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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


午後一時二十九分

【オープニング】

 陰気な少年だった。
 何らかの依頼を持って、草間興信所を訪れたにも拘らず、その肝心の内容を、一言も話そうとはしない。
 ソファに行儀よく腰を下ろし、自分が人間であることも忘れたように息を詰めて、テーブルの上の煙草が山と盛られた灰皿を、ただじっと見つめている。
 まるで、灰の一粒一粒でも数えているようだ。ほとほと扱いに困って、草間も零も、顔を見合わせるばかりだった。
「信じて欲しいんだ」
 やがて、少年が、ようやく口を開いた。
 草間興信所に彼が姿を現してから、四十五分後のことだった。
「何をですか?」
 零が尋ねる。少年は、疑い深そうな眼差しを、少女に向けた。
「僕のこと、信じてくれる?」
「話してくれないと、こちらとしても、信じようがない」
 草間が、灰皿を少年の前から取り上げた。
「信じて欲しければ、まずは俺たちを信じることだ。何も話さない人間を、どうやって信頼しろと言うんだ?」
「僕……僕は」
 少年の震える唇から、かろうじて聞き取れる小さな声が、流れ出た。うつむいた拍子に、長い前髪が、顔を覆った。

「僕には、未来が、見えるんだ。新幹線が……三日後、事故を起こして……たくさん、人が、死んでしまうんだ」

 北海道を走る初の新幹線が、三日後、開通する。新聞でもテレビでも大いに騒がれていたことなので、むろん、草間もそれを知っていた。
 無事故を誇る新幹線の、その高い技術の粋を集めて完成した、最新最速の地を走る乗り物だ。セキュリティも万全。何度も何度も試運転を繰り返し、最高の出来に仕上げた。死傷者が出るほどの惨事が、簡単に起こるはずもない。
 草間は、そう言って、笑い飛ばしてやりたかった。大人をからかうもんじゃない、そう怒って、少年を追い払ってしまいたかった。
「新幹線が、事故、か……」
 だが、一方で、草間は、世の中には有り得ない事柄が星の数ほどもたくさん転がっていることを、ちゃんと知っている。
 絶対など、この世界には存在しないのだ。
 いつだって、不可能は可能となる。奇跡は必然になる。全ては起こるべくして起こるのだ。ならば、未来が見えるというこの少年が草間の元を訪れたことも、あるいは、運命だったのかもしれない。
「いつだ?」
 草間は尋ねる。少年は、驚いて探偵の顔を凝視した。
「信じてくれるの?」
「とりあえず、話は、全部聞いてやる。言ってみろ。事故は、三日後の、いつ、どこで、起こるんだ?」
「場所は……」
 少年の目に、涙が浮いていた。これまで、きっと、色々な人にこの「事故」を訴え続けてきたのだろう。嘘つきとなじられながらも、気味が悪いと後ろ指を差されながらも、どうしても、見捨てることが出来なかったのだ。
「信じて。僕の、言うこと。本当なんだ。本当に、起きてしまう事なんだ。助けて……。僕、僕、もう、見ているだけなんて、嫌なんだ……」
「いつだ?」
 草間が、少年の頭に手を置いた。元気付けるように、その髪を、くしゃりとかいた。
「時刻は……」
 少年の体の震えが、嘘のように止まった。
「時刻は、午後一時二十九分」





