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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


血の記憶「前編」
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東京の夕空は、血に染まったように紅い。その空の赤さに辟易しながら、天波・慎霰(あまは・しんざん)は小汚いビルの窓に舞い降りた。
都会の空の赤さは、自然の紅さではない。車が発する排気ガスが光を通して、あんな風に染め上げたように見えるだけだ。
「空気も汚いし、やってらんねーよ」
唇を尖らせて文句を言いながら、慎霰はからからと立て付けの悪い窓を開けた。壁には「草間興信所」と古ぼけた看板がかかっている。
「邪魔するぜ」
窓から侵入することの違和感を少しも感じさせずに、慎霰は興信所に足を踏み入れた。
たまに仕事を請け負う草間興信所は、仕事で疲れた羽を休めるのには丁度いい休憩所だ。何しろ、自然に囲まれた天狗の隠れ里で育った慎霰には、都会の空気は悪すぎる。
「少し休ませてもらうぜ。空気が悪いったらねえのな!……って、あん?」
いつも彼が気に入って使っているソファに倒れこもうとした慎霰は、そこに先客を見つけて首を傾げた。
目を閉じて、一人の青年がソファに陣取って居るのだ。
「誰だよこいつ。依頼人?」
依頼人にしては、ソファで寝るなんていい度胸である。怪訝に思って覗き込んだ慎霰に、ようやく草間が振り返った。
「ん?ああ……天波くんか。いや、知り合いなんだが」
「客間でこんなん寝かせてるから依頼が入ってこないんだよ」
自分もそこでくつろごうとしていたくせに、ずいぶんな物言いである。ひょいと手を伸ばして、慎霰は青年の頬を遠慮なくつねり上げてみた。
面白いくらいによく伸びる。
「餅みてぇだな〜」
「それが、困ったことになってな。……起きてくれないんだ、彼。かれこれ7時間くらいになるんだが」
「は?」
ぐにっと思い切り引っ張って、手を離した。
なるほど、確かに目を覚まさない。
小鼻を蠢かせて、慎霰は首を傾げた。
「人間じゃないにおいがするぞ。誰だ、コイツ」
……それが、渋谷・透(しぶや・とおる)であった。

■───草間興信所
草間の知り合いらしい霊媒師の話では、渋谷透は何らかの霊現象を体験しているので、夢の世界から戻ってこれないのだという。
依頼人は少ないくせに客だけは多い草間興信所は、たちまち数人の来訪者で満員になった。年齢も見た目も様々な者たちに取り囲まれる中、透は平和に寝こけている。
シュライン・エマ(しゅらいん・えま)が透の身体に毛布を掛けてやったが、やはり起きる気配はない。
「困ったヤツだな。夢の中でまで取り憑かれているのか」
言葉どおりの呆れ声で、ケーナズ・ルクセンブルク(けーなず・るくせんぶるく)が眠っている透の頬を突っついている。反応を返さない透に、ケーナズと、彼と連れ立ってやってきたイヴ・ソマリア(いヴ・そまりあ)は表情を曇らせて顔を見合わせていた。
彼らがここへ到着する前に、慎霰は頬を引っ張ったり鼻を摘んだり驚かせたり、透に対して考え付く限りのイタズラを試したのだが、それは敢えて口に出さないでおいた。シュラインといい、後から尋ねてきた海原・みその(うなばら・みその)という少女といい、女性の比率が高いと慎霰は緊張するのである。
そのかわりに真面目ぶって、腕組みしている探偵に話題を振った。
「ここに来た時は、特に変わりはなかったのかよ?」
腰に手を当て、僅かに胸を反らせるようにしたのは、隣に立つ男を意識したからである。紅い髪をワイルドにセットした青年は、廣瀬・秋隆(ひろせ・あきたか)と言うらしい。スーツに身を包んでいて、慎霰のところにも僅かにコロンの香りがする。
「……夢を見るんだと言っていた。そのせいで寝覚めが悪いんだと」
「夢とは?」
低い声で、秋隆が聞き返す。
こめかみを指先で掻いて、草間は透が彼に話して聞かせた内容を反芻してみせる。
それは妙に時代がかった場所で……歴史に疎い透は、草間に「鬼武者って感じ」と説明した……、舞台はいつも誰からも見捨てられたような寒村なのだ。村人たちは死んだような目をして言葉すら交わさず、ただ黙々と日々の生活を送っている。
透が夢を見るたびに、その村は黒い影に襲われるのだという。そして、夢の中で、次第に村は死んでいく。
「黒い影……」
黙って話に耳を傾けていたシュラインが、そこではじめて口を開いて草間を見た。
「以前聞いた妙な足音や足跡と、何か関係があるのかしら?」
「足跡?」
その言葉を聞きとがめて、ケーナズが顔を上げる。思い当たることがあるのか、顎に手を当てて考え込んでしまった。
慎霰が知るべくもないことだが、ここにいるケーナズとシュライン(と草間)は、かつて渋谷・透に一夜の宿を提供したのである。そして、まるで透の様子を窺うような場所に、黒い染みを見つけたのだ。赤黒い、巨大な足跡が、まるで判で押したかのように、床に残っていたのである。
「透くんを事務所に泊めてあげたことがあったのよ。その時、廊下に…ね」
「でかい足跡が残ってたんだ」
シュラインの言葉を引き継いで、草間が言った。どうやら、彼らはその「足跡」が、今回の件に関わりがあるのかと疑っているらしい。
「何か心当たりでもあるのか?」
黙って眉を寄せたケーナズに、それまで慎霰の隣で腕を組み、沈黙を守っていた秋隆が視線を向けた。落ち着いた問いかけに、ケーナズは緩く首を振る。
「いや……思い当たるというほどのことでもない。似たようなことを体験した覚えがあったのでね。失礼だが、彼の知り合いだろうか?」
「そういうわけじゃない。悪かったな、紹介が遅れちまって。廣瀬秋隆だ。ここにはたまたま居合わせてね」
その言葉をきっかけに、彼らは簡単に自己紹介を済ませる。日本人らしからず、ケーナズと秋隆が互いに手を握り合った挨拶をしたところで、低い声が彼らの会話に割り込んだ。
「準備はいいですかネ?」
声がした先には、膝立ちしてソファの背の上で腕を組み、紫煙の立ち昇る煙を口の端に咥えた紹介屋が、腕に顎を乗せて待っていた。

