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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『BATHORY ARIA』
------オープニング--------------------------------------

 それは7日前の出来事。
 姉にとってはまさに悪夢。
 吸血鬼等という余りにもふざけた存在が、現実の恐怖として妹を蝕んだ事実。語る彼女の名は間宮加奈子(まみやかなこ)。独身二十代後半、都内某中学校の英語教諭。
「なるほど、それでっ? 精神病院には…」
「――義兄さんっ!!」
 茶化したつもりは無いのだが、どうもイレギュラーな質問にとられたらしい。零の剣幕に頭をかきながらも、草間はゆっくりと煙草を灰皿に置き、天井に紫煙を吐き出した。
「あの…信じて貰えないのは当然ですけど、本当なんですっ!! 妹は本当に吸血鬼に噛まれてっ…」
 悲痛な表情というよりも、恐怖の色が濃い――草間はそう推察した。
「いや、此方こそ失礼。とりあえず、件の写真を見せてもらえますか?」
「あっ、はいっ」 
 促されてハンドバックから数枚の写真を取り出して、草間へと差し出す加奈子。受け取ると、真剣な眼差しで映っているそれを確認する。隣の零も身を乗り出して写真を見つめた。 
「……………」
 計らずとも二人、押し黙ってしまった。
「この傷跡は、特撮…」
「――またっ、義兄さんっ!!」
 写真には年の頃17、8歳くらいと見られる髪の長い少女が映っていた。家のベットで撮影したのだろう、寝巻き姿でうつろな眼差しをフレームに向けている。病人特有の肌の色白さ、生気の無さが写真からでも読み取れた。
 が、問題は首筋である。
 余りにも有名な噛まれ痕二つ。 
「正真正銘の傷です。その、私がそれに気付いたのは、今から6日前のことなんです。普段私は実花(みか)…妹よりも速めに家を出るのですけど、その日は少し寝坊してしまって。珍しく妹と朝食を採ることが出来たんです。ただ妹は食欲がまったく無いといって、顔色も酷く悪いのにも気付きました」
 数日前の出来事を一つ一つ思い出すように語り出す加奈子。
「最初は風邪かな?って思ったのですけど、熱は無いようだったので、もしかして女の子だから――、何時もより…その、アレがきついのかな?…なんて、安直に考えてました。とりあえず無理せずに学校は休んだ方が良いと言う私に、首を振る妹でしたが、私は強引に実花に学校を休ませました。思えばあの朝から少し妹の雰囲気が変だったでしょうか。その後、私が速めに仕事を切り上げて帰って来ると、寝巻き姿のこの子が台所に倒れていて…」
 それから病院に連れて行き、その過程で首の傷痕に気付いた。その時から言い知れない恐怖感を感じたのだが…。
「でっ、医者にも原因不明で片付けられたと」
「はいっ、色々と検査もされましたけど、その時はこの子自身がまだちゃんと会話が出来たし、身体にもそれほどの変化は無かったので」
「それが――」
「はいっ、一昨日の夜です。あの吸血鬼が訪れたのは…」

 其れは忽然とやってきては、忽然と消えた。
 ベットに横たわる実花という娘の血を啜り。西洋は古の綴、血文字を嘲笑うかのごとく壁に記して。
 複数の写真の一枚には血文字の綴りも撮られている。

「7日前の朝は、妹さん普通でしたか?」
「ええ、何でも友達と遊びに行くとか、デパートの博物展に行って来るとかで、随分と楽しそうでしたし。私が帰宅する頃には部屋で寝てましたので…」
 となると――その日の朝から24時間以内に何かあったことになる。
「妹のお友達にも理由を訊いたのですけど、心当たりが無いって…。ねぇ、探偵さん、お願いしますっ!どうか妹を助けてあげてくださいっ!――日に日に衰弱していくあの子を見るのは…」
 加奈子にしてみれば、藁にもすがりたいのだろう。
 彼女は吸血鬼そのものは見ていないが、妹を通してその鬼気に触れたらしい。理屈ではなく、その存在を認識してしまったのだ。
「義兄さん…?」
「………依頼は――」
 零の心配そうな眼差しを横顔のまま受け流し、紫煙を燻らせると、煙草の火をゆっくりと揉み消して。
 
 受けましょう、と草間は承諾したのだった。

*************************************************
 
 写真の血文字、
 綴りを英文に訳すと、

(Let destiny in chains commence
Damnation under gods seeking recompense
Enslaving to the whinms of this mistress)

