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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


白い畳まれ男



 そこには全てがあるはずだった。
 そして、それはもう手に入らない事……


 ■ACT:0■

 草間興信所のテーブルには、いつもの煙草の吸殻の山が無かった。
 訝しげに若き枢機卿はテーブルを見つめる。
「どうしたんですか……」
「何がだ……」
 書類に埋もれていた草間武彦は、相変わらず暢気に紅茶なんぞ啜っている友人へと、きつい視線を投げかけた。
 手伝いに来たのか、邪魔に来たのか分からない。呆れた視線で見つめてから、武彦は書類に目を通した。
「足りないな……」
「何がですか?」
「資料だ」
 そういうと、武彦は友人のユリウス・アレッサンドロ枢機卿にある写真を見せた。
 壁の隙間、5センチほどの所に隙間無く捻りこまれた、人体。
 打ちっぱなしのコンクリートの壁は赤く濡れている。
 眉を顰めて、ユリウスはその写真を見た。
 そんなユリウスに武彦は呟くように言った。
「この間、警察の方からこれが送られてきた……」
「警視庁の方からですか?」
「ああ……一般市民の俺にな…どう思う?」
「それは貴方の方が適任だから……なるほど」
「わかったか?」
 しきりに頷くユリウスに武彦はニッ…と笑って見せた。
「警視庁 第九十九課のお呼びらしいな…」
 そう言って、武彦は一同を見た。


 ■ACT:1■

 草間とユリウスに呼び出された一同は事務所に集まった時の状態のまま立ち尽くしていた。
「まぁ……」
 海原みなもは写真を見るなり、声を上げた。
 変死体の写真なぞ、中学生の見るような写真ではないが、ここでは年齢も経歴も関係ない。
 さすがに、此処に出入りするようになって多少慣れはしていたが、自分向きの仕事ではなかったような気がして、みなもは少し考え込んだ。
「大丈夫ですか、みなもさん」
 叙階一年目の若き神父、教皇庁のエクソシストであるヨハネ・ミケーレは少女の沈黙が気になって声を掛ける。
 それほど写真の中の死体は酷いものだった。
 器用に折りたたまれたシャツのように、人体は折られ、畳まれてビルの僅か5センチの隙間にびっしりと詰め込まれているのだ。
 血に濡れた手も脚も慎ましやかに覗いているだけで、何処となくオブジェのような上品ささえ感じる。
 人の形さえ残してなければ、モダンアートと言ってもいいぐらいだ。
 都会という白い入れ物に収められた人体。
 東京と人という、一見、哲学を表した彫刻のように見えなくも無い。
 しかし、それは悪魔の彫刻。
 刻まれたのは人の命なのだ。
 白と赤の対比が鮮やかな絵も、唾棄すべき存在であった。
 二人の隣でそれを見ていた漁火・汀は溜息を吐いた。
「何故、他の事ができないんでしょうね……こう言うことをする人は……」
 自身も芸術を嗜む身ゆえ、悲しみは大きかった。
「しかし…これは…」
 いぶかしむように眉を寄せて、宮小路・皇騎が言う。
 どう考えてもこのような隙間に人体を埋め込める怪力にしては不自然なところが多すぎた。
 皇騎は近づくと、「失礼…」と言って写真を借り受けようとした。
 みなもはそれを渡すと、隣に立って覗き込む。
「どうですか?」
「俺も…いいかな……」
 不意に御影・涼が声を掛けて手を上げた。
 聞こえてきた声に皇騎が顔を上げる。
「ん?……どうぞ」
「すまない……」
 涼は手に取ると、じっと眺めた。
 きっちりと関節に無理をさせずに、折りたたんだ人体の様子に涼は眉を潜める。
 折られ、つぶされて血こそ流れているものの、これほど綺麗に並べられた死体は見たことが無い。涼は思わず感嘆の声を上げた。
 医者を目指す自分としては、怪力で捻りこんだのでは?と思っていた考えが払拭される写真であった。
「どう思いますか、御影さん」
「どうって…普通の」
 いったん言葉を区切って、涼はもう一度口を開いた。
「犯罪者の手口に見えないな」
「そうですね……私にもそう見えます」
「だから…草間さんの所にこの写真が届けられたんでしょうね」
 ぽつりとヨハネは言った。
「まぁ、そういうことなら頑張らなくてはいけませんねぇ〜」
 いつもの調子でユリウスは言った。
 その言葉に勇気付けられて、ヨハネは顔を上げた。
「師匠…」
「はい、なんでしょう、ヨハネ君」
 首を傾けてユリウスは笑う。
「暢気すぎです、猊下。…ヨハネ神父、貴様が盾になるぐらいの根性を見せなくてどうする!」
 憧憬を込めた眼差しを師匠に向けていたヨハネの頭を、アリア・フェルミは容赦無くぶっ叩いた。
「くあッ!!」
 アリアの拳骨が見事に百会にヒットして、ヨハネは頭を抱えた。目の前に星が飛ぶ。
「鈍い! 訓練所に行って来るか?」
「…け…結構で…す…」
「まったく……」
「ヨハネ君、相変わらずですね〜☆」
「相変わらずは余計です、師匠…」
「あははー」
 そんなやり取りをしてはいるが、ヨハネの内心の方は切羽詰っていた。
 自分の実力で何処まで守れるのだろう。そう考えれば、胃も痛くなってきそうだった。

