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<東京怪談・PCゲームノベル>


恐山で逢いましょう

■羽柴・戒那編【序】

 広瀬・祥子から呼び出された時には、さして驚きはしなかった。番号は草間くんから聞いたのだろうし、きっとドールのことで話があるのだと思ったからだ。
(リバース・ドール)
 不思議な力を持った子供。自分の感情になかなか素直になれずにいた子供には、まだまだ言葉が必要だと思っていた。
(心理学者である俺の)
 癒しの言葉が。
「――え? これにドールが参加したいって?」
 そんな俺の予想は確かに外れていなかったのだが、俺はその相談の内容に驚いてしまった。
 大学近くの喫茶店で祥子が見せてくれた月刊アトラスのそのページには、恐山ツアーの記事が載っていたのだ。
「そうなんです。だから私に一緒に行ってほしいって。ドールがですよ?!」
 何故か興奮している祥子に合わせて、グラスの中のアイスティが揺れている。
(何故か?)
 何故かなんてもんじゃない。祥子の興奮はある意味当然の反応だ。
「あのドールが……」
 人を誘うなんて考えられない。それほど急に他人に慣れることができるとは思えないのだ。
(大体にして)
 俺たちが誘ったところでやっと、嫌々そうなポーズをとりながらもついてくるのが精一杯の状況だったのに。
「――しかしドールは、その気になれば一人でいけるんじゃないか? 確か瞬間移動めいたことできたよな」
 何もわざわざツアーに参加してまで(お金を払ってまで)、行くことはない。
「私もそう思ってドールに訊いたんです。そうしたらドールったら……幽霊が怖いんですって!!」
「祥子くん、声が大きいよ。――面白いのはわかるけど」
「あ、ごめんなさい」
(なるほど)
 幽霊に弱いとは、ドールもなかなか可愛いヤツだ。
「で、恐山へ行きたい理由は?」
「それがサッパリ。訊いてもだんまりなんです。とりあえず私は一緒に行ってみるつもりですけど……」
 ちらりと、祥子の目がこちらを盗み見ていた。話が出た時から予想はしていたが、やはりか。
「わかったよ、俺も参加しよう」
「いいんですか?」
「ドールが気になるのは確かだし、恐山にも興味があるしな」
「ふふふ、ガイドだったら任せて下さい! 私、ドールが行きたいのって何か土地柄と関係あるんじゃないかと思って、色々調べたんですよ」
「それは頼もしいな」
 元気のいい祥子に、俺は笑って応えた。



