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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夢の時間

 ガクン、と、振動が身体につたわる。
 ゆっくりと頂上へ昇りつめていくにつれ、地平が傾いていく。前方には青い空。ここちよい緊張が全身に沁み渡っていくようだった。
 だが、この乗物は、そのまま高く秋の空へと舞い上がったりしない。頂点を過ぎれば、あとは重力のなすがまま、自由落下に近いスピードで鉄のレールの上を滑り降りていくのだ。
 ウィン・ルクセンブルクは、両手を上にあげながら、黄色い悲鳴とも歓声ともつかぬ声をあげた。ジェットコースターは猛スピードで、右に左に傾き、乗客たちを翻弄する。彼女の隣には、金色の髪の少年――瀬川蓮が、声を立てて笑っている。

 空は快晴で、行楽には絶好の日和であるせいか、『富士見パークランド』は家族連れやカップルで賑わっている。気持ちのいい風が、ウィンのプラチナブロンドを揺らした。彼女は、ベンチに腰を下ろすと、息をつきながら、先程乗ったばかりのジェットコースターのコースを見上げる。ごう、と、轟音を立ててコースターが通り過ぎてゆき、悲鳴が尻尾のようにその後に続いていた。
「ねえねえ」
 声に振り向くと、二人連れの、あきらかに素行の悪そうな若い男たちである。
「おねえさん、もしかして一人かな〜? だったらオレたちと遊ばない?」
 ウィンはあわれむような一瞥をくれてから、
「遊園地に一人で来る人なんている? 悪いけど、きちんとエスコートしてくれる男の人と一緒なの」
 と、すげなく応えた。
「え〜、ザ・ン・ネ・ンだなぁ〜」
 言いながらも、言葉とは裏腹に、ウィンの隣に、どっかりと割り込み、腰を下ろしてくる。
「ちょ、ちょっと」
 密着するのを避けて、ウィンが身体をズラすと、もうひとりが反対側の背もたれを越えて身を乗り出し、彼女を挟み込む格好になる。
「でもオレたちといたほうが、もっと楽しいかもよ?」
 ずい、と、身を寄せてくる。
「…………」
 ウィンは眉根を寄せて、あからさまに嫌悪をあらわした。
 彼女がなにか口を開きかけたその時――
「どうしたの? 知り合い?」
 蓮だった。両手にソフトクリームを持っている。
「ううん、何でもないの。ありがとうね。行きましょう」
 立ち上がって去ろうとするウィンへ、男たちは、
「待ってよォ、そりゃないんじゃないの〜?」
「彼氏じゃないじゃーん?」
 と、口々にわめいたが、それでだいたいの事情を察したと見える蓮は、かれらを無視して、
「はい、コレ」
 と、ウィンにソフトクリームを手渡した。
「待ちなって言ってんだろ」
 男の声が1オクターブ低くなる。
「連れったって、ガキじゃねえかよ。一緒に面倒みてやっからさ――」
 しかし。
「おわぁああっ」
 男は悲鳴をあげて、地面の上に仰向けにひっくり返った。
「ア、アニキ!?」
 あわててかけよったもうひとりの男の目の前に――
 体長二十センチほどの、人型をした、しかし爬虫類に似た生き物が、コウモリのような翼をはためかせていた。鋭い爪、くわっと開いた口に並んだ牙、らんらんと輝く真っ赤な目。
 ふたつ目の悲鳴があがる。
 それは逃げていくふたりの男を追い回していった。
「あらあら」
 あきれたように、ウィンが言った。
「あんなの放っといて行こうよ」
「そうね」
 ふたりは微笑み合う。

「さて、と。いよいよ今日のメイン・イベントよ」
 遊園地のはずれにあたる一画に、その建物はよこたわっている。
 一見、なんとも不釣り合いな、廃墟のような、うす汚れたコンクリートの壁の建物だった。
 『アンデッド・ホスピタル』――という表示の掲げられた入口から、人々の行列が、中に吸い込まれていく。どの顔も、不安にあおざめたような、それでいて、期待を抑え切れないような、微妙な表情の揺れを見せていた。
「世界最長なんでしょ?」
「ええ。歩く距離が六百メートル。三、四十分もかかるらしいわ」
「ウィンさん、ホントに大丈夫なの?」
 蓮が、からかうような調子で言った。
「怖かったらボクに掴まってもいいよ?」
「そうね。蓮がひとりで逃げ出さないように、しっかり掴まえておかないとね?」
 そう言って、くすくすと笑いあう。
 そうこうしているうちに、ふたりの順番が来たようだった。
「どうぞ、こちらへ」
 案内係は血しぶきの飛び散った白衣姿のナース。無表情で、抑揚なく暗い声で喋るところなど、なかなか芸達者だと言えた。
「凝った演出ね」
 ウィンが蓮の耳もとでささやく。
「本格的だよね」
 中は、まったく病院の待ち合い室そのものだった。
 そこは、今は廃墟になった病院の建物。かつて、その病院では、悪意ある医師や病院経営者たちによって、何人もの患者が必要のない手術によって身体を切り刻まれ、臓器を摘出されていた。事件が発覚し、病棟はすべて閉鎖されたが、今でも夜な夜な、苦しげな呻き声やすすり泣き、悲鳴が無人の病室に響き、さまざまな怪事件が起こっている……。――それが、富士見パークランドに鳴りもの入りで登場したホラーアトラクション『アンデッド・ホスピタル』のストーリーである。入場者は廃病院の探検者として、一組にひとつずつ渡される懐中電灯だけを頼りに、この広大な病院内部をさまよわなければならない。
 敷地が広い上に、入場制限がなされているので、ウィンと蓮が病棟に入ったとき、他の参加者の姿は見えなかった。無人の廊下に響く足音。つんとした薬品の匂いまでする。
 蓮が懐中電灯を持ち、前を歩いた。
 病室を、ひとつずつ、あらためていく。
 ボロボロになったシーツについた赤黒い染み。ひび割れた壁に残るあやしい手形。どこからともなく吹いて来るなまぬるい風が揺らす、カーテンの影。そしてどこか遠くでかすかに聞こえるすすり泣き――。
(これは、なかなか……)
 ウィンは内心、舌を巻いた。彼女たちのように、真の怪異に何度となく遭遇し、切り抜けているからこそ、あらかじめアトラクションとわかっていれば平然としていられようが、これは一般人にとっては相当な、恐怖を誘う空間だったろう。
 ふいに、蓮が、ぱっと走り出した。
「えっ!?」
 懐中電灯のスイッチが切られる。闇が、取り残されたウィンを包んだ。
「や……ちょっと、蓮!」
 勘を頼りに近くの病室に飛び込む。
「ばぁッ!」
 戸口で待ち構えていた蓮がウィンに飛びかかった。
「もう!」
 思わず身をすくませたウィンの様子を見て、蓮が大笑いする。
「びっくりするじゃない、突然」
「ゴメンゴメン、お化け屋敷に来てるんだもん、怖がらないと意味ないでしょ」
 言いながら、懐中電灯のスイッチを再び入れると。
「……っ!!」
 いつのまにか、ふたりのすぐ傍に、血のしみた包帯を顔中に巻き付けた、ゾンビがひとり、ニタニタとかれらの顔をのぞきこんでいた。

