コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


月下の凶縁

■オープニング■

 淡い夜。
 蒼い月が中天に浮かんでいる。
 その下に居る二人組。
 …先程、草間興信所の様子を窺ってきた。
 その、後の事。

「珍しい事もあるものですね」
 ぽつり、と呟くボーイソプラノ。
 それの主は十歳程になるかと言う小柄な少年。
 ショートの黒髪に、縁無し眼鏡――レンズの奥の瞳は深い紫。
 まるで私立学校の制服のような、きっちりした形の――黒い服。
 傍らには、寡黙な男が立っている。意図的に己が個性と存在の気配を、消し去ってしまったような佇まいで。
 ただ、少年の話を聞いている。
「草間興信所…と言うところには、面白い人たちが多く集まると伺っていましたが…まさか、ねえ」
 目を細め、遠くを眇め見る。

「僕が殺した男まで、生きてそこに居るとは思いませんでした」

 静かに、呟く。
 …ここは、立ち入り禁止になっている筈の――ビルの屋上。
 少年は電飾でごてごての大きな看板の下にある段差に腰を下ろしていた。

「――真咲、誠名(しんざき・まな)」

「…ダリア」
「どうしました?」
「…『あの時のあの男』が草間興信所の…何処に居ましたか?」
 真咲誠名と言う男は、私には確認できませんでしたよ。
 傍らの寡黙な男の様子に、ああ、と気付いたように少年――ダリアは小さく頷いた。
「そうでしたね、貴方にはわからないんでしたっけ。霊感も何もありませんからね、スティングさんには」
 …居たんですよ。確かに。
 外見は確かに違いましたが、『同一人物の命の気配』がね。
 むしろ、以前よりも生き生きしているようです。
 …助けて差し上げたつもりは全く無かったんですがね。
「それも…場所がかの『草間興信所』ですか。ここの主・草間武彦の持つネットワークは…裏ではこの東京で――いえ、日本では一番に警戒するべき『組織』に匹敵すると言われているこの、ね…」
 その『妹』をはじめとし、『並々ならぬ異能者』――どころか『神』さえも集う恐るべき場所、その人材。
 だが肝心の草間武彦当人は――開けっ広げで、無防備過ぎる。
 何の異能も持たないと言うのに。
 どう見ても闇に身を置くような人間ではない。…少なくとも、まだ、『足りないもの』が多過ぎる。
 否、逆に闇に堕ちる程『喪っていない』と言った方が良いのか。
 とにかく、心根が真っ当過ぎる。
 なのに、その近辺は――周知の通り。
 …面白いですね。
 これ程に興味深い人物とも…場所とも、思っていませんでした。
「壊してあげましょうか。スティングさん」
 ね? と小首を傾げ、ダリアは目を細める。
「…あの人の――真咲誠名の現在の、平穏を」
 草間武彦を殺してみるのも、良いかもしれませんね?
 そう告げた深い紫の瞳は、酷く優しげに――笑んでいた。

■■■

 そして次の日。
 こんこん、と玄関のドアを叩く音。
 どうぞ、と零の声が入室を促した。
 ドアの開いたその隙間、低い位置から黒い頭がひょこりと覗く。
「こんにちは。初めまして」
 …草間興信所の応接間に、依頼風に入って来たのは――黒髪紫瞳の少年、ダリア。


■その、少し前■

 …少しだけ時間は遡る。
「草間のおじちゃんのところって珈琲美味しいよね?」
 にこにこ愛らしく微笑みながらカップに口を付けている少年がひとり。
「あんまり飲むなよ、身体に悪いぞ?」
「あー、そーいうものお客さんに出すんだー、ひどーい」
「…いやそうじゃなくてな、お前まだ13だろうが…これは一応刺激物になるからな」
 頭が痛そうな顔をしたまま少年――瀬川蓮(せがわ・れん)に向け溜息混じりに言う武彦。
 何故ならこの蓮、色々と『わかっている』上で『わざと』こう言っている。
 ………………『草間のおじちゃん』を困らせるのが楽しいらしい。
「そのくらいにしてあげたらどうかな。蓮」
 そこに助け舟を出したのは、蓮同様ソファに座って珈琲を飲んでいた穏和そうな青年。
「…御影(みかげ)のお兄ちゃん」
「草間さんもちょうどお疲れのところな訳だしね」
 その青年――御影涼(りょう)は自身も少々疲れた様子で珈琲の満たされたカップを持っている。
 ちなみにその彼の横、灰色猫の…藤田(ふじた)さんちのエリゴネがソファの上で丸くなって平和に眠っている様子。
「…そう言えばボクが来る前にも何か色々あったみたいだよね。また怪奇絡みの依頼?」
 そんな中、可愛らしく小首を傾げて誰にとも無く蓮が問うた。
「ま、そんなもんだ。…で、今は珈琲でも飲んでのんびりしたいってのが本音なんだな」
 少々嫌そうに武彦が答える。…怪奇事件は勘弁してくれが本音中の本音な探偵なのだから仕方は無いか。
「ふーん」
 と、蓮が納得したところで。
 こんこんと玄関のドアを叩く音がした。
 そして答えを待たずにドアが開く音。
「こんにちは」
 当然の如くひょっこり顔を出したのは中性的な顔立ちの長身の男性。
「…綾和泉(あやいずみ)か」
 再び、何処と無く嫌そうな顔で名を呼ぶ武彦。
「来訪早々御挨拶ですね。妹が良く世話になってるからお礼に、と思ったのに」
「…どうせ休みになったが特に予定も無いから遊びに来たってクチなんだろ」
 その反応に長身の彼――綾和泉匡乃(きょうの)は武彦に向け大袈裟に驚いてみせる。
「良くわかりましたね」
「…否定しろ」
「ま、お礼も兼ねてと言うのは本当ですので…手土産もあります」
 言いながら持っていたケーキの箱をテーブルの上へ。
 そして探偵のデスクの上には煙草1カートン。
「…ケーキは紅茶に合いそうなものを見繕って来ました。煙草は…確かキャスターお好みでしたよね?」
「………………いや、別に何でも良いんだがな…」
 とは言えお好み、と問われるならマルボロなんだが。
 …この男もまた蓮同様『わざと』やっている事は容易く想像が付く。そもそもこの男は予備校講師、それ程物忘れがひどい訳は無い。
「でしたら…何か良い紅茶、ありますか?」
 にっこり微笑んで訊く匡乃。
 それに応え、はい。先日頂きましたティーバックが一応、まだあったと思います――と言いつつ零は早々に台所へ引っ込む。
「…今の場合珈琲の方が手間が掛からないんだが」
「いえ、折角ですから」
 …何が。
 思いながらも武彦は溜息を吐く。
 と、そこに。
 こんこん、と玄関のドアを叩く音。
 次いで。
 ドアの開いたその隙間、低い位置に黒い頭が――少年が現れる。


