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<東京怪談ノベル(シングル)>


『FENRIR』

 枷嵌められし魔狼。
『我』は狼の時代を象徴する存在。
 神々の奸智による長きに渡る束縛は、延々と降り続いた雪が世界に絶望を運ぶ頃、静かに解かれる。
 数年に渡る長き冬も、しかし終焉の幕開けに過ぎず。
 其の時、冥府から大地を震わす遠吠え、三つの世界は一つの終幕へと導かれるのだ。
 ――偉大なる神々の運命。
 予言は『我』を破壊者に仕立て上げた。
 角笛は世界に響き渡る…。
 ――我は『黄昏』の夢を見ていた…。

***『Ragnarok』***

 強大な、まさに想像を絶する、狼の巨躯がその平原に在った。
 高きイミール翼を想わせるそれは、ヴィグリードの野と呼ばれた其処で、神々の軍勢を睥睨する。
 顎を開けばそれは全てを飲み込み、眼差しは爛々と獰猛な光を帯びる。まさに神々を滅ぼす為に存在する魔狼。―フェンリル―。
 魔狼の隣にはさらに強大な蛇たる存在があったが、既に鎚持つ巨人のような雄雄しい神と、死闘を演じ始めている。

 ――『ラグナログ』
 そんな言葉が脳裏を過ぎる。
 『我』は神話の魔狼となり、恐らくは終焉の戦場に立っていた。
 足元には数え切れぬほどの霜の巨人たち。まるでアスガルドを嘲笑するように、神々の軍勢へと襲い掛かる。天からは美々しい戦乙女たちがそれらの巨人を牽制する姿。
 遠くでは炎の王と豊穣の神の一騎打ち。
 眉目秀麗な彼の劣勢は傍目でも明らか。
 そして『我』の見下ろす真下には、光り輝く鎧を纏う神々の主の姿。
 相手は槍を手にし、独眼で鋭く此方を眺めている。
『――――』
 魔狼が吼えた。
 顎が開けば、奥には全てを飲み込むほどの闇が姿を現し、目の前のちっぽけな存在を喰らうつもりか、牙を伴って襲い掛かる。
 大地が唸り、大気が震撼する。
 神々の主はあっけ無いほどに簡単に『我』の口に飲み込まれてしまった。
 歓喜の雄叫びか、魔狼が再び大きな雄叫びを上げる。
 高揚感――
 しかし、それも長くは続かない。
 乱戦と成り果てた平原で、新たな敵が挑んできたからだ。
 相手は馬に跨った若き神。
 彼は怒り故か…高らかな声で何かの誓いを宣言すると、無謀にもそのまま魔狼――『我』の足元まで駆け寄ってきた。
 巨躯には小さ過ぎる敵、踏み潰そうとする魔狼の前足。
 しかし巧みにそれを避けては、剣での反撃を返してくる相手。戦いは予想外の長期戦となった。
 
 やがて鋭すぎる剣の切れ味は、容赦なく『我』の前足に幾重かの赤い筋をつくっていく。怒り狂う魔狼の姿、それは恐怖そのものであるはずだったが、相手は神々でも特に勇敢な存在だった。
 次々に足元から伝わる痛みは、今までの囚われの鬱憤を思い起こさせ、獰猛な破壊衝動を生む。
 ―――――、
 大地が再び唸り、震撼した。
 強大にして凶悪な口を開き、小さな神の戦士を飲み込まんとする神殺しの狼。
 が、今度の敵は神々の主のように簡単にはいかなかった。
 信じ難いことに相手は『我』の下顎を片足で踏みつけ、片手を上顎にかけて驚異的な力で押さえ、飲み込まれることを防いでしまったのだ。
 こうなれば強引に噛み砕くだけ…そんな魔狼こと『我』の思惑を余所に、相手はもう片方の手に握っている剣を、いち早く咽喉の奥へ突き刺す。
 勝利の剣にも引けをとらない鋭さを持つ刃は、『我』に凄まじい痛みを運んできた。
 
