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<東京怪談ノベル(シングル)>


色なき世界へ

 走って走って。
 灯台を駆け上って。
 すべてを削ぎ落として。
 身体だけになって。
 強い風に吹かれて。
 荒れた海を見下ろして。
 ”さよなら”と呟いて。
 私はきっと旅立つ。

 重すぎる心なんて、いらないから――。



 自分の気持ちを100%理解できる人なんて、この世界の中にいるのだろうか。
 自分の気持ちを100%うまくコントロールできる人なんて、この世界の中にいるのだろうか。
(私はダメ……)
 他人の気持ちはおろか、自分の気持ちすら信じられない。
「人の気持ちに、永遠なんてないよ」
 誰よりも高い位置に立って、吐き出す。自分の中の淀みすべて。
「好意もいつかは、別のものになるの」
(だから信じられない)
 伝えるのが怖い。
 どんな小さな言葉すら、私は伝えられなかった。伝えないために、自分の気持ちを封じて。
「今まで生きてきたけど……もうムリだよ?」
 誰かが私の選択を知ったら、きっと「それは逃げだ」と笑うのだろう。
(そんなことは、わかってる)
 けれど今の私には、他に出せる答えなどない。
 死を決意した私は、すべてを吐き出す。
 吐き出して、吐き出して。
「全部消えてなくなればいい」
 私の言葉も感情も想いも。
 この世界にとどまるものは何一ついらない。
(――そう)
 だって私は……もともと暗い世界に、いたんだもの。

     ★

 どうして皆、想いを自由にできるの?
 どうして皆、それを言葉にできるの?
 私だけ暗く、淋しい世界に立っている。
 どこへゆけるのかも、わからぬまま。
 誰かを大切に想う気持ちに、私自身壊れそうになる。
(どうして私はそんなこと想えるの?)
 他人にそんな感情を抱く自分が怖い。
(どうせいつかは、変わってしまうのに)
 あの人の感情はもちろん、変わらないと思っている私の心ですら。
(信じられないから)
 あの人へと続くこの橋は、私が渡ろうとした端から壊れてゆく。
 私はまだ、この世界から抜け出せない。
 そうして何度、世界の終わりを見ただろう。
 諦めが色を奪い、私を黒く染めてゆく。
(それでも私は)
 いつも諦めるしかなかった。
 怖い。
 怖い。
 色とりどりに染まろうとする、自分が怖い。
 明るい色に隠れた闇に気づかぬまま、幸せを演じるのだろうか。
(どんなにキレイな色でも)
 混ぜ続ければ闇に変わる。
 そうしたら私はその海に沈んで。

 もう2度と、戻らない。

     ★

(そんな遠回りは嫌)
 だから気づかない振りをして、私は色を忘れる。
「風よどうか」
 私は忘れたいの。
「まだ残るこの感情をさらって」
 空に向かって、手を伸ばした。
「奪い取って、証明して見せて!」
 これは恋じゃないのだと。
 風が私の髪を乱す。
 そして望みどおり、”何か”を奪っていった。
「それでいいの」
 もう私には、何もない。
 あとは手を広げて、飛びこむだけ。
(鳳凰のように)
 私は飛び立つ。
 私を待つ、黒い世界へ。
 2度と戻れない、闇の世界へ。

 少しためらった右脚は、けれど最後の色を残していた。
(あの人の色……?)
 それは名残か余韻か。
 確かにその瞬間だけ、私ははっきりと自覚した。
(もう逢えない)
 淋しい。

 でも、さよなら――。





(終)