■願いと感情■

「…こんにちは。初めまして」
 依頼風に入ってきた少年は、そのまま中の面子にぺこりと頭を下げる。
「こちらが草間興信所で…宜しかったんですよね?」
 丁寧に問い掛けられる。
 が。
 その少年の姿が見えるなり、空気が冷たくなったと思えたのは――気のせいだったろうか。
 特に涼の気配が――扉が開くなり『警戒しろ』と周囲に言っているようだった。
 ソファで寛いでいたエリゴネもふと顔を上げ、来訪者を見遣る。
 匡乃も。
 そして蓮も――涼同様、何処か引っ掛かる気配を感じ取り、目を細めて来訪者を見遣る。
 自分と大して変わらぬ年頃――否、やや年下かと思える少年。
「…そうだよ。ここが草間興信所。君は何の御用かな。…依頼なんだったら大歓迎だけどね」
 ちら、と武彦に零を見遣ってから、蓮は先に口を開く。
 場の主が何を言う前に。
 ――この相手は、危険だ。
 そう思ったから。
「貴方はこちらの方ですか? 瀬川蓮さん?」
「…ボクは名乗った覚えは無いよ。君は誰?」
「ああ、申し遅れました。僕はダリアと言います。…ええ…依頼…と言えば依頼のようなものですね」
「ふぅん…そぉ」
「掛けても宜しいですか?」
 あくまで静かに、ダリアと名乗った少年は来客用ソファの空いた席を、そ、と指差す。
 仕草や行動自体には怪しい点はない。
 ただ、気配が。
 そして今、名乗って居ない蓮の名を当然のように呼んだ事。この二点がどうにも引っ掛かる。
 けれど今この時点では――問答無用で追い払う訳にもいかない。
 相手には何も非は無い。
 …まだ。
 と。
 ダリアがソファに座ったところで。
 こんこん、と丁寧にドアが叩かれた。
 次にはこんにちはー、と優しげな声が響き、がちゃりとドアが開けられる。
「学校の帰りに寄ったんですけど…」
 顔を出すなりそう告げた…最早この場では見慣れた青い髪と瞳の中学生――海原(うなばら)みなもは、来客用ソファに座っている中に紫の瞳の見慣れぬ少年が居る事に気付き、目を留める。
 そして武彦に目を遣った。
「何か依頼ですか?」
「…まぁな」
「だったら何か…バイト…もらえませんか?」
「またか」
「あたしでもお役に立てるかもしれませんし」
 はにかみつつ言ったみなもは、少年の存在をまた見遣る。
 不思議そうに見返された。
「貴女が…ですか?」
「はい。あ、家庭科の調理実習でクッキー作ったんで皆さんでどうぞ。作り過ぎちゃったんでたくさんあります」
 言って、みなもは鞄の中から包みを取り出し、テーブルの上に置く。
 中身は確かにたくさんありそうだ。
 次にはみなもは零に話し掛け、お茶を出すお手伝いをするとか何とか…そんな話になった様子。
「…素敵なお姉さんですね」
 彼女らを見、静かに微笑みつつダリアはふとぽつり。
「ところで…依頼と言う話だが、ひとりか?」
 当然の疑問。
 明らかに子供だ。
 それは、蓮やみなものような例外もあるが…依頼人と言うなら、あまり興信所を頼るような事も無い気がする。
 …親を探してくれ、と言ったような切羽詰まった依頼ならいざ知らず。
 そんな武彦の疑問を封じるよう、ダリアは相変わらずの微笑みを見せる。
「ええ。今は。…その内連れも呼びますけどね。必要に応じて」
 今は。
 必要に応じて連れを呼ぶ。
 …微妙に引っ掛かる言い方である。
 だがそこで探偵は――また怪奇絡みかと判断してしまった。
 その『慣れ』がまた、まずかった。
 ある程度の危険は考えられるにしろ『いつもの事か』と思ってしまったのだ。
 まさか自分が狙われているとは――夢にも思わない。
 …そして再びドアが叩かれる音。
 今度は外の相手は勝手に入って来ない様子。
 暫くしてから零がどうぞと声を掛け、それで漸く外の相手――背の中程までの髪を三つ編みにしている女性がゆっくりと顔を出した。
「…あ、草間興信所はこちらでしょうか?」
 再び新顔らしい。
「はい。…御依頼の方ですか?」
 武彦が応対する。
 が。
「いえ、こちらに来ればお仕事を頂けると聞いたものですから」
「調査員希望の方ですか…」
「はい。近江蓮歌(おうみ・れんか)と申します」
 にっこり微笑み、蓮歌と名乗った彼女は中の面子にぺこりと頭を下げ、中に入ってくる。
 と、その後ろに。
 現れていたのは和服の美少女。
 祖父の親友に砥ぎを頼んでいたと言う、袋にきちんと納められた刀に…いつもの如く和菓子の詰め合わせらしき包み――中身は『栗鹿の子』と『芋きんつば』――を携えている。
「こんにちは。草間様」
 丁寧に会釈しつつ現れた彼女――天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)は蓮歌に続き、興信所の中に入る。そして見慣れぬ顔であるダリアを見、依頼かと…邪魔にならぬようその後ろを通り過ぎ――通り過ぎるところで。
 はっとして彼を振り返った。
 妙な違和感。
 そんな撫子に対し、ダリアは無邪気に振り返る。
「?…どうかなさいましたか?」
「いえ、あの…知人に似ていた気がしまして。人違いだったようですわ。お邪魔してしまって申し訳ありません」
 慌てて撫子はそう言い、ダリアにぺこりを会釈する。
「…そうですか。僕に似ているひと、ですか」
 謎めいた含みを入れ静かに言いつつ、ダリアは再び探偵に向き直り、目を閉じた。
「貴方がたは――随分と優しいひとのようですね」
 そして、ひとり呟くダリア。
 誰に話しているのか――それは、室内に居る人々に向けて。
「僕を見て警戒するなんて」
「…どう言う事でしょう?」
「探偵さん」
「…なんだ」
「真咲誠名、御存知ですね」
「…誰だって?」
「真咲誠名ですよ。『一度死んだ』男です」
 その名は。
 聞き覚えはある。
 あるが。
 ――一度死んだ男です。
 そう言われてしまえば――そこまで知っている者が限定されはしないか。
 以前、草間興信所に持ち込まれた彼の依頼を受けた者か、バーテンダーをしている彼の義弟、彼が『一度死ぬ』前に所属していたと言う組織ことIO2の関係者。
 もしくは。
 彼の死に立ち会っていた人間――例えば、彼を殺した当の相手。
 そこに思い至り、武彦は俄かに眉を顰める。
 目の前に居るのは十三歳である蓮やみなもより…更に幾らか年下と思しき子供だ。
 まさかと思うが、改めて彼の目を見て――武彦も停止する。
 その――澄み切っているようにさえ見える、得体の知れない紫の闇の体現に。
「僕は彼が…以前とは別の身体で生きている事が非常に気になりまして」
 ダリアは武彦を見つめたまま、続ける。
「更に言えば…死ぬ前よりも生き生きしている様子なのが――気に食わないんですよ」
 そこまで言った途端。
 いつの間に立ち上がっていたのか、涼が武彦を突き飛ばしていた。
 刹那。
 武彦の居たその椅子の背凭れが半分――抉られるようにして消えている。
 それを確認してから、ダリアは気だるげに武彦の消えた方を視線で追った。
「…ああ、“気付く”のが一番早かった方ですね。御影涼さん、でしたか」
 更には自らに向け放たれていた数本の異質な鋼糸――撫子の放った『妖斬鋼糸』を、弄ぶよう指で絡め取り、ちらりと撫子を見る。
「天薙撫子さん、貴女も抜け目の無い方のようだ」
 呟くなり、弄んでいた『妖斬鋼糸』を――無造作に握り潰すような仕草を見せる。
 と。
 そこから先が。
 消されたように千切れ、糸ははらりと床に落ちた。
「…な」
 あっさりと素手で切断された『妖斬鋼糸』に、撫子は思わず目を見張る。
 これは神の鉄で出来た糸。
 そんなにあっさりと切られてしまうような柔な代物では無い。
 と。
「…別に君が何をしようとボクの知ったこっちゃないけどさ」
 憮然とした――それでも可愛らしい声が響き渡る。
 蓮が、ダリアを見ていた。
 …立った今為された事も。
「君が――『ボクのもの』に手を出すって言うのなら――ボクは力尽くでも君を退けるよ」
 じろりと。
 ダリアを睨めつける。
 こちらもまた、年齢など感じさせない迫力で。
「…出来ますか?」
 けれどダリアは動じない。
「みんな出てきて!」
 ダリアに相対したまま、蓮は大声で――怒鳴るように呼び付ける。
 何処へとも無く。
 だが。
 彼がそう“呼”んだ――“喚”んだ瞬間に。
 スゥッ、スゥッ、と、小さな…得体の知れない異形の姿が中空から次々と現れた。
 小さなものが殆ど、比較的大きなものでも人間のサイズには及ばない。だが、それらが備え持っている鋭い爪や牙、その目の光、纏う瘴気は――人には到底及びも付かない、凶暴な、邪悪なものを感じさせる。
 それらは『悪魔』と呼ばれる事が多いものたち。
 名も無き下等なものとは言え…その能力は、数は、性質は…様々で。
「召喚師ですか」
 今まで通りの態度でダリアはそれを見る。
 これでも動じていない。
 蓮もダリアを見たまま。
「やっちゃって」
 冷たく、告げる。
「ボクの邪魔をするこの子を」
 その声に応え、『悪魔』たちは一斉にダリアに群がる――かに見えた。
 が。
「無理ですよ」
 同じ声が届いたのは、『悪魔』たちが群がったそこからでは無く。
 蓮のすぐ隣。
「――!」
 その事実に蓮は息を呑む。
「貴方の『悪魔』の良いようにやらせておくのはこちらとしては後々厄介になるので…逃げさせて頂きました」
 比較的低級とは言え、この彼らは――性質や属性に節操が無いようですからね。
 数も多いですし。
 対処するのが面倒だと言えば面倒なので。
 …そう、同時に反属性をも使役するなんて、なかなか難しい事なんですよ。
「そうですね…取り敢えず僕の目的を考えると…貴方は危険そうなので」
 …離脱してやってくれませんか――お兄さん。
 小さく、告げると。
 ダリアのその黒い袖に覆われた細腕が翻った。
 叩き付けられるようにしなった、と見えたのが蓮の記憶の最後。
 蓮は大して力を込めているようにも見えないダリアのその腕で、あっさりと無造作に殴り飛ばされていた。
「蓮様っ!」
「蓮っ!」
 ズシャアと凄い音を立て床を滑ったかと思うと、その身体が部屋の隅に倒れている――が。
 何故かその身体を庇うように、ソファや椅子の上に転がっていたクッションが幾つか先回りして投げ出されていた。
「…あ?」
 覚悟していた割には意外な程の衝撃の無さに、頭を軽く起こした蓮は訝しげな声を上げる。
 そこに。
「何だか良くわかりませんが…これは危険な話のようですね」
 ひとりこくりと頷き、調査員希望と言う蓮歌が、ダリアに弾き飛ばされた蓮を見る。
 それで皆が察した。
 彼の身体を支えたこのクッションは、蓮歌の仕業。
 彼女の持つ、念動力。
「…貴女も邪魔をなさいますか。近江蓮歌さん」
「私は求職に来た訳ですので…雇い主に危害を加えられては困りますし」
 言って、持っていた長細い袋から刀――霊刀『御鏡』を取り出し、引き抜かないまま居合の形に構える。
「そうですか」
 困ったように肩を竦めつつ、ダリア。
 その姿を見、普段とは違い険しい目をした涼も――蓮歌の横で己が霊刀『正神丙霊刀・黄天』をその手の中で具現化させている。
「目的は――草間さんだな」
「ええ…当面は。こちらの探偵さんを殺せば…色々と状況が変わると容易く予想は付きますからね」
 涼の科白にそう答えつつ、ダリアは――酷く優しく微笑む。
 先程涼に突き飛ばされた武彦は、その言葉に目を見開いた。
「真咲誠名がこちらで厄介になっているとも聞いているので…ね。そうでなくとも、面白い方々だとは思いましたけれど。…そう。こうやって相対しているだけでも、楽しいですよ」
 その声を聞きながらも涼は周囲を窺う。玄関、空いているか。ダリアの居る位置。常連の皆の居るそれぞれの位置、草間さんの居る位置、家具の配置、抜ける事が可能な場所、逃がす事が可能か――。
 不可能か。
 内心で舌打つ。
「下がって下さい草間さん!」
 声を荒げて涼が言い捨てる。
 直後、戦闘体勢に入っていると思しき蓮歌とそれとなく顔を見合わせ――確認する。
 初対面ながらも…ある意味では同じ剣の道を歩いていると、お互い、察していた。…もし涼にテレパシー能力が無かったとしても同様だったろう。
 そしてほぼ時を置かず、涼は低い体勢で疾走する。その手にある『正神丙霊刀・黄天』を突く形に握ったまま、ダリアに肉迫した。対するは静かな表情を変えないままの紫の瞳。彼が何か動こうとしたその時に、今度は横合いから棚にあったファイル数冊と大量の水がダリアに向け躍り掛かった。
 はためくファイルは蓮歌の念動力に寄るもの、大量の水は――いつの間に動いていたのか、手持ちの少量の水を使い、近接する水場から大量の水を扱えるようにするみなもの力、『ライン』に寄るもの。
 ダリアはふとそちらに目を向ける。
 が。
 涼を見もしないまま、突進して来る涼へ向け――ただ真っ直ぐ手を伸ばした。
 刹那、涼は動きを止め、霊刀を構え直す。
 ――このまま行ったら、素手で霊刀の切っ先が止められる。
 信じ難いが、自惚れでも何でも無い、当然のようなダリアの思念を読み取り、涼は近寄ったそこで改めてダリアに対峙した。
 ばさばさ、とファイルがダリアの身体にぶつかり、被り、降って来る。
 …が、殆ど気にしていない。
 ばしゃりと被る水も――次の瞬間には、体重が無いのかと思える身軽さを見せ、避けている。
「水を被ると…さすがに、動きに支障を来たしますからね」
 まぁ、それでも大した事は無いですが。
 静かに話す内にも、涼はダリアのその身体を、斜め下から薙ぐように斬り掛かる。着地点、そこを読み取って逃げ場の無い位置で霊刀の切っ先を叩き込む。
 が。
 ダリアはやはり平気な顔で着地していた。
 紙一重で――否、霊刀に斬られ、服の袖が一筋裂けただけの状態で。
 当たってはいるが…効いた風は全く無い。掠った程度。
「幾ら“読ん”でも意味はありませんよ」
 僕の考える事は――そのまま全て口に出していたとしても何も問題無いもので。
 さらりと。
 静かに涼を見、告げる。
 刹那。
 その目の前に。
 すぐ側から無防備にも見える仕草で、見上げるように涼を見るダリアの姿があった。
 そしておもむろに。
「…来て下さい。スティングさん」
 呼んだ。
「御意」
 …すぐ背後で、今まで居なかった筈の男の声が聞こえた時には――涼は本能的に、真正面にあるダリアのその身を『正神丙霊刀・黄天』で躊躇無く貫いていた。

