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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『灰の王』〜クランクアップ

「……謎を解くしかないようだな。この『灰の王』の謎を」
 ウォルターのつぶやきが、いつまでも宙に漂っているような、そんな気がした。
 送ってやるから、と、云われ、ウォルターのハーレーのうしろに跨がったユーリは、思わず、親友の身体にまわした腕に力をこめた。明日には、先延ばしにされたシーンの撮影がやってくる。スタントとしてそれに参加してしまえば、自分は……自分の身にはなにがふりかかってくるのだろうか。
(影ガ殺シタ)
 樹木の不吉なささやき。
 ウォルターがアクセルをふかす。その音が、風にさらわれてしまいそうな勇気を、かろうじて、もたせてくれているようだった。


#シーン1:浜辺(昼)
――陰鬱な曇天。風が出ていて波が高い。
老婆「あなたが信じようと、信じまいと、これからお話するのは本当にあった出来事です。あのおそろしい出来事を知るのも、わたし一人になってしまいましたわねえ……」


「もう閉館なんですがねえ……」
 面倒くさそうに言った男への、ウォルターの応えは、男の胸元につきつけた、ウィスキーの小瓶だった。
「こういうの、困るんですよね」
 言いながらも、一度は消した電灯のスイッチを押す。
「ま。今日はたまたま残っていた仕事があったので構いませんが。終わったら声かけてください。事務室にいますから」
 ウォルターは、もうそれには応えず、机の上に積み上げた雑誌類をかたっぱしからめくっていく。どれも映画関係の雑誌や本だった。いくつかをピックアップしたかと思うと、こんどはマイクロフィルムのリーダーにはりついて、新聞記事を漁った。
 閉館時刻をとうに過ぎた図書館に、マイクロフィルムが切り替わる音だけが響く。
(なぜ、人が死ぬんだ)
(脚本家自身も死んでいる……)
(あの脚本は……)
 ウォルターの手が止まった。
 『ハリウッドの新鋭脚本家、謎の自殺』
(バカヤロウ)
 奥歯をかみしめる。
(どこの世界に、バスタブに満たした硫酸につかって自殺するようなヤツがいる?)
(脚本家も……スタントマンたちも……やつらが死ぬことに何か意味があるはずなんだ)

「監督! 監督!」
 ドアを叩き続けること数分。
「あー、わかったわかった。そう煩くしないでくれ」
 顔をのぞかせた監督はバスローブ姿だった。あくまでもユーリを部屋に入れるつもりはないらしく、ドアの隙間は5センチ程度しかない。
「監督、聞きたいことがあるんです」
「すまんが明日にしてくれないか」
「お願いします。『灰の王』の脚本のことで――」
 その単語を出した途端、監督の顔が、さっとこわばるのを、ユーリは見た。
「あの脚本をどこから手に入れたんです? ずっと原本は行方不明で、断片的なコピーだけが好事家のあいだで高値で取り引きされているばかりだったというじゃありませんか」
「そ、それは……」
「失礼しますよ」
 ぐい、と、ドアを力づくで押し開けて、ユーリは部屋に踏み込む。一見、華奢に見えるが、思いのほか力が強いのは職業柄か。
 ベッドでは、裸の金髪女が悲鳴をあげたが、ユーリは女には目もくれず、部屋の隅にあった監督の荷物とおぼしきスーツケースをひっくりかえす。
「お、おい、ユーリ! 何をするんだ!」
「脚本を……脚本を見せてください!」
 ユーリは、撮影クルーにかたっぱしから聞いてみたが、誰も、脚本そのものを見た人間がいなかったのである。撮影時には、そのとき、撮影するぶんだけのコピーが監督から配られる。ゆえに役者でさえも、ストーリーの全容や結末を知らないのだという。作品のサスペンス性を高めるためだと、監督は説明していたというのだが――。
「いったいどうしたんだ、きみ、おかしいぞ」
「では聞きますが、あの脚本で映画をつくろうとして、今までに何人もの人が死んでいるのはご存じですね」
「それは……」
「あなたは知っていて使ったんだ。これを!」
 透明なビニール袋に包まれ、保護されている、黄ばんだ紙の束――。
 『The king of ash』という、タイプライターの文字は、何の変哲もないものだったが、気のせいかそれでさえ、ユーリの目にはなにか凶悪なもののように映る。
「お、送られて……来たんだ……」
 観念したように、暗い声で監督は言った。
「差出人は……彼の名だった……けどなぜか、アリゾナから……」
「アリゾナ? 彼は――ハリウッドで、亡くなったんですよね」
 タイトルの下にタイプされている、脚本家の名を、ユーリの指がなぞる。
「ああ、そうだ。……有望な……男だったのに……」
「ご存じだったんですね」
「互いに駆け出しの頃、組んで仕事をしたことがある。……だから、それが届いたとき……彼の遺志のような気がして……」


#シーン56:森(昼)
――暗い森の奥。6人の子どもたちが、手をつないで輪になっている。枯れ葉を踏みしめ、くるくると回りながら、唄う。
子どもたち「空は灰色。海は灰色。日曜日は灰色」


