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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:影に選ばれた家

 青い、青い、雲もなく青い空の下、派手な音が道路とその周辺を揺るがした。
 ブレーキの甲高い音と、衝突音。人々の悲鳴。
青年はそれを、少し離れた歩道から目撃した。衝突した2台の車…一台はタクシーであったが…それから煙のように立ち上がった黒き影。
それが禍々しきものの塊であると、青年の青い目が看破する。
影はすぐに空中へと舞い上がり、そして遠方へと飛び去った。まるで目的を果たしたと言わんばかりに。
「…あれは」
 呟いてからタクシーへと視線を戻した青年は、炎を上げる車体から転げ落ちるかのように抜け出た少女を見た。まだ、警察も救急車も到着しておらず、彼女を助け起こす者もなかった。
青年はすぐさま少女の許へ駆け寄った。
「すぐに、救急車が来るよ…しっかり」
 少女は頭から血を流し…だが意識はあるようだった。青年を見上げる。
「…おねが、い…。これを……届けて」
 青年に差し出されたのはA4サイズ程の封筒。受け取って青年は尋ねた。
「判った。必ず届ける…何処へ届ければいい?」
「…ありが…とう。……おねが…いします。もう…頼れるのは…あそこしか」
 少女は必死に言葉を継ぐ。
「草間…興信所へ……」
 そこまで言うと、少女は意識を失った。

「…と言う訳で、依頼みたいだよ」
 青年はソファにやる気の無さが満面に溢れた様子で凭れている草間に封筒を差し出した。事故に遭った少女から受け取り、草間に渡すよう依頼された封筒を。
「久し振りに来たと思ったら、またコレか、聖……」
 いつものように草間の口の友は煙草で。短くなったそれを草間は既にいっぱいになりかけている灰皿に無理矢理捩じ込む。
「今回は行き掛り上仕方なかったじゃない? 別に俺が直接持って来た依頼じゃないんだし。草間サンに届けるように頼まれただけだよ」
 聖と呼ばれた青年は苦笑した。
「どの道持って来たモンはいつもと変わらん依頼なんだろうが、どうせ?」
 うんざりしたように草間は封筒から、中に入っていた書類と、一冊の本を取り出した。
「これは…家の間取り…か? こっちの本は…日記のようだな。聖、中は見たか?」
「草間サンに届けてくれって言われたモノを見るわけないでしょうに」
 困ったように眉根を寄せる聖を一瞥して、草間は日記を開いた。
それには自分の家に起き始めた怪異について書かれており、怪異は日付けを重ねれば重ねる程、酷くなっていた。
最初は物が勝手に移動していただけなのが、突然家具が倒れ、家自体が揺れ、逃げ出そうとすれば閉じ込められる――
「ポルターガイスト…か?」
「…どうだろうね?」
 聖が草間の言葉に青い瞳を細めた。
「なんだ」
「…彼女が事故に遭った瞬間に居合わせたって言ったじゃない? 衝突した後に彼女が乗って居たタクシーから黒い影が出て来るのを見たんだよ」
「…何?」
 草間は聖の台詞に片眉を上げた。
「あれは嫌な影だったね。ひどく暗い…念の塊みたいだったけど」
「…お前がそう『視た』なら確かだな…」
 低く唸るように草間は零し…周囲に控えていた面々に視線を向けた。
「お前等、どうせ暇だったんだろう? この依頼、請けてみないか? この家の怪異を片付けて欲しいとさ」
「草間サン…自分は行かないの?」
 茶を啜りながらの聖の、のほほんとした横槍に草間は再び煙草を銜えた口でにやりと笑みを形造る。
「エキスパートに任せた方が安心だろう?」
 その場の全員が、秘かに、またはこれ見よがしに溜息をついたのは、既に草間興信所では日常風景の一つであった。

会する者達■
「消えたのではなく飛び去った? 方角は分かるか?」
 話の口火を切ったのは、陰陽師である雨宮薫。陰陽師の一族として古より血を繋いで来た雨宮家の次期長だ。雨宮は伶俐な顔を聖に向け、問う。
「うん。確かに飛んで行ったね。方角は…」
 聖は腕を組んで考え込む。
「えーと、草間さん、この辺の地図貸して」
「どうぞ」
 聖に地図を手渡したのは言われた草間でなく田沼亮一。四つのセクションから成る探偵事務所に所属している。田沼の担当セクションは「情報収集専門」、その分局長である。情報を扱うのを得手とする田沼は、幾度か訪れている草間の事務所の情報も確かであるのか、聖を待たせる事なく、草間所有の地図を出してみせた。
「あ、どうも」
 聖は愛想良く頭を下げると、地図を開いた。
 事故があったのは草間の事務所からそう離れていなかった。草間の事務所の位置が判ればすぐ
に方向も知れる筈。
「ここ、が草間さんとこでしょ…で、事故現場がこの辺りで俺がこっちから来たから…」
 聖は事故を思い出しつつ、指で辿る。
「うん。こっちの方角だね」
 すい、と聖の指が事故現場から南東へ滑る。
「…とすると、依頼人の自宅の方角と合致するな…」
 雨宮が柳眉を潜めて呟く。
「やはり『目的を終えて帰宅した』と云った処でしょうか?」
 草間から日記を受け取った田沼はそれを人数分コピーしながら言った。
「その黒い影と言うのもポイントの一つと言うわけですね」
 コピーの終わった日記を手渡され、早速目を通しながら柚品弧月が興味深げに呟く。
 柚品は大学で考古学を専攻する考古学者の卵である。だがただの卵――学生、ではない。裏ではとある教授に雇われて、人に害を成す品々を収拾・封印もしくは破壊するという仕事をしている。
「そしてもう一つがこの日記、ですね。こういう事が起こるからには、この日記に現象が記され始めた時期にその『きっかけ』になる事がる筈ですが‥家なり家人なりに」
 柚品の台詞を受けるように言った田沼は、眼鏡の奥の瞳を日記に落とす。
 日記には、少女らしい小さな文字で日々が綴られている。最初の内は学校での行事や、友人の事、部活動でのハプニング、家での家族との会話――そんな日常的な事が続くが、ある日を境に少しずつ、平凡な日常が薄れていく。代わりに姿を現すのは家で起こる異常。
 その場に集った者達は、僅かな情報をも見落とさんと、それぞれに日記に集中する。

×月×日 火曜日
夕方学校から戻ったら居間のテレビの上に並べて置いてあったウサギのヌイグルミが三つとも落ちていた。
誰もテレビにぶつかったりしていないし、大きな地震とかがあったわけじゃないのに、変なの。
しかも、両耳がとれかかっている。三つとも。
お母さんに聞いたけど、昼間は普通だったらしい。お客があったわけじゃないし、お母さんが何かするわけないし…、なんだか怖かった。

×月×日 水曜日
夜中に誰かがノックをする音が聞こえる。
慌てて開けてみても誰も居ない。お父さんとお母さんに後で聞いてみても、夜中に上には上がらなかったって言うし。
なんなんだろう。

×月×日 木曜日
一人で家に居ると、何処からか誰かが家の中を走る音がする。
一階にいれば二階から、二階にいれば一階から。
隣の家は庭を隔てて少し離れているし、外からの音じゃないことくらい判る。
お母さんに言っても「それは家鳴りよ」で全然ちゃんと聞いてくれない。
最近、ウチがおかしいと思うのは私の気のせいなの?