 ――For beauty is always cruel

 更に日本語へと訳せば、大体こうなる。

 (鎖に繋がれた運命よ、仕事を始めよ
 償いを求める神々のもとでの破滅
 この女の気紛れの奴隷となる)

――美は、常に残忍だから…。

「こいつは一体何なんだ…?」
 加奈子が帰ったあとで、草間はポツリとそう零す。
 依頼内容は夜ごと依頼人宅に訪れる謎の訪問者、その吸血行為の阻止…及び被害者の救済。ともあれ相手は吸血鬼、調査を頼むにしても危険度は高く、
 さて…一体誰が引き受けてくれるものか? 

-----------------------------------------------------------------

 フロアに流れる音楽は彼の耳に馴染み深いもの。
 予想していたよりも盛況な展示会場。首から提げた十字の装飾品を左右に揺れては、それなりに感心する彼の名は――香坂蓮。 

「さて、俺と…あんたの予想通りならば、ここが一番妖しいんだけどな?」
 彼はショーケースのまん前で立ち止まって、隣を歩くシェライン・エマへと語りかける。

「そうね――」
 短めの相槌は隣の彼へ、視線を送らずに。彼女の深きを宿す眼差しはショーケースの中の物品、一つ一つを余すことなく見物している。いや違う――観察している。

「アヤシイってトコ、ちょっとフレーズが可笑しかったわよ?…香坂君」
「――っ、其処で突っ込みを入れないで欲しいが…」
 此方を見ずに指摘するエマに、いささか苦々しそうに唇を歪める彼。
「で、実際はどうだい?」
 と、切り返しの素早さは職業柄か。
「ん、私の感じでは特に不思議な印象は無いわ……まだ、ね?」
 微妙な言い回しは、未だ二人が博物展を見終えていないせいだろう。
「寧ろ、私よりも貴方の方が詳しくなくて?魔力、霊力、妖しいものって何も?」
 感じない?――と、逆に訊き返す。
「場所が場所…展示品が展示品なだけに、色々と微弱な反応はあるけどな…」

 英国の誇る某大博物館が関る博物展。コンセプトは中世ヨーロッパの貴族世界らしい。装飾品、編み物、衣装――耽美な展示品も色々と凝っている。それぞれが独自の歴史と思い秘めた過去を宿している為か、不思議な感覚を観る者の五感に伝えてきた。
「それらの全てが悪意からは程遠く、寧ろ心地よい気分にさせる代物――以上」
 淡々と紡ぎ〆。
「なるほど…じゃ、中谷君、貴方は?何か気になることとかあって?」
 エマは隣、いま一人の仕事仲間へと振ってみる。
 その相手、ギターケースを背負いながら、展示会場を見て廻るってだけで相当な違和感があり目立つのだが、容貌も緑色の瞳の上に、髪は鮮やか過ぎる銀色。こういった場所では嫌でも人目を惹いてしまうタイプ。というか左右の若い男性陣、互いに高い水準を満たした「いい男」なので――傍目からはエマが誤解されそうなシチュエーションでもあり。彼女自身は大して気にしなかったが。

「あ〜俺も右に同じってとこ、気分が悪くなるような感覚は無いし、背筋が寒くなるような展示物も見当たらない。これといって異常なし。以上――」
 蓮を真似る音也。ちょっと駄洒落っぽい締めに、当の蓮は眉根を寄せて溜息混じり吐息を紡ぐ。エマも苦笑を禁じ得ない。音也は天然っぽく、二人の素振りに気付くも不可解な表情。
「まあ、いいわ、三人とも今のところは収穫無しね。オーケー、じゃ、次のフロアに行って見ましょう。確か――貴族夫人の展示品だったかしら?」
 少なからず奇異の視線を集める三人は、しかし、次のフロアへとやって来て三者同時に足を止めた。
「前言撤回――これは」
 蓮が露骨に顔を顰める。
「感じ悪い、見た目だけじゃなくて…なんて言うか、とにかく厭な感じだ…」
 と率直な感想。
 エマ、音也ともに同意らしく、顔がそれぞれに一瞬だが強張った。
 六つの視線は中央に大きく展示されている趣味の悪い棺に注がれた――否、棺自体の装飾は美々しく、あくまで雰囲気にそぐわない印象を受ける…といった意味で趣味が悪いのだが、三人は棺からそれ以上の、深い何かを感じ取った様子で。
 ともかく、お互い微かに顔を見合わせると、フロア中央に飾られている棺へと近づいていった。
 
