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魂鎮め
【オープニング】
ああ……ここは、暗い。
体の芯から凍えるような、この寒さ。耳元にまとわり付く吹雪の声。どれほど目を凝らしても、何も見えない、真の暗闇。
右も左も、出口など全くない完全な虚無の中を、私は歩く。
もしかしたら、どこかに風の通り道があるのではないかと、心の底ではありえないと知っていてさえも、儚い希望を、捨て切れなくて。
私は、罪人だった。私は、人を殺した。
偶然ではない。出来心でもない。私は、明確な殺意をもって、あいつを襲った。家から包丁を持ち出して、暗がりの中を歩くあいつを、背後から追いかけて、刺したのだ。
怒りと悲しみと悔しさで盲目になった私には、周りの人のどんな温かい励ましも、何の意味も持たなかった。あいつを殺さないと、終われない。ただ、それだけだった。それしかなかった。
自分の名誉。家族の嘆き。平穏な生活。その全てを犠牲にしてもかまわないと思えるほどに、私は、あいつが、憎かったのだ。
「許せない……許せない！ 殺してやる！ 殺してやる！」
私は何度も何度も夢を見た。
あいつを殺す夢を。
ナイフで刺して。毒を飲ませて。車で轢いて。ビルの屋上から、突き落として。
時間が経てば、憎しみが薄れるなんて、いったい、誰が言ったのだろう？ 近しい者を殺されたことのない人間に、私に気持ちはわからない。あいつなんか、殺す価値もない？ そんな偽善を言えるのは、今、自分が、幸せだから。
私にとって、あいつの命を奪うことは、何よりも価値があった。この狂気を鎮めることのできる、唯一にして、絶対の、確かな方法だったのだから。
私の婚約者は、あいつに、殺された。
金が欲しかった、と、あいつは言った。
遊ぶ金が、必要だった。暗い夜道をたまたま一人で歩いていた彼を、見つけた。難癖をつけて、金を巻き上げようとしたけれど、彼は無視した。腹が立って、背後から殴ったら、反撃された。余計にむしゃくしゃして、普段から持ち歩いていたサバイバルナイフで、彼を刺した。
そしたら、死んだ。
あいつは、少年だった。十七歳だった。
新聞に本名も出ることなく、事件は、こそこそと終わりを迎えた。ほんの数年あいつは少年院に入り、そこで良い子を演じて、すぐに出てきた。
そして、あんたが殺した男の婚約者だと言って、会いに行った私に、こう言い放ったのだ。
「俺は、もう、罪を償ったんだ。忘れたいんだ。あのことは。今更、現れて、俺の目の前をウロウロしないでくれよ」
あいつは、一言も、謝っていないのに。
彼に。彼の家族に。……私に。
終わったことだったのだ。あいつにとっては。
その後のことは、よく、覚えていない。
のろのろと家に帰り、包丁を持ち出したような気がする。あいつを追いかけて、刺したような気がする。
気が付いたら、ここにいた。
この、何もない、真っ暗な空間に。
私は死んだのだろうか？ あいつを殺して、自分を殺して、そして、この場所に迷い込んでしまったのだろうか？
死んだら彼に会えると思っていたのに、私は、まるで縛られたみたいに、この世界を離れられない。いつまでも彷徨う。止り木の探せない渡り鳥のように。帰る巣を知らない小さな獣のように。
出口はどこ？ 彼はどこ？ 光が見えない。暗い。暗い。暗い……。
誰か、私を、見つけて。
誰か、私を、教えて。
誰か、私を、助けて。
誰か、私を、救って。
私が、壊れる。私が、消える。
私ではないものに、堕ちる。
私ではないものが、生まれる。
私は……？
【月刊アトラス編集部にて】
「馬鹿な子よね」
月間アトラス編集部の、日当たり良好、風水上々、ついでに三下あたりを使って曇り一つなく磨き上げた、ちょっとこの部屋には似つかわしくないゴージャスな肘掛つきの編集長の椅子に腰を下ろして、碇麗香は、溜息と共に、そう呟いた。
彼女の手には、一枚の写真が握られている。裏側には、走り書きのような汚い文字で、ただ一言。
「松村美奈子」
写真の中でも相変わらず女王様然とした麗香の隣で、彼女とは何から何まで対照的な見るからにおっとりとした女性が、柔らかく微笑んでいた。
