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<東京怪談ノベル(シングル)>


「トレーニングファイル」

 首都の中心部に存在する緑あふれる小さな公園に、今日も多くの住民たちが憩いを求めて集まっていた。彼らは朝の時間を緩やかに過ごし、まだ眠気の覚めない身体を揺らしながらここにやって来る。幼稚園に入る前の小さな子どもを連れた母や井戸端会議をするために向かい合わせになったベンチを占領する老夫婦の団体……その風景はいつもと変わりないものだった。
 そんな平穏な空気の中を疾風のように駆け抜ける若い男がいた。青と白の地味なジャージで身を包んだ彼の走りを見ると、どこかの企業に所属しているスポーツ選手にも思える。彼が頭を振るを頬を伝う汗は粒となり、それは太陽の光を浴びてわずかに輝く……そのしぐさで彼がかなりの距離を走ったことがわかる。青年の荒い息が周囲に木霊する。
 公園の風景に今にも溶け込みそうな青年は、左手首にはめている腕時計に手を伸ばしひとつのボタンを押した。それは一種の通信機で、あるデータを送受信していた。彼の行動に応じ、時計型のそれは本人にだけ聞こえる声でメッセージを伝えた。


 『基礎トレーニング、お疲れ様でした。続いて、強化服機能テストを行います。警視庁に戻って下さい。』


 聞きなれた女性オペレーターの指示に従い、彼は走ってきた道を歩いて戻る。クールダウンを兼ねているのだろう。彼は道で大きく深呼吸をしながら、公園の賑やかさに触れる間もなくその場を立ち去った。


 彼の名は葉月 政人。オペレーターの声から連想できるかもしれないが、彼は刑事だ。正確には『警視庁・対超常現象機動チーム捜査官兼特殊強化服装着員』のひとりである。葉月の所属する部署は最近になって設立された。全国の警察官にこの部署の配属権が与え、さまざまな分野で活躍する理想高き人間を募った。そしてその中から優秀な人材だけを選び出し、そこに集結させたのだ。入庁当時から高い能力を誇り、それを周囲にも認められていた葉月は、最前線で働くことのできる環境と本来なら救うことのできない人々を救うことができる仕事に魅力を感じ、すぐさま本庁に応募した。
 高い能力を持つと評される葉月だが、その非凡な才能は試験で発揮された。持久力や跳躍力などの体力はもちろん、適確な状況判断や洞察力は応募者の群を抜いた。さらに射撃や格闘といった実戦的な試験でも他を圧倒する実力を見せ、周囲はおろか試験官をも驚かせたのだった。最後に行われた面接でも正義を貫きたいと語る葉月の姿勢が評価され、総合的な観点から彼を捜査官のエースとして採用することが決まった……

 機動チームに入った彼を待っていたのは、基礎トレーニングだった。彼ほどの逸材でも、毎日のようにジョギングやストレッチ、筋力トレーニングや水泳などを任務としてこなさなければならない。葉月は今日も早朝から過酷で過密なメニューをこなしていた。その時の身体の状態は常に腕時計が感知している。その記録は定期的に発信されており、上層部がそれをチェックしてデータ分析し、その結果を踏まえて彼の明日以降のスケジュールを決定しているのだ。もちろん葉月やデータに異変があれば、音声やデジタルなどで彼に呼びかける機能を備えている。
 この腕時計型測定器に代表されるように、彼の部署は常に最新鋭の技術であふれている。その技術力の結晶が機動チームを動かす『特殊強化服 FZ−01』だった。葉月の肩書きにはこれを装着することを意味する言葉が含まれている。彼にはこの特殊強化服の機能テストを遂行する任務も与えられていた。装着時における肉体能力の変化や衝撃に対する耐久度、また超常現象に対抗するために開発されたいくつかの装備を使用した場合にかかる全身への負荷などを計測することが主な目的だった。すでに何度かこの試験に参加した葉月だったが、『FZ−01』を装着するたびになんともいえない緊張感に襲われる。実戦投入されれば、これを着て戦うのは自分なんだと武者震いにも似た感覚が全身を伝わっていく……彼はいつも自分に課された任務の大きさに胸を震わせる。人知を超えた超常現象との戦いで何らかの失敗すれば、それこそ自分が恥をかくだけでは済まされない。目の前の命が奪われるだけではなく、さら被害が拡大する可能性もあるのだ……だからこそ上層部が決めた基礎トレーニングにも、葉月はいつも真剣で取り組んでいる。彼に慢心や油断はない。

