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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


「薔薇の花やら百合の花」


 草間興信所の店じまいはいつも遅い。

 時計の短針が頂点に向かって昇り始めている頃でも、秘書の零は真面目に仕事をこなす。彼女は草間が店じまいを告げないと仕事を止めない。仕事終わりを告げるため、草間はドアに鍵をかけようと頭を掻きながら歩き出した。
 しかし、草間の思惑は大きな音で砕かれる。入り口のドアが恐ろしい勢いで開いたかと思うと、大柄の男が一声鳴いた。

 「た、た、助けてくれぇ!!」

 「すまんな、今日は店じまいだ。明日にしてくれ。」

 目の前の男性の悲鳴を意にも介さず、眠そうな声でただ単調に話す草間。それを聞いた男はしばらく固まっていたが、草間にすがってお願いを始める。

 「と、と……とにかく助けてくれ。話だけでも聞いてくれ……お、俺にはあんたしかいないんだ……俺は今、幽霊に憑かれてるんだ!」

 あまりの不安についに泣き出してしまった……草間はそれを見た瞬間、しっかりと目が覚めた。泣き喚く男に同情したのか、彼の肩を叩いてひとまずソファーに行くように促した。それはまるでドラマのワンシーンのようだった。


 男はソファーに導かれると、半べそのまま話し始めた。男の名前は鴻池。ある企業のラグビー部に所属しているらしい。そんな彼がある日突然、幽霊に憑かれた。彼が憑かれたのに気づいたのはすぐだった。彼によると、その幽霊の記憶や思考がいとも簡単に読み取れてしまうそうだ。幽霊は『浅野 麗華』という若い女性らしい。だが、問題はここからだった。その女性が夜な夜な鴻池にとんでもないことをお願いするというのだ。

 「とんでもない、こと?」

 零が草間の方を向いてゆっくりと首を傾げ、彼も同じように首を傾げたその時だった。いきなり鴻池が頭を抱えて苦しみ始めたのだ!

 「う、ううっ……探偵さん、幽霊が出ても気にするな……っ、身体を乗っ取られても話は全部聞こえてるから……うわぁぁぁっ!」

 鴻池が叫びを上げて気絶した直後、彼は急に顔を上げる。さっきまで落ち着きのない表情をしていた『彼』の顔は一片の曇りもなく、動きにも躊躇がなかった。『彼』が草間と零の顔を一瞥すると、静かに口を開いた。


 『あなたが草間 武彦さん、そしてそちらのお嬢さんが零さん。そうですね。僕は浅野 麗華、よろしく。僕はこの世に未練を残してさまよう幽霊だ。姿は現せないが、ちょうど二十歳の時にこの世を去った……はずだった。しかし、僕の強い願いは怨念となって蘇り、今……今まさにそれを達成し、この世の執着を消そうとしているんだ……草間さん、僕は……僕は男としてロマンスに包まれて天に召されたいんだ。そう、きらびやかな舞台の上で。どうか叶えてはくれないか……この通りだ!』


 目の前で振りをつけながら踊るように話す麗華を見て、どうしても疑問が晴れないふたりはそれぞれに悩み出す。

 「浅野さんだっけ……あんた女だよな? さっき自分で『麗華』って言ってるしな……」

 『何を言ってるんだ……誰がなんと言おうと、僕は……僕は男だ!!』

 「ええっと……男の鴻池さんに憑依した幽霊は女の麗華さんなのに、麗華さんは男だと思ってて……あれ?」

 すでに自分に酔っている節がある麗華を説得するのは不可能だと踏んだのか、草間は悲しそうに首を振った。零も麗華を指しながら理解に苦しんでいた。そんな状況を目の当たりにした麗華は幽霊の本性を草間に見せつける。


 『草間さん、僕はあなただけが頼りなんです。もし引き受けてもらえないのなら……あなたに憑いて、僕の思い通りに事を動かし』

 「な、なんだって! 頼む、それだけはやめてくれ! わかった、人を集めて何とかしてやるよ。ただし、それなりの報酬は用意できるんだろうな。どこで誰にものを頼んでるのかぐらいはわかってるはずだ。」

