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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


午後一時二十九分

【オープニング】

 陰気な少年だった。
 何らかの依頼を持って、草間興信所を訪れたにも拘らず、その肝心の内容を、一言も話そうとはしない。
 ソファに行儀よく腰を下ろし、自分が人間であることも忘れたように息を詰めて、テーブルの上の煙草が山と盛られた灰皿を、ただじっと見つめている。
 まるで、灰の一粒一粒でも数えているようだ。ほとほと扱いに困って、草間も零も、顔を見合わせるばかりだった。
「信じて欲しいんだ」
 やがて、少年が、ようやく口を開いた。
 草間興信所に彼が姿を現してから、四十五分後のことだった。
「何をですか?」
 零が尋ねる。少年は、疑い深そうな眼差しを、少女に向けた。
「僕のこと、信じてくれる?」
「話してくれないと、こちらとしても、信じようがない」
 草間が、灰皿を少年の前から取り上げた。
「信じて欲しければ、まずは俺たちを信じることだ。何も話さない人間を、どうやって信頼しろと言うんだ?」
「僕……僕は」
 少年の震える唇から、かろうじて聞き取れる小さな声が、流れ出た。うつむいた拍子に、長い前髪が、顔を覆った。

「僕には、未来が、見えるんだ。新幹線が……三日後、事故を起こして……たくさん、人が、死んでしまうんだ」

 北海道を走る初の新幹線が、三日後、開通する。新聞でもテレビでも大いに騒がれていたことなので、むろん、草間もそれを知っていた。
 無事故を誇る新幹線の、その高い技術の粋を集めて完成した、最新最速の地を走る乗り物だ。セキュリティも万全。何度も何度も試運転を繰り返し、最高の出来に仕上げた。死傷者が出るほどの惨事が、簡単に起こるはずもない。
 草間は、そう言って、笑い飛ばしてやりたかった。大人をからかうもんじゃない、そう怒って、少年を追い払ってしまいたかった。
「新幹線が、事故、か……」
 だが、一方で、草間は、世の中には有り得ない事柄が星の数ほどもたくさん転がっていることを、ちゃんと知っている。
 絶対など、この世界には存在しないのだ。
 いつだって、不可能は可能となる。奇跡は必然になる。全ては起こるべくして起こるのだ。ならば、未来が見えるというこの少年が草間の元を訪れたことも、あるいは、運命だったのかもしれない。
「いつだ?」
 草間は尋ねる。少年は、驚いて探偵の顔を凝視した。
「信じてくれるの?」
「とりあえず、話は、全部聞いてやる。言ってみろ。事故は、三日後の、いつ、どこで、起こるんだ?」
「場所は……」
 少年の目に、涙が浮いていた。これまで、きっと、色々な人にこの「事故」を訴え続けてきたのだろう。嘘つきとなじられながらも、気味が悪いと後ろ指を差されながらも、どうしても、見捨てることが出来なかったのだ。
「信じて。僕の、言うこと。本当なんだ。本当に、起きてしまう事なんだ。助けて……。僕、僕、もう、見ているだけなんて、嫌なんだ……」
「いつだ?」
 草間が、少年の頭に手を置いた。元気付けるように、その髪を、くしゃりとかいた。
「時刻は……」
 少年の体の震えが、嘘のように止まった。
「時刻は、午後一時二十九分」