「あー、面白かった」
「蓮ったら、『霊安室のゾンビ』、結構、本気で怖がってたんじゃない?」
「ぜーんぜん。怖がってるフリしたほうが盛り上がるんだもん。そういうウィンさんこそ、『手術室の幽霊医者』が出たとき、すごい声だったよ」
「あれはだから、びっくりしただけよ。いきなり天井からぶら下がってくるんだもの」
「ふふふ、どうだか。……あっ、ねえ、観覧車に乗ろうよ!」
 言うなり駆け出していく。買ったばかりのポップコーンが数粒、蓮の手のなからこぼれ落ちた。

 そして、二人を乗せたゴンドラは、ゆっくりと、空の高みへ、遊園地でもっとも高い場所へと運ばれていく。巨大な観覧車の影が、遊園地の敷地内に落ちていた。時刻は夕暮れだ。はっとするほど赤い、大きな太陽が、山の端に沈んでいこうとしている。
「今日は久しぶりにはめをはずして大騒ぎできたわ、ありがとうね、蓮……」
「……うん」
 返事した蓮の声から、妙に元気が失われているのに、ウィンは気づいた。
(……?)
 やがて、二人のゴンドラが観覧車の頂上に達する。
 ウィンは、窓から、外をよく見ようと身を乗り出そうとして、はっと息を飲んだ。
 夕日が照らし出す蓮の横顔。その瞳が濡れたように輝いていたのだ。彼の目に、じわりと、涙の粒が盛り上がりそうになったとき、ウィンは、そっと目をそらして、反対側の窓のほうへと身をあずける。
 風に運ばれて来る、遊園地の、どこかチープで、どこか郷愁を誘うBGM。
 そして、アナウンスが流れる。本日は、『富士見パークランド』にご来園いただき、まことにありがとうございます。当園は、5時をもちまして、閉園とさせていただきます――。
 『アンデッド・ホスピタル』の評判を聞いて、蓮を誘ってみたとき――子どもであって子どもでないような蓮のことだ、もしかしたら、「遊園地、何それ? やだよ、そんなガキっぽいの」とでも言われるかしら……と、ひそかに危惧したウィンである。しかし、はたして、蓮の反応は拍子抜けするくらい“普通の子ども”のものだった。
(わーい、絶対行く! 遊園地大好きなんだ!)
 園内のあちこちで、電灯が灯りはじめる。しかしそれはかえって、いやがうえにも閉園時間が近付いてきたことを感じさせる。
 さあ、お家へお帰り。楽しい時間はもう終わり。遊園地はもうおしまいだよ……
(でも……)
 地上を見下ろした。
 風を切るジェットコースター。楽しげに回転するコーヒーカップ。メルヘンチックな電飾のきらめくメリーゴーランド。そしてその合間を行き交う、恋人たちに、親子連れ――。
 ピエロの配る風船を受取った幼い子どもが、父親とおぼしき男性にかかえあげられる光景が、見るともなく、ウィンの視界に入ってきた。
 ウィンと別れたあとは、蓮はどこに帰るのだろう。
 あの風船をいっぱいに持った子どもとは違う。ストリートを独りで生き抜き、無数のパトロンのあいだを渡り歩いて生きるという蓮は、その『パパたち、ママたち』の誰かのもとに行くのかもしれない、だが、しかし……
「ねえ、ウィンさん……」
 ぽつり、と、呟いた。
「人間はどうして、遊園地なんかつくるのかな」
「……そうね」
 ウィンは応えた。
「やっぱり、楽しい夢を見たいからじゃないかしら」
 たとえそれが、ほんのひとときの――いつかは醒めてしまうものであっても。
(本日は、『富士見パークランド』にご来園いただき、まことにありがとうございます。当園は、5時をもちまして、閉園とさせていただきます――)
 そして二人は、黄昏に染まる地上へと戻ってきた。
「また来ましょうね」
 ウィンは言った。
 そして、そっと手を差し出す。
 長く伸びた影法師が、なかよく手をつないで、二人のあとに続いていった。

(了)