 『もちろんです。僕は自分の遺産があります。それの在り処を教えましょう。報酬には十分過ぎるほどの金額になるはずだ。それを使ってどこかの舞台を貸切にして下さい。あとはあなたが集めた人と僕がロマンスを作り上げます。観客は君と彼女でいい。これだけの準備には手間がかかるな……草間さんには一週間の猶予を与えよう。それまでにすべての準備を整えておいて欲しい……』


 脅迫された草間は白旗を上げ、麗華の言いなりになった。このまま協力を拒んで憑依されれば、彼女は自分の身体を使って男とくちづけを交わすかもしれない。しかもその記憶は共有する可能性がある。そんなものは死んでも見たくない……草間は己の保身を考えた結果、人を使って事態を収拾する方法を取ったのだ。零が心配そうに草間の背中を見つめる中、彼は静かにつぶやいた。


 「ちくしょう、今週の予定はあいつのせいでめちゃくちゃになっちまった。とにかくあいつを成仏させればいいんだから、零には乗りのいい奴を集めさせて適当にやらせればいいだろう……」


 文句を言うのは成仏後と決めた草間は零のバックアップを受け、麗華の望む舞台などをセッティングした。彼女の言葉通り、遺産は相当な額になった。そのおかげでなんとか格好のつく文化センターを用意することができた。残りの金は、役者が仕事を果たしたときのためにちゃんと残してある。



 そして一週間後、運命のベルが鳴り響くのだった……


 ファルナがいつものようにメイドゴーレムのファルファを従えて会場入りした時には、多くの協力者が劇場の中でそれぞれの作業を行っていた。彼女は広い観客席の中央に座っている草間と零を見つけ、嬉しそうに駆けていく。ファルファも同じスピードで彼女についていった。そして草間の前に立つと、ふたり同時にお辞儀した。なぜかファルファは風呂敷包みを右手に持っていた。


 「ファルナです。本日はどうぞよろしくお願いいたします〜。」

 『お願いします。』

 「お、かわいいお姫様の登場だな。こちらこそ頼むよ。でもよく引き受けてくれたもんだな。相手は男だか女だかわからん奴なのに……」


 草間が自分の疑問を素直に口にする。するとファルナは少しうつむきながら、今回のお芝居に参加した理由を話し始めた。


 「私の大切な方……その方も成仏し切れない幽霊さんなんです。何だか、他人事と思えなくて……」


 思った以上に深刻な理由で参加することを決めたことを知り、草間は素直に謝る。零も彼女を励ますために頭を優しく撫でる。


 「悪かった。じゃ、がんばってくれ。報酬は弾むからな。」

 「がんばってくださいね、ファルナさん。」

 「はい、がんばりますの!」


 その元気な声に呼び寄せられたのか、舞台の上で打ち合わせをしていたシュラインがファルナの元へやってきた。草間たちの話によれば、彼女が今回のお芝居の監督や演出をやっているらしい。現場の責任者にもふたり揃ってのお辞儀する。


 「ファルナちゃんの台本は……これね。衣装は自前らしいけど、間に合った?」

 「はいです。ファルファに持ってきてもらいました〜。後からお着替えします〜。」

 「わかったわ、とにかくがんばってね。ファルナちゃんの心配はあんまりしてないから……」


 シュラインには他に悩みがあるのだろうか……頭を掻きながら草間たちの傍を離れていった。ファルナはステージの下にある、人がいない一角を見つけ、ファルファとともにそこに向かった。周囲はトコトコ歩く彼女らを気にもせず、一生懸命に自分の仕事をこなしている。そんな姿がファルナの気持ちを高ぶらせたのだろうか。彼女はファルファに一言命じる。


 「じゃ、着替えましょ〜〜〜。」

 『了解しました。』


 ファルファが風呂敷包みを開くと、そこにはシルクのドレスが丁寧にたたまれていた。これはメイドである彼女が作り上げたもので、風呂敷に包むところまで作業をこなしたのだ。そしてその作業は最終段階を迎えた。なんとファルファはおもむろにファルナの私服を脱がせ、彼女の着替えを手伝い始めたのだ。しかし、当の本人に急ぐ気配などない。ここを屋敷の一室だと思っているのか、彼女の落ち着き振りは恐ろしいものがあった。
 そのショッキングな状況に気づいたのは零だった。彼女は信じられないといった表情を浮かべながら、静かにファルナを指差す……それに気づいた草間がそこを覗き込むと、大声を上げた。