「これだけでは断言できませんし、これを預からせていただけませんか?」
 写真を見ていた皇騎は武彦に言った。
「何だって?」
 皇騎の申し出に、武彦は眉を上げる。
「コンピューターを使って画像処理を施そうと思います。丁度、当家で遺跡発掘用の画像処理ソフトと復元用のプログラムを開発していましたので……」
「そうか……遺跡用の復元処理専用コンピューターもあるってことか」
「そうです」
 武彦の質問に、皇騎は笑顔で答えた。
 3D解析用のコンピューターなら、然程、時間も掛からずに割り出せるだろう。
「わかった…君に頼もう」
 武彦は写真を皇騎に渡した。
 こと、コンピューターに関しては右に出るものは居ないであろう皇騎に渡しておけば、有力な情報が手に入るはず。
 柔らかな笑みを浮かべて、皇騎は武彦から写真を受け取った。
「ありがとうございます」
 ノートパソコンを入れたジェラルミンケースを開ければ、クリアファイルの中に写真を収めた。
「とりあえず、情報は多いほうがいいな……俺にさっきの資料を見せてくれませんか?」
 不意に柚品・弧月が言った。
「俺も今迄の情報から統計して、敵の条件を見つけようと思ってたんですよ」
 涼も言った。
 普段から使わせてもらっている端末なら、慣れていたし、解決の糸口も早く欲しかった。
 此処に居る全員は能力者だ。
 不安にならないわけは無いし、解決しなければ次は誰が狙われるか分からないのだ。
「え?…ああ……」
 写真以外の資料を求められて、武彦は柚品と涼に警察の作成した調査資料を渡してやった。
 二人は資料を眺めた。
 見れば見るほど不可解で状況がつかめない捜査の結果に、柚品は眉を潜める。
「これは……」
「多分、それは捜査一課の作成したものでしょう……ある意味、私たちには仕えない資料ですよ」
「な、何で……あ、貴方は?」
 一同が振り返れば、深遠に潜む輝石のような美貌を持つ人が立っていた。
 銀色の髪が背中で揺れている。
 黒いインバネスコートは舞い降りた死の鳥のようにも見えた。
 殆ど視力を持たぬ瞳はじっと部屋の様子を窺っているようでもある。
 静かな声が部屋を満たした。
「常識など、目の前にある事象の前には何の役にも立たない」
「確かに……そうです、リンスター総帥。…いえ、ミスター・セレスティ・カーニンガム」
 静寂に満ちた部屋の空気を乱さぬように、皇騎が告げた。
 無言で相手は頷く。
「いかにも……初めまして、ミスター・コウキ・ミヤコウジ。私がカーニンガムですが……どうして分かったのですか?」
「貴方は有名ですよ、ミスター・カーニンガム。そして貴方も…よくご存知で」
「さすがの情報網です」
 そう言って、セレスティは拍手をした。
「私は貴方を知っていますよ、日本有数の一族の次代の長をね…」
 優雅で隙の無い所作は飾ったような感じを一切させない。
 皇騎は頭を下げた。
「犯人は腕力に秀でた者かも知れませんね、普通だと」
「普通の相手だと……思いますか?」
 みなもはセレスティに訊ねた。
 ゆるりと首を振ってセレスティは笑いかける。
「レディー……この街に常識はナンセンスですよ」
「そうですけども……」
「失礼…ミスター・カーニンガム。その御足で来たわけではありませんよね?」
 ヨハネは杖を見て、セレスティに話し掛けた。
 杖をついた細い足では、此処まで歩いてくる事は困難だろう。
 セレスティはニッコリと微笑む
「ええ、勿論ですよ。神父様……車です」
 車と聞くや、ユリウスは暫し考え込んだ。
 仮にも財閥の総帥が乗る車となれば、車種は決まってくる。
「まさか、この近所に置いてあるのでは?」
 横槍を入れるようかと思ったが、ユリウスはあえてセレスティに聞いてみた。
「えぇ…運転手がいますし、問題は無いでしょう」
「そういうことではなくてですね……」
「普通の駐車場では置けるような場所は無いでしょうし……私の家の駐車場に置きますか?」
 ユリウスの言いたい事が分かって、皇騎は言った。
 多分、近隣の人々が騒ぐであろうことを気にしているが分かっていたのだ。
 ゆったりと微笑みながら、皇騎は提案する。
「私もこれから解析しなければいけませんし、よろしければ誘導いたしますよ?」
「そうですね…ミスター・ミヤコウジ。よろしくお願いいたします」
「お茶でも如何ですか? 茶会に招待いたします」
 ニッコリと微笑んで皇騎は言った。
「お茶? いいですねー☆」
 横から顔を出すようにユリウスが言う。
「猊下……子供のような真似をなさらないで下さい」
 アリアがじと〜〜っと言った目でユリウスを睨む。
「私が何か……私は作戦を、ですねぇ」
「お菓子が目的でしょうに」
「ぐぅッ…」
「却下です、猊下。夕べの祈りまでに時間が無いと言うのに、精神統一もせずに望む気ですか?」
「そ……それは、ヨハネ君に…」
「若輩者には、『ま・だ』早うございます」
「ですがねぇ……」
「まだ何かございますか?」
 アリアは鉄鋼弾を仕込んだ銃を下げた腰のホルスターを叩いて、ニッコリと微笑んだ。
「わかりましたってばー」
 しおしおと項垂れるとユリウスは引っ込む。
 それを見て武彦は笑った。

   *   *   *   *   *   *   *   *

『新たなる目標を発見……』
 それは呟いた。
 暗い部屋の中で、幾つものモニターに草間興信所内が映っていた。
 それにはいくつものコードが束になって繋がっている。
『目標:草間興信所調査員8名』
 感情の無い声が辺りに響く。
 見つめつづける存在があることなど。一同は考えてもいなかった。


