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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


種も仕掛けも?

 夕刻を過ぎ夜闇が降りれば暑さは和らぐ。しかし、湿度はその法則への裏切りを助長しているかのように実際の温度よりも強い不快感を与える。
「暑いな……」
 シュラインの横に立つ男はそう呟くとネクタイを外した。ついでにシャツの第一ボタンを外して大きく息をついた。満足そうな武彦がネクタイの行き場に困っているのが可笑しくて、シュラインはそっとその肘を引いた。
「ん?」
「預かるわ」
「そうか? 悪いな」
 短い会話とともにシュラインの手にネクタイが委ねられる。皺が付かないように気を付けて折りたたむと彼女はバッグにそれをしまった。手を出さなければネクタイはどうなっていたのやら。そんな事を思い咽喉の奥でそっと笑うと、武彦が首を傾げた。
「どうした?」
「いいえ。……ね、ネクタイどうするつもりだったの?」
「え? ポケットに入れようかと」
 予想通りの答えに笑うシュラインに武彦は不審げだ。
「武彦さんらしいと思って」
「俺らしいってのはどういう意味だよ」
「そのままね。……多分九尾さんも同じ意見だと思うわ」
「着いたら聞いてみる事にするよ」
 他に答えようもなかったのだろう武彦の言葉に更に笑うシュラインだった。
 興信所を早めに閉めた後に軽く食事をして向かった先は、話題の青年が経営するケイオス・シーカーである。せっかく二人きりで出かけておいて、行く先が二人と付き合いの深い桐伯の店である事はそれがデートかそうではないかの区分ではなく、彼の店がそれだけ居心地が良いという事である。気の置けない友人とゆっくりと会話を楽しみながら飲む酒の味もまた格別だ。無論ケイオス・シーカーの品が良いというのも一因である。
 重い樫の扉を開くと、抑えられた照明とジャズ、そしてアルコールの匂いと店主が二人を迎えた。扉を押し開けた武彦と隣の黒髪の美女に目を留め店主は笑顔を深くした。
「いらっしゃいませ。今日はお二人で?」
「ああ」
「こんばんは」
 頷くと桐伯の前の席に二人は腰を下ろした。桐伯と数人の店員が立ち働くカウンターの中は数え切れない酒瓶で埋め尽くされている。ここで飲めない酒はあまりないという武彦の言葉はあながち間違いではない。知らない酒の名前を聞かせればいつの間にか入手しておいて次に来た時にはしれっと揃えておきましたと言うのが桐伯の常なのだから。
「さて、何になさいますか?」
「そうだな、お薦めは?」
「先程お客様から桃を頂いたので、フレッシュなカクテルなどはいかがですか?」
「美味しそうね」
「じゃあ、お任せで二つ」
 程なく武彦とシュラインの前に二つのグラスが置かれた。シュラインのカクテルは薄いピンクで背の高いグラスに、武彦の前に置かれたのはシュラインのそれよりも白みが強く、どっしりとしたグラスに注がれていた。
「頂きます」
 シュラインは桐伯にそういうと一口飲んだ。ほんのりとした甘味と桃の果肉と果汁の風味、そしてすっきりとした後口。一口だけではもったいない気がしてそのまま少し飲んから、桐伯に笑顔を向けた。
「美味しい。桃の甘味がとても爽やかね」
「ありがとうございます」
 同じように笑みを浮かべた武彦が感心したように頷いていた。
「美味い。見た目より結構さっぱりとしてるな」
「桃の風味がある割にはしつこくないでしょう?」
「ああ」
「どんな味なの?」
 二人のグラスが交換される。武彦に出されたカクテルはワインベースなのかさっぱりとした味で甘さが控えめだった。それぞれ味を批評し合う二人に桐伯がふと思いついたように訊ねた。
「ああ、そういえば。今日はあの子が来たんじゃありませんか?」
「事務所には来てない。模試の勉強があるとか言っていたな」
「そうなのよ。会い損ねちゃったわ。代わりに貯金箱に対面したけど」
 霊感少女の十万円貯金を思い出し笑いながら言ったシュラインに桐伯は目を丸くした。
「貯金箱?」
「ああ、報酬にな。……ちゃんと中身入りの」
「小銭ばっかりだけどね」
 シュラインの言葉に不思議そうな顔をする桐伯。武彦とシュラインは今日の顛末を話し始めた。話し終わる頃には二杯、三杯とグラスが傾けられていた。
「なるほど。それでネクタイはバッグの中に、と。しかしポケットとはらしい話ですね」
 話の流れで先程のネクタイの事に触れるとシュラインの予想通りの言葉で桐伯は笑った。武彦は難しい顔でつまみのチーズを一口齧った。
「どうして、二人してそんな言い方をだな」
「だって実際に武彦さんらしいと思ったのよ」
「ええ。それに貶してはいませんよ」
「褒めてもいないだろう?」
 まあそれはと答えを濁して桐伯の視線がさ迷う。武彦のグラスが空になっていた。ふと思いついて桐伯は笑みを浮かる。
「そうだ。ちょっとした賭けはいかがですか?」
「賭け? どんな?」
 シュラインが小さく首を傾げた。
