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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Coma Black


  二度と眠るな、奴が来る
  ドアに鍵かけ
  コーヒー飲んで
  二度と眠るな 奴が来るから


 気がかりな夢からようやく覚めたような気分だった。
 ユーリ・コルニコフは目を開けて、ふと、左隣に目をやった。
「……キッド」
 親友ウォルター・ランドルフもまた、呆然と天井を見上げていた目を、さっとユーリに向けてきた。
「ニコフ」
 ウォルターはごくりと生唾を飲んだ。
「何処だ、ここ」


 ふたりは3日前から、小さな町で起きた若者の変死事件を追っていた。事件は専ら夜に起こった。そして死体が見つかるのは、決まって寝室や自室の中だった。死因は主に心臓発作だったが、ふたりが最後に見た死体は、部屋にあったペーパーナイフで無理矢理喉を突いていた。余程死にたかったのだ。
 いつの間にやら肩書きが怪奇事件専門捜査官と化しているウォルターは、一連の事件にこびりついている忌まわしい気配に気がついてしまった。だからこそ、怪奇事件専門になってしまったのかもしれない。ウォルターはここのところ暇だとぼやいていた親友を呼び出し、いやたとえここのところ忙しいとぼやいても呼び出しただろうが、ふたりで事件を追うことにしたのだった。ユーリは捜査の権限など持たないスタントマンで、ウォルターとは違い、厄介事に関わるのを敬遠するたちだった。要するに、ウォルターほど好奇心も使命感も強くはなかったのである。
 ウォルターは日本に来てからその熱血ぶりに拍車がかかったようだと、ユーリは冷静に客観的にドライに見守っていた。
 だが今回の件に自分が駆り出されたこと自体に、ユーリは後々安堵することになった。若者たちはただ死んだのではなく、殺されたのだ。それに気がついたときが、ユーリの運の尽きだった。ウォルターが命を救われた瞬間でもあったのか。
 若者たちを殺したのは夢だった。

『眠るな』
『奴が来る』

「……夢魔だ、キッド。相手は夢の中にいる」
 若者が死んだ部屋の窓辺には、小さなサボテンの鉢がいくつもあった。サボテンは見ていたし、感じ取っていたのだ。サボテンの言葉は、いつ聞いても明瞭だった。サボテンはもともとテレパシー能力が強いという。ユーリは身をもってそれを痛感することが出来る、数少ない男だった。
「ホトケさんもそれには気がついてたみたいだな」
「……ホトケ……?」
「こっちじゃ死体のことそう言うんだってさ」
 ウォルターの目は、ベッドの傍らにあるテーブルの上だった。
 テーブルの上には、栄養剤や強壮剤に、コーヒー、無水カフェインの錠剤がある。若者はべつに締切直前の原稿やレポートに追われていたわけではないはずだった。ただ単に、眠りたくはなかったのだ。
『あんたらも眠るな』
『奴が来るぞ……』
 ユーリは、部屋を取り巻く『気』がずしんと重たくなるのを感じ取った。
 いやな気配だ。
 耳障りな哄笑と音が聞こえる。
 気がかりな夢からようやく覚めたような気分だった。
 ユーリ・コルニコフは目を開けて、ふと、左隣に目をやった。
「……キッド」
 親友ウォルター・ランドルフもまた、呆然と天井を見上げていた目を、さっとユーリに向けてきた。
「ニコフ」
 ウォルターはごくりと生唾を飲んだ。
「何処だ、ここ」
 ふたりは見知らぬ部屋の中で、仰向けに寝転がっていた。