「…現象が起きたきっかけのようなものは…書いていないな…」
 柚品は肩を滑り落ちて来た髪を後ろへやると、ぽつりと呟いた。
 日記に、何か現象が起き始めた原因のようなものが書いていないものか、と探ってみるが、特別それが判るような事は記されていない。
 最初は小さなトラブルや、ともすれば勘違いで済みそうな出来事が続いている。
 柚品は更に読み進めた。

×月×日金曜日
夜7時頃突然、あちこちの部屋の蛍光灯が一斉に割れた。
電気系統のトラブルじゃないかってお父さんは言っていたけど、なんだか気味が悪い。
明日、業者さんを呼んで調べてもらうらしいけど。
原因、判らないんじゃないかとなんとなく思う。

×月×日土曜日
台所の食器棚が突然倒れた。
誰も居なかったから良かったけど、食事の支度をしている最中だったらと考えたら恐かった。
地震があったわけでもないし、もともとそんなに簡単に倒れるようになんて出来てない。
今までにだって倒れて来たことなんてなかったのに。
やっぱりおかしい。この家おかしいよ。
昼間、業者さんが来て電気系統を調べてくれたけど、原因は判らなかった。
思った通りだ。

「…現象が始まったのは、二週間前ですか」
 田沼の呟きに、柚品が疑問を挙げた。
「この一家……木下さんですか…は、この家に何時から住んでいるんでしょうね」
 言われて田沼は封筒に入っていた他の書類を見る。不動産会社との契約書のコピーが入っているのを取り上げた。
「まだ間も無いようですね…一ヶ月半と言った所です」
「日記を見た所では、原因に直結するような事は書いていないな…。」
 雨宮が日記から目を離さず言う。
「二週間目に入った辺りから、エスカレートし始めてますけどね」
 柚品はゆっくりと頁を繰る。柚品の言葉通り、二週間を過ぎた辺りから加速するように現象はエスカレートして行く。一家は一時避難を考えるようだが、何故か全員家を長く空けていられなかった。何処かへ泊まろうとしても、自然と足が家に向く。気付けば帰宅している。
 恐怖は募るのに、彼等は家から離れられない。見えない何かに囚われてでもいるように。
 そうしている内に、いよいよ現象は酷くなり、一家は再び逃亡を決意するが、今度は窓が開かず扉が開かない。
 閉じ込められてしまうのだ。
 この辺りまで来ると、少女の文字はかなり荒れ、文章にも混乱の為に乱れており判読が難しくなっていた。出来事がまるで書かれておらず、ただ胸の内の恐怖を書き綴っている日が増えて行く。
 柚品は最後の頁を開いた。

×月×日 土曜日
こわいこわいこわい。
どうすればいいのかわからない。
家から出られなくなってもう三日もたった。
どの部屋にいてもこわいことばかり
こんな時に日記なんて、と思うけど、こんなことでもしていないと気が狂いそうになる。
どうしてこんなことになったの。だれかたすけて。
どうしたらいいの
そうだ、あの人が言っていた草間興信所に

そこで日記は途切れていた。
「やはりポルターガイストとは違うようですね…」
 溜息とともにそうこぼして、柚品は日記のコピーを丸めた。ポルターガイストは人の無意識が行う…つまりは超能力が引き起こす現象だと言われるのが一般だ。原因の殆どが十代前半の子供や、女性によるものとされている。確かにこの家には依頼人…少女が居るが、日記を読む限りは彼女が原因…いや、普通の人間が原因とは思えなかった。現象が異常に過ぎる。
 だが、だからと言って日記から読み取れる範囲内に、原因と思われる『何か』の姿は見えなかった。
 霊体や、その他の何かを彼女は見ていない。
「…そう言えば」
 柚品は、再びコピーをを開いた。最後に記入された日記を見た。
「あの人と言うのは…?」
 最終行の『あの人が言っていた草間興信所』という一文に、柚品は引っかかりを覚えていた。
 他の日に、この人物についての記述は無い。草間を紹介したこの人物は一体何者なのか。あの人、と言う呼び方から察するに、親しい人物ではなさそうだ。知人であれば名を記すだろう。
 だが、名も知らぬような他人から、草間を紹介されたと言うのは、どういう事なのか。
 柚品の呟きに顔を上げたのは田沼だ。
「この日記の最後に書かれている人物ですね。依頼人…木下美和さんは『あの人』からこの興信所を教えられた…一体何時、何故…。少なくとも、この人物はこの家について何かしら情報を持っていたのでしょうが」
「何でそう思う?」
 草間はコピーでなく、元である日記帳を片手に田沼に問う。調査に参加するつもりは無いようだが、興味が全くない訳ではないようだ。
「他の興信所であるならともかく、「ここ」を教える辺りが…たまたま、とは思えないでしょう」
 数ある興信所から、怪奇探偵として名高い草間を紹介した、それが故無き事とは思えない。そしてその故は、彼女の家で起きている現象を知るが為に他ならないだろう。
「依頼人から聞いたのかも知れんがな」
「…それも有り得るでしょう……ただ、この場合彼が依頼人とどう言った知り合いなのかが気になる所ですね」
 言いながら田沼は二つ折りにした日記の端を額に充てた。
 室内に沈黙が降りる。
「俺は、兎に角一度家に行ってみる。影が去った方角が家の方なのが気になるからな」
 沈黙を破ったのは雨宮。手にした日記は既に読み終えたのか、持っていた鞄の中に丁寧にしまい、草間へと視線を向けた。
「草間、依頼人の家と、彼女を含めた家族の身辺調査を頼みたい」
 言って、僅かに口の端を上げる。
「そっちは『エキスパート』なんだろう?」
「そりゃ、まあ、なあ…」
 紫煙をくゆらせながら曖昧に草間が肯定した。気になっている癖にいざ調査となると腰が重いようだ。
「それは俺が引き受けましょう。個人的に気になる事もありますから」
 田沼が資料を手にソファから立ち上がる。
「…頼む。何か判ったら連絡を貰えるか。俺の携帯の番号を教えておく」
 雨宮は鞄からノートを取り出すと、番号を書きつけて破った。それを田沼に手渡す。
「では、これは俺の番号です」
 田沼は名刺を取り出すと、雨宮に倣うように番号を記して渡した。
「お気を付けて」
「ああ」
 田沼の気遣いに、雨宮短く応えて出て行く。
 雨宮を見送って、柚品も壁に預けていた身を離した。寸時、考えるように丸めた日記を見、草間に視線を移す。
「草間さん」
「ん?」
「その日記帳…貸してもらえませんか」
「ああ…、ほらよ」
 草間は日記帳を放り投げた。
「どうも」
 受け取って柚品は頁をぱらぱらとめくって、閉じた。
「何か気になる事でも?」
 二人のやり取りを見ていた田沼が、眼鏡のフレームを僅かに上げて言う。
「ええ…、一寸視てみようかと」
「視る…?」
 穏やかな視線をそのままに、光の加減によっては金にも見える、明るいセピア色の目を細めた田沼に柚品は苦笑した。
「俺、物の記憶が見えるんですよ…サイコメトリってヤツです。こう言った、持ち主の思いが強く残るモノなら、見易いもので。…日記に書かれていないことで、他にも何か彼女が見聞きして強く印象に残している事がもしかしたら役に立つかも知れない、と思ったんです」
「それは助かりますね…、書き忘れている事があるかもしれないですし」
 田沼の声に感心が混じる。
「はっきりとした記憶や映像を読み取れるかはやってみない事には判らないのですが…」
「それでも、今は一つでも情報が多い方がいいですから、お願いします…所で、柚品君はこの後どうしますか? 俺は雨宮君に頼まれた、依頼人の身辺調査をしようと思っているんですが…それから雨宮くんに合流を」
「俺もこの日記を視たら、現地に向って雨宮さんと合流しますよ」
「そうですか。それなら、柚品さんにも俺の携帯の番号をお教えしておきますね。あと、こちらは雨宮君の番号です」
 番号のメモを柚品に渡し、田沼はソファの背にかけてあった上着を手に取った。
「俺は先に出ますね」
「何から何まで済まんな、二人とも」
 去ろうとする田沼を見計らったかのように、ぼんやりと煙草をふかしていた草間がゆったりと声を上げた。
 ちっとも済まないと思っていない様子の草間に柚品が苦笑する。
「何言ってるんですか、今更。そんな言葉では誤魔化されませんよ?」
「報酬はきっちりと、現金でお願いしますね」
 田沼が素知らぬ顔で柚品の言葉に添える。
「そうですね。スティードの燃料費も馬鹿にならないし」
「でしょう?」
 結託し始めた二人に、草間は咥えた煙草を落しかけて慌てて指で挟んだ。
「お前等、何が目的だ?」
「いえ、当然の要求を口にしたまでですよ」
 飽くまでも穏やかに田沼は言う。
「では柚品君、また後ほど」
「ハイ、田沼さん。じゃあ、草間さん。俺集中したいんで隣の部屋借りますね」
「あ、ああ……」
 呆然と呟く草間を肩越しに、田沼は柚品と目を合わせて声なく笑った。