 「お、おいっ、ファルナちゃん! そこで着替えるなって!!」

 「えっ、誰が着替えてるの……?」


 ステージに立っているふたりの男も声の方を見ようとしたが、それを間一髪で止めたのがシュラインだった。まずはステージに上り、容赦なく男どもの頭を叩いた。そして音源である草間の方を向き、大声で号令を下した。


 「あんたたちっ、か弱い乙女に傷がつくでしょーーー! 後ろ向け〜〜〜、後ろっ!!」

 「は、はいっ!!!」


 軽く歌いながら着替えを楽しんでいるファルナに背を向けて直立不動になる男ども。それを見て心の平安を一応取り戻すシュライン。しかし、彼女の荒い息は鼻歌を遥かに超える音響で響き渡っていた……


 ファルナが上質のドレスに身を包むと、ステージで動かなくなっている男たちの元へ歩き出した。ファルナが声をかけると、ひとりの青年が恐る恐る彼女の姿を確認する。彼女がちゃんとした服装でいることを確認すると、大きくため息をついた。


 「ははっ、君のおかげでひどい目にあった。」

 「ごめんなさいですぅ。あなたが麗華さんですかぁ?」

 「あ、俺? 俺は佐和トオル。今日は麗華くんの演技指導に来たんだ。ほら、こっちの男性に憑いてる霊が麗華くんだ。」


 トオルに紹介された男性からはとても麗華を想像できなかったが、喋り方を聞いたファルナは納得する。確かに話に聞いた幽霊にそっくりな話し方だった。


 『浅野麗華だ。よろしく、お嬢様。』

 「あ、ファルナです……突然のお願いで恐縮なのですが……どうか無関係な方の身体から出ることはできませんか? 例えば……トオルさんや草間さんなどはご趣味に合いませんか?」


 「ち、ちょっとファルナちゃ〜ん……おい草間っ、話が違うぞ!」

 「トオル、こっちだって聞いてないんだ! その娘が突然言い出したんだよっ!」


 男どもの混乱を横目に、ファルナはお願いをする。しかし、麗華は草間にさえ話していなかった事実を口にした。


 『……この身体しかダメなんだ。他の身体だと相性が合わないんだ。草間さんもトオルさんもこの相性がないんだ。わかってほしい……』


 大騒ぎしていたふたりがさすがにこの時ばかりは静かになった。そのような事情があることを知ったファルナは「わかりました」と答え、着替えをした場所へと戻っていく。そして大きく深呼吸して、かわいい声を自分の周囲に響かせるのだった……それは彼女の発声練習だった。ファルファは静かにそれを見守っていた。トオルは草間に手を振り、途中になっていた麗華への演技指導を再開した。草間もそれぞれの動きを見て、静かに芝居の開演を待っていた。

 ファルナのかわいらしい声に誘われたのか、彼女の足元に美しい猫がやってきた。毛並みの揃った猫で、金持ちが飼っているような容姿を持っていた。ファルナはその猫を抱きかかえ、しばらく戯れていた。


 「かわいいです〜。」

 「ニャオ〜ン。」

 「あなたもお芝居に出るの?」

 「クゥ〜〜〜ン。」

 「そう。一緒にがんばりましょうね。」


 そう言いながらファルナが猫を床に下ろしたその時だった。豪快に観客席のドアが開け放たれ、ものすごいスピードで舞台に向かって駆け下りていく人間がいた……その手には長弓があり、燃え盛る矢はステージに向けられていた!