 ■ACT:2■

 皇騎がセレスティと一緒に去っていくと、再び一同は資料集めを始めた。
 草間興信所でネット検索するのは、涼。
 資料の検分は柚品。
 みなもとヨハネは引き続き、その手の能力を持つ者の割り出しに躍起になっていた。
 アリアは変死体の調査に乗り出し、被害者の能力や交友関係と現場の再調査に向かう。
 サイコメトリーでの調査を希望した柚品と共に現場に急行していった。その上で、似たような事件が過去に起きていないか教皇庁第二法廷会情報U部に緊急コールをかけるつもりでいるのだ。
 あとは、警視庁九十九課のデータバンクからも調べて、敵の能力を予測するという算段だ。

「あ……あの人呼ぶんですか?」
 思わずヨハネの声が震えた。
 九十九課との交渉をアリアに命じられたヨハネは真っ青になっていた。
「現場責任者の塔乃院を呼ばないでどうするんだ」
「…う……」
「くだらない事を言っている暇があったら電話せんか!」
「す…すみませーん……」
「まったく……」
 にべもなく切り捨てると、アリアは柚品と一緒に出て行こうとする。
 ヨハネの様子に柚品は心配げな目を向けたが、塔乃院なる人物に会った事の無い自分としては掛けてやる言葉も見つからない。
 何も言わずドアを開けて出て行った。


 現場は六本木駅からすぐ、交差点から裏道に入って300Mぐらいのところだった。柚品はスティード400VCLを走らせ現場へ向かう。
 アリアはランボルギーニーのガヤルドで六本木通りに急行した。
 外交官でもあるアリアに与えられたのものでもあるが、黒い機体が何処となく彼女の持つ使命のようにも感じられて、柚品は無口になる。アリアの方も交差点で車を停車させても、隣に停車している柚品に声を掛けなかった。
 冷たい風がアリアと柚品の間をすり抜けてゆく。
 全開にしたウィンドウの肘を乗せて信号が変わるのを待つ視線の方が、秋の冷たさよりも冴え冴えとしていて、月のほうがまだ暖かないのではないかと、柚品は考えた。
 交差点では警察官が道行く人々に冷たい視線を向けている。
 街全体は異様な緊迫感に満ちているような気がしてきて、柚品は人知れず溜息をついた。
 今回の事件現場は麻布署の真裏だったために、警察側はピリピリしているのだろう。
 警官と通行人の間に流れる雰囲気から伝わってくるようだった。
 信号が変わればグリップを握りなおし、ゆっくりと走らせた。
 麻布署の近くにスティードを駐輪すれば、アリアは堂々と警察署の斜め前にその黒い機体を停めた。
 警備の任務についている警察官がこちらを睨む。
 案の定、アリアの方に歩いていって文句を言い始めた。
「此処を何処だと思っているんだ!」
「麻布署の前だ」
「なんだと! 分かっているなら……」
「呼んだのはそちら、警察の方だ」
「何ッ!!」
 警察官が叫んで、ガヤルドのボディーを叩こうとする。
 その手を不意に誰かが掴んだ。
「やめておけ……この先、お前が出世したいならな」
 よく通る低めの声に、アリアと若い警察官は顔を上げた。
 腰まである長い髪の男が立っている。
 いつものサングラスを外した相手にアリアは何と無しに視線を投げた。
 相変わらずの様子にアリアは溜息を吐く。
 ファーのついた皮のジャケットにブラックジーンズ姿という、刑事に似合わぬ姿の相手は塔乃院・影盛、その人であった。
「元気そうで何よりだ……とでも?」
 異教徒め…と自分が言わないだけマシだと思えと、アリアは思う。
「お前にそんなことは望まないさ」
「フンッ……」
「チビから連絡があった」
「チビ?」
 思い当たるフシが無くて、アリアは訊き返す。
 ニッと笑うと、塔乃院は『ヨハネ…だったか?』と言った。
 名から、アリアは自分の後輩を思い出すが、どう考えてもチビには見えない。
 眉を寄せて塔乃院を見た。
 どちらかといえば見るというより、睨んでいるとも感じれる瞳を見つめ返して笑う。
「デカイが…中身はチビだな、俺にとっては……」
 しれっと言うなり、警察官の手を離した。
 ニヤッと笑うと、警官に囁いた。
「俺の顔ぐらい覚えておけ。仮にも俺はお前の『上司』だ」
「な…何?」
「今後が楽しみだな。精々、頑張って出世しろ」
 それだけ言うと塔乃院は歩き始めた。
「何処へ行く、塔乃院」
「現場だ。置いていくぞ……」
「くッ!」
 アリアは舌打ちすると、キーを引き抜き、ドアを閉めるとガヤルドをロックした。
 呆然と二人を見遣る若い警官を無視して、塔乃院の後を追いかけた。その後に柚品が続く。
 駅前のポンパドールを過ぎ、交差点の喫茶店の横の道を入ってゆく。
 白い壁のマンションに辿り着くと、警官が何人も警護していた。ロープを越えて、一面に張られた青いシートを跳ね除けて、塔乃院は進んでいった。
 二人も後に続く。
 
「な…何ですかこれは…」
 思わず柚品は呟いた
 写真の方がまだマシだった。
 カメラというフィルターに掛けられた現実は、まだ受け入れる余地があるというものだ。
 しかし、眼前に繰り広げられた現場はそれを凌駕している。
 きっちりと畳まれた人体はどう見ても押し込まれたもののようには見えない。なのに、隙間無く人体であったそれは、そこに存在していた。
 夥しい血は辺りを赤く染めて、かつて平和であった空間を異臭が不穏な色に染め上げている。
 正視に堪えがたい光景であった。
 まだ触っていないのに、サイコメトリング能力は動き始めている。
 何事かが自分の中に入り込もうとしていた。

 事象。
 過去。
 遺恨。

 そういった何かが、柚品を揺さぶる。
 目眩を感じて、柚品は溜息を吐いた。
 恐る恐る手を伸ばす。事象が自分を呼んでいた。

 不意に込み上げる、威圧感と嘔吐感を堪えれば目の前に飛び込んできたのは白い影。
 逆光により顔ははっきりと見えない。白く見えるのは、体を覆う着衣の所為だろうか。
 幾人もの男たち、能力者たちが繰り広げた戦闘が瞼の裏に映る。
 一つ一つ追って行けば、白い男は男たちを掴み上げた。

―― な…何??