残された記憶■
 柚品は草間興信所の資料室に居た。狭いが集中するにはちょうど良い。壁に立て掛けられていた折りたたみの椅子を引き寄せて座る。
「さてと…何が見えますか…」
 密やかに呟いて、柚品は瞳を閉じた。

「お嬢さん」
 少女は学校帰り、一人で歩いていた。それに掛けられる声。
 振り向けばそこに立つのは二十台中盤程の青年だった。
 短い漆黒の髪、中々に整った顔、高い身長。
 黒いシャツにアッシュグレーのレザージャケット、下はジーンズと言うラフな格好が良く似合う。
「……あの?」
 見た事の無い青年だ。声を掛けられる覚えがない。戸惑いの声を上げた少女に、青年はにこりと笑った。
「木下さん、でしょ?」
「……何処かでお会いしましたか?」
 敢えて肯定をせずに、問う。何かの勧誘だろうか…少女の瞳に警戒の色が浮かんだ。
「あ、突然ごめん。…渡したいものがあって待っていたんだ」
 青年はジャケットのポケットから紫色の小さな袋を取り出した。
「これをあげるよ。お守り。困った事があったら、これを持って強く願うといい」
 青年は少女の目の前でそれを落した。少女は、受け取るつもりはなかったのに、目の前で落されたがゆえに反射的につい手で受け止めてしまう。
「それから、何かあったら…ここへ行きな? きっと助けてくれるから」
 青年は言って、紙片を少女の手の上に置いた。
「…草間興信所……? ここが……?」
 少女が再び顔を上げた時には青年の姿はもうなかった。

 揺れる床。壁にかけた絵が落ちる。額が壊れて破片が飛び散った。
 棚と言う棚も激しく揺れている。このままではすぐに倒れかかって来るだろう。

 少女と、その両親は、倒れ来る家具を避けて、廊下の片隅に固まっていた。 
「お父さん…、あたし草間興信所へ行ってみる…っ」
 少女は青年の言葉を思い出す。「きっと助けてくれる」と。
 彼の言葉を完全に信じたわけではない。だが、他に何一つ思い浮かばなかった。
 自分にも、両親にも、これを止める術などない。
手にしたお守りを握りしめた。少なくともこれがある限りは、食器や、本が自分達めがけて直接襲ってくることはなかった。まるで自分達を見失ったかのように。
このお守りをくれた青年の言葉だったから、縋ってみる気になったのだ。
両親がどこかへ相談しようと、用意してあった書類と、自分がつけていた日記を、手近な封筒に入れた。両親が相談する為に外へ出ようとした時にはもう、扉という扉、窓と言う窓は閉ざされ、閉じ込められ、脱出はかなわなかった…が。
「でも、このお守りがあれば…出られるかも」

 激しい揺れが家の中全体を激しく震わせる。
 その中を、少女はお守りと封筒を抱え、這うように玄関へ向かった。両親も少女を庇うようにしつつ、ぴったりと身を寄せている。
 時間がかかったが、玄関に辿り着く。壁に縋って立ち上がり、恐る恐るドアのノブに手をかける。
 扉は――開いた。
 途端、どんっ、と一層激しく家が揺れた。
 少女は必死に扉に縋り付く。今ここから離れたら二度と開かないような気がしたからだ。
 その背を、誰かが突き飛ばした。勢いで扉が大きく開き、少女は家の外に投げ出された。
 慌てて立ち上がり、扉を見たが、既にしまっていた。
 少女はドアに飛びついて、ノブを回したが、扉は開かない。
「お父さん! お母さん!」
 扉を叩きながら両親を呼んだ。
「行きなさい、早く」
 扉の向こうから聞こえるのは父親の声だった。少女は父親が無事である事に少し安堵したが、すぐにまた叫ぶ。
「お父さん、大丈夫!?」
「お守りがあるから、大丈夫だ。お前は行きなさい! 早くここから離れるんだ!」
 どうやら投げ出された時に、お守りだけ中に落したようだ。だが、そのお陰で両親はまだ無事でいられる。
「でも…っ」
「いいから、行きなさい。私達は大丈夫…このお守りが守ってくれる事は、お前も知ってるでしょう?」
 母親が、いつもの声で、言う。何でもないことのように。
「……すぐに、戻るから」 
 少女は駆け出した。必死に走って、ちょうど通りがかったタクシーを拾った。運転手に青年から受け取った地図を渡して、草間興信所へ行くように頼んだ。
「ごめんね…ごめんね。すぐに戻るから…絶対に助けにもどるから…」
 両手を組み合わせて、強く握った。早く、戻らないと。お守りは両親の手に残ったが、安心は出来ない。いつまで守ってくれているかの保証などないのだから。
「早く…お願い早く草間興信所へ…」

 しばらくして、少女はそれに気付いた。サイドミラーに映る、黒いもの。
 それはぐんぐんとタクシーに迫って来る。。
「ああ……」
 家から追って来たのだ。お守りが無いから、見つかってしまったのだ。
「もう少し…もう少しなのに…」
 呟く間に、黒いものはタクシーに追いつく……

 日記に残された映像は、そこで終わっていた。

 柚品は肩の力を抜いた。
「…彼は一体…」
 普通の青年に見えた。少女にお守りを与え、草間の事を教えた青年。
 まるでこの先に起こる事態を知っているかのようだった。
 元兇か、とも思ったが、そうであるならわざわざ草間の事を教えたのはおかしい。
 柚品はノートを小脇に立ち上がった。もしあの青年が、今回の件に何らかの関係があるのなら、まだ近辺に居るかも知れない…。
「草間さん、俺も出ますから」
 柚品は急ぎ資料室から出ると、聖と何やら話していた草間に声を掛ける。
「おう。気を付けて行けよ」
 草間に手を上げて応え、柚品は事務所を後にした。

