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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『BATHORY ARIA』
------オープニング--------------------------------------

 それは7日前の出来事。
 姉にとってはまさに悪夢。
 吸血鬼等という余りにもふざけた存在が、現実の恐怖として妹を蝕んだ事実。語る彼女の名は間宮加奈子(まみやかなこ)。独身二十代後半、都内某中学校の英語教諭。
「なるほど、それでっ? 精神病院には…」
「――義兄さんっ!!」
 茶化したつもりは無いのだが、どうもイレギュラーな質問にとられたらしい。零の剣幕に頭をかきながらも、草間はゆっくりと煙草を灰皿に置き、天井に紫煙を吐き出した。
「あの…信じて貰えないのは当然ですけど、本当なんですっ!! 妹は本当に吸血鬼に噛まれてっ…」
 悲痛な表情というよりも、恐怖の色が濃い――草間はそう推察した。
「いや、此方こそ失礼。とりあえず、件の写真を見せてもらえますか?」
「あっ、はいっ」 
 促されてハンドバックから数枚の写真を取り出して、草間へと差し出す加奈子。受け取ると、真剣な眼差しで映っているそれを確認する。隣の零も身を乗り出して写真を見つめた。 
「……………」
 計らずとも二人、押し黙ってしまった。
「この傷跡は、特撮…」
「――またっ、義兄さんっ!!」
 写真には年の頃17、8歳くらいと見られる髪の長い少女が映っていた。家のベットで撮影したのだろう、寝巻き姿でうつろな眼差しをフレームに向けている。病人特有の肌の色白さ、生気の無さが写真からでも読み取れた。
 が、問題は首筋である。
 余りにも有名な噛まれ痕二つ。 
「正真正銘の傷です。その、私がそれに気付いたのは、今から6日前のことなんです。普段私は実花(みか)…妹よりも速めに家を出るのですけど、その日は少し寝坊してしまって。珍しく妹と朝食を採ることが出来たんです。ただ妹は食欲がまったく無いといって、顔色も酷く悪いのにも気付きました」
 数日前の出来事を一つ一つ思い出すように語り出す加奈子。
「最初は風邪かな?って思ったのですけど、熱は無いようだったので、もしかして女の子だから――、何時もより…その、アレがきついのかな?…なんて、安直に考えてました。とりあえず無理せずに学校は休んだ方が良いと言う私に、首を振る妹でしたが、私は強引に実花に学校を休ませました。思えばあの朝から少し妹の雰囲気が変だったでしょうか。その後、私が速めに仕事を切り上げて帰って来ると、寝巻き姿のこの子が台所に倒れていて…」
 それから病院に連れて行き、その過程で首の傷痕に気付いた。その時から言い知れない恐怖感を感じたのだが…。
「でっ、医者にも原因不明で片付けられたと」
「はいっ、色々と検査もされましたけど、その時はこの子自身がまだちゃんと会話が出来たし、身体にもそれほどの変化は無かったので」
「それが――」
「はいっ、一昨日の夜です。あの吸血鬼が訪れたのは…」

 其れは忽然とやってきては、忽然と消えた。
 ベットに横たわる実花という娘の血を啜り。西洋は古の綴、血文字を嘲笑うかのごとく壁に記して。
 複数の写真の一枚には血文字の綴りも撮られている。

「7日前の朝は、妹さん普通でしたか?」
「ええ、何でも友達と遊びに行くとか、デパートの博物展に行って来るとかで、随分と楽しそうでしたし。私が帰宅する頃には部屋で寝てましたので…」
 となると――その日の朝から24時間以内に何かあったことになる。
「妹のお友達にも理由を訊いたのですけど、心当たりが無いって…。ねぇ、探偵さん、お願いしますっ!どうか妹を助けてあげてくださいっ!――日に日に衰弱していくあの子を見るのは…」
 加奈子にしてみれば、藁にもすがりたいのだろう。
 彼女は吸血鬼そのものは見ていないが、妹を通してその鬼気に触れたらしい。理屈ではなく、その存在を認識してしまったのだ。
「義兄さん…?」
「………依頼は――」
 零の心配そうな眼差しを横顔のまま受け流し、紫煙を燻らせると、煙草の火をゆっくりと揉み消して。
 
 受けましょう、と草間は承諾したのだった。

*************************************************
 
 写真の血文字、
 綴りを英文に訳すと、

(Let destiny in chains commence
Damnation under gods seeking recompense
Enslaving to the whinms of this mistress)