「あんたは、大馬鹿よ。美奈子」
おとなしい女性だった。優しい女性だった。摘んだ花がしおれても涙ぐむような、そんな女性だった。だからこそ、驚いた。彼女が、包丁で、人を刺したと聞かされたとき。
松村美奈子は、碇麗香の大学の後輩だった。親友、と呼べるほど、特別な間柄ではない。だが、仲は良いほうだったと思う。最後に会ったのは、三年前だ。もうすぐ結婚するからと、嬉しそうに語っていた。
「何やってんのよ。美奈子」
詳しい事情は、麗香は知らない。なぜ、彼女が男を刺したのか、それすらもわからない。ただ、ここで重要なのは、美奈子が、生死の境を彷徨うほどの重体であるという事実の方だ。
彼女は確かに男を刺したが、それはせいぜいかすった程度だった。揉み合っているうちに、包丁は、無情にも、美奈子の胸の方を貫いたのである。
不意に、扉が、音もなく開いた。
「珍しいお客ね。獅刃」
振り返った麗香の視線の先に、一人の青年が立っていた。
闇を切り取って、そのまま人の形にしたような男だった。表情が無く、生気が無く、押し殺した感情が辺りの温度まで下げてしまうような、異様に張り詰めた雰囲気を持っている。並の人間なら、その硝子球のような瞳で睨まれただけで、たちまち萎縮してしまうに違いない。
碇麗香ほど豪胆な女が、鳥肌立った二の腕を、思わず擦らずにはいられなかった。それほど冷たい気配が、彼の周囲を取り巻いていたのだ。
「うちでバイトでもする気になったのかしら？」
有り得ないことを、聞いてみる。くだらん、と男は呟き、麗香の手から写真を取り上げた。
「何す……」
「うるさくて、かなわん。この女……。それほど恨みが深いか」
「何言ってんのよ？ 恨みって……」
「鈍くて結構なことだな。あの声が聞こえないとは、羨ましい限りだ」
麗香が、獅刃の手から写真を取り返した。
「ちょっと待ちなさいよ。わかるように言いなさいよ。いきなりドカドカ踏み込んできたと思ったら、何わけのわかんない事を……。美奈子がどうしたって言うのよ？」
「その女、今、死んだぞ」
麗香の手から、写真が落ちた。床に付く前に、獅刃がそれを空中で掴んだ。
「死んだ？」
「そう。憎い相手を殺しに行って、逆に、やられた。愚かの極みだな」
「美奈子が……」
彼女がどこで刺されたか、彼女がどこの病院に担ぎ込まれたか、一切のことを、獅刃は聞かない。わざわざそれを尋ねるまでもなく、彼は全てを知っているようだった。
まだ幸せだった頃の、はにかんだような笑顔を浮かべる写真の中の彼女の顔を、一瞥する。無表情が、ふと、何かしらの感情を浮かべた。馬鹿だな、と、低い呟きが、その唇から洩れた。
「相手の男は、正当防衛を主張している。それは、恐らく、認められるだろう。……無駄死にだ」
だから、あれほどの嘆きが、獅刃のもとにまで、届いた。
「望みは、何だ？ 哀れな女……」
【慟哭】
集中治療室から運び出された彼女の遺体は、一旦、別室に安置された。
他殺であるから、このまま、綺麗な体で火葬、というわけにはいかない。検死と称して、死んだ後も、無骨な人間たちに体を調べられることになる。服を剥ぎ取られ、裸を写真に撮られ、メスで肌を切り裂かれるのだ。
それは、生きた人間には、耐え難いほどの屈辱だろう。だが、彼女には、やめてと訴えかけるための言葉もない。彼女は死者であり、敗者であった。この世界が、どれほど不可思議に満ちていようと、結局、生きた人間こそが、絶対の勝者なのである。
獅刃は、まだ荒らされる前の彼女の遺体に、会った。
「俺を、呼んだな？」
深い絶望。暗い欲望。激しい渇望。
あの嘆きの声が、まだ、耳を離れない。
私が、壊れる。私が、消える。
私ではないものに、堕ちる。
私ではないものが、生まれる。
「呼んだのだろう？ 俺を」
足元から、闇が忍び寄ってきた。何かのおぞましい生き物のように、どす黒い手足を伸ばし、その場にある全てのものを、侵食する。靴の下の床が消えた。手を添えていた壁が無くなった。現実を飲み込んで、広がりゆく、死の芳香。