「説明するぜ」
一部の人間の非難の視線を物ともせずにタバコを銜えた太巻・大介(うずまき・だいすけ)は、ソファに腰を引っ掛けて煙を吐き出した。挨拶も前触れもなしである。突然登場した闖入者に、怪訝な顔を向ける者も多かったが、太巻は頓着しなかった。
「渋谷は、取り憑いている何者かによって夢の中から出られなくなっている。マー、あわよく渋谷を連れ戻せれば万歳。憑いているヤツを払えば万々歳ってェトコですか」
「行くときはいいけど、帰る時はどうすンの。閉じ込められちまうのはゴメンだぜ」
透は、慎霰にとっては知り合いですらない。たまたま居合わせただけなのだ。これも何かの縁で「付き合ってやってもいいや」と思ってはいるが、やはり確認はしておくに越したことはない。
慎霰が疑い深げに口を開くと、タバコを揺らして太巻は笑って「それも説明する」と言葉を続けた。
「おめェらは一時的に身体から精神を切り離して、渋谷の夢の中にお邪魔するワケだ。ただし、他人の精神に干渉するのはお互いにかなり神経を消耗するから、一回で夢の中に留まれる時間は限られる。長居しすぎると、お前らを引き戻すことが出来なくなるからな。限界が来たら、目的の成功如何に関わらず、お前らの精神は引き戻させてもらうぞ」
リスクが伴うことは否めない……と、半眼になって太巻は集まった者たちを見渡した。
「降りるなら今だぜ。in or out?」
「私はINだ」
腕を組んで話を聞いていたケーナズが、スッと眼鏡を外しながら答えた。
「飼い主として、ペットを救ってやらなければなるまい」
まるでそれが役目だと言わんばかりに、自称「渋谷透の飼い主」は笑みを浮かべる。
ハハァ、と鼻から抜けるように太巻は笑い、こんな時だというのに言葉よりも雄弁に、面白がるような視線をケーナズに向けた。細めた瞳の奥で、揶揄するような光がちらついている。
しばらく不穏な沈黙が流れた後、太巻は何もなかったかのように視線をケーナズから逸らして、他の者たちを振り返った。
「さて、お前らはどうすんの」
「透くんは友達だもの。助けにいくわ」
と、イヴ。
「妹の遊び相手がいなくなってしまいますものね」
「乗りかかった舟ってことわざもあるし……私もinね」
みそのに続いてシュラインと、女性陣が次々と名乗りをあげ、残った男二人は顔を見合わせた。どうやら、透と完全に面識がないのは、慎霰と秋隆だけであるらしい。
「ま、いいんじゃねーの。妖具とか使えんのかな。使えねぇと不便だな」
ぶつぶつと呟きながら、「じゃあ俺も参加」と慎霰はひょいと手を上げた。
「妖力が宿ってるモノだったら、ある程度持ち込みも可だぜ」
と太巻が言い足し、じゃあ何か持っていこうかな、とイヴがすぃっとその場を離れる。残った者たちに見つめられ、最後まで悩んでいたらしい秋隆は、赤い髪を掻き上げて天井を仰いだ。
「はぁ……わかったよ。見捨てるわけにも行かないし、俺もインだ。手伝わせて貰うぜ」

