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<東京怪談ノベル(シングル)>


連鎖塵

 永遠だと、思っていた。否、この世に永遠など存在し得ないのに。
「……もう、こんなにも経っているのですね」
 自動人形・七式(じどうにんぎょう ななしき)はそう呟き、銀の目でぐるりと室内を見回した。その際、赤い髪がふわりと揺れる。
「ここも、随分と変わりましたね」
 草間興信所。名前は未だ健在である。だが、その創立者は既にいない。それどころか、過去の人となっている。七式はそっとデスクに近寄り、そこに焼け焦げがあるのを見て微笑んだ。
「懐かしいですね」
 創立者はヘビースモーカーだった。一緒に住んでいる妹に「煙草は体に悪いんだから」とどんなに言われても煙草を口にくわえるのをやめなかった。煙を吐き出すのをやめなかった。ある意味、強固な意志をもっていた。
 だが、その彼はいない。
「確か……呼び名は怪奇探偵」
 くすり、と七式は小さく笑って呟いた。本人はいたく不服そうではあったが、持ち込まれる依頼が依頼なだけに、半ば諦めをもってその名を受け止めていた。持ち込まれる依頼たちは、普通の興信所には到底持ち込めないものばかりだったから。そしてまた、そういった依頼を引き受け、解決していくだけの力と人材があった。彼がいれば人が集まる。そういったところも兼ね備えていた。
 だが、その彼はもういない。
 否、寧ろいなくて当然なのだ。彼のいた時間は既に遠いものとなってしまっていたのだから。
「もう、100年ですか」
 七式は苦笑する。この興信所は、草間の子孫が運営している。幾度もの別れと出会いを繰り返し、自分は未だにここに存在する。だが……。
「……あっという間のようでした」
 体に埋め込まれている霊石は、七式の原動力である。コミュニケーションによって成長し、その形状の変化を繰り返す。そうする事によって。限界出力や積載重量が増加してきた。また、霊石が成長すると心も成長すると言われていた。
「成長……しましたでしょうか?」
 誰に問う訳でもなく、七式は呟いた。既に霊石は、その形状の変化を幾度も繰り返してきた。何度も何度も変化し、成長し……そして今に至る。七式は本能的に分かっていた。これ以上霊石は成長しないと。もう変化はしないのだと。
「ああ……これが、そうなのですね」
 七式は悟る。納得にも近いのかもしれない。
 霊石は変化を繰り返し、限界まで到達した。あとは、尽きるだけなのだ。
「これが、寿命、というものなんでしょうね」
 七式は小さく呟き、紙を取り出す。尽きる事が分かった以上、今この興信所を司る者達に一言言わねばならない。ただ、一言だけでも。
「……何を言えば、いいんでしょうね」
 七式は『さようなら』とか『有難うございました』とか『お世話になりました』等といった言葉を順に書いていくが、どれもしっくりこなかった。言葉では表現し難い感情が宿っていた。最初では考えられない変化だ。
「……やっぱり、成長したみたいですね」
 七式は気付き、苦笑した。成長は言葉をもどかしくさせていた。良い事なのか悪い事なのかは分からないけれど。七式は良い事だと思いたかった。例え、今困る事になってしまっていても、それが悪い事なのだとはどうしても思えなかった。
 暫く紙とにらめっこし、漸く一つの言葉を紡いで書き写す。そっと、壊れるものを扱うかのように。大事に大事に、その言葉を紙上に紡いだ。書き終えると、七式はそれを半分に折ってデスクに置いた。飛ばぬよう、灰皿を上に置きながら。
「……ああ」
 七式は灰皿を見て嘆息した。灰皿には、幾つもの煙草を押し潰した跡があった。昔の傷を見つけたようで、七式は何となく泣き出したい気持ちになった。嬉しいのか悲しいのか、懐かしいのか愛しいのか。それすらも分からなかったけれども、感情が全身に行き渡るのを確かに感じるのだった。


