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<東京怪談ノベル(シングル)>


ねえ、きいて


 カーステレオの調子が悪い。
 ん、とわずかばかり忌々しげに細められた目は、ポリスのサングラスの奥にある。
 彼がここで舌打ちでもしなければ、彼が気分を損ねたことを第三者が窺い知ることは出来ないだろう。
 白金兇には、およそ感情がない――
 他人が抱く彼の印象は、そんなもの。
 しかし、
『どうぞ、そう考えてもらって構いません』
 とばかりに――兇はめったに笑みを見せないし、眉を吊り上げもせず、サングラスを外すこともないのである。
 しかし……音楽が鳴らない。
 昨日買ったばかりのMETALLICAが聴けない。6年ぶりに出たニュー・アルバムだというのに、昨日ようやく暇が出来たから買えたのに、せっかくの美しい重金属音がぶつぶつと途切れては、最終的に『READ ERRER』とディスプレイがほざくのだ。
「……ふぅ」
 兇は、短く溜息をついた。
 カーステレオと格闘するのは明日にしよう。
 今はさっさとこの場を離れて、自宅に戻るのだ。怪しげな(いつもそうだ)荷物運びを終えたばかりなのだから。

 その夜の仕事は特に兇の記憶に残るようなものではなかった。
 時計が0時を打つ。
 その『日』の初めての仕事は、兇の心に長いこと居座りそうだった。

 峠を越えたあたりだった。
 寂れたパーキングエリアを通り過ぎたときだっただろうか。白い花が見えた気がする。……いや、兇は色を見分けるのが生来苦手だ。ひょっとすると黄色い花だったかもしれれない。
 不意に、電源を落としたはずのカーステレオが鳴り出した。
 だが――METALLICAは例によって途中でエンストを起こし、スピーカーは沈黙した。
「なにこれ、壊れてるの?」
 助手席に座った女が、ピンク形のルージュを塗った口を尖らせた。
「ええ」
 兇は、ごく自然にそう答えた。
 峠を越えるまで自分の車の助手席が、それどころか後部座席にも、人は乗っていなかったことなど――他ならぬ兇がよく知っている。
「ねえ」
「はい」
「夜だよ。サングラスなんか、外人だって外すよ。自殺行為だって思わない?」
「ポリシーでして」
 兇はにこりともしなかった。それは本音であって、冗談ではなかったからだ。
 だが、女性は噴き出した。
「変わってるね」
「よく言われます」
 一旦言葉を切ってから、
「でも、普通だと思われるよりはいい」
 兇はそう続けた。
 女性はじっと兇の横顔を見つめていた。兇は安全運転を心がけてもいたし、女性の顔になど一瞥もくれなかった。
 じりじりと燃え上がっていく、不穏な色の炎を感じる。それだけで充分だ。
「あたしの彼氏、すっごく普通の人だったよ」
 ふむ、と兇は無難な相槌を打った。
「普通の人間てつまらないよね」
「俺は、そう思います」
「あたしも」
「気が合いますね」
「じゃ、付き合っちゃおうか」
 んー、と兇は無難に返答をはぐらかす。
 女性はぴくりとも変化しない兇の横顔を睨み続けていた。兇の否定的な態度に怒っているわけではないようだ。兇はやはり、女性を見なかった。見たところで、顔形など覚えてはおけないだろう。
 花束を通りすぎた直後に現れる女や男の顔立ちなど、杳として知れないのが定石というものだ。彼女は普通を嫌っているが、残念ながら『普通』なのである。
「彼女いるの?」
「いません。あまり人を信用できないたちでね」
「ねえ、じゃあ、付き合ってよ」
 女性が、身を乗り出してきた。冷気と殺気と恨み辛みが、ぴりぴりと兇の肌を刺す。
「今夜だけでいいからさぁ、ねぇ……『付き合って』」
「ふむ」
 兇は、おもむろにダッシュボードを開けた。
 ダッシュボードは勢いよく開いた。重いものが入っていたからだ。女性が、顔を見せたものを見てぽかんと口を開けた。
「……これ、本物?」
「SOCOMです。米軍からのお下がりですけど、専用サプレッサーの性能がいいのでね。重宝しているのです」
 さらりと答えてから、やはり前方しか見ないままに、兇は続けた。
「本来なら料金をいただくのですが――君には深い事情がありそうだ。聞かせてもらえませんか? 内容によっては『付き合い』ましょう」
「……こっち見ながら話してよね、そういう大事なこと」
 わずかに肩をすくめた兇は、相も変わらず暗闇だけを見ていた。


 ぱしっ、と兇の脳裏に無理矢理ねじ込まれてくるのは――
 むせかえるような排気ガスの臭気と吐き気の記憶。
 霞がかっていく意識。
 ねえ、どうして?
 どうして逃げるの?
 一緒に死のうって、
 死ぬときも一緒だって、
 死んでからも一緒だって、
 ねえ、あたしの首からこんなに血が出てるんだよ、
 刺してくれたのはあなたなのに、
 あなただから安心して刺されたのに、
 どうして車を出ていくの?
 頭が痛いよ。
 喉が痛い。
 身体が動かないのよ。
 目が見えないの。
 どうしてあなたは、一緒にきてく……

 嘘つき、
 一緒に死んでくれるって、
 言ったのに。


 車は、路肩で停まった。
 兇の手が、ダッシュボードのSOCOMを取る。
「『殺してやる』」
 兇の口がそう囁いた。
 助手席には誰も座っていない。


(ねえ、あたし、お金なんか持ってない)
(そうだろうな)
(なのにどうして付き合ってくれるの?)
(少し懐かしかったものでね)
(え?)
(なに、君の気持ちがよくわかるということですよ)
(……ふられた? とっても好きだった人に?)
(ま、似たようなものです)
(ねえ、不思議だね。こうしてあなたの中に入ってるのに、あなたのことは何にもわからないの)
(俺も、君のことは何もわからない)
(そう)
(だから安心して下さい)


 兇の愛車は、自宅とは全く逆の方向に向かって走り出した。
 先ほどのどこか無機質な安全運転とは打って変わった、いささか乱暴な運転だった。兇の手が、SOCOMを助手席に放り投げる。
 30分ほど疾走して辿りついた先は、兇が知らないマンションだった。


(ねえ、使い方がわからない)
(そうだろうな。その方がいい)
(どうしたらいいの?)
(彼の部屋まで行ったら、後は俺がやりましょう)


 セーフティは解除した。
 あとはただ、引鉄を引くだけでいいのだが。

 そうして兇は、その日初めての仕事を終えたのである。

 カーステレオが鳴り出した。METALLICAが6年ぶりに唄いだす。
 乱暴な運転がもたらした衝撃が功を奏したのだろうか?
 ポリスのサングラスの奥で、目がすうと細くなった。
 それから、その唇がうっすらと笑みを形作ったのである。素晴らしい音楽だ。これが彼女の払えた、精一杯の報酬なのだろうか。
「君を見つめなくて、本当に良かった」
 誰もいなくなった助手席に、兇がようやく目を向けた。微笑みは未だ彼の口元にある。それが笑みだと気づける人間が、どれほどいるかはわからない――それほど、かすかな笑みだった。
 サングラスの奥で光っているのは、恐るべき金の瞳であった。




<了>