 ――For beauty is always cruel

 更に日本語へと訳せば、大体こうなる。

 (鎖に繋がれた運命よ、仕事を始めよ
 償いを求める神々のもとでの破滅
 この女の気紛れの奴隷となる)

――美は、常に残忍だから…。

「こいつは一体何なんだ…?」
 加奈子が帰ったあとで、草間はポツリとそう零す。
 依頼内容は夜ごと依頼人宅に訪れる謎の訪問者、その吸血行為の阻止…及び被害者の救済。ともあれ相手は吸血鬼、調査を頼むにしても危険度は高く、
 さて…一体誰が引き受けてくれるものか? 

-----------------------------------------------------------------

 象嵌された名匠の業か?――すぅと伸ばされかけた指先は美々しく。
 しかし、それは展示品を守るべく存在する硝子の壁に阻まれて、指の持ち主シェライン・エマはその端麗な容貌に見合う流麗な仕草で、そっと胸元でしなやかな両腕を組み合わせた。

「さて、俺と…あんたの予想通りならば、ここが一番妖しいんだけどな?」
 曰く――隣の香坂蓮。

「そうね――」
 短めの相槌を隣の彼へ、視線を送らずに。彼女の深きを宿す眼差しはショーケースの中の物品、一つ一つを余すことなく見物している。いや違う――観察している。
「アヤシイってトコ、ちょっとフレーズが可笑しかったわよ?…香坂君」
「――っ、其処で突っ込みを入れないで欲しいが…」
 此方を見ずに指摘するエマに、いささか苦々しそうに唇を歪める彼。
「で、実際はどうだい?」
 と、切り返しの素早さは職業柄か。
「ん、私の感じでは特に不思議な印象は無いわ……まだ、ね?」
 微妙な言い回しは、未だ二人が博物展を見終えていないせいだろう。
「寧ろ、私よりも貴方の方が詳しくなくて?魔力、霊力、妖しいものって何も?」
 感じない?――と、逆に訊き返す。
「場所が場所…展示品が展示品なだけに、色々と微弱な反応はあるけどな…」
 
 英国の誇るある某大博物館が関る博物展。コンセプトは中世ヨーロッパの貴族世界らしい。装飾品、編み物、衣装――耽美な展示品も色々と凝っている。それぞれが独自の歴史と思い秘めた過去を宿している為か、不思議な感覚を五感に伝えてきた。

「それらの全てが悪意からは程遠く、寧ろ心地よい気分にさせる代物――以上」
 淡々と紡ぎ〆。
「なるほど…じゃ、中谷君、貴方は?何か気になることとかあって?」
 エマは隣、いま一人の仕事仲間へと振ってみる。その相手、紺色のギターケースを背負いながら、展示会場に見て廻るってだけで相当な違和感があり目立つのだが、容貌も緑色の瞳の上に、髪も綺麗な銀色。こういった場所では嫌でも人目を惹いてしまうタイプ。というか左右の若い男性陣、互いに高い水準で「いい男」に該当する――傍目からはエマが誤解されそうなシチュエーションでもあり。彼女自身は大して気にしなかったが。

「あ〜俺も右に同じってとこ、気分が悪くなるような感覚は無いし、背筋が寒くなるような展示物も見当たらない。これといって異常なし。以上――」
 蓮を真似る音也。ちょっと駄洒落っぽい締めに、当の蓮は眉根を寄せて溜息混じり吐息を紡ぐ。エマも少し苦笑。音也は天然っぽく、二人の素振りに気付くも不可解な表情。
「まあ、いいわ、三人とも今のところは収穫無しね。オーケー、じゃ、次のフロアに行って見ましょう。確か――貴族夫人の展示品だったかしら?」
 少なからず奇異の視線を集める三人は、しかし次のフロアへとやって来て三者同時に足を止めてしまう。
「前言撤回――これは」
 蓮が露骨に顔を歪める。
「感じ悪い、見た目だけじゃなくて…なんて言うか、とにかく厭な感じだ…」
 と率直な感想を紡ぐ。
 エマ、音也ともに同意らしく、顔がそれぞれに一瞬だが強張った。
 六つの視線は中央に大きく展示されている趣味の悪い棺に注がれた――否、棺自体の装飾は美々しく、あくまで雰囲気にそぐわない印象を受ける…といった意味で趣味が悪いのだが、三人は棺からそれ以上の深い何かを感じ取った様子で。
 ともかく、三人は微かに顔を見合わせると、フロア中央に飾られている棺へと近づいていった。
 