■■■

 ちょうどその頃。
 今日も小説のネタを求め…あるいは煮詰めつつ雪ノ下正風(ゆきのした・まさかぜ)は歩いていた。
 そして草間興信所の近く。
 何やら不穏な気配に気付く。
 草間興信所の建物の方向。…中か。
 今日もまた何かが起きているのか。
 思いつつ、ふと見遣る。
 近場に来たついでなので立ち寄ろうと思っていたところなのだが…。
 これは。

 ――刹那。

 思わず膝を突いた。
「ぐ…ぅうげっ」
 気付いた瞬間、路面に吐瀉物をぶちまける。
 公衆道徳? それどころじゃない。
 正風が気付いたそれは邪気。
 唐突に膨れ上がったそれ。
「…っ…はぁ…く…なんて邪悪な気配…」
 場所は――間違う訳が無い、草間興信所。
「――草間さんが危ないっ!!」

■■■

「御影様!」
「…離れて」
 短く言うと涼は霊刀を消し、そのまま身を翻しダリアの後ろに回る。涼が元居たその場所の後ろには――何処にでも居るサラリーマン風の目立たない細身の男。
 唐突に現れた彼は、霊刀で刺されたダリアを気遣うように膝を折っていた。
 涼の事はもう見ていない。
 が。
「…それでただ刺した程度じゃ殆ど意味が無い、か。…まさかとは思ったが…本当、みたいだな」
 あわや挟撃と言うところを離脱した涼は、ダリアの背後に回ると苦々しげにそう呟く。
 もう隠す意味も何も無い。
 このダリア、涼がテレパシーを持っていて、自分の思念を読んでいた事に気付いている。いや、それどころでは無く…同じ能力もあると見て良い。
 名乗らぬ名前を予め知っている事からして…特に隠してもいなかった、とは言えるか。
 ならばこちらの油断。
「…その通り。浄化と言うなら元々浄化されているようなものですからね。僕は」
「それ程の悪意を持ちながらいけしゃあしゃあと…」
「同じ方式で全てが通ずると思ったら間違いですよ。悪意のみの神だって存在しますし」
 そんな神に対したなら…“浄化”と言う言葉や行為の意味自体変わりますしね。
「浄化とは一切の澱みや雑念を払い理を正す事ですからね。僕はこのままで居る事が――当然な存在ですから」
「神とでも言うつもりか」
「いいえ、そんな。恐れ多い」
 腹に手を当てたまま、ゆっくりを頭を振る。
 黒い服故に目立たないが…その押さえた場所から、流血しているのは見て取れる。
 床にもぽたり、ぽたりと落ちていた。
 それでもこのダリア、無理をしている――虚勢を張っているようには見えない。
 真実、怪我を気にしていないようにしか見えない。
「僕はただ、魔力が高いだけの…ただの子供ですよ」
 言いながら、そろりと片手を上げる。
 何か探すように、中空を何度か、指差して。
 草間武彦を――姿は見えずともその気配を、見つける。海原みなもに草間零、綾和泉匡乃…天薙撫子がすぐ側に居る。
 と。
 そこに。
 ばんっ、と荒々しく興信所のドアが開けられた。
 次いで飛び込んできたのは緑の髪に、黄龍を象った篭手を装備した男――雪ノ下正風。
「草間さん、危ないっ!!!」
 声。
 瞬間。
 ダリアが目を見開いた。
「奥義・黄龍破天腿ィィイイイイッ!!!!!」
 ――ほぼ不意打ちで、正風の奥義がダリアに向け炸裂する。
 が。
 凄まじい“気”を纏ったまま連打される正風の蹴撃が捕らえたのは、灰色の袖に包まれた腕だった。
 その主は…正風の奥義からダリアを庇うよう片膝立ちで座っていた、サラリーマン風の目立たぬ男。彼――スティングの、ガードするよう胸と顔の前で交差された腕に、正風の奥義は止められていた。
「なっ…」
「…どうぞ、ダリア」
 その蹴打に押されながらも、スティングは無感情にぽつりと呟く。
「くぅっ…ならば守護龍・黄金龍よっ…!!!」
 正風は黄龍破天腿をガードし切られた事を早々に察し、着地するなり黄金龍を喚ぼうと。
 声を上げたその時に。
「まさか外から突入されるとは。びっくりしました」
 …探偵さんの前に、こっちですね。
 面白そうに呟くと、ダリアは上げていた片手の角度を変え、正風に向ける。
 そして無造作にその指で、ぴん、と弾くような仕草をした。
 途端。