【未来の見える少年】

 少年は、近江真人(おうみまひと)と名乗った。
 年齢は、中学一年生だった。
 小作りな可愛らしい顔立ち。肌は抜けるように白く、変声期前の声は高い。平均よりも低い華奢な体に、サイズ違いの黒い学生服は、いかにも不釣合いに見えた。まるで、女の子が、誰かの学ランを借り着して現れたようだ。
「一つ、質問してよろしいでしょうか?」
 海原みそのが身を乗り出すと、少年は、その分を正確に、身を引いた。なに?と、おとなしい性格を素直に反映して、相手の顔色を伺う。
「大したことじゃありませんの」
 海原みそのは、そう言って、十分に凄すぎることを口にした。草間が、吸い始めたばかりのマルボロを、思わず落としてしまったほどだ。
「新幹線の事故、起こった方が、よろしいのではないでしょうか?」
 何を言い出すんだ、この天然非常識少女は、と、その場に居合わせた全員が、みそのの顔を凝視した。彼女は、恐れ多くも、神に仕える位高き巫女、のはずなのだが……その筋金入りの迷走ぶりは、神をして頭を抱えさせるほどと、もっぱらの噂である。
「事故った方がいいって、なんでだよ?」
 よく食べる、よく遊ぶ、よく寝る、そして勉強はよくサボる……破天荒高校生、鬼頭郡司が首を捻る。実は、破天荒高校生は世を忍ぶ仮の姿であり、その正体は、天上界より人界に降下した、いかづちの鬼である。
 性格は、豪快にして奔放。よく言えば自分に素直であり、悪く言えば他人に迷惑な少年だ。わけがわからない物体には、とりあえず雷を落としてみるという世にも恐ろしい悪癖があり、草間が全財産はたいて買った愛すべき新車に、いきなり雷撃の集中砲火を浴びせたという、もはや冗談を通り越して果てしなくタチの悪い逸話を誇る。
「だって、事故が起こらなかったら、真人さまは嘘つきになってしまうのですよ? それによって、真人さまの心は、確実に傷つくことになります。それが、わたくし、心配ですわ」
 天然巫女さん、たまにはいい事を言う。
「僕のことはいいよ。嘘つきなんて、言われ慣れてる。それより、あの事故を、何とかしてよ! ひどいんだ。みんな、血まみれで、苦しそうで……。僕、あんなの、二度と見たくない」
「それも不思議ですわ」
 みそのが、さらに、身を進める。
「事故で亡くなられる方は、真人さまのお知り合いでも何でもないのでしょう? どうしてそんなに必死になりますの?」
 少年は、ぽかんと口をあけた。まさか、そんな事を不思議がられるとは、夢にも思っていなかったのだ。逆に聞き返した。
「お姉さんは、目の前で、誰かが怪我をして苦しんでいるのを見たら、それを助けてあげたいって、思わないの?」
 今度は、みそのが眼を見開く番だった。
 目の前で、怪我をして苦しんでいる人がいたら。その状況を、考える。答えは、呆れるほどに、あっさりと出た。
 それは、助けてやろうと思うだろう。何とかしてあげたいと思うだろう。当たり前の、人としての感覚。
 少年の見える未来は、新聞の見出しのような、無味乾燥なものではないのだ。まるでその場に居合わせたごとく、全てを感じる。全てを知る。
 悲鳴。怒声。驚愕。慟哭。……そして、絶望。
「……シンパシー(精神感応能力)ですね。まるで」
 同じくその力を有する巽千霞が、悲しげに呟く。自分ひとりの感情でも持て余す人間が多い現代で、それは、決して、心の平穏をもたらすものではないだろう。まして本来は不確かであるはずの未来に作用するとなれば、苦痛は想像して余りある。
「辛いだろうけど……話してくれないか? 事故のこと。出来るだけ詳しく。場所とか原因とか特定できたら、それだけでも動けるし」
 ちょうど隣に座っていた葛西朝幸の提案に、少年は、素直に頷いた。もともとその覚悟でここに来たのだろう。思い出すだけでも寒気のするような忌々しい記憶だが、少しでも役に立てるのなら、拒む理由はなかった。
「待ってください。どうせなら、口ではなく、映像を……彼が目にした光景そのものを、見ませんか? その方が、きっと、わかることが多いと思います」
 千霞の精神感応の能力は、他人の感情や記憶の一欠片までも、自分のものとして取り込むことが出来る。さらには、そのイメージを全くの第三者にも伝えることが可能なのだ。むろん、直接精神に影響を及ぼす危険な力であるが故に、千霞は決してそれを多用しない。だが、今このときは、必要なことと判断した。
 言葉だけでは、きっと足りない。少年の怯えを見れば、彼が目にした光景が、どれほど惨く、生々しいものであったかが、よくわかる。言葉だけでは駄目なのだ。視覚で、聴覚で、嗅覚で……全ての五感で理解しなければ、真実は、見えない。
 もちろん、あなたが嫌でないのなら、と、千霞が少年に断りを入れる。真人は、それにも同意した。
「いつも、夜、寝るときに見るんだ。毎日見ていたから、はっきりと覚えている」
 少年が、目を閉じた。
「僕は、新しい新幹線の通路を、歩いていたんだ……」