 四方を鎖で囲われたその棺は、
『Erzsebet Bathory』の綴り。手前にはさすがに展示品らしく、御丁寧に日本語でも分かるようエリザベス・バソリーと読みが振ってあった。
「これはまた露骨よね…出来すぎだわ」
 エマが溜息にも似た声で呟くと、「何が?」と、首を傾げる音也。すかさず説明すべく蓮が、囁くように応じる。
「エリザベス・バソリー夫人。…16世紀後半にハンガリー貴族として生を受けた女性で、あのハプスブルク家とも関係の深かった名門の伯爵夫人。ときのポーランド国王の従兄弟でもあったらしいが、実は彼女「吸血鬼カミーラ」のモデルになった人物でもある。いわば女性版ヴラドってところか。自分の領地に住む若い女性を次々に惨殺していったサディスティックな一面を持ち、本人の記述だと殺した女性の数は600人を超すらしい。それら殺した女性の血液で浴槽を満たして入浴を楽しんでいたという話は広く知られている。美を保つためだか何だか知らないが…、とまあ、露骨だろ?」
 すらすらとまるで教壇に立つ有能な教師の様に、それらを紡いでいく蓮。さすがは様々な職業をこなしているだけある、と思わせるに足る。というか物事を教え慣れているらしい。音也はちょっと感心して、しかし説明された内容に毒気を受けたらしく、ちょっと反応が出来ない状態に追いやられてしまった。
「ようは吸血鬼に噛まれた被害者に、これほど相応しく露骨なネタはないでしょう?――そういうことよ」
 エマが少々強引に纏める。ちなみに彼女、会話しながらも忙しく両手を動かしている。四方に気を使うように視線を走らせながら、二人の男性を盾に、ショルダーバックから目薬ほどの小瓶をとりだしては、何やら棺にさり気無く―いや、見ようによってはワザとらしく中身を垂らす。

(さて、と―効果の程は、どうかしらね?)
 胸のうちで呟く頃には、既に何事も無かったかのように、小瓶を仕舞う技量。抜け目無かった。会話に夢中であった二人の男性は気づいたどうか。彼女は棺に何らかの変化が起こるかどうかを確認しながら唇を動かす。視線の先には1秒、2秒、と…10秒まで待っても…変化は起こらず。
「もっとも私が露骨って言った訳は、もう一つあるのだけど。それを今から確認するわ。という訳で、貴方達二人、棺を注意して視てて、何か変化があるかも知れ無いから」
「―え?」
「了解っ」
 二者、戸惑いは蓮、即答は音也。ここでの軍配は一見集中力を切らしていそうな音也へと上がった。彼は蓮の言葉を聴きながら、エマの行動もはっきりと見ていたのだ。

「…にしても、あんたら二人とも、随分と詳しいな?」
 少し離れた場所で携帯を取り出すエマ、それを横目で眺めてから音也が呟く。半分は素直な感心の響きで、残りは理由を促すかのような興味の色を含んでいた。
「そうか?――…一般常識だろ?」
「いや、多分、違うぞ…それ」
 もともと一般常識の範疇からはずれ気味の音也だったが、さすがにそれで納得する筈も無く。ちなみに二人ともエマに頼まれた通り、棺に起こるかもしれない微細な変化に、それとなく眼を放さずの会話であった。
「あはは…、悪かった。俺の場合はあらかじめに予習してきたんだ、今回の依頼が吸血鬼騒動だったからな。気休めかもしれないけど、まあ本を何冊か…」
 読んできた、と微かに苦笑を浮かべて呟く。
「やっぱりなっ、でもまあ、俺よりはマシだろ。つーか、初耳だったぜ、さっきの話。大体何でそんなもんがここに展示されているんだ?」
「それは――中世ヨーロッパ展だからだろ?」
 棺――、言われなくてもこれが展示されていること自体かなり違和感があった。言葉とは裏腹に納得できてない蓮。エジプトの王朝の展示品とかならばミイラってのも有りだろうが。
「それで納得できるほどまともな代物に見えないぜ、他の人間はあんまり意識してないようだが…あんたは感じるだろ?あからさまな悪意と――妖気って奴」
「…お互いに、普通の棺じゃないとは理解してるわけか。でも変化はない様子だが?――彼女、一体何をした?」
「小瓶からなにか、一見水みたいな液体を垂らしてたぜ?」
「目ざといね、少し見直した」
「そりゃどうも、先生…」
 棺は蓋に閉ざされていて中を覗くことは出来なかった。展示品としてはこれも少し奇妙なことである。或いはこの中に件の吸血鬼が居る可能性――馬鹿馬鹿しいかと思いつつ、否定できない二人。
 と、音也は微かな呻きを聴いた気がした。
「―――っ!?」
 蓮もまた同様だったらしい。
「今の――…女か?」
 聴こえた先は…自然、顔を見合わせた二人、ゆっくりと棺へ眼差しが移り――
「……………」
「……………」
 共に無言で引き攣った顔を浮かべては、また顔を見合わせる。
「幻聴じゃなく――中に、居るよな?」
「不本意だが…洒落にならない呻き声を聴いた、確かに棺からだったよ」
 見物客も多いフロア、その中央でヒソヒソと会話を交わす二人は多分相当奇異に移るだろう。しかも顔色はどちらともに血の気が引き気味。其処で電話を掛けてきたエマが戻り、
「どう?何か変わったことはあったかしら?」
 応える二人は言葉ではなく、同時に首を縦に振ったのだった。