 四方を鎖で囲われたその棺は、
『Erzsebet Bathory』の綴り。手前にはさすがに展示品らしく、御丁寧に日本語でも分かるようエリザベス・バソリーと読みが振ってあった。
「これはまた露骨よね…出来すぎだわ」
 エマが溜息にも似た声で呟くと、「何が?」と、首を傾げる音也。すかさず説明すべく蓮が、囁くように応じた。
「エリザベス・バソリー夫人。…16世紀後半にハンガリー貴族として生を受けた女性で、あのハプスブルク家とも関係の深かった名門の伯爵夫人。ときのポーランド国王の従兄弟でもあったらしいが、実は彼女「吸血鬼カミーラ」のモデルになった人物でもある。いわば女性版ヴラドってところか。自分の領地に住む若い女性を次々に惨殺して言ったサディスティックな一面を持ち、本人の記述だと殺した女性の数は600人を超すらしい。それら殺した女性の血液で風呂を満たして入浴を楽しんでいたという話は広く知られている。美を保つためだか何だか知らないが…、とまあ、露骨だろ?」
 すらすらとまるで教壇に立つ有能な教師の様に、それらを紡いでいく蓮。さすがは様々な職業をこなしているだけある、と思わせるに足る。というか物事を教え慣れているらしい。音也はちょっと感心して、しかし説明された内容に毒気を受けたらしく、ちょっと反応が出来ない状態に追いやられてしまった。
「ようは吸血鬼に噛まれた被害者に、これほど相応しく露骨なネタはないでしょう?――そういうことよ」
 エマが少々強引に纏める。ちなみに彼女、会話しながらも忙しく両手を動かしている。四方に気を使うように視線を走らせながら、二人の男性を盾に、ショルダーバックから目薬ほどの小瓶をとりだしては、何やら棺にさり気無く―いや、ちょっとワザとらしく中身を垂らす。

(さて、と―効果の程は、どうかしらね?)
 胸のうちで呟く頃には、既に何事も無かったかのように、小瓶を仕舞う技量。抜け目無かった。会話に夢中であった二人の男性は気づいたどうか。彼女は棺に何らかの変化があるか無いかを確認しながら唇を動かす。視線の先には1秒、2秒、と…10秒まで待っても…変化は起こらず。
「もっとも私が露骨って言った訳は、もう一つあるのだけど。それを今から確認するわ。という訳で、貴方達二人、棺を注意して視てて、何か変化があるかも知れ無いから」
「――え?」
「了解っ」
 二者、戸惑いは蓮、即答は音也。ここでの軍配は一見集中力を切らしていそうな音也へと上がった。彼は蓮の言葉を聴きながら、エマの行動もはっきりと見ていたのだ。

 二人の返事を待たずに、エマがその場所から少し遠くへと離れる。
 確認は彼らに任せる、とりあえず私はもう一つ気になったことを…。
 口に出さず呟くと、肩に掛けた小粋なバックから、今度は携帯を一つ取り出して、指先で数字の羅列をプッシュしていく。
 ―――、
 回線が直ぐに繋がった。
「あっ、もしもし?」
 応答する相手の声は若い男。
「ええ、私よ。いま二人と一緒に例の展示会場に来ているわ。収穫は…そうね、あからさまに怪しすぎる代物を発見したの――それに、吸血鬼さんが苦手そうな、教会お手製の聖水を垂らしてみたわ、結果は…いま二人が調べている最中、ま…少しは期待して。――ええ、電話したのはそうじゃなくて、ふと、気になることを思い出してね。調べて欲しいことがあるのよ、そう…、頼めるかしら?」
「そう?――じゃあ貴方の方から彼女に頼んでみて、ええ――例の壁に書かれた血文字のコトなんだけど、あら、それ…今見ているの? ふぅん、成る程ねぇ…、そうそう、調べて欲しいのは――」
 手短に要領よく説明し、一度電話を切る。
 再び着メロが届くまで、フロアを流れる些か北欧チックでメロディアスな音楽に耳を傾ける。少し遠くで雷がなって気がしたけど?
(さっきまで晴れていたけど、もしかして外は雨――?)
 エマの容姿が一人だと別の意味で人目を引くのか、チラ、チラと男性客の視線が流れてくるが、全てクールに、冷ややかに受け流す。と、暫くして待っていた携帯が鳴った。
「――遅かったわね、…あら? 彼女の方は空振りだったの。そうね、分かったわ――それじゃ夕方に、最初の指定通り一度落ち合いましょうか、じゃ、切るわね?」
 相手の声に微細な感情の揺れを見つけて、穏かならぬものを感じながらも、彼女は携帯を仕舞うと、二人の仕事仲間の待つ場所へと歩いて行くのだった。