 完成したばかりの新幹線は、綺麗だった。
 照明が煌々と輝いて、眩しいほどだ。目の覚めるようなブルーの座席に、それとは対照的に、あくまでも白い内壁。落ち着いた淡い緑のカーテンが、完璧に調えられた空調の風に、微かに揺れる。
 車輪のもたらす振動は、ほとんど無い。まるで滑るように走っていた。
 思い思いに寛いでいる人々の間を、少年は、ゆっくりと歩く。
 首を捻る。
 どうして、僕は、こんな場所にいるのだろう?
 辺りを見回すと、向こうに、車内販売の女性がいた。そうだ。彼女に聞いてみよう。少年は駆け出す。だが、ふと、奇妙な違和感を覚えて、立ち止まった。
「暗い……」
 新幹線の中は、暗かった。電気は点いているのに、それでも何故か暗いのだ。その理由は、すぐにわかった。窓の外が、真っ黒なのだ。まるで、墨で塗りつぶしたみたいに。
 いや、時々は、何かの合図のように、ぽつん、ぽつん、と、明かりが灯る。だが、その青白い光は、少年にはかえって不気味に感じられた。何かの化け物の、目みたいだ……。
「耳……痛い」
 それに、音。切れ目のない、低い轟音。
 何となく顔を上げると、ドアの上の電光掲示板に、「本日開通! 北海道新幹線『極光』にようこそ!」と、文字が流れていた。それで知る。そうか。ここは、北海道新幹線の中なのか。
「窓……。まだ、暗い」
 トンネルにしては、長すぎる。時速三百キロ以上を誇る新幹線が、どうして、いつまで経っても抜け出せないんだ?
「長い……長いよ」
 その時、ふと、声が聞こえた。

 いらせられませ

 驚いて、振り返る。誰かが呼んだ? でも、そこには、思い思いに寛いでいる人々がいるだけだ。本を読んだり、眠っていたり。誰も少年に気など払わない。
 ああ、気のせいか。何となく、安堵する。その瞬間。

 世界が、反転した。

 凄まじい衝撃。体が激しく叩き付けられる。爆発音が響き、硝子が砕け散る音がした。明るかった視界が、暗闇に包まれる。何が起きた? 何が起きた? 少年は、必死に目を開けて、辺りの様子を確かめる。シートが、正面の壁になっていた。頭蓋の割れた誰かの頭が、大きくのけぞり、白目と目が合った。
「う……うわあぁぁぁ!」
 少年は、割れた窓を尻の下に敷いて、座り込んでいた。ぱらぱらと、天井からも硝子の破片が降ってくる。新幹線が、横転していた。すすり泣く声。苦痛の呻き。痛い。痛い。痛い……。
 そして、鳴り止まぬ地響き。徐々に大きくなる。何かが迫ってくる。いきなり、水が溢れ出した。跳ねた飛沫が、口に入った。しょっぱくて、思わず吐き出した。海水だ。海水が、どんどん、嵩を増して……。
 踝まで。膝まで。太腿まで。腰まで。胸まで。喉まで。
 溺れる。流される。水に埋まる。だけど、出口はない。運良く車外に押し出されたけれど、上を見上げて驚愕する。上は、岩盤。硬い土くれ。コンクリートと、何かの建築資材が、悪夢のように連なっている。海面が無い。
 出口が、無い。
「あ…………あ………」
 漂ってきた死体に、ぶつかった。腕時計が、闇の中で、光っていた。デジタル文字に仕込まれた発行塗料だけが、肝心の時計が壊れてしまったのに、生きている。こんなに暗いのに、なぜか、その文字は、はっきりと見えた。
「PM1:29」