 女は真っ赤な唇をゆがめて、煙草の煙を吐き出しながら、面倒くさそうに訊ねた。
「で、どうすんの? 今からだったら追加料金になるけど」
「うるせェ。ちょっと黙ってろ」
 口汚い返答に、肩をすくめる。
 男――監督は、どこかに電話をかけていたのだ。
「……そう、そうなんです。なんでも知り合いの捜査官に見せるの見せないのといって……本を持っていきました……。ええ……わかりました……」
 女は退屈そうに、くわえ煙草のまま、自身の髪をもてあそんでいる。
 ……だが、ふいに、その目が見開かれた。
 部屋の壁には、安っぽいスタンドが照らし出す、監督の影が映っている――だけのはずである。部屋にはふたりしかいないのだ。だが……今、ゆらり、ゆらり、と、どこかから集まってきた人間が大勢部屋に入ってきたとでもいうように、壁に映る影の数が増えているのである。煙草がポトリと落ちて、シーツを焦がしたが、女は動く事ができなかった。
 ややあって、モーテル中に、女の叫び声が響くことになる。

「……はい。ああ、ニコフか。何だって、本を手に入れた? よくやった! よし、おれのホテルで落ち合おう。おれか? こっちもいろいろわかったぞ」
 携帯電話を肩と顎のあいだに挟み、手帳を繰りながらウォルターは言った。
「例の脚本家な。おかしなカルトに関係していたらしい。すこしまえに、アリゾナで集団自殺があったの、知らないか? ……おおざっぱにいうと、なんだ、まあ悪魔崇拝みたいな、そんな感じの、オカルト教団らしい」
 手帳をしまうと、電話を手にもちかえ、ウォルターはバイクに跨がった。
「……そうか、アリゾナから。それでつながったな。脚本家が死体で見つかったとき、遺稿はデスクにあったが、最後の1ページだけがそこにはなかった。――正確にいうと、死体の口の中から見つかったんだな。それで、例の本はずっと不完全な形だったわけだが……死ぬ前に、奴さん、原稿をファックスしてやがるんだ。もちろん、アリゾナにな」
 ハーレーが、いななくようにエンジンを轟かせる。
「あとは会ってから話そう……おい、ニコフ、なんだ、今の音は。おい、ニコフ! ニコフ!」
 ウォルターは、忌々しげに舌打ちをすると、電話を切った。
「クソッタレ。撮影は明日だろうが!!」
 爆音とともに、ウォルターの駆るバイクは夜の中へ飛び込んでゆく。


#シーン108:廃墟の教会(夜)
――廃墟の教会に、黒いフードつきのローブをすっぽりかぶった群集が、手に手に火を灯したろうそくを持って集まって来る。
何かの声「夜より来るものは約束を違えない。灰を捧げよ。灰とは死であり、また、新たな命でもある」


「……!」
 目を開ける。
 夜露に湿った草の匂いで、ユーリはここが、例の撮影現場だと知った。
 だが、だいぶ様相が違う。
 ユーリをとりかこむように、十数枚もの屋外用スクリーンが設置されていて、まるで、ドライブインシアターのようである。プロジェクターが、スクリーンに照射しているのは……牧場の策をつきやぶるバイク、高いビルから飛び下りる人間、火だるまになって転げ回っている人間、倒れて来る木材の下敷きになる一団……いずれも、おそろしい災禍にみまわれる人間たちの姿だ。映画の明りが、夜空を白くかすませている。
(そうか……今までの撮影中に起こった事故の映像――)
 そうだ。死亡事故はすべて撮影時に起こっている。だから、それをおさめたフィルムが当然、存在するのである。
「……目が覚めたかね、ユーリ」
 ユーリを照らす照明の逆光になっているため、顔はわからない。だが、声からして監督であることはあきらかだった。
「撮影を早めることにしたんだ」
「……こんなシーンでしたっけね」
 ユーリは、草原の真ん中に、椅子に坐らされ、それに縛られた状態で放置されている。
 周囲を行き交っているのは、見なれた撮影クルーではないようだった。奇妙な、宗教じみた服装の連中で、誰も一言も私語をかわさないので、大勢の人間がいるらしかったが、周囲は奇妙に静かなのだ。
(こういうことだったのか)
 ユーリは、『灰の王』の原稿をめくったときに目に留まったものを思い出す。本の片隅に記された、染みのような文字――
 『十三人の役者が必要』
(役者は……最初から、殺されなければならなかったんだ。映画の中で。でも……)
 監督が、ディレクターズチェアに腰掛け、足を組んでこちらを見ていた。なにもかも、いつもどおりの、映画の撮影そのものの――奇怪なカリカチュアのようだった。助監督ではない誰かが、カチンコを持って傍に立ち、キャメラがユーリを狙っていた。
「…………」
 彼は、自分のすがたが、スクリーンの一枚に、すでに写し出されているのに気づいた。
(最後のひとりは、ライブ撮影ということか)
「では、用意はいいかね? ラストシーンだ。3、2、1――アクション!」
 カチンコの音。
「!」
 ユーリは、なにものかに囲まれていた。
 人間ではない。少なくとも、生きた人間では。
(影ガ殺シタ)
 ――影だ。人の形をした、影法師。よく目をこらせば、それは胸に杭を突き刺したライダーであったり、うつろな目をした金髪の娼婦だったり、全身がただれ溶けかけた男であったりした。
 その影たちのあいだを縫って、ひとりの男(これは生身の人間であるようだ)が、松明を手にユーリに近寄ってくる。ユーリの足下には、木材が並べられていた。
(火炙りか)
 人々が唱和する。
「夜より来るものは約束を違えない。灰を捧げよ。灰とは死であり、また、新たな命でもある」
 スクリーンの映像が、その声に応えるように、ぐにゃりと歪んだような気がした。
「灰より生まれるものは影であり、影は灰をもたらすものなり。灰の王は影の女神の子にして母なるものである」
 そしてスクリーンに、染みが広がるように、映像が黒くそまってゆき――。
「ニコフ!」
 ひどくなつかしく、心強く聞こえる声。
 闇を裂くサイレンと、パトライト、そしてヘッドライト。
「動くな! 警察だ!」
 悲鳴。怒号。銃声。
 混乱のさなか、松明の火は木材に燃え移ったらしい。黒煙が、ユーリを覆った。目にしみる。咳き込み、涙を流しながら、ユーリは新鮮な空気をもとめて天を仰いだ。目に飛び込んできたのは、雲間から顔を出した……満月だった。