「七式は?」
「いない。おかしいな」
「何処かに行くって聞いていた?」
「いや……一体何処に行ったんだ?」


 小高い丘の上、それは確かにあった。草間の、墓だ。こんなちっぽけな石の下に草間がいるというのは不思議な感じであった。過去の人だ、ということも。
「……わたくしめは、ずっと不思議だったんです」
 墓の前に立ち竦み、七式はぽつりと口を開いた。
「この街は不思議な場所です。新しきと古きが寄り添い、叩き合い、そして顕在するだなんて……」
 七式は目を閉じる。嘗ての姿を思い出すように。煙草をくわえ、煙を吐き出し、妹に怒られ、苦笑し。その全てが昨日の事のように思い出されてならない。
「不思議な街の生み出す不思議な現象に、いつでも立ち向かっていましたね。真正面から、時には横から」
 持ち込まれる依頼達にうんざりしながら、それでも楽しみながら。矛盾を孕んだ行動に、七式は首を傾げずにはいられなかった。
「理解できませんでした。嫌なのならば断れば良いのにと、いつでも思っておりました」
 七式はそう言って墓に背を向け、街を見下ろした。街は相変わらず雑踏に満ちている。整理された様子も無く、ただただ曖昧に流されながら存在している。
「でも、今では分かるのです。この街を……この矛盾を、愛していらっしゃったのだと」
 矛盾も雑踏も曖昧さも。彼にとってはその全てが愛する対象であったのだ。成長した今ならば分かる。変化し続けた今ならば容易に理解できる。
 七式はそっと墓の隣に座った。不思議な気分だった。成長しきった今ですら分からぬ、自分の感情。どうしてこのような気持ちなのかが分からないのだ。
「……不思議な街ですね」
 七式は再び呟く。こうして存在する街が、自分が、全てが。不思議でならなかった。
 もうすぐそれも、終わる。


「手紙……手紙だ」
「七式の?」
「うん。……じゃあ、きっとあそこにいる。間違いない」
「間違いないね。……行かないと。そこにすぐ、行かないと」
「きっと行かないと、後悔する。これは予想じゃない。……確信だ」


 七式は墓の隣で静かに静かに待っていた。
「永遠だと、思っていました。永遠に続くものだと、思っていたんです」
 別れと出会いが代わる代わるに訪れ、様々な依頼が舞い込む。自分は永遠にあの興信所内に存在し、見守っているのだと思っていた。
「でも、永遠なんて無いんですよね。……今ならば、こんなにもはっきり分かるんです」
 ふふ、と小さく七式は笑った。墓から返事がないと分かっていても、話し掛けずにはいられなかった。
「もうすぐ、全ての機能が失われるでしょう」
 淡々と紡がれる、声。
「システムと記憶が、消滅するでしょう」
 冷静な、声。
「だからといって、わたくしめはこの世において全くの無の存在であったという事はないのです。確かに存在していたと、そう思うのです」
 七式は存在していた。誰も知らなくても、自分は分かっている。無ではない、有であった自らの存在に。
「おかしいですか?笑いますか?……わたくしめは、今、こんなにも満ち足りているのです」
 機能が失われても、システムと記憶が消滅しても。今の自分が満ち足りているという事実には変わりが無い。怖くない訳ではない。恐ろしくない訳ではない。だが、確かに自分という存在が満ち足りたまま存在していたというのは紛れも無い真実なのだ。
「……分かります。死期は、完全なる無ではないのだと」
 七式は目を閉じた。閉じざるを得なかった。本能的な理解にも近い。終わりではなく、無ではなく。ならば何なのかと言われてもそれは困る。七式にしか分からぬものなのだから。そう、七式にしか分からぬ、事実なのだから。


「七式?」
「絶対にここにいると思ったのに」
「待って。……ここにいたんだ」
「……そっか。ここに、確かにいたんだね」
 風がびゅう、と吹いた。途端、墓の隣に積もっていた塵が風に乗って空へと昇っていく。
「確かに、七式はここにいたんだ……他でもない、この場所に」
「うん。……七式は、ちゃんといたんだね」
「いたんだ。そして……」
 今一度、風がびゅうと吹いた。言葉は風に乗り、塵と共に空へと昇る。地上から、空へと。その存在を移動してゆくが如く。


 果てに行き着くは、魂の連鎖。打ち寄せる波の如くその思いは、静かに静かに空へと昇る。そうしていつしか知るのであろう。存在という名の、果て無き永遠を。

<風は空へと還り全てを抱きしめながら・了>