 視界の向こうに見えた影は人を掴んだが、ビルの隙間に押し込めはしなかった。
 しかし、もう一度、柚品がその影…多分、まだ若い男であろう人物の手元を見たが、瞬間、何かが走って見ることが出来なかった。
 何度もトライしたが見えない。
 十人は居たであろう能力者が一人一人捕らえられ、掴んだ瞬間手元は見えなくなり、またビルが赤く染まっていった。
 これでは犯人を捕まえようが無い。
 呆然と柚品は立ち尽くした。

―― ん?……

 ふと、脳裏に過ぎった残像を追う。
 闇夜をバックに逆光を浴びた背中が、くるっと振り返ってビルに近づいていく。
 男はビルにこびり付いた血を舌で舐めると、こちらを見た。

―― え?

 爬虫類を連想させるような男の目が自分を捕らえた。
 柚品はそう思った。
 
―― だ…ダメだ……

 男の手が自分の方に向けられる。
 細い目がじぃとこちらを見据え、更に目が細められる。笑ったのかもしれない。
 胸の奥に重いものが落ち込んでいくような感覚を感じれば、見ているだけのはずの自分の足が動かなくなる。

―― 逃げられ…ない……

 そう思った刹那、肩を掴まれて柚品は息を呑んだ。
「…あ……」
「どうした…顔が蒼いぞ」
 建物を凝視したまま動かなくなった柚品をいぶかしんだアリアは声を掛ける。
 目の前から消えた街の記憶の残像から離れて、現実社会がクローズアップされれば柚品はホッと溜息を吐いた。
「すみません…」
「具合でも悪いのか?」
 いかにも健康そうな柚品の表情に影が落ちているのを見れば、気になるのか、アリアは柚品を見つめた。
「いいえ……」
 力無く柚品は首を振った。
「犯人か?」
「え?」
 アリアの言葉に柚品は顔を上げた。
 じっとりと汗をかいた額を柚品は拭う。
 ゆっくりと話し始めた。
「白い…」
「白い?」
「白い服を着ていたようです…肌も白くって。…蛇…白い蛇みたいな…」
「蛇みたいな男?」
「えぇ…相手を掴んだところまでは見えるんです。その後が…見えない。こんな事は今までになかったのに…」
「あんな怪力なら見えないはずは無いだろうに」
「いいえ…怪力を使っていない…みたいです」
「何?」
 柚品の言葉にアリアはじっと見た。
「掴んでは消えるんです。ビジョンが消えて見えないのかと思いましたが…あれはそうじゃない。『きえている』んです…きっと」
「そうか…なら、納得がいくな」
 不意に塔乃院が声を掛けた。
 調査書をアリアに見せる。
 アリアはそれを見ると目を見張った。
 能力者のターゲットは無差別でISOのメンバーも入っていた。
 勿論、巷のミニ超能力者も居れば、政界の人間もいた。
 無駄に幅広い層の能力者がリストアップされていて、これが被害者ではなく、これから被害に会うであろう予想された人物達ではないのかとアリアは思ってしまう。
 調査書を見ても、接触の後はほぼ見えず、残った足跡からは短距離での攻撃と分かったものの、肉体攻撃はビルの間に挟まれてグシャグシャになっていては分かろうはずも無かった。
 無論、精神攻撃などの攻撃予測もしてみたが、肝心の脳も破壊されては調べようも無い。
 相手の狙いを予測してみようと思うものの、被害者と同様の能力保持者など探せばいくらでも居た。
 被害者の家族、親戚、友人、殺害現場周辺をマークして敵の出方を待つにしても家族のいない者もいた。殺された人間達のつながりは『能力者』と言う接点だけで、所属する組織でさえバラバラだった。
 溜息を吐くと、塔乃院は部下達に何事かを伝えた。
 調査書類をファイルに詰め込むと声を掛けてくる。
「他の連中の情報と照らし合わせよう…ここにいても始まらんだろうしな」
「それには同意できる。行こうか……塔乃院」
「俺もそう思います……」
 汗を拭うと柚品も頷いた。
 三人は再び警察署の方に歩いていくと、草間興信所の方に戻る事にした。


 ■ACT:3■


 一方、ヨハネ、みなも、涼、汀の四人は草間興信所で待つことにし、皇騎とセレスティが戻ってきてから、興信所にある情報のみで検討していた。
 丁度、帰ってきた柚品、アリア、塔乃院の三人のもたらした情報をまとめて吟味する。
 解析結果から犯行の再現シミュレーションを試みるが、いまいち資料が少ない。
 画像処理されたものを見ても、柚品が感じた感想に使い結果をはじき出していた。

 答えは一つ。
 怪力を持ってして、起きた事件ではないという事だったという事になる。

 では相手も能力者ということになろうか。
 しかし、考えれば考えるほどどういう能力なのかもわからずに迷宮に入り込んでしまった。
 仕方なく、考えられるだけの装備を身につけて捜査に当たる事にした。

