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<東京怪談ノベル(シングル)>


2冊目の裏表紙


 海原みたまは、いつも世界の影を見る。
 太陽が照りつける昼間であっても、彼女は影と対峙する。
 影を追いつめ、消し飛ばすこともある。
 光があれば影は必ず生まれてしまうことに気づいていても、みたまは影を憎むのだ。それは影の中に生きている自分を否定することでもあった。
 自分でも、みっともないとは思いつつ――
 彼女は今日も仕方なく、影を殺すために日本を発った。


「私のダンナさまからの依頼とは思えないわね」
 彼女は、苦笑じみた笑みを浮かべた。電話口の向こう側にも、きっとこの笑顔は届いているだろう。みたまはそれに期待していた。
『確かに「人探し」と「本探し」で済んでしまうからね』
 夫もまた、回線の向こう側で苦笑しているようだ。
『でも、きみに頼んでいるんだ。普通の人と「本」ではないよ』
「わかる、わかるわよー。でも、傭兵の仕事じゃないわよね」
『……うう』
「ああ、気にしないで。いいのよ、もう慣れたし……血生臭いことばっかりやってたら、娘たちに悪いもの」
『すまない』
「だから、気にしないでってば」
『気をつけてな』
「すぐに発つわ」
『ああ、それじゃ』
「あ、ちょっと待って。何か言い忘れてなーい?」
『え? あ……い、いま人が居るんだよ』
「……」
『あ、愛してる』
「うふふ、私も。じゃあね!」
 きっと夫は、向こう側で真っ赤になっている。シャイな男なのだ。きっとそうだ。
 それは、傭兵の仕事ではない仕事を持ちこんできた夫への、ささやかな復讐だったかもしれなかった。
 みたまは幸福のうちに、イギリスへ発った。


 今回みたまが追わねばならないのは、ある老貴族と1冊の『本』だ。
 『本』のタイトルは『畏るべき安寧』。
 『本』の内容は謎に包まれていたが、持つ者の使い方次第では危険なものにも成り得るらしかった。みたまの夫が個人的に欲しがっているわけでもないようだ。彼は彼なりに世界を救おうと考えているのだろう。たぶん。
 貴族の屋敷はすぐに突きとめられた。だが、連絡はつかなかった。貴族には家族も居らず、使用人のひとりすら雇ってはいないらしい。みたまは夜を待って、屋敷の敷地内に潜入した。

 広大で典型的な英国庭園には、最近まで手入れがされていたようだ。使用人はいないが、庭師をこまめに雇っていたに違いない。しかし、すでにボックスウッドの枝が伸び始めていた。屋敷はしばらく留守にされているのだ。
 確かにいまは夜半も過ぎて、年寄りでなくとも人は眠りについている時間帯だが――
 屋敷は暗く、生気を放っていなかった。
 みたまは古い木枠の窓に忍び寄り、ガラス切りを使って窓ガラスに穴を開けると、慣れた身のこなしで屋敷内に侵入した。
 中はしんと静まりかえっていた。時計すら止まっていた。
 貴族の屋敷の広さにうんざりする前に、みたまは事前に手に入れた屋敷の見取り図を広げると、真っ直ぐ老貴族の部屋へと向かった。
 屋敷はただ静かなだけで、死や血の気配はなかった。
 家主の部屋の扉には鍵がかかっていたが、ひどく古めかしい鍵で、みたまは難なくコンバットナイフでこじ開けた。古いというのは、いいことだ。壊すのに苦労しない。
 みたまはしばらく部屋を捜索し、デスクの引き出しから日記を見つけだした。