 「どこのどいつか知らんが、この俺が祓ってやるっっ! こぉの、お耽美野郎ぉぉっ!」


 そう叫ぶのは高校の制服を着た青年だった。彼は人間とは思えない跳躍力を見せ、空中でステージの目標に狙いをつける……その覇気に振り向かされた演技指導中のトオルは自らを指差し固まる。明らかに火矢はトオルに向けられていた。彼からすれば、トオルが『お耽美野郎』に見えてしまったらしい。


 「え……お、お、俺?」

 「おい、矢塚っ! そっちは仲間だ、ホストだ、トオルだ、男だ! 隣だ、隣!」


 弓でトオルを狙っていた矢塚は草間の指摘を受けて、空中で隣に立つ男に狙いを変えた。いきなりの展開に零も真剣な表情で状況を見守る……勝ち誇ったかのような表情を見せながら叫び、今まさに矢を放とうとしている矢塚に突然の不幸が振りかかる。


 「悪霊っ、退さ……」

 「ダメですの〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」


 ファルナは絶対にお芝居で麗華を成仏させると決めていた。それが言葉となって表れたのだ。彼女の言葉が矢塚を制するのが早いか、隣にいたファルファが右手を彼に向けて一声発したのだ。


 「ロケットパンチ……!」


 ファルファの右手は火を吹き、矢塚に向かって飛んでいく……彼女は主人の感情を読み取って、一番いい行動をしてしまったのだ。不意を突かれた矢塚に逃げ場はない。しかもファルファは彼の死角になっている後ろからロケットパンチを撃ったのだ。聞き慣れない言葉を耳にして、自分の台詞を発しながらも疑問を解決するために後ろを見る矢塚……


 「ん……んがあぁぁぁあっ!」


 『ガコッ』


 ……矢塚は背中を強打され、蚊取り線香にやられた虫のように地面へ垂直落下した。全員の視線が上から下へと移動する……その後、主人の手元から離れた弓矢は乾いた音を寂しく立てたのだった。ファルナは両手で顔を隠していた……



 その後、舞台の上でロマンスが繰り広げられた。ステージでは、なぜか中世ヨーロッパを思わせるような舞踏会が再現されている。その豪華さは目を見張るばかりだ。本当に設置したかのようなきらびやかなシャンデリア、巧みなダンステクニックを披露しつつも控えめに踊るエキストラ……一流の劇団でも用意できないようなセットを見て、草間と零は開いた口が塞がらない。彼らの隣で座っているシュラインは満面の笑みを浮かべていた。その鼻は今にも伸びそうな勢いだ。すべてはシュラインの徹底した情報収集と研究の結果だった。
 そんな舞踏会の中をさまようのが主人公の麗華だ。彼女はトオルに教えられた通りに演技する……エキストラの踊りをかいくぐり、上手から下手へと歩く。そこに清ました顔をしたファルナが出てきて、ドレスのすそを両手で上げてご挨拶をした。麗華も一礼する。


 「レイカさま……今日は私がダンスを披露いたします。」


 すると、ファルナはひとりで優雅にダンスを始めた……舞台の明かりが落ち、小さな女優をスポットライトが追いかける。そのダンスは音楽を弾ませ、観客たちを熱中させた。観客みな、そのダンスのうまさに舌を巻いた。


 「おや……あのお嬢ちゃん、ダンスお上手だね。」

 「ファルナさん、きれい……私なんか盆踊りしかできないのに……」


 トオルも零も口々に賞賛の言葉を発する。彼女のダンスが終わろうとした時、着なれないドレスが災いしたのか、ファルナは足を取られてしまい麗華に向かって倒れこんでしまった。慌てて彼女をオーバーアクションで支える麗華。


 「ああっ!」

 『だっ、大丈夫ですか……お姫様?』

 「ええ、大丈夫ですわ。お気遣い、ありがとうございます……」

 『名前……あなたのお名前は……』

 「ファルナ、です……」


 ファルナのドジが見事、演出にはまった。シュラインは彼女をよく知っているので、そこまで計算に入れて脚本を書いていたのだ。随所にちりばめられたエッセンスがますますシナリオを盛り上げていく。



 物語は進み、舞台の上にはふたりの男が立っていた。少し前から自分の苦悩を朗々と語る麗華を、その親友役として出演している矢塚が見守っていた。彼はめがねを外し、麗華と同じような服装をしていた。メイドのファルファに撃墜された後、周囲の協力ムードを草間から聞いた矢塚はファルナの熱心な説得もあってしぶしぶ劇に出演することを決めた。
 『お姫様であるファルナと駆け落ちしたい』と言う麗華に親友としてアドバイスを送る矢塚。その言葉は中途半端なものではなく、しっかりとした意味を持ったものだった。たまにロケットパンチを食らった背中をさするのはご愛嬌だ。そんなふたりのやり取りの中、颯爽とひとりの貴婦人が上手から現れ、麗華に駆け落ちのリスクを語り始める……ゆっくりと麗華に迫りながら、甘く誘うような言葉をかけ、震える顔を人差し指で軽く撫でる。まさに妖艶という言葉がピッタリの貴婦人だ。


