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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『誘引餌』


■あれからのゆめ■


  差出人:平
  件名:警告

  蝿の彼から話は聞いている。
  これ以上我々の活動を詮索するな。
  我々が破壊し、
  圧し潰し、
  喰らいつくすのはまだ先だが、
  我々がきみだけを終わりにすることは
  すぐにでも出来ることなのだ。


 平からの脅迫じみた接触があってから、1週間が立った。
 藤井百合枝は相変わらず、不可解な夢を見る。
 朝になれば忘れてしまうような頼りないものとは違って、その夢はしつこく百合枝の瞼の裏に焼きついていた。内容はぼんやりとして覚えていないのだが、炎のようにゆらめく蝿と蟻と百足と蜘蛛が出てくることが気になって、夢の中の自分が必死で記憶の中に留め置こうとしているのだ。
 百合枝には炎が見える。それだけの力でどれほどいやな思いをしてきたかわからない。この上、夢見やら予知やらの力がついてしまってはこまるのだ。百合枝はなんとなく見当がついてしまっていた。この夢はただの夢ではないのだ。脳が要らない情報を整理しているわけではない。蝿が虱を溶かした、あの焦げた臭いまでもが蘇ってくる夢なのだ。
 あの蟲たちは何かを自分に伝えようとしている……。
 百合枝は昨日書店に並んだばかりの月刊アトラス9月号を手に取った。それにしても、雑誌というものはなぜ、8月に出ても「9月号」なのだろうと――他愛もない突っ込みを入れながら、昨夜頭痛が起きそうになるまで読み通した『ネットにはびこる「ムシ」の噂』特集を開いた。
 この原稿のもとになった情報は、少なくとも先月までのものだろう。新聞ではない以上、読者にリアルタイムの情報を伝えることは出来ない。

 百合枝と二度出くわした蝿は、また消えてしまった。
 蝿は『平』の名前を口にしていたはずだ。
 ――私にも、何か出来るかしら。
 百合枝は霞がかった夢と疑問を振り払った。
 ――そうね、あなたたちのために、何か調べること?
 アトラスを閉じると、百合枝はバッグを掴み、家を出た。


■熱い昼、暑い夏【Ver.2】■

 梅雨も明け、東京には夏がやってきた。
 ここのところ妹の家には行っていない。暑くてやっていられないからだ。百合枝の妹が住むマンションは通気性が悪く、ストレスでひっくり返りそうなほどに蒸し暑くなることがある。すでに4年もその部屋で暮らし、しかも究極のインドア派である妹のこと、あの悪夢のような暑さには比較的慣れてしまっているようだった。百合枝は何度自分と一緒に暮らさないかと誘ったことかわからない。百合枝のマンションは家賃こそ高めだが、住みやすい環境に合った。だが、妹はのらりくらりと返答をはぐらかして、とうとう4年も経ってしまった。
「北海道にでも越したくなるね。あっちは梅雨もないし夏は涼しいし……」
 その代わり冬の寒さと雪の量は東京人にとってとんでもないものであるということを、百合枝は敢えて考えないことにした。今はとにかくこの暑さから逃げてしまいたいのだ。あまり行ったことがない北海道の光景を思い浮かべ(山のふもとのみどりの牧場で牛が草を食んでいるという、非常にオーソドックスなものである)、百合枝は電車の中の恐ろしい暑さを忘れようとしていた。
 目の前のサラリーマンが読んでいる新聞に、何気なく目をやってみる――
 トップ記事は、政治家の汚職と北朝鮮問題。つい最近まで幅をきかせていた猟奇的な殺人事件の影は、どこにも見当たらなかった。
 ――そういえば……。

●東京都杉並区でまた変死体発見
●48歳会社社長 行方不明
●帰宅中の男性けが 通り魔による犯行か

 見慣れて「しまった」あの手の記事が、最近はニュースサイトにも新聞にも取り上げられなくなってきていた。1週間ほど前に、ようやくワイドショーが目をつけ始めたはずだが。
 ――平和であるに越したことないけどさ……。
 だが、それに気づいた途端に生まれた、この胸騒ぎは何だというのだろうか?