********

 真夜中のデパート―展示場。
 暗がりが辺りを支配する本来ならば人の気配の無いはずの其処で、ささやかな会話が交わされていた。
「深夜のデパートって実は結構、警備体制が杜撰なのよね―場所にもよるけど」
「で、その杜撰な警備体制を利用して、僕がこういう格好をする羽目になったと?」
 スラリとしたモデル並の身体を警備服に包んだ佐和トオルが、引き攣った微笑みを浮かべながらエマに訊ねる。
「緊急なんだから仕方ないじゃないの、警備員ならば何かあったときでも怪しまれないでしょう?」
「今夜の当直があの男一人だけで助かったな」
 淡々と呟くエティは妙に落ち着いた様子で、いかにも場慣れた感じを醸し出している。ちなみにあの男=今夜当直だったはずの、警備会社から派遣された本物の警備員だ。彼は今、地下一階のモニター室の隣で、縄巻きにされて深い眠りの淵にいる。何者の仕業かは言わずと知れていた。
「それで、防犯に対する処置は解除したけど――本当にその棺の中に?」
 吸血鬼が?
 と、トオルは問う。昼間 、日が沈む前までは例の依頼人宅で色々と話を伺って、また被害者である少女の様子も見てきたが、流石にエマから訊いた話には半信半疑の節もあり。
「私が直接聴いた訳じゃないから、でも二人揃って確かに耳にしたらしいわ。居るんでしょう?――本当に、例の吸血鬼さんが」
 エマの答えに肩を竦める一夜限りの警備員―佐和トオル。
「貴様、この期に及んで怖気づいたのか?―まあ相手が相手だ、仕方ないだろうが」
 喪服に身を包むネクロマンシーは寧ろ不敵な色を瞳に湛えては、フロアの床を滑るように踏んでいく。
「そりゃあね、こっちは君とは違って善良な一般市民だし…そっち側の危険な仕事は君に任せるから、心置きなく頑張ってね」
「…ふん、言われなくとも、ただし、場合によっては…其れなりに時間稼ぎはしてもらうぞ?」
「厳しいねぇ、まっ、善処するよ」
 犬猿…とまでは行かないものの少々相性が悪いらしい。もっともこれから行うべく危険かつ気の重くなるような作業への、不安の表れかもしれない。
「二人とも、おいたは其処までにして置きなさい。この奥のフロアよ――時間が時間だから、もう目覚めていてもおかしくないわ、気をつけて」
 
 柩――。
 内部で眠りに付く吸血鬼。
 果たしてそれはバソリーであるのか。
 また本当に吸血鬼であるのか。
 或いは…。

「白木の杭、大蒜、十字架、教会で清めた聖水…銀で織られた特性の聖糸、これが効果を示してくれれば、ほぼ間違いなく吸血鬼よね」
「僕としては、棺から出てくるのが、効果を示してくれない普通の女性でも良いけれどね。それより、もう出て行った後だったりして――」
「それだと何の解決にも繋がらない。却って問題が増えるだけだ…後者の可能性は否定できないが」
 三者三様、それぞれの思いを言葉にしながら、ついに目的の棺が展示された場所まで辿り着く。
 時間は――トオルは自身が嵌める高価そうな腕時計を一瞥する。
 11時を廻ったところ。
「と言うか、この時間だと当然起きて活動している時間かな。さて――」
「さて――」
「ふん…。…二人とも先ずはこれを付けろ。雨柳が調べた話と血文字の関係、色々考えたところ呪歌の可能性もあるのでな。これを付けていればある程度は防げれる。少し複雑な魔術を施した耳栓――短い時間の仕様に限られるが」
 エマとトオルが受け取ったのは一見何の変哲もない小さな耳栓。
「使用可能時間は?」
「だいたい3時間か…それ以上使用すると聴覚が狂う」
「物騒な…」
「それでも十分な時間よ、…さっさと吸血鬼を退治しに行きましょうか、居てくれればダケド」
 人の声途絶えた真夜中のデパートで、随分と時代錯誤な黒々とした退治劇を演じる三人。目前の棺は――固く閉じたままだった。
「確かに――負の塊のような気配だな」
「厭な感じだね。あー、魔除けの銀貨はあの子にあげてきたからなぁ、いざと言う時は…」
「はいはい、無駄口はもう良いわ、じゃ、開けるわよ…」
「伝承通りならば先ず目に魅了される――が、事前に施した俺の魔術が、少しはそれを緩和できるだろう。手際よく行くぞ…」
 蓋は――
 ゆっくりと開かれた。