■荒廃とした地獄【恐山:総門前】

「――やっと着いたぁ〜」
 バスから降りた途端、祥子はそんな声をあげながら伸びをした。いや、祥子だけではない。バスから降りた人々は皆、一様にその動きをしている。
「さすがにバスで3時間半は、きつかったですね」
 後ろから降りてきた斎・悠也が笑った。
 実は祥子と会ったあの日、ツアーの参加申し込みをしようとアトラス編集部に電話を入れた俺は、その時に美味しい話を聞いてしまったのだ。
『泊まる場所は恐山内の宿坊を予定しているけど、思ったよりも人数が多いから半分くらいはふもとの旅館になると思うわ。その旅館がまたいいところでねぇ。あなたが望むなら、そっちに回してあげてもいいわよ。お世話になっているし』
 それは月刊アトラス編集長、碇・麗香直々の言葉だった。俺は時々頼まれて、”怪現象の心理学的観点から見た検証”などの記事を手伝うことがあるのだ。
(いい宿、かぁ)
 そう言われて思い出したのは、一つ屋根の下で寝泊りしている悠也の顔。俺はまたあとでかけると言って、電話を切った。悠也を誘ってからかけなおそうと思ったのだ。もちろん、一緒に申し込むために。
「――しかし、来たかいはあったな。まるで地獄だ」
 辺りを見回して、俺は苦笑する。
(わざわざバスに乗ってまで)
 地獄へやってきたなんて。
 そう思うと、なんだかおかしい。
 砂利のしきつめられた空間はどこまでも広く、硫黄が鼻をつき、薄いもやが現実との境を曖昧にさせていた。遠くに見える総門は、審判の門のイメージ。
「なんかバスが不似合いだわ」
 祥子が不満そうに呟く。
 浮かび上がるバスの姿は、1つや2つではない。しかしそれも、多くの人が楽をして恐山を訪れたいと願うなら仕方のないことなのだろう。
(実際)
 たどり着くまでは物凄い山道だった。あまりにも蛇行し、そして高低差もある道路。今回のツアー参加者の中には、登山も体験したいと登っている者もいるらしいが、きっとかなりの体力が必要だろう。
 ちなみに祥子の腕の先に繋がれたドールはと言えば、どこか不満そうな表情をしていた。
「相変わらず、機嫌は直らないのか?」
 それに気づいた俺が問うと。
「別に……そんなんじゃない」
 ふいと、ドールは視線をそらした。その動きがとまる。
「? どうした?」
 俺がその視線を追うと、その先にいたのは。
「入りもしないで何してるのかと思ったら……皆お揃いで」
 くすくす笑うシュライン・エマが立っていた。
「シュライン! キミも来てたのか」
「奇遇ですね」
 俺と悠也がそれぞれ声をあげると、シュラインはさらにこちらに近づいてくる。
「こんな機会でもないと、恐山なんてこれないもの。それに温泉たまご食べたいなぁって思ってね。最高のお塩用意してきたんだから」
 なんともシュラインらしい。そして食べ物に目がない俺も、当然それに惹かれていた。悠也に「温泉がある」と教えてもらった時から。
 がっしりとシュラインの手を握って。
「俺が温泉たまごを奢ろう。だからその塩を!」
「ギブアンドテイクね!」
 ここだけ妙な空気が漂っているが、きつい硫黄臭のおかげで――言い換えるならまさしくたまご臭のおかげで、周りには気づかれなかったようだ。
「――あ、ドール? どこ行くのっ」
 そんな祥子の声に視線をずらすと、ドールが総門とは違う方向へ歩いていくのが見えた。祥子がそれを追いかけている。
「ねぇ、ドールも一緒に来たの?」
 小さな声でシュラインが訊ねてくる。
「祥子くんはドールに誘われ、それを不思議に思った祥子くんに俺が誘われたんだ」
「それで戒那さんは悠也を誘ったってわけね」
「どうせ来るのなら、シュラインさんも誘えばよかったですね」
 悠也の言葉に、シュラインが真顔になった。
「冗談でしょ。むしろ私が”おもり”をするわよ」



 ドールと祥子を追いかける。
 ドールは小さな橋の上に立っていた。その朱塗りの橋は、ひどく極端な弧を描いている。幅の短い川に、倍の長さの橋を無理やりつけたかのようだ。普通の子供ならうまく通れないだろう。
「あれ、太鼓橋っていうんです。その下を通っているのが三途の川」
 見守る祥子が説明をしてくれた。
「なるほど。こうやってバスで通ってきてしまったのを、自分の足で渡りたい人は渡れるってわけね」
 シュラインが納得の声をあげた。
(生きたまま三途の川を渡る人々)
 不思議な気分だ。
 そこを渡ってみたいとは思う。けれどそれは、死にたいわけではない。
 まさにここは、生と死の境目。
 ドールはその橋の上から、三途の川の先を見つめていた。
「ドール? 何が見えるんだ」
 話し掛けても答えはない。……と思ったが。
「――ここには脱衣婆(だつえば)がいないんだね」
 そう呟くと、自ら橋をおり俺たちの方へと戻ってきた。
「さぁ、中に入ろう」