 ゴウッ

 強烈な突風が、吹いた。
 玄関一帯、破壊する勢いで吹く風。起こされた風、ダリアの指の動きひとつで。
 それに飛ばされ、正風は今来たばかりの玄関の外にぶっ飛ばされ、風圧も重なり硬い路面に叩き付けられる。
 雪ノ下様! と叫ぶ声が建物から聞こえたかと思ったのは気のせいだったか。
「ぐ…うっ」
 これまでか。
 正風は思う。
 …自身の身体の事は良くわかる。
 黄金龍に守られはしたが…それでも今、左腕に両足を骨折した。
 最早戦力にはなるまい。
 思うなり、無傷な方の腕で携帯電話を引っ張り出し、ぴぽぱぽぱ、と親指を走らせ何処ぞへ掛ける。
 そして。
 相手が出るなり、正風は送話口に声を叩き付けた。
「草間興信所の存亡の危機だ! 援護してくれっ!!!」

■■■

 興信所内。
 …玄関の周囲が破壊された、そこで。
 唐突に黒衣の青年が舞い下りた。
 肩口で無造作に切られた金髪に、血のような赤い瞳。
「…条件を揃えましたね」
 静かに、場違いなくらい静かに告げる声。
「貴方の…美しいこの感情」
 響く声。
「ひとつだけ…貴方の願いを――叶えましょう…」
 赤い瞳が示す相手は。
「私は裏切らない、嘘を吐かない…さぁ、願いを仰って下さい…」
 そう告げた相手は――ダリア。
 ダリアは黙ったまま、唐突に現れたその男――キリート・サーティーンを見遣る。
 不思議そうに首を傾げた。
 …その考えが、読めなかったのかもしれない。否、読めても理解する事が出来なかったのか。
 何が、彼をこんな行動に取らせているのか、と言う部分に於いて。
 ただ、為そうとしている事だけは、普通にわかる。
 ダリアに、何かひとつだけ願いを言えと。言ったなら叶えると。
 それだけだ。
「…でしたら…貴方が何かひとつ願いを叶えて下さると言うのなら…ちょうど良いですから、使わせて頂いても構いませんか」
「何なりと」
 絶対の礼を取りキリートはダリアに答える。
 ダリアは静かに微笑んだ。
「では、この場の主――『草間武彦を殺して下さい』」
「承りました」
 あっさりと。
 当然の如く。
 キリートは恭しく頭を下げた。
 刹那。
 …彼の姿は。
 消滅した。
 次には。
 興信所の奥――みなもと零、匡乃、撫子に庇われつつ、草間武彦が消えた筈のそこ――から。

「失礼致します」

 今響いたのと同じ静かな、声が。
 再び、響いた途端。

 叫び声が聞こえた。
 部屋の奥。
 みなもの。
 撫子の。
 零の。

 …一同、何が起こったのかわからない。
 ダリアは動いていない。
 スティングも。
 動いていたのは――キリート・サーティーンただひとりだけ。
 再び、彼がダリアの前に唐突に現れる。

「御満足頂けましたでしょうか――」

 静かにキリートは跪き、頭を足れた。
 そして。
 そのまま。
 ――何事も無かったよう、消滅した。

 それを確認するなり。
 蓮に涼、蓮歌は――はっとしたように部屋の奥を見る。
 ――今現れた男の言葉、それは。

「兄さん…っ!!!」
「草間さんっ!!!」
 …部屋の奥から聞こえてきた悲痛な叫び声が、その答え。

■■■

「この様子では…探偵さんは死にましたかね?」
 誰にとも無くぽつりと問うダリア。…少々意外そうな響きも混じっている。
 それを見、涼が蓮が蓮歌が…茫然と呟いた。
「…まさか…そんな」
「…嘘、草間のおじちゃんが」
「今の方…何ですか…」
「さぁ? 僕にも良くわからないですが…当面、僕のやろうとしていた事は…為してくれたようですよ」
 無邪気な声でダリアが言う。
 と、そこに。
「皆様、草間様がっ…!」
 秀麗な目鼻立ちを痛々しげに歪めて、刀袋を持ったままの撫子が――現れた。
「…死んだって…言うのか」
「綾和泉様が治癒の力を使って下さってはいますが――あれでは無理です!」
 即死では手が出せない。
 綾和泉匡乃はそう言っていた。
 けれどあまりに唐突に…キリートがすぐ側に現れ、何をしたのかもわからないまま…ただ慇懃に失礼致しますと言われ、気が付いたら草間武彦が死んでいた――と、把握不能の状況だったから。
 万が一を考えて、取り敢えずやってみているとの事らしい。
「…そうですか。本当に死にましたか」
 撫子の声を聞き、ふむ、と考えるように頷くダリア。
「貴方は…っ!!!」
 ダリアの態度に激昂する撫子。
 それをちらりと見、今まで通りの静けさで返すダリア。
「今更何を怒りますか。…僕は元々、探偵さん――草間武彦を殺しに来たんですよ」
 怒るならもっと早く怒って良いと思いますけどね。
 今、手を下したのは…結局、僕ではありませんし。
 淡々と言うダリアに、撫子は押し黙る。
 どう詰っても効く相手では無い。
「…先程、神、を引き合いに出されておりましたね」
 低く押さえた声で言いながら、撫子は、とさり、と美しく織られた細長い袋を落とす。その中身――御神刀である『神斬』を胸の前に持ち、かちり、と鍔を慣らして…刀身を引き抜いた。
「高い魔力を持つだけ、と仰ってましたが…貴方が持つのは、闇の属性の神にも等しい魔力と言うのが…正しいのではありませんか」
 先程から見ていて、行使する力が――神に近く思えた。
 それで居て、普通に傷付く。
 殆ど堪えていないと言えど。
 無傷では、ない。
 生身の、証。
「そうかもしれませんね。…ところで」
 ダリアはあっさりと受け流す。否定しない。
 次いで、彼のその瞳が何処か悪戯っぽく輝いた。
「即死とは言え…『まだ可能性がある』と言う事には気付いていますか?」
「…何、ですか」
「魂さえ滅ぼされなければ…復活の可能性は幾らでもあるんですよ。…神の力を持つ存在、運命を曲げる事の出来る存在、もしくは何らかの要因により別の身体に宿ってしまう事も、時にはあるようですし」
 例えば、真咲誠名。
「実質、魂と身体の双方が無事でさえあるなら、元通り蘇生させる事は、力さえあればそれ程難しくありません」
「…貴方は草間様を殺す為にいらっしゃったんでしょう」
 撫子は訝る。
 何故、可能性などと言い出す?
「ええそうですよ。けれどね…まだ可能性を残した状態で、疾うに死んでいる筈のあの男に見せ付けて上げたいもので。その上で、目の前で可能性を摘み取って差し上げた方が――色々と効果的でしょう?」
 言って、ダリアは静かに微笑んだ。
 何の裏も無い、優しげな表情で。
 …それはそうだろう。何故なら彼には――裏も表も無い。

 強いて言うならこれが既に、『表』だ。

「ですがあの男は…」
 ここには居ません。
 気遣わしげなスティングの答えを受けたダリアはふと部屋の奥を見る。
 そちらには、自分が真っ先に襲撃を掛けたその時、他の面子の誰が動くよりも早く、密やかにエリゴネが駆けて行っている――。
「…先程、可愛らしい灰色猫が一匹出て行ったようですから…大丈夫でしょう」
 真咲誠名は、来ますよ。