「能力者というだけで狩る方々が多いですから、そういった方々かもしれませんね。そうなると無差別に近い行動ですから……難しい」
 みなもがポツリと呟く。
「そうですね。本家にも心当たり…つまり、似たケースなどがないかの調査を依頼しましたが、ここ最近の資料では無いとの返事でしたね。力に溺れた殺人狂の仕業とも考えてはいますが…柚品さんのほうはどうでした?」
「え…俺…ですか?」
 ふいに皇騎に声を掛けられて、考えこんでいた柚品は顔を上げた。
「さっき、話したとおりですよ。……見えなかった」
「見えない……」
 暫し沈黙すると皇騎は携帯を取り出し、メールを打ち始めた。
「さて、宮小路の次代の長が動いたとなれば、私も動きましょう」
 そう言うとセレスティも携帯を取り出し、メールを送る。
 それを見ていた塔乃院はセレスティの近くに歩いていった。
「どうかされましたか?」
「貴方に頼みたい事がある」
「頼み……ですか」
「ああ…。警察と言えどもすぐに武器が手に入るわけじゃない。ニューナンブで倒せる相手じゃないしな」
 自嘲気味に笑うと、小さく溜息を吐く。
 セレスティはそれを聞くと頷いた。
 武器ならば自衛隊から調達すればいいが、弾数を数えて書類にしている場所から借り受けている暇などあるわけはない。
 もし、これだけの能力がある人間が一人ではなかったとしたら、今の状態ではとんでもない事になるだろう。
 明らかに強力な武器が足りなかった。
 塔乃院はメモをセレスティに渡す。
「これが必要な武器のリストだ…足りるかどうかは知らん」
「手に入らなかったら?」
「さあな……神にでも祈れ」
 忌々しげに塔乃院は言った。
 その言葉にアリアが睨む。
 塔乃院は一瞥しただけで何も言わない。
「異教徒め!」
「言うな……俺にとってもお前は異教徒だ。今はそんなことを論じても仕方が無い」
「まあまあ、アリアさん…仕方ないのですよ、この状況では」
 セレスティは言うと携帯で執事の一人を呼んだ。
 そのメモを渡すと、ごく短い言葉で命令し、執事を行かせる。
「でも……いつ敵が襲ってくるかわからないのでしたら、僕たちは動けないじゃないですか」
 ヨハネが何か考えながら言った。
 決定的な手懸かりが得られなかった現在としては動きようが無い。
 しかし、こうしている間にも次の犠牲者が現れる事は間違いが無かった。
「手が無いのかな……」
 ヨハネは呟いた。
「仕方ありませんねぇ…」
 じっと、皆の様子を眺めていたユリウスが口を開いた。
「私が囮になりますよ」
「「だっ、ダメですッ!!」」
 アリアとヨハネが同時に叫んだ。
「危ないですよ、師匠!」
「な…何を考えていらっしゃるのですか、猊下ッ!!」
「いつ現れるかもわからない敵ですよ?」
 のんびりと言った風にユリウスは言った。
 その言葉に二人は黙り込む。
「埒があきませんからね、さっさか倒してしまいましょうか」
 カップ片手に優雅に微笑むユリウスを見て、ヨハネはへなへなと座り込んだ。
「おやおや、ヨハネ君大丈夫ですか?」
 クスッと笑って言うユリウスを恨めしそうな顔でヨハネは見上げた。
「しかし、ユリウスさん。一人では危なくありませんか?」
 汀が堪り兼ねて言う。
「どうするんですか。貴方一人では……」
「いえいえ、ヨハネ君にも居て貰いますよ、勿論……ね?」
「えええええええッ!」
 いきなり名を呼ばれてヨハネは飛び上がった。
「でで…でもッ!」
「私がいますから」
「師匠〜〜〜ぅ……」
 情けない声を出してヨハネはユリウスを見た。
 瞬間、アリアがぺちッ!とヨハネの頭を叩く。
「お前はそれでも弟子かッ!! …今回、無事に解決したらトスカーナへ行ってこい」
 氷よりも冷たい声がヨハネに告げられた。
「先輩ぃ……」
「まあまあ、アリアさんも怒らない怒らない。とりあえず、囮になる人間が引きつけておいて、遠方から攻撃と言うのはどうでしょう?」
 ユリウスに提案に汀は頷いた。
「なら、私も行きますよ。二人じゃ危ないですし」
「伯爵様、私も行きます!」
 みなもが身を乗り出して言う。
 伯爵って誰だろう…とヨハネはいぶかしんでみなもを見た。
 みなもが勘違いしたままそう呼んでいるのだが、ユリウスの方は一向に気にせずにいるようだ。
「では、私とヨハネ君。汀さんとみなもさんの四人でいいですか?」
「俺も行くよ」
 そう言って、涼が手を上げた。
「私も行きます」
 皇騎も手を上げた。続いてセレスティも挙手する。
「決まりですね」
 ユリウスはニッコリ笑うと、アリアの方を見る。
 穏やかに微笑む瞳には決意の光があった。


