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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ex-voto

 神は、人でない。
 それに近付ける為、近付く為、古来より人は人為らざる証を求めて来た。
 一つ目である山の神に仕える神官は己が片目を潰し、牛飼い童はその童形から神の僕たる獣を御するとされ…女でなく、男でなく、烏帽子を被り直垂を纏い、男装して舞う白拍子もまた、神により近い巫女とされた。
 最も、それは古の…未だ、神が人に添うて在った、そんな時代の風習である。

「おい、久喜坂咲」
フル・ネームで呼び掛けられ、咲は律儀に答えを返した。
「はい、雨宮薫」
その遣り取りに周囲からクスクスと笑いが起こる…それはどれも女生徒のもので、さざめく波に弾ける泡のように拡がる。
 天井から下がる白いカーテンの向こう、薫が布の合わせから、明確な渋面を浮かべて見せた。
「騙したな」
「え? 何が?」
首を傾げて見せた咲だが、頭に載った烏帽子の重心が重く、心持ち、首を傾けた程度で止まる。
「恋人を救おうとする主人公を助け邪魔する物怪を追い払う白拍子役が私。白拍子が舞うと神が宿るの。それが薫君……って、説明したわよね?」
その通りに、咲は既に衣装の直垂を纏っていた。
 その白に合わせた袴の赤が、聖性と神に近しく仕える者である地位を示して、凛々しい男装といえど、視覚だけ女性的な感覚を見る者に訴える。
 役柄の衣装で…本番の直前で続けられた言葉は惚けた風で、視線が薫の僅か上方布の隙間から見える壁に向けられるに、更に空々しさを増した。
「あら女神様って言わなかったかしら?」
いけしゃあしゃあと。
「女神……?」
歯軋りに唸り出しそうな様子で、薫はシャッとカーテンを開いた。
 その形は咲と全く同じ。白拍子姿。
 事の発端は、是非にと誘われて赴いた咲の通う高校での学園祭。
 先からの約束を違えるなどはせず、入念に仕事の予定も私的な誘いも断って時間を空けた当日、門前で薫はまさしく捕獲されたのだ。
 門を潜った途端に両腕を取られて、咄嗟、身体が反撃に移るより先に咲が「お願い!」薫を拝み込んで気勢を削ぐ、見事な連携プレー。
 そのまま演劇部の舞台の直前、足を折ったという部員の代役を頼まれたのだが…
「コイツの代役の筈だろうが! お前達は何処に目を付けて女神なんて配役をしたーッ!」
 奥のベッドに、ギプスで固められた足を吊した男子生徒…誰の目から見ても、ゴツい、固い、でかい、の三拍子揃った男気溢れる外観の彼が、居並ぶ面々に困り顔で手を振った。「笑いが取れると思ったのよ」
咲は胸の前で腕を組み、ふんぞり返った。
 芸の為なら恥をも捨てる…俳優というよりも芸人の心意気を断言され、咄嗟に返す言葉を失うあたり、薫も色々な意味で修行が足りていない。
 そして、男子生徒とかなりの体格差があるにも関わらずぴったりの衣装、くどい程に誘われていた学園祭…それに含みがあったとは思い及ばなかったのは良しとしても、律儀に衣装を着付けた身で辞退も今更、女性相手に罵詈雑言になりそうな苦情を言いあぐねて耐える薫の手を引く咲。
「そんな事より、早く出て来て♪ 薫君、着物は慣れてるから着付けの必要はないけど、メイクまでは出来ないでしょ?」
居並ぶ女子生徒の間に引きずり出され…メイク道具やウィッグを手に手に、包囲の輪は縮まった。


