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<東京怪談ノベル(シングル)>


Geheimnis

激しく燃えさかる炎に向けて、矢塚朱羽は弓を構える。
中には、欲に眩みあやかしに心を奪われてしまった男。
築き上げた地位と名誉と、溜め込んだ財産を誰にも奪われまいとして、自室に火を放った愚かな男。
それを救い出すのが、今回の依頼だ。
火を持って火を制す、と言うのか……、焔法師である朱羽に相応しい仕事。
「こんなギリギリになって呼んでんじゃねぇよ」
男があやかしに憑かれた事も、最近やたら火に拘り始めた事も気付いていながら、今頃になって朱羽を呼ぶ依頼人はどうかしている。
舌を打って、炎の向こうに目を凝らす。
炎に包まれた部屋の中、男はまだ無傷のまま、積み上げた財産を抱きかかえている。
あと少し。
いよいよ男に火が及び、あやかしが離れる瞬間を、朱羽は待っている。
細い体は熱気に押され、茶色い髪が熱風に靡く。
炎を纏う弓を引いて、朱羽は前方に狙いを定めた。
一瞬。
炎の中に正気に戻った男を残し、あやかしが逃げ出そうとするその瞬間に。
「………ッ」
矢を放つ。
あらゆる障害を擦り抜けて。
「…………」
あやかしに命中する。
僅かに勢いの衰えた炎の中から聞こえる、あやかしの声。
同時に、飛び込んでいく消防士。
救い出された男に駆け寄る家族。
朱羽に向けられた感謝と賞賛の声。
それに応えず、朱羽は僅かに額に浮かんだ汗を拭った。


「……はぁ……」
依頼通りあやかしを滅し、1人の男を救った。
若干17歳の退魔師としての名は上がり……、感謝され、喜ぶべき状況。
喜ぶべき状況なのだが。
「……何なんだろな、これは」
ふと胸をよぎる、どうしようもない影。
太陽の下を歩いていても、決して消えることのないこの影は……。
「まるで俺の中にあやかしを飼ってるみたいじゃないか」
あやかしを滅するたびに胸の中で成長していく、影と言う名のあやかし。
その影の正体を、朱羽は痛い程知っている。
知っていて。
決して口に出す事は叶わない。
どんな事があっても、決して言ってはならない想い。
たった2人きりの家族である妹へ向けた、誰にも認められない、許されない想い。
「……あやかしなんか滅する前に俺が死ねってんだ」
自分が消え去ったら、この想いも消えるのか。
そうならば、誰にも知られずに、想いを胸に抱いたまま消えてしまいたい。
そう思いながら。
思いながら。
「クソッ」
まだ生きている、自分への苛立たしさ。
離れて暮らせば、こんな想いは消え去ると思っていた。
一時の気の迷いだと、そう信じていた。
だからこそ、離れた場所で妹の幸せを祈ろうと決めたのに。
そう、決めたのに。
離れれば離れるほど想いは募り、想えば想うほど、愛しさが増す。
「いっそ伝えちまえば楽なのか……」
この想いを伝えたら。
この影を解放したら。
楽になれるのかも知れない。
認められなくても、許されなくても。
例え拒絶されても。


謝礼を受け取って、救急車に乗り込む女を見る。
あやかしに憑かれ豹変した男に怯えながら、朱羽に退魔を頼んだ妻。
扉が閉まる瞬間に、朱羽に向かって頭を下げた依頼人。
「あんな男でも良いのか……」
と、思わず口に出す。
決して、評判の良い男ではなかった。
金の為ならどんな手も使う。
利益の為なら多少の犯罪も犯す。
そんな男にさえ、愛する人がいて、愛してくれる人がいる。
ただ、血が違うと言うだけで、憚らず愛を語れる人がいる。
ただ、血が違うと言うだけで。
広げた掌を太陽に翳す。
そこに流れる赤い血。
この血を分け合った妹を、誰よりも愛しているのだと伝えられたら。
離れて暮らす妹の幸せを、誰よりも強く祈っているのだと、伝えられたら。
「いや……、」
手を乱暴にポケットに押し込んで、朱羽は首を振る。
この想いは絶対に、伝えるものか。
例えどれほどこの胸の影が、心を蝕んでも。
例えどれほどの切なさが胸をよぎっても。
離れても変わらない、この想いは決して。
「それで悲しむんなら」
伝える事によって、誰よりも大事な妹を傷付けてしまうなら。
誰よりも愛しい妹を悲しませてしまうなら。
そっと、妹の名を呼んで、朱羽は少し笑みを浮かべた。
「お前を傷付けるくらいなら、」
あやかしにだってこの身を差し出せる。


胸の影を抱いたまま、朱羽は黙ってきびすを返す。
漸く鎮火した炎と、焼け落ちた家屋。
いつかあの家屋の様に、心が壊れてしまう日が来るのかも知れない。
恋しく思うあまり、あやかしに魅入られる日が来るのかも知れない。
何時か本当に、自分で自分を滅する。そんな日が来るのかも知れない。
それでも。
「例えこの身が朽ちても……」
誰よりも何よりも、ただ1人。
「お前だけを愛してる」
この想いだけは、決して変わらない。
届かない声と知っていても、朱羽は名を呼んだ。
空に向けて、
ただ1人、愛しい人の名を。


end