「―――」
「まあ、やっぱりと言うか?」
「ふん………」
 三者揃ってあからさまな落胆。
 ある程度予想はしていたが、件の棺――中身はカラ。
 吸血鬼の姿は愚か、噂の女性らしき存在もありはしない。
「来るのが遅かったのかな?」
「初めから何もなかった…とは考え難いわ」
「………………」
 話し始める二人をよそに、エティは無言でこの場に渦巻くあらゆる感情、特に負の其れを捜し求めた。
宝石のような眼差しを閉ざして瞑想する彼を尻目に、エマが案外簡単に開けることが出来た棺、内部をマジマジと調べ始めている。トオルは警備員携帯用の懐中電灯で彼女の作業を手伝っている。
「特に可笑しなところは見当たらないわね…というか、この棺、一見した感じで、とても人が入っていたとは思えないわ」
「吸血鬼は人じゃなくて半死人じゃ?」
「そういう意味じゃなくて、そうねえ―――」
 エマがゴム手袋を嵌めた指先を棺の内部にスーと走らせる。
「ほら―見てみなさいよ?」
 と、明かりの元に差し出した指先には、びっしりと年代ものの埃が集まっていた。
「何かが入っていた形跡すらないのよ」
「じゃあ、あの二人の聴いた呻き声は幻聴かい?」
「―――エティ、貴方はどう思う?」
 話を振られた喪服の青年は、何の反応も見せずに目を瞑ったままだった。
 顔を見合わせるエマとトオル。この時になって二人、気が付いたように耳栓を外す。それを余所に。
「――文字だ、棺に浮かんだ、あの文字…見えるぞ、あれは…やはりあの女の、彼女へと接触した瞬間に、――念の転送が招いた、壁の血文字」
「エティ?」
「やはり、あの男が…施したのは開封のきっかけ――黒い魔術師、帽子を被った…場所は、何処だ?」
 二人の傍観者には意味不明の言葉が流れた後、自らの額を押さえては呻くエティ。
 不思議そうに、また不安そうに様子を眺めるエマとトオル。
「魔術師の神秘…か?」
 トオルが呟けば、
「邪魔しないほうが、良さそうね…私達は、私達で、もう一度棺に異常はないか調べてみましょう」
 堅実なエマの意見。
 再び、真夜中の探索が始まる。

