コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

 その時の十桐朔羅の心情を、どう表現すればいいか判らない。
 それは呆然とも呼べるが、逡巡でもあったろうし、総括そすれば困惑とも呼べたろう。
「ピュン・フー……」
十桐朔羅は吐息に乗せてその名を呼んだ。
 今、目にしている後ろ姿だけでそうと判ぜる、黒革のロングコートの裾が地面を擦るも頓着せずに路上に座り込む青年に向けて。
「んあ?」
名を呼ばれて青年が振り向く。
 コートの中も色彩のない黒ばかり、ご丁寧に顔にまで乗せたサングラスも濃い影を落とし、五指に填めた指に光るアクセサリーの銀、彩りと呼べるモノは何一つない姿でもそれを鈍らせる事の出来ない笑顔を朔羅へと向けた。
「あれ、朔羅にーちゃんじゃん、今幸せ?」
それによって、他人の振りをする、という選択項目は消えた。
「何をしている……」
目頭を揉んでも、眼前の風景は変わらない。
 路端に積み上げられたゴミの山を散らし、鴉を威嚇しながら。
「ゴミ漁ってんだよ、わりとイイモン捨ててあんぜ? 朔羅も一緒する?」
そんな軽やかに軽犯罪に誘われても。
 せめてもの救いは、ゴミの出先であろうオープンカフェがまだ開店前で、野良猫に牙を剥いてみたりしているのを人目に晒されていない所か。
 朔羅は取り敢えず、その襟首をひっ掴んでその場から逃れる事を最優先に、和装の袖を捲り上げた。


「って、朔羅の細腕で俺運ぼうなんて無理じゃん?」
ピュン・フーの苦笑の通り、物理的な不可能さ加減を身を持って知った朔羅は、乱れた息を整える開店後のオープンカフェである。
 開店時間まで後5分の際どい所であったのは、果たして救いか否か。
 自身はコーヒーのアイス、朔羅にはホットを注文するピュン・フーの声より遠く、店の脇からゴミを荒らした鴉と猫に対する愚痴が聞こえる…全くの冤罪だ。
「……最近、外へ出れば貴方に会う様な気がするな……」
「運命ってヤツ?」
しらっと寒い台詞を、アイスコーヒーを飲んだ後の冷たい息で吐きだす。
 朝の冷えた空気に凍える指でカップを包むように持つと、コーヒーの含んだ熱でじんわりとしたぬくもりが掌を温める。
 ピュン・フーはといえば、ストローを口に銜えたまま行儀悪くゴミから漁りだした雑誌を捲っていた。
「お、あったあった」
ぱらぱらと、写真の多い頁を繰っていたピュン・フーが上げた声に、何気なくコーヒーから目線を上げれば、何やら青の濃い印画の間に挟まれた栞を指先で取り上げ、目を隠すようにピッと示して見せた。
「朔羅にーちゃん、暇だったら一緒しねぇ?」
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「……水族館?」
しかもペアチケット。
 朔羅はカップを手で包んだまま口に運び、一口、二口をゆっくり飲む間をピュン・フーはそのまま、微妙にプライバシーを保護された写真の風情で待つ。
「私で良いのならば付き合うが……何故、其処に入場券が?」
重ねて言うが、それは店の脇に積まれたゴミから発掘した代物である。
「昨日、ここに忘れてなー。もしかしたらとか思って取りに来た」
読んでるとは思えない速度でぱらぱらと、最後の頁までを繰り、それでもう用はない、と何処か遠い風景を切り取った写真を重ねた裏表紙の上に手を置いた。
「そしたら、にーちゃんに会えたってぇ寸法よ♪」
「水族館……」
ご機嫌なピュン・フーに対する朔羅は物思いに沈んだ風で、その固有名詞を確かめるようにもう一度呟くと、ことり、と軽い音でカップを置いた。
「ナニ、朔羅もしかして水族館キライだった?」
何故だかびくびくと聞くピュン・フーに、ふいと朔羅が顔を上げた。
「……やはりイルカやペンギンもいるのか…?」
こくりと頷くピュン・フーに更に問う。
「だとすれば、ラッコは本当に腹で貝を割るのか……」
重々しく続く言葉に、ピュン・フーは肩の位置で軽く挙手した。
「しっつもーん……もしかして、朔羅ってば水族館ハジメテ?」
「……そのようだ」
しばし思い返す沈黙の後に告げられた真実に、何故だかピュン・フーはサングラスの上からくっと目頭を押さえると、勢いよく立ち上がった。
「任せろにーちゃん! 昨日かーちゃんに叩き込まれた技できっと満足させてみせっから!」
「昨日……? 唯為に?」
しかし、その疑問に答えは与えられずに、腰を担ぎ上げられた朔羅は拉致紛いの格好で店の敷地から連れ出された。
 そして机上に残された小銭に店員はまた君子である事を選び、通報はされなかったという。