■心の奈落■

 落ち着いた空間が広がっている。
 それ程、広い場所では無い。
 狭い…と言った方がどちらかと言うと正しいかもしれない。
 東京の都心で個人経営である以上、仕方無い部分もあるだろう。
 …けれどセレスティ・カーニンガムにとっては、落ち着ける場所だった。
 清掃の行き届いている、こざっぱりした清潔な室内。
 大小様々の絵が、要所要所に掛けて飾られている。
 ――画廊『clef』。
 最近見付けた場所だ。
 キィ、と車椅子を転がしつつ、セレスティはゆっくりと動いている。
「マグリッド、ですか…お気に召しましたか?」
 その後ろに。
 男にして高く、女にしては低いような…微妙な音域の声が掛けられた。
「…虚像と現実をテーマに描く画家。全てを疑え、現実をそのまま描いているものは存在しない。全てキャンバスに写された偽物でしか無い。固定観念を覆せ。当たり前の中に隠された真実を暴け――ってね。まぁ、素直じゃない絵が多いです」
「そうですね。絵程、嘘吐きなものはありません。それと同時に――絵程、正直なものは無いですけれど」
 現れた人物――この画廊の主・真咲誠名にそう返し、静かに微笑むセレスティ。
「そろそろお休みになられては。…お茶でも如何です?」
「いいですね。頂きましょう」
 ゆったりと頷くと、セレスティは車椅子の進行方向を変える。と、少し遅れて誠名がその後ろに付き、車椅子を押し始めた。
 そこに。
「…おや?」
 先に気付いたのはセレスティ。
 彼の前には足音も立てず闇雲に突進して来た灰色猫。ふたりの姿を見るなり慌てて立ち止まり、セレスティと誠名の顔を見上げた。
「…猫ですか?」
「ありゃ? エリゴネ?」
『誠名さんっ!』
 …みゃあと言う猫の鳴き声では無く。
 切羽詰まった、妙齢の人間の女性の声が――灰色猫のエリゴネから発された。

■■■

 一方、バー『暁闇』にて。
「…何ですかいったい」
 電話を取ったのは真咲御言(しんざき・みこと)。
(…やっぱ気付いて無いみたいですね。真咲の旦那)
 その口調に、微妙に切羽詰まった気配が見え、御言の方でも口調を変える。
「…何かあったのか、空五倍子(うつぶし)」
(草間興信所が大変らしいです。今雪ノ下さんから救援求める電話がありまして)
 曰く、黒尽くめの妙なガキと何処にでも居そうなサラリーマン風の二人連れが草間興信所を襲撃――と言うより主・草間武彦の命を狙っていると言う。
 たまたま近くを通りがかった雪ノ下正風が、気付いて中に飛び込んだそうだが…速攻で弾き飛ばされたと言う話。そして――打ち所が悪かった様子で、雪ノ下正風は足まで骨折し動けないとの事。
「…申し訳ありませんが俺も今ちょっと手が離せなくて。…こっちもこっちで三下さんが金神に人質に取られて大騒ぎなんですよ。居合わせた以上ほっぽらかして行く訳にもいかなくて」
「…で、俺か」
 と言うかその状況で他からの電話を受け、更にその内容を他に伝達しているこの男は…。
「旦那なら頼れるでしょ元IO2」
「…普通に言うな、空五倍子。そもそもその名を出して平気な相手かお前のところの金神とやらは?」
「知ってそうなら出す訳ないですって」
「…わかった。草間さんのところなら縁が無い訳でもないしな。話を聞く限り今の俺が行ってどうなるものでもないとは思うがサポートくらいは可能だろう」
「じゃ、頼んます」
 がちゃり
「…」
 こちらが引き受けたと取るなり、速攻で通話を切る音。
 …直前、通話先で何か荒々しい音がしたのは気のせいだったか。
 思いながらも一度受話器を置くと、すぐに取り上げ御言は電話を掛ける。
 草間興信所を知っており、恐らくは自分よりも役立ちそうな異能力をも持つ、義兄に。

■■■

 がちゃりと通話を切る音。
「…どうかなさいましたか」
「っくしょ…マジ切羽詰まってる。なんでこの件に関して御言から電話来んだよったく…」
「御言…って」
「義弟だ。あっちもあっちで元IO2。奴んトコの方が興信所にゃ近いから先行ってくれとは言っといたが…エリゴネの言う通りだとすると…こりゃ一刻を争うぞ」
 今にも舌打ちしそうな苦々しげな表情の誠名。
「ダリアっつやぁ…っくしょ。何処で気付かれた…!?」
「以前の貴方を殺した人間ですか」
「ああ。俺が元IO2だってなァさっき話したな。そン時ぶつかった犯罪者だよ。見た目どころか実年齢もマジでガキだがね。特にこの業界、力は年齢にゃ比例しないからな。野郎は――生まれながらの『魔王』みたいなもんだ。…一歩間違えりゃ『神』になる」
 当人がギリギリで望んでねえから生身のままだがな。…その気になったらいつでもそうなれるだけの力は持ってやがンだよ。
「それは…逆を言えば…『まだ』そのダリアと言う少年に『死』の可能性は――残されていますね」
「ああ。単純に…死に難いってとこァあるがな…と。ンな事言ってる場合じゃねえ。悪いが俺は行って来る」
「待って下さい」
 間、髪入れず発される声。
 セレスティ。
「少々御面倒かもしれませんが私も連れて行って下さい。私も草間探偵とは縁があります。彼が狙われていると言うのなら――」
 何かのお役には立てると思います。
 きっぱりと言うセレスティ。
 彼のその態度に、誠名はエリゴネを抱き上げたまま、頷いた。
「俺が車出します。…狭いですが、カーニンガムさんトコのよりゃ目立たない事は確かですんで」
 …俺とエリゴネは仕方無いにしろ…意地でも、貴方が居るとは思わせませんから。

■■■

 草間興信所前。
 ベストにボータイと言った仕事着のままの御言が到着するなり、慌てたように正風が彼を呼ぶ。…特に面識は無いが見た事はある。草間興信所に居る事もある男。彼は正風に駆け寄ると、即座に足と腕に触れ、怪我の様子を確かめる。酷い骨折。…だが元に戻らない程では無さそうだ。…何者かの強い守護を感じる。
「…空五倍子から聞いて来ました。大丈夫ですか」
「大丈夫じゃない! 中の様子が変だ!!」
 両足を折られ、動けない状態の正風は、自分の事より先にそう訴える。
「…確かに。今ここに貴方が放って置かれていると言う事が既に変ですね」
 雪ノ下さん、と言えば草間興信所の常連組にも含まれる。
 中に居るだろう面子が――放置しておく訳が無い。
 それに。
 …これ程までに壊された状況で、その被害にあったと思しき、正風の事を確認しないなど。
 御言は目を細め興信所の建物を見る。
 玄関の周辺から、半壊している。
「俺は最早足手纏いだ。ほぼ初対面のあんたに頼むのも悪い気がするが…後は…頼んだ」
「はい」
 御言が頷くなり、正風の下方から、ずるり、と金の鱗を持つ龍が身体を波打たせる。そして正風を乗せたかと思うと、今度は空を飛んで行く。
「雪ノ下さんの命には別状は無いとして…草間さん…無事でしょうね…?」
 黄金龍に乗り去って行く正風を見送った御言は、厳しい顔でぽつり、呟いた。

■■■

「真咲誠名さんを、待つと仰いますか」
 引き抜いた『神斬』をダリアに向け構えつつ、撫子は対峙する。
「ええ。それが本当の目的ですから」
「どう言う事でしょう」
「あの人の前で、草間武彦を『本当に』殺してみたいなあと思ったんですよ。それだけです」
 魂を壊しても良いですし、身体を壊しても良いでしょう。
「させません」
「止められますか?」
「貴方が真咲誠名さんとどんな御関係かは知りませんが――」
「僕は過去にあの男を殺した人間ですよ」
「――」
「四年前…になりますか。IO2の黒服たちと…少々バッティングした事がありましてね。真咲誠名――いえ、月天使(サリエル)とコードネームで言った方が良いですか。とにかく彼は…その時居たひとりです。その時の集団の中では――中心的存在、のようでしたね。…まぁ、だから早々に潰してみたんですけど。司令塔が居る集団の場合、頭を潰すのが一番効果的でしょう?」
 その時は…他の事の方に興味があったので、それの邪魔をされるのは面白くなかったもので。
 まぁ、他の黒服も、邪魔だったので数名殺してしまいましたけど。
 告げながら、ダリアは恥ずかしげに微笑む。
 撫子は何も言えない。
 価値観が違い過ぎて何を言えば良いのかわからない。
 そんな中。
 ゆらりと立ち上がる、煌く金髪の少年の姿。
 涼と蓮歌に庇われて居た筈の。
「蓮…っ」
 涼の言葉も届かない。
 彼はただじっと、撫子と相対しているダリアを睨めつけている。

「…許さない」

 底の知れぬ真黒の瞳がダリアを貫く。
 そんな蓮とダリアの間。
 何処からともなく、異質な黒い炎と煙が揺らめき出した。
 地獄の蓋を開けたような。
 …そこに。
 ぽつり、ぽつりと姿を見せ始めたのは――蝗。
 蝗の群れ。
 凄まじい蝗の羽音が、だんだんと増え――大きくなって行く。
 半壊した興信所内を――ぶんぶんと縦横無尽に飛び回る。