■恐山の七不思議【恐山:地獄巡り】

 バスガイドや他のツアー客は、既に山内巡りへと出発しているようだった。あれだけ人数が多いのだから、バスガイドが全員揃っているかどうか把握できなくても仕方がない。むしろこの場合は俺たちの方が悪いのだ。
「私がちゃんと解説するから、安心していいですよ」
 告げた祥子の手には、しかしガイドブックが握られている。ちょっとだけ不安だが、解説がまったくないよりはいい。
 総門からまっすぐ伸びている参道を歩いていくと、仁王門の奥に石段上の本殿(地蔵堂というらしい)が見えた。その奥には大きな山が見える。
(あれ?)
「恐山って”山”なんだよな? もっと高い山があるなら、そっちにすればよかったんじゃないのか?」
 山は高い方がいいという心理は、何故か昔から存在している。高い山ほど崇められる傾向があるのだ。
 すると祥子は笑って。
「違いますよ戒那さん。あの山も恐山の一部です。地蔵山って言うんですけどね」
(地蔵堂の後ろに地蔵山か)
 ネーミングは安直だが、由来はどうも深いらしい。
「もしかして、恐山という”山”は存在しないんですか?」
 問いかけた悠也に、祥子は嬉しそうに答えた。
「ぴんぽーん。それが恐山七不思議のうちの1つ目。”恐山”という固有の山は存在しないのに、誰もが恐山と呼んでいる」
「恐山七不思議ね。面白いじゃない」
 興味を惹かれたように、シュラインが呟いた。
 祥子の話によると、恐山とは――宇曽利湖という周囲10キロもある湖と、その周りを囲むように存在する8つの山を指して呼ぶのだそうだ。地蔵山もそのうちの1つなので、「あれも恐山」というわけである。
 祥子の話を聴きながら、俺たちは参道を外れ小道へと入っていった。
「他の6つは何なの?」
 訊ねるシュラインの目は輝いている。
 シュラインが興味を持ってくれたことが嬉しいようで、祥子も楽しそうだ。
「2つ目はね、恐山ではこんなふうに、至るところで硫黄が噴き出ているんです」
 こんなふうに……と指した所には、古ぼけた看板が立っている。金堀地獄――と書いてあるようだ。地獄といっても何があるわけではないが、何もないことが逆に地獄っぽくもある。ごつごつした岩肌は噴き出る硫黄のためか赤く変色していて、所々鋭い。どこを見ても地面が平らでないところも非現実的だ。
(それにしても)
「凄い名前だな……」
「もっと凄いのもありますよ。重罪地獄や血の池地獄。同情したくなっちゃうような本妻妾地獄とか、つい笑っちゃう御釜地獄とか」
「…………」
 許容範囲を大きく超えたネーミングに、言葉が出なかった。
「――それで、2つ目の不思議はこの地獄が存在していることなんですか? 地下に硫黄が蓄積されているのなら不思議でもなんでもないと思うんですが」
 気を取り直した悠也の言葉に、祥子は否定の首振りをした。
「”そっち”じゃないの。こういう地獄は136つもあったって言われているのに、その中で何故か5ヶ所だけは薬湯が湧いているんです」
「! それが温泉か」
「そうです。不思議でしょ?」
「確かにそれは。納得です」
 温泉だけ湧くならわかる。まったく湧かないならわかる。けれどたった5ヶ所でだけ、それは湧いたのだ。しかもどの噴気孔も、さして離れた位置にあるわけではない。既に2つ温泉らしき小屋を見かけているからそれは確かだ。
(そして身体にいい薬湯)
 神聖なるお山と崇めたくなる気持ちが、少しわかった。
 足を進めながら、祥子の説明は続く。
「3つ目の不思議はね、恐山は日本三大霊山に数えられるほどの霊場でありながら、方位から見て日本の鬼門に位置してるために、宗派の本山にはなっていないんですって。……なんかよくわからないけど」
 つまりこれだけ賑わっていても、属している宗派から正式に認められた山ではないということだろう。
「昔ね、今は恐山に含まれている釜臥山ってのがあるんだけど、その山は女人禁制の修験者のための霊峰だったんですって。だから宇曽利湖を挟んだこちら側では、宗派に囚われず貴賎老幼男女の別さえ問わないような――民衆のための山にしようってことになって。だから本山にならないのも当然だって、本には書いてあったわ」
「じゃあ不思議じゃないじゃないか」
 俺が真顔でつっこむと。
「そうだけど! ロマンがあるからいいのよっ」
「そうよ、戒那さん。すごく素敵な話じゃない」
 どうやらシュラインは祥子の味方のようだ。悠也は輪の外で笑っている。
「今ここにいる時点で、戒那さんの負けでしょう?」
(そうだ)
 本当はそれ自体が不思議だ。