【未来の見える少年】

 少年は、近江真人(おうみまひと)と名乗った。
 年齢は、中学一年生だった。
 小作りな可愛らしい顔立ち。肌は抜けるように白く、変声期前の声は高い。平均よりも低い華奢な体に、サイズ違いの黒い学生服は、いかにも不釣合いに見えた。まるで、女の子が、誰かの学ランを借り着して現れたようだ。
「一つ、質問してよろしいでしょうか?」
 海原みそのが身を乗り出すと、少年は、その分を正確に、身を引いた。なに?と、おとなしい性格を素直に反映して、相手の顔色を伺う。
「大したことじゃありませんの」
 海原みそのは、そう言って、十分に凄すぎることを口にした。草間が、吸い始めたばかりのマルボロを、思わず落としてしまったほどだ。
「新幹線の事故、起こった方が、よろしいのではないでしょうか?」
 何を言い出すんだ、この天然非常識少女は、と、その場に居合わせた全員が、みそのの顔を凝視した。彼女は、恐れ多くも、神に仕える位高き巫女、のはずなのだが……その筋金入りの迷走ぶりは、神をして頭を抱えさせるほどと、もっぱらの噂である。
「事故った方がいいって、なんでだよ?」
 よく食べる、よく遊ぶ、よく寝る、そして勉強はよくサボる……破天荒高校生、鬼頭郡司が首を捻る。実は、破天荒高校生は世を忍ぶ仮の姿であり、その正体は、天上界より人界に降下した、いかづちの鬼である。
 性格は、豪快にして奔放。よく言えば自分に素直であり、悪く言えば他人に迷惑な少年だ。わけがわからない物体には、とりあえず雷を落としてみるという世にも恐ろしい悪癖があり、草間が全財産はたいて買った愛すべき新車に、いきなり雷撃の集中砲火を浴びせたという、もはや冗談を通り越して果てしなくタチの悪い逸話を誇る。
「だって、事故が起こらなかったら、真人さまは嘘つきになってしまうのですよ? それによって、真人さまの心は、確実に傷つくことになります。それが、わたくし、心配ですわ」
 天然巫女さん、たまにはいい事を言う。
「僕のことはいいよ。嘘つきなんて、言われ慣れてる。それより、あの事故を、何とかしてよ! ひどいんだ。みんな、血まみれで、苦しそうで……。僕、あんなの、二度と見たくない」
「それも不思議ですわ」
 みそのが、さらに、身を進める。
「事故で亡くなられる方は、真人さまのお知り合いでも何でもないのでしょう? どうしてそんなに必死になりますの?」
 少年は、ぽかんと口をあけた。まさか、そんな事を不思議がられるとは、夢にも思っていなかったのだ。逆に聞き返した。
「お姉さんは、目の前で、誰かが怪我をして苦しんでいるのを見たら、それを助けてあげたいって、思わないの?」
 今度は、みそのが眼を見開く番だった。
 目の前で、怪我をして苦しんでいる人がいたら。その状況を、考える。答えは、呆れるほどに、あっさりと出た。
 それは、助けてやろうと思うだろう。何とかしてあげたいと思うだろう。当たり前の、人としての感覚。
 少年の見える未来は、新聞の見出しのような、無味乾燥なものではないのだ。まるでその場に居合わせたごとく、全てを感じる。全てを知る。
 悲鳴。怒声。驚愕。慟哭。……そして、絶望。
「……シンパシー(精神感応能力)ですね。まるで」
 同じくその力を有する巽千霞が、悲しげに呟く。自分ひとりの感情でも持て余す人間が多い現代で、それは、決して、心の平穏をもたらすものではないだろう。まして本来は不確かであるはずの未来に作用するとなれば、苦痛は想像して余りある。
「辛いだろうけど……話してくれないか? 事故のこと。出来るだけ詳しく。場所とか原因とか特定できたら、それだけでも動けるし」
 ちょうど隣に座っていた葛西朝幸の提案に、少年は、素直に頷いた。もともとその覚悟でここに来たのだろう。思い出すだけでも寒気のするような忌々しい記憶だが、少しでも役に立てるのなら、拒む理由はなかった。
「待ってください。どうせなら、口ではなく、映像を……彼が目にした光景そのものを、見ませんか? その方が、きっと、わかることが多いと思います」
 千霞の精神感応の能力は、他人の感情や記憶の一欠片までも、自分のものとして取り込むことが出来る。さらには、そのイメージを全くの第三者にも伝えることが可能なのだ。むろん、直接精神に影響を及ぼす危険な力であるが故に、千霞は決してそれを多用しない。だが、今このときは、必要なことと判断した。
 言葉だけでは、きっと足りない。少年の怯えを見れば、彼が目にした光景が、どれほど惨く、生々しいものであったかが、よくわかる。言葉だけでは駄目なのだ。視覚で、聴覚で、嗅覚で……全ての五感で理解しなければ、真実は、見えない。
 もちろん、あなたが嫌でないのなら、と、千霞が少年に断りを入れる。真人は、それにも同意した。
「いつも、夜、寝るときに見るんだ。毎日見ていたから、はっきりと覚えている」
 少年が、目を閉じた。
「僕は、新しい新幹線の通路を、歩いていたんだ……」