■―――血の記憶
彼らが目を開くと、そこに見慣れた興信所の、雑然とした景色は見えなかった。
こんな枯れた土地では、作物も育つまい。元は田畑があったと思しき場所は、干上がってひび割れており、もう長いこと人の手など入っていない。
見るからに寂れた村である。所々に寂しげに佇む木は痩せ細り、ひょろひょろとした枝を真っ赤に染まった空に伸ばして空を黒く切り取っている。こげ茶色に変色した葉の名残が、風にも揺れずに枝から垂れていた。
辺り一面を、灰色の土が覆っている。火山灰でも降り積もったのかと思われる不毛の大地に齧りつくように、ぽつぽつと貧相な家が建っていた。
人の気配も、草花すらも死に絶えた寒村。灰色に覆われた世界で、空だけが血で染め上げたように紅かった。
想像していたよりも死に絶えている村を前に、彼らは互いに顔を見合わせる。
「エルム街の悪夢みたいなところだな」
辺りを憚るように声を潜めて、ぽつりと秋隆が呟いた。
何もない。鳥も虫も鳴かず、人の声も聞こえず、風すらも吹かない。生き物でなくても、すべてのものに終わりはあるのだ。家にしろ、村にしろ同じことである。そしてすべての命が絶えたこの世界には、静かに死が迫りつつあった。
「人なんかいねぇよ」
黒い和服の裾を翻して朽ち果てかけた家の一つを覗き込んだ慎霰が、皆に教えるように声を張り上げた。立て付けが悪くてはずれてしまった戸を壁に立てかけて、埃だらけで人の影もない屋内を見せる。
彼らの声を近く遠くに聞きながら、みそのは大地を巡る「流れ」を追いかけていた。「流れ」とは誰でもが持っている気配のようなものである。透の持つ「流れ」は一風変わっていたので、それを辿ることになんら問題はないように思われたのだが……
「先ほどから渋谷様の意識の流れを追っているのですが……」
形の良い眉を僅かに寄せたみそのの発言に振り返った彼らは、何故かこの時代背景に合わせて和装した少女を見つけて仰天した。
「うわ!野良着!!っちゅーか何で耳と尻尾が生えてんの!?」
遠慮なくツッコんだのは慎霰である。彼の言うとおり、みそのの黒い髪の間からは、黄金色の四角い耳が覗き、腰にはふさふさと先っぽだけが白い尻尾がついている。……狐だ。服の素材は絹である。灰の大地の寂れた村で、艶のある服の布地がそこだけ雅だ。
「"あだると"に着こなしてみました」
「アダルトって……」
まあ夢の中である。なんでもありである。ばりばりと頭を掻いて、慎霰はそれ以上の追求を諦めたようだ。
「それより、透くんの流れを追いかけているって言ってたわよね?」
指で唇に触れて考えていたシュラインが、脱線しかけた会話を修正する。そうです、とみそのは頷いた。
「渋谷様は、人にしては珍しい独特の生命の『流れ』をお持ちのようでしたので、それを辿って居所を探れるかと思ったのですが」
「流れってなんだ?」
未だに狐耳に視線がいっている慎霰が呟く。
「気配……みたいなものか?」
「そうですね」
瞳を閉じたまま、体ごと秋隆に向き直ってみそのはゆっくりと頷いた。
「見つからなかったの?」
イヴの問いに、みそのは困惑した表情を見せて首を傾げる。
「それが、うまく辿れないのです。確かに渋谷様の気配を感じるのですが、気配が一定しなくて」
「ケーナズ?」
促すようにイヴに袖を引かれ、みそのとは違う方法で、同じように透の気配を探っていたケーナズも首を振った。
「ダメだ。気配が拡散しすぎていて、位置を特定できるような状況じゃない」
この世界に、透が存在しないわけではない。その証拠に、気配は色濃く感じているのだ。なのにピントのずれたレンズのように気配はぼやけておぼろげで、どうしてもピンポイントで捉えることが出来ない。
「どういうことかしら。ケーナズの力でも捉えられないなんて」
怪訝そうにイヴは小首をかしげている。
「どちらにしろ、さっさとあの馬鹿を見つけて現実に引き戻すだけだ。力が使えなかろうが、当初の目的に変わりはない」
不機嫌な顔で、ケーナズが吐き捨てた。

