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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『灰の王』〜クランクイン

「もしもし、キッド!?」
「……ああ、ニコフか」
「今、アメリカにいるんだって? 日本の、キッドのボスにかけたら……」
「ああ、昨日まではイタリアだったんだ。今朝、戻ったばかりでな」
「でもちょうど良かった……キッドに相談したいことがあって」
「何だよ、おれは忙しいんだ。今回のヤマも厄介でな。なにせ、呪われた――」
「聞いてくれ。すごく嫌な予感がするんだ。まるで、呪われた――」
「「映画の話だ」」



「見て下さい」
 男は嬉々として、ガラスケースの中に飾られているものを示した。一見、何の変哲もないカップ&ソーサーだったが。
「あの『マリーセレスト号』で使われていたものです。発見時、このカップの中にはまだ温かい紅茶が――」
「すまんが」
 いらいらと、ウォルターは男の話をさえぎった。それが、この手合いの機嫌を損ねることだとわかっていても、このままでは夜中までつきあわされかねない。
「はやく例のモノを見せてくれないか」
「あ、アレですね。ええ、いいですとも。そりゃあ、アレのためにわざわざアメリカから来なすったんだ」
 好事家は、不健康そうな顔色の、初老の男だった。仰々しい鍵束の中からひとつを選んで、奥の扉の鍵穴に差し込む。その先の部屋は広かったが、天井近くまで雑多な物が積み上げられており、隙間から差し込む窓の明りしかないのでうす暗かった。放置されている期間が長かったと見えて(というか、この大きな屋敷に男一人で、手が回らないのであろう)埃が積もっている。
「アレについて、どの程度、知っているんだ」
「世間で囁かれている程度のことは大概。非運の脚本家の遺作になった作品。何度も映画化が試みられたが、そのたびに事故が相次ぎ、計画は中止。ただの一度も映像になっていないとか」
「中身を読んだのか」
「途中までね」
「途中?」
「晩年の脚本家は気が狂っていたんでしょうな。支離滅裂です。とても読めたもんじゃない。第一、あれはハリウッド向きじゃないですなあ。地味過ぎますよ。それに――」
 不意に、男は言葉を切った。
 ウォルターは続きを待っていたが、好事家は足に根が生えたように、立ち尽くしたままだった。
「……?」
 部屋の奥に……本棚がある。棚のガラスには、惚けたような中年男と、ウォルターの精悍なまなざしとが映っていた。
「どうしたんだ」
「……ない」
「なんだと」
「……なぜだ! そんな! ここにあったんだ! 確かに!」
「おい、落ち着け」
「なぜないんだ! 誰が持ち出した!? あの……『灰の王』の脚本を!」
 男はまくしたてた。彼が指差す場所には、確かに、立ち並ぶ本の中から一冊を抜き取ったように、ぽっかりと、一冊ぶんの空間が開いている。
「思い違いじゃないのか。どこか他の場所に――」
「冗談言うな、わたしは自分のコレクションの置き場所をすべて記憶しているんだ!」
 男の言葉に嘘はない。そのせいで、ウォルターはここに至るまで散々、オカルトな品物の講釈を聞かされていたのだから。
 ウォルターの、青い瞳が、油断なく本棚をあらためてゆく。立ち並ぶ禁書や稀覯本。聞き覚えのある物騒な書名も目に入ったが、今はどうでもいい。
「確かにここにあったんだな。最後に見たのはいつだ。この部屋の鍵を開けたのは」
「……わ、わからない……だが半年以上は部屋も開けていないし、この鍵束は……わたしがいつも肌身離さず――」
 ウォルターは本棚のガラスに触れて、それにも鍵がかかっているのを確かめた。
 ヨーロッパまで来て、無駄足だったか――。舌打ちをする。いや、あるいは、これもひとつの収穫か。たしかに件の品物をめぐって、何かが起きていることがわかったのだから。
「ああ……落札するのに5万ドルもしたのに……なんてことだ、こうしちゃおれん、警察に連絡を」
「それなら必要ない」
「な――」
 彼は、内ポケットからIDを取り出した。
  特別捜査官ウォルター・ランドルフ
 カードには、神妙な顔つきで写っている金髪の男の写真とともに、その名前が印字されていた。


#シーン42:森の中(昼)
――ひとりの少女が、裸足で歩いている。
少女「空は灰色。海は灰色。日曜日は灰色」
――彼女は手の中に、小さな白いウサギを抱いている。
少女「森の子は森に。空の子は空に」
――そっとしゃがみこむ。ウサギを地面に置いて……
少女「人の子は灰に」
――ナイフでめった刺しにする。
――少女の無表情な顔に、血飛沫。