 完成したばかりの新幹線は、綺麗だった。
 照明が煌々と輝いて、眩しいほどだ。目の覚めるようなブルーの座席に、それとは対照的に、あくまでも白い内壁。落ち着いた淡い緑のカーテンが、完璧に調えられた空調の風に、微かに揺れる。
 車輪のもたらす振動は、ほとんど無い。まるで滑るように走っていた。
 思い思いに寛いでいる人々の間を、少年は、ゆっくりと歩く。
 首を捻る。
 どうして、僕は、こんな場所にいるのだろう?
 辺りを見回すと、向こうに、車内販売の女性がいた。そうだ。彼女に聞いてみよう。少年は駆け出す。だが、ふと、奇妙な違和感を覚えて、立ち止まった。
「暗い……」
 新幹線の中は、暗かった。電気は点いているのに、それでも何故か暗いのだ。その理由は、すぐにわかった。窓の外が、真っ黒なのだ。まるで、墨で塗りつぶしたみたいに。
 いや、時々は、何かの合図のように、ぽつん、ぽつん、と、明かりが灯る。だが、その青白い光は、少年にはかえって不気味に感じられた。何かの化け物の、目みたいだ……。
「耳……痛い」
 それに、音。切れ目のない、低い轟音。
 何となく顔を上げると、ドアの上の電光掲示板に、「本日開通! 北海道新幹線『極光』にようこそ!」と、文字が流れていた。それで知る。そうか。ここは、北海道新幹線の中なのか。
「窓……。まだ、暗い」
 トンネルにしては、長すぎる。時速三百キロ以上を誇る新幹線が、どうして、いつまで経っても抜け出せないんだ?
「長い……長いよ」
 その時、ふと、声が聞こえた。

 いらせられませ

 驚いて、振り返る。誰かが呼んだ? でも、そこには、思い思いに寛いでいる人々がいるだけだ。本を読んだり、眠っていたり。誰も少年に気など払わない。
 ああ、気のせいか。何となく、安堵する。その瞬間。

 世界が、反転した。

 凄まじい衝撃。体が激しく叩き付けられる。爆発音が響き、硝子が砕け散る音がした。明るかった視界が、暗闇に包まれる。何が起きた? 何が起きた? 少年は、必死に目を開けて、辺りの様子を確かめる。シートが、正面の壁になっていた。頭蓋の割れた誰かの頭が、大きくのけぞり、白目と目が合った。
「う……うわあぁぁぁ!」
 少年は、割れた窓を尻の下に敷いて、座り込んでいた。ぱらぱらと、天井からも硝子の破片が降ってくる。新幹線が、横転していた。すすり泣く声。苦痛の呻き。痛い。痛い。痛い……。
 そして、鳴り止まぬ地響き。徐々に大きくなる。何かが迫ってくる。いきなり、水が溢れ出した。跳ねた飛沫が、口に入った。しょっぱくて、思わず吐き出した。海水だ。海水が、どんどん、嵩を増して……。
 踝まで。膝まで。太腿まで。腰まで。胸まで。喉まで。
 溺れる。流される。水に埋まる。だけど、出口はない。運良く車外に押し出されたけれど、上を見上げて驚愕する。上は、岩盤。硬い土くれ。コンクリートと、何かの建築資材が、悪夢のように連なっている。海面が無い。
 出口が、無い。
「あ…………あ………」
 漂ってきた死体に、ぶつかった。腕時計が、闇の中で、光っていた。デジタル文字に仕込まれた発行塗料だけが、肝心の時計が壊れてしまったのに、生きている。こんなに暗いのに、なぜか、その文字は、はっきりと見えた。
「PM1:29」



「ああぁぁぁ!!!」



 悲鳴が、全員を、現実世界に引き戻した。
 詰めていた息を、ようやく吐き出す。
「今の……」
 自分の声が、微かに震えていたことに、千霞はしばし気付かなかった。朝幸が、いきなりざっと立ち上がり、思い切りよく窓を開けた。
 涼しい秋風が吹き込んでくる。体にまとわり付いて離れなかった海水の感触が、一気に洗い流されていくような気がした。
「冗談……きついぜ。何だよ、今のは」
 豪胆な雷鬼が、は、と息を吐く。見る、などという生易しいものではなかった。体験であり、体現だった。あの場にいて、本当に死の危機にさらされたのだ。目を閉じれば、発行塗料の黄色の文字が、今も鮮やかに目蓋に浮かぶ。
「新幹線の、事故、なんですよね?」
 助けを求めるように、千霞が一人一人の顔を見つめた。葛西朝幸が、悪夢の答えを呟いた。
「青函トンネルだ」
「青函トンネル?」
「そう。極光は、札幌から東京までをノンストップで結ぶ新幹線だ。途中、青函トンネルを、通る」
「それが、崩れ……る?」
「ああ」
「中に、新幹線がある状態で、海底トンネルが、崩れたら……」