 ■ACT:4■

 ユリウス・ヨハネ・みなも・涼・汀・セレスティ・皇騎・柚品の総勢8名が先程の現場に向かった。
 塔乃院の連絡で辺り一帯の交通網は封鎖されている。
 汀は風を使って現場付近のうわさや精霊たちの言葉を聞いていた。
 出来うる限り単独行動を避けるよう忠告し、汀は辺りに気を配る。
 いつ襲撃がくるのかわからないからだ。
 アリアは少し離れたところで様子を窺っている。
 塔乃院はセレスティに注文していた武器を取りに行っていた。
 現場付近に敵の手下あたりが張っているだろうと思っていたが、辺りは静かだった。
 ロールスロイス・シルバードーンから降りたセレスティは見渡しの良い場所に立つ。
 脚が弱いためにステッキを使って歩いていた。
 心配した執事が車を傍に停車したままでいたが、皇騎に注意されてしぶしぶ車を動かす。
 常人である執事は、傍にいると巻き添えを食らって死んでしまう恐れがあるからだ。
 アリアのガヤルドも麻布署の前に置いてきてある。
 そこへ持っていくようにと執事に指示すると、皇騎は定位置に戻ってきた。
 徐々に準備が整ってゆけば、緊張がいや増した。
 何処から来るか分からなければ、何人に襲撃されるか分からない。
 みなもはハーフコートの前をかき合せた。
 渡されたSIG226の重みを感じながら、みなもは溜息をついた。
 命中精度の良さから渡されたものだが、できれば使いたくない。
 瞳を伏せると高鳴る動悸を押さえようとした。
 真夜中に向かう時間が更に都会の空気を冷やしてゆく。
 白い息は凍えそうな空間を彩った。
 手の中の霊水の瓶を握り締める。
 黙したまま時間が過ぎるのを待つ。
 誰もが同じ気持ちだった。

 塔乃院からの連絡も来ない。
 セレスティの手の者も音一つさせずに忍んでいる。

 ユリウスも語らぬまま、遠くを見つめていた。
 ヨハネはカソックの上にロングコートを羽織って、手の中の『糸』を握り絞めている。
 闘いの前というこの呪縛から開放されるには、闘い始めるか、敗北するかの二つしかないのだ。
 自分達がどちらになるのか。
 考えても詮無い事と知りつつも、考えるしか自分達には残されていなかった。

 カツッ!

 何かが弾けた。

 ゆっくりと時間が流れる。

 炎。

 ヨハネは炎を見た。

「…ぁ……」

 漏れたのは誰の声だったのか。


 何かが辺りを揺らした。
 それが音だと気がついたのは、ユリウスの魔法に助けられたときだった。
「師匠ッ!!」
 自分を突き飛ばして立ちはだかった師の姿を仰ぐ。
 眼前で紅蓮の炎が弾け飛んでいた。
 何もかもがオレンジ色に染まっている。
 視神経を焼くような強烈な光にヨハネは目を細めた。
 色素の薄い瞳を持つ彼は、明るい光に晒されれば簡単に視界を奪われる。光をより多く感じる事のできる瞳は夜目には強くても、明るい光には弱いのだ。
 ユリウスも目を細めた。
 直に喰らって目は殆ど見えてはいないだろう。
 瞬間、破裂するような音が遠くで響いた。
 炎は消え、辺りは再び闇色に染まる。
「あ…あれは?」
 柚品は振り返って見た先にある人影に目を奪われた。
 皇騎、涼もそれに気がついて凝視した。
 街燈の光を跳ね返して光るボディーはどう見ても機械人間としか思えない。
 そのメタルボディから白い煙が上がっている。
「我輩を撃ったのは貴様らか?」
 それは言った。
 よどみない流暢な日本語…いや、人語だった。
 白煙は胸と肩から上がっていた。
「だ…誰だ……」
「我輩に名など無い。大型自動人形・ベヘモス改と呼ばれておる。邪魔者ども……死ね」
 冷え冷えと言うと、ヘベモス改は突進した。
「ヘベモス…虚無の境界!!」
 ユリウスは叫んだ。
「ヨハネ君逃げなさい!!」
 朧な視界をはっきりさせようとユリウスは目を擦った。
 視界が戻れば、詠唱無しで魔法陣を成立させ、防護ネット代わりに叩き付ける。
 地底からサルベージされ、いくつもの弱点を軽くクリアした機体はそのまま突進をしようと試みる。一同が体勢を整えている間に、何処からかまた弾け飛ぶ音が聞こえ、ヘベモス改のボディーに当たった。
 アリアはハッとなり、銃を握ると遠距離から鉄鋼弾を打ち込んだ。
 遠くから聞こえる破裂音を聞けば、バレットM82A−1の銃声だと分かる。
 作動性には優れていて、反動も意外にマイルドな最強力の50口径ライフルだか、如何せん10倍の固定式ミリタリースコープを精確に照準するのが難しいものだった。
 いくら明るい都会とはいえ、夜に撃つのは困難だ。
 撃っているのは、おそらく塔乃院だろう。
 確実に関節などの可動部を狙って被弾させている腕前に感嘆した。
 苦々しい思いと共に、アリアの顔に苦笑が浮かぶ。
「異教徒め……」
 フッと口角を上げると、アリアは鉄鋼弾を打ち込んだ。
 早くこいつを壊してしまわなければならない。
 千切れかかった魔法陣が消える前に、機動性能を落としてしまわなければ、自分達が全滅する。
「無駄無駄ぁああああッ!!!!」
 ヘベモス改が獅子の如く咆哮(ほえ)た。
 マシンが軋む音を上げてフルドライブ状態に突入する。
 ビルの上から白い紙が辺りに撒き散った。
 不意に振ってきたそれに一同が視線を向けるや、それは子鬼へと変化する。
「くッ!!! こんなときに!!」
 皇騎は叫んだ。