奪われしもの■
「そうですか」
 田沼は小綺麗な応接室のソファに身を沈めていた。
 依頼人の家族に件の家を紹介した不動産会社である。
「新規のお客様でしてね」
 不動産会社の責任者である男は小野沢と言い、50も半ば辺りか、地味だが品の良いスーツが印象に良い。
「ええと、確かここにあった筈ですが…」
 小野沢は資料棚を開けて、多量の資料の中から一つを選び出した。
「本来はお客様の事はお話しないんですが…」
 そう切り出して、小野沢は資料を片手に田沼の前に腰を降ろした。
田沼は家がどういった経緯で依頼人の手に渡ったのかを調べる為に、ここに訪れていた。会社が分かったのは、少女が持って来ていた書類の中に社名が記されていたからだ。
「事情が事情ですからね…隠されてもそちらの得にもなりませんし」
 柔らかに釘を打つ田沼に、小野沢は苦笑を刻んだ。
「欠陥住宅を売り出した、となれば確かに私共の信用に関わります。出来る限りご協力はさせて頂きますが…」
 どうか、この件に関してはご内密に、と小声の小野沢に田沼は肯いた。
田沼は、依頼人の家に欠陥があるようなので調査している、と欠陥住宅の調査業者を装ってここに訪れたのだ。信用第一のこの業界で、欠陥住宅の噂は致命的な打撃となりかねない。
小野沢が田沼を無視出来る訳がなかった。
「新規のお客様でした。条件は良かったものですからこちらとしてもお断りする理由はございませんでした。…この一帯です。全部で四軒ですね」
 東京の、一等とは言わぬまでも、立地条件は良いこの地帯に、建てられた四軒。
「ではそちらではこの地帯の以前の様子はご存知ありませんか」
「はい…、この辺りは元々古くからそのまま残っている住宅街と言った所で、新物件や、売却の話は殆どありませんでしたから。動きの無い場所にはどうしても疎くなります。…地盤に問題でもありましたでしょうか」
「まだ調査を始めて間もないですから、それは未だ何とも」
「そうですか…」
 田沼はここを訪れる前に依頼人である少女と、両親について調べてみた。交友関係、両親が勤める会社の現況や、少女の学校での事――。
 だがそれによって導き出されるのは、この一家が――木村家が、温厚であり、周囲には好かれ、穏やかな生活を送っており、家で起こる怪異の原因となるようなものを抱えてはいない、と言う結果だった。
 故に、今度は家の方に焦点を搾ってみたのだった。だが、これにも問題は無いように思えた。
 考え込むように黙した田沼を小野沢も神妙な顔つきで見ている。
 互いに言葉をなくして数分、小野沢は何かに気付いたのか小さく声を上げた。
「どうしました?」
「いえ、記憶が確かでないので…申し上げても良いのか」
「あやふやでもかまいません…調査に必要な情報は多い方が良いのです」
「そうですか…。では申し上げますが…、確かあの一帯は元々石藤家の土地だったと…」
「いわふじ…岩に、藤と書くんですか?」
「いえ、いわ、は石です。石藤と書きます。近所の方であればもっと詳しく知るのでしょうが…確か陰陽師とやらの家系であったとか。ご存知ですか? 私は良く分からないのですが、オカルト方面には疎くて」
「陰陽師、ですか」
 陰陽師をオカルトの類でひとくくりにする小野沢に苦笑が漏れそうになりつつも、田沼はこの単語に反応していた。
呪術のようだ、と呟いた天波の声を思い出す。
「特殊な話なんでちょっと覚えていただけなんですが。まあ、関係ないですね」
「どんな情報でも、全く無駄になることはないですよ。…それで、その石藤家の方は土地を手放されてからどうされたかご存知でしょうか?」
 僅かに身を乗り出して、田沼は問う。
 小野沢は首を捻った。
「さあ…そこまでは。私もたまたま耳にはさんだだけですから」
「そうですか…」
 関係が、あるだろうか。田沼は視線を足下に落した。
 調べても何も出て来ない、木下家の周辺。そして、ここに来て現れた『陰陽師』
ここで陰陽師が出て来る事を偶然と言う方が、田沼にはおかしいように感じた。
「それで、この住宅を斡旋した業者についてもう少し伺いたいのですが…」
「…それが」
 小野沢は困ったように言い淀む。一瞬視線を彷徨わせてから、田沼を見た。
「消えてしまったんですよ」
「…消えた?」
「はい。なにせこの好条件で金額も破格でしたから、こちらでも何かあるのでは、と気にしてはおりました。ただ、家が全て出はらってもその後苦情が入る事もありませんでしたし、こちらとしては今日に至るまで本当に、この件に関しては良い仕事をさせて頂いたと思っておりましたもので。ですから次回も是非、とご挨拶も兼ねてお電話を差し上げたのですが、その時にはもう連絡がとれなくなっていたのです」
「…それは」
「はい。おかしな話です。色々と手を尽くして連絡を取ろうといたしましたが、電話はもとより、会社事態が存在しなかったのです」
「会社が存在しない?」
「はい。頂いた名刺にあった場所には確かにこのビルが在るのですが、そこに入っている筈のこの名前はなかったんです。ただ、何度か足を運んだ時には確かに事務所は存在していました…が、この時にはもう引き払った後だったようで。移転先をテナントオーナーに尋ねましたが分からずじまいで。これがその名刺なんですが」
 差し出された名刺を田沼は受け取った。何の変哲も無い名刺だった。
「…そうですか」
「お役に立てず…」
「いえ。こういう事は全く前例がないでもないですから。調べようはいくらでもありますし」
「この場合、やはり私共に責任が…」
「まだ、家自体に欠陥があるという結果がはっきり出たわけではありませんから…」
小野沢を安心させるように微笑んで、田沼は礼を述べ立ち上がる。
「それでは本日はこれで失礼いたします。ご協力ありがとうございました」
「…結果が出ましたら…」
「ええ、どんな結果であれ、必ずお知らせします」
 穏やかに微笑みさえ浮かべて言う田沼に、小野沢は安堵の息を吐いた。