 全滅。



「面白いじゃねぇか」
 にっ、と、鬼頭郡司が笑った。雄敵を見出したような、高揚とした表情だった。内の感情を孕んでか、金の髪がざわりと波立つ。緑の瞳が、その本性を剥き出しにして、力を増した。
「上等だ。ぶちのめす相手としては、不足はねぇぜ」
 彼には、恐ろしいとか怖いとかいう感覚が無いのかもしれない。挑戦こそが、存在の証であり、全てだった。
「俺もやるよ。事故なんて、絶対に、起こさせない」
 知ってしまった以上、見て見ぬふりなど、出来るはずもない。もしかしたら、それを回避できる力があるかもしれないのに、行使しないのは……きっと、卑怯者か、臆病者のすることだ。
 彼の友たる「風」の力が、葛西朝幸に語りかける。今、この場に居合わせたのも、紛れもなく、運命なのだと。
「わたくしは、事故が起こった方が、妹たちにお土産話が出来て、面白いかも、なんて、考えていたのですが……。さすがに、あの惨状には、同意いたしかねます。皆様のお手伝い、やらせていただきますわ」
 かなり天然だが、ともかくも神に仕える巫女であり、能力だけは十二分に当てに出来る海原みそのも、戦列に加わった。
「私にも、何か、お手伝いさせてください。私に出来ることは、きっと、少ないと思いますが……それでも」
 少年の見た未来が、まだ、体の隅々に、残る。三日後には、それは、現実ではなく、ただの悪夢で終わるように……巽千霞は、ひっそりと、祈りを捧げる。
 私にも何かが出来るだろうかと、考える。時速三百キロ以上を誇る地上の怪物相手に、ただの人間ではあまりに分が悪いが、悲劇を食い止める礎の一つになりたいと、本気で願う。
「早速、作戦会議だ!」
 葛西朝幸が、代表して、言った。敵は、最速の地上の獣。最長の海底の蛇。一筋縄ではいかない相手だ。作戦を練るのは、なるほど、大切だろう。
 と、その時。
 話の腰を折るように、海原みそのと鬼頭郡司が、恐るべきことを口にした。



「ところで、新幹線って、何ですの?」
「ところで、新幹線って、何だ?」



 ……大丈夫なのか? 本当に大丈夫なのか?
 二人の非常識人を除いて、辺りに寒々とした空気が流れる。そもそも新幹線が何であるかも知らない彼らに、新幹線を助けることなど出来るのか?
 不安である。著しく、不安である。
「し、新幹線というのは、ですね……」
 かなり引きつった笑顔を浮かべながら、それでも律儀に説明してくれる、巽千霞。
 葛西朝幸は思った。そこから始めなければ、駄目なのか!? それから教えなければ、無理なのか!?
「お、お兄さん……」
 近江真人少年の、絶望的な声が、胸に痛い。
「人選誤ったか……」
 そして、草間の無情な一言。
 新幹線に明日は……………無いかもしれない。





【だけどやっぱり旅は楽しい?】

 結局、この新幹線騒動に巻き込まれた総勢は、九名だった。海原みその、応仁守瑠璃子、鬼頭郡司、セレスティ・カーニンガム、レイベル・ラブ、巽千霞、渡辺綱、伍宮春華。
 セレスティ・カーニンガム、応仁守瑠璃子、渡辺綱の三人は、いわゆる権力財力に縁のあるお家柄である。それぞれの家の力を最大限に活用して、なんと、新幹線を、当日貸切にしてしまった。
 千三百名を一気に運べる新幹線が、近江真人も加えた、たった十名のために、運行する。
 そう。運行するのだ。新幹線は。走ること自体を、止めるわけではない。
 誰もが、正体不明のあの「声」に、危機感を抱かずにはいられなかった。
 あの「声」の正体を確かめなければ、事件は解決を見ない。確信が、全員にあった。そして、原因を根本から正さなければ、未来はまた幾度でも歪むだろう。一時的に新幹線の運行を邪魔したところで、それは、臭い物に、壊れやすい蓋をしたに過ぎないのだ。
 新幹線には、五名が乗り込んだ。
 巽千霞、葛西朝幸、渡辺綱、応仁守瑠璃子、そして、近江真人。
 レイベル・ラブ、海原みその、セレスティ・カーニンガムの三名は、なにやら調べ物があるとのことで、後から別の手段で追いつくことになっている。
 また、高い飛行能力を誇る鬼頭郡司と伍宮春華は、一足先に、例の問題場所である青函トンネルに現地入りした。