********

 天井近くの壁に掛かったアナログ時計、その秒針が10時半を廻る頃。
 雨柳凪砂、香月蓮、中谷音也の三人は依頼人宅――間宮家の居間で「彼女」の訪れを待ち受けていた。「犠牲者」こと実花は、ここから直ぐ隣の一階、畳部屋へと寝る場所を移し変えている。看護には姉が当たっていた。
「果たして来るか?」
「来ます――かしらね?」
「まっ、向こうで退治してたら、って…あっちはあっちで危険なんだよな…連中は大丈夫か?」
 音也がイヤホンを耳から引き抜き、二人の会話に独自の介入。
 彼はもう数時間近くも、とあるCDを聴いていた。凪砂が途中CDショップを廻って手に入れてきた物だ。例の洋楽アーティストのアルバムがそれぞれ数枚。
 蓮、凪砂と、一通り聴いては見たが、正直あまり馴染める曲ではなかった。特に耳に残る奇声ともいえるそれは、こういうジャンルの素人には苦痛極まりない代物。二人とも一度試聴したきり、後は耳にしていない。
 が、音也のみは、英語の歌詞すら口ずさむことが可能なほど、楽曲を楽しむことが出来ていた。もっとも蓮にしても深く聴かないだけで、やる気になれば同じ芸当が出来るだろう。

「エマさんの七つ道具、エティさんの魔法、佐和さんはああ見えて、確りしている方だろうし…」
 だから――心配は要らない。と、しかし其処までは言葉に出して紡げない凪砂。やはり不安はある。
「まあ、何かあれば携帯が掛かってくるだろ。というか、あんた…何度もリピートして聴いてるが、大丈夫なのか?」
 蓮が半ば感心したような、呆れているような言葉。その胸元には念の為に所持してきた十字架の存在。
「おいおい、あんたこそ仮にも音楽家だろう?こいつらの曲は味があって結構良いぜ?ボーカルの声も慣れれば欠かせないものだし。難を言えば少しドラムの音が軽いか…とまあ、俺は結構気に入ったぜ?――シンフォブラックって奴も偶には悪くない」
「エティさんは彼らの歌自体には、何も不思議なところは無かったって…そう言ってましたね」
 壁に残された血文字とほぼ同様の意味を綴る歌詞、それを歌った曲の存在は確かにあった。それもバソリー夫人を題材にした例のアルバムの中に。ただ直接的には関係がないらしい

 エマは「現代の歌詞だから伯爵夫人に関する、またそのものが原因だとすると時代的に妙よねぇ」…こんなことを言っていた。また、エティは壁の血文字には負の魔力が強く残されていると証言した。とすると、実花を襲った「吸血鬼」――は。