 十字を切った。
 舌の上で、祈りの文句が雪のように溶けていく。そして心身に沁みわたる。
 取り立てて、自分は敬虔である、信心深いほうである、とは言えないのだと思う。だがそれでも、祈ることは心の平安をもたらしてくれる。それは、つねに死を道連れに仕事をするものの、職業的な習性――あるいは自己防衛――であるのかもしれなかった。
「きみが受けてくれて嬉しいよ、ユーリ」
 監督が、大袈裟に両手を広げて、近付いてきた。
「……こちらこそ。今度の作品は、ずいぶん、力を入れてらっしゃるとか」
「そうだね」
 ふふ、と、なにかを含んだような笑い。
「わたしは幸運の女神の髪を掴んだんだ。絶対に成功してみせる」
 多くの人間が、競争に人生を賭けている。
 それが、アメリカという国の民族性のひとつであると言えただろう。それはロシア人であるユーリ・コルニコフにとって、芯からは理解できないことではあったが、しかし、彼はアメリカの気風が嫌いではない。そうでなくて、どうして、こんなアメリカでもある意味もっとも熾烈な競争が日々行われている街にやって来たりするだろう。すなわち、ハリウッドに。
「彼のためにも、だ。そうだろう」
「ええ……」
 伏目がちに、ユーリは頷く。やわらかい茶色の、長めの髪が白い頬にかかった。
「……いまだに信じられません」
「彼は、ハリウッドでも五指に入るスタントマンだったからね」
 声を落して、かれらは言葉を交わした。
「……でも、至極、簡単なスタントです。プロなら失敗のしようがない。まして、仮に失敗したとしても、あんな――」
「監督! ちょっといいですか!」
 ユーリの言葉をさえぎって、遠くから声がかかった。
「今、行く! すまない、後で話そう」
 監督は、ユーリの肩を叩いてから、歩いて行った。
 事故死したスタントマンの代役が、今回のユーリの仕事だ。
 仕事柄、そういった事情そのものは、ひどく珍しいというわけでもない。ただ――。
(嫌な……予感がする)
 撮影斑が、キャメラを走らせるレールをチェックしているのを尻目に、ユーリは、芝生を踏み締めて歩き出す。シスコからロケ車で数時間。おそらく普段はのどかな牧草地だと思われる一帯には、ハリウッドからやってきたクルーたちがひしめいている。
 まだ出番にも、その準備に入るにも時間があった。ユーリはすこし離れたところにある、林へと近付いていく。
 木々のあいだに足を踏み入れると、木陰であるせいか、急に気温が下がったような気がして、ユーリは思わず身をすくませた(ロシア人としては異常なほど、彼は寒がりなたちだったのだ)。
 立ち並ぶのは、白樺の木々。
 ユーリはそのうちの一本に、そっと手をふれる――。
「ねえ……。訊ねてもいいかな……」
 ざわざわと、木の葉がゆれたのは、風か。それとも。
「二日前、ここで映画の撮影があっただろう? 今、あっちの草地でやっているようなことだけど――」
(来たよ。来たよ)
(人間がいっぱい)
(うるさい人間がいっぱい)
 声なき声が、ユーリの耳に聞こえる。他ならぬ、木々たちの声なのだ。
「教えてほしい。どんな様子だったか――バイクに乗った人がいたはずだけど」
(死んだ)
 簡潔な回答に、ぞくり、と、背筋が冷える。
 植物に、修辞も比喩もない。ただかれらは、感じ取ったものを記憶するのみ。
(死んだ、死んだ、死んだ、死んだ)
(殺された)
(黒い影が)
(影が殺した)
(死んだ、死んだ、死んだ……)
 呼応するように、木の枝から枝へ、不吉な囁きは広がってゆく。
「やはり、何かが……何かが起きたの……か――?」


#シーン38:家の中(夜)
――食卓に、僧服の男がふたり、対面についている。
――かれらはふたりとも黒眼鏡で、盲目であると知れる。
男1「夜より来たものは、彼のものを見つけたか?」
男2「見つけない。まだ町には、約束をしないものがいる」
――かれらの前に置かれた皿の上には、カラスの屍骸。
――男たちは一心不乱に、カラスの羽を手でむしっている。
――メイドが、真っ赤な液体(ワイン?)の入ったグラスを銀の盆で運んでくる。男1の傍に置く。男は グラスを取ろうとするが、見えないので、グラスを倒してしまう。
――テーブルクロスの上に広がっていく、赤い染み……。


 カフェテリアに入ると、ウォルターはすばやく周囲に目を走らせる。すぐに、奥の席にいる旧友のすがたをみとめ、軽く手をあげて近付いた。
「ひさしぶりだな」
「来てくれて嬉しいよ、キッド」
 ウェイトレスに「同じものを」とだけ言ってから(ユーリの前には、ビールと、ピザがあった)、ウォルターは低い声で問う。
「話を聞こうか」
「話すもなにも。電話で話した通りさ。スタントの代役で呼ばれたんだが……前任はすごく腕のいいスタントだったんだ」
「だが死んだ」
「ああ。バイクで、林の中を、木のあいだを縫って走る――そんな単純なアクションなんだ。彼にできなかったはずがない。それが、指示されたコースを走らず、牧場の柵をやぶり、あげくに馬を撥ね、自分も放り出されて首の骨を折ってジ・エンド」
「バイクに異常は?」
「あるわけないさ。映画のスタッフが、危険なアクションシーンにどれほどの気を使うか」
「じゃあ、おかしいのは奴さんのほうだったってわけだな」
「……牧場の柵を突き破ったとき、彼の身体には杭みたいな木材が突き刺さっていた。それでも、なお走り続けたんだ。……まるで何かから逃げるみたいに」
「ふん」
 ウォルターは鼻を鳴らした。
「今度はニコフがその気狂いライダーをやるのか」
「……本当なら昨日、そのはずだった。でも……急にキャメラと音声の調子が悪くなって……明日に延期になったんだ。……キッド」
 金色の瞳が、親友を見つめて閃いた。
「なにかが起こっている。事故のあった場所の、白樺の木が見ていたんだ。彼はなにかに殺されたって――」
「脚本だ」
「えっ」
「監督は脚本をどこから手に入れた? おれはソレを探してイタリアまで行ったが、誰かが持ち去った後だったんだ。いわくつきの脚本。それを書いた脚本家は、とんでもねえ死に方をしたらしいぜ。聞きたいか?」
 ユーリは返答につまった。
「ともかく、だ。ニコフ、おまえはこの映画を降りろ」
「……! それはできない。一度受けた仕事なんだ」
「そういうと思ったぜ。……謎を解くしかないようだな、この『灰の王』の謎を」
 キッド――ウォルターの、どこか少年を思わせる澄んだ瞳が、燃えるような光をたたえていた。


To be continued...