 新幹線の中で、朗らかに旅を楽しむ五名の姿。大学生の女の子二人に、高校生の男の子二人、そして、中学一年生ひとり。気分はまさに修学旅行。少年らが持参したおやつを摘まみつつ、ウノに興じる彼らの姿は……。
「はい! あがり! 悪いわね。また一人勝ちさせてもらったわ!」
 高らかに笑う、ご令嬢。その隣で、持ちきれないほどのカードを持たされて、ぶるぶると震える渡辺家の当主様。
「また俺かよ! もう嫌だ、応仁守の隣の席! ドローの集中攻撃じゃないか!」
「………渡辺。もしかしなくても……目茶苦茶、弱い?」
 大勝はしていないが、さりげなく二位につけている朝幸。飄々と攻撃をかわす。
「あのー。ドローカード、取っておいた方が、いいですよ。それがあれば、次の人に攻撃を移せますから」
 哀れになったのか、千霞がアドバイスをしてくれる。彼女は三位。朝幸とはわずかに四点差。
「そ、そうなのか!?」
 知らなかったらしい。ルールそのものを。大人になったら、麻雀でカモられる典型と言えるかもしれない。
「ふっ……。それがわかれば、怖いものはない! いくぜ、応仁守! リベンジだっ!」
「面白い! 返り討ちにしてくれる!」
 たかがウノ。されど、ウノ。
 熱くなり始めた彼らに、約束の時が近づく。

 ただ今、午後一時四分。





【水底からの声】

 列車が、いよいよ、青函トンネルへと侵入した。
 時刻は、午後一時二十五分。
 全員が、何らかの衝撃に備えて、身構えている。腕にはめた時計が、気になって仕方ない。
 
 そして。
 午後一時二十八分。
 
 声が、聞こえた。
 
「いらせられませ」

 びくり、と、全員が身をすくませる。まるで地の底から這い上がってくるような、不吉な声。男の声にも、女の声にも、聞こえた。大人の声にも、子供の声にも、聞こえた。脳の裏側を直接刺激するような、不快な……。

「いらせられませ」

 今度は、歌うように。

 いらせられませ。いらせられませ。
 水清らかなる、眠りの淵へ。

 そして………………衝撃。

 同じだ。いつか見た、未来の光景と。何かが、凄まじい力で、新幹線を線路から引きずり下ろそうとしている。揺れる。揺れる。金属が悲鳴を上げている。完璧に設計された機械の間に、無理やりに侵入しようとする、この世ならぬものたちの意思。
 車体が、わずかに斜めに傾いた。ぐいぐいと、押される。はっとして見ると、暗い窓の外に、無数の赤い光が散っていた。淡い炎をまとった球形。ゆらゆらと、ゆらゆらと……。
「人魂!?」
 赤い光が、ざわざわと車内に侵入してくる。壁も窓も突き抜けて、我が物顔で、宙を飛び交う。その一つ一つの人魂に、ぼうっと何かの影が映った。それを目にした千霞が、悲鳴を上げる。恨めしげな、苦しそうな、死の間際の人の顔……。

 いらせられませ。いらせられませ。
 闇静かなる、とこしえの地へ。

「俺は……俺たちは、そんな場所には、行かない!」
 ごう、と、風が唸った。全員が、驚いて朝幸を凝視する。地下に、海底に、ありえない風が吹いていた。盾となり、皆を守る。剣となり、妖を切り裂く。
 斜めに傾いていた車体が、確実に、元に戻りつつあった。風の力が凄まじい重量を持ち上げ、闇に属するものを払いながら、長大な鉄の塊が転倒するのを、防ぎ続ける。
「無茶だ! 葛西! 死んじまうぞ!」
 宝刀「髭切」を手に、どこからともなく無数に湧いて出てくる怨霊と斬り結びながら、綱が叫ぶ。あの新幹線を、風の力で支えるなど、どう考えても、無理な話だ。現に、朝幸の体力は、凄まじい勢いで削り取られつつあった。
 徐々に、風の力が弱まる。風の力が、消えてゆく。
「新幹線が、止まるわ!」
 耳障りな金属音を響かせて、新幹線が、止まった。転倒せずに止まったのだ。動力は多少いかれただろうが、ほぼ無傷に近かった。未来の惨事を見ていた彼らには、それは、まさしく、奇跡の体現に等しかった。
「葛西! 葛西! 大丈夫か!?」
 ぐったりとして、風使いは動かない。既に意識は無くなっていた。無防備なその体に、赤い光が忍び寄る。綱と瑠璃子が、協力してそれらを追い払った。彼らには、戦う力があった。
 新幹線の、決して広くはない通路に、戦えない三人を間に挟んで、綱と瑠璃子が立ち塞がる。前後を守る。だが、這い寄ってくる霊たちの数は、無限だった。嘲笑うかのように、また、あの声が、遠くから響く。