閉ざされた器■
 雨宮は1時間と経たぬ内に依頼人の家の前に立っていた。
 目を細めて家を見る。眼前の家は雨宮の目には既にただの家としては映っていなかった。
黒い煙のようなものが家全体を覆い、一つの生き物のように膨れ上がり、まるで巨大な闇の家が立ち塞がっているかのようだ。
「ここまでとは、な」
 雨宮の声は先程とまるで変わらず静かなものだ。ただ、幾分低い。
 黒く凝った陰気によって生じ、立ち込める瘴気は尋常でなく、能力者でもなければ具合が悪くなる程度で済みそうもない。だが逆に中途半端に力を持とうものなら、敏感なだけ危険であるかも知れず。
「精神状態が安定してない場合は、近寄っただけで取り込まれかねないな…」
 周囲に既に被害があったとしてもおかしくない状態だ。
 だが不思議と、両隣の家には影響が無い様だった。雨宮はここに辿り着いてすぐに両隣の家を尋ね、最近木下家から何か異常な音が聞こえて来ないか、変わった事は無いかと尋ねてみた。
 双方共に特別異常は感じないとの事だった。いっそ静か過ぎるくらいではあると。
 これだけの念が存在していると言うのに、両隣にまるで影響が無い等と言う事が有り得ようか。そして、見えないまでも、全く異常に気付かないと言う事が。
 黙して佇む雨宮の耳に、バイクの走行音が届いた。音に目をやれば、そこにはスティード400VCL。柚品である。
「雨宮さん、お待たせしました」
 柚品はスティードを道の脇に停めると、駆け寄って来た。
「これは……」
 柚品は雨宮の隣まで来ると木下家を唖然と見上げた。
 柚品の霊感はそれほどではない。弱い霊では見る事が出来ない。
 だが、目の前にあるものは柚品にもはっきりと見えた。
 黒く黒く膨れ上がった、念。まるで生き物であるかのようにうねりながら家を覆い息づくそれ。見ているだけでも吐き気がしそうな程の瘴気。
「こんなに…酷くなっているなんて…」
 日記の記憶を呼んだ際、木下美和が見ていたモノ…それより遥かに念は膨れ上がっていた。もしこうなってからここを出ようとしても叶わなかったろう。
 そして、現在も取り残されたままの彼女の両親はどうなっているのか。
 こんな状態の家の中で、生きているのだろうか。
 柚品は無意識に額の汗を拭っていた。
「…雨宮さん…これでは入れませんね」
「このままでは、確かにな…」 
 雨宮は神妙に肯いた。
 念によって凝り固まった黒い煙は、それ自体が家を閉ざす結界となっているのを、二人は見抜いていた。ただ近寄ってドアを開けようとしても無駄であろう事も。
「だが、一時的になら、中に潜入する為の穴くらいは開けられるだろう」
 雨宮が手にした紫の細い布袋から取り出したるは、刀。すらりと刀身を鞘から引き抜けば、街灯を反射してしらと光る。
 雨宮の意図を理解して、柚品が言う。
「元を絶たず無理に穴を開ければ返しが来ませんか」
「それくらいは覚悟の上だ。…依頼人の両親がまだ中に居る事を考えると、時間が惜しい。他の方法を考えている暇はない」
「……そうですね」
 雨宮一歩踏み出して、柚品の前に立ち、家に代々伝わる御神刀『魅鞘』を構えた。
「行くぞ」
 柚品は無言で頷いた。
 雨宮は鋭い視線を家に向け、また一歩踏み出した。そのまま速度を上げて近付いて行く。刀身を中央から左下に移し、斬り上げた。
 途端、異臭が豪風と共に二人に吹き付ける。先程までとは比べ物にならない程の、邪気。
「すぐにまた閉じる…急ぐぞ」
 言うが早いか、雨宮は中へと駆け出す。柚品もすぐに続いた。
 黒い念は、二人を押し潰そうとしてか渦巻いて集い始める。それを見て取って、雨宮が右手の人さし指と中指を揃え、刀印を結び、口中何事かを唱えた。
 二人を取り巻こうと突進する念が、見えない壁に阻まれて、四散する。
 術の行使の為に瞬時立ち止まった雨宮を追い越し、柚品が玄関の扉に手を付く。
「開けます」
 柚品は力任せに扉を開いた――。

連なる意志■
 田沼はは吐息を落した。
 不動産会社を辞した後、木下の家の近く迄来、周囲の聞き込みを行っていたのだ。
情報があれば雨宮、柚品の二人に連絡をする手筈になっている。
だが、特に情報はない…と言うより、周辺の住人の口は固かった。
 誰に話し掛けてもけんもほろろに逃げられる。あからさまに渋面を作って何も言わずに去る者もあった。最初は愛想よくしていても、木下、の名を出した途端に掌を返す者もあった。
「一体…あそこには何があるのでしょうか…」
 彼等の態度を見ていれば、あの家に何かがあるのは判るのだが、こうも取り付く島がないと情報の入手のしようがない。
「さて、どうしますか…」
 軽く握った拳を口許に充てて黙考する田沼の背を誰かが叩いた。
 咄嗟に振り向いたそこには二人の少女。髪を茶色く染め、化粧は濃いが制服を着ている…恐らく女子高生だ。
「ねえ、おにーさん背え高いねー」
 間延びした声が言うのに、田沼は穏やかに笑んだ。
「そうですか?」
 自分の背が高い事に自覚はあったが、敢えてそうでないように応えた。
「かっこいーじゃん」
「そーいえばさー、さっきっから何かこの辺うろうろしてるけどー、何してんのー?」
 初対面の、目上の人間に対する態度とは到底思えない少女の態度に、田沼は少々辟易したが、それでも柔らかく返答する。
「この辺りの方に…聞きたい事があるんですが、上手く行かないんですよ」
 苦笑を織り交ぜての言葉に、少女等は首を傾げた。
「聞きたい事ってー?」
「ええ…この少し先に木村さんと言う家があるんですが、その家が建つ前に、この土地を所有していた石藤さんについて…調べているんですが」
 どう言うかと考えつつの田沼の台詞に、少女達は互いに頷き合った。
「あー、あそこねー」
「石藤ってさー、陰陽師ってヤツだったんだよねー?」
 女子高生は語尾を伸ばした口調で緩慢に言う。
「そうそう。騙されて、土地を奪われたんだよねー」
「そんで自殺したって話ぃ。くらいよねー」
「…自殺…ですか?」
「うん。そー。なんか庭で死んでたらしいよー。木で首つってさー」
「この話したのナイショねー? 親父とかこのハナシすっとすっげ怒るんだ」
「たたられるとかなんとか。漫画かっつーのー」
 げらげらと笑う少女達に、僅かに眉を潜めて田沼はそれでも丁寧に礼を言う。すぐに歩き出す柚品の服の裾を、少女の一人が引いた。
「えー、おにーさんあそばないー?」
「済みません…お誘い頂いたのに残念ですが、まだ仕事中なんです」
 早口に言って、裾を掴んだ手を柔らかに外すと、田沼は木下家に足を向け……その人物に気付く。
 二メートル程先に立つ老人は、鋭い眼光を柚品に向け言った。
「あの家には近付かん方がいい」
「え?」
「あそこには石の封じ家があった…それを潰してしまいよった。特にあの木下って家には封じた石が眠っておったのに…、あそこはもう血で汚れてしもうた…」
「血で…とは、自殺の事ですか…?」
「あそこに近寄ってはならん。命が惜しいならな…」
 老人は、田沼の問いには答えず、自分の言いたい事だけを告げて、くるりと背を向けて行ってしまった。
 田沼は呆気にとられかけ、首を振った。すぐに告げられた言葉を反芻する。
「石の封じ…封印されていたって事でしょうか…それが解かれた?」
 石藤家の誰かが自殺したのは、石の封印を解く為だったのか…それが何をもたらすのか知っていて。
田沼にはそれがどういう事なのか、詳しくは分からない。だが分からないだけに正体の知れない不安が背を冷ややかに滑る。
 田沼は歩き出しながら、携帯を取り出した。
 雨宮の番号をプッシュし、暫し待つ…が、相手は出ず…繰り返されるアナウンス。電源が入っていないか、圏外であると…そんな筈がないのに。
「二人に何か……?」
 田沼の足が自然と早まる。
 脳裏には少女達と老人の声が交差していた。
陰陽師、自殺…祟る…封じ石――
 鍵は得た。何としても先行した二人に伝えなければならない。
 田沼の歩みは、何時しか駆け足に変わっていた。

