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<東京怪談・PCゲームノベル>


無垢なるものたち

++ とある平和な光景 ++
 さて、ここに一つの問題がある。
 問題の根源はといえば、一人の少女が持ち込んだ数着の――同じデザインの制服にあった。つまり根源や原因といったものを突き詰めていくとすれば、それは確実にそれを持ち込んだ少女――海原・みなも(うなばら・みなも)にあったことであろう。
「……着ましょう」
 草間興信所応接用のソファに、ハンガーにかけられた状態で並べられているのはセーラー服だ。その手のマニアが見れば、その制服が都内でも有数のお嬢様学校として名高い私立北条学園のものであると分かっただろう――だが生憎とと言うべきか幸いとと言うべきか、この興信所に女子高生の制服に詳しい博識な人物はいなかった。
 草間はといえば、やはり彼も制服に対して造詣が深い筈はなく――僅かな好奇心と恐れが入り混じった複雑な心持ちで目の前で繰り広げられようとしている悲劇とも喜劇とも判断しようのない事態を見守っている。
 そして書類のつみあがったデスクで、みなもの懇願するような視線を背中に感じながらも精一杯――否、全身全霊の力をもってして拒絶しつつ、書類整理に興じているのはシュライン・エマ(―)だ。みなもの視線が自分の隣へと向けられると――そこに座っていた長身の、すらりとした肢体の人物はみなもの言葉に対し、聞こえないふりを貫くことにしたらしく、ゆっくりと視線をその制服からそらす。
「理事長さんにお願いして、制服をお借りしてきたんです。噂話を聞き込むなら生徒の姿のほうが情報収集しやすいでしょうし――」
 確かに、みなもの言うことにも一理ある。
 それはシュラインも――そしてみなもの隣に座る綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)とて承知している。だが――。
 みなもならば、セーラー服を着ても違和感はないだろう。
 だが、シュラインと汐耶はそうもいかない。
「……武彦さん、この報告書だけど」
 必死で聞こえないふりを決め込みつつ、書類の束を草間へと手渡したその背後で、みなもはハンガーにかかったままの制服をあててにっこりと笑う。
「ほら。スカートの丈もぴったりです」
「…………」
「大丈夫ですよ」
「…………」
 助けを求めるようなシュラインの視線に、汐耶がしぶしぶ顔を上げた。
「別に制服でなくても聞き込みは出来ると思いますよ。学園にいるのは生徒だけではなくて、教師もいるんですから最悪教師のふりをして情報収集するという手もありますし」
「……そうね。理事長に頼めば手配してくれるんじゃないかしら」
 汐耶にすかさず同意するシュライン。
 シュラインは笑顔で、そして汐耶はあくまでいつもと変わらぬ無表情を貫いてはいるが、内心では動揺し焦りいかにしてこの危機を乗り越えるか――必死に考えている。そして、そんな二人がみなもが一瞬だけ残念そうな吐息を漏らしたのを聞き逃す筈はなかった。
 あともう一押し。
 ちらりと視線だけを交わしあい、シュラインと汐耶は心の中で硬い握手を交わす。
「それにしても――なんとなく『犬神』を連想させる事件ね……」
 必死に話を逸らそう(本題に戻すという表現こそが相応しいのかもしれない)とするシュラインに、頷き返す汐耶。
「どちらにせよ、早く手を打たないと大変なことになりそうですね……まだ他にその犬を育てていて、被害にあっていない生徒がいるならば話を聞いてみたいですね」
「それを調べている人がいるって言ってたわよね……なんていったかしら……確か」
 んー、と必死に記憶の糸を手繰るシュライン。彼女が思い出すよりも早くその名を口にしたのは草間だった。
「兎沙見・華煉(うさみ・かれん)、だ」
「お知り合いなんですか?」
「噂程度はな」
 みなもが首をかしげて問いかけると、すかさずそう言葉が帰ってくる。しかもその様子から察するに、知り合いと称されて嬉しい相手ではないらしい。
「どんな人なんですか……?」
 好奇心から問いかけると、草間は渋い顔をして一瞬考え込んだ。
「はっきり言えば……そうだな……馬鹿だ。しかも世界で一番自分が賢くて強くて美しいと思っている――手に負えない上に話の通じない馬鹿だ」
 案外。
 案外草間はこの兎沙見という人物のことを、詳しく知っているのかもしれない――シュラインはその見知らぬ人物の人となりに早くも頭痛を覚えながら――そんなことを考えていた。