 更に――、
 バリバリバリ、
 メキメキメキ…。
 厭な響きを伴って、強靭を誇る魔狼の口が真っ二つに裂かれてしまう。広げる者の力に屈する『我』の牙。
 鮮血を噴出し、激痛に悶える魔狼に、相手はまったく容赦しなかった。そして先ほど咽喉奥を貫いた剣が、そのまま無防備な心臓をも貫き。
 
 ―――――…!!!!
 長い長い、断末魔の悲鳴。
 冷たい感触が『我』の全身を蝕んでいき…同時に隣からもより一層邪悪な苦鳴が轟く。
 魔狼は…壮大な地響きを立てて屍と化したのだった。


***『Fenrir』***

 嫌な夢を見ていた。
 『あたし』が狼になっていた夢。
 そう…あれは多分、『あたし』ではなく『影』が見た夢なのだろう。
 そして今度は『あたし』がこの子…『影』の夢を見る。
 あの人に…誰か分からないけれど分かるような気がする…あの人に、連れられる夢を。


 『あたし』の眠りは深かった。
 目覚める素振りはまるでなく、恐らくこれからも暫くは眠りから醒めないのだろう。そう――少なくとも数百年、あるいは数千年は。
 身体に感じる温もりは何故か心地良く、懐かしい匂いを伴って『あたし』を抱いていてくれる。もっともそれも直ぐに溶けるように消えてしまう。

 これは――『影』の記憶。
 あの人がまだ小さな狼であった『あたし』を抱いている。
 『あたし』は『影』。『影』はフェンリル。
 『影』は眠っていた場所の残滓に込められた…魔狼のもう一つの形。

 ふと、抱かれているあたしの感覚が消滅する。
 そして代わりに奇妙な浮遊感覚が『あたし』を包んでいた。
 いや、実際…宙に浮くようにして、今度は第三者の視点からその光景を眺めているのだ。
 即ち――『影』の記憶、その光景を。
 
 記憶の前後は定かではない。
 まるでフィルムが所々カットされた映画を再生している感じで、場面が移り変わっていくから。
 「あの人」が小さな狼を抱き、とある古城の奥深くへと…見覚えあるあの部屋へと連れられる光景や、遠い時代を想わせる衣装、それらに身を包む人々がまだ小さい『影』を恐れる光景。
 
 夢の光景を眺めて行くと、『あたし』はある考えを持ち始める。
 それは古城に封印された『影』も、必ずしも危険という理由だけで封印された訳ではないらしいということ。何より、記憶によく登場する「あの人」は『影』の存在を憎んではいない様子だし、どちらかといったら守ろうとしている風にすら見えるのだ。
 そんな長編の夢を眺めているだけで、何故か懐かしさと悲しさと憤りを感じて戸惑う『あたし』。
 この気持ちは『あたし』の内に住まう『影』の影響だろうか?
 
 ともあれリアリティに溢れつつもちぐはぐな記憶映像は、次第にはっきりとした形へと修正され滔々と流れ進む。
 そう、『あたし』と『影』にとっては最も重大で運命的な日を迎える時。
 如何ほどの月日が流れたであろう。
 目覚めのその時はやって来る。
 とある小さな、東洋の島国からやって来た若い娘の偶然から。
 されどそれは、必然的なことだったのかも知れない。

 ――解かれた古の封印と、交わされた新たな契約――

 『影』は意識を失った『あたし』を乗っ取ると、今までの鬱憤を晴らす気分で大暴れしてしまう。
 古城の半壊…危険な暴走。
 ひび割れ、倒壊する尖塔、濛々と煙を上げる瓦礫の山に佇む『あたし』の姿。あらためて客観的に目の当たりにして焦燥と溜息。
 
 大変なことをしたのですね…と。
 やがてその八つ当たり的な暴走も終焉を迎える。
 「あの人」の手によって…「首輪」が嵌められた瞬間に。
 そして『あたし』の見る『影』の夢も終わりを告げたのだった。

 不思議な…、
 不思議な…夢。
 
 目が覚めれば雨柳凪砂として、『あたし』は自分を抱きしめるだろう。
 夢の記憶を確かめるように。

―END―