「きゃっ!」
短く息を呑むような悲鳴を聞いたのは、その時だった。動くものなど何一つなく、時間すらも止まっていると気持ちが緩みかけてきた瞬間である。
全員が一斉に声がした方を振り返った。
悲鳴を上げたまま、固まっているシュラインがいる。そして、その彼女の脇に、今までは居なかった小さな人影があった。老婆だ。皺だらけの干からびた手を伸ばし、小枝のような指でシュラインの腕を掴んでいる。
「何だ、ばあさんじゃねえか」
未だに用心をしながらも、相手が老婆だったことに安心して、慎霰が肩を落とす。皺だらけの老人からは、悪意も、妙な妖気も感じられない。
「何かいるんですか?」
と怪訝そうに、みそのが口を開いた。長い時間を光の差さない深海で暮らす彼女は、目が見えないのだ。
「ああ、ホラ、そこに老人が……、……キミにはわからないのか?」
答えてから、秋隆は怪訝そうにみそのを振り返る。彼女の目が見えていないのは承知していたが、今まで、何の問題もなく立ち振る舞っていたはずだ。大方、草間興信所にやってくるほかの連中のように、特殊な力を備えているのだとばかり思っていたのである。
「目は見えずとも、気配を感じて、大体の人数や位置を知ることは出来ますわ」
「だったら…」
「ええ、人が増えたら、気配でわかります。けれど……」
みそのは首を傾げる。思い当たることがあって、ケーナズは先を続けた。
「感じないんだな、キミは。あの老婆の存在を」
「はい。感じるのは、渋谷様の気配だけです」
みそのが頷く。ようやく納得が言ったように、ケーナズも軽く息を吐いた。
「どういうこと?」
そっとケーナズに近づいたイヴは、遠巻きに老婆に視線を投げた。表情のない虚ろな顔で、老婆はシュラインの腕を掴んだままで居る。
背中の曲がった老人に歩み寄りながら、ケーナズは答えた。
「ここにいる老婆は、本物ではないということさ。これは、いわば幻のようなものだ」
初めは、何故全てを見通す瞳がなにも映し出さないのか、ただただ疑問だった。だが…
「ここは透の夢の中だ。全てが、あいつによって作り出されている。……あの老婆も」
景色も、家も、枯れた木も……老婆も。全て、言わば渋谷透という青年が見る夢の一部分なのだ。だから、他人の気配など感じない。同時に、透の気配は、どこに居ても同じように伝わってくる。……ここは、彼の内側なのだ。
渋谷透の一部であるはずの「老婆」に、ケーナズは近づく。
「こおにが」
耳障りに割れたしわがれ声が、もごもごと喋った。ハッキリしない口調な上に、独特のアクセントがあるから、日本語だと理解するまでに時間を要した。
「なに?おばあちゃん、何て言ったの?」
完全に婉曲して「つ」の字を描いた老婆の背中に触れて、イヴが問いかけた。
「おおおにさまぁ、おさむらいさま、ころしはぐったからなぁ。たませが出たら、こおにさまがぐんじなして来るけぇ、気をつけんしゃい」
老婆の言葉を神妙に聴いて、顔を見合わせたものが五人。その中で、一人だけシュラインが眉を顰めて、辺りを見回した。
「あの……こちらの婆さんは何て言ったんだ?今」
しばしの沈黙の後、意味が分からなかった者たちを代表して、そっと秋隆が手を上げた。「ああ」と初めて気づいた顔をして、シュラインは彼らに向き直った。
「大鬼様が、お侍を殺し損ねてしまった。鬼火が出たら、小鬼が群れをなしてやってくるから、気をつけなさいって言われたの……かな」
ようやく、シュラインに数分遅れて、全員が辺りを見回して鬼火を探した。辺りは、相変わらず静物画のように静かだ。
それらしい火など見当たらないのを確認して、シュラインは再び老婆に向き直った。
「おばあちゃん、人を探してるんだけど。これくらいの背丈の男の人で、青い目をした……」
知らない、と方言のせいで普段よりよほどそっけなく聞こえる返事が返ってくる。
「じゃあ……今の政権は……、この国で、誰が一番偉いの?」
学のない様子の老婆を気遣って、シュラインは言葉を変える。これにもやはりもごもごと、老婆は答えた。
「よしむねさまだんべよ」
「吉宗?」
「徳川吉宗か」
吉宗といえば、1700年代半ばの徳川幕府の将軍である。今から役250年前の話だ。そんな記憶が、一体何故夢に出てくるのかと、一同は困惑顔で視線を交し合った。

ボッ……

どこかで火の灯る音がする。弾かれたように、彼らは顔を上げて辺りを見回した。
ボッ、ボッ……
間を置かず、火の灯る音は連続して聞こえ、やがてその火の在り処は、誰の目にも明らかになった。不均等な感覚で、真っ赤な空に青白く燃える丸い火が、次々と浮かんではゆらゆらと揺れている。
鬼火……だ。鬼が現れる時、その道案内に灯るという。
瞬きをするごとにその数は二倍、三倍と増えてゆき、たちまち真紅の空は青白く、冷たく燃える鬼火に覆いつくされた。何をするでもなく、それはまるで侵入者を監視するかのように燃えている。
「ちょっと!これも透くんが作り出した幻なの?だとしたら趣味悪いわよ、これっ」
咄嗟に腕を伸ばしたケーナズに引き寄せられて身体を預けながら、イヴが気味悪そうに辺りを見回す。
みそのは口を閉ざし、辺りの気配に神経を凝らした。じわじわと、大地の裏側を、黒い流れが侵食している。まるで染み出すような黒い「流れ」は、みそのが感じた透のものではない。
「これは……違います。渋谷様の意識ではありません」
「だったら誰だっつぅの。ここは渋谷ってやつの夢の中なんだろ?他に誰がいるんだよ」
両手を翻して片手に手裏剣、もう一方の手に炎の宿った小太刀を取り出し、慎霰が吐き捨てる。緊張にピリピリしながらも、彼は秋隆とともに壁を作って、女性陣をかばうように立っていた。いつでも行動を起こせるようにつま先立ちになった慎霰の横顔は緊張に引きつっている。肩を並べた秋隆が苦笑した。
「俺たちだって、彼にしてみれば侵入者だろうよ。……この気味の悪い火の玉が俺たちの仕業じゃないとすると、これからお出ましなのは」
「……透くんに取り憑いているモノ、ってことね」
シュラインが言葉を引き継いで、強い視線で枯れ果てた大地に視線を走らせた。
イヴを庇って円陣の中心に押しやりつつ、眉間に皺を寄せてケーナズは歯を噛み締める。
夢の中で、少しずつ死んでいく村。
「趣味悪い……っつーか。ぞっとしねえな」
覚えず、秋隆が呟いた。
円陣を組んだ彼らの周りでは、狂ったように鬼火が飛んでいる。神経をかき乱すその動きを敢えて無視して、ケーナズは気配を探った。
すぐ傍まで来ている。じわじわと迫っているのが、胸に迫る圧迫感で感じ取ることが出来た。
どす黒い気配は、まるで身体を巡る血管のように、灰色に死に絶えた大地を縫って、彼らのもとに近づいてくる。
ボコッ、とその黒い流れの先端が土を押し上げた。
「来るぞ……!」
注意を促す声と、ギィギィ!と耳障りな声が一斉に沸き起こったのが、同時だった。