獅刃は、瞬きを繰り返した。あまりに闇が濃すぎて、自分が目を瞑っているのかと思ったのだ。だが、何も見えなかった。周りの景色はおろか、自分の体すら、見えなかった。
「私……死んだの」
暗い淵の底から響く、声。
何かが狂い始めているのだろう。その声は、嘲りを含んでいた。諦めが滲んでいた。
「私、死んだのね」
「そうだ。あんたは死んだ」
救いにもならないような嘘を、獅刃は言わない。彼女は、自分に極めて近い存在。だからわかる。とってつけたような慰めなど、何の役にも立たないのだ。
「あいつも死んだの？」
包丁で、刺してやったのよ。彼女は笑った。これほど悲しい笑い声を、獅刃は、かつて、耳にしたことがなかった。
「あいつは、生きている」
ざわり、と、空気が動いた。
「生きている？」
「そうだ。奴は、生きている」
傷は、浅かった。後ろ脇を少しかすった程度で、後は、転んだときに出来た擦過痕が、一つ、二つ。
しかも、「あいつ」には、正当防衛が認められるはずなのだ。背後からいきなり襲ってきた女と、揉み合いになり、弾みで相手に刃物が刺さった。男は、そう主張するだろう。死者は余計なことは一切言わない。どれほど時間がかかっても、男は、自分に有利なことだけを訴え続ければ良いのだ。
また、やりきれないことに、それは紛れもない真実だった。たとえ、過剰防衛が認められたとしても……男の罪は、決して、重くはない。
そう。つまりは、完全な、無駄死に。
「うそ……」
「嘘じゃない」
「うそよ！」
「真実だ」
「い……や…………」
「悔しいか？」
「いやあぁぁぁぁ！！！」
「あいつが、今、何を思い、どう過ごしているか……教えてやろう」
それは、この上もなく、残酷な提案だった。死んだ女に、殺し損ねた仇の姿を、見せる。そこまで女を追い詰める必要があるのかと、獅刃自身が自問自答せずにはいられなかった。
だが、どのみち、下法の術士である自分に、救いの技は使えない。ならば、彼女の恨みを、憎しみを、嘆きを、一手に引き受けてやろう。それが強ければ強いほど、「あいつ」に与える苦痛は、激しさを増して行くはずだ。
「見ろ……。あんたがやった事の、これが、結果だ」
暗い空間に、ぽっと何かの像が浮かび上がる。三年分成長して、大人になった「少年」が、そこにいた。「少年」の恋人らしき女が、留置場に会いに来ている。
「正当防衛さ。心配ないって。すぐ出てくるから」
「まぁね。でも、吃驚したわよ。つーか。迷惑。三年も前のことじゃない。あんただって、まだガキだったわけだし。今更言われてもね」
「別に。今となっては、ちょっとラッキーだったかな、なんて。これで、しつこくあの女に追い回されないで済むわけだし」
「それもそうか。まぁ、とにかく、早く戻ってきてよね」
笑っていた。「少年」は。彼には、謝罪の気持ちなど、欠片ほども無かったのだ。今も。昔も。
「お願い」
彼女が、震える。顔を両手で覆って、泣いた。声すら出ない、無音の慟哭。歯を食いしばり、嗚咽を堪えた。わななく唇を、不意に、凄絶な笑いの形に吊り上げた。狂った。獅刃は、それに気付かないわけにはいかなかった。
何かが、崩れた。
何かが、壊れた。
「あいつを、壊して」
「それが、望みか」
「私だけが死ぬのは嫌！」
「あいつを、殺すか」
「破滅させて！ あいつを！！」
摘んだ花がしおれても、涙ぐむような女性だったと、麗香が言った。その彼女が、笑いながら、あいつを壊せと、獅刃に命じる。
「俺に、癒しの力は無い。せめて……眠れ。何も、感じなくなる」
それが、同情から出た慰めだったのか、仲間意識による手向けだったのか、獅刃自身にも、わからない。
ただ、もはや堕ちて行くしかない女に、これ以上の苦役を与えてやりたくはなかった。
だから、手を下したのだ。行使したのだ。滅ぼすためだけの、その、力を……。
【エピローグ】
正当防衛は、認められなかった。
鑑識からきた報告書を読んだとき、刑事は、思わず、飛び上がって歓声を上げてしまった。
「包丁は、坂下真二（２０歳）の自宅マンションの部屋にあったものに間違いなく、検出された指紋も、坂下真二のものだけである。松村美奈子の指紋については、検出されなかった」