「ああぁぁぁ!!!」



 悲鳴が、全員を、現実世界に引き戻した。
 詰めていた息を、ようやく吐き出す。
「今の……」
 自分の声が、微かに震えていたことに、千霞はしばし気付かなかった。朝幸が、いきなりざっと立ち上がり、思い切りよく窓を開けた。
 涼しい秋風が吹き込んでくる。体にまとわり付いて離れなかった海水の感触が、一気に洗い流されていくような気がした。
「冗談……きついぜ。何だよ、今のは」
 豪胆な雷鬼が、は、と息を吐く。見る、などという生易しいものではなかった。体験であり、体現だった。あの場にいて、本当に死の危機にさらされたのだ。目を閉じれば、発行塗料の黄色の文字が、今も鮮やかに目蓋に浮かぶ。
「新幹線の、事故、なんですよね?」
 助けを求めるように、千霞が一人一人の顔を見つめた。葛西朝幸が、悪夢の答えを呟いた。
「青函トンネルだ」
「青函トンネル?」
「そう。極光は、札幌から東京までをノンストップで結ぶ新幹線だ。途中、青函トンネルを、通る」
「それが、崩れ……る?」
「ああ」
「中に、新幹線がある状態で、海底トンネルが、崩れたら……」



 全滅。



「面白いじゃねぇか」
 にっ、と、鬼頭郡司が笑った。雄敵を見出したような、高揚とした表情だった。内の感情を孕んでか、金の髪がざわりと波立つ。緑の瞳が、その本性を剥き出しにして、力を増した。
「上等だ。ぶちのめす相手としては、不足はねぇぜ」
 彼には、恐ろしいとか怖いとかいう感覚が無いのかもしれない。挑戦こそが、存在の証であり、全てだった。
「俺もやるよ。事故なんて、絶対に、起こさせない」
 知ってしまった以上、見て見ぬふりなど、出来るはずもない。もしかしたら、それを回避できる力があるかもしれないのに、行使しないのは……きっと、卑怯者か、臆病者のすることだ。
 彼の友たる「風」の力が、葛西朝幸に語りかける。今、この場に居合わせたのも、紛れもなく、運命なのだと。
「わたくしは、事故が起こった方が、妹たちにお土産話が出来て、面白いかも、なんて、考えていたのですが……。さすがに、あの惨状には、同意いたしかねます。皆様のお手伝い、やらせていただきますわ」
 かなり天然だが、ともかくも神に仕える巫女であり、能力だけは十二分に当てに出来る海原みそのも、戦列に加わった。
「私にも、何か、お手伝いさせてください。私に出来ることは、きっと、少ないと思いますが……それでも」
 少年の見た未来が、まだ、体の隅々に、残る。三日後には、それは、現実ではなく、ただの悪夢で終わるように……巽千霞は、ひっそりと、祈りを捧げる。
 私にも何かが出来るだろうかと、考える。時速三百キロ以上を誇る地上の怪物相手に、ただの人間ではあまりに分が悪いが、悲劇を食い止める礎の一つになりたいと、本気で願う。
「早速、作戦会議だ!」
 葛西朝幸が、代表して、言った。敵は、最速の地上の獣。最長の海底の蛇。一筋縄ではいかない相手だ。作戦を練るのは、なるほど、大切だろう。
 と、その時。
 話の腰を折るように、海原みそのと鬼頭郡司が、恐るべきことを口にした。



「ところで、新幹線って、何ですの?」
「ところで、新幹線って、何だ?」



 ……大丈夫なのか? 本当に大丈夫なのか?
 二人の非常識人を除いて、辺りに寒々とした空気が流れる。そもそも新幹線が何であるかも知らない彼らに、新幹線を助けることなど出来るのか?
 不安である。著しく、不安である。
「し、新幹線というのは、ですね……」
 かなり引きつった笑顔を浮かべながら、それでも律儀に説明してくれる、巽千霞。
 葛西朝幸は思った。そこから始めなければ、駄目なのか!? それから教えなければ、無理なのか!?
「お、お兄さん……」
 近江真人少年の、絶望的な声が、胸に痛い。
「人選誤ったか……」
 そして、草間の無情な一言。
 新幹線に明日は……………無いかもしれない。