ギィギィと甲高く、妙にひしゃげた声のせいで、静寂に満たされていた世界は一瞬にして耳を塞ぎたくなるほどの大音声に包まれた。
ボコ、ボコ、と次々にモグラの穴のように土が盛り上がり、次の瞬間には黒い影がそこから飛び出してくる。
どれもがぬっぺりと突っ張った皮膚を持ち、上下左右に引っ張られたように白目のない赤い瞳を見張っている。頭ばかりが大きく、身体は不恰好に腹が突き出ていて手足は細い。口は大きく裂けて黄色ずんだ歯が覗いており、そこからひっきりなしにギィギィと音をもらしている。
サイズは、子猫くらいのものから、大きいと3,4歳の子どもくらいになる。重力をものともせずに空中に飛び出したそれは、確かに額に小さな突起があった。「小鬼」だ。
蝙蝠の大群のように赤い空を覆いつくし、彼らは村の隅々まで散っていく。やがてギィギィ言う音に人の悲鳴が混じった。
どこへ隠れていたものか、数匹の小鬼に髪を引っ張られて家の中から貧相な身なりをした少女が引っ張りだされてくる。
ギャァァァッ!と耳を塞ぎたくなるような声を上げて、小鬼は一斉に少女に群がった。たちまちやせ細った体は真っ黒な小鬼に包まれ、そこからは濡れた音、バリボリ言う音が聞こえてくる。枯れ枝のような少女の腕だけが、黒い群れの合間から零れて力なく虚空に揺れた。
カァッと目の前が真っ白に染まった。考えるよりも先に、慎霰は大地を蹴って動き出している。
「野郎ッ!!」
小鬼が群れているところへ駆け寄りながら、左手に持った大手裏剣を振りかぶって投げつける。
空を切って小鬼の塊に突っ込んだ手裏剣に、何匹かが転げ落ち、逃げ損ねた数匹が研がれた刃先の餌食になった。ボトボトと音を立てて、小さな身体が大地に落ちる。
慎霰の攻撃にも動じずに、未だに少女の身体の上に屈みこんでいる小鬼を、力任せに蹴飛ばした。
ギャンと悲鳴を上げて、小鬼は鞠のように地面をてんてんと跳ねていく。

―――その昔……落陽丸と呼ばれる刀が存在した。

「おいっ、あんた……大丈夫か!?」
大きく弧を描いて戻ってきた手裏剣を再び受け、小太刀で小鬼を追い払って少女の下にたどりついた慎霰は、わずかの間立ち尽くして、視線を逸らした。
彼女の身体は腹を空かせた小鬼たちによって食い散らかされ、無残に赤い内面を晒している。生をうかがわせるようなものはすでになく、残された臓腑だけが、空の色を映し出したかのように赤かった。
天狗として並々ならぬ体験をしてきた慎霰ですら、思わず目を逸らしたくなるような光景だ。目の前の光景に気勢を削がれ、だらりと武器を手にした両手を下ろして慎霰は周りを見回した。
子猫ほどの大きさのものから、大きければ幼稚園児くらいのサイズの小鬼たちが、村を我が物顔に走り回っている。鬼ごっこを楽しむ子どものように、ギャアギャアと奇声を上げては、隠れている村人を引きずり出して、喰らい付く。
「なんだっつーんだよ、一体……」
まるで地獄絵図そのものの光景に、慎霰は一人呟いた。

―――その刀身は血に染まったように紅く、一匹の鬼が宿っているのだと、伝えられていた。

「イヴ、私の傍を離れるな」
深く考えもせずに真直ぐ飛び掛ってくる小鬼の目ばかりが大きい形相を睨みつけて、PKで弾き返しながら、ケーナズは背後にいる少女に注意を促す。
「大丈夫!これ、使うかわからなかったけど草間さんのところから持ってきといてよかったわ」
ケーナズに守られたイヴは、小ぶりの拳銃を使って、飛び掛ってくる小鬼を跳ね除けている。時折、銃口からは白い光が発射されて小鬼を打ち落とすが、それ以外は専ら鈍器として使用されているようだ。数が多すぎて、弾丸では追いつかないのである。
「ちょっと、一度倒したらそのまま寝てて欲しいんだけど!」
イヴの言葉の示すとおり、ダメージを負って地面へ転がった小鬼たちは、やがて地表に吸い込まれるように消えていく。と思えば、数秒後にはむくむくと土を押し上げて、新しい小鬼が起き上がってくるのだ。
きりがない。空から、地表から、小鬼は際限もなく沸いてきては彼女らに襲い掛かる。視界は薄汚くくすんだ小鬼の黒い肌に埋め尽くされて黒く染まった。
「銃じゃ追いつかないわね。薙刀とか持ってくれば良かった…!」
「そんなものがあったのか?」
「なかったけど!気分の問題よ」
嫌ねぇもう!と横殴りにしたイヴの銃身が、襲い掛かる小鬼の一匹を叩き落した。