「ちょっと――待った、これは…?」
 何気なく開け放たれていた棺の蓋を調べていたトオルが、何かを発見したらしい。棺の内部を丹念に調べていたエマが小走りに駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
「これを…」
 トオルは蓋の端っこを指し示すと、懐中電灯で其処を照らす。すると其処には何やら英語のスペルで3行程の文章が綴られていた。小さく、多分後から棺に刻んだものだろう…光を当てると、語学堪能なエマがすらすらと読み解いていく。
「前半は――何のことはないわ、あの血文字の文章と同じものよ。ただ後半が良く分からないわね…これは文字と言うか、魔術用語的な特殊なカバラ語か、何かかしら?」
「彼に訊きましょうか?…分かるかも知れませんよ?」
「俺の専門は死霊魔術だ…正統派ではない、が――、ふむ、この綴りも異端だな」
 この即答にはトオルが驚いた。
 漸く特有の眠りから醒めたらしい。エティは二人の間を割るようにして膝を付き、文字を確認し、そう語った。
「異端って?」
「魔術師にも色々あるのでしょう?――で、その他に何か分かるかしら?」
「これは、…恐らく呪いの羅列だな。数式にも似ている、いや、センサー式の爆弾か。特定の存在を感応すると自動的に発動する仕組みだと思う…。これが発動すれば感応者に向かって…上の、例の血文字の綴りが転送される、勿論―その綴り自体が既に魔力を帯びている呪いであること言うまでもない。残念ながら俺には、詳しく呪いの内容を読み解けないが」
 ――だが、と彼は続けた。
「俺の勝手な考えだが…呪いの類は憑依だと思う。棺に誰かが居たという形跡もない――また直に確認したところ被害者の少女には噛まれた後は存在しなかった、写真でははっきりと映っているのにな?」
(俺が視た、あの映像は恐らくその時の儀式…)
「…まさか」
 トオルがある予感に気付き、焦りの色を表情に浮かべる。
「貴様が考えていることは…恐らく吸血鬼は妹、姉は被害者、といった処か?」
「………」
「推論すると…休日に友達と遊びに出かけた実花さんは、当然予定通りにこの展示会場にもやって来た。そこで、ごく自然にこの棺を見物し、その最中に、貴方の言う呪いが発動したってわけ?――そしてそれは友達に気付かれるほどのものではなく、彼女も知らぬうちに棺の中の意識、存在に憑依をされた、と?」
「実花という娘が、憑依する側の条件をかなり高い水準で満たしていたということが考えられる。棺に描かれた文字は、そのときの拍子に何らかの作用で、彼女の部屋の壁に浮き上がったものだろう。多分――それは憑依者が彼女の精神に触れた瞬間」
「とすると――」
「残してきた三人が心配ね。でも憑依する吸血鬼なんて、どうやって滅ぼせば良いのかしら? 幾つか思い浮かびはするけど…時間がないし、より確実に一つを模索、素早く実行に移さなければ、色々と…際どいわね。第一ここから戻るのも相当なタイムロス…」
 言葉の割にエマは落ち着いた様子で、両腕を組み重要な問題を提示する。三人の能力を信頼している故かどうかは定かではないが、その態度は少なからず感情が波立つトオルにも落ち着きをもたらした。
「噛まれたとされる姉が、俺たち…興信所に依頼して来たところを見ると、恐らくは実花に憑依しているとされる吸血鬼、まだ完全では無いのだろう。思うに…」
「思うに…?」
 エティがゆるりと蓋に向けていた視線、棺の中へと移動させる。それを追うようにトオルの眼差しも空っぽの棺へと吸い込まれるように動く。
「憑依した吸血鬼――それが本当にバソリー夫人なのかは知らないが、未だにこの棺と繋がっている、多分な…。単に棺を壊すだけでは意味を成さないだろうが、棺を通じで実花に憑依する吸血鬼へとダメージを与えることは出来る」
「という事は…案外簡単に…吸血鬼だけを倒せる?」
「そう上手くは行かないでしょう?――もし、何かしくじったりしたら妹さん、実花さんまで危険だわ。ま…このままだと危険は増すだけだろうけれど」
「確実な手段とまでは行かないが、試してみる価値はあるだろう。どうだ…貴様の意見は」
 エティの言葉に一瞬呼吸を整えて、今回の被害者の少女、深い眠りに付いていた姿を思い浮かべる。彼女の前で十字を切り、そのか細い掌にはお守り――銀貨を渡してきた。トオルは実花に祝福があることを信じている。
「分かった、試してみよう」
「――あんたは?」
 続けて振られた問い、エマは唇に赤々とマニュキアを塗った指先を近づけ、腕組した姿勢のまま溜息を付く。時間考慮するならばそれが最良か…と。
「オーケー、試してみましょう」
 言葉はしかし、はっきりと、素早かった。

