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ウンメイ ノ ヒ
こんな力を持っているのは僕の意思ではないと、あの人だってわかっていたはずだ。
(念じれば)
そこに燃え上がる炎。
僕だって、最初は戸惑っていた。
それこそあなた以上に――。
「そんな瞳であたしを見るんじゃないよ!」
「母さ……っ」
――バタンっ
目の前でドアが閉められた。こうなるとしばらくは、家に入れてもらえない。
(あの人の気持ちが落ち着くまで)
僕は外で、遊んでいるしかない。
僕は立ち上がると、唇を腕で拭った。予想していたとおり、少しの血が移る。
赤い血。
それは炎と、同じ色だ。
(あの人はきっと)
この血ですら、見るのが嫌なんだろう。
「――どうしたの?」
その血を眺めていた僕に、声が掛かった。振り返るとそこに、僕と同い年くらいの女の子が立っている。紅い振袖を着た。
「魅咲ちゃん……」
僕はその娘を知っていた。僕の記憶の中に幾度となく登場する。僕が1人になると決まって現れ、一緒に遊んでくれるのだ。
「一緒に遊ぼうよ」
魅咲は近づいてくると、僕の手を取った。そして拭われた血の跡を見つけ……ペロリと舐めた。
「うわっ」
驚いて僕は手を引っ込める。すると魅咲は不思議そうに首を傾げて。
「どうしたの?」
初めと同じ言葉を告げた。
「いきなり舐めるからて……」
「――ああ」
そして魅咲は何故か、今まで見たこともないような笑顔を見せると。
「確認、したんだよ」
★
「――そろそろ、帰ろうかな」
いつもと同じくらいの冷却時間をおいて、僕は口にした。
(そろそろ)
帰らなければ。
遅すぎても、あの人は怒り出すから。
こぐわけでもなく座っていたブランコから立ち上がる。
――と。
「どうしても、帰るの?」
まだ鎖を握ったままの僕の手に、魅咲が触れた。
「魅咲ちゃん……?」
魅咲はこれまでそんなことを言ったことがなかった。僕が「帰る」と言えば、手を振って見送ってくれた。だからこそ僕は、帰ることができたのだ。
「帰らない方がいい。嫌な予感がするの」
真っ直ぐに目を見つめた。魅咲にそんなことを言われると、不安になってしまう。
「でも……」
「私が代わりに、帰ってあげる」
「え?」
言うなり、魅咲は歩き始めた。慌てて僕は追おうとするけれど、何故か魅咲に追いつけない。
(何……?)
それどころかどんどんと距離が離れていく。周りの景色さえ曖昧になり始め……やがて僕が追っていたはずの魅咲の後ろ姿ですら、変わっていた。
「僕……?!」
その僕は、いつの間にたどり着いたのか家のドアを開けて入っていく。
「魅咲ちゃん!」
きっとその僕の声は、届かなかっただろう。
僕は家の前で、どうしようかと困っていた。
このまま入っていったら、僕が2人になってしまう。そうしたらきっとあの人は、もっと僕を恐れ、嫌うのだろう。
(それは……嫌だな)
まだ嫌だと感じることができる。心のどこかでは、まだ愛される可能性を捨てきれていないのだ。
だから踏み出せない。
僕は――家に背を向けて走り出した。
その日は公園の遊具の中で、小さな火を灯したまま眠った。
(温かい……)
でも僕が本当に望んでいた熱は、こんなものじゃなかったはずなのに。
翌日。
家に帰った僕は、あの人が亡くなったことを知った。
「――え……?」
「本当に何も知らないのか?! お前の母親が焼身自殺したんだぞ? お前は一体どこにいたんだ!?」
焦げた臭いが鼻をつく。それはあの人の臭いだったのだ。
「焼身…自殺?」
(どうして……)
何故あの人が死ぬんだ?