―――落陽丸は、刀を持った者を狂わせる。鬼は刀が鞘から抜かれた瞬間に姿を現し、気が触れてしまった者とともに、人に災厄を齎すという。

「くそっ、キリがねぇぞ……!」
列を組んで飛び掛ってきた二匹を回し蹴りで叩き落し、秋隆が舌打ちする。小鬼によって引きずり出された村人があちこちで悲鳴を上げている。阿鼻叫喚、という言葉が浮かんだ。視線を向けなくても、何が起こっているのかわかってしまう、あの肉と骨を断つ音。
小鬼たちは、あっという間に人々に襲い掛かり、集団でその身体を埋め尽くしては歯を立てる。追いついて彼らを振り払った時には時すでに遅く、村人は無残な姿で灰色の大地を赤黒く染めて屍になっていった。
いくら夢だと自分を納得させても、心が穏やかで居られるわけもない。死んだ村人には見向きもせず、抗戦しているシュラインの元に足を向けながら、秋隆は首筋めがけて飛び掛ってきた一匹を肘の一撃で叩き落とした。
「なんとかならねぇのか!?」

―――一人の娘が、あやまってこの刀を抜いてしまった。

ギィギィと耳障りなきしり声を上げて、小鬼はケーナズたちに襲い掛かってくる。目の見えないみそのと、ケーナズの背後に回ったイヴを庇ってバリアを張りながら、ケーナズは遠慮なくPK能力を開放している。
遮るもののない瞳で軽く睨むだけで、空に不器用に浮かんだ小鬼たちは乱気流に合ったかのように弾き飛ばされ、大地に頭から落ちていく。
「お前達に透を渡してたまるものか」
激しく誤解されそうな台詞を吐きながら、次々に敵を葬り去るケーナズは口元に笑みすら浮かべている。この状況を楽しんでいるようにも見えたが、彼は再び意識を張り巡らせて、千里眼を試みていた。
今度は、透を探すのではない。小鬼たちがやってくる先を辿るのだ。透自身を見つけることができないのなら、病巣を叩いてしまえばいい。
表面上は鷹揚に構えているものの、状況はかなり切迫していることを、ケーナズは察していた。太巻に申し渡されたタイムリミットが、あとどれくらいなのかもわからない。
(時間がないんだ。こんな雑魚を相手に、苦労している場合ではない……)
意識して能力が暴走しないように制御している意識のたがが外れそうだ。チリチリともどかしさがこめかみを焼いている。

―――刀に心を奪われた娘と鬼の手によって、三人の村の男が命を落とし、四人の村娘が消え、二人の幼子が鬼の餌食になったという。

小さな身体をした小鬼たちは、シュラインが人の耳には届かない声を鋭く発すると、空中でぐらりと身体を揺らめかせる。そこを何度も地面に叩き落としたが、小鬼たちは怯むこともなく、次々とシュラインに飛び掛ってくる。
腹ばかりがぶくぶくと膨れた不恰好な身体。餓鬼、と呼ぶのだろうか。
「ちょっと、鬼でも選り好みするの!?」
少し離れたところで戦っている秋隆と慎霰、それにみそのを目にして、不平等だとシュラインは一人憤慨する。彼女の元に小鬼が10匹群がっている間に、彼らが相手にするのは1,2匹だ。
まるで何か目印があるかのように、小鬼はシュラインに襲い掛かる。
「なんて量だ……!」
追いついてきた秋隆が小鬼の数匹を叩き落とし、シュラインを守るように近づいた。
「あっちの芸能人みたいな二人組にも、すごい数で群がってるぜ。鬼に恨まれるようなことでもしたのか?」
秋隆が示すのは、ケーナズとイヴの二人組だ。確かに、黒い雲のようになって小鬼が彼らの周りで群がっている。大丈夫だろうかと心配になったが、雲の一部が割れて、一気に小鬼たちが吹き飛ばされたので、余計な心配はしないことにした。
「武彦さんのところに持ち込まれる依頼、いちいち心当たりをあたっていたらキリがないわ」
懲りもせず、小鬼たちはまたぼこぼこと大地を押し上げて現れる。真っ赤な瞳は、やはりシュラインばかりを捕らえていた。