 撒き散らされたのは、符。
 多分、あの女の……呪歌使いの紫祁音(しきね)のもの。
 皇騎は呪歌使い対策用に本家から取り寄せておいた、『清音の鈴』を紫の布袋から取り出した。
 同時に汀の方を見る。
 同じ呪歌使いの汀に目配せすれば、頷いてこちらのほうに走り寄って来た。
「待たぬか小童ども!!!」
 汀の通り過ぎた後の空間をチャージ無しのブラスターショットが焼く。
「また会ったわね……神父様?」
 紙ふぶきと子鬼を従えて、黒くしなやかな人影が闇から現れる。
 豊かな肢体を黒衣に包んだ女は、相変わらず嫣然と微笑んでいた。
「これは…貴女のモノですか?」
 ユリウスは静かに言った。
 見つめる瞳に冷たい色が踊る。
 ヘベモス改を指して言う声には感情を感じられない。
「知らないわね……まぁ、都合がいいから見物させてもらったけど」
「けひひッ!! そんな事よか、早く殺っちまおうぜぇ〜?」
 紫祁音の後から声が聞こえた。
 ゆらりと体を揺らして白いものが現れた。
「きひッ! 今日の獲物かあ」
「もう少しお待ちなさい、品の無い…」
 紫祁音が呆れて言う。
 男はぺシッっと毛髪一本も無い頭を叩いた。
 異様に長い手足に真っ白で皺だらけの肌。赤い瞳の男は長い舌を覗かせて、舐めるような視線で獲物を見た。
「遊んでも良いんだろお? 暇だよー、玩具をくれよ〜…ひ、ひひッ!」
「仕方ないわね……好きにしていいわ」
 何の感慨も無いといった風に言えば、紫祁音は顎をしゃくった。
 一斉に子鬼が襲い掛かる。その間を縫うように白い男が走り、長い手足を使って跳躍した。
「きゃはは〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
「喰らえッ!」
 柚品が神聖銀手甲(ガントレット)をつけた腕を振るう。一撃をお見舞いしようと腕を上げた瞬間、柚品を銃声が襲った。
 かろうじて避けつつ、白い男の脚を払う。
 柚品のよろけた体をヨハネの『糸』が支えて逃がした。
「くぉおおおおおおッ!!」
 唸りを上げるヘベモス改の機体が、白煙を噴出しながら魔法陣を切り裂く。
 アリアはすかさず鉄鋼弾を打ち込んで、バランスを崩させようと試みた。
 しかし、よろける事無く魔法陣をぶち破ったヘベモス改は、近くにいたみなもに手を伸ばす。
「きゃああっ!」
 走った痛みに思わずみなもは叫ぶ。
 精密重機械の作り出すバランスは見事で、コンマ数秒でヘベモス改は体勢を整えた。
 瞬時にみなもの身体を掴むと、柚品のいる方向に投げつける。
 支えていたヨハネも一緒にもんどりうって地面に倒れた。
「わあッ!」
「鈍い、馬鹿者ッ!!」
 アリアの叱咤が飛ぶ。
 呪式鉄鋼弾を詰め込むとヘベモス改の胸板に撃ちこんだ。
 流石に教皇庁呪式兵器開発部の特製鉄鋼弾は易々とヘベモス改の装甲を撃ち砕く。
 忌々しげに紫祁音は舌打ちする。
 紫祁音は胸のポケットから銀のプレートを取り出すとアリアの方に投げた。
 乾いた音をさせながらプレートがアスファルトの上を滑ってゆく。
「死んでおしまいなさい……」
「何ッ!!?」
 告げられた言葉の後、それは辺りを満たした。
 奔流というに相応しい殺意の音がプレートから流れ出ては襲い掛かる。
 紡がれる言葉と音は無間地獄の威圧感を持って責めてきた。
 切り裂かれる漂泊の魂の叫びにも似た音に、アリアは歯を食いしばる。
「くぁあッ!!」
「ぎゃあああああああッ!!」
 音に敏感なヨハネは歌の意思に切り刻まれて叫び声を上げた。
「ぐうッ…」
 セレスティは自分の指を噛み切ると、流れ出る血を針に変化させて紫祁音に投じた。
「敵対の意志を見せるのでしたら、容赦はしませんよ!」
 意識を集中すれば相手の血液を支配下に置こうと睨み据える。
 しかし、紫祁音は微笑を向けるだけだ。
「甘い……」
 そう言うと子鬼達を嗾けた。
「消しておしまいなさい……何もかもッ!!」
 幾千の符が襲う。
 支配そのものを受けぬ女の言葉は全てのものに響いていった。
 周囲の木々を枯らせ、心を殺し萎えさせる言葉。
 震える脚を踏み出せば、皇騎はその間をすり抜けて行く。
 抜ければ皇騎は『清音の鈴』を鳴らした。
 一瞬、調和された音が辺りを静める。それに乗じて汀が歌い始めた。
 紡がれる神の愛の歌が邪悪なる思いを打ち砕く。
 運命を切り開くような力強い旋律と言葉。
 鈴の音もその力を強めた。
「くッ! 小癪な!!」
 符を投じようと腕を上げる。

 パアンッ!