 薫は舞台袖で、固い表情のまま劇の進行を見守っていた。
 引き締められた表情は怜悧と冴え、組まれた枠の…ほんの、一時間ばかりの番組を見守る。
 その僅かな時間の中で若者は姫に出会い、恋が始まり、魔物は恋人達を引き裂いて嗤う。
 攫われた恋人を助け出す若者を白拍子は助け導く…何処か外国の童話めいた筋を和調に演出し直したようだ。王子と姫と仙女。いつかそんな話を聞かされはしなかったろうか。
 だが、
「拙いな」
口元に添えた指の間から洩れるぽつりとした呟きに、忙しく立ち働いていた大道具係がびくりと動きを止める。
「おい」
薫は顔を動かさず、大道具係の一瞬の隙にその襟首をひっ掴まえた。
「うわぁッ、ボク大道具係なんで小道具については何も知りませんーッ!」
何かを知っている事を吐いたも同然の叫びに、薫はぐいとそのまま引くと大道具係が引きずっていた木製の茂みの裏側へと引きずり込んだ。
「何を知らないんだ? 話してみろ」
赤く紅を引かれた口元で微笑み…漆黒の眼差しに凄味を湛えた薫の顔を至近に気圧された大道具係はしどろもどろに容易に吐いた。
 曰く、この舞台は呪われているのだと。
 全国で学園祭が目白押すこの時節になると、ある一校に劇の台本と共に一振りの真剣が送られてくるのだという。
 舞台作家を夢見ていたが果たせずに死んだ少年の遺志を、是非叶えてやって欲しいと。
 必要経費として用立てて欲しいという過分な現金と共に、贈られるその送り主は不明…その違和感にも関わらず、送られた先では必ず演じられる。
 主役三人の命と引き替えに。
「でも久喜坂さんがそんなのあるハズないって……」
口籠もる、部員の目には不信と期待の半々という所か。
 薫の目には、咲が腰に履いた太刀が、ある種の呪の籠もった物だと知れる。人の血を知った物が、存在を歪められて狂うのはよくある話だ。
「なるほど……それでわざわざ他校の俺を引っ張り出したか」
納得顔で、薫は大道具係に手を差し出した。
「はい?」
「携帯持ってるだろう。寄越せ」
「え?でも俺もう今月の通話料苦し……」
「やかましい! 言う事を聞け!」
恐喝は物影で行う。
 作法に則ったある意味主賓の行動に、周囲の生徒達は礼儀を重んじて黙々と自分の作業をこなす事に専念していた。


 なんだか舞台袖が騒がしいなと思いながら、咲は心中に舌を出した。
 気付かれるのは当然、この太刀の存在を気付かせない為にぎりぎりまで薫を呼びつけなかったのはその為だ。
 この話は悲恋だった。
 姫は魔物に殺され、若者は刺し違えて命を落とす。力及ばなかった白拍子もまた嘆きに自らの胸を太刀で貫き果てる。
 呪われた舞台、死を呼ぶ恋物語。
 台本に目を通し、太刀を見た時既に…咲は胸中にある計画を抱いていた。
『恋物語は、やっぱりハッピーエンドじゃなくっちゃね♪』
哀しい想いは確かに激しく痛く、容易に心を揺るがす。
 が、それだけが人の心を動かす感情ではない。
 ただ魔性に変じた太刀であるそれだけならば人目につかぬように浄化してしまえば良いが、敢えてそれをしなかった、その意味を彼なら図ってくれるだろうと憶測…ですらなく、確信であった。
 彼ならば手を貸してくれるだろうと。
 劇も終盤間近、咲が無理に差し込んだ一場面が近い…ただ見守る者として配されているだけでは白拍子の立場が弱すぎる、祝福を受けたとされる太刀をただ渡すだけでは足りないと主張して、イレギュラー的に女神の存在を筋に盛り込み、剣舞の場面を取り入れた。
 剣舞ならばお家芸、台詞も不要ならば練習も要らない…陰陽の理を深く知る者ならば身に沁む程に覚え込んだ舞は、神に奉じる為の。
 照明を落とされた舞台は暗く、そのの左手…岩室の内の小さな社−当然、描かれた代物だ−を前に、スポットライトの光に射られながら咲は朗と声を張る。
 喉の奥深く、胸と腹筋を使って長く、長く発せられる母音は神喚びの声。
 途切れる事なく続くそれに、応じるように低い音が重ねられた…台本にないそれに、ライトを使う大道具係が困惑したか、それでも舞台の右袖…咲と同じ装束に恰も白拍子が分身したかの如く姿を映した女神、の薫の立ち位置を照らし出した。
 両者は、舞台の上を弧を描くように摺り足で距離を詰める、すべらかな動きをライトが追った。
 両者は共に腰に太刀を履いている。
「謀ったな」
「信じてたから♪」
囁きが交わされる、と同時に太刀が引き抜かれた。
 まるで鏡のよう…否、鏡ならば対象を映すだけだが、左右の対称そのままに動きは完璧に同じだった。
 そしてその太刀は、紛い物にあろう筈のない輝きで以て、観客の目を引いた。
「わざわざ運ばせたんだ……こういう事なら前以て言っておけ」
咲の太刀が真剣ならば、薫が履いた太刀もまた同じ。
「言ったでしょ?」
小声で咲は微笑んだ。
「信じてたって」
振るわれた太刀同士が、刃を合わせて澄んだ音を立てた。


