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<東京怪談ノベル(シングル)>


■ 破片 ■


 ■ 力 ■

 陽射しは強いものの、ここ数日の間で風は涼しくなり、確実に秋が訪れている事を御影・涼は肌で感じていた。
 穏やかに時は過ぎる。
 頬に当たる風が心地よいものになって吹き抜けていった。


 夏の終わりに起きた猟奇事件の余韻が、新宿から消える事は無い。
 しかし、街は次第に落ち着きを取り戻していた。
 消えたあの男を追って、今でも涼は街を彷徨っている。
 そして、大学の講義のない今日のような日を狙っては、街に出かけていくのだった。
 今日も聞き込みと周辺の捜索に徹した。

 大通りを抜けて、小道に入る。映画館のある方へと歩いていけば人通りの多さに溜息をついた。
 歩き疲れたところにカフェを発見し、数メートル先のその店の前に涼は足を伸ばす。
 丁度、昼時でもあって、人々は手ごろな店を探して入ってゆく。
 何の気なしに、涼もそれにつられて休む場所を探した。
 カフェに入り、店員に誘導されて窓際の席に座る。
 簡素な作りの小奇麗な店で、窓が全部開く、所謂オープンカフェというタイプの店だ。
 店員にアイスティーとべーグルのターキーサンドセットを頼むと、背もたれに凭れて溜息をついた。
 窓に四角く切り取られたような街並みは、枠の向こうでさまざまに様相を変える。
 行き交う人々の様子を涼は見つめた。
 夏を忘れた人々の装いはセピアカラーに包まれている。
 枯葉落ちるにはまだ早いというのに、色だけが秋色に染まっていた。
 そうやって時も忘れて見つめておれば店員がやってきて、注文したアイスティーを置いていった。

 グラスの中で氷が乾いた音を立てる。
 琥珀の液体は澄んでいて、いかにも涼しげに見えた。
 然程、暑いわけでもないのに、ホッと涼はそれを見て溜息をついた。
「手がかり……か……」
 手元のアイスティーのグラスを手の中で弄びながら、涼は呟いた。
 今日も探索に明け暮れ、休憩しようと立ち寄ったが、食欲も湧かない。
 注文したべーグルのターキーサンドにも手が伸びない。
 時間だけが過ぎて、事件現場の残留思念も少しずつ消えていく。
 焦りというよりは、消失感と言ったほうがしっくりくる。
 そんな感覚が自分の中に巣食っていった。
「どうしたらいいんだろうな……」
 涼は呟いた。
 仕方なくと言った風にべーグルサンドに手を出し、噛み千切れば、対して咀嚼もせずにアイスティーで飲み込む。
 どうしても嗜好は猟奇事件に向いてしまう。こうしていながらも、涼は現場が気になって仕方が無かった。
 食事を摂りながら、あの時の事を考えた。

 ビルの非常階段の上、瞬時に飛び移った跳躍力は人間のものではない。

 では、『彼』は一体、何か?
 人に非ずは妖しであろう。

 妖しを追うには、警察の力だけでは不十分すぎる。
 この街で東京に詳しく、闇に詳しい人間といえば、『高峰・沙耶』だろう。
 彼女の力を借りた方が良いのかもしれないと涼は考えた。しかし、彼女との面識はあまり深くなく、数えるほどにしか会った事が無い。
 資料不足のときに足を向ける程度で、彼女の人となりを知っているわけではないし、彼女が何故あのような研究所を持てる程の力があるのかも知らないのだ。
 しかし、それ以上考えても埒はあかない。
 自分の限界に来ている事を涼は悟っていた。
 食べかけのべーグルサンドから手を離し、立ち上がると伝票を持って、涼はレジスターの方へと歩いていく。こうしていても仕方が無い。
 高峰心霊研究所へ行くべきだと勘が告げていた。 
 
 
 ■ 闇 ■

「あの…高峰さん……」
 高峰心霊研究所のドアを涼は叩く。
 異様に静かなこの場所でドアを叩く音を立てることさえ、何故か躊躇われた。
 深呼吸を繰り返す自分の様子に涼は苦笑した。
 ここには街の全てがある。そう思えて仕方が無い。
 目に出来るあらゆる心霊現象の文献がここにはあった。
 善も悪も全ての事件が存在する古書を有する場所だ。言い知れぬ恐怖と言うか、敬虔な気持ちと言うか、そのような感情が混ざり合わさって、自分の内に沸き起こる。
 じっと部屋の様子を窺っていれば、こちらへと歩いてくる足音が聞こえた。
 そして、部屋のドアが開かれる。
 ドアの向こうには、嫣然と微笑む高峰沙耶が立っている。
 黒いドレスを身に纏った美しい女。白い肌と豊満な胸のラインが相まって魅力を引き立たせていた。
「いらっしゃい……随分と早かったこと……」
「え? ……早かった?」
「そうよ。峠は越したようね……」
「峠って……沙耶さん」
「フフッ……生きていれば探しようもあるというものよ」
 そう言ってドアの前から身を引き、涼を部屋へと誘う。
 小さく頷くと、涼は部屋へと足を踏み入れた。そこには、相変わらず骨董品と文献で埋め尽くされた部屋があった。
 既に用意されたティーセットがテーブルに置かれている。二つのカップには、今しがた注がれただろう紅茶があり、面に部屋を映して琥珀色の液体が揺れていた。
 自分が来る事を知っていたのだろうか。
 沙耶はソファーに座って反対側の席を勧める。
 大人しくと言った風に涼はそこに座った。