 ●8月6日
  藪医者め。私は信じない。

 ●8月8日
  あの子がまた発作を起こした。
  医者の言葉を信じなければならないというのだろうか。神よ。

 「あの子」とは、どうやら老貴族の孫であるらしい。息子夫婦が事故で死に、彼が引き取って育てていたようだ。

 ●8月17日
  エジプトの古物商から、『本』を買い取る。
  足元を見られたようだ。USドルで10万払った。

「金持ちね、まったく」

 ●8月18日
  素晴らしい『本』だ。
  あの子もこれで幸せになれるはずだ。

 ●8月19日
  問題が起きた。あの子が寂しいと言う。泣きやまない。
  私の姿が見えないのか。私には、お前の姿が見えているのに。

 みたまは銃を構えて振り返った。
 影の中に、男が溶けていた。
「奥様」
 男が囁き、みたまは溜息をついて銃を下ろす。
「毎度驚かせてくれるわねえ」
「失礼致しました」
「何かわかった?」
「はい。――この辺りでは、八月半ばから行方不明者や急な病死者が相次いでいたようです。最近はぱったりと止んだようですが」
「被害者はどんな人たち?」
「身寄りのない子供や、面倒見がいいと評判の女子高生です。病死扱いにされた方ですが、墓の下の棺には遺体が入っていないとか」
「そう……」
 みたまは再び、貴族の日記に目を落とした。

 ●9月3日
  あの子と私の『世界』が賑やかになってきた。
  あの子は外国に行き、現地の子らと触れ合うことを望んでいるようだ。
  顔を変え、イギリスを出ることにする。

「9月上旬に、日本行きのチケットを取っています」
「なるほど、外国ね……すぐに日本に戻るわ」
「は」
「日本の方でも調査をお願い。同じ手口を使ってるかも」
 みたまは本棚に懐中電灯の光を向けた。
「常識では考えられないことも、彼になら出来そうだわ」
 ずらりと本棚に並ぶのは、古今東西の魔術書だった。
 『エイボンの書』……『レメゲトン』……『法の書』……手当たり次第とはこのことか。もともとこういったオカルトに興味があったのだろうが、重い病にかかった孫を救いたい一心で、ついに実践に走ってしまったのだろう。
 みたまは『畏るべき安寧』が如何なる力を持つ『本』なのかは知らなかったが、妙に胸騒ぎがしてならなかった。
 屋敷を覆う闇は、影だった。この影の中にいるだけで、いやな気持ちになるというのに――胸騒ぎまでもたらすとは、やはり、影はろくなものではない。
 彼女は影から離れ、日本へ取って返した。


「ええっ?! 取り消し?! ちょっと待って、どういうこと?!」
『す、すまない、ほんとにすまない、許してくれ、頼む!』
 電話口の向こう側で、夫はきっと手を合わせている。
 日本に戻ってきた途端に、夫から電話があった。
 老貴族の居場所が、自宅の近所の商店街だと突きとめたばかりの出来事だった。みたまは胸騒ぎが本物だったと痛感し、大急ぎで準備を進めていたのだ。
 それが、その1本の電話でふいになった。
 夫は今回の依頼を取り消してきたのである。
「危険なんでしょ? いえ、危険なのよ! うちの近所なんだから、ターゲットがいま居るの! それに日本でも失踪してる子が何人か――」
『落ち着いてくれ、ほんとに! 大丈夫なんだ!』
「どうして言い切るの?!」
『彼らはもう幸せだから』
「……は?」
『……』
「……」
『愛してるよ。じゃ!』
 ガチャン。
「ちょ……」
 みたまは沈黙した携帯を睨んだ。
 いや、電波の向こうの夫を睨んでいた。
 バカ、と咬みつくように呟いてから、みたまは携帯をしまった。
 拍子抜けさせられ、どっと疲れが押し寄せてきた。無理もない。イギリスで1泊もせずに日本に戻ってきたのだ。調査している時間より、移動している時間のほうが長かったのではあるまいか。前金でいくらか受け取っていて、それを返す必要はないとはいうものの――この借りはいつか返してもらわねばならない。
 夕暮れだ。
 イギリスを出たときは深夜だった。
 あっという間に、夕暮れだ。
 少し歩けば我が家がある。
 足元に伸びる影を見て、みたまは溜息をついた。
「幸せね」
 住宅街、どこからか、カレーの匂いがしてくる。
 味噌汁の匂いも。
「私も幸せよ」
 幸せを奪うような真似はしたくないと、夫は言うのだろうか。
 だが、あの老貴族の幸せはきっと影の中にある。
 みたまは影から目を背け、夕陽が沈む方角へと歩き出した。
 せっかく日本に来て、仕事も途中で終わったのだ――

 帰ろう。きっと娘が待っていてくれている。




<了>