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遭遇か邂逅か
バイクを走らせるのが好きだ。
ただ走るという行為に集中する、その瞬間が好きだ。
(思考は停止する)
何も考えない。
時折酷くその瞬間が欲しいと思うのは、かつての名残なのだろうか。
その日も俺はバイクをとばしていた。とばす――と言っても、それは現実的な速さではない。
(普通の人間では乗っていられないほど)
非現実的な速さ。
もちろん公道で走れるわけはなく、そんな時は大抵空中を走ったり海上を走ったりするのだが。
(今日はさらなるスリルを)
味わってみようか。
そんなことを思って俺が選んだ場所は、いつも横を通り過ぎている竹薮だった。
(一体どこまで続いているのか)
確かめたことはない。ただこの中は、きっと静かだろうと思っていた。竹のしなる音だけが、すべてを包みこんで……。
(――よし)
その清閑な雰囲気を壊さぬように、俺は静かにバイクを進みいれた。
細い竹の乱立する隙間を、繊細な操作でうまく縫ってゆく。前輪と後輪を別々に動かさなければ、身体はすぐにでも太い鞭に打ちつけられそうだった。
やがて、いつもと同じ速度へと到達する。
――と。
竹から生まれし姫君は
三月(みつき)なくして成長し
光り輝く姫となる
(唄……?)
この速度で走っていてもしっかりと俺の耳に届いたのは、この竹薮が静かだからだろうか。それとも――
「…………」
俺はバイクを停め、歩いて辺りを捜してみた。聞こえたのが子供の声だったことも、気になったのだ。
しかし視界に映らないのはもちろん、センサーにすら、何も反応しなかった。
ぐるりと回って、バイクの所へと戻
「!」
ろうとした俺は、俺のバイクに足を揃えて――横座りをしている子供を見つけた。紅い振袖を着、鋭い瞳で俺を見つめている。
「貴様は……?」
その口元がゆっくりと、動いた。
美しきかぐや姫
意地悪なかぐや姫
求婚せし5人の男らに
決して解(ほど)けぬ 題を与うた
子供は唄いながら、ひょいとバイクから飛び降りる。そしてゆっくりと、俺に近づいてきた。
天竺の仏石の鉢をおくれ
蓬莱山の玉の枝をおくれ
火鼠の皮衣を
龍の首の玉を
燕(つばくらめ)の子安貝をおくれ
一歩手前で、その足がピタリととまる。
「――どれも無理だのう」
「!」
そう呟いたかと思うと、突然子供の姿が視界から消えた。さきほどまでと同じように、センサーも何も捉えない。
(何なんだ……?)
無駄だとわかっているのでキョロキョロと見回したりはせずに、俺はまたバイクの方へ向かおうとした。
その耳元で、声が。
「だが我になら、できるぞ」
(後ろから)
首に抱きつかれた。
そう理解した瞬間には既に、姿が消えていた。
「その虚ろな魂……今もところどころ、欠けたままか?」
声だけがざわざわと竹を揺らす。
「我が誘おうか。我にできぬことはない」
不意に、極近い距離で。
「お主の望む記憶の元へ――」
顔を挟む手の平が、酷く冷たかった。
(記憶……)
俺の望む記憶。
それは俺が、自分を失う前のことだろうか。
おそらく俺が、他人の意思の上で自由だった頃の。
(それとも)
それよりも前の、俺だろうか。
「――ふ」
考えて、小さな笑いな込み上げてきた。
「? 何がおかしい」
まだ至近距離で、子供はあからさまに「むっ」とした表情をつくる。
「いや……」
(多分それではないと)
思ったからおかしかったのだ。
俺にはもう、望む過去などない。それは名残だけで十分だ。
(それよりも――)
欲しいと思うのは、未来。平和な未来。いつか大声で、笑い合えるような。
「残念だが、俺は誰にも求婚などしていない」
「!」
「もちろん貴様にもな」
「――面白い」
子供はニヤリと笑うと、俺の顔から冷たい手が消え失せる。
そしてまた、バイクの上へ。
「では振られたかぐや姫は、月へと帰ろう」
そう告げると、今度はバイクの向こう側へと飛び降りた。身体がふわりと消え始め。
「――また逢おうぞ」
小さく振り返った顔が、完全に見えなくなった。
俺だけが、取り残される。
(――いや)
唄もまた、取り残されていた。
美しきかぐや姫
優しきかぐや姫
いつか月へ帰るため
誰にもその身 触れさせず
けれど本当は もう遅い
そのかぐわしき存在は
初めから毒であったのだ――
(終)
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