―――娘の手から刀を取り上げ、鬼を倒して村を救ったのは、一人の剣士だった。剣士に刎ねられた鬼の首は、里の外まで飛んだという。

じわじわと、それは黒くて巨大なミミズのように、大地を這いずり回っている。真っ黒なその「脈」は、ある所でぼこりと土を押し上げて外に出、人々に襲い掛かるのだ。
「人」の形をしているのは透の意識である。本来ならば見ることなどできない精神世界の崩壊を、今自分たちは目の当たりにしているのだ。そして、崩壊は透自身によるものではない。黒い、悪意に満ちた影のせいである。じわじわと、タールのような色をした「それ」は、透の意識を殺していく。
みそのは、村へと扇状に伸びている黒い色をした「脈」をたどっている。
村までたどり着いて、小鬼たちを生み出しているのは、いわば「脈」の末端だ。何度も枝分かれし、村の大地に、まるで毛細血管のように張り付いている。その黒い「流れ」には支流があるはずだった。光の差さない視界の中で、みそのは意識を辿る。村を抜け、荒れ果てた大地を辿って、黒い「脈」を追った。
本流に近づいているのだろう。脈は次第に太く、力強くなってゆく。押し寄せる黒い悪意に、みそのは眉を寄せた。
黒い本流は、山肌をうねり、山の奥へ奥へと入っていく。やがて全ての流れが一つになり、黒い瘤のようなものが出来ていた。
「あれが……黒き流れの大元」

―――山へと落ちた鬼の首は、里に聞こえるような大音声で呪詛の言葉を吐き続けた。

何度PKの能力で弾き返しても、小鬼たちは耳障りな鳴き声を上げてケーナズたちに襲い掛かってくる。ケーナズに対してまるで歯が立たないというのに、攻撃の手を休めようとしない。弾き飛ばされても、地面に投げ出されても、むくりと起き上がって飛びかかるのだ。赤いギラギラした目に理性など窺えない。まるで笑ったように大きく開いた口が作り出す奇怪な表情は、ケーナズたちが疲れ果てる瞬間を、虎視眈々と狙っているようにも見える。
時間は限られているのだ。
ギリ、とケーナズは歯を噛み締める。
あとどれだけこの夢の世界に留まっていられるのか。時間が過ぎて、焦りは募るばかりだ。
一度この夢から撤退し、たとえもう一度ここに戻ってくることが出来たとしても、その時まで、夢の中のこの村が無事でいるかどうかもわからない。
「……くそっ」
たいした力を入れなくても、小鬼たちはケーナズの能力で次々に落ちていく。手応えのなさですら、神経を逆なでする。
「イヴ」
「……なぁに?」
背中合わせに戦っていたイヴは、すぐに返事をかえしてきた。この戦闘中で、息が上がっていないのはさすがというところだろうか。
拳を握り、力を溜めてケーナズはその腕を振り上げる。
「傍にいなさい」
イヴが何かを答えるよりも早く、ケーナズの右腕が振り下ろされた。

―――「この身が朽ち果て、土へ帰ろうとも、貴様に向ける憎しみが消えることはない。幾星霜過ぎたとしても、貴様に関わる者たちに幸福が訪れると思うな」と……。


「イテェッ!噛んだぞ、こいつ」
肘に噛み付いた小鬼を振り落として、サッカーボールのように踵で踏みつけて、慎霰が文句を言った。今や、小鬼たちが狙う相手を定めているのは明らかである。
黒い影は、慎霰やみその、秋隆には殆ど目もくれず、夢の中の村人ばかりを狙っている。その例外が、ケーナズとイヴ、それにシュラインだった。
バランスの悪い体を前屈みにさせて、小鬼は三人を狙う。カッと口を開けると、真っ赤な舌が覗いた。
「一体なんだって、あんたばっかり狙われてんのかね?」
異形の敵に対する戦い方のコツを掴んだのか、無造作に数匹の小鬼を地面に叩きつけて、秋隆が舌打ちする。少し離れたところではケーナズとイヴがいるはずだったが、彼らの姿は群がる小鬼たちに覆われて見ることができない。
次々と襲ってくる小鬼からシュラインを庇うようにしているために、仕立ての良い服は小鬼のかぎ爪の被害にあって所々破けていた。
「思い当たることねーの?お前さぁっ……」
思い出したように自分たちのところへも飛んでくる小鬼を、みそのを庇って刀で振り払いながら、慎霰はシュラインを振り返った。
「思い当たるってほどでもないけど……」
「何だ?何か、この状況を改善するようなことだと有難いが」
「……ケーナズ君もイヴちゃんも私も、透くんと面識があるのよね」


―――「この身が朽ち果て、土へ帰ろうとも、貴様に向ける憎しみが消えることはない」


「……まさかそんな……」
偶然だろう、と言いかけた秋隆の声を、空気の圧力が遮った。
何だ?と思う間もなく、ぐんと空気が膨張して空間が歪む。
バァン!と何かがはじけるような音がして、ビリビリと衝撃の名残りが、シュラインたちの肌を震わせた。
驚いて目を上げると、あれほど群がっていた小鬼たちが、まるでトラックにでも衝突したかのように、ある一点から弾き飛ばされているのだ。
ボトボトボト、とまるで大きすぎる雨音のように、小鬼たちは地面に落ちる。
……衝撃の中心には、ビクビクと痙攣して大地に吸い込まれていく小鬼を冷ややかに見つめて、ケーナズが立っていた。