【水に属する者たち】

 結局、この新幹線騒動に巻き込まれた総勢は、九名だった。海原みその、応仁守瑠璃子、鬼頭郡司、セレスティ・カーニンガム、レイベル・ラブ、巽千霞、渡辺綱、伍宮春華。
 セレスティ・カーニンガム、応仁守瑠璃子、渡辺綱の三人は、いわゆる権力財力に縁のあるお家柄である。それぞれの家の力を最大限に活用して、なんと、新幹線を、当日貸切にしてしまった。
 千三百名を一気に運べる新幹線が、近江真人も加えたたった十名のために、運行する。
 そう。運行するのだ。新幹線は。走ること自体を、止めるわけではない。
 誰もが、正体不明のあの「声」に危機感を抱いていた。
 あの「声」の正体を確かめなければ、事件は解決を見ない。確信が、全員にあった。そして、原因を根本から正さなければ、未来はまた幾度でも歪むだろう。一時的に新幹線の運行を邪魔したところで、それは、臭い物に蓋をしたに過ぎないのだ。
 新幹線には、五名が乗り込んだ。
 巽千霞、葛西朝幸、渡辺綱、応仁守瑠璃子、そして、近江真人。
 レイベル・ラブ、海原みその、セレスティ・カーニンガムの三名は、なにやら調べ物があるとのことで、後から別の手段で追いつくことになっている。
 また、高い飛行能力を誇る鬼頭郡司と伍宮春華は、一足先に、例の問題場所である青函トンネルに現地入りした。

 セレスティ・カーニンガムは、多忙だった。
 三日後には開通が約束されていた新幹線の運行を、財閥の力で強引に捻じ曲げたのだ。ある程度の覚悟はしていたが、やはり、それによって跳ね返ってくる非難不満の量は、並大抵のものではない。
 人間は、結局、目に見せるものしか信じない狭量な生き物であるため、そこに神がかった異常事態が入り込んでくるのを、極端に厭うのだ。セレスティは、いかにも現実くさい理由をでっちあげ、もっともらしく説明し、怒りやるかたない人々には見せたくもない笑顔を見せて、この未曾有の混乱に対処しなければならなかった。
 超常現象の調査は、彼でなくとも、優秀なメンバーが揃っている。だが、面倒くさい「現実」に折りよく渡りを付けられるのは、セレスティだけだ。
 彼は、適材適所という言葉の意味を、正しく理解していた。
 他の仲間たちが新幹線に乗り込んで旅を楽しんでいる間も、裏方のような役目に従事していたのである。
「海原さん、お願いがあります。一足先に青函トンネルに飛んで、万一に備えて、そこで待機してください」
 みそのに、セレスティが提案する。みそのは華奢な頤に手を当て、少し思案した後、わかりましたと頷いた。
「トンネルが崩壊する、と、お考えなのですね」
「ええ……。真人君の夢見の通りなら、それは、紛れもなく、現実に起こり得ることです。本来ならば、私が行って止めるべきなのでしょうが……。残念ながら、まだ手が離せない状態です。そして、私以外に、トンネルの崩壊を防ぐ力を持つ方といえば……この中では、海原さんだけでしょう」
 高い戦闘能力を持つ仲間はいるが、彼らの力は、物理的に、何かを壊したり崩したりするためのものだ。それは、広範囲に、森羅万象に働きかけるものとは、明らかに袂を分かつ。
「私が何よりも恐れているのは、海底トンネルの崩壊です。それが起こったときの被害は、計り知れない」
 単純に誰かが生き死ぬという問題ではない。一度壊れてしまったものは、修復に気の遠くなるような時間がかかるのだ。それが、技術的に困難を極める深海の通路ならば、なおさらだ。
「あの声が何であるか……大体の見当は、ついています。ただ、なぜ、それが、急に目覚めたのか……わからないことはあります」
「あの声は、何ですか? 海に関わる亡霊のものであることはわかりますが、どこから来たのか、何が望みなのか、はっきりしません。わたくしの声にも……答えてはくれません」
「洞爺丸、という名を、海原さんはご存知でしょうか?」
 みそのは、いいえと首を振った。新幹線すら知らなかった彼女に、洞爺丸のことを聞くのは、明らかに間違いだ。セレスティは自分自身に苦笑した。
「世界第二位の海難事故として名高い、悲運の船です。千二百名以上もの死者、行方不明者が、出たそうです。あのタイタニックの死者が、約千五百名ほどですから……どれほどの惨事だったかは、わかりますでしょう」
「洞爺丸……。では、あの声は、洞爺丸の?」
 みそのは、いぶかしげに眉を寄せた。
「でも、その悲運の船と、海底トンネルと、どんな関係がありますの?」
 事情を知らない者には、その疑問はもっともだ。セレスティは、ありますよ、と、ごく簡潔に答えた。
「洞爺丸の大惨事が原因で、青函トンネルが掘られることとなったのです。洞爺丸こそが、青函トンネルの生みの親……そういうことです」