「ああ、俺が聴いても、そこのヴァイオリニストの兄さんが聴いても、曲自体には異常は見当たらなかったよ。大体これを歌ったアーティストってのが本物の吸血鬼だったら今頃凄いことになってるぜ?」
「蘇った吸血鬼はロックスターとなり、彼は世界中の女性を虜にする…そんな映画もあったっけな?」
「あっ、例の大ヒットした吸血鬼映画の続編ですね?―あたし、主演の俳優さん代わっていたので見てないですけど」
「何だいそりゃ?――つーか、こいつ等はロックじゃなくてメタルなんだけどな。一緒にされても困るぞ多分…」
「ちょっとうるさいか、激しくうるさいかぐらいで、大して変わらないだろう?」
「そこで既に大いに変わるって!」
「あ、あははは…」
 この顔ぶれに落ち着いてからもう数時間たつけど、何だかこの二人、ずっとこの調子であった。相性が悪いように見えて辺に息が合ってるのも凪砂には面白く可笑しい。
 
 あの後皆々は当初の予定通り夕方に依頼人宅に集結し、それぞれに得てきた情報の交換を交わして、今夜急遽に決着を付けるべく行動を開始した。的は深夜のデパート博物展会場と、この家に絞って、三人ずつ二組のパーティーに分けてある。博物展を調べて、直には女性の呻き声を聴いた連と音也の二人は、自ら護衛組みに廻ることを志願し、凪砂も依頼人の様子が気になったので依頼人宅に残った。エティはどうも噂の棺に対して興味を持った様子で、依頼人姉妹よりもバソリー夫人の棺を重視しているらしい。エマは事前に用意してある吸血鬼退治の七つ道具を準備し、棺の様子の確認。トオルは何故か強引に連れて行かれた模様。 ちなみにこの家には姉妹の他に住人は居ない。何でも数年前に父親が事故で入院し、母親は離婚して別居中。姉である加奈子の心労は此処に来てピークを超えており、見るからにやつれ具合が酷い。訊くところによるとここ数日は教職も休みを取って、自宅で妹の看護を続けているらしかった。一応二人共に十字架を持参させてはいる。気休めに過ぎないかもしれないが。
 ―――スッ、
 引き戸がスライドし、隣の部屋からうつむき加減の加奈子が姿を現す。
「あ、加奈子さん、顔色…大丈夫ですか?――妹さんの看護、あたしが代わります?」
 凪砂が控えめに訊ねるが、加奈子はゆっくりと首を横に振って断った。
「そうですか?――でもあまり御無理は…」
 彼女は台所で水を汲み、喉を潤した後、微かに笑みを浮かべ凪砂に首を振ると、また隣の部屋と戻っていった。
「大丈夫かしら…」
「……………」
 心配そうな表情の凪砂とは裏腹に厳しい眼差しで姉見送る蓮。一瞬のことだったので凪砂はそれに気付かない。
 音也といえば再びイヤホンをしてCDを聴き入っていた。
 カチ、カチ、カチ――
 時計の針の音、刻々と更けていく夜に、自然居間にもひそやかな静寂が訪れる。
相変わらず隣室の様子は静謐に包まれていた。