■白とエメラルドグリーンの極楽【恐山:極楽浜】

 世界の果ては、きっとこんな感じなのだろう。
「すごい、きれぇ……」
 祥子が呟いた。
(誰も)
 それ以上の言葉を持っていない。地獄の中に存在する極楽。
 俺たちは、極楽浜へと到達していた。
 驚くほど白い砂の上に立ち、なみなみと水をたたえた宇曽利湖の水面を見つめている。
「どうしてこんなに水が碧なの?」
 思わず口にしたシュラインも無理はない。白と碧のコントラストは本当に美しかった。
「あの山が、釜臥山よ」
 祥子が解説を加える。
 宇曽利湖の向こうに見える山は、くっきりとした美しい/~\の形をしていた。この景色をより一層引き立たせてくれているのは確かだ。
 ふと、どこからか唄う声が聞こえる。


  極楽の鐘の響で目を覚す
  五色の空に沿うぞ嬉しき
  有難や念仏唱えて願うべし
  極楽浄土へ参るべし
  南無や恐山(オヤマ)の地蔵様
  南無や大師の観世音
  南無阿弥陀仏
  南無阿弥陀仏……


 祈りを捧げるような、死後の安息を願うような。どこか切なく懐かしい響き。
「――ドール」
 おとなしく我々のあとにくっついてきていたドールに声をかけると、ドールは不思議そうに顔を上げた。
「?」
「真っ赤なバラの花を、出してくれないか」
 本当は持参してきたかったのだが、それはさすがに目立ちすぎるだろう。それにこうしてドールに頼めばいいことだった。
 ドールは何も答えず、それでも片手を前に出した。まるで手品のように、その手の平にバラの花束が出現する。花”束”とは言わなかったけれど、ドールにはちゃんと伝わったようだ。
「ありがとう」
 にっこりと笑って受け取る。祥子の話を聴きながらもドールに注意を払っていたが、今のところおかしな素振りは見せていなかった。――それが逆に、おかしくもある。
「戒那さん、どうするんですか? それ」
「もちろん手向けるのさ」
 俺は思い切り助走をつけて、宇曽利湖に向かってその花束を投げた。しっかりと束ねられていなかったのか、花束はキレイにばらけて湖面へと着水する。
(花が花を)
 形作るように。
 それも一つの不思議だ。
「――お幸せに――」
 呟いた俺の言葉は、きっと悠也には聴こえなかっただろう。

     ★

「そういえば、こんな季節なのに落ち葉がありませんね」
 ボーっと湖面を見つめていると、悠也がそんなことを言った。確かに、湖面には先ほど俺が投げたバラしか浮いていない。それもやや流されて遠くへと行っていた。
「これも七不思議の一つか? ……あれ?」
 祥子に訊いたつもりだったのだが、いると思っていた場所に祥子はいなかった。祥子だけではない。ドールも――何故かシュラインもいない。
「いつの間に」
 悠也も気づいていなかったようだ。皆静かにあのバラの行方を追っているものと思っていたのに。
(やられたな)
 そう思うものの、入り口でのシュラインのあの発言を考えれば、これは予定されていたことなのだろう。それに悪い気はしない。
「――戒那さん、座りませんか?」
 ずっと歩きっ放し立ちっ放しだったので、その悠也の言葉に同意して座った。白い砂の上に座ることには、何のためらいもない。これがあの地獄のような岩肌だったなら、ためらわずにはいられなかったろう。
「本当にキレイな砂だな。パウダーを振り掛けたみたいだ」
 砂との距離が縮まり、俺は手でそれを触った。見かけどおり柔らかい感触に、素直な感想がもれる。
 しかし悠也は、何も返さなかった。――いや、応えを期待して告げたわけではない。ただ他のなんでもいい、会話がしたかっただけだ。
「悠也?」
 砂から目を離して顔を上げると、悠也の目はまだ湖の碧を捉えていた。
「――戒那さんは、逢いたい人はいないんですか?」
 動いた口に、まだあのバラを見ているのだということを悟る。
(死んだ人に逢うことができるか?)
 このツアーの主旨を思い出した。
 それは思いもよらないトゲだ。
「こっちを見ろ、悠也」
「わっ」
 ぐいと鼻を掴んで、こちらを向かせる。
「痛いですよ戒那さん」
 手を放すと、すかさず悠也が自分の鼻をさすった。
「下らないことを気にするんじゃないよ。さっきのバラに深い意味なんてないさ」
 俺が見てほしかったのは、何のこだわりもない表情。
「言いたいことは言ったし、くれてやるものはやった。今さらだろ?」
 そして笑う。本当に”今さら”なのだ。
 そんな俺を見て安心したのか、悠也も優しい笑みを見せた。
「そうですよね」



