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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Nocturne −ノクチュルヌ−

「――おい、別についてこなくていいんだぞ?」
 とある場所を目指して歩きながら、俺は後ろを歩く矢塚・朱姫を振り返って告げた。
「これは俺が頼まれた仕事だ」
 しかし矢塚は、その足をとめない。
「1人じゃ大変だろー? 大体”病院”なんて――私を誘ってるみたいなもんじゃないか」
 それどころか、暗闇の中でにやりと笑った。
「どこがだよ」
 呆れた声を返し、俺は前を向き直る。
 「ついてこなくていい」と言ってはみたものの、別に無理やり帰すこともなかった。
 病院の中で仕事をするなら、矢塚がいてくれた方が助かるのは事実だ。
(俺は他の者まで)
 気を配ってなどやれないから。
 霊と話ができる矢塚がいれば、俺は最初からそれを気にせずに済むのだ。
 今回俺が頼まれた仕事は、胎児喰いの犯人を”どうにか”することだった。
(どうしろとは)
 特に言われていない。
 ただそいつがもう胎児を喰わないようにすればいいらしい。
(ずいぶんと大雑把な依頼だな)
 もっとも俺にとっては、その方がやりやすいのだが。
「獅刃? 一体どこの病院なんだ」
 静寂を嫌うように、後ろから矢塚が問いかけた。俺は前を向いたまま答える。
「この公園を抜ければ――すぐだ」



「おーおーいっぱいいるねぇ」
 暗く長い廊下を歩きながら、矢塚はそんなことを口にした。反響する足音と共に、その声もこだまする。
「まるで有声で答えてくれてるみたいだ」
 何故か嬉しそうに呟く。
(そう)
 矢塚が「いっぱいいる」と言ったのは、人ではなく霊のことだ。ここは既に目的の病院の中。
「――で、そいつは本当にここへ来るのか?」
 とっくに消灯時刻をまわっている病院内は、やけに静かだった。これから惨劇の起こる前触れなど、感じることはできない。
(それでも)
「そういう話だ。もし今日ここに現れなければ、何もしなくても報酬はもらえることになっている」
「あり得ない、ってワケか」
 依頼主は自信があるからこそ、そんな条件を出したのだ。
 コツ、コツ、コツと、しばらくは2人の足音だけが響いた。
 ――と。
「獅刃……306号室」
「!」
 不意に矢塚が指定する。
「親切なお友だちが教えてくれたよ」
 何の合図もなく、俺たちは走り出した。
「敵(かたき)を討ってくれってさ!」
 おそらく幾人かの霊たちを、追い越したのだろう。
  ――バタンっ!!
 勢いよく開けた扉の向こうには、月の光に照らされて男が1人立っていた。そいつは奥のベッドを見つめ、こちらに背を向けている。ベッドの上がどうなっているのかは、暗くて見えなかった。ただ血の臭いだけが、充満して。
「――あんたが、胎児喰い?」
 声をかけると、そいつの背中がピクリと震えた。そしてゆっくりとこちらを――。
「最悪……」
 呟いたのは矢塚だ。
 振り返ったそいつの口元は、赤く染まっていた。手元にある肉の塊を、疑うことはできない。
「……食べなければ、ならないんだ。消化してしまわなければ……」
 ぶつぶつと何かを言い始めたそいつを無視して、俺はいつものようにペンジュラムを握りしめた。両手を胸の前に伸ばす。
「さて、どれくらい喚んでやろうか」
(殺された胎児たち)
 どれくらいの想いで、狂わせてやろうか。
「獅刃……?」
 怪訝を含んだ声で呼ぶ矢塚に、背中を見せたまま返す。
「関係のない奴らが邪魔をしないようにしてくれ」
「――ああ」
 矢塚の何かをためらった返事を気にもとめず、俺は一気に集中力を高めた。
(思い切り、壊れてもらおう)
「行け!」
 俺の言葉と共に、そいつの周りに光のサークルができた。それはオーラを放ちながらそいつの内側を蝕んでいく。
「うがぁ……ぁぁああ」
 たまらずそいつは片膝をつき、頭をおさえた。グチャリと、先ほどまで手に持っていた塊が落ちる。
(そこから)
 新しい光が生まれそいつをさらに取り囲んだ。
「……な、何なんだこれは……っ」
「胎外へ出る前に殺された、哀れな生命だ」
「……っ……!?」