****** 

 時刻は夜の11時半を廻る頃―
 間宮家が静まり返ってからどれくらいの時間がたっただろうか。
 其れは突如、強烈な冷気と禍々しい悪意を伴ってやってきた。
「――――!!?」
 先ず始めに異常に気付いたのは凪砂であった。
 体内に強大な「影」を宿し、普段から鋭い超感覚を持つ彼女は、前触れも無く間宮家を包んだ一色の闇にガタンっと椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「どうし―――っ!?―っ、こいつは、現れやがったか…」
 彼女の様子に驚きかけた音也が、理由を察知して顔を歪めた。彼は聴いていたプレイヤーを乱暴に外すと、側のギターケースを手際よく背負い辺りを見回す。ゾワゾワと冷や汗と共に背筋に迫るプレッシャーは、間違いなく人外の存在、敵意を持つ何かを感知したから。
「吸血鬼――まさか、本当に?」
 一番最後に状況を把握した蓮、彼は周囲を支配しつつある凍てつく冷気にも臆さず、素早く隣室の引き戸に手を掛けると、勢いよくスライドさせる。
「加奈子さん!?」
 隣室の布団に伏せる妹、上に覆いかぶさるようにして倒れている加奈子の姿。
 蓮、凪砂、音也の順に駆け寄る。
「馬鹿な――」
 ぐったりと血の気を失った加奈子を抱え起こす蓮は、驚きの声を上げる。
「実花さんに異常はないですっ」
 直ぐ傍で凪砂の安堵を含んだ声。音也もそれに少し安心したらしい、が…蓮の方に首を傾けた瞬間に体が凍りついた。
「―――!?」
異常を感じて凪砂も蓮に振り向く。
「ぐあっ…」
 其処には蓮の苦悶の表情と――彼の首筋に両手を廻しては楽しそうに締め上げる加奈子の姿。彼女は先ほどよりも更に蒼白な表情で艶やかな妖笑を浮かべ、そのままゆっくりと立ち上がる。蓮の首を締め上げたまま。とても女性の細腕で出来る芸当ではなく、これはまさに…伝承の吸血鬼。
「な、何で加奈子さんが!?」
 少なからず場の状況に動揺する凪砂、思考を働かせようと瞬きし、
 が、音也はもっと素早く、考えるよりも先に行動に移っていた。
「依頼人にこういう事するのも何だけどなっ!――とりあえず、その手を離してくれっ!」
 言葉と同時にヒュウ、と鋭い風きり音。
 何時の間に取り出したのか、彼の操る6本弦の糸が加奈子の手、その左右へと巻きついて彼女の動きを牽制する。しかし蓮を締め上げる二の腕は一向に楽には無かった。意識が揺らぐ。胸元に掛けておいた十字架が蛍光灯の明かりを反射し、加奈子の瞳にささやかな反撃を加えたが、虚しくも効果はない。
「うおっ、何て力だ――びくともしねぇっ!?」
 必死に弦引く音也の存在、加奈子は煩そうに右手を振り回した。左手は蓮の首を締め上げたまま。
「おおっ!?――うわあああっ」
 それだけで宙に吹き飛ぶ音也。あわや壁にぶつかる間際、自ら弦を離し、猫のように背中を丸めて柔らかい畳に着地する。
 刹那、彼の目の前を疾風のように駆け抜けていく影。凪砂――彼女は狭い和室で軽く跳躍すると、ある程度力を加減して、加奈子の左手に狙いを定めて蹴りを放つ。ロングスカートから微かに素足を露にし、閃光のような一撃。
 脛に憶えた鋭い手応えは、まるで硬い岩を蹴ったように鈍い感触――骨を折るには至っていない。が、加奈子は蓮を戒めから解放した。
「ごほっ、ごほ――って、手荒だな、あんたら…痛ぅ」
 この状況でも昏睡する実花、その隣に崩れ落ちながらズルズルと後退する蓮。声は喉を圧迫された仕業か酷い有様。

 Let destiny in chains commence
Damnation under gods seeking recompense
Enslaving to the whinms of this mistress

 ――For beauty is always cruel

 囁きのような其れは彼女の蒼白な唇から零れ落ちる。
「あの綴り、――成る程、吸血鬼に噛まれたっていう実際の被害者は、妹さんではなくて…加奈子さん、あんただったのか」
 蓮の見詰める先、半ば吸血鬼と化した加奈子の首筋。其処には点のような、しかし、はっきりとした二つの傷痕。
「蓮さん、大丈夫ですか?」
 凪砂が苦しげに喉を押さえ立ち上がる蓮、彼の背中を支えるように力を貸し。
「ああ、ありがとう。――…しっかし…あんたも無茶をするよな? 彼女、一応は依頼人だぜ? それに、もう少しで――その、スカートの中身が見えてたぞ?」
「手加減はしています、それにもう少し遅れたら蓮さんが危険でしたっ、――…って、何処を見てるんですかっ!?」
 彼を庇うように加奈子の様子を眺めやる凪砂。後半の言葉には一瞬詰まり、こんな状況下だと言うのに、顔を赤らめて思わず振り返り猛抗議。
 其処へ、容赦なく襲い掛かる加奈子。
 貞淑な女教師の面影はなく、文字通り血に飢えた鬼と化していて。
「――馬鹿っ、前だよ、前っ!」
「えっ!?――っ…しまっ!!」
 指摘されて振り返ったときには既に目前に加奈子の顔――裂かんばかりに口を開く彼女、煌くのは紛れも無く人外を主張する牙、荒々しく、
「おっとっ!――皆さん、俺を忘れんなよっ!?」
 叫んだのは布団を挟んで反対側で方膝を付く音也。彼は言葉より速く、再度、自らが操る六本の弦を加奈子の身体に放った。今度は腕ではなく無防備な両足を狙い。
 巻きつき、絡みとった手応えの後に、先ほどの経験からか手加減せずに思い切り引っ張る。
「――――!」
 もつれる足元、為す統べなく転倒する吸血鬼、加奈子。
 尚立ち上がり暴れるのを抑えようと、素早く組みつき手際よく押さえ込む凪砂。吸血鬼に匹敵する格闘能力を有する彼女ゆえの芸当。
「よし、そのまま…」 
 頷きつつ蓮は、ズボンのポケットから小瓶を取り出す。其れは展示会場を出た後に予めエマから譲り受けていた品。中身の液体はビャクシンの油をベースに、教会の神聖な清めによって精製された、聖水よりも手間の掛かった代物。懐からハンカチを取り出すと、少量染み込ませて、凪砂の下でもがき暴れる加奈子の口元に押し付ける。それはクロロホルムを使用する感じで、やがて加奈子は瞼を閉ざして気を失った。