 喚ぶと言う意志など無いままに。
 彼のその能力は暴走した。

 ――そこに居たのは“底無しの淵の使い”、“邪悪な戦争の王”…『破壊者』、アバドン。

■■■

 その影で。
「…草間さんが、死んだ?」
「はい」
 硬い声で、みなもは裏の窓からひっそりと現れた男――御言に言う。
「僕の力でも駄目のようだったので…怪我では無いようなのですが…」
 さすがに堪えたのか、匡乃も、心底から真剣そのもので御言に伝える。
 まさかこう来るとは思わなかったのだろう。
 御言は黙って武彦の様子を窺う。脈を取り、瞼を開け――薄く開いた唇の前に掌を出した。呼吸も無い。
 但し、匡乃の言う通り怪我らしい怪我も無い。
「…つかぬ事を伺いますが…三人とも…霊感はありましたよね」
「え、何となく…程度なら、わかるようなわからないような…」
 困ったように言うみなも。
「僕は一応、わかると言えばわかります」
 退魔の力を持つ匡乃は頷く。
 が。
 一番頼れそうな零が――何も答えない。
 表情も固まったまま。
 彼女の心境を察し、御言は零に問う事を止め、みなもと匡乃のふたりに改めて問う。
「剥き出しの魂の気配が近くに無いですか」
「草間さんの、と言う事ですか」
 匡乃の科白に、御言は頷く。
「…ひょっとすると…“命”が無理矢理剥がされたのかもしれませんから」
「え?」
「その…黒衣の青年が現れ、触れもしないまま、突然草間さんが倒れたと仰いましたね」
「はい」
「…そんな事が可能なんですか」
 命を剥がすなどと。
「少なくとも前例はありますので」
 命とも魂とも呼ばれる、生命としてある為の力の源だけを無理矢理取り出す事のできる能力者は存在するんですよ。他の力の副産物だったりもしますが…。一般社会では心不全扱いされている中に、無理矢理命が剥がされた人間もそれなりに確認されていますから。
「こんな時こそ居て下さいよ…凋叶棕(てぃあおいえつぉん)…」
 御言は唇を噛み締める。
 今、名を出した凋叶棕の技なら…魂さえ残っており、身体も無事であるのなら…蘇生は可能。
 …但し、生身の身体と言うのは…それ程長くは保つものでは無い。
 現にこの武彦の身体も、かなり冷たくなってきている。
 そして、御言には凋叶棕への連絡手段は無い。
「…それでも、まだ諦める必要は無いって事ですよね?」
「無論。可能性はありますから。…俺だって草間さんをこのまま死なせるつもりはありません」
「…でしたら、この草間さんの身体も…守って差し上げた方が良いんですよね」
「はい」
 御言の答えを聞くなり、躊躇う事なくみなもは直に草間の皮膚に触れる。生体である弾力さえ喪い掛けているその肌に、『水の羽衣』――超極薄の高密度で身体に纏わせ、防御力を高めるみなもの技――を発動した。
「低温に…した方が良いでしょうか」
 少し考え、みなもが言う。
 保たせると言うのなら。
 水をナノレベルで操れる。それは…温度を下げる事すら可能の筈で。
「この状態が長く続くようでしたら…その方が保つ、とは思いますが」
 …取り敢えず、その辺りは…海原さんの御判断にお任せします。
 御言の言葉に、みなもは小さく頷いた。

■■■

 襲い掛かった相手を決して殺さない。
 それが、アバドンのやり方。
 神に逆らった人間を標的に、死んだ方がマシ、と思わせる程の毒を与える。
 それが、役目。

 召喚主の強い思いが勝ったのか――制御を離れている筈の蝗の大群は正しくダリアへと目標を定めた。
 凄まじい羽音を立てたそれらが、時を置かず小さな身体を覆い尽くす。
 肉を食む嫌な音すら響いた。
 が。
 その周囲。
 床に。
 数体。
 落ちている。
 それに気付いた――刹那。
 蝗の群れは、切り裂くように晴らされ、唐突に消滅した。
 くるり、と軽く振られた両腕。一度だけ、独楽のように回って見せるダリアの姿。皮膚のそこかしこが蝗の顎に食まれ、血に塗れてはいる――が。
 それでも、本人の様子は、変わらず。
「…美味しかったですよ。瀬川蓮さん」
 大量の地獄の蝗。それ自体が『アバドン』の化身。『美味しかったですよ』。その発言は不穏なものしか想像出来ない。――即ち、今召喚された力を“食”った――吸収した、と。
「人を侵す毒の方は少々厄介ですが…まぁどうにかなるでしょう」
 言って、血に塗れた凄惨な姿のまま再び撫子を見る。
「さて、次は貴女でしょうか」
 目を細め、静かに微笑む。
 …最早想定外だった。
 ――何なんですか、『これ』は。
 答えが出る前に、撫子は『神斬』を携え、地を蹴っていた。

■■■

 草間興信所から少しだけ離れた場所。
 誠名はエリゴネとセレスティを乗せたローバーミニを停車させた。
「エリゴネも待ってな。この先ァ危ない」
『そんな事わかってますっ、でも』
「…多分戻ったら、用済みとばかりに真っ先にやられるぜ」
『え』
「お前さんがあっさり興信所から出られたのは、恐らく俺を呼び出す為だからな」
『な…でしたら私は…っ』
 余計な事をしたのか。
 エリゴネは焦り、誠名を見上げる。
「いーや。知らされなかったら俺は俺を憎んでたろうからな。そこんトコは有難かった。けどな。エリゴネはカーニンガムさんとここに居ろ」
『そんなっ』
「だから…あー、つまりな。本当のターゲットが俺って事なら、草間さんよりエリゴネが先だって事だ」
 そう予想出来るから、余計近付けたく無いんだよ。わかるだろ。
『…』
 つまりはエリゴネの方が誠名に近しい、と。
 そんな言い方で反論を封じられ、エリゴネは黙り込む。
 誠名は灰色のその毛並みに、ぽん、と手を置いた。
「待っててくれるな」
 へにゃ、と耳を垂らしつつ、エリゴネはシートに沈む。
 それを確認してから、誠名はセレスティに向き直った。
「つー訳でここで待っててくれカーニンガムさん。もし何かあったと判じたら…」
 誠名の科白にセレスティは頷く。
「わかっています。…ここからなら興信所内の全域が把握可能ですから」
 私はここから援護しますよ。
 その科白に誠名は頷き返し、運転席を出ると――興信所の中へ向かった。
 セレスティは狭いローバーミニの中、宥めるようにエリゴネを撫でながら…その後ろ姿を見送る。

■■■

『神斬』を携え、撫子の駆け込んだその位置に。
 先回りしていたのは――スティング。
「…私はこのままダリアを死なせる気はないんですが」
 全身血に濡れていながらも平然と立っているダリアの前に、遮るようにスティングが立ちはだかっている。
 が。
「構わないで下さい。スティングさん――これ程とは思いませんでした…」
 静かに笑んだままゆるゆると頭を振るダリア。
 その姿に、足許を固めると、厳しい顔で剣を構え直す撫子。
 が、彼女の様子を気にもせず、ダリアは先程自分がふっ飛ばした相手――蓮に話しかける。
「かの“破壊者”を召喚するとは、大したものですね」
「…そ…れを“食”っといて…ふざけてるね…」
 吐き捨てるように蓮が言う。
「良い事を教えてあげましょうか」
「…」
「僕も“破壊者”と呼ばれる事があるんです――確か、IO2ではそれで通ってたと思いますね」
「――あーそうだ。IO2のブラックリストに単体では一桁台に名があった更正不可能の第一級犯罪者。要注意危険人物、ダリア。そう呼ばれているが通称なのか本名なのかは不明。かーなーり高位の魔神/邪神クラスの魔力を保持。さりげない所作や言魂それ自体に凄まじい呪力を持たせる事すら可能――」
 声が飛ぶ。
 今まで無かった唐突な声。
「その容赦無い冷徹な行動から“破壊者”とも呼ばれる。主に単体で行動。時折スティングと呼ばれる年齢不詳の男性と行動を共にする事が確認されている…程度だったな」
「…来ましたね。真咲誠名」
「手前もぼろぼろじゃねえかよ…なぁ、ダリア?」
「貴方が生きている事が…どうにも頭に来ましてね」
「ほう? それでどうする」
「取り敢えず…草間武彦を殺してみようと思ったんですよ」
「…そうか」
「退いて下さい真咲さん。ここはわたくしが、やります」
「天薙さん」
「…もう、親しい方が死ぬのを見るのは嫌ですから」
 撫子の声に誠名はぴたりと止まる。
「…誰か、死んだか」
 撫子はこくりと頷いた。
「草間様が――」
「…ダリアだな」
 やったのは。
「いえ」
「…何?」
「突然現れた、黒衣の男性ですわ」
「…」
 その科白に、誠名は再び黙り込み考える。
「どう言う事だ?」
「わたくしたちにもわかりません。突然――過ぎたもので」
 撫子の声に誠名は訝しげな顔をする。
 ダリアは無関係の力か。
 ならば…何か。
「ですがこの少年が草間様の死を願った、それは確かです。
 とにかく――参ります」
 宣言し、撫子は再び大地を蹴った。
 向かえ打とうとダリアも動く。
 それら背後では涼が立ち上がり、再び『正神丙霊刀・黄天』を具現化させてこちらはスティングに向け警戒している。同様に、蓮歌も『御鏡』を抜こうと構えていた。