「三つのグラスの中でどれを選んだか当ててみせましょう」
「当たらなかったら?」
「私の奢りです」
「面白い。のった」
 武彦が頷く。三杯のカクテルが武彦の前に並べられた。エンゼル・キス、マティーニ、ジン・トニック、それぞれのグラスを眺めて武彦は頷いた。
「よし、はじめてくれ」
「では、グラスをシャッフルします。シュラインさん、好きな二つを選んでください」
「え? 私? そうね、じゃ、エンゼル・キスとジン・トニック」
 グラスが入れ替えられる。次は武彦にと数回それを繰り返すと桐伯はさてと手を止めた。
「では、草間さん、私は後ろを向いていますから、その間に選んだものとどれかのグラスを入れ替えてください」
 桐伯が背を向けるのを確認して、武彦はエンゼル・キスとジン・トニックを入れ替えた。
「よし、入れ替えた。いいぞ」
 振り返った桐伯はしばらく考えてからにこりと微笑んだ。
「ジン・トニックですね」
「……何故判った?」
「それは秘密です。では、ジン・トニックをどうぞ」
 エンゼル・キスとマティーニをシュラインと自分の手元に置く。武彦が頭を掻いてグラスを掲げた。
「乾杯、なんてな」
 シュラインと桐伯が同じく乾杯の動作をする。グラスに口をつけてから、シュラインが首を傾げた。
「そういえばこれってかなりきついお酒よね?」
 エンゼル・キス――飲めば天使にキスされるほど天の高みに登れるというカクテルである。
「ええ。酔った時は草間さんに頑張ってもらうと言う事で」
「任せろ、でも危なくなったら止めておけよ?」
「ええ。それにしてもどうして判ったの?」
「俺も気になるな」
「お客様に手品師がいらっしゃいましてね。少し習ってるんですよ」
 かわして桐伯はコルクを一つ手に握った。
「例えば、こんな調子で」
 左手に持ったコルクが右手に移り、左手に戻り、また右手に。ひょいっとそれを放り投げた。いや、投げる動作をした。が、コルクはどこにもない。
「消えた?」
 驚くシュラインの目の前で再びコルクが現れた。桐伯の胸ポケットからである。
「ポケットには手をやっていなかったよな?」
「ええ、一度も」
 頷きあう二人に桐伯は片目を瞑ってみせた。
「ちょっとしたものでしょう?」
「たいしたものよ」
「まったくだ。どうなってるんだ?」
「さあ? 簡単なものを試してみますか?」
 武彦が頷くのを待って桐伯がポケットから紐を一本取り出した。彼の髪をまとめているものと同じ物だ。それの端を両手で握って伸ばしてみせる。
「さて、これに結び目を作ってご覧にいれましょう」
 すっと両手が重ねられ引っ張られる。するとどうした事か中央に結び目が出来ているではないか。
「え?」
「……あら」
 観客の目が丸くなった。いつのまにかきちんと結び目が出来ていた。
「どうやったのかしら?」
「それを言ってはつまらないでしょう?」
 桐伯が結び目をほどいていると、武彦が手を伸ばした。紐を預かるとしげしげと眺める。
 角度を変えてみたり、引っ張ってみたりする表情が子供っぽくてシュラインは笑いを堪えた。
「ただの紐ですよ?」
「だな。……よっと、駄目だ、出来ない」
 九尾と同じ通りにやってみるのだが、結び目は出来ない。首を傾げつつ繰り返す武彦のグラスは既に空に近くなっていた。グラスを引いた桐伯にシュラインはそっと囁く。
「あまり強いのは止めておいてね」
「ええ、判っていますよ」
 桐伯が新しいカクテルを持ってくるとまだ武彦は紐と格闘していた。
「どうなってるんだ?」
「ちょっとしたコツがいるんですよ」
 頷いて桐伯は紐をもう一度受け取り結び目を作ってみせる。武彦の目にはコツが見つからないようで顎に手をやったまま難しい顔をしていた。受け取るとまた紐を弄り始める。
「出来ないわねぇ」
「ああ。どうなってるんだ。紐には仕掛けはないんだがなぁ」
 薄めに作ったバーボンの水割りをちびりちびりと飲みながら飽きずに武彦は紐と戯れている。その様子を眺めながらシュラインも杯を傾けた。
「そろそろ新しいのを入れましょうか」
「そうね、じゃあ、さっぱりしていてそんなにきつくないので」
 二人の前を離れた桐伯を見送りながら、真剣な表情の武彦に思いついて桐伯と持ち方が違う事を告げてみた。そうか、と頷いて大真面目に持ち方を変えるのが何やら可笑しい。
 子供みたいねというのが偽らざる本音である。もっともそういう面を見せるのがそう多い相手の前でない事を考えれば悪い気はしないし、何より武彦のそういう面が嫌いではなかった。
(こういうのも惚れた弱みの内なのかしらね)
 僅かに浮んだ苦笑が武彦に向けられているのか、自分自身に向けられているのかシュラインには今一つ判然としなかった。
「お待たせいたしました。……どうかしましたか?」
「え? いえ、なんでもないの。でも、そうね。コツと種は何処にあるのかしら?」
「それは秘密です」
 桐伯は人差し指を口に当ててにっこりと笑顔を浮かべた。


 余談ではあるが次の日、武彦の机の上に一本の紐が置かれていた――。


fin.