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<東京怪談ノベル(シングル)>


破滅に至る病 〜ある医者の場合〜

「――?! な、なんだって……?」
 俺は自分の耳を疑った。
「ですから……昨日死亡した患者の身体の中から、手術の際に取り忘れていたと思われる管が出てきたんですよ!?」
 告げる男の声は、既にひっくり返っていた。
「まさか……」
「まさかもとさかもありませんっ、間違いなく医療ミスです!! しかもあの患者の手術を行ったのは……あなたでしたよね、院長!?」



 ありえないと思っていた。自分の病院では、そんなバカなことはありえないと。だからテレビでそのニュースを見るたびに、笑っていたのだ。
(笑って、いたのに……)
 まさか自分がその立場に立たされることになるとは。しかも患者死亡のおまけつきだ。死んでからそれに気づいたのだから、なお始末に悪い。
(どうする――?)
 テレビで頭を下げていた奴らも、同じことに悩んだのだろうか。
(つまり)
 すべてを正直に打ち明けて、おとなしく謝罪をし高い金と信頼を手放すか。
 それとも隠し通すか。
 前者は素直に事実を告げたというほんの少しの好感が得られるかもしれない。
 後者は……
(バレたら最悪だ)
 隠していたことも責められ、信頼はさらに堕ちるだろう。救いようのないほどに。
(しかしバレなければ)
 永遠にこのまま。
「――さあ、どちらにする……?」
 暗い部屋に独りきり。鏡に向かって呟いた時、俺の気持ちはとうに決まっていた。

     ★

 あの死体を解剖した医者の、口止めは終わっている。患者のカルテもしっかりと書き換えておいた。
(これで、大丈夫)
 バレることはない。俺が口を開きさえしなければ。
(この病院は安泰なのだ)
「――お父さん!」
 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、明るい声に呼び止められた。
 俺を「お父さん」と呼ぶ相手は1人しかいない。娘の元子(もとこ)だ。
 俺は精一杯の作り笑顔で振り返った。
「やぁ元子。出歩いて大丈夫なのかい?」
 自分のパジャマを着て壁に寄りかかって立っている元子は、生まれた時から心臓に欠陥があり、長いことこの病院で生活している。
(元気な子になりますようにと)
 生まれる前から考えていた名前だけに、当時はかなりのショックを受けたものだった。
(今は)
 俺が医者だったから、こういう運命が訪れたのではないかと思っている。
 俺の顔を見て元子はにこりと微笑むと。
「今日は調子がいいの。ご飯もいっぱい食べられそうだよ!」
 顔色もいいようだった。
「そうか、それはよかったな」
 俺が頭を撫でてやると、元子はさらに嬉しそうな顔をする。
(――そうだ)
 俺はこの子のためにも、隠し通さねばならないのだ。
 改めてそう考えた。
「じゃあお父さん急いでるから、またな。看護士を困らせるんじゃないぞ」
「わかってるよ〜。またね!」
 小さく手を振る。
(この手のために)
 その考えは、俺の中の罪悪感を少しだけ軽くしてくれた。