―――「幾星霜過ぎたとしても、貴様に関わる者たちに幸福が訪れると思うな」

「小物を相手にしたところで時間の無駄だ。根源を叩くぞ」
言うなり、ケーナズはしっかりした足取りで歩き出している。
「行くっつったって……どこ行きゃいいのかわかんねぇから、困ってんだろ?」
だから、村で情報収集でもしてやるかと、思っていた矢先の小鬼の襲撃である。いつの間にか数を減らした小鬼たちの向こうに村を眺めてみても、今更生き残っている者がいるとも思えない荒れ果てようである。
一方で村には目もくれず、ケーナズはつま先を紅く染まった空の下にある山へ向けた。
「目星はついた」
「小鬼たちは、ある場所からまるで水脈をたどるようにしてこの村にやってきています」
みそのが説明する。透の気配を探るかわりに、この世界に存在しえない者……異端の存在を探ることで、ケーナズとみそのは小鬼を操る、より大きな存在を感知していた。文字通りこの世界に根を張り、少しずつ、この世界を侵略している黒い影。
「……流れを逆に辿っていけば、黒幕にたどり着けるってワケか。行こう。確かに、俺たちには時間がないんだ」
少しずつ数を減らしている小鬼を蹴りつけて、秋隆が慎霰を促した。


■―――――――憎悪
鬼は、まるで岩が人の形を借りたような姿をしている。
灰色に汚れた蓬髪のせいで、顔はよく見えない。その髪を掻き分けるようにして、黄ばんで尖った角が生えている。髪の向こうからまんまるの真っ赤な目だけが爛々と光り、剥き出した口から黄色い歯が覗いていた。
緑とも土色ともつかない、気味の悪い肌をしている。十分に距離があるというのに、吹き付ける瘴気に全員が顔を顰めた。
ケーナズとシュラインが見た足跡が目の前にいる怪物のものかどうか、確認することは出来なかった。
鬼の身体は膝から下が、大地にのめり込んでいるのだ。
「人間風情が、よくぞここまできたものだ」
地の底から這うような声が、空気を揺らす。
「二度、三度……幾度おれを遠ざけようと無駄なことだ」
赤い瞳は、透に関わった者たちを……イヴを、シュラインを、ケーナズを見ている。
確かに人の声を発しているのに、その瞳にも表情にも、まるで何も浮かんでは来ない。
「ようやく心に巣食うことができた」
「……貴様」
「おれを倒そうと無駄なことだ」
足を踏み出しかけたケーナズを制して、鬼は低く息を吐き出す。
笑ったのかもしれない。
「殺さば殺してみるがいい。おれの血はこの子どもの血に混ざり、その血が呪われるだけの話だ。呪われた血は、じわじわと身体を蝕んでゆくであろう」
歯をニィッと剥き出して、鬼はキシキシと音を立てた。瘴気はますます濃くなる。
「まずは内側から侵し、心が死に絶えたこの身体を、やがて頭から喰ろうてくれようぞ。ボリボリ、バリバリ、とな」
その音真似に、小鬼たちに殺されていった村人たちの姿がまざまざと蘇った。肉を断ち、骨が砕けるあの形容しがたい音だ。
だが、このまま鬼を見捨てておけば、透の心は彼らが見てきた村のように、すぐに死んでしまう。
「一体……何故透くんばかり狙っているの?」
手を出すにも出しかねて、イヴが緊張した声を搾り出した。
鬼の身体はゆらゆら揺れる。じわりと辺りが暗くなった。
「憎きはこの子どもの中に流れる坂崎の血よ」
ぶるりと、怒りの発作に鬼の身体が震えた。ドクンと脈打って、大地に黒い悪意が流し込まれる。
「女を殺し、男を殺してもまだ憎しみは冷めやらぬ。殺されてなお、母親というものは子どもを守ろうとするものらしい。おれの邪魔ばかりする。……だが、それもここまでだ」
ズズ、と地面が音を立てた。
はっと見ると、鬼の身体は、少しずつ地面に沈んでいっている。
「この子どもの心を殺し、身体はおれが使ってやろう」
僅かに周囲の土を巻き込んで、鬼の腰までが地面に埋まった。
大きく歯茎を剥き出しにして、はじめて鬼が、明瞭と嘲笑った。




――続く

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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1928 / 天波・慎霰 / 男 / 15 / 天狗・高校生】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼世界調査員】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【1388 / 海原・みその / 女 / 13 / 深淵の巫女】
【2073 / 廣瀬・秋隆 / 男 / 33 / ホストクラブ経営者】

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NPC
渋谷・透(しぶや・とおる):大学生。父親は日本人、母親はヨーロッパ人のハーフ。両親は事故で他界している。
太巻・大介(うずまき・だいすけ):紹介屋。厄介な事件は草間興信所に持ち込むことにしている。渋谷を草間興信所に紹介した張本人。

鬼(落陽丸):妖刀「落陽丸」に憑き、多くの人間の命を奪った鬼。「坂崎惣介」と名乗る剣豪に首を刎ねられた。坂崎の血にかけた呪いのために、渋谷透を狙っていた。

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あとがき
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こんにちは。
初めまして。前・後編の長さにもめげず、参加していただいてありがとうございます…!
天波くん、動いているのが想像できて、大変楽しく書かせていただきました。イメージを崩してないといいんですが(怖)
シリアス傾向なストーリーで、笑いが足りないとか思われていたらすいません…。本人がギャグなので許してください(代わりになりません)
後編は、近いうちにアップ予定です。
また遊んでいただけると、一人でPCの前で小躍りして喜びます。
ではでは、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


在原飛鳥