【1329の因果律】

 一人の老人が、セレスティとみそのの元を訪れた。
 若い頃は、大型船の航海士だったと説明したその老人は、財閥総帥を目にしても畏まる様子もなく、いきなり、二人に、疑問を投げかけた。
「なぜ、新幹線を、止めたのかね?」
 別に、怒っているふしはない。ただ、純粋に、わからないことを質問してきただけのようだった。
「新幹線に、惨事が起こると、そういう予言があったのです」
 みそのが説明する。馬鹿馬鹿しいと一笑に臥すと思ったら、老人は、ごく真面目な顔つきで、やはりそうですかと呟いた。セレスティが、慎重に、問いかけた。
「やはり……とは?」
「数字ですよ」
 老人が、答える。
「数字?」
「1329の、数字です。新幹線の乗客乗員の数が、ちょうど、この数字だったのです。わしは……何かが起こらねばよいと、危惧しておりました。その数字は、絶対に、青函トンネルに関わるものが、使ってはならん数字なのです」
「意味が、わかりませんが……」
 戸惑いながらも、みそのの声は、どうしても低くなる。予言の時刻は、13時29分。それを頭に思い浮かべずにはいられなかった。
「1329……。それは、一体、どういう数字なのですか」
 老人が、ぎゅっと目を瞑った。
 何か、不吉なものを思い出して、それを堪えようとしているかのような顔つきになっていた。

「青函トンネルの生みの親……洞爺丸。その惨事を知らぬ者は、おらんでしょう。たくさんの人が死にました。一般には、千二百名と言われております。しかし……そうではないのです。本当は、もっと多いのです。洞爺丸事故で亡くなった人、行方知れずになった人の数こそが………1329なのです」

 因果、という言葉が、セレスティとみそのの脳裏に浮かんだ。
 一切のものは、原因があって生起し、それは絶対普遍の法則となる。
 奇しくも同じ数字が、洞爺丸と新幹線の間に、ねじれた因果律を生み出した。
 眠っていた、生への妄執が、目覚める。死者が、生者を、仲間へと誘う。



 いらせられませ。いらせられませ。
 水清らかなる、眠りの淵へ。

 いらせられませ。いらせられませ。
 闇静かなる、とこしえの地へ。





【回避された予言】

 午後二時十二分、みそのは、応仁守瑠璃子からの携帯で、事故が回避されたことを知った。
 そこでどんな生命のやり取りが行われていたかは、後で合流した皆から、口々に聞かされた。