 「あなたの愛が本当ならば……うふふ、態度で示すこともできるでしょうね。それがあなたにできるかしら……?」

 『う……うう……エリゴネさん……』

 「何を悩むことがあるレイカ! お前の心の奥に、彼女の……ファルナの愛があるんじゃないのか!」

 『そ、そうだ! 僕には……ファルナへの愛があるんだ! あなたや障害には負けはしない!』


 矢塚も貴婦人も、そして麗華も熱演を続ける。草間と零は芝居にどっぷりとはまり込んでいた……
 そんな中、エリゴネと呼ばれた貴婦人はファルナが控えている下手へと消えた。舞台脇ではファルナが自分に向けられた言葉に赤面していた。それを見たエリゴネが嬉しそうに笑う。


 「あとはあなたががんばりなさい。私はあなたとの約束は守ったわよ……ふふふ……」

 「え……まさか、お姉さんはさっきの猫ちゃん……?」


 ファルナの言葉を聞いたエリゴネは彼女の鼻の頭を人差し指で軽くつつく。


 「そうよ。麗華さんはあなたが成仏させてあげるの、わかった?」

 「はい、がんばりますの……!」


 エリゴネは気合いを入れるファルナが舞台に出るまで、その場で彼女を見守った。 



 親友である矢塚の励ましを内に秘め、エリゴネの誘惑を断ち切り、麗華はファルナに駆け落ちしたいと告白した。ファルナは静かに頷く……そしてそのやわらかな頬を麗華に向け、その目を閉じた。いよいよクライマックスである……天井からは白い花吹雪が舞い、ふたりのラストシーンを彩った。
 しかし、この時だけは誰ひとりとして物語に入り込む余裕はなかった。目の前に映る映像は、いい年したオッサンがいたいけな少女の頬に無理やりキスするようにしか見えないからだ。矢塚を舞台袖に残し、残り全員で観客席からこの見たくもない風景を見守っていた。メイドのファルファも静かにその様子を伺っていた。

 ファルナの行為に麗華が頷いた……その時、事実上の演出家であるシュラインが立ち上がり、トオルに『あること』を確認する。彼女の両手にそれぞれ人の形をした式紙が握られていた。


 「トオルくん、麗華さんにちゃんと教えてあるわね!」

 「ああ、バッチリ。『男はキスする時に目を開いちゃいけない』ってね。ホントに女の子も恥ずかしがるから、普通はしないことだし。」

 「上等! ごめんね、武彦さん……最後の最後で脚本を変えちゃうわ!」

 「ど、どうするんだよ! 今さら変えたって……ファルナは……」


 鴻池の分厚い唇がファルナの頬を捉えようとした瞬間、シュラインが腕を交差させた……その紙は「ファルナ」と「矢塚」と書かれており、ちょうどそれぞれが今いる場所と同じ間隔で開かれていた。麗華の唇が頬に接触する頃、ヒロインはシュラインの陰謀で矢塚に代わってしまっていた。矢塚は自分の頬を襲う無駄に柔らかい感触で、やっと自分とファルナの場所を替えられたことに気づく。彼はビクッと震えたかと思うと、白目をむいてそのままの体勢で固まってしまった……固まったのは彼だけではない。観客たちも突然の出来事にあ然としていた。
 場所を入れ替えられたことも知らず、ただ真っ暗な空間で必死にキスを待っているファルナ。偶然にも、彼女の頬にはカーテンのひもが触れていた。彼女はおかしな感覚が頬にあると思いつつも、目をつぶったまま演技を続けていた。