*********

「これで一応は大丈夫な筈だ」
 凪砂に手を離すように言いながら、深々と吐息する蓮。どっかりと畳に腰を下ろして。
「って、――彼女が被害者だったのか?」
 よっと、掛け声を掛けつつ、器用に弦を回収する音也。
「ああ、依頼品の写真――あれも首筋の傷の部分は、彼女の傷跡だろう」
「えっ、でも…じゃあ妹、実花さんと、犯人の方は?」
 それでは何も解決してないのじゃ…と凪砂。一分間程度の出来事だったが、心の動揺は容易に収まらない。成り行きとはいえ依頼人を蹴ることになり、押さえつけることになった彼女。
「無論、妹も被害者、真犯人は別にいる」
「――誰だよ?」
「どういうことです?」
 二人とも倒れ伏せる加奈子を複雑な眼差しで眺めつつ、蓮に問う。
「これは、推論だが――」
 蓮が一息置いて説明しようとした矢先、言葉は思わぬ方向から飛んで来た。
「うふふ、憑依する吸血鬼よ…それがワタシ?」
 と、酷く楽しげに、そして嘲るように。
 三人が同時に眼差しを向けた先―――今の今まで昏睡状態だった筈の間宮実花、うっすらと微笑を湛えて半身を起こしていた。

「憑依する…吸血鬼?」
 反射的にそう聴き返したのは凪砂だった。
「そう、条件に見合った相手を探しては、憑依を繰り返して生きてきた、違うかしらね?生かされてきた…と言うべきかしら?」
 実花、否――その姿をした何者かは、恐らくは彼女の声であろうそれで緩やかに言を紡ぐ。
「やはり、あの音楽、綴り…エティが言ったように黒魔術を施したアレンジか。文字通り鍵であった訳だな…」
「――?」
「目の前にいるおそらく彼女――憑依する吸血鬼は名の通り実体を持たないのさ。多分、残留思念、もしくは意識存在のような彼女は、本来棺に宿っていたのか、封じられているかしていたのだろう。恐らく自らの意思では棺から出ることは出来なかったのではないかな?しかし、ある言葉が紡がれることを条件に彼女、憑依する吸血鬼は、棺から出ることが可能になった。それが――例の血文字、あの綴りの一説だ」
「うふふ…好きよ、あの言葉。長い時間忌々しい束縛に悩まされてされていたアタシに、「彼」が与えて呉れた魔法の鍵。「彼」はあの気の遠くなるほど巨大で悪辣な博物館から、アタシを逃がしてもくれたわ。それから色々な国と色々な場所を廻ったけど、中々アタシの枷を解いてくれる子は居なかった。けれどね…やっと出会えたのよ…この娘と」
 回想に浸りながら語り出す実花は、妖々と天井を見上げ、遠い遠い過去に想うかのように両手を差し伸ばす。
「でもね?…憑依の代償は思ったよりも大きかったわ…。かつての様に人の血をすするだけではアタシは回復しなかった。時間が必要だったの、長い間棺に閉じ込められていたアタシがこの身体を支配するだけの時間…、それを良い具合に潰してくれたのが其処の女だったわ」
 実花の姉を見つめる眼差しは、蔑みと憎悪に満ちていた。この感情はそう、ちょうど実花の部屋を訪れた佐和が、加奈子から感じ取った感情と同様。
「あたし達を呼んだこと?」
「そうよ、他にも色々と…憑依の後遺症かしら、その女はあまり上手く操ることが出来なかったわ。もっとも結局は無駄に終わったけれどね、今日と言う日が過ぎ去る頃には、アタシは完全なアタシとして生まれ変わる」
「あんたは――バソリー夫人…なのか?」
 蓮が随分と割と着いた様子で少女に尋ねた。そう、どちらかと言えば相手から夫人という印象は伝わってこない。それは実花の身体を通じてだからだろうか?
「バ…ソ…リ…―――あ、あ、あ、あああっ!?」
 突如気違い染みた悲鳴を上げる少女。
「なっ、なんだよ!?」
 ギクリと一歩後退する音也。
「な、何…?」
 邪悪な衝動が実花の身体から外へと奔流を作る、その黒く邪悪な妖気が、凪砂の黒髪をフワリと揺曳させた。
「どうやら――拙いことを訊いたらしいな?」
「おいおいおい、こいつは…さっきの姉さんとは比べ物にならない妖気だぜ?――ちょっとヤバくないか?」
「危険…ですね、でもここで引き下がるわけには」
 加奈子を運びながら引き戸まで後退しつつ身構える三人。
 と、そこで突然、実花が苦しみ出した。
「――あっ、ぐぅ―なっ…あああああぁ!!」
 明らかに苦しみへと変わった彼女の表情。
 瞬間、実花の全身から眩い光が溢れ出し――それはまるで、彼女から滔々と流れ出してやまない黒々とした妖気を、焼き払うように広がりを見せた。
(邪気が…消え…る?)
 凪砂は片手で顔を覆いながらそれを感じ、呆然と成り行きを見守る。
 蓮と音也も…。