 …血まみれのダリアに躍り掛かる撫子。『神斬』を振り上げ、その重さを最大限活用する形で斜めに振り下ろす。容赦なく。それでもダリアはあっさりと躱す。凄惨なまでの姿――それなのに動きは鈍らない。本当に効いていないようにしか思えない。それで、ヒトか。
 躱されたまま、深く沈むと、撫子は再びダリアの位置を確認。『神斬』を今度は逆袈裟に振り上げた。が、ダリアはそれも躱し、今度は自身の腕を振り上げると、撫子へ向け振り下ろす。撫子は『神斬』の刃で受け弾くと、再びダリアに切っ先を向け、構えた。
 と。
 急にダリアの身体が傾いだ。
 前兆も何もなく。
「…く?」
 ――体内の血液の流れを止める。酸素を栄養を運ぶ事を一時停止させる。熱を伝える事を一時停止させる――延いては細胞の活動を一時的にでも停止させる。
 それは、誠名の車で待っている筈のセレスティの力。
 けれどダリアは気付かない。
 何者かの干渉である事はわかっても、その源が、掴めない。
 ダリアは何処かぎこちなくよろめきながら、訝しげに正面の撫子をじろりと見遣る。
 そこに。
 撫子は。
『神斬』の切っ先を――。

 ――ダリアの胸に、突き刺した。

 刹那、げふ、と大量の血を吐くダリア。
 だが、撫子は剣を引こうとしない。
「あのような悪魔の化身を平気で取り込み食らう方…人を人とも思わぬ貴方を…草間様をあっさり殺すと言い、事実、殺させた貴方を――黙って見過ごす訳には行きません」
 刺したまま、ぎり、と『神斬』の刃を捻る。
「…わたくしで済むならば、穢れ役は喜んで引き受けますわ――」
 ――神殺しの我が一族なのですから。
 貴方は、生きているには危険過ぎる存在です。
 決死の思いで告げる撫子。
「止めろ天薙っ!」
 貴方が手を汚す事は無い!
 涼が叫ぶが、撫子は止めない。
 ダリアの身体から力が抜ける。
 ずるり、と『神斬』に頼るような形に、崩れ落ちた。
 が。
 ダリアは――そのままで腕を上げ、撫子を見つめるよう、顔を上げ、静かに静かに、微笑んだ。
 撫子は思わず絶句する。
 そして。
「貴女はお美しい方だ」
 ダリアはそのまま指を伸ばし。
 撫子の頬にそっと触れたかと思うと――。
 その眼前で。
『神斬』に刺されたままの筈の、血まみれのその少年は――掻き消えるように消滅した。
「な!?」
 驚く。
「何っ!?」
「え!?」
 同刻、声を上げる涼と蓮歌。
 彼らふたりが対峙していたスティングもダリア同様に消えている。

 ………………このままでは…そろそろ僕も死にそうなので失礼しますよ。では『また』、お会いしましょう。
 ダリアの声と思しき意志だけが残り、そこに居た者の脳裏に響く。

 逃げた、のか。
 それっきりふたりの気配も悪意も掻き消えた事に、居合わせた皆から一気に緊張が解ける。
 が。
 みなもに抱えられたまま、冷たく…動かない草間武彦の姿は――無論、変化無い。


■義妹■

 皆が一ヶ所に集合する。
 それは――動かない探偵の居るところ。
『水の羽衣』を発動したままのみなもはともかく、零がずっと側から離れない。それどころか目に涙をいっぱいに溜めている。声は出さない。それでも――霊鬼兵であるその身で、泣いていた。
「ねえ、本当に草間のおじちゃん、死んじゃってるの…?」
 その問いに、黙って頭を振る蓮歌。
 気遣わしげに零と蓮を見る匡乃。
「蘇生の可能性はあるそうです」
「そうは言っても…すぐに出来る相手が見付からないって言うんじゃ…」
 抜け殻である身体の方が、保たない。
「だからあたしが…『水の羽衣』使って、みてるんですけれど…」
 時間稼ぎの為に。
 直に武彦の手を握ったまま――その方が離れ難いので取り敢えずそうしているらしい――みなもが言う。
「ち、死ななくて良い奴が死ぬなよ…」
 むしろ俺と入れ替われ。
 吐き捨てる誠名。
 …どうせ自分は一度は死んだ身、今の身体は他人のもの。
 と。
 そこに。
 エリゴネを連れ、セレスティも風通しの良くなっている玄関から現れた。
「セレスティ、さん…」
「まさか、こんな事になっているとは思いませんでした」
 皆に囲まれている草間武彦を見、セレスティは静かに呟く。
「あの少年に対するには…あの程度では甘かったでしょうかね」
 ステッキを突きつつ、一同の元へ歩み寄る。
「あの…ひょっとして」
 ふと問い掛ける撫子。
 ダリアと相対したその時出来た致命的な隙、それを作ったのは――まさかこの人か、と。
「苛烈なまでの自分を持つ人は、好きですよ」
 静かに撫子に言う。
 それだけでも肯定と同じで。
「…さて。人の運命を曲げる力、使う必要がありますか」
 ぽつり、とセレスティが溜息混じりに呟いた声に、撫子に蓮、涼、蓮歌の四人は過敏に反応する。
 何故なら――ダリアの言っていた蘇生の『可能性』の中に、運命を曲げる力があれば、とも。
「できるんですか!?」
「可能ですよ」
「だったら…セレスのおじちゃんっ」
 一縷の望みをかけて、セレスティを見る。
 が、動こうとしたセレスティは――その途中で、止めた。
「いや、私が運命を曲げなくとも…大丈夫のようです」
 静かに続けるセレスティ。
 殆ど何も映らぬ筈のその瞳は中空を見ている。
 と、そこに。
 ――草間武彦を殺した当人が、再び。

「珍しい事もあるものですね。…同じ日に…同じ場で、条件を揃えた方が現れるとは…」

 静かに告げながら、セレスティの見ていた先、唐突に姿を見せたキリート・サーティーンは――。
 ――今度は草間零に向け、深い深い礼を取った。
 が。
 零がキリートの姿を認めた次の刹那。
 涙をいっぱいに溜めた零の紅い瞳が、凶暴にぎらりと煌いた。
 間、髪入れずキリートに向け発される強烈な衝撃波。
 予告も容赦も無くそれをぶつけられ、キリートは凄まじい勢いで弾き飛ばされ壁に叩き付けられた。
 叩き付けられた先、壁が赤黒い飛沫で染められ、キリートはずるずると床に崩れる。
 だが。
 そこから――よろめきながらも立ち上がったキリートは。
 それでも、含みの無い真っ直ぐな視線で零を見て。
「…貴女の願いを仰って下さい。…何なりと…叶えましょう」
 ぽたり、ぽたりと体液を滴らせたまま、相変わらずの静けさで。
 告げた。
 その姿を見、零は俄かに正気に帰る。
 自分の為した行動に思い至り、固まったまま目を見開いた。
 その肩をみなもがそっと支える。
 落ち着かせるために――。

「その方を恨む事はありませんよ。零。その方は『条件を揃えた人物の願いを叶える事しか考えていません』」
 みなもの支えの上に、畳み込むようなセレスティの科白。
「どうやら今は零がその条件…を揃えたらしいですね。…『君が何か望めばその通りになる』。そう言う事です」
 優しく静かに言い聞かせるような――声音で。

 零は再び、深々と頭を垂れたキリートを見る。
 動かない。
 変わらない。
 この男には悪意も何も無い。
 自分の兄を殺した男。
 けれど。
 それは。
 条件が。
 為した事。