 ザッポーン。
 水飛沫を上げて空を舞うイルカの、一糸乱れぬコンビネーションに、朔羅は瞬きも忘れて見入っていた。
 時間差で低くアーチを作る二頭の上、一際高く、飛び越えるイルカの妙技に観客席から感歎の声が上がるも、朔羅だけは食い入るように見つめるばかり。
 その隣に座り込んだピュン・フーは、膝の上に片頬杖をつき、僅かに上気さえしたその横顔をしみじみと眺めていた。
「……朔羅、今幸せ?」
「……」
返事も忘れている。
 本来なら…というより、彼等の血の繋がりがなければ戸籍上にも全く関係も見出せないのに何故だか母親な男の教えによれば、水飛沫を浴びそうなポイントをワザと選んで、濡れるからこちらに、とか、水がかかってしまったね、拭いて上げよう、とかそーゆーうきうきわくわくに下心満載な密着を期待する、場面であるらしいのだが。
 純粋にイルカショーを楽しんでいる朔羅に、その駆け引きの機微は期待出来ない。
「まぁ、朔羅が楽しけりゃいーか……」
子供のように、イルカの一挙一動に目を見張る朔羅に僅か笑みを刻んだピュン・フーだが、その一見睦まじいカップルに見えなくもない二人を冷静に見守る複数の眼差しがあった。
 そう、それは昨日の出来事を深く胸の内に刻みつけていた…イルカ達の円らな黒い眼差しである。
 海洋哺乳類といえども、彼等も舞台に立つ身、芸人としての意地と根性と誇りとがあった。
 それが一個人の食欲でに屈してしまうなどと、あってはならない…この屈辱は拭わなければ、と彼等は彼等の言語であるメロン体に増幅させて超音波で舞台に引けた後に固く誓い合っていたのだ…最も、その機会がこうも早く訪れようとは思ってもいなかったが。
 芸の途中、彼等は人間に感知出来ないその言葉で意思を確かめ合い、位置を計り、プールの淵、ぎりぎりの位置まで何食わぬ顔で幅を寄せ…。
 跳んだ。
 彼等の流線型の肢体は水を進む為の強靱なバネの塊のようなものだ…それが意図的に、尾で水を跳ね上げ、その力で以て見事なバックシャンを決めた。
 ザッポーン!と。
 それは既に水飛沫などという可愛い代物でなく、怒濤の滝であった。
 そして恐るべきかな、その水流は至近に座っていた朔羅を欠片も濡らす事なく、余所見していたピュン・フーだけを襲う、緻密な計算が為された攻撃であった…頭の上から、足の先まで。
 水浸しになったピュン・フーは、攻撃目標のみを撃破した見事さを自画自賛にヒレを叩いて水上を泳ぎ回るイルカに向かって唸る。
「……食ってやる!」
突然、そんな心温まる動物との原始の触れ合いを初めようとしたピュン・フーの本気を感じとり、唖然としていた朔羅は咄嗟、足下のコートの端を踏みつけた。
 踵まであるロングコートは座れば容易に地を擦り、起立の勢いがついていただけに、ピュン・フーも自らの力に抗し切れず、そのまま前のめりに倒れた。
「ピュン・フー、大事ないかっ?」
慌てて傍らに膝をついた朔羅と、強打した鼻を押さえて声もないピュン・フーの頭上から、ケケケケケッとイルカの独特の笑い声が降り注いだ。


 朔羅は、二歩後ろを付かず離れず付いてくる革靴の足音だけを耳に、顔を伏せてひたすら薄暗い通路を進む自分の足袋の白さだけを見て歩いていた。
 左右の水槽を見るでなく、ただひたすら前に進む彼等に遠慮のない注視が注がれるのは…
「ラッキーだったな、朔羅♪」
などと、機嫌の良い言葉を吐く、ピュン・フーが起因であるに他ならない。
「あまり、話しかけるな……」
顔を伏せたままの、朔羅にしては珍しい言に首を傾げ、ピュン・フーはそれに懲りずに問う。
「アレ、気に入らなかった? ラッコ」
関係者でもないのにラッコの水槽に入れて貰え、餌までやれたのは確かに楽しかった…手ずから貝を与えれば器用に腹の上に乗せた石で割る様も愛らしく、水に入っていなかった子ラッコのふんわりと柔らかな毛に覆われた身体に触れる機会があったのは、確かに僥倖であった。
 本気で人類と海洋哺乳類の全面闘争の戦端を開くつもりだったらしいピュン・フー、飼育係の泣きつきと朔羅の諌めとに、妥協策としてラッコの餌やりを要求としてねじ込んだ彼のお陰ではある…のだが。
「服を着ろ」
「え? 着てるじゃん」
ほらほら、といささかごわつき気味のコートを示して見せるも、その下からは素肌が覗いていた。
「シャツを着ろと言っている……」
げんなりと、朔羅は手にした水族館の紙袋の中身を差し出した。
 水族館謹製のビニール袋、マンボウタオルやラッコの指人形、にょっこりと嘴を覗かせるペンギンのぬいぐるみなど、様々なお詫びの品が詰め込まれ…る中、イルカを胸にプリントしたブルーのTシャツを取り出す。