「ニコフ! どこだ! ニコフ!」
 応援でかけつけたくれた警官たちと、カルト信者たちの乱戦のあいだを、ウォルターは必死に走っている。なんだこのふざけた設備は。スクリーンを見上げて、ウォルターは凍りついた。
 画面から――なにかがあらわれようとしている!
 どんなに目をこらしてみても、杳として形が知れないのは、周囲が暗いばかりではない。それは人のようでもあり、獣のようでもあり、天使のようでもあり、蟲のようでもあった。
 鈎爪をそなえた手のような、義足のような、触手のような、たおやかな女神のかいなのような、なにかが伸び、ウォルターのほうに向かって来る。だが、彼は魅入られたように、脚が動かず――
「キッド!」
 咆哮。月光に照らされて、一匹の獣が、それに挑みかかっていくのを、ウォルターは見た。われに返り、彼もまた、拳銃のひきがねを引く。
 鉛の弾丸が、銀幕を貫通した。


 ハリウッド、セレブリティ、アカデミー賞、カンヌ映画祭、ビバリーヒルズの豪邸、拍手喝采、赤い絨毯、そして――。
 LAの片隅の、小汚いアパートメントで、彼は来る日も来る日も、タイプライターに向かっていたのだろう。ユーリの脳裏に、まざまざと、その様子が浮かび上がってくる。脚本家とは名ばかりで、著名なライターの脚本の、細部をプロットに従って書き起こす仕事のおこぼれにあずかるだけで、とうてい食えないため、ウェイターのアルバイトをしていたという。深夜に疲れた身体をひきずって帰宅し、それから夜が明けるまで机にかじりつく。そんな生活だったが、それでも彼は……夢を見ていたのだ。
 ライター志望の人間など、腐るほどいる。映画会社にとって、彼は急ぎの脚本の直しを頼める都合のいい人手の一人でしかなかった。ある日、さるプロデューサーに預けておいた彼の脚本が、別のタイトル、別の脚本家のクレジットでもって映画になり、誰もが名前を知っているハリウッドスターの主演で上映されているのを知ったとき、彼は、まっとうに努力するのを放棄してしまった。彼を成功と、栄誉と賞賛のステージへ引き上げてくれるのは、狡猾な人間たちではない。もっと強大で、決定的な力を持った何かなのだと、彼は信じるようになったのだ――。
「アレが自分に成功をもたらしてくれると信じていた……なのに、自分自身がその生贄の第一号にされちまった、ってわけか」
「その妄執が、アレにとってはエネルギーになるんだと思う」
 一夜明けて、客入りの悪いコーヒーショップ。
 ユーリはうつむきかげんに言った。
「妄執――か」
「……でも誰が、妄執と、夢とを区別できるだろう。監督だってそうだ。ハリウッドの人間は、みんな、映画に夢を見ている。それは、悪いことでもなんでもないはずなんだ」
「そうだな……。……どうする。仕事はなくなっちまってヒマなんだろ」
「……だね。キッドも?」
「よし、ビデオでも借りて見ようぜ。アキラ・クロサワので見たいヤツがあったんだ」
 ユーリは、微笑んだ。
 そうだ。ここはハリウッド。誰もが銀幕に夢をたくしている。
 その裏で、つぶされていく夢もひとつやふたつではない。だが、それでも……ユーリはこの街が、たぶん、嫌いではない。


The END.