 深夜。
 元子の寝顔を見に行った帰りのことだった。
  ――カラン… コロン…
 俺の足音ではない、しかしどこかで聞いたことのある音が、長い廊下に響いていた。
「……? 誰かいるのか?」
 問いかけると、音がやんだ。
 ――と。
「難儀なヤツよのう、お主も」
「?!」
 すぐ近くで聞こえた子供の声に振り返ると、そこに小さな女の子が立っていた。
(一体どこから?!)
 長い廊下の途中。ここには俺しかいなかったはずなのに。
 しかし先ほどまでしていた音の謎は解けた。
(! 下駄……?)
 少女はこの暗がりでも映える、燃えるような紅色の振袖を着ていた。そして足元には赤い鼻緒の下駄。
「き、きみは……?」
 歳は娘と同じくらいだろうか。
(何故こんな時間に)
 こんな格好で。
 こんな場所に。
 訊きたいことは多々あったが、相手が子供なだけにうまく言葉がでなかった。
 少女はまだ、それ以上の言葉を発しない。ただ俺を見つめて、にこりと笑った。けれどそれは、元子のそれとはかけ離れた何かを含んでいた。
  ――ブルっ
 寒くもないのに、身体が震える。
(そういえば――)
 難儀なヤツだとか、言っていなかったか……?
「どこが娘のためなのだ? 自分の保身のためだろう? 上辺の言い訳を作らねば自分を保てぬとは……やはり難儀なヤツよ」
「?! お、おま……?」
(知っているのか?!)
「お主の醜く歪んだ心はすべて見えておるぞ。我には何も隠せぬわ」
「………………」
 反響し戻ってくる少女の声に、俺はふと我に返った。
(何やってるんだ俺は……)
 雰囲気に呑まれるな。
 こんな子供の戯言を、信じるなんてどうかしている。
 きっとあいつが吹き込んだのだろう。あの医者が。相手は子供と思って、口を滑らせたか。
(ならば俺が、口止めするまでだ)
「――なぁ、きみ」
「言えぬなら、我が代わりに言ってやろうか?」
 遮った言葉は、冗談の域を遥かに越えていた。
「何だと……?」
「自分では言えぬのだろう? ならば我が言ってやろうと申しておるのだ。
”私は医療ミスをしました”
”患者を死なせました”
”申し訳ありません”」
「やめろッ!!」
 俺はとっさに、少女の首を絞めていた。
(そうだ――)
 このまま殺してしまえば……そうして同じように隠せば、何も変わらないのだ。
(何も)
 ゆっくりと、力をこめてゆく。
 ぎりぎりと音がして、少女の脈がダイレクトに俺の手の平を刺激した。
(早く――死ね!)
 目をつぶり、最後の力をこめる。
 少女は何故か、抵抗一つしなかった。
(もういいか……?)
 静かに開いた目に、飛び込んできたのは――
「っひぃぃぃぃいいいい!!」
(俺が殺した)
 俺がミスで殺した、子供の顔だった。その口が動く。
「ねぇ……また殺すの?」
 手を放したいのに、何故か放すことができない。支える手が震える。足が、全身が震えていた。
「とっても、痛かったんだよ……? だからあなたも――」
 俺の手の中の子供が手を伸ばし、俺の首に何か――多分爪を――突き刺した。
「?!」
 不思議なことに、痛みはなかった。ただ意識だけが――

     ★

 目が覚めた時、「ああ、夢か」と思った。けれどどんな夢を見ていたのか、憶えていない。
 その時は別段不思議には思わなかったが、今思えば。
(俺の”病気”は)
 その時既に、始まっていたのかもしれない。



「なぁ元子。手術をしないか? その手術が終われば、元子は元気になれるよ」
「え……本当?! でも手術は怖いなぁ……お父さんがやってくれるの?」
「もちろんだよ。お父さんに全部任せておきなさい。きっと元気にしてみせるよ」
「じゃあ元子、手術受けるー!」



「な……何を考えているんですか院長!! 脳死でもない人間の心臓を移植するなんて……っ」
「ちょうど元子にピッタリの心臓を持った奴がいるんだ。ちょっと貰ったってバチは当たるまい」
「正気で言っているんですか?!」
「冗談に聞こえるかね」
「――あなたは、狂っています」



 そう、俺は狂っていた。
 健康な人間の心臓を無理やり元子に移植し、その人間の人格が元子の身体を蝕んでも。
(それを楽しんでいた)
 そしてやめられなくなった。
 心臓を入れ替え人格を入れ替える、奇妙な着せ替えごっこ。
 既に正常な元子の胸を開き、何度も何度も。
(破滅が身を、滅ぼすまで)
 俺はやり続けた――。