 いらせられませ。いらせられませ。
 水清らかなる、眠りの淵へ……。





【声の正体】

 敵の数は無限だが、味方の体力には、限界がある。
 千霞は歯噛みした。自分の力は、この状況においてはあまりにも無力だ。朝幸は、その風の力で新幹線を脱線転倒から守った。綱と瑠璃子は、盾となり剣となり、前線に出て戦っている。
 みそのは、トンネルの崩壊そのものを防いでいるらしい。列車の表、トンネルの内部では、郡司と春華とレイベルが、車内以上に凄まじい数の怨霊を、たった三人で相手にしている。
 自分だけが、何もしていない。
 いや、むしろ、足手纏いだ。守る人数が一人増えただけでも、綱と瑠璃子にしてみれば、ひどい負担だろう。
 私も、力が欲しい。そう思わずにはいられなかった。
 何かがしたい。何かが……。

 その時。

 今ではない光景が、いきなり、目の前に弾けた。
 千霞は驚いた。シンパシーの力が、何かに反応している。頭の中に映像が溶け込んでくる。これは、誰の心? 誰の記憶?
 目まぐるしく移り変わる。一人ではない。無数の心。いけない。止めなければ、危険だ。制御しきれない。苦しい、苦しい、苦しい……。
 怨霊たちの、想い。
「私に、何を、見せたいのですか?」
 倉庫の中にずっしりと積んだ大量の貨物がずれて、浸水が始まった。船だ。船が見える。木の葉のように、揺れている。あっと思った瞬間には、横転した。
 甲板から弾き出される、人の群。先端が、一瞬、何かの塔のようにそそり立った。タイタニックの映画みたいだ。あまりに現実感が無い。黒く蠢く水面の底に、落ちた人々が引きずり込まれ、沈んでゆく。
 船の側面に、何かの文字が見えた。千霞は目を凝らした。
「あれは……」

 洞爺丸。

 タイタニックに次ぐ、世界最大最悪の海難事故。千二百名以上の命が失われた。わずか、五十年ほど前の話だ。生存者は、百五十名程度だったという。この事故がきっかけで、青函トンネルが造られることになった。毎年、魂鎮めの法要が行われていた。



「洞爺丸です!」
 いきなり千霞が叫んで、みな、ぎょっとした。
 何が起きたのかといぶかしむ者たちには気にも留めず、千霞は、外にいる者たちに必死に呼びかける。
「聞いてください。鬼頭さん! 伍宮さん! レイベルさん! 外に、洞爺丸の霊を慰めるための、祠があります! 新幹線の工事で、それが、埋まってしまっているんです! 見つけてあげてください! 表に出してあげてください! この人たちは、ただ、忘れられたのが、悲しかっただけなんです!」
「おっしゃ! 任せておけ!」
 思いの他、元気な郡司の声が答えた。雷の鬼は、この時とばかりに派手に暴れまくっていたようだ。列車の外は、内以上に敵だらけに違いないのだが、人外の者がいてくれて助かった。いくら強くても、ただの人間にはやはり荷が重かっただろう。その点、郡司と春華、そしてレイベルならば、適役だ。
 
 いらせられませ。いらせられませ。
 闇静かなる、とこしえの地へ……。

 囁く声が、強さを増した。足元から、無数の手が這い出してきた。白く枯れた指が、生者達の足首にからみつく。直に触れられた部分から、押し寄せてくる、負の感情の波。どうして? どうして? どうして?
 いきなり訪れた、死への驚愕。幾度となく巡る、最後の光景。暗い水底に、一瞬で引きずり込まれた。もっとやりたい事があったのに、海は、そんな彼らを、容赦なく飲み込んだ。そして、今度は、自らが魔物と化して、生きた人間たちを呼ぶ。

