走り込んだ。
 その背を見送り、直生はハ、と息を吐いて短くなった煙草を地面に放り、靴底で踏みにじる。
 彼を腹に宿したまま母は父を刺殺し、鑑別所に入った。
 父方の親類は、自分の夫、即ち彼等の血縁を刺し殺した、母の子供は引き取れないと言い。
 母方の縁者は、収監先の警察病院で生を受けた子供を自分の子供達と育てられないと言い。
 預けられた施設でも学校でも、大人が彼に貼った犯罪者の息子というレッテルは、異質を感知するに長けた子供の集団の中で、彼の存在を悪い意味で浮き彫りにした。
 犯罪者の息子なのに、犯罪者の息子だから。
 前者はある種の哀れみのヴェールで感謝や好意がくるまれたそれよりも、後者の…憎しみとか、怒りとか、恐れ、嫌悪、それ等の等価に与えられるモノこそが、他者が自分に与えたがっている感情だと、気付いたのはいつだったか。
 そうして直生を踏みにじり、自分の幸せを確認したいだけ。
 責任のない場所で決められた彼の価値、押しつけられるそれをそのまま受け容れた方が楽だという事に気付いたのも、いつだったか。
 それと同時に、言い様のない飢えと乾きを自覚したのは覚えているのに。
 叫びが声にならないような、涙が形を結ばないような。
 焦燥。
「結局、何処も一緒か……」
社会に弾き出された連中の、中でも自分は異質なのか。
 産まれた時から、決して人と交わらない道を一人で歩く事を定められているかのように。
 煙草を探ってズボンのポケットの手をやる…箱の底を指で弾き、飛び出した一本を口に運ぶ、目前にずいとコンビニのビニール袋が差し出された。
「まだ何か用か?」
剣呑な、直生の眼差しに…逃げ出した筈の少年が、懸命に袋を差し出していた。
「中、消毒液と絆創膏と……後、コーヒーと肉まん、はいってます」
思わず差し出した片手にぽすり、と袋の底が収まる。
「それでも、アンタが俺を、助けてくれた事に変わりはないッスから、スゲェ、感謝してます……ありあっした!」
大きく頭を振り下げて、そのまま後も見ずに賭けていく、背を何処か毒気を抜かれた心持ちで見送り、直生はなんとも言えぬ感情に口の端を歪めて苦く笑う。
「バァッカ、自分の買い物忘れてやがる」
言われた荷物の中に、フルーツ味の喉飴が混ざっている。
 包装を剥いてひとつ、口に放り込むと独特の香りの甘さが口中に満ちた。
 なんとなく。
 お前は、そのまま戻ってこない方がいいな、と。そのまま道を間違えずに、歩いて行けよと思ったが、その言葉にすらならない思いは残る事はせず、すぐ消えた。