********

 雨はあの日の夕立から姿を消して、ここ数日はずっと晴天が続いていた。
 ―間宮―
 呪われた棺の一件に巻き込まれたその家も、今は落ち着きと光を取り戻しつつある。
 とある6人の活躍があってこそ漸く訪れた平和だが、それを知るものはほんの僅かの人々だけ。
 硬く閉ざされていた二階、かつては「吸血鬼」が存在していた少女の部屋も、カーテンの幕は無く、陰湿な空気から晴れ晴れと解き放たれ、外から見上げれば、気持ち良いくらいに窓も開け放たれていた。そらから部屋に射す陽光は、実花にとって何物にも変えがたい恵みとなっているはずで。

「………………」
 姉妹の身体の方は、事件の記憶だけを失い、他には何の外傷もなく事なきを得た妹の実花。姉の加奈子はさすがに数日入院する羽目に陥ったが、どうやら伝承のように吸血鬼化することは無く、首の傷跡も痕跡は無くなっていた。これはある意味伝説どおりか。
 二人の姉妹は近々病院から退院してくる父親のために、色々と騒動を起こしては良くある姉妹喧嘩を起こしているらしい。が、それもまた傍から見れば微笑ましいもので…。
 
 某デパートの方では何故か「棺」のことが公になることは無かった。
 結局あの夜の最後にエマが言った言葉の通り、事件として扱われなかったのである。深く探ろうとすれば、どうも英国の某博物館絡みのトラブルがあったらしく、それはまた別の事件として扱われるようだった。
 間宮家の正門の前で、それまで二階を見上げていた一人の人物が、くるっと踵を返した。
 「彼」は黒い帽子を目深に被りなおし、ロングコートに両手を隠して。
 ―――、
 「彼」の国の言葉で別れらしきそれを紡ぐと、半ば微笑に唇を緩ませながら足音残さずに去り行く。
 奇怪な事件は幾つかの謎を残すと一応の終幕を迎えたのである。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ    / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
1532/ 香坂・蓮        / 男 / 24 / ヴァイオリニスト(兼、便利屋)
1870/ エティエンヌ・ラモール / 男 / 17 / ネクロマンシー
1847/ 雨柳・凪砂       / 女 / 24 / 好事家
2018/ 中谷・音也       / 男 / 21 / 流しのギタリスト・付喪神
1781/ 佐和・トオル      / 男 / 28 / ホスト

 NPC
    間宮加奈子
    間宮実花
    「彼」    

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■         ライター通信          ■
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初めまして。この度の担当ライター皐月時雨と申します。
今回の作品、色々試みようとした挙句、何故か敗北感が多かったなと。謎も残り。
このお話、当初は戦闘系の色がかなり濃い感じでしたが、皆さん全員支援系を望まれたので予定を変更。結果として護衛組みのお三方には戦ってもらいましたが…あの魅力的なキャラクター方々を戦わせてみたかったのです(笑
展開(特に後半)は各キャラクター様方によって違いますので、併せて読んでいただけばより深く楽しめるかもと。

次回作ではもっと精進せねばと反省。
ともあれ参加者の皆様には有難う御座いました。