 いらせられませ、と……。

 意識を取り戻した朝幸が、再び、新幹線をその風の力で動かし始めた。頭上で、地面で、絶えず続いていた、水がトンネルを圧迫する不気味な物音が、いよいよ激しさを増してきた。みそのが支えているが、そろそろ、限界だ。洞爺丸の霊を鎮めるよりも、自らの命を優先させるべきだろう。緊急用のドアを、瑠璃子が、渾身の力でこじ開けた。
 外気に触れると、今までより、もっと、終幕への振動を感じることが出来る。綱が叫んだ。
「もういい! 三人とも、戻れ! これ以上は、トンネルがもたない! 埋まっちまうぞ!」
 声に気付いたレイベルが、真っ先に飛び込んできた。続けて、春華が。郡司はなかなか戻ってこない。祠を、まだ探しているのだろう。
「鬼頭! 鬼頭! もういい! 戻れ! 戻れ!!」
 新幹線に乗った者たちが、最後の一人を必死に呼ぶ。悔しそうな表情を隠そうともせず、郡司が飛び乗ってきた。がん、と、近くの壁を思い切り蹴飛ばす。
「ちくしょう! どこにあるんだ! 何か感じるのに……探せねぇ! この近くにあるはずなのに!」
「命の方が、大事だ。ここが水で埋まったら、いくらあなたでも、命の保障はしかねる」
「もう少しなのに……」
「見つけた!」
 郡司の声に、春華の叫びが重なった。止める間もなく、天狗の少年が外に飛び出す。それを慌てて郡司が追った。何の変哲もないただのコンクリの壁に、奇妙な亀裂が走っていた。春華が、その割れ目に手を突っ込み、壁を崩した。塗り固められたその向こうに、壊れかけた古い社が、ひっそりと顔を覗かせた。
「そりゃあ、怒るよ。こんな所に、こんな風に、閉じ込められたら」
 自分も長く長く閉じ込められていた春華だからこそ、その気持ちが理解できる。寂しかった、あの頃。何もない闇の中、ただひたすらに、誰かが現れてくれるのを、待ち続けた。封印されていた間の記憶はほとんど無く、何も覚えていないはずなのに……ただ、それが途方もなく長い時だったということだけは、よくわかる。今も、ぼんやりと、体の隅に孤独の残滓が残っている。
「戻るぞ!」
 郡司に促され、春華が頷く。まだ、全て終わったわけではない。生きてここから出ないことには、全てが無駄になってしまうのだ。
 新幹線は、既に朝幸の力を離れ、もともとの動力で動き始めていた。速度は、時速二百数十キロまで回復していた。本来の三百キロ以上には及ばないものの、十分に速い。
 それに追いつくのは、郡司と春華の能力をもってしても、至難の業だった。無理か、と思った瞬間、新幹線の最後尾の緊急脱出用の扉が開いた。そこからレイベルが身を乗り出して、春華と郡司の腕をつかんだ。
 もつれるように転がり込んだ三人を跨ぎ越して、綱がばたんと開いたままのドアを閉める。
 亡霊は、まだ、狭い車内を這い回っていた。祠は見つけたのに、それだけでは、癒しにならないとでも言いたげに……。



「光」



 近江真人が、呟いた。
 新幹線の窓の向こうに、急に、景色が生まれた。地底から、地上に、体が持ち上がる感覚。あっという間に光が満ちて、彷徨っていた亡霊たちが、消えた。
 外は、紅葉。鮮やかな燃える山並みと、瓦ではない屋根の群。広大な平野に、夏の緑の名残が揺れている。暗い海底トンネルのすぐ向こうは、秋の実りの北海道だった。
 空気が、澄んでいるのがわかる。残暑の厳しい本土とは、まるで違う。冷たいとすら感じる、碧く色付いたような風。
「北海道だ!」
 不思議だった。その景色を見た瞬間に、全ての徒労感が消えてゆく。心地よい安堵感が、身を包む。
 ぐったりと、座席の背に沈み込んだ。睡魔が、まどろみの中に、彼らをたちまち誘った。
 終着駅は、札幌。休むことなく、新幹線は、北の大地を駆け抜ける。
 それまでは……。