 ふたりは仲良く同時に、ガバと身を起こした。あまりの勢いに、ウォルターのテンガロンハットが床にこぼれ落ちた。
 日本の小さな町の、どこにでもある家の一室に居たはずだ。
 窓辺にサボテンが並べられた、平凡な部屋だったはず。
 それが今では――
『ようこそ』
『メシでも食おうぜ』
『遊ぼうぜ』
『歓迎するぜ』
『ヒヨッコちゃんたち』
 窓辺の枯れたサボテンが、げたげたと笑い出した。ユーリは顔をしかめて、窓辺から目を背けた。
「あぁ?! ちくしょう!」
 突然ウォルターが大声を上げ、床に這いつくばった。ユーリは一瞬驚いてしまったが、一目見ただけで状況を把握できた。
 落ちたテンガロンハットが、床を突き破って現れた手に掴み取られ、床に沈んでいったのである。枯れた植物たちが歓声のようなものを上げ、また笑い出した。
「うるせェ、黙れ! くっそー、いいか、絶対返してもらうからな!」
 ウォルターはサボテンを射るように指してから、何もない床に指を突きつけて怒鳴りだした。
「……キッド」
「何だよ!」
「……聞こえるのか、笑い声が」
「当たり前だろ! そこのサボテンが――」
 ユーリの問いに咬みつくような答えを返してから、ウォルターが表情を変えた。
 彼は窓辺に顔を向けると、窓辺を指差していた手をのろのろと下げた。
「……俺に聞こえるのは、何もおかしいことじゃない」
「でも俺に聞こえるってことは、普通じゃねエな……」
 部屋は、西洋風のつくりであった。
 天井には蜘蛛の巣がかかったシャンデリアがあり、窓ガラスは雲っていて、外の様子を伺うことは出来ない。置かれている観葉植物は枯れているか、虫食いだらけだった。サボテンたちが黙りこむと、何の音もない世界だ。古い時計は止まっているし、家電と水道管の唸り声も聞こえない。
 じゃリん!
 不意に聞こえた金属音に、ふたりは身構えた。

『ようこそ――メシでも食うか? ビールでも飲むか? 遊ぼうぜ、ヒヨッコちゃんたち……』

 光もないのに影が伸びてくる。
 テンガロンハットをかぶった長身な男だ。
 ウォルターが露骨に眉をひそめた。彼のお気に入りの帽子なのだ、シルエットだけで、見も知らぬ男が被っているものが自分のテンガロンハットであるとわかってしまった。
「そいつを絶対返してもらうぜ、クソ野郎!」
『ハーッ、ハーッ、ハハハハーッ!!』
 どこかで聞いたような笑い声だ。
 そうだ、『エルム街の悪夢』だ。
 フレディ・クルーガーだ。
 爪とぎを打ちつけた自作のグローブで、若者たちを引き裂いていく。
 テンガロンハットの男は、さっと身を引いた。影が消えた。
 ウォルターがそれ以上何も言わずに、懐から取り出した銃を抜いて、影を追おうとした。
「待て、キッド!」
 ユーリが彼らしくもなく声を荒げると、親友の襟を掴んだ。掴んだ拍子に、ウォルターの金髪が数本抜けた。ウォルターは悲鳴と怒号を同時に上げると、ユーリの手を振り払った。
「いッてーな、何すんだ!」
「……悪い。髪が抜けた」
「『抜いた』って言え! ……何で止めるんだ! あいつが殺しまくってることは間違いないだろ! ここで止めないと――」
「……止めないとは言ってないだろう。ただ、よく考えるんだ。奴は夢魔だぞ。夢の中でなら、奴は『神』なんだ」
 言葉を切ったその時、ユーリの金眼がさっと天井を見上げた。
 獣の反応であった。
 ユーリがウォルターを今度は突き飛ばし、自身は後ろに飛び退いた。
 蜘蛛の巣がかかったシャンデリアが落ちてきた。
 やかましく砕け散ったシャンデリアは――いや、すでにそれはガラスの明かりではなく――カチカチキラキラと音を立て、8本の脚を伸ばすガラスの蜘蛛になっていた。
 ユーリは蜘蛛と目を合わせてしまった。
 身構えたときにはすでに蜘蛛が跳躍していて、
 今度こそ砕け散っていた。
「おいこら、クソ相棒!」
 ウォルターはこめかみから血を流しながら、ガンドリルを決めて銃口から立ち昇る硝煙を払った。顔はやり場のない怒りに満ちていた。
「助けてくれて有り難う。でも加減って言葉知ってるか?!」
「……悪かった」
 ユーリに突き飛ばされ、ウォルターは激しく転倒し、部屋の角にあったクローゼットに頭を打ちつけたのだった。ウォルターは危うく、夢の中で気を失うところであった。それほどこの夢は現実的であり、痛みは本物の痛みであった。
「……キッド、『エルム街の悪夢』は知ってるか」
「は? とりあえず1と3と7は観たぞ」
「……ファンか?」
「ハリウッドそのもののな」
「……やつもファンらしいぞ」
 ユーリはそこで思わず微笑んで、右手で鋭い爪を模してみた。
 ウォルターが笑った。
「フレディを倒す方法は?」
「気合だ!」
「それだ!」
 結局ふたりは、部屋を飛び出すのだ。
 クローゼットが吼え、牙を剥く前に。階段の手すりにカミソリが生える前に。駆け下りる階段が、腐った泥に塗れても。カーペットの柄が悪夢のように動いていても、目はくれない。ただ、小馬鹿にしたように逃げていく影を追うのだ。自分たちはもう一度眼を覚まさなくてはならない。フレディのファンを消し飛ばし、夢を夢のままで終わらせるのだ。
『ハーッ、ハーッ、ハハハーッ!』
 姿なき影が、テンガロンハットに手をかけながら笑っている。
『さア来い、遊ぼうぜ、ボウズども!』