 それから半刻、曰くある棺を囲む三人の姿。
 一人は美貌の警備員。一人は知的な印象を覗かせる妙齢の女。一人は喪服を着た独特の雰囲気を漂わせる青年。
 彼らの周囲には即席で作られた魔方陣。
 マジックで描かれたそれはお世辞にも上等からは程遠く、しかし存在するだけで意味があるというエティの言葉に従って、トオルとエマが棺の周りを囲むように描いたのだ。
「こっちの準備は整ったけど、手っ取り早く終わらせて欲しいね」
「まあ…善処はする」
 この応えは、先ほどのトオルの言葉を真似ての、ささやかな報復か。だとしたらちょっと執念深い。
エティは懐から奇妙な人形のようなものを取り出した。
「まるで、呪術ね」
 素人目にも黒魔術系に使われる代物と分かるそれに、微かな嫌悪感は否めないらしい。理屈ではなく漂ってくる気配…。それはわら人形のように露骨では無かったが、紙で出来た直系5pにも満たない物。
「あれとは少し違う、しかし、まあ用途は似たようなものか。この場合は棺があるので楽だ、より確実に相手を滅することが出来る…大蒜と聖水を…」
 エマが持参した七つ道具、その中から二つを催促し、人形は蓋をする前の棺に一枚。その上に重石のように大蒜を置き、数滴の聖水を垂らす。
垂らし際に何事か祈りを囁くエティは、まるで邪を払う聖職者のように厳かな表情だった。が、彼は死霊魔術師。
「次は…」
 棺を閉じると蓋の上で同じように人形を置き、今度は棺の四方の角にも、同様の処置を施す。お粗末なものだが何にしろ急ごしらえ…。
「杭を…」
 背後のエマへと手を差し出すと、吸血鬼を屠る為の杭の堅い感触を握り締めた。材質は―セイヨウサンザシ―、バラ科の潅木「良き希望」のシンボル。魔を払うに格好の武器ともいえる。
「では行くぞ? 二人とも、もう少し棺から遠ざかれ」
 警告しつつ杭を両手で握り締め彼の知る独特の詠唱が展示会場のフロア一帯に響き渡り。
「汝、憑依する吸血鬼よ、バソリーに縁在る何者かしらぬが、我は、汝の魂と肉体を、完全に分離する技、いま、此処に奮うっ!!」
 ――――、
 死霊を司る魔術師が、邪悪を祓おうとする奇異な光景を見守る二人。
 彼らはそれから先のエティの言葉が、叫び、祈り、詠唱一体どれなのか区別が付かず、棺へと打ち付けられた杭が、粉々に弾け飛んだ瞬間に溢れ出した、目も眩むばかりの閃光に思わず瞳を閉じる。
「クゥゥゥ――!!」
 エティの渾身の一撃が棺の蓋の中央を粉々に粉砕し、バソリー夫人の棺は四方に蜘蛛の巣状に光の罅を走らせると、まるで映画のような光景が展開される。
さながら吸血鬼が陽光に灼かれ灰になっていく様に、棺もまたボロボロと、非常にゆっくりとだが崩れて行った。糜爛という言葉がそのまま当て嵌まる、その怪異な光景に、目を閉ざしていたエマとトオルも、瞳を開けて暫し魅入る。
「灰は灰に、塵は塵に…そんなところか…」
 徐々に形を失って行く棺にエティが哀れむような呟きを漏らす。
「無事に成功したようだね…それにしても――っ、エティ!?」
 やれやれと疲れた傍らのエマに笑顔を見せかけたトオルだったが、ふと、棺に背を向けて此方へと歩いて来るエティの姿が視界に入り、驚きの叫びを上げる。いや、警告の叫びか。間に合わない、と、咄嗟に彼はエティに向かって飛んで。
「貴様、何を!?」
 突然飛び掛ってくるトオルにエティも驚愕の表情を浮かべる、しかし棺を破壊する作業に力を使い果たした為か身体は反応出来ず。
 ドン、と派手な響きを立てて二人がもつれる様にフロアの床に転がる。
 その頭上間際を、
 ――ブォン!
 唸りを上げて通過する漆黒の塊。
「オオオオオオオッ」
 黒い塊はまるで泣き叫ぶかのように轟々と唸り声のようなものを発し、そのまま天井近くまで上昇すると180度旋回して再び二人に突進してきた。
「エティ君、一体あれは?」
「憑依していた吸血鬼の断片だな…見るからに怨念だけで意思なんて在りそうもない」
「でもこちらに向かってきているよ?――明らかに怒っている様子だし」
「さすがに自らを滅ぼした相手くらいは分かる訳か…」
「つまり…」
「まあ、慣れないことをした報いか…消滅は完全とは行かなかったらしいな」
 ここまでの会話は実に仄々と、リノリウムの床に絡み合うように、互いに縺れあったままの状態で囁かれた。
「と言うか貴様、さっさと離れろ」
「そうしたいのは山々なんだけどね?―どうも拍子で、脚を少し痛めたらしくて、あはは…」
「………」
 漆黒の塊は、性別の見分けが付かない奇妙な顔を造形し、大きく口を開けて二人を飲み込むような勢いで迫ってくる。