■縁と所縁【Ver.2】■

 月刊アトラス編集部の中は涼しかった。大した距離ではないが、駅から炎天下を歩かねばならなかった百合枝は大きく安堵の溜息をついた。生き返る、という言葉がしっくりと馴染む。
 編集部員の数は、いつもと変わりないようだった。
 景気のいい電話の呼び出し音、編集長のデスクの隣にあるシュレッダーは活躍中で、三下は汗を拭きながら走り回り、携帯電話を片手にした記者はマグカップに緑茶を淹れている。
 そんな様子を横目に見つつ、百合枝は真っ直ぐ碇麗香のデスクに向かった。
「『ムシ』の記事を書いてる記者って……」
「ああ、御国くんね」
 麗香はまるでその質問を予知していたかのような早さで返答してきた。
 細い指先が、マグカップの緑茶を仏頂面で飲んでいる記者に向けられた。
「ちゃんと仕事してるわ」
「今月号に記事が載ってたから、安心はしてたよ」
「そうね、何事もなかったかのように仕事してくれてるわ。今は手が空いてるはずよ――ねえ、御国くん」
 麗香の急な呼びかけに、中年記者はぴくりと反応した。
 人並みに麗香が恐ろしいのか否か、驚いたような顔を向けてくる。
「お客さんよ」
 麗香が示した百合枝を見て、御国将は――夢から覚めた直後のような、そんな表情をしてみせた。

「姉妹そろって同じ事件を調べてるのか。……しかも姉妹揃って銃刀法違反だな」
 将はぶっきらぼうに百合枝を歓迎した。百合枝が携えた竹刀ケースを見て、彼はわずかに眉を寄せた。
「悪いことは言わない。平の言う通り、手を引いた方がいいと思う」
「気になるのよ」
 百合枝は将の視線から逃れて、自衛艦の画像が壁紙になっている将のデスクトップに目を移した。見覚えがある。確か、将が失踪したときに、勝手に覗かせてもらったのだ――あのときは、黒い炎の燃え殻を見た。今もその黒いものは燻っている。いや、むしろ……何か異質な変化すら、生まれてはいないだろうか。
「最近の夢にはムシばっかり出てくるから。ムカデとアリが……」
 ぶっ、とそこで将がむせた。彼は迷惑そうに顔をしかめながら口の周りを拭い、マグカップをデスクに置いた。
「どうかした?」
「いや、べつに」
 将が何も知らなくて助かった。
 何人も、百合枝に嘘をつくことは出来ない。
 百合枝の翠の視線が、将の無愛想な表情を貫いた。

 現れたのは、炎のように揺らめく黒い百足。

 ――そう、あんたが……。

 百足が炎と化し、姿を変えた。現れたのは、かちかちと顎を鳴らす侍蟻だ。
 侍蟻の姿もまた、ゆらりと捻じ曲がり――翠の瞳が、現れた。

「嘘!」

 将の心の奥底で鍵をかけられている、秘密のひとつ。
 お互いに抱えているつらい嘘。
 百合枝は知らず、将に掴みかかっていた。

「嘘よ! どうして、あの子が――私の、妹が!」
 将と百合枝は、けたたましい音とともに椅子から転げ落ちた。突然のことだった上に、将は百合枝について何も知らないのだ。きょとんとした顔のまま何も言わず、というよりも抗議する暇もなく、百合枝の下敷きになった。

  誤解するな、俺だって何が何だかわからないんだ。

 彼は面倒臭そうな顔でそんなことを考えていた。どうやら、同僚たちの視線に気がついたらしかった。


■タイラー・ダーデンのことは、誰にも話すな■

 編集部内に、喧騒にも似たいつもの音が戻った。
 将はずれた眼鏡を直し、百合枝は謝りながら椅子に座り直す。
 お互いに特にそれ以上の詮索はしなかった。暗黙の了解とも言える沈黙の中、将がマウスに手を伸ばし、メーラーを起動する。
「昨日の夜――いや、夜中の2時だから、今日か。こんなメールが届いてな。あんたの妹にも連絡しておいた」


  差出人:平
  件名:招待状

  ウラガ君へ。
  待たせてすまなかった。
  今夜、きみを会合に招待する。是非来てほしい。
  刑事もお前を待っているぞ。
  場所は晴海埠頭近くにある三丸14番倉庫だ。


