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<東京怪談ノベル(シングル)>


ほのかなぬくもり

 はー、と吐く息もそろそろ白くなる。
 両手をこすり合わせてはそこに息を吹きかけつつ、色素の薄い――まだ年若い少女はいつ来るとも知れぬ客を待っていた。
 白皙の肌故に、目立つ頬の赤みが痛々しくさえある。
 闇とネオンが混在する夜の繁華街。
 その片隅で。
 年若い少女――ロルベニア・アイオスは、机と椅子だけを揃えた簡素な、小さなタロット占いの店を出している。
「…ダレも、来ないな」
 出来る事。
 そう考えたら『占い』しかなかった。
 交通費や食費…生活する為に必要なお金。
 ボクにはこのくらいしか出来る事が無い。
 だからこの東京に来て、お店を開いてみる事にした。
 ここに来てから…何度か、こう言う占いの店をやっているヒトを見掛けた事があるから。
 …これならボクも出来るから。
 でもなかなか…お客さんは、来ない。
「さむ…」
 ぶる、と身体が震える。
 大した食事もしていないから、余計に寒く感じるのかもしれない。
 今日もお客さん、来ないかな。
 と。
 思い、周囲を見渡したところで偶然か必然か、目が行った――正面の暗がり。
 ちょこん、と。
 黒いかたまりが、『居た』。
 猫。
 じっ、とロルベニアを見つめている。
 青い瞳。

 …そのまま、少し、して。


 ――ナァオ


 一度だけ。
 鳴き声が。
 …呼ばれた。
 そう思った。

「お腹、空いてるの…?」

 問い掛けても答えない。…それは…返答されずともロルベニアにはわかるのだが、それでも。
 その子の反応が。

 ただ、見つめてくる。
 何か言いたげに。
 けれど、何も言わず。
 ひたむきに。

 瞳が。
 ロルベニアを。


 ――ロルベニア様。


 脳裏に浮かんだ声と――柔らかな笑顔に、思わずぶんぶんと頭を振った。
 なんで?
 違うよ。


 ………………ここには、居ないの。


 自らに言い聞かせ、ロルベニアは立ち上がり、店から出る。
 そして自分をじっと見つめて来る黒猫の元に、たったっ、と歩み寄り、その前でしゃがみ込んだ。
 手を伸ばす。
「おいで」
 すると、その声に答えるように、黒猫はするりとロルベニアの腕の中に収まった。
 まるで、ずっと待っていた人にやっと、会えた、とばかりに。
「…待ってて。ゴハン、あげるから」
 そう言いながら、ロルベニアは抱き上げた黒猫を優しく、撫でた。

 …コンビニの前で黒猫を下ろし、もう少しだけ待っていてと告げるとロルベニアは店に入る。
 慌てて棚を見渡す。ひとつめ、ふたつめ――あった。
 ペット用品がほんの僅かだけ置かれたその棚から、猫缶をひとつ選び出す。並んでいる中でも一番安価な物。それしか買えない。ごめんね。内心で謝りつつ、ロルベニアは手持ちのお金を取り出した。残り少ない。
 レジでなんとか会計を終えると、自動ドアが開くのももどかしく外に出る。
 …待っていてくれるかな。
 きょろきょろと、見渡して。
 居た。
「良かった…!」
 駆け寄り、その前にしゃがみ込む。


 ナァ…


 ――そんなに慌てなくとも。転んでしまいますよ?


 どきん、と心臓が跳ねた。
 なんで。
 こんな風に思うんだろう。
 ダメダメ。
 ここには、居ないんだ。
 思わず固まってしまった自分を叱咤しつつ、ロルベニアは猫缶を開ける。
 心配げに自分を見上げている、黒猫の前に置いた。
 何処かきょとんとした顔をロルベニアに向けてから、黒猫はそろそろと猫缶に近寄り、素直にはぐはぐと食べ始める。
 やがて。
 缶の中身を綺麗に舐め取った黒猫はお礼のつもりか、ナーォ、と一声鳴いて満足そうに、ちまっ、と座る。

 …居なくならない。
 ロルベニアの前に居る。


 ――ボクの前から居なくならないで。


 …縋った過去を思い出す。
 堪らなくなってロルベニアは黒猫を抱き上げた。
 その、黒いしなやかな身体をぎゅ、と抱き締める。
 腕の中のほのかなぬくもりと。
 愛しい人が重なるから。
 黒い身体とあの服が。
 真っ直ぐに見つめてくる青い瞳。
 …こんなボクを抱き締めてくれた人。

 …逢いたいよ…!


『    』


 想いが強過ぎて声にもならない。
 他の誰より愛しい人の…その名前が。

 呼べない。

 ロルベニアはふと腕の力を緩め、黒猫の顔を覗き込む。
 黒猫は不思議そうにロルベニアの紅い瞳を見上げた。
「ボクと一緒に…行く?」
 その声に。
 答えるように黒猫は、その身をロルベニアに摺り寄せた。

【了】