熟れ落ちる怨果■
「凄い…」
 思わず、と言った感で漏らされた柚品の声に、雨宮は彼をを見る。
 玄関から中へ入った二人を迎えたのは、びっしりと木の根のようなものに覆われた廊下だった。根と言ってもただの根ではない。木肌を持ってはいるが、ドス黒い血脈の様なものが通りどくどくと脈打っているそれはまるで生き物の触手の様な。床に、壁に、天井に…至る所に這い、潜り、蠢いている。
「気持ち悪いですね」
 柚品は言いつつ踏み出す。床も覆っている為、根を踏まないわけには行かず。
「ん?」
 踏んだそれは固かった。見た目からすれば、柔らかそうに見えるのに、感触は普通に木の根のようだ。
「…柚品」
 呼び止める声に、柚品は後ろを振り返る。見れば雨宮はまだ玄関の扉…既に閉まっている…の前に立っていた。
「このままだと田沼が中に入れない…合流すると言っていたんだろう?」
 雨宮の手は扉のノブに添えられている。握って、左右に動かそうとしているが、ノブはどちらにも全く回らない。
「あ、そうです」
 言って戻ろうとした柚品は、根に足を取られた。慌ててバランスを取ろうとしたその時。根がずるずるずるっと、柚品の足を伝って這い上がって来た。
「……!」
「柚品!」
 雨宮がすぐさま駆け寄り、魅鞘で根を切り落とした。退魔の力を持つ刀に斬られた根は、鼠の声のような音を立ててざらりと崩れた。
「大丈夫か?」
「ええ…でも、ゆっくりしている暇は無さそうですね…」
 空間を支配する根達が、先端をゆらりとゆらめかせ、鎌首をもたげる。気配の険しさが増した。臨戦体勢に入っているのを、身体で感じる。
「仕方が無いな…」
 雨宮は魅鞘を緩く構える。
「このまま、奥迄強行するしかないか」
 一度、田沼から情報を得て、こちらの状況も報せておきたかったが、それどころではないようだ。
「本体を叩かないと終わらないでしょうしね」
 柚品の言葉が合図であったかのように、根が蠢く速度を上げる。その様は黒い波が寄せて返すかのよう。
 根の一本が、天井から雨宮を襲う。それを見上げもせずに雨宮は斬って捨てる。
 続けて、幾筋もの黒い尖端が奔る。数本を斬った所で、雨宮の死角から一本が伸びた。咄嗟に避け切れないのを予測し、衝撃に身構えたが、それは来なかった。
「早く先に行かないときりがありませんね」
 それまで、雨宮に守られるようにして後方にあった柚品が素手で根を断ち切ったのだ。柚品のこれまで纏っていた気が段違いに増幅されている。
 己や、仲間の生命の危機にあって発動する柚品の力は、身体能力を数倍に引き上げ、纏いし気が全身を武器に変える。
 雨宮はその姿に軽く瞠目したが何も言わず、刀を構え直した。ややあって、一言。
「済まない」
「俺もさっき助けて貰いましたし」
 幽かに瞳を笑ませて雨宮に応えてから、柚品はすぐに周囲に気を配る。
 隙を狙うか、余裕なのか、続けて攻撃をして来ない根達は二人の周囲でゆらりゆらりと無気味に揺れ。揺れる度に溢れる異臭が充満している。家の中の本来の色彩は失われ、もはや家内は異空間と呼ぶに相応しい様相を呈している。
「後ろを頼む」
 依頼の声が終わる間に、雨宮の右手が一枚の符を取り出し空中に放った。
「…来れ白虎、我が手に、我が牙となり、怨敵を引き裂かんが為…!」
 短い唱えに反応し、符が光を撒く。その中から現れるのは雨宮の式である白虎だ。現れたと同時に地に前脚を付き、次の瞬間には廊下を翔け行く。
 それを追うように雨宮が続いた。柚品も、一瞬白虎に目を奪われるものの、遅れはしない。
 白虎の出現に促されたか攻撃が再会され、白虎は前脚と牙で根を引き千切り、雨宮は魅鞘で斬り落し、柚品が手刀で裂く。
 廊下の突き当たりに真っ先に辿り着いた白虎が、雨宮に指示を仰ぐか振り向いた。それに無言で雨宮は頷く。
 次の瞬間扉は派手な音を立てて破壊され、一頭と二人は中へと転がるように飛び込んだ。
――そこには、本来ある筈の居間はなかった。
 これまでも充分異空間ではあったが、そんなものは比べ物にならぬ程の異常が目の前に展開されている。一体これは何処であるのか、と問いを浮かべずにいられる者があるだろうか。
 広大な場は、外観から導き出される広さでは到底無い。
 邪念の濃霧が立ち篭めるが故か、それとも真実そうなのか。果てが見えない程の広がりを見せる空間。中央には巨大な木が幹を捩らせている。幹は斜に伸び、地から根を、空中には枝を、縦横に張り巡らせている。
「…いくら閉ざされ結界と化した場とは言え…」
 雨宮の声に乱れは無いが、いくらか呆然とした響きがあるのは仕方がないことだろう。それでもすぐに刀を青眼に構え、身を整えたのは、流石古の術を継ぐ者と言うべきか。
「ここまで来ると反則ですね」
 いっそ呑気な程の台詞は隣に立つ柚品。だがそれが単にお気楽な心中であるものでは無い事は、軽く握られた拳の内が汗で湿っている事で判ろう。だがやはりこちらもすぐに構えを取る。
「…元を断ち切らないと、これは消せないが…」
「少し難しい課題ですね」
「諦めるか…?」
「まさか」
 構えたまま、肩を竦める柚品を横目に見て、雨宮は薄い唇に僅かに笑みを浮かべる。
「では、行こう」
 雨宮と柚品同時にが動き出すに合わせて、白虎が先へと跳躍した。
 
歪められた怨み■
 田沼は雨宮等から遅れる事三十分程で木村家の前に着いた。嘗て雨宮と柚品がしたように、家を見上げる。怨念を纏い、憑かれた家。
「これでは携帯電話が通じないのも当然と言う訳ですか…」
 嘆息して携帯を見た。あれから幾度かかけてみたが、一向に通じる様子はなく、結局家に着いてしまった。
「中に入るしかありませんが…」
 他者を拒む念は強く。出入り口の無い閉ざされた家。しばし見つめて田沼は瞳を閉じた。
「何とかなるでしょう」
 田沼は息を吸い込んだ。意識を自分に集中させる。内にある力が、身に充分に満ちているのを感じた。 
 田沼は自身を中心に直径2m範囲内への霊的干渉を一切遮断する能力を持つ。勿論それは念による結界も同じ事。これ程の念を過去、田沼は見た事が無かったが、もし力が通じぬのであれば他に方法を探せば良い。
「携帯が使用出来ない以上、中に入って彼らに合流しないと…情報を渡せませんからね」
 田沼は呟くと、躊躇い無く門扉に手をかけた。