 それを舞と呼んでいいものか、話の流れを知る者は誰もが思い、知らぬ者はただ魅入られた。
 白刃の煌めきが空気を横に裂く、僅か上を跳躍して越えた先に頭上から振り下ろされた刃を受ける、また澄んだ音が立つ。
「そろそろ、か?」
「そろそろ、ね?」
合わせた太刀の間、吐息に似た言葉を交わして、咲と薫は一旦、離れた。
 ライトに照らし出された舞台に反して客席は暗く、観客は黒い影にしか見えない。
 その中でただ一人…最も最前列に座っていた人影が身を乗り出すように立ち上がった。
 殺傷力を秘めた太刀を手に紙一重の薄さに、さらけ出された命の場への高揚感に引かれるように、舞台へと歩を進める。
 光は強く、影との境はまるでその男の身体を切り取っているかのように。
 咲が太刀に手を添え垂直に立てた。
 薫が太刀を横に薙ぐ鋭さが弾けた。
 両の太刀が交わり、上げた音が一際高い音を立てた勢いのまま…折れた刃は、立ち上がった男が座っていたパイプ椅子の背に、ピィィン、と振るえて突き立った。
 血に染まる太刀に魅入られ、贄を求められるまま捧げ続け、自らは安穏とした場所で…そう、まさしく舞台を見守る観客のように死を端近に眺め続けた男を、道連れにしようとしたかのように。
 男はその様を見て、へたりとその場に座り込んだ。
 光の領域に姿を晒したのは、瞳の焦点の定まらぬ小男だった。


 劇中の小道具の破損は、学園祭という非日常の中で些細なアクシデントに過ぎない。
「と、いう始末にするのにどれだけの手間がかかったと思う……」
苦々しい薫の言葉に、咲はまあまあ、とテーブルの上に並ぶケーキ類を示してみせた。
「会費無料で打ち上げに招待された功労者が仏頂面じゃ、盛り上がりに欠けるじゃない?」
学園祭の後片付けもある為、後日設定された打ち上げ会場はケーキバイキングだった。
 甘い物が入る別腹など持ち合わせのない薫にとって、ひとつ、ふたつ、更に載せただけでもう充分だがこの演芸部員達は男女を問わず甘味用袋を備えているようで、瞬く間消費されていく洋菓子の類に眩暈より先に気分が悪くなりそうだった。
 いつもならミルクだけは入れるコーヒーだが、ストレートのまま傾けた苦みに縋る。
「体力勝負なのよ役者って」
咲もいいながら、ナポレオン・パイにサクサクとフォークを入れては口に運ぶ。
「ともかく、だ」
口中に拡がる至福に微笑む咲に、だが流されはしまいと薫はごほんとひとつ咳払いをした。
「今度のような事態は、今後御免被るからな」
威厳を持って刺した釘は、けれど糠に打ち込んでしまったようでへにょりと倒れた。
「あら、無理よ」
はきはきと、咲は一蹴して笑う。
「何度も言ってるでしょ?信じてるって」
敵う筈がない。
 薫は軽く両手を挙げて、敗北を宣言した。