【終わり良ければ全て良し】

 札幌駅に降り立った途端、かなり豪快に、全員の腹の虫が鳴った。
 どこか店に入ろうか、と思ったが、散々戦闘をしてきた後なので、あまり良い服装状態ではなかったし、何より、せっかく北海道に来て、狭い店の中の四角い壁に囲まれて飯を食べるのは、もったいないような気もした。
 どうしようか、と思っているうちに、とてつもなく巨大な敷地面積を誇る、大学の前に着いた。広い芝生が、誘うように広がっている。
 大学内ではあるが、人の出入りは完全に自由のようだ。どう見ても学生ではない親子連れや、老人の観光客などが、思い思いに寛いでいる。
「いいんじゃねぇの?」
 郡司が嬉しそうに振り返る。
「いいわね」
 瑠璃子が、日当たりの良い一等席を陣取った。ざっと見回して、コンビニの有無もしっかりとチェックする。千霞が、彼女の荷物にしてはえらい大きなリュックを、よいしょと芝の上に降ろした。いそいそと取り出したる、その中身は……。
「弁当だー!!」
 春華が飛び跳ねる。
「唐揚げと鮭オニギリ、発見!」
 素早く綱が好物をかっさらう。郡司が隣で悲鳴を上げた。
「あーっ!! 俺の肉! 肉!」
「俺はエビもらうよ」
 唐揚げを奪い合う二人の横で、黙々と食べる朝幸。ちゃっかりと、弁当の中では一番ゴージャスなメニューであるエビチリを、一人で平らげた。なかなかに抜け目が無い。
「私は何か飲み物買ってくるわ……って、ちょっと! 私の分も残しておいてよ!?」
 瑠璃子の怒声に、
「そりゃあ、戦線離脱とみなされてもしゃーねぇな。安心しろ。おまえの分も、俺がめいっぱい食ってやっからよ」
 余計な一言を言って、ぼかりと殴られる郡司。
「カメラもありますよー。せっかくですから、記念写真、撮ります?」
 侮れない女性である。巽千霞。弁当のほかに、カメラも持参。北海道に、何をしに来るつもりだったのか……。
「うっしゃあ! とりあえず、春華と『勝利を祝って抱き合っている図』のツーショットだ!」
「いやだぁぁぁ!」
「逃げるな。この失礼な奴め!」
 追いかけっこを始めた郡司、春華の二人組みを尻目に、
「食欲魔人二人が荒れているうちに、俺たちが、弁当をいただこう」
「その意見、大いに賛成」
 綱、朝幸の二人組みが、現実的かつ建設的な行動に出る。そこに瑠璃子も加わって、三人そろって千霞の弁当に舌鼓。……残して置いてやろう、などという殊勝な心掛けは、毛頭ない。
「平和って、いいですねぇ」
 どこまでも澄んだ秋の北海道の空に、千霞ののんびりとした声が、吸い込まれて、消えた。





【1329の因果律】

 後日、青函トンネルと洞爺丸の祠の修復が、行われた。
 「13時29分」の真の意味が、セレスティ・カーニンガムと海原みそのの口から、皆に伝えられた。

「新幹線の乗員数は、満席時、客員乗員あわせて、1329人。そして、洞爺丸の、死者、行方不明者数が……1329人」

 奇しくも同じ数字だったことが、そこに、ねじれた因果律を生み出してしまった。
 亡霊を鎮めていた祠が壊されたことも、その歪んだ法則を確たるものにしたのだろう。
 死者の世界より、魂たちが甦る。同じ数の生者に成り代わろうと、意識が目覚める。



 いらせられませ。いらせられませ。
 水清らかなる、眠りの淵へ。

 いらせられませ。いらせられませ。
 闇静かなる、とこしへの地へ。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1388 / 海原・みその / 女性 / 13 / 深淵の巫女】
【2086 / 巽・千霞 / 女性 / 21 / 大学生】
【1472 / 応仁守・瑠璃子 / 女性 / 20 / 大学生・鬼神党幹部】
【1892 / 伍宮・春華 / 男性 / 75 / 中学生】
【1838 / 鬼頭・郡司 / 男性 / 15 / 高校生・雷鬼】
【1761 / 渡辺・綱 / 男性 / 16 / 高校生(渡辺家当主)】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0606 / レイベル・ラブ / 女性 / 395 / ストリートドクター】
【1294 / 葛西・朝幸 / 男性 / 16 / 高校生】

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■         ライター通信          ■
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はじめまして。ソラノです。
今回は、色々な方に初参加していただきました。ありがとうございます!
ちなみに、登場人物紹介の並び順は、お申し込み順です。

このお話は、大きく三つのパートに分かれています。
一つ目は、海原みそのさん&セレスティ・カーニンガムさん。
二つ目は、伍宮春華さん&鬼頭郡司さん&レイベル・ラブさん。
三つ目は、巽千霞さん&応仁守瑠璃子さん&渡辺綱さん&葛西朝幸さん。

皆さんのプレイングが、それぞれ個性的で、あれも使いたい、これも使いたい、と、かなり泣きました。
結局、枚数その他の関係で、大幅に削ってしまった箇所も多く、中にはほとんどプレイングが生かされていないPCさんもおります。
かなり字数を詰めましたが、それでも長いです。物凄く長い話となっております。
長文が苦手なPCさんには、申し訳ないです……。

葛西朝幸さま。
風の力に頼りすぎました。一人で新幹線を支えるという、離れ業を強要することに。
最後の弁当のシーンは、葛西様のプレイングより。お弁当、堪能してください。