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はじめてのおつかい
真っ赤なランドセルは小学生の証。
とは言え私立小学校ともなればその愛らしい証明は所によっては残念な事に使用されない。
学校指定のバックを片手に加賀・沙紅良(かが・さくら)はバタバタと家へと駆けこんだ。無造作にバックを放り出し、そのままの勢いで台所へと飛び込む。
「なー腹減った!」
実にわかりやすい急ぎの動機である。
しかしその欠食児童の要求はあっさりと却下される。
エプロン姿で家事に勤しむ母親は、振り返りもせずに言う。
「今ちょっと手が離せないのよ」
見ればコンロには中華ナベ。じゅうじゅうというライスを炒めるの心地良いリズムが聞こえてくる。油断すればチキンライスは黒焦げ、どころか家まで黒焦げだ。
唇を尖らせる沙紅良を放置してとりあえず第一陣のチキンライスを仕上げてしまった母親は、皿にキッチンペーパーを敷きつつ更に沙紅良に苦行を要求した。
「お母さん洗い物も全部やっちゃいたいからあなたちょっとおつかい行って来て頂戴。卵とヨーグルトね」
エプロンのポケットに入っていた財布から一万円札を抜き出しつつ、母親はにっこりと笑う。10の子供にとって母親という存在は絶対だ。実際は10どころかいくつなんだか己でも把握出来ない長きを生きている沙紅良だが、だからこそその『10の子供の現実』は分かっている。家庭と学校という二つの世界しかまだ持たない年頃の子供にとって、その権力者である所の『母親』と『教師』の二つは逆らうべきではない存在なのである。逆らってもいいし逆らう子供もいるが、それは子供の選択としてはあからさまに損だ。
「はーい」
沙紅良はしぶしぶながらも一万円札を受け取った。その沙紅良に、母親はうんと頷いて一つのご褒美の約束をくれる。
「何か一つおやつ買ってもいいわよ」
と。
万冊握って子供がちょろちょろしていればまあままあることではあるのだが。
「おじょーちゃん俺らに小遣いくんねえ?」
どう見ても沙紅良より年上、ともすれば小遣いを沙紅良に与えるべき風体の少年達が沙紅良をぐるりと囲んでいた。
「なんで?」
全くの素で沙紅良は答える。というか誰にしたところで素だ。
「金持ちみたいじゃねえか」
「一万円で金持ちかよ。お前らビンボーすぎんじゃねえの?」
むすっとした顔で沙紅良が答えると少年達はなにがおかしいのか沙紅良を見て爆笑する。
「ま、いいから大人しくそれよこしな? したら痛い目見ないで済むからよ?」
少年の一人が沙紅良の肩に手を置いたその刹那。
彼は夜空に輝く星を見た。
「馬鹿じゃねぇの? この金やったら俺晩飯食えねぇじゃん。今日はオムライスなんだよっ!」
甲高い子供の声と共に。
そして地に息づく力強い息吹きを感じた。
「相手は選んだ方がいいぜ?」
嘲る子供の声と共に。
小学生に殴られて踏まれた少年達は、己の身の不運を理解せぬままアスファルトに伏したのだった。
夕方になるとスーパーという場所は俄然賑やかになる。
そろそろ割引になり始める肉や魚などを狙っておばちゃん達が、そして仕事帰りの兼業主婦等でごった返す。
その中を小さな身体で泳いだ沙紅良は目当てのものをさっさと買い物カゴに入れた。後はと颯爽とお菓子売り場へと移動する。ずらりと並んだ菓子箱にうっとりと魅入るも束の間やはりさっさと選択を下す。
夕飯間近な事もあり、腹に溜まるものよりはと甘いチョコレートの箱をカゴに放り込んだ。
「さて後は金払うだけだよな」
小さな体でおばちゃんかきわけ沙紅良はレジへと進む。
しかしそこはがら空きだった。というよりも丸く出来た人垣がレジを囲んでいる。レジには店員と男が一人居るばかりだ。
「かかか、金、金と車用意しろぉ!」
なんて言うか店員の喉元に包丁など突きつけつつ。
ざわつくというよりも既に悲鳴充満状態。
しかし沙紅良は頓着しなかった。無造作に近付いてくる子供に、強盗は怪訝な顔をし店員は金切り声をあげる。
「なんだあ?」
「き、来ちゃダメ!」
中々美人な店員のお姉さんの制止の声もなんのその、沙紅良はレジへと買い物カゴを置く。
「会計してくんねーの?」
まっしろ。
人質取った強盗も、人質の美女も目が点である。
いやいくら子供といってもこの反応はないだろう普通。
居直り強盗という種族は普通完全に逆上している。人質をとらなきゃどーもならない状況はそれを裏付けているようなものだ。
この、ある意味では色々馬鹿にした子供は見事に強盗の破綻しかかった精神を刺激した。沙紅良が無意識だろうとそんな事は関係ない。この場合の問題は強盗の主観である。
「ばば、馬鹿にしやがってぇ!」
人質を突き飛ばし、強盗が包丁を振り上げる。
「るっせえな。俺急ぐんだからさぁ、さっさと包丁代払えよおっさん」
そして強盗はレジに天国を見た。
まともに突っ込んだレジから買い物カゴがぽーんと跳ね上がる。強盗の後頭部に踵落しを喰らわせた沙紅良は、空飛ぶ買い物カゴをあっさりと受け止め、付き飛ばされた店員に微笑む。
「な、会計」
急かされた店員はすかさず立ち上がった。動転よりもはっきり言ってあっさり強盗を寝かせてしまったこの子供のほうが恐ろしかったのである。
合掌。
帰宅した沙紅良に母親が問う。
「おかえりなさい。大丈夫だった?」
「べつに何も?」
カツアゲ少年を沈めても強盗を退治しても。
沙紅良としてはさして何も変わりのない放課後の出来事だった。
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