「はい、これで――御終い」
 其処に一人冷ややかなエマの声、と同時に今まさに、二人の男性を飲み込もうとしていた黒い塊に向かって浴びせかけられた液体。
「――――――――」
 何百年生きたかは知らないが、断末魔は悲しいほどに短い一瞬だった。憑依する吸血鬼は液体に溶けて蒸発するように、完全にその場で消滅する。跡形もなく…。
「さて、お二人さん、何時までも抱き合ってないで、さっさと立ち上がって頂戴。これから間宮家に戻って依頼人、被害者の無事を確認する仕事が残っているんだから」
 二人には手を貸さずに、そそくさと自分の荷物を纏めるエマ。実に無駄が無く、また言葉も至極当然もっともな事で。トオルとエティもそれに習うように互いに立ち上がる。
「………」
 エティは乱れた喪服、僅かに裾に付いた埃などを払い落とすと、二人を一瞥してから先にこのフロアを後にする。
「あー、でもこの場所、明日は大変ですかね、成り行きとはいえ僕ら、大事な展示品を破壊してしまったのだから」
 エティの後姿を眺めながら、こちらもの警備服の襟元を直し、少し罪悪感にとらわれている様子。
「まあ、明日の朝は大変でしょうね、でも監視カメラは止まってるし、それに、私の勘だとそれほどの騒ぎはならないと想うわよ?――多分」
 謎めいた微笑をトオルに投げて、彼女も展示会場を去ろうとヒールの足音を刻み。
「ははあ?」
 最後に現場を後にするトオルは首を傾げつつ、ホッと笑顔を作ると。今夜は特に異常なし――中々様になった呟き残して二人を追いかけたのだった。

********

 雨はあの日の夕立から姿を消して、ここ数日はずっと晴天が続いていた。
 ―間宮―
 呪われた棺の一件に巻き込まれたその家も、今は落ち着きと光を取り戻しつつある。
 とある6人の活躍があってこそ漸く訪れた平和だが、それを知るものはほんの僅かの人々だけ。
 硬く閉ざされていた二階、かつては「吸血鬼」が存在していた少女の部屋も、カーテンの幕は無く、陰湿な空気から晴れ晴れと解き放たれ、外から見上げれば、気持ち良いくらいに窓も開け放たれていた。そらから部屋に射す陽光は、実花にとって何物にも変えがたい恵みとなっているはずで。

「………………」
 姉妹の身体の方は、事件の記憶だけを失い、他には何の外傷もなく事なきを得た妹の実花。姉の加奈子はさすがに数日入院する羽目に陥ったが、どうやら伝承のように吸血鬼化することは無く、首の傷跡も痕跡は無くなっていた。これはある意味伝説どおりか。
 二人の姉妹は近々病院から退院してくる父親のために、色々と騒動を起こしては良くある姉妹喧嘩を起こしているらしい。が、それもまた傍から見れば微笑ましいもので…。
 
 某デパートの方では何故か「棺」のことが公になることは無かった。
 結局あの夜の最後にエマが言った言葉の通り、事件として扱われなかったのである。深く探ろうとすれば、どうも英国の某博物館絡みのトラブルがあったらしく、それはまた別の事件として扱われるようだった。
 間宮家の正門の前で、それまで二階を見上げていた一人の人物が、くるっと踵を返した。
 「彼」は黒い帽子を目深に被りなおし、ロングコートに両手を隠して。
 ―――、
 「彼」の国の言葉で別れらしきそれを紡ぐと、半ば微笑に唇を緩ませながら足音残さずに去り行く。
 奇怪な事件は幾つかの謎を残すと一応の終幕を迎えたのである。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ    / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
1532/ 香坂・蓮        / 男 / 24 / ヴァイオリニスト(兼、便利屋)
1870/ エティエンヌ・ラモール / 男 / 17 / ネクロマンシー
1847/ 雨柳・凪砂       / 女 / 24 / 好事家
2018/ 中谷・音也       / 男 / 21 / 流しのギタリスト・付喪神
1781/ 佐和・トオル      / 男 / 28 / ホスト

 NPC
    間宮加奈子
    間宮実花
    「彼」    

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■         ライター通信          ■
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初めまして。この度の担当ライター皐月時雨と申します。
今回の作品、色々試みようとした挙句、何故か敗北感が多かったなと。謎も残り。
このお話、当初は戦闘系の色がかなり濃い感じでしたが、皆さん全員支援系を望まれたので予定を変更。特に数名の方のプレイング内容、鋭くてドキリとさせて頂きました。怖いですよぅ、それがまた楽しかったですけれど(笑
展開(特に後半)は各キャラクター様方によって違いますので、併せて読んでいただけばより深く楽しめるかもと。

次回作ではもっと精進せねばと反省。
ともあれ参加者の皆様には有難う御座いました。