「雨宮君! 柚品君!」
 田沼が辿り着いたのは、戦闘の最中だった。きりのない攻撃にも二人と一頭は怯まず、無数の根や枝を滅し続けていた。
「田沼さん?! どうやって…?」
 柚品が反撃の手を休めずに、駆けつけた田沼を見る。
「俺は、こういうモノの影響を遮断する事が出来るんですよ」
 実際に、雨宮と柚品が最初に攻撃の洗礼を受けた廊下では、田沼はまるで攻撃を受けなかった。彼等は田沼に近付く事が出来なかったのだ。
「まるで小さな結界ですね…」
 柚品が田沼の傍に寄れば、範囲内に入った事で、柚品もその恩恵に授かる事が出来た。感嘆の声を上げて、柚品はすぐに木の方へ頭を巡らせた。
「雨宮さん!」
 柚品より、中央に近く在った雨宮を呼ぶ。
 雨宮は白虎と共に、枝根を切り伏せながら二人の元に戻る。
 攻撃を受けていない田沼と柚品を眉根を寄せて見るのに、柚品が軽く説明した。
「そういう事か……」 
「雨宮君、柚品君、俺が得た情報なんですが」
 田沼は前置きなく話し始める。時間が無いのは全員承知の事。二人もすぐに田沼を見た。
「雨宮さん、この土地は元々陰陽師である、石藤家のものだったそうです。石藤家は…詳しくは分からないんですが、石を使って何かを封じる一族だったとか。ちょうどこの家のある場所にもその石の封じがあったそうです。土地を騙し取られそれを怨んだか、自殺による血で封じの石を汚し、封印を解いたのではないかと…、近所の方に伺いましたので確かではありませんが」
「…それか…。石藤は石封じの隠し名と言う訳だな」
 自らの名を思い浮かべつつ雨宮は呟く。雨宮の本来の名は――「天宮」だ。
「封じを解いて現出したモノを媒体に元の封じ石ごと呪いをかけたのかも知れない…」
「じゃあ、封じ直せば良いんですか?」
 柚品が首を傾げて問う。それに雨宮は首を振った。
「いや…、血で汚れたのならもう石は封じの意味を為さない。新しく封じの石を用意するか、他の封印を施すか或いは…」
「消してしまうか、ですね?」
 田沼の言葉に、雨宮は目線で肯定を示す。
「そうだな…ここまで来たら封じ直すのは困難だ…消した方が恐らく早い」
 言ってから雨宮は一旦唇を閉ざした。瞳が浮いて白虎の後ろに聳える怨みの樹木を、射通すように見る。
「柚品」
 雨宮は視線を木に据えたまま呼ぶ。
「はい」
「……サイコメトリが出来ると、言っていたな」
「ええ」
「…一つ頼みたい」
「あの木を『視る』んですね?」
 雨宮の言葉の先を取って言う柚品を、雨宮は真直ぐに見た。
「これだけの怨念を抱えたモノだ……どんな危険があるのか予想は出来ない」
「やりますよ。そうしないと終わらないでしょう?」
 確りと頷く柚品に、雨宮は頭を下げる。
「あ、雨宮さん?」
 持つ矜持の高そうな、陰陽師の一族の次期長である少年が、唐突になした行為に柚品は慌てる。
「頼む」
「……判りました」
 雨宮は下げていた顔を上げ、今度は田沼を見た。
「貴方は、少し離れた場所で待機していて欲しい。すぐに動けるように」
「それは構いませんが…君はどうするんですか?」
「俺はあの木を…一時だけ封じる。それ程保たせる事は出来ないが、柚品の手助けにはなるだろう。例え攻撃が無かったにしても、サイコメトリのように対象に深く入り込むのは危険だ…少しでも邪気を抑え、入り易くなるよう、結界を敷く」
「そう言う事でしたら…承知しました。ただ、結界を張り終わるまでは傍に居ましょう。最中に攻撃されるては困るでしょう?」
 田沼の提案に、雨宮は頷いた。

 三人はかたまって怨木の傍迄移動した。田沼の能力範囲内に居る為に、無数の枝根達は手を出す事が出来ず、三人を囲んで不満げに奇音を発し、激しく身を踊らせていた。
 木の二メートル程前で、先頭に立った雨宮が立ち止まる。
「先ほども言ったが、封印は一時的なものだ。反動が大き過ぎてそう長くは抑えられない…」
「判りました、…とにかくやってみます」
 柚品を一瞥してから、雨宮は符を取りだした。それを放つと、ただの紙片に見えるそれが、意志を持つかのようにそれぞれの方向へ散った。田沼の力の及ばぬ領域に出たが為に、伸ばされる攻撃の手をかいくぐり、木を囲んで五枚が等間隔に地に張りつく。
「臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前」
素早く九字を切り続いて印を結んで行く。
「オン キリキリ バサラ バサリ ブリツ マンダマンダ ウンパッタ…!」
それに伴って符が光を放つ。光は線を描いて、符同士を直線で結んだ。それによって浮き上がるのは五芒星。
 吹き上がっていた瘴気が止み、それとともに攻撃も静まった。
「今だ」
 柚品は雨宮の声を合図に駆け出す。雨宮の結界に足を踏み入れ、木の傍に来ると立ち止まった。
 木を見上げる。動きの止まった今は、多少形が捩じれてはいるがただの大木にしか見えない。だが、外見はどうでもこの木はもうただの木ではない。怨みを呑んだ、呪詛の塊だ。
 柚品はゆっくりと深呼吸をした後、指先を木肌に近付けた。目を、閉じる。
――瞬間。
 流れ込んで来るのは強い念。
 黒く黒く一色に塗り潰されたような、邪悪な思念。
 怨みつらみ、悲しみ、怒り…負の感情が柚品に注ぎ込まれ、吹き荒れる。
「………っ」
 柚品の指先が震えた。離れそうになる指を、意志で止まらせた。冷たい汗が吹き出る。
 更に意識を集中させた。奥へ…奥へと。そうする内に徐々に映像が形を作って行く。

 最初に頬の痩せた男が見えた。男の顔は怒りと憎しみに満ち、瞳は落ち窪んではいるが爛々と光り輝いていた。
 彼は庭の木にロープをかけた。怨嗟の言葉を吐いてから、躊躇いも無く首をかけた。
 
 石が、見えた。それは木の根元に埋められた。石の中には強烈な力を持ったモノが封じられているのが感じられた。封じられて尚、外界に力を示していた。
それは鬼気を発していた。
 石は埋められて、永い永い間守られていた。この地に住む陰陽師に監視され。
 何時しか傍らの木の根が伸びて、石を抱く。石と木は渾然一体となった。封じの一対と成った。

 黒髪の青年が、木の傍らに立っていた。彼は首を吊って絶命した男の、首を掻き斬った。
 多量の血が、男の身体を伝って落ちる。それは地面に染みて行く。

――歓喜を帯びた怨嗟が、吹き出した。

ふらり、と柚品の体が揺れた。指が幹から離れる。
「柚品!」
 雨宮の鋭い声に、柚品は瞳を開けた。崩れかける膝を手をつく事で何とか支える。
「……雨宮、さん…ここに封じられていたのは…鬼の躯の一部です。…この木の根元に…封じの石が…あります。今は大分地表近くに…あそこです」
 他より一層太い根が地から顔を出している一点を指差し、ようよう、それだけを告げ、柚品はその場に座りたがる体を叱咤して、雨宮と田沼の元まで戻った。
「判った。後は俺が引き受ける。柚品はここで休んでいてくれ」
 波立たぬ湖面よりも静かな声が、柚品の頭上に降る。
 見上げると声と同じく静かな面。柚品はそれに安堵し膝を落した。田沼が咄嗟に柚品の肩を支えた。
「大丈夫ですか?」
「…少し、疲れただけです」
 柚品は息を長く、息を吐いた。雨宮の結界無しに同じ事をしていたら、どうなっていたか判らない。そう心底思う程に、疲弊していた。柚品の引き出されていた力すら根こそぎ奪う程の呪力に、サイコメトリを終えた今になって、恐怖が過る。
「雨宮さん…早く、終わらせてあげて下さい」
 依頼人の為にも…そして、怨みに呑まれ自らを屠った陰陽師の為にも。
 雨宮は肩ごしに柚品を振り返るのみで、すぐにまた前方に視線を据えた。素早く右手を振ると、それまで光を放っていた符が、ちぎれた。光が急速に失われ、静けさを守っていた木が唸りを上げた。
 鞘から刀を抜き去り、雨宮は駆ける、右手に刀を、左手に数枚の符を。
「白虎」
 呼ばう声に、白虎が翔け、雨宮の前方を塞ぐ根と枝を刈り散らす。雨宮はそれに続けて符を放つ。
 放たれた符もまた、妨害の手を散らした。
 雨宮は根元に辿り着く。
「消えて…戻るな。二度と」
 死を迎えたのなら、怨みも憎しみも置いて。眠るがいい。
 雨宮は振り上げた刀を、振り降ろし、地に突き刺した。
 上がったのは、悲鳴。咆哮にも似たそれは、轟音と化し、雨宮の、柚品の、田沼の…耳を震わせた。
そして、怨嗟を苗床に生じた大木は崩れて行く。崩れながら木は、尚も悲鳴を上げる。恨みを晴らし切る事無く消える事への無念の声か、それとも消え行く間にも蘇る怨みの声か。言葉にならないそれから、真意を計る事は出来ない。
 幹が消えると共に、場を覆い尽くす程にあった枝も次々と崩れ去って行き、気付けば広大な空間は姿を消していた。
 そこにあるのは、散乱した居間と、少女の両親。
 田沼がすぐに、駆け寄り、二人の脈を確認した。
「…大丈夫です。かなり衰弱していますが…生きている」
 三人はほぼ同時に、安堵の吐息を漏らした。