 当然、びしょ濡れのピュン・フーの着替えにという配慮だったのだろうが、本人、
「そんな色つきの服なんざ着れるか!」
と頑として袖を通さなかった為、下は革のズボン、上は素肌にコートを羽織るという珍妙な格好になってしまっている。
 水族館の敷地から出たら真っ先、公務に勤しむお巡りさんに職務質問を免れない。
 もしそうなった、身元引受は自分が行こう、と半ば諦めて朔羅は歩調を緩めた。
「ほらほら、朔羅」
こちらの気も知らず、ピュン・フーは朔羅の肩越しに正面を指差した。
「結構、すげぇぜこの先♪」
光量を抑えた、トンネルのような通路の先、床に青い波紋がゆらめくのが見て取れる。
 その蒼の領域に踏み出す一瞬、見上げずに居られない、透明な圧力で其処に在った。
 水族館の大水槽、その青に透過された光線が、魚影が過ぎる影を揺らめかせる。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持の為の酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
 音がない筈はないが、あまり静謐さに朔羅は無音の幻聴を聞く。
「な、結構迫力あんだろ?」
足を止めた朔羅の横に立ち、ピュン・フーがいつもの笑みで問う。
 朔羅はひとつ、息をつきその横顔を見た。
「ヒューに言付けを願えぬか。灰は私の方法で弔った、と」
灰、とは女性を狂気に陥れる、魔女狩りの犠牲者の骸。
「ふーん……?」
さして興味もない風で、ピュン・フーは革コートの内ポケットに入っていた為か、水の被害を免れた携帯電話を取り出した。
「面倒だから、直接自分で言ったのが早くね?」
言いつつ、アドレスを呼び出し通話ボタンを押す。
 耳に当ててコールを待つ事…2回。
「……あの野郎、切りやがった」
プツッと短い音に通話する間もなく、間抜けて単調な電子音が続くのに、再度、電話をかける。着信と同時に切られる。電話をかける。着信と同時に切られる。電話をかける。着信と同時に切られる…。
「ピュン・フー、もういい……」
意固地になってリダイヤルしまくるピュン・フーを、諦め混じり朔羅は止めた。
 仲が良い、とは到底思えない遣り取りをしていた両者だったが、更に何やら複雑な人間関係を構築している様子が窺える。
 そしてどう見ても好意的とは思えないというのに。
「……虚無の境界に属す理由が、ヒューの様に貴方にもあるのか?」
漸く諦め、ピュン・フーは内ポケットに携帯を戻す動作にコートの前を開いていた。
 その左の胸にざくりと走る疵痕は、先にピュン・フー自身が言っていたでっかい縫い目、であるのは明白に地肌と違う色合いを晒していた。
 見るだけで痛々しく、朔羅はそっと目を伏せた。
「やはり、その胸に埋め込まれた塊、か? どういった経緯があったかは知らぬが、未だ縫合の痕も残る程…、苦しみも多いのだろう…?」
「痛ェとか、熱いとか?」
くるりとピュン・フーは踵を支点に身体の向きを変え、トンと水槽に背を預ける。
「そーゆーの、苦しいってんだ?」
へぇ、と何処か他人事めいて…そして、笑うピュン・フーに、朔羅は眉を寄せた。
「笑い事でなく……私の周りには、苦を痛々しい笑みで隠そうとする者が集まるようだからな」
朔羅の言に、ピュン・フーはサングラスを外すと、その真紅い目を晒した。
 水の蒼にも透けぬ程、深い。
「俺、苦しそう?」
子供の仕草で首を傾げて笑う表情の質がいつもと少し違う……その、僅かな変化に朔羅は寸時、背筋が冷えた。
 無意識に、手が自らの二の腕を掴む。
 真っ直ぐに向けられた眼差しの奥…真紅よりも更に深い場所に、穿たれた一点を見出した、ような。
「……貴方が何を求めるのか、問うたところで解は得られぬだろうが、貴方の事を気に掛けている人間がいる事を、知っておいて欲しい…」
視線は逸らさず。
 色を変える自分の眼が、受け止める彼の瞳にどんな色で映っているのかがふと、気になった。
「りょーかい」
ふ、とピュン・フーが相好を緩ませた。
 人好きのする、その表情にほ、と肩の力が抜けたのに頬に触れた手に気付くのが遅れ、その手に注意を引かれてピュン・フーの動きに対応出来なかった。
 頬に触れる冷たい感触に、至近の真紅がにやりと笑う。
「よい子への、ご褒美なんだってよ?」
 唇の触れた頬を押さえ、困惑する朔羅に「にーちゃん、今幸せ?」とかわくわくとピュン・フーが問うて来たが、思わず否定してしまいそうだった。