 音が弾けると、紫祁音の腕が下がった。
 睨み据えた視線の席を見れば、あの男が立っている。
 紫祁音の腕が赤く染まっていた。しかし、微笑む表情に余裕さえ窺える。
 44マグナムは容赦無く、かつての部下を狙っていた。
 語る言葉など要らぬと塔乃院は口を開かない。
 一方、皇騎は名刀『髭切』と不動明王の『羂索』を喚び出し、向かってくる子鬼を切り裂いていた。
 涼も全力をもって『正神丙霊刀・黄天』を具現化して全力で闘っている。
 二人掛かりで戦力を削ぐのに必死だった。
「でやああああッ!」
「ひゃはッ! うひひひッ!!」 
 大喜びで白い男は飛び掛ってきた。
 まるで子供が虫を追い掛け回すかのように、細く長い手で二人を捕まえようする。
 援護しようと柚品が走っていくと、神聖銀手甲を纏わせた拳を振るおうとした。
 そこに一発の銃弾がアスファルトを削っていく。
 思わず柚品は避けた。
 塔乃院の44マグナムがこちらに向いている。
「そいつに触るんじゃない!!」
「何ッ!!」
「『触らせてはいけない』んだッ!!」
「あ!」
 不意にサイコメトリーの記憶が蘇る。
 掴めば消えるというあの映像の謎がカチリと鍵穴にはまる。
「そうか!!」
 プレスさせてではなく、そこに『送り込む』のが殺害方法だったのだ。
 分かった事で、柚品の瞳に光が宿った。
 しかし、どうやったらいいのか。
 柚品は周りを見渡した。
 聞いていたみなもは、立ち上がって柚品に言う。
「あたしが行きますッ!」
「待て!」
「いい方法があるんです」
 みなもはそう言うとセレスティの方に走ってゆく。
「セレスティさん!」
「レディー?」
「手伝って……いいえ、『手伝います』!!!」
「何?」
 ニコリと笑うと、みなもは彼に手早く説明した。
 男の動きを牽制する三人の動きにも限界が来ている。
 セレスティは頷くとみなもの手を取った。
「覚悟!!」
 みなもは叫ぶと霊水を撒く。人魚の力を発動させると霊水はキラキラと輝きを増した。
「君は……君もか?」
 目を見張ったセレスティは、じっとみなもを見つめた。
 そんな相手の様子にみなもはニコッと笑う。
 みなもとセレスティの水を操る力が男の血液を支配した。 
「ぐ…ぎ…があああッ!!」
 男はもがき始め、暴れる。
 苦し紛れに男はあたりのものを叩いた。瞬時に、見えない何かで削り取られ、アスファルトの道路が抉り取られる。
 更に力を解放してゆくセレスティの横顔を見つめていたみなもは、小さな悲鳴を上げた。
「ダメッ!!」
「我、愛する同胞に手を上げた事を後悔するといい」
「やめて下さい!!」
「ぎやあああああああああああああッ!!!!!」
 みなもが叫んだ声はセレスティに届かず、白い男は血の流れを止められて絶命した。


「何が望みだ、紫祁音!!」
「そこには全てがあるはずだった。そして、それはもう手に入らない事……」
「意味が分からん!」
「分からなくて結構よ!」
 折った鶴を投げれば、羽の生えた鬼の形になり、塔乃院を襲う。
 手刀の一閃から炎が生じ、投げかけられた符が炎の内に飲み込まれていく。
 片手は動きかけていたヘベモス改に弾をぶち込んだ。
 衝撃でヘベモスの機体が跳ね上がり、火花が散る。
 大人しくなれば、塔乃院は紫祁音に向き合って黒い符を投げつけた。
 肌の黒い神人に変じた符の攻撃を避けながら紫祁音は後に飛び退いた。
 その刹那、地面は神人の豪腕に削り取られていく。
 倒れていたヨハネが起き上がり、紫祁音に『糸』を投げつけるが、避けられてヨハネは眉をひそめた。
「何処に行っても交わる事のない存在はあるのよ……」
 眉を顰めて言うと、紫祁音は背を向けた。
 数千という符を投げつけて紫祁音は闇に紛れる。
「待てッ!!」
 叫んだが残された符に阻まれて前に進めない。
 舌打ちすると印を結ぶ。
 手のひらに炎が生じた。塔乃院はそこに舞う符を全て焼き尽くした。

 足元に転がった抜け殻は、血の流れを止められて横たわっていた。
 かつて、呪符であった灰が、風に吹かれてアスファルトを転がるっていく。
 闇に消えた支配を受けぬ女は行き先さえも案じてもらえぬままに、夜は寒さを増していた。

 柚品はあの白いビルを見た。
 凄惨な現場は事件が解決しても、依然と空間を朱に染めている。
 横たわった狂人の骸を嘲笑う事も無く、静寂に満ちていた。
 この男が望んだ事も、あの女が奪ったものの意味も分からぬまま、警官たちは駆けつけてきた。

 鳴らされないサイレンが耳奥に響くのは何故だろうか?

 響いた銃声も、聞こえなかった怨嗟の声も全ては闇が飲み込んだまま、空は夜明けに向かっている。
 事件の真相は掴んでも、分からない事は消えぬまま。

 そこには全てがあるはずだった。

 これからやってくる朝と全てのものに与えられた夜と過去。
 
 街角に消えた、命。

 続くはずだった、未来。

 そして、それはもう手に入らない事……


 ■END■



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1883 /セレスティ・カーニンガム /男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

1998/漁火・汀 /男/ 285歳 /画家、風使い、武芸者

2055/大型自動人形・ベヘモス改/男/35歳 /虚無の境界所属自動人形

0979/アリア・フェルミ/女/28歳/外交官(武装異端審問官)

1582/柚品・弧月  /男/22歳/大学生

0461/宮小路・皇騎 / 男 / 20歳 /大学生(財閥御曹司・陰陽師)

1286/ヨハネ・ミケーレ / 男 / 19歳 /教皇庁公認エクソシスト(神父)

1831/御影・涼 / 男 / 19歳 /大学生兼探偵助手

1252/海原・みあお / 女 / 13歳 /中学生
   

               (年 齢 順)

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■         ライター通信          ■
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 こんにちわお世話になっております。
 朧月幻尉で御座います。

 今回は随分と長い話になってしまいましたが、如何でしたでしょうか?
 お楽しみいただけたら幸いです。

               朧月幻尉 拝