「峠とか…早くとかって、どういうことですか、沙耶さん?」
 おずおずと沙耶を見れば、先程から気になっている事を涼は訊いてみた。
 それを聞くと、沙耶はクスクスと笑い始める。
「私が知らぬ事は無い…そうでしょう?」
 そう言って、また沙耶は笑った。
「赫い妖しに惑わされて、命を落としかけていたのよ…貴方は」
「…う……」
 その言葉を聞いて、涼は唇を噛んだ。
 確かに、夏の終わりごろの自分はおかしかった。
 愛しい者の声も届かず、街へと誘われるように彷徨った自分は明らかに正気とは思えなかった。
「彼に感謝なさい…」
「え?」
「常に貴方は一人ではないと言う事よ……」
 確かにある人に迷惑をかけた。
 彼女の言う『彼』と、自分か今考えている『彼』は、多分、同じ人物だろう。
 彼に一体何があったと言うのだろうか。涼は沙耶を見つめた。
 そんな自分を見て、クスッと沙耶は笑う。
「そんな顔をしないで頂戴」
「いったい……」
「そう心配しなくても大丈夫。峠は越えたようだから…。でも、この先どうなるのかは貴方次第」
「俺次第……」
「えぇ…そうよ。赫い妖しに会って、貴方はどうしようと言うの?」
「どうしようって……」
 沙耶の言葉に涼は詰まってしまった。

 用意されていた紅茶のセット。
 必要の無い質問事項。
 そうなれば沙耶が何かを知っていると、言わなくても涼がここに来た理由を知っているとしか思えない。
 何もかも、沙耶は知っているようだった。

 赫色に街を染めたあの男に会って、自分はどうしようと言うのか。
 問われて唇を噛む。
「負けたく…ない……」
 強がりで我侭な思いだと分かっていても、言わずにはいれなかった。
 説明の必要が無いのなら、思いを吐き出すのは簡単だった。
「だからどうだって……分かってるけど…掴まえたいのか分からない…でも……」
「でも?」
「ただ……戦いたい……たとえ意味の無い戦いであっても」
「惹かれていると……そう言いたいのかしら?」
「惹かれて?」
 涼は目を瞬かせた。

 忘れられないあの思い。

 全身を駆け巡るエクスタシーに似た恍惚感と我が身を突き落とされるような恐怖。 
 
 叶えば両方が永遠に手に入るような、危うい存在。
 捕まれば二度と這い上がる事の許されぬ…闇。

 それに惹かれているなど…我が身に命がいくらあっても足りないだろうに。
 言われて否定しようが無く、唇を噛んだ。
 なんと言っていいか分からないまでも、涼は自分の気持ちを形にしようと考えを巡らせて話し続けた。
「ただ……会って…戦いたいんだ」
 それを聞くと、沙耶は何も言わずに頷く。
 不意に沙耶は立ち上がり、涼に向かって微笑んだ。
「その場所に行きましょう……」
「…え?……」
「紡がれていない未来ならば、変えることが十分に出来るわ」
「いいのか……俺は……」
「そのまま彷徨っても仕方ないでしょうに、会って戦いたいのならそうすればいいのよ」
「でも……」
「そのあとは貴方が決めればいい。追うも、追われる方になるのかも…貴方次第」
「俺…次第……」
 沙耶は頷き、口元をふっと上げた。
「紡がれる未来はまだ先にあるわ……現場に行きましょう。話はそれから……。手がかりが欲しいのなら行かなければね……」
「会えるのか…あの男に……」
「さぁ……でも、情報は多い方が良いでしょう。その後、ここで資料を探せば良いわ」
 涼は小さく頷いて立ち上がった。
 手をこまねいているのならば、欲しい未来も手に入らない。
 必要ならば、沙耶のような心霊関係に詳しい人物に話を聞いてみるのも良いだろう。
 この街には複数の心霊関係者がいる。
 顔写真が必要ならば、アンティークショップ・レンの店主、蒼摩・蓮に彼のカードを頼めばいいだろう。
 これで相手を知る事もできる。
 もしかしたら、誰かがカードを作っているかもしれない。
 それならば、新しい情報を集める事もできるだろう。
 協力すれば出来ぬ事など無いはずだ。
 
 会えるかもしれない……

 密やかな期待感に、涼は沙耶に微笑んだ。


 ■END■