 見れば奴の背には翼があった。爪は――右手だけではなく、左手にもあった。アメリカの爪とぎのように鋭く、しゃキんしゃキんと音まで立てる。
「ニコフ!」
 ウォルターがリヴォルバーを構えた。
「見ろ!」
 リヴォルバーが火を吹き、夢の主に命中した。
 弾は頭部をとらえず、翼膜に穴を開けた。
 ウォルターが、外したのだ。
『ハァーッ! 若造! ヒュウ! どォこ狙ってる!』
 弾丸が開けた穴は、まるかった。
 光が漏れている。
 まるい光が、夢の中に現れた。
 ウォルターは、当てたのである。

 哄笑が驚愕と恐怖と痛みによる絶叫に変わった。
 『若造』がひとり消え、人狼が現れて、ドリーム・マスターの翼を引き裂いたのだ。爪と牙は金属的なものではなかったが、力強かった。
「お前は夢を操るだけだ」
 人狼が炎の吐息をついた。
「俺たちを操れるわけじゃない」
 人狼の手が、テンガロンハットを奪い取った。
 帽子を失った頭部が、3発の弾丸によって吹き飛ばされた。



 銃声がふたりを呼び戻す。
 気がかりな夢からようやく覚めたような気分だった。
 ユーリ・コルニコフは目を開けて、ふと、左隣に目をやった。
「……キッド」
 親友ウォルター・ランドルフもまた、呆然と天井を見上げていた目を、さっとユーリに向けてきた。
「ニコフ」
 ウォルターはごくりと生唾を飲んだ。
「ここだよな」
 現実は。
『おかえり』
『ありがとう』
『ごくろうさん』
 サボテンの温かい声を聞いたのは、ユーリだけだった。
 のろのろと身を起こしたウォルターの頭に、テンガロンハットはない。
「……これ」
 ユーリが持っていた。何も言わずに差し出したテンガロンハットを受け取って、ウォルターは束の間喜び、そして――激怒した。
「おいこら、このクソ狼! ケダモノ! 何てことしやがった!」
「……取り戻してやったんじゃないか」
「この傷痕はあいつのもんじゃねーぞ、バカー! 弁償しろ!」
「……言えよ、早く、いつものように。『これにていっけんらくちゃく』って」
「言えるか、死んじまえ!」
 ユーリが親友の目を見ないのは、自分がやったと確信していたからだった。ばつが悪くて、とても目を合わせられない。前を見たまま現場を去るユーリを、爪痕のついた帽子を振り回しながら、ウォルターが追いかけていった。




<了>