正当防衛などではなかった。坂下真二は、明らかな殺意を持って、松村美奈子を刺したのだ。自宅からわざわざ包丁を持ち出して、彼女の婚約者のみならず、彼女自身の命までも、奪ったのである。
「あのくそガキが。三年前は、法が守ってくれたようだが……今度は、そうはいかねぇぞ！」
十七歳の少年だった坂下真二は、今、二十歳の青年である。無慈悲に人の命を奪ったその代償は、しっかりと、自分自身で精算しなければならない年齢だ。法は、既に、彼の味方ではない。法は、今度は、彼を裁く側に回っている。
「俺じゃない！ 俺は包丁なんか、家から持ち出していない！ あの女が俺を殺そうとしたんだ！ あの女が……」
事件は、劇的な変化を迎えた。
松村美奈子が持ち出したとされていた包丁は、実は、坂下真二の持ち物だった。坂下真二は、正当防衛を装って松村美奈子を殺すという、極めて計画的で凶悪な犯行に及んだわけである。しかも、その理由は、「あの女が目障りだったから」
一人目を、金が欲しくて殺した。二人目を、目障りだから殺した。
罪のない青年と、その婚約者の命を、わずか三年の間に続けざまに奪ったのである。鬼のような、悪魔のような、非道極まりない男として、坂下真二の名は、新聞、テレビで大々的に報道された。可哀相な恋人たちには同情が寄せられ、その反面の嫌悪が、殺人鬼に、豪雨のように集中した。
坂下真二は小悪党であり、人を二人も殺したわりには、肝の小さな男だった。快楽に生きる我儘な子供のような人間であり、先の見えない刑務所暮らしに精神が限界を来たして、三年後、自殺した。
ちょうど、三年だった。松村美奈子が、恨みと憎しみを引きずって生き続けた、同じ年月だ。それは、むろん、偶然ではなかった。天の上の神のごとく、全てを操っていた人間が、いたのである。
「相応しい末路だろう。あのクズには」
誇るでもなく、面白がる風もなく、淡々と、獅刃は呟く。
そして、破滅させて、と最後に叫んだ彼女の顔を、幾度となく、思い出す。
「約束は、果たした……」
癒しの力など持たない自分だけれど、それでも、願わずにはいられない。
その魂に、少しでも、安らぎがあることを……。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【１５３２ ／ 香坂・蓮 ／ 男性 ／ ２４ ／ ヴァイオリニスト（兼、便利屋）】
【１９８１ ／ 双己・獅刃 ／ 男性 ／ ２２ ／ 外法術師】
【１３８８ ／ 海原・みその ／ 女性 ／ １３ ／ 深淵の巫女】
【１９８６ ／ キリート・サーティーン ／ 男性 ／ ８００ ／ 吸血鬼】
【１７８１ ／ 佐和・トオル ／ 男性 ／ ２８ ／ ホスト】
【１９７４ ／ Ｇ・ザニ− ／ 男性 ／ １８ ／ 殺人鬼】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。ソラノです。
はじめまして。双己獅刃さま。キリート・サーティーンさま。佐和トオルさま。Ｇ・ザニーさま。初参加、ありがとうございます。
香坂蓮さま。前回に引き続いての参加、大変嬉しいです！
そして、海原みそのさま。今回は姉妹のみそのさんに参加していただきました。ありがとうございます！
今回は、皆さんの「能力」や「立場」をそれぞれ生かしたい……ということで、個別形式に近い形で作成してみました。
キャラ同士の会話や絡みなどは、そのため、出てきません。キリート様とザニー様は、作成の都合上、同時出演にさせていただきました。
想像と違っていたり、納得いかなかったりする部分があるかもしれませんが……少しでも、楽しんでいただけると幸いです。
「裁く」を選んだ双己獅刃さま。いかがでしたでしょうか？
単純に復讐、というよりは、助けてやりたいけどそれが無理だから、せめて裁いてやる。そういう雰囲気になりました。
想像と違っていたら、すみません。でも、獅刃さん、格好良いですね。楽しんで書かせていただきました。
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