■温泉とたまご【恐山:花染の湯】

 その後他のツアー客やシュラインたちと合流した俺は、先に温泉へ入ってしまうことにした。宿坊に泊まる人たちは夜でも利用できるらしいが、宿坊に泊まらない俺たちは下山することになるのであとから入るのは不可能だからだ。
 悠也とシュラインに声をかけると、2人は笑顔で了承してくれた。一方ドールはお気に召さないようで、絶対に嫌だと言い張っていた(理由はなんとなく想像がつく。きっと人前で裸になるのが嫌なのだろう)。祥子もそれにつきあってあとにするそうだ。
 実は温泉に入る前に温泉たまごを食べようと人数分買っておいたのだが、バスガイドに「温泉たまごは温泉から上がってから食べた方が美味しいのよ」とやけに迷信くさいことを言われたので、なんとなくそれに従うことにした。
 シュラインと2人、まずは冷抜の湯に入り、その名のとおり身体を温める。木でできた小屋と浴槽は小さめではあったが、とてもいい香りを放っていた。立ち込める硫黄臭を少しは和らげているようだ。
「これヒノキだわ。ヒノキのお風呂なんて、入浴剤以外で入ったの初めてかも」
 シュラインが感動したように――嬉しそうに告げた。確かに、めったに入れるものじゃない。ヒノキどころか、木造のお風呂自体ほとんど見かけない。
 じっくりと身体を温めてから。
「そろそろ向こうへ行こう、シュライン」
「向こう?」
「若返りの湯だ」
「まだそんな歳じゃないじゃない」
 笑うシュライン。けれど惹かれないわけじゃないのは、その表情を見ればわかった。

     ★

 少し離れた場所にある花染の湯には、既に悠也がやってきていた。――そう、ここは混浴である。
「ゆ、悠也……あんたなんで女風呂にいるのよ……」
 指差してぷるぷる震えているシュラインは、どうやら知らなかったようだ。
(どうりであっさり返事をしたと思った)
「なんでって、ここ混浴ですよ」
 苦笑した悠也が答える。
「え?!」
 シュラインが辺りを見回すのと一緒に、俺も見回してみた。”若返りの湯”と言われることからも想像がつくように、中年の女性がとても多い。あとは老年の男性だ。
「まあまあシュライン。早く入らないと風邪をひくぞ」
「戒那さーん」
 シュラインは別に混浴が嫌というわけではないのだろう。ただ何の覚悟もなく普通に女風呂に入る勢いで入れないのは確かだ。
「お嬢さん早く入りなされ。後ろがつかえとるよ」
「あ、すみません」
 ついには知らないおじさんにも声をかけられ、シュラインは身体をお湯につける。
「あら……ちょうどいいぬるさで気持ちいいわね」
 あっさりと機嫌は直ったようだ。
(これも温泉の効能か?)
 ちなみに気持ちいいのは俺も同感だ。