 頬から唇が離れたのを見計らって、シュラインはファルナを元の位置に戻した。彼女は目を閉じていたため、何が起こったのかわかっていない。目を開くときょろきょろと周囲を見渡した……その刹那、鴻池の身体からある女性の姿がおぼろげながらに出現した。それは今にも四散しそうな勢いだった。絶世の美女とも言えるそのビジョンこそ、本当の麗華だった。麗華は改めてファルナの頬にキスをした……しかし、その唇は決してファルナに届かない。それでもファルナは彼女のぬくもりを感じたような気がした。ファルナは静かにそれを見守った……


 『ありがとう……僕の……お姫様……ありがとう、皆さん……』


 穏やかな微笑みを見せながら、麗華はその存在をこの世から消した……彼女は満足して消えていったのだろう。それを見て、ファルナが涙ぐみながらも笑顔で送った。


 「さよなら……麗華さん……」


 なんとも言えない雰囲気が草間たちの心に響く。観客はどんな表情をすればいいのか、しばしの間悩んだ。



 しかし、それも本当につかの間だった。舞台袖から怒り狂った矢塚が矢を番えて出現し、鴻池もその記憶を取り戻してむっくり起き上がったのだ!
 それを見た観客席の面々は同じタイミングで後ずさる……ファルナとファルファだけが状況を飲み込めずにあたふたしていた。演技は確かにうまくいったはずなのに、周囲が想像以上に騒がしい。彼女たちの心配はこの混乱だった。そんなふたりを無視して、被害者ふたりは劇中でも聞けなかったほどの大音量で恨み節を奏でる。


 「シュラインさぁぁ……ん、俺がオッサンとキスなんて……そんな脚本になってるなんて聞いてないですよぉぉぉ!!」

 「えっ……俺、もしかして……もしかして男とキスしたのか??」


 全員の視線がシュラインに向けられる。憎悪、心配、押しつけ……さまざまな思惑を一身に受け、彼女は仕方なしに喋った。


 「あんたたちねぇ、年頃の女の子に傷つけるわけにはいかないでしょうが! ファルナは前途ある乙女なのよ、あんたたちとは格が違うのよ! いいじゃない、男同士でほっぺにキスくらい。緊急回避よ、尊い犠牲よっ、美しい自己犠牲よ!」

 「なんて女だ! 悪魔みたいな人だな、あんた……ってなんですか、別にあんたから聞くことなんか何も……」



 「ほっぺのきめ細かさが……女の子っぽいよ、君。」


 「お前から死ねぇ!! 全部、ぜぇぇんぶ燃えてしまえぇぇ〜〜〜〜〜っ!!」


 ついにプッツンしてしまった矢塚は動くものすべてに矢を打ち始めた……阿鼻叫喚の劇場内を駆け巡る仲間たち。シュラインは草間や零を守るように見せながらその影に隠れてコソコソしていた。トオルも服を焦がされてはたまらないと身を屈めながら逃げまくる。矢塚の足元でいまだにきょとんとしているファルナに、お尻に火がついてしまって大騒ぎの鴻池。そして悠然と火矢を避けながらあくびをするエリゴネ……

 次第に混乱は大きくなり、火災報知器やスプリングラーまで作動する大騒ぎになってしまいましたとさ……もちろんその弁償で全員の報酬が目減りしたことは、言うまでもない。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1781/佐和・トオル  /男性/28歳/ホスト
1493/藤田・エリゴネ /女性/73歳/無職
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/草間興信所事務員
2058/矢塚・朱羽   /男性/17歳/焔法師
0158/ファルナ・新宮 /女性/16歳/ゴーレムテイマー


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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回もお楽しみ頂けましたでしょうか。
前回とは打って変わって、ギャグを前面に打ち出してみました。
とりあえずギャグが好きです。ギャグが大好きです……ということで書きました。

そんなこんなで多くのキャラクターさんが集まって見事なデコボコ劇団大結成です(笑)。
今回、一番優雅な役をしてくれたのがファルナちゃんです。ファルファも大活躍です!
やっぱりご主人様のために一発は打っておかないといけないですよね〜、そうですよね〜。
あんまりドジっぽくなかったかもしれません。その分は他の方のドジっぷりを見て下さ〜い。

ちなみに……他の皆さんとの文章にかなりの違いがあると思います。
ここでは書き切れなかった部分やそれぞれの描写はそちらで反映しています。
ぜひ違った視点での物語も楽しんでやってください。これからもよろしくお願いします!