 みそのは、セレスティの願いどおり、函館の出口付近に待機して、青函トンネルの崩落を防いだ。洞窟内部には足を踏み入れず、狂った因果の生み出したトンネル崩壊という最悪の状況を、一人で回避し続けた。
 セレスティは、迅速に、まずは新幹線の正式な運行停止と、トンネルの修復改善の手続きを取った。
 途中、洞爺丸の霊を鎮めるための小さな祠が、青函トンネル内部に設置されているのを知った。
 だが、その祠は、新幹線工事の途中で、壁の中に塗り込められてしまったのだという。もっと立派で、もっと贅沢な宮が、違う場所に建てられて、それがあれば、古い社は必要無いと捨てられたのだ。
「そんな簡単に、取って代われるものではありません。人の想いというものは。新旧は関係ありません。その小さな祠は、紛れもなく、鎮めの力の核を成していたのです。それを元通りにしてください」
 1329の共通項から目覚めた亡霊が、それを抑える祠を失い、溢れ出した。それこそが、今回の事件の真相だった。天災ではなく、人災だった。過去を振り返るのを怠った人間たちが、起こり得ないはずの災いを、呼んでしまったのだ。
 そこに近江真人がいなければ、彼が草間の興信所に行かなければ、そして一銭にもならない依頼を受ける酔狂な能力者たちが居合わせなければ、人災は、1329の命を、瞬く間に摘み取っていたことだろう。

「人は、うつろう存在ですから、忘却は、仕方のないことなのかもしれません……。しかし、想いは、時として、わたくしが仕える神よりも、遥かにうつろわざるものとして、永遠を生き続けます……」

 覚えていてもらいたいものです。
 みそのは、そう言って、新聞をテーブルの上にそっと戻す。
 社会面の一等欄に、トンネル修復の記事と、新幹線開通予定の見出しが、躍っていた。





【自分らしく】

 事故は、起こらなかった。
 開通前の試運転で、トンネルに重大な破損箇所があったと、関係者にわずかばかりの説明がされただけだった。
 当たり前のように、修繕のための工事期間が設けられ、そして、いずれ、新幹線は復活する。
 午後一時二十九分の戦いは、草間興信所から派遣された九名と、当の預言者である少年しか、知る者はいないのだ。こんな事があったんだよと訴えたところで、真実は、虚言よりも、はるかに奇異で非現実的だった。
 全ては、ひっそりと、闇に埋もれた。

「事故は、防いだが、あなたが狼少年と呼ばれることに、変わりはないぞ。誰も、真実を、知らないのだからな」
 レイベルの言葉に、みそのが頷く。優しげな顔をして、その発言は、相も変わらず物騒だ。
「少しくくらいなら、起こった方が、良かったかもしれませんね」
 だが、少年は、首を振った。起こらないで良かった、と、何ら躊躇いもなく、そう笑った。もともと、褒めてもらう気など無かったのだ。目の前で苦しんでいる人がいたから、それを助けようと思っただけ。理由は、それ以上でも、それ以下でもなかった。何かの利を求めたわけでもない。
「私には、流れを変える力があります。真人さまが望むのでしたら、ご自身をこれまで苦しめてきたその力を奪い、運命そのものを変革することも、可能です。どうしますか?」
 みそのの言葉に、少年が、はっと息を呑む。それは、途方もなく、魅力的な提案に思えた。今まで、こんな力を欲したことはない。何を見ても信じてもらえず、口にすれば嘘吐きと罵られ、全てが終わった後には、気味が悪いと露骨に避けられた。
 失くせるものなら、失くしてしまいたい。いらないからと、古い月めくりを取り替えるような感覚で、今の自分を新しい自分に据え置くことが出来たなら、それは、どれほど、楽で安易な道だろう?
 だけど……。