 ここからの道筋は、とうにできている。
「あんたは何故殺した?」
「……どう…せ、生まれ…ても――すぐ…死ぬんだ……ぐっ」
「だから殺すのか? では何故喰う」
「…………」
 息苦しさに耐え、そいつは口を噤んだ。
「――答えろ」
 握りしめる手を強める。
「がはっ……ぅ…く、喰わねば…俺は襲われ…るんだ……消してしまわねば……!!」
(それが答えか)
「では――」
 大きく息を吸った。
「――襲われるがいい!」
「や、やめ……っ」
 そいつの拒絶は途切れた。
「ぐああぁぁぁああくるなぁぁああ!!」
 部屋を揺るがすほどの、叫びが血の臭いすらかき消す。
「……獅刃」
 終わらない叫びの中、矢塚が小さく俺を呼んだ。だが俺は、聞こえない振りをして無視する。
(まだだ)
 まだ集中力を、切らすわけにはいかない。
「獅刃っ!」
 しかし矢塚はもう一度、俺を呼びその肩を引いた。俺の身体は自動的に、矢塚の方へ向き直る。
「お前――いつもこんな方法を……?」
 声は低く、怒りが滲んでいた。まだ肩を掴んだままの手が痛い。
「壊すには、相手が最も恐れていることを実践して見せるのが早いだろう?」
 問いを問いで返す。もちろん矢塚が頷くはずもないことはわかっていた。
「どうして壊す必要がある?! 言葉でいくらでも解決できるじゃないか!」
「狂人に説得など通用しないさ」
 声を荒げる矢塚とは対照的に、俺はゆっくりと口を動かす。
「――そんな奇麗事、この世の中で通用すると思っているなら、大間違いだ」
「獅刃……」
(――本当は)
 俺だって気づいている。
 この男はおそらく、生まれたばかりの我が子を失ってしまったのだろう。何一つしてやれぬまま。言葉1つ交わせぬまま。
(そして男はそれを哀しみ)
 哀しみに耐え切れなくなって――諦めてしまったのだ。
『どの子もどうせ死ぬんだ』
『生まれてから死ぬのは哀しいから』
『生まれる前に俺が――』
 俺は再び、矢塚に背を向けた。
 光のサークルの中で、男はまだもがき苦しんでいる。
(今、楽にしてやる)
 もう一度、ペンジュラムを両手で握りしめた。
 「もういい」と。「誰もあんたを襲いはしない」と。告げて済むのならそれでいいのだ。
 だが、こいつはもう。
(狂っているから)
 胎児を殺していくうちに狂ってしまったのだろう。殺してきた生命を、恐れてしまった。
『完全に消さなければ襲われる』
『ならばこの身体で』
『消化してしまおう』
(消えてしまえ)
 その狂った人格ごと。
(壊れてしまえ)
「――逝け!」
 最後の言葉を発すると、一瞬の閃光がこの部屋を暗闇に戻した。ドサリと、男の身体が床に崩れる。
 手を下ろした俺は、小さく息を吐いた。
(ほんの少しだけ)
 振り返るのが怖い。
「獅刃」
 何度目かの、名前だけ呼んだ声に。
「狂人の末路は、これしか存在しない」
 俺はそう応えてから、振り返った。
「憶えておくんだな。死にたくなければ」
 俺を見返す矢塚の瞳は、哀しげな色を含んでいた。
「――狂った理由は」
 乾いた声が、俺の耳に届く。
「関係ないって?」
(あるはずがない)
 俺は答えの代わりに、無言を返した。矢塚の横を通り過ぎて、病室の外へと出る。
「――辛いよ」
 ポツリと、呟いた声に足をとめた。
「矢塚?」
「そんな獅刃、見てるの辛い」
「……だったらもう、ついてくるな」
「違う」
「え?」
 思わず目を合わせた。
「見ている私ですら辛いと思うんだ。獅刃が辛くないはずはないだろう――?」
「!」
 当たっていた。
(だってそれは)
 俺が望んでそうしていること。
 辛さの中に身を置くことで、俺は狂った人間を裁く権利を得ているのだ。
(いつか見たい)
 笑顔があるから。
「俺は――平気だ」
 珍しく、自然と顔が笑った。滅多にそんな顔をしない俺に遭遇して、矢塚は思い切り驚いた顔をしている。
「さて……報酬でも受け取りに行くか」
 そんな矢塚を置いて、俺は歩き出した。
(どんなに辛くても)
 苦しくても。
(とまるわけにはいかない)
「あっ、おい獅刃!」
 我に返った矢塚が追いかけてくる。
 逃げるように、俺は走り出した。
(同じ場所へ)
 立つわけにもいかないのだ。
 俺が自分の手で、それを断ち切るまでは――。