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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


電脳牡丹灯籠

ACT.0■PROLOGUE

「夫が浮気してるんです。結婚してまだ半年しかたってないのに、あんまりだと思いませんか?」
 高橋さやかと名乗った女は、草間興信所のソファに座るなり、泣き崩れた。
 まだ20代半ばくらいの若さだ。本来はかなり美しい女性であろうのに、充血した双眸と艶の失せた髪、野暮なデザインのブラウスが相まって、ひどく生活に疲れた主婦に見える。
「……あの女が現れてから、夫は変わってしまいました。何とかしたくても、名前も身許もわかりません。どうか……調べてください」
「それはお困りですね。詳しいお話をお伺いしましょう」
 草間武彦は大きく頷くと、白いハンカチを差し出した。
「零、こちらにもコーヒーを。高橋さんはミルクはお使いになりますか? お砂糖は? 煙草は……はあ、苦手でいらっしゃいますか。自粛します」
 浮気調査。興信所の基本ともいうべき、地味ながら確実な報酬が見込める仕事に、最近とんとごぶさただった草間である。夫の心変わりに悩む主婦。何てまともな依頼人だろう。このところ、怪奇事件に関わりっぱなしの身には、一服の清涼剤とも言える。
 愛想良く依頼人に応対する草間は珍しいらしく、遊びがてらに顔出ししていた調査員たちが、遠巻きに顔を見合わせている。
「今回は浮気調査、ですか? あたしの聞き間違い……?」
 海原みなもは、湯気の立っているマグカップを両手で持ちながら目を丸くした。清楚なセーラー服姿なので学校帰りかと思いきや、これは学校指定の制服とは違い、『仕事着』のひとつなのだそうだ。しかし13歳の美少女がいったい何のアルバイトをしているのか、あえて聞く者はいない。
「いや、間違ってねぇよ。確かに『うわき』って言った!」
 でも、うわきって何だぁ? 食えるのか? 訝しげに呟いたのは伍宮春華だ。こちらの『中学生』は正真正銘の学校帰りである。制服を腕まくりして、冷蔵庫の奥に隠されていた『なめらかプリン』にちゃっかりスプーンを入れている。
「浮気調査の依頼なんて珍しいですね。まるで興信所みたい」
 綾和泉汐耶が、回収した本を抱えてくすりと笑う。この仕事熱心な都立図書館司書は、草間に貸し出した本の返却期限が過ぎるやいなや、大事な本を救出すべく颯爽と登場するのである。
「まあ、ここも一応興信所だし。なあ、シュライン? しっかし今日も暑いねぇ」
 武田隆之は事務処理にいそしむシュライン・エマの机に寄りかかり、手持ちのミネラルウォーターをラッパ飲みしている。筋肉質の腕が持ち上げている本日のペットボトルは、『沖縄海洋深層水』であった。
「一応とは何ですか失礼な。それに今日は、どちらかというと肌寒いですよ」
 暑苦しいのはあなたです! シュラインに言われ、隆之は肩をすくめる。
「どなたが調査なさるのかな? 草間さんは怪奇専門だし……」
 おっとりと首を傾げたみなもに、
「おいおいみなみょ。ほんひんはそうおもってないんひゃから」
 春華がプリンをほおばりながら、『草間本人はそう思われるのは不本意らしい(意訳)』と答える。
 草間は彼らをじろりと一瞥し、そして少々困惑した。この興信所に関わりのある調査員たちは、特殊能力者が綺羅星のごとく各種取りそろっていて、怪奇事件には非常に有能だ。だが、伝統的浮気調査の仕事は、いったい誰に回せばいいのだろうか。
(思いつかない。……仕方ない、自分でやるとするか)
 しかし、草間の困惑は杞憂だった。『普通の』依頼人と思われた彼女が、時折しゃくりあげながら語り始めたのは――
「相手は、コンピュータなんです。いえ、何ていえばいいのか。あれはコンピュータの精霊……なのかも知れません。とても綺麗な、少女の姿をしてて」
 ――『おなじみの』案件だったからである。
 夫の幸浩は、最近、得体の知れない中古パソコンを購入してからというもの、様子がおかしくなった。話しかけても上の空、ろくに食事もせずに仕事部屋に閉じこもっている。妻のさやかに対しては、仕事部屋には絶対入るなと怒鳴るばかり。彼の仕事は在宅勤務のプログラマであるので、仕事に支障はないにしても、日に日にやつれていく状態は明らかに異常で。
 心配したさやかは、仕事部屋のドアの隙間から覗いてみた。
 そこに見たものは、パソコンをかき抱いて熱心に話しかけている夫の背中と、ふわりと宙に浮かんで、勝ち誇ったように微笑んでいる少女だった。