 さて、温泉から上がった後はお待ちかねの温泉たまごタイム。祥子とドールも合流して、俺は買って来ておいたたまご(お風呂に入っている間は服にくるんでおいた)を皆に手渡した。
「ありがと、戒那さん」
「ありがとうございます」
「私までいいんですか? どうもありがとう」
「…………ありがと」
 皆が嬉しそうな顔をしてくれるのが嬉しい。
 今度はシュラインが皆にスペシャルな塩をあげる番だと張り切ると。
「ストーップ!!」
 どこからか声がかかった。見ると、あの胡散臭いアドバイスをくれたバスガイドだ。
 俺たちは花染の湯の脇でたまごパーティーをしようとしていたのだが、そのバスガイドは風呂に入りに来て俺たちを見つけたようだった。
「まさか……温泉たまごを塩で食べるつもりじゃありませんよね?」
「え……」
 皆呆然とした顔でバスガイドを見つめている。
「温泉たまごは専用のたれで食べるんですよー。買った時袋の中に入ってませんでしたか? それにスプーンもついていたはずですが」
 そういえば、何か色々と入っていた気がする。何に使うのかわからなかったので無視していたが。
「あ、やっぱり入ってるじゃないですか」
「あの、温泉たまごって普通のゆでたまごとは違うんですか?」
 訊ねたのは悠也だ。
(よく訊いた!)
 皆温泉たまご=ゆでたまごと思っていたから、自然と塩が思い浮かんだのは言うまでもない。
 バスガイドは逆に驚いた顔をして。
「全然違いますよ! ちょっとボクのたまご貸してくれない?」
 と訊いておきながらドールのたまごを奪うと、俺から奪い取った袋からプラスチックの小さなスプーンと何らかのたれの袋を取り出した。どうやら食べ方講座が始まるらしい。
「いいですか? お皿にあけれれば食べるのは簡単なんですけど、お皿がない時はこうやって食べるんですよ」
 バスガイドは慎重なしぐさでたまごの上の方を小屋の壁に打ち付ける。俺たちはその動作を食い入るように見つめていた。
 てっぺんに少しのひびが入ると、やはり慎重な仕草で殻を取り除く。そしてやっと見えた白身に、その慎重さのわけを知った。
「うわーぷるぷるだ」
「これ、まるっきり半熟なんじゃないですか?」
 バスガイドの手が少し動くだけで、白身は踊り殻からこぼれそうになる。
「ほらボク、この白身をちょっと吸って」
 バスガイドは感心にも自分では食べずに、ちゃんとドールの口元へと運んだ。仕方なく言いなりになっているドールの姿が微笑ましい。
 白身が殻の囲いよりも減ると、バスガイドはたまごをドールに持たせたまま、そこにたれを流し込んだ。たれは、納豆についている醤油みたいに小袋に入っていて、ちょうどいい量になっているらしい。
 うまくたれがすべて殻の中におさまると、今度はドールにスプーンを手渡す。
「はいっ、これで食べられるわよ」
「あ、ありがと」
 気圧されてお礼を述べるドール。ちょっと可哀相になってきたが、一口食べたドールの顔を見て、それが羨ましさに変わった。
(あのドールが)
 物凄く美味しそうな顔をしたのだ!
「ど、どうなの?!」
 訊くまでもなくなくわかっているけれど、つい問いかけてしまうのが人間。ドールも意地など張っている余裕もないのか、やけに素直に言葉を繋いだ。
「美味しい……」
 それが始まりの合図だったかのように、俺たちも慎重にたまごの殻を割り始めた。バスガイドがその姿を満足そうに眺めている。
 ある意味それは、地獄よりも怖い光景だったのかもしれない。