「それでも、これが、僕だから」

 その力も、近江真人を形作る、重要な構成面の一つなのだ。捨ててしまっては、いつまで経っても、本当の自分自身と向き合えない。
 それに、彼だけではなかった。不思議な力の持ち主は。彼が今まで知らなかっただけで、たくさんいたのだ。そのほとんどが、何らかの事情を抱え、己の特異な力と折り合いをつけて、生きている。
 彼らに出来て、自分に出来ないはずがない。真人は、そう思った。この忌まわしい力さえも、与えられた宝の一つとして享受して、誰に憚ることもなく、堂々と、先を見つめていたいだけ……。
「僕は、この力と一緒に、これからも、頑張っていくよ」
「真人さまなら、そう仰ることと、思っていました」
 少年の答えを、初めから、みそのは知っていたようだった。嫌だからと逃避するような人間なら、そもそも、狼少年と呼ばれるのを覚悟の上で、不吉な予言を口にしたりはしない。
「また、何かが見えましたら、一人で抱え込まず、草間さんに相談されたら良いですよ」
 セレスティがアドバイスをする。草間が聞いたら、なんで俺が……とボヤくこと間違いない。
「物好きな能力者が、また、好んでトラブルに飛び込んでくれるだろう。遠慮することはないぞ。根っから騒動が好きな奴らばかりだからな」
 あながち外れてはいない、レイベルの指摘。
「ありがとう。お兄さん。お姉さん」
 少年は、ぺこりと一つ深くお辞儀をして、身を翻した。夜の帳の向こうに、その姿は、まもなく溶け込んで消えた。

「お姉さん、ですか……。最後まで、誤解、解いてはくれませんでしたね……」
 みそのがやや不満げに呟く。
「同い年、なんですけど……」
 海原みそのも、十三歳。
「その格好のせいだろう。黒いスーツなんか着込んで……。おまけに、その黒いマフラー。どう頑張っても、十三歳の中学生には見えんぞ」
「今回は、新幹線の騒動でしたので、アニメの00何たらを参考にさせていただきました。妹たちのオススメなんです」
 沈黙が、満ちた。
 その00何たらの正体を、あえて確かめる物好きな性質は、二人にはない。聞き流すことにした。
「………帰りましょうか」
「………そうしよう」
 
 それぞれに、帰途につく。
 あくまでも僕らしく頑張るのだという、少年の声が、ふと、脳裏に甦った。

「それでも、これが、自分だから……」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1388 / 海原・みその / 女性 / 13 / 深淵の巫女】
【2086 / 巽・千霞 / 女性 / 21 / 大学生】
【1472 / 応仁守・瑠璃子 / 女性 / 20 / 大学生・鬼神党幹部】
【1892 / 伍宮・春華 / 男性 / 75 / 中学生】
【1838 / 鬼頭・郡司 / 男性 / 15 / 高校生・雷鬼】
【1761 / 渡辺・綱 / 男性 / 16 / 高校生(渡辺家当主)】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0606 / レイベル・ラブ / 女性 / 395 / ストリートドクター】
【1294 / 葛西・朝幸 / 男性 / 16 / 高校生】

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■         ライター通信          ■
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はじめまして。ソラノです。
今回は、色々な方に初参加していただきました。ありがとうございます!
ちなみに、登場人物紹介の並び順は、お申し込み順です。

このお話は、大きく三つのパートに分かれています。
一つ目は、海原みそのさん&セレスティ・カーニンガムさん。
二つ目は、伍宮春華さん&鬼頭郡司さん&レイベル・ラブさん。
三つ目は、巽千霞さん&応仁守瑠璃子さん&渡辺綱さん&葛西朝幸さん。

皆さんのプレイングが、それぞれ個性的で、あれも使いたい、これも使いたい、と、かなり泣きました。
結局、枚数その他の関係で、大幅に削ってしまった箇所も多く、中にはほとんどプレイングが生かされていないPCさんもおります。
かなり字数を詰めましたが、それでも長いです。物凄く長い話となっております。
長文が苦手なPCさんには、申し訳ないです……。

海原みその様。
前回に引き続きの参加、ありがとうございます。
人数、枚数の関係上、活躍する機会が少なくなってしまいました。せっかく「水」に関わる話になったのに、残念です。
会話では、天然ぶりを大いに発揮してくれました。郡司さんと同じく「新幹線って何?」とのプレイング、使わせていただきました。