 そんな決意を胸にすると同時に、彼の頭にはいつも同じ疑問が湧き出てくる……葉月はトレーニングメニューを決めている人間の顔を見たことがない。また、さっき自分に指示を出した女性の顔も知らないのだ。リアルタイムで情報を送ってくることを考えると、人間がメッセージを直接送信しているようにも思える。だが、その確証はどこにもない。もしかしたら、よくできたデジタルガイドかもしれない。だが、彼らを信用しない理由はない。顔を見せぬ仲間たちも、きっと目に見えない形での犯罪を憎んでいるはずだ。だからこそこの任務を遂行しているのだろう。彼らも困っている人間を救いたいはずだ……葉月はいつものように悩み、それをいつものように結論付ける。その考えがまとまることには警視庁にたどり着く。そしていつものように気持ちを新たにして機能テストに望むのだった。



 特殊強化服に身を包んだ葉月は警視庁の地下に設けられた訓練室へ、特別に用意されたエレベーターで下りていく。重力に押し付けられるような感触がメタリックな肌を通して伝わってくる。葉月にとって、このわずかな時間がいちばん集中力の高まる瞬間だった。彼はただ前を見据えていた……エレベーターが目的地に着いたことを無愛想な音で彼に知らせると、静かにドアが開かれた。葉月はいつものように右足から歩き出す。
 右の壁には今までに機能テストで使用したいくつかの武器があった。これらは上層部のチェックを受けて使用許可の下りたものだった。中にはいつ起こるかわからない実戦での使用を許可しているものも存在する。高圧電子銃やハンドガトリング……どれも葉月の力強い仲間たちだ。いつもならその傍らに彼の専用バイクである『トップチェイサー』が誇らしげに立っているのだが、今は整備中なのかそこにはいなかった。
 彼らが肩を並べている場所から大きく外れて……葉月の行く手にあるテーブルに、ひとつの武器が乗っていた。それは巨大なはさみのように見える。それに視線を落とした時、仮面の内側にあの声が響いた。


 『今回テストに使用する武器は、電撃を発生させる新装備です。レバーを引くことで刃が閉じ、もうひとつのレバーで電撃を発生させます。今回は使用可能電圧を測るための実験です。なお、FZ−01が感電する可能性は7.53%残されています。注意して使用してください。』

 「了解……」

 『まずは大木からはじめます。利き腕に装備して下さい。電圧放射レバーは対象物を挟んだ後に引いて下さい。引き方によって電撃の強さが変化します。』


 葉月が新装備を利き腕にはめ、電撃レバーの位置を確認している頃、目の前にはある装置に吊るされた大木が出現した。まずはこれを切ってみろということらしい。装置は豪快な音を立てて大木を引っ張りきり、その動作を済ませた。その瞬間に目標の確認をし、葉月はゆらゆら動く大木に向かってダッシュする!


 「うおおおおおおおおおおぉぉっ!」


 抜群の動体視力を生かして、即座に大木の横っ腹を捉える葉月。その瞬間、冷たい刃が突き刺さり両脇をえぐった。それは利き手のレバーを思いきり引いた結果だった。彼はもうひとつのレバーに手をかけ、ゆっくりとそれを引いていく……


 『バババ……バリバリバリバリ!!』


 強化服のボディーと同じ色の青い閃光が刃を駆け巡り、大木を焦がす。大木は次第に強くなる電撃に耐えきれず静かに燃え始めた……とっさに両方のレバーを解除して後ろに逃げる葉月。あとは静かに大木が朽ちていくのを見るだけだった。仮面の聴覚は全身を焦がすわずかな音でさえも彼に伝える。


 『電撃出力37.53%、強化服への電撃伝導率0.52%。異常なし……続いて、鉄柱でテストを行います。』


 燃え盛る大木と入れ違いに、今度は細めの鉄柱が出現する……葉月はスタンバイができるまでその場に膝をつき、その上に乗せた名もなき新装備をやさしく撫でていた。
 いつ起こるかわからない超常現象犯罪に立ち向かうために作られた相棒は今、自分の力となるかどうかをチェックされている。たとえ彼でなくても、わずかに改良されてきっと自分の手元に戻ってくる。葉月はそう信じていた。バックアップしてくれるチームのメンバーとまったく同じ心強い仲間。それが彼らだった。後ろを振り向けば、葉月の訓練風景をじっと見守る仲間がいる……


 「お前も俺と一緒に……人を救ってくれるのか?」


 新装備に自分の理想を語りかける葉月……彼はいつも仲間たちにそれを囁く。だが、彼らは必ずそれに応えてくれる。葉月もそれを信じている。そう遠くないいつか、この装備も自分の力になってくれるだろう。


 『スタンバイ完了。テストを行ってください。』


 オペレーターの声を聞き、葉月は静かに相棒とともに立ち上がる……それがたとえ戦いの中で劣勢に立たされたとしても。彼はいつも戦い続けるのだ。終わらない夢を、追いかけるために。消えない願いを、叶えるために。