ACT.1■声が映すもの

 シュラインは事務処理の手を止め、机に頬杖をついて、高橋さやかの話を聞いていた。が。
(……変、ね?)
 浮気調査かと思いきや、これはどうも、怪しいパソコンとの戦いが待っているらしい。それはいいとして――いや、よくはないのだが、草間興信所に深く関わっている身としては、さして意外性のない事件といえよう。
 ただ……。シュラインの聴覚が、何かを訴えている。
 声。
 そう、高橋さやかの、声だった。
 時折しゃくりあげ、恨みごとを交えながらも、切々と夫の身を案じる、か細い声。
 小声なのに明瞭な、澄んだ声音であるのに。何かしっくりこないものを感じる。
 例えるなら、きっちりと整理された書類のインデックスが、ほんの少しずれていることに気づいたときや、計算が合っているはずの帳簿の収支結果にどうも納得がいかないときの、おさまりの悪さ。
 目を閉じて、耳を澄ませてみる。
 さやかはテーブルを挟んで、草間と向かい合っている。狭い事務所内のこと、彼女の発する声は、相槌を打つ草間の声と同じ方向から聞こえてくる――はずであった。
(………!?)
 視覚を遮断すると、さやかの声が発せられている位置が特定できない。右と言われれば右、左と言われれば左、天井からと言われれば、そんな風にも感じられるほどに。
(武彦さんの声は、確かにソファの方向から聞こえるのに)
 人間が声を発するためには、音源が必要だ。母音の場合、音源は声帯から作り出される。子音の場合はその限りではないのだが、それはともかくとして。
 シュラインはあっさりと結論に至った。さやかの言葉は声帯を音源としていない。
 人の心に直接、響いてくるのだ。
 目を開けばさやかの、伏し目がちな白い横顔が見える。
 その嗚咽も、頬を濡らしている涙も、真実には違いない。
 しかし、これだけは言える。
 
 こんな話し方をする存在は――人間ではない。
 
(厄介な事件に、なるかもね)
 思わずシュラインはこめかみを指先で押さえ、今回のメンバーとなるだろう調査員たちに視線を走らせる。
 水を駆使する人魚の末裔。風を操る平安天狗。封印力を持つ司書。
(ま、これだけ揃ってれば心強いわね。……と、もう一人いたっけ)
 視線を止めた瞬間、高確率で心霊写真を撮るカメラマンが、そそくさと出ていこうとした。
 すばやく足を伸ばして、行く手を阻む。
 彼にも、関わってもらわねば困るのだ。いくら調査経験の豊かなメンバー構成といえど、『結婚』という怪異を一度なりとも経験したのは、隆之だけであるのだから。
「待ちなさいよ、心霊写真家。悩める新妻を見捨てるつもり?」
 怪奇事件に辟易しているらしい武田隆之は、泣きの入ったぼやきを延べたが、シュラインは容赦しない。哀れなカメラマンは、見逃してもらえないと悟るや、がっくりと肩を落とした。

ACT.2■身上調査

 高橋幸浩とさやかの住まいは、JR京葉線「八丁堀」駅から徒歩圏内にある公団住宅だという。
 しかし、さやかを含む6名が、草間興信所を後にしてまず向かったのは、中央線の神田駅である。パソコンの精霊と対決するまえに、その中古パソコンの出自を調べた方がいいということで、大方の意見が一致したのだ。
 春華だけはまだるっこしい調査を嫌がり、直に対話することを望んだのだが、結局は一同につき合うことになった。依頼人であるさやかが、強く身上調査を希望したせいもある。
 さやかは、件のパソコンのメーカー名はおろか購入した店の名も知らなかった。幸浩の衣類のポケットや財布等からも、それらしい明細書は出てこなかったらしい。
 ただ、配送伝票の控えが残っていた。配送元は幸浩の勤務先の住所となっている。
「中古機器販売店から直接購入したんじゃなくて、たとえば会社の同僚が買ったものを、譲ってもらったとかじゃないかしら」
 シュラインがそう推測し、ならば幸浩の勤務する会社に聞き込みに行こうということになったのだ。
 勤め先は、本社を神田に置くコンピュータソフト会社『亜細亜エンタープライズ』である。
  
            *               *

 さやかによれば、幸浩はあまり同僚とも上長とも親しくしてないという。最近様子がおかしいことを、会社側では特に気にしているそぶりもないらしい。
 だから、幸浩にパソコンを譲るような同僚を比定するのに手間取った。幸い、受付の