僕を殺すならともかく――
「あっ……」
「? どうした?」
「いえ、何でもありません」
僕は伯父さんにそうごまかしてから、家を離れた。近くにいたくなかったのだ。
(気づいてしまったから)
それから僕が何もしない間にも、死人を葬る儀式はとんとん拍子に進んでいった。誰も子供の僕には何も期待していない。その分楽なのは確かだった。
(僕は自分の心を整理することで精一杯)
まだ周りのことに気を配っている余裕はなかった。
無事に葬式までが終わり、黒い人々が建物から吐き出されてゆく。その中に混じっていた僕は、たった一人だけ紅い子供を見つけた。
それは他でもない――魅咲だ。
「僕を、殺そうとしたの?」
声の届く位置に、近づくなり口は動いていた。
(僕が気づいたこと)
魅咲はゆっくりと頷く。
「やっぱり……だから狂ってしまったんだね」
狂って、自滅してしまったんだ。
殺そうとした子供は、自分の息子ではなかったから。
「――哀しい?」
魅咲が僕の目を覗きこむようにして問った。僕は自然に、首を振っていた。
「あまり……哀しくはない。ただ永遠に可能性はなくなったんだって、わかっただけだから」
「可能性?」
「うん――」
口に出すのは少し恥ずかしかったけれど、僕はそれを口にした。僕を救ってくれた魅咲に、感謝をこめて。
「僕があの人に、愛される可能性、だよ」
どんなに疎まれていても、どんなにさけられても。それでも僕は、あの人が嫌いではなかった。
(いつか)
いつか僕のことをわかってくれたら。信じてくれたらいいと思っていた。
(僕はあなたを傷つけない)
この力は、そのための力じゃない。
そして僕は、あなたが嫌いじゃないよって。
「でも結局、僕は最後まで信じてもらえなかった」
それが確定しただけだ。だから哀しくない。
「そんなふうに、言い聞かせているの?」
「!」
不意に魅咲が、僕の目元に唇を寄せた。
「な…っ」
「うん、これも同じ味だ」
「み、み、み、みさ」
「哀しんでみてもいいんじゃないの? それがおまえの本心であるのなら」
耳元でそう告げると、今度は走り出した。
「魅咲ちゃん! 待って……っ」
僕は追いかける。黒い海を泳ぐ紅い魚を。けれどその魚は泳ぐのが速く、到底追いつけそうになかった。
(まだ伝えていない)
僕はまだ、伝えていないのに。
「――っありがとう!!」
届くかどうかもわからない距離を、思い切り叫んだ。
(君は何も言わず)
いつも僕を救ってくれた。
人ではないことは、薄々気づいてはいたけれど。
僕がこれまで自分を保ってこれたのは、魅咲の存在が大きいのだ。
そして魅咲がいなければ。
(あの人を殺していたのは)
僕だったのかもしれない。
だって僕はまだ、死にたくないから。
死なないためには、きっと殺すしかなかっただろう。
(あの人は)
最も恐れていた、炎に焼かれて死んだ。それも自分の意思で……?
「――きっとそうだ」
周りに聞こえぬよう、小さく呟いた。
(魅咲は殺したりなんかしない)
それをするならば、もっと早くにしていただろう。
だからきっと、あの人は自分の意思で死んだんだ。
(自分の意思で)
僕に殺されたんだ。
★
『哀しいか?』
あの時の、魅咲の言葉を思い出す。
哀しかったのか。
哀しくなかったのか。
すっかり”大人”になった歳の今でも、まだわからない。
(わからないのに、”子供”に答えを出せるはずはないな)
グラスを磨きながら、自然と口元が笑った。
「? 何笑ってるんですか、九尾さん」
カウンターに座っている馴染みの客が鋭く問いかける。
「いえ……ちょっと昔のことを、ね」
(おそらく)
私がこの力を持ち続ける限り、永遠に答えなど出ないのだろう。生き続ける限り。
――それとも。
あの時自分も知らぬまま流れていた涙が、すべてだったのだろうか――。
(終)
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