■夜は更けてゆく【旅館:大部屋】

 その味は、”普通のゆでたまご”とはかけ離れていた。たれと白身、そしてたれと黄身のコンビネーションは最高で……たかがたまごでここまで美味しいのだから、ふもとの旅館で出されるだろう郷土料理はどんなに美味しかろうと、皆期待していた。
 そしてその期待は、裏切られない。
「――ずいぶんと豪勢だな」
 呟いた俺の目は輝きっ放しだ。
 海の幸と山の幸があふれている。そういえばこの都市は、海も山もある貴重なところ。囲んでいる陸奥湾ではホタテがよくとれるらしく、ホタテ料理も多い。そして――
「そういえば、まぐろで有名な大間がすぐ近くでしたね」
 悠也が口を挟んだ。
 刺身がやけに美味しそうに見えたのは、錯覚ではないだろう。
「てんぷらがありますよ、シュラインさん。あのお塩使いましょうよ!」
 山菜のてんぷらにはてんつゆがついていたが、素材が美味しいてんぷらならば塩で十分だ。その塩が美味しければなお言うことはない。
「あらいい考えね! 持ってきたかいがあったわ〜」
 気の利く祥子にシュラインも嬉しそうだ。
 そうして美味しい料理に舌鼓を打ちながら、夜は更けていった。途中祥子とドールを寝かせたあとは、大人だけで酒盛りを始める。寝ている2人の邪魔にならぬよう月明かりだけを頼りに、大きな窓の方へ。
 旅館側に用意してもらった地酒も美味しく、いつもよりもハイペースで酒宴は進んでいた。
 やがてシュラインがダウンするが、ちらりと見せたその表情を見ると、本当はまだまだいけるのだろう。
「じゃあお先に寝かせてもらうわね」
「ああ……ありがとう」
「? 何がですか?」
 問いかけたのは悠也だ。
「――塩」
 俺がそう答えると、布団に向かおうとしていたシュラインの背中がピクピクと痙攣していた。
(笑ってるな……)
 全体的にどこか”らしく”ないのは、恐山を包む不思議が俺をも蝕んでいるからかもしれない。
「――悠也、次は熱海辺りにでも行こうか」
 シュラインの寝息を聴きとってから、俺はそう声をかけた。悠也は微笑んで。
「そうですね」
 その笑顔は俺のものを反射しているのだと、あとから気づいた。



■お約束エンド【白王社ビル:月刊アトラス編集部】

「ほら麗香くん。お土産とレポート」
 後日俺は買っておいたお土産を持参して、麗香のもとを訪ねた。もちろん発言どおり、”お土産”と”レポート”を渡すためだ。
「――嫌な予感がするわね。どうしてお土産が先なのよ」
 さすが麗香。勘がいい。
「そりゃあ……お土産がメインだからだ」
「私がメインにしてほしいのはレポートの方よ!」
 といいつつ、お土産はしっかりと麗香の腕の中。
(さすが……)
「で? レポートは」
「どーぞ」
 麗香が奪い取った俺が差し出した紙は、ぷるぷると震えている。まるで温泉たまごの白身ように。――いや、正しく言うならば震えているのは麗香の方だ。
「”温泉たまごの美味しさについて”ですってぇー?!」
 ヒステリックに叫ぶ。
「その袋落とすなよ。中は温泉たまごだ」
「温泉たまごが何だっていうのよ! 私が知りたいのはそんなことじゃなくってねぇ……っ」
 涙声の編集長はもう、力尽きる寸前のようだ。
「その温泉たまごの味だって不思議そのものだ。食べればわかるぞ」
 俺はそう言い残して、そこをあとにした。
 その後三下くんの話によれば、温泉たまごを貪り食った麗香はすっかりその魅力にはまってしまったらしい。



 さて――
「そういえば、ドールの目的は何だったんだ?」
 数日後、当初の目的を思い出した俺は独り呟いていた。

■終【恐山で逢いましょう】



■登場人物【この物語に登場した人物の一覧:先着順】

番号|PC名     |性別|年齢
  |職業
0164|斎・悠也    |男性|21
  |大学生・バイトでホスト
0086|シュライン・エマ|女性|26
  |翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
0121|羽柴・戒那   |女性|35
  |大学助教授



■ライター通信【伊塚和水より】

 この度は≪恐山で逢いましょう≫へご参加いただき、ありがとうございました。
 温泉たまごノベル、いかがだったでしょうか(笑)。思わず力説している私は温泉たまごが大好きであります。小さい頃から作中のような食べ方をしておりましたが、一般的にもそうやって食べるのかは実はさだかではありませんのであしからず。しかも実はこの食べ方、かなりのテクニックが必要だったりします(笑)。
 それでは、またお会いできることを願って……。

 伊塚和水 拝