 その条件が今は零にあると言う。
 ならば。
 無論。
 …彼女の願いは当然、ひとつだけで。


■その後■

 再びキリートの消えた後。
 泣きじゃくる零に縋られ、困ったような顔をしつつもその背を抱いていた草間武彦がその場に居た。
「も、会えないかと思いました…本当に死んじゃったかと…っ」
「…すまん。零」
「何処にも行かないで下さいっ…」
「…わかったからもう泣くな」
「本当です…ね?」
「…ああ」
 そんなふたりを見つつ、一同は今度こそ安堵する。
 草間武彦が生きてそこに居る事に。
「罪作りな人ですね。草間さん」
 そんな軽口も叩ける程に。
「…お前らが動いてくれてるのが、見えてたよ。ずっと」
 魂だけの状態、だったんだろうな、あれが。
「世話になった」
 噛み締めるように武彦が言う。
「他人行儀ですわよ。草間様」
「そうです。草間さんが居なくなったら困る人がたくさん居るんです」
「それでも、だ。お前らが居なかったら…このまま、零を置いて行く事になっただろうからな」
 有難う、と普段は絶対にしないような、素直過ぎる言い方で――武彦は皆に目礼する。
 と、こほん、と咳払いが聞こえた。
「ところで…この状況はどうするんでしょう?」
「確かにこれは…今晩泊まるところにも困りそうな…」
 匡乃と蓮歌の冷静なツッコミ。
 何にかと言うと…見た目通りの事務所半壊。
 一同は反射的に停止した。
 特に武彦は、泣き腫らした目のままきょとんとする零の背を抱いたまま、固まっている。
 暫し後。
「…そうですね。やりくりも大変でしょうから…資金面の御協力はさせて頂きますよ」
 心底有難い財閥総帥・セレスティの…苦笑混じりの御言葉に、漸く我に帰る武彦。
「ああ…物凄く助かる…」
 とは言え…金銭面の問題に悩める自分が居る事に、内心で武彦は苦笑した。
 あのまま放って置かれたら――と言うか実際、一度は死んだ身だ。
 何事も無かったように生き返った事こそが、奇蹟。
「…取り敢えず、この後始末と…タイミングの悪かった雪ノ下の見舞いかな」
 静かに笑った武彦は、眼前に広げられている事務所半壊と言う結構洒落にならない事態にも関らず…己が掌で零の体温を感じ、安堵した。

【了】


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ■整理番号■PC名(よみがな)■
 性別/年齢/職業

 ■1790■瀬川・蓮(せがわ・れん)■
 男/13歳/ストリートキッド(デビルサモナー)

 ■1252■海原・みなも(うなばら・みなも)■
 女/13歳/中学生

 ■1986■キリート・サーティーン(きりーと・さーてぃーん)■
 男/800歳/吸血鬼

 ■1537■綾和泉・匡乃(あやいずみ・きょうの)■
 男/27歳/予備校講師

 ■0391■雪ノ下・正風(ゆきのした・まさかぜ)■
 男/22歳/オカルト作家

 ■0328■天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)■
 女/18歳/大学生(巫女)

 ■1493■藤田・エリゴネ(ふじた・えりごね)■
 女/73歳/無職

 ■1883■セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)■
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■1831■御影・涼(みかげ・りょう)■
 男/19歳/大学生兼探偵助手

 ■1713■近江・蓮歌(おうみ・れんか)■
 女/19歳/フリーター

 ※表記は発注の順番になってます

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ※オフィシャルメイン以外のNPC紹介

 ■依頼人で襲撃者で以前の誠名殺しの犯人■ダリア■
 男/10歳/破壊者(…職業じゃないから)

 ■ダリアの連れで居る事が多いらしいサラリーマン風の人物■スティング■
 男/?歳/不明

 ■色々な意味でダリアのターゲット■真咲・誠名(しんざき・まな)■
 男/33歳/画廊経営・武器調達屋・怪奇系始末屋・元IO2捜査官

 ■雪ノ下さんに救援信号送られた男■空五倍子・唯継(うつぶし・ただつぐ)■
 男/20歳/大学生・陰陽師(似非)・霊能ライター

 ■更にそこから連絡され遠回しに呼ばれた男で同時に誠名の義弟■真咲・御言(しんざき・みこと)■
 男/32歳/バーテンダー(兼、用心棒)・元IO2捜査官

 ■御言がこんな時こそ居ろと言った相手■鬼・凋叶棕(くい・てぃあおいえつぉん)■
 男/594歳/探偵(草間興信所下請け・表向き)・仙人(中身は神格レベルの能力持ち・本性)

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 さて。突然な話で悪ィけど…WRの深海残月では無くNPCの真咲誠名だ。
 何かな、今回あまりにもキてる内容になっちまったなーとWRが思ったらしくって、俺に押し付けてぶっちゃけ逃げた訳だな、うん。
 で、代理だ。
 まずはとにかく待たせたなって事だな。
 初日に参加してくれた方々の納品期限がWR側では日曜になるから…完璧に遅刻してるし(遠)
 …危ない橋になりそうだから日数追加しとくって『早速』危ない橋になってるどころか橋から落ちてるじゃねえか。…むしろ日数足さねえ方が良かったんじゃねえか…? もしくは開き直ってお前の場合追加可能な最大の七日追加しておくとかしたらどうだ?(呆)
 …あ? 今回に限っては他にもちょっとごたついてたからだって? そりゃ言い訳だろ。
 ………………あー、いつも悪ィな。ウチのWRはこんなでよ。
 初めましての方も…すまん。ウチのWRはいつもこうなんだ。
 それに…文章が長い。長過ぎる。しかも今までで最長じゃ…(滅)
 …済まんな…(遠)
 他の方に頼みゃもっと早い上、規定に合った文章量の事の方が多いと思うぜ…。

 それと今回の文章は…すまん、WRが時間の使い方が下手過ぎて全面的に共通のまんまになってる(汗)
 だから余計文章が長いんだな…すまん…。
 …普段はこんな感じでずらっと一通り書いて、PCさんごとにある程度分割して…その際に文脈的におかしいところがあった場合やら登場人物のふりがなの有無なんかを調整して納品してるんだが…今回はそこまで手が回らなくひたすら申し訳無い…。

 と、まぁ、この辺りでWR代理の謝罪は取り敢えず終わりにしといて…次は内容に行かせてもらう。

 …PCの皆にゃ、とにかく手間ァ掛けさせた。詳しい事ァ…本文で話したが、今回の件は俺のせいになる。
 あのガキにゃ苦労させられたもんでね…。
 結局、昔の俺も最期にゃあの野郎に殺されたワケだしな。死んだ後にまで因縁が続きやがるたァな…。
 …ああ、あの調子じゃ野郎、多分、また何かしに来るぜ。
 今回みたいにゃ直球じゃなかろうが、な。
 次は俺を理由にじゃない。どうやら野郎、お前ら皆に興味持っちまいやがった。…済まん。
 まぁ…互いに手の内がバレていると言う部分では…次はそこそこ、イーブンだろうがな。
 取り敢えず奴は相当高位の魔神/邪神級の能力持ってやがる上、単純に死に難くもある。
 連れも連れで…実は異能力が使えないと同時に一切効かない。瞬間移動染みた現れ方や消え方してたのはダリアの方の力でね。連れの奴自体は…物理的にやたら頑丈で怪力だってくらいだな。
 奴ら、いつでも同行している訳じゃあ…無さそうだが。
 …ま、そこんトコ忘れないでもらえると、後々楽かも知れねぇ。
 取り敢えずタイトルはあんま内容と関係無いっポイな…(汗)。俺のIO2時代のコードネームが月由来だった事、で、ダリアとタチ悪い因縁持ってた、って程度だな。強いて言やあ、さ。

 と、次は個別。

 ■雪ノ下正風様
 エル姐やアトラスの連中から聞いてる。いつも世話になってるみたいだな。
 プレイングの時点で怪我を入れて来るってのァある意味賢明過ぎだよな。…それ以上が有り得なくなるから(苦笑)。ってもな、今回…早々に病院に行かなくとも…もう少しのんびり待っててくれりゃ…治癒能力持ちがふたりも居たんだよな。タイミング悪かったみたいだが。
 それから、外部に居るっつゥちょうど良い仲間が見当たらなかったらしくってライター仲間の空五倍子→御言が乱入する事になった。
 前回のエル姐の件は色々大変だったようだが…いや、今回も結局大変だな。済まん。

 …で、結局のところ、中身が問題なんだよな。
 楽しんで頂ければ、と言うか最低でも対価分は満足してもらえてりゃ良いんだが…。
 もし気に入ってもらえたなら、今後とも宜しくお願い致しますってWRもいつも言ってるしよ。

 …んじゃ縁があったら、またな?


 以上、真咲・誠名