終わりは始まりに等しく■
「結局、彼女にお守りを渡し…草間さんの興信所を教えた人物は現れませんでしたね」
 三人は依頼人の両親が救急車で運ばれるのを見送ってから、報告の為に興信所に戻っていた。
「そうですね……」
 田沼の言葉にソファに座った柚品が、心ここにあらずの風情で呟いた。
「…柚品?」
 気遣うような雨宮の声に、柚品は慌てて顔を上げた。
「あ、大丈夫ですよ。一寸疲れただけですから」
「…なら、いいが」
 どうやら、雨宮は柚品に無理をさせたと、考えているようだ。確かに今迄に無い経験をしたが、それはそれで滅多に無い事と、柚品としては何とも思っていないのだが。冷たくも見える見目の割に、この少年は人を気遣う心をちゃんと持っているようだ。
「俺の方でも…謎が残らなかったわけではないのですが」
 柚品の態度を、納得の行かぬ部分があると取ったのか、田沼は報告書を端末で作成しながら言う。
「消えてしまった設計事務所の目的が判りませんし…」
 陰陽師の所有の土地を騙し取り、家を建て売り付けた。その目的は結局判らぬままだ。
 単に悪徳業者であったとは、考え難い。
「……もしかして」
 柚品の声に、その場の全員の視線が集中する。
「あ、これは飽くまで推測なんですけど」
 言い添えてから、柚品は続ける。
「…木の記憶を見た時に…見た男性が居るんですが、彼は記憶の中で、自殺した陰陽師の首を切り、血を流させていました。それをもって陰陽師の怨みを増幅させる術を使っていました…その彼ですが、日記の記憶を見た時に出て来た…美和さんにお守りを渡した男性と一緒だったんです」
「な…」
 雨宮が身を乗り出す。
「もしかして、その、消えた会社の人は、俺が見た男性と同一人物なんじゃないでしょうか」
「それは…」
「あり得るな」
 田沼と雨宮の声が重なる。
「でもそうすると目的は…?」
「あの、鬼を解放する事だったんじゃ、ないかと」
 石によって封じられていたのは鬼の躯の一部だった。
 それは封じが解け、陰陽師の呪いの術に力を貸した後、あの黒髪の青年によって持ち去られていた。
 柚品はそこまで、見ていたのだ。
 それを説明すると、皆一様に口を閉ざした。
「それでも説明が足りない部分はありますが…」
 柚品は沈黙に耐えられず、そう付け足した。
「まあ、何はともあれ。あの家はもう大丈夫なんだろう?」
 依頼が入った人変わらず、ソファに身をもたれかけさせ煙草をくゆらせていた草間が言う。
「依頼は終えた。後は俺等の知った事じゃあない」
 無責任なようだが、草間の言う事は事実だ。
 田沼が、作成を終えた報告書をフロッピーに落し、草間に手渡した。
「そうですね。…仕事は終わりました。後は、相応に報酬を頂くだけです。これに経費も入れておきましたから、後は宜しくお願いします」
 言いつつ立ち上がった。
「あ、おい」
「次の仕事がありますから、失礼します。…柚品君、雨宮君、御苦労さまでした」
 草間にはにべもなく、二人には柔らかに微笑みさえ見せて、田沼は場を辞した。
「お疲れさまでした」
 柚品も笑みを返し、雨宮は軽く頭を下げる。
「じゃあ、俺もそろそろ…レポートがあるし」
 柚品も上着を手にして立ち上がった。
「草間さん、それじゃ」
「お、おう」
 何故かどもる草間を振り返らず、柚品は扉を開けかけ、扉の傍らに立つ雨宮を見た。
「貴重な体験をさせて貰ったと思ってますから、気にしないで下さい」
「ああ」
 ようやく、破顔した雨宮の肩を叩いて、柚品も興信所から去った。
 最後に残った雨宮は、フロッピーと睨めっこ、な様子の草間を見る。
「…支払いはいつもの様に雨宮の家の方に頼む」
「えッ」
 ぎょっとして顔を上げた草間に、人の悪い笑みを残して、雨宮も扉に姿を消した。

 闇に笑い声が響く。
 闇にも似た漆黒の髪の青年が、右手に何かを握っている。
「やっと一つ。…これからが楽しみだ」
 右手に握られたのは黒い骨。何処の部分かは判らないが、それは凶悪な気を纏っていた。
 青年は、それを大事なものでも抱くかのように身に寄せると、笑い声だけを残して、闇に溶けた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0931 / 田沼・亮一<タヌマ・リョウイチ> / 男 / 24 / 探偵
1582 / 柚品・弧月<ユシナ・コゲツ> / 男 / 22 / 大学生
0112 / 雨宮・薫<アマミヤ・カオル> / 男 / 18 / 陰陽師。普段は学生(高校生)

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■         ライター通信          ■
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初めまして、今回が初依頼の匁内アキラと申します。
先ずは………。
大変、大変お待たせしてしまい、誠に申し訳ございませでした……!
折角の初依頼、折角の初のお客さまに、何と言う事をしでかすか…!
申し訳なさに、下げた頭を上げられません。
私の様な新人の、初の依頼をお選び下さったと言うのに、その御期待に添う事叶わず、どのようにお詫びを申し上げてよいのやら、言葉が見付からずにおります。
さぞ、御不快であろうかと思います。
お叱りの声、心して受け止めます故、もし何かお言葉ございましたら、テラコンよりお願い致します。

さて、今回の依頼ですが、何だか続き物であるかのようですが…この話はこれで完結しております。
続いているように書いたのは私の『怪談』と言うものに対するイメージからです。
一つ話が終わっても、まだ蠢くものがある、終わったようでいて終わっていない。それが私の怪談のイメージで。
それゆえに敢えて、このような終わり方に致しました。
もう少し上手いやりようがあったのかも、と思いますが、現在はこれが私の精一杯でございます。
ほんの少しでもお気に召して頂ければ、幸いなのでございますが……。

もし、この話に続きが現れてしまったらその時は…。見逃してやって下さいまし。

雨宮・薫様■
陰陽師と言う設定をもっと生かせたら良かったのですが…、未熟な我が身が恨めしく。
ただ、普段は冷静でありながらも、突っ走ると止まらない、まだまだ若い少年を書かせて頂くのは非常に楽しく。一見して判らない、胸に秘めた優しさ等、描き出せていたでしょうか?
イメージが違う、もっとこうだ、と言う御意見等、ございましたら御遠慮なく、お願い申し上げます。

本来ならば、キャンセルをして頂いて当然でありますのに、長い間、待って下さいまして有難うございました。

それでは。
いつかまた、いずれかの闇の片隅にてお会い出来る事を図々しくも願いつつ、失礼させて頂きます。