++ 黒き人 ++
 私立北条学園。
 都心から少し離れた、緑溢れる閑静な景観の中にあるその建物は、古き時代の名残を今も色濃く残している。
 流石に全寮制のお嬢様学校というだけあり、古くに造られた木造校舎はいまだ現役だ。だが生徒たちが日夜生活を共にする寮だけは、最近になって建て直されたようだ。いくら慎み深い深窓の令嬢たちといえども、夏の暑さと冬の寒さには耐え難いのだろう。
「さっき事務所でいっていた『犬神』というのは何なんですか?」
 しっかりと北条学園の制服に身を包んだみなもは、何故か上機嫌な様子だ。情報収集がてら校舎内に入ったあとも、傷の残る柱や古いが磨きこまれた窓ガラスなどに慈しむような眼差しを向け、時には優しく触れもする。
 みなもの問いに答えたのは、汐耶だった。
「端的に言えば、呪いですよ」
「そうね。犬神を使い魔にすることができるという話もあるけれど、どちらかといえば呪いのほうが有名ね」
「犬を首だけ出して地面に埋めて、餓死寸前のところで首を切る」
 校舎の窓から汐耶が見ているのは、首のない犬の死体が発見されたという校舎前の十字路。
「そして首は四つ辻に生め、体は社に祭らなければならないんです――本来ならば」
「逆ですね……首のない犬の死体が見つかったのは、あの十字路でしたし。首は小さな社にあったそうですから」
「だから、事件はおきたのかもしれない」
 ぽつりと、呟くように吐き出された汐耶の言葉にシュラインとみなもが顔を見合わせた。
「だからって、どういうこと?」
「呪いには呪いの手順や作法があるということです。そしてそれは素人が考えているよりもずっと厳密できっちりとしたルールによって支えられている。呪いには、間違いは許されない――間違えればそれは何倍にも膨れ上がって自分に返ってくるようになっているから」
「そこまでわかってんなら話は早いな。そこの三人――なんならおねーさんが段取りとってやろーか?」
 ひどく唐突に前触れもなく予期せぬタイミングで声がかかった。
 先ほどまで――数秒前までそこには人の気配はないはずだった。ましてや三人が今いるのは校舎内の廊下の隅だ。明らかに生徒でない出で立ちの――女の姿があればすぐに気づいたことだろう。
「悩んでるねーお嬢さんたち。おねーさんがいいコト教えてやろーか?」
 数メートルの距離をおいて立っている女は、全身が――細身のパンツスーツから手袋から靴からほとんどが黒い。その中で一つだけの色違いは薄い黄色のレンズのサングラスだけだった。
 細面の顔ににやにやとした笑みを浮かべた女は、軽く片手を上げつつ三人の側へと歩み寄ってくる。そして実に楽しげな様子でシュラインたちの姿を一人一人、じっくりと検分するかのように見つめた。
「どちらさまでしょうか……?」
 記憶の糸をたぐってみても、今目の前にいるような知り合いはいない――みなもが問いかけると女はひひひ、と笑った。
「心優しいおねーさんってところだな。どーせあたしの所に話聞きにくるつもりだったんだろ? まあ暇だったんで出向いてやったってわけでね」
「話?」
 僅かに目を細めて女を見る汐耶。その視線を受けて得体の知れない笑みを深くする女――だが、女の物言いに、そしてその内容に、ひっかかるものをシュラインは覚える。
「……もしかして……華煉さん?」
「ま、そーゆーこった」
「ああ。犬の死体の件で調べているという……」
「まあな。そっちは終わってて暇だからからかいついでに話を聞かせてやろーかと思ってさ。まあ、話聞かせるにしてもこっちの調査結果なんて単純なもんだし、もう知ってるんだろ?」
「――被害にあっている生徒たちが、あの犬の飼い主だったということですね?」
 汐耶の問いに華煉が頷いた。
「それで全部だ。それ以上のものもなければそれ以下でもない。このあたしが調べたんだからそれが真実であることは絶対に間違いない――なら、そこにあるんだろーよ。アンタらの探してる答えはな」
 一方的に告げると、華煉はくひひと嫌な笑みを浮かべて立ち上がった。そしてくいを顎を引いて無言のままに、三人についてくるようにと要求する。
「まだ被害を受けていない飼い主が一人いる。最後の一人――会いたいだろ? ついて来いよ」
 尊大で有無を言わせない華煉の言葉と態度に、シュラインは草間が語っていた彼女に対する人となりを思い出す。だがさほど嫌味にも感じない。
 無言で、シュラインは汐耶とみなもに交互に、問いかけるように視線を向けた。
「行きましょう」
 一番最初に歩き出したのは汐耶だった。みなもとシュラインがそれに続く。
「次に被害に会うのは、間違いなくその『最後の一人』だ」
 シュラインとみなもにとってそれは予測でしかない。だが何故か汐耶のその言葉の中には、確信めいた響きが含まれているようにシュラインには思えてならなかった。