「私に対する態度とはえらい違いだね……。刑事って?」
 百合枝はメールの内容に半ば呆れて肩をすくめた。
 尋ねられた将もまた、どこかばつが悪そうに肩をすくめた。
「先週会った埼玉県警の嘉島って刑事だ。個人的に『ムシ』と『平』を捜査してるらしい――何日か前から行方不明だとさ」
「あんたが何かしたんじゃないの?」
「かもな」
 冗談めかした百合枝の言葉に、将は笑わなかった。
「……行く気?」
「あんたの妹の返事次第かもしれん」
 将の目が、百合枝に向けられた。
 面倒臭そうな目だ。
 だがこの男は、何も面倒臭がってはいない。むしろ情熱をもってこの事件に挑んでいる。百合枝の妹を信頼してもいる。この男もまた、百合枝に嘘をつくことは出来ない。
「それとも、一緒に行くか?」

 きっと、妹は来るのだろう。
 そしてこの男とともに行く。
 百足と蟻を伴って――

「私が関わってることを知ったら、あの子はきっと迷惑そうな顔するよ。いつもそう。自分で何かをしたいのよ。身内の手は借りずにね」
「まあ……そうだな。俺の弟もそうだった」
 将は初めて百合枝の前で微笑んだ。
「いちばん上は苦労するな」
「そう、長男なの」
「弟がふたり。この歳になっても『弟』だ。あんたもきっと、40になったらこう言うさ」
「いつでもあの子は『妹』だって」
「ああ」
「40の私なんて想像させないでくれないかい?」
「ああ、悪かった」
「悪かったと言えば、私も」
「ん?」
「あんたのパソコン、勝手に見たことあるんだよ。あんたが居なくなったときに」
「構わんさ。べつに見られてまずいものは入れてないからな」
「こっちのパソコンは仕事用だから?」
「……変なこと言うな」


■三丸14番倉庫にて、20:21■

 物憂げな生温かい夜風の中、百合枝は晴海埠頭前でバスを降りた。
 明日は出勤だというのに、自分はこんな遅くまでどういうつもりなのだろう。
 自分の心の炎は見えない。
 貸し倉庫はかなり大きなもので、かなり古くもあった。周囲には物が多い。錆びつき具合や古めかしさから見て、放置されているものがほとんどなのだろう。
 百合枝はぐるりと周囲を睥睨した。辺りはしんと鎮まりかえっていた。しかし――蒸し暑い。日が沈んだというのに、だから東京の夏は忌々しいのだ。
 北海道に行きたい。
 妹とふたり、いや、家族全員で行ってもいい。
 スペイン旅行に行こうと貯めてあった金がある。スペインにひとり行けるほどの金だが、北海道になら家族で行ける金額だった。
 この自分の中のわだかまりに決着がついたら、まず妹に話を持ちかけよう。親には、それからでいい。
 ご苦労様、
 卒論の息抜きに、
 たまには家族で、
 頭の中でいろいろ口実を考えながら、百合枝は黙って倉庫を見守っていた。

 ごぅん、という音がして……

■三丸14番倉庫にて、20:30■

■そのとき、何が起こっていたか、百合枝は知らない■

■蜘蛛の巣の前■

 倉庫の裏で、物音がした。
 何かが壊れるような物騒な音だ。
 百合枝はいやな予感に胸を掴まれて、気がついたときには走り出していた。

「将さん……!」

 かちかち、
 かちかちかちかち、
 かちかちかち――

 振り返った侍蟻と、目が合った。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1873/藤井・百合枝/女/25/派遣社員】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お待たせいたしました。『殺虫衝動・誘引餌』バージョン2をお届けします。少々短めですが、今回ようやく将側とまともな接触をすることになりました。とりあえず、後半は合流という形にしてあります。
 シリーズ最終話『コドク』の受注はすでに始まっております。すでに数本納品されていますが、藤井様の『殺虫衝動』がどの結末になるかは……フフフ。
 おふたりをまとめて1本のノベルにすることも出来ますので、プレイングにてご指定下さい。

 それでは、この辺で!