++ 逆凪 ++
 華煉が案内したのは、学院の事務室だった。いつもならば職員が頻繁に出入りするであろうその場所は、何故かしんと静まりかえっている――だが、決して無人ではない。それどころか、その場所には華煉も含めて7人もの人物がいた。
 草間興信所からはシュラインと汐耶、そしてみなも――さらに別のルートから調査を進めていた二人がその場には集まっていた。村上・涼(むらかみ・りょう)と鬼頭・郡司(きとう・ぐんじ)の二人だ。
 そのデスクに堂々と腰かけている華煉。机の上に乗ってはいけないとう常識は彼女の中には存在しないらしい。
 入り口付近には、つい今しがた華煉によってこの場に案内されてきた涼と郡司の姿がある。これで六人――最後の一人は、部屋の中央にいた。
 皆の視線の集まるその場所で、みなもが座る椅子と同じものに腰掛けていたセーラー服の少女は居心地悪げな様子だった。これから何が始まるのだろう? そんな不安に襲われているに違いない。
「一体何なんですか?」
 それでも、不安を押し殺して少女――狩野直子は周囲に問いかける。
「この犬の写真について、どうしても幾つか聞きたかったの」
 デスクの上に並べられた写真の一枚を手にすると、シュラインは僅かに目を細めてそれを見た。
 殺され首を切断されて十字路に放置された犬の死体。それは痩せ細っていた。まるで餌を与えていなかったかのように。
 四つ辻。神社――そして犬。
「明らかに――これは呪詛の条件を満たしているかに見えます――一見すれば」
 汐耶は眼鏡の透明なレンズの奥の瞳を光らせる。その目は真っ直ぐに直子を捉えていた。
 主に曰く付きの本の管理をしている汐耶は、魔術や呪詛といった分野に明るい。この事件の詳細を耳にしたその時、真っ先に思い浮かんだのは『犬神』だった。
 ぴりぴりと肌を刺すような緊迫した空気の中で、華煉は小さく笑う。
「せきっちが言うには、今回の連続した事件を解決する――いやちょっと違うか? とにかくその原因となる現象に心当たりがあるんだそーだぜ」
「原因……って犬神が原因じゃないのかよ?」
 郡司が首を傾げると、汐耶が小さく首を横に振った。
「呪術には、それなりの作法や守らなければならない手順があります――『犬神』について多少の知識があれば、今回のことはその『手順』を外れていることに気づくはず……」
「首は、埋めなければならないのよね――体は社に祭り、首は十字路の下に埋めるのよね、確か」
 何かを思い出すように小さく首を傾げながらシュラインが言うと、犬神についての知識がないらしい涼とみなもが互いに顔を見合わせる。
「案外めんどくさいのね。呪っちゃうくらいキライな相手がいるなら、直接ケンカ売るなりしたほーが早いしすっきりするじゃない」
「……でもそれが、犬さんが幽霊になった原因なんでしょうか?」
 みなもが不思議そうに呟くと、汐耶は違うと思います――と言葉を返す。
 十字路に埋められなければならなかった首。
 社に祭られなければならなかった体。
 逆の手順を取ってしまった少女たち。
「逆凪という言葉を、ご存知ですか?」
 ゆっくりと、室内を見渡した汐耶の言葉に、頷いたのは華煉ただ一人だった。
「あれだろ――かけた呪いが術者に跳ね返るってやつ。呪いをかける段階で失敗したとか、手順を間違えたとかすると起こるっての」
「はい。今回のそれは――多分逆凪が原因だと思います」
 その時。
 それまで無言で掌をきつく握り締めていた直子が立ち上がった。
「おかしいわよ! だって呪いなんて……私達は別に……誰も呪ったりしてないわ!」
「呪いですよ」
 対する汐耶の言葉は冷たい。決然とした響きと言葉は反論を許さぬ雰囲気をもって直子に向けられた。
「半端な知識しか持たないのであれば、手を出すべき領域ではありません。知らないから許されるというのは甘いんです――知らなくとも術は発動し失敗しそして逆凪は今まさにキミたちを襲おうとしている」
「……みんなも、そのために階段から落ちたっていいたいの……?」
「何を呪ったのですか? 犬神を作ってどうしようと?」
 問いかける声に、直子はただ唇を噛み締める。
 二人のやりとりを見ていたみなもが、小さく――言葉と紡いだ。
「助けてあげられませんか? 何か方法はありませんか? どんな事情があったのかはあたしには分かりません。けれど、直子さんたちが誰かを呪おうとしたのではないなら、何か方法はありませんか?」
「どうかしら、ね……」
 助けてやりたいと思うのはシュラインも同じだった。
 だが、行使された術に感情などある筈もなく。既に逆凪という現象は起こり、その餌食となるであろう最後の一人は目の前にいる。
「難しいと思うけどなー。いっそのこと犬神ぶっとばしてみっか?」
 わくわくと目を輝かせる郡司に、涼がこれみよがしに、しかもあからさまに呆れたような溜息をついた。
「……なんだよ」
「犬神っての詳しく知らないけど、ようは幽霊なんでしょ。ぶっ飛ばすはいいにしても――攻撃当たんの?」
「しらねー」
「そー。それが問題なんだよな」
 うんうん、と相変わらず机の上で、しかも胡坐までかきながら頷く華煉。
「ぶっとばして終わりなら、あたしが簡単に終わらせるさ。でもそーもいかないみたいなのが問題だ。幽霊だの何だのはだから嫌いなんだよあたしは」
「……他に方法ないの本当に? ってかぶっとばす以外の方法を少しは考えなさいよ……キミたち……」
 今のままでは、直子を助ける手段はないように思われた。
 けれど――。
「呪ったりとか、そんなつもりじゃなかったのよ……だけど、いつか死んじゃうから」
 椅子に座ったままで握り締めた拳は、きつくセーラー服のスカートを握り締めている。ぽたりと、透明な涙が落ちるのが見えた。
 搾り出すような声。
「……どうせいつか死んじゃうなら。犬神にしてずっとそばにいられればって――それだけだったのに……」
 歪みなのか。
 あるいは無垢なる願いなのか。
 どちらにせよ、願いを実行に移すその方法は、明らかにとってはいけないものだった。
「そばにいたいという気持ちは……わかります。誰だって大切に思った人やものと離れるのはとても辛いです。でも――何も思わなかったんですか?」
 大切だったはずのものを、埋めて飢えさせ首を切る。
 その行為が、みなもには信じがたかった。
「側にいられるはずだったもの――」
 遠くを見るその目に映るものは、きっとみなもの目には見えないものだ。
 明らかに、見ている景色が――決定的すぎるほどに違いすぎる。
 直子の背後に、うっすらと浮かぶ小さな影。
 思わず声を上げようとする涼を、シュラインが無言で制する。
「…………」
 まるまるふとった、20センチほどの小さな白い犬。口元から鋭い牙が覗き、尖った耳はぴくぴくと動いている。
 それは写真に写るそれとは、明らかに姿が違う。けれど書物に語られる『犬神』に間違いないように思われた。
「その選択が、結果的に側にいられる時間を縮めてしまったことに、後悔する日がいつか来るでしょう」
 牙を向き、直子に襲い掛かろうとする犬神の姿。郡司が直子に駆け寄り、華煉が机から飛び降りる。
 ふりかえる直子が、搾り出すようにして――言葉を発した。
「……ごめんね……」
 言葉は、届かないはずだった。
 だが明らかに一途な思いであったのだ。
 側にいたいという願いも――そして、それはあるいは、互いにとっての願いでもあったのかもしれない。言葉の届かない生き物同士では明らかに壁は高く、その意志を確認することは難しいだろう。だが、少女達と過ごした日々を、少しでも――覚えていたのかもしれない。
 幸福な記憶を、いまだ僅かでも持っていたのかもしれない。
 犬神はその牙を直子に突き立てることはしなかった。
 音もなく床に着地すると、小さな足取りで直子に歩み寄る。何かを懐かしむようにくんくんと鼻を鳴らす。
 そして、それだけだった。
 小さく、悲しげに短く鳴くと――犬神は消えた。


 消えてしまった。
 そして、恐らくもう二度と直子の前に姿を現すことはないだろう。




―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生】
【1449 / 綾和泉・汐耶 / 女 / 23 / 都立図書館司書】
【1838 / 鬼頭・郡司 / 男 / 15 / 高校生・雷鬼】



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■         ライター通信          ■
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 こにちわ。久我忍です。
 犬は大好きなのです。あのちぎれんばかりに尻尾振っている姿を見ると、『ふふふふこいつダマくらかすのは簡単だ……』とちょっとばかり幸せな気分になれたりするので好きなのです。きっとみんなそんなふーに考えているに違いありません。


 まあそんなワケはないのですが。
 今回もご参加どうもありがとうございました。
 またまた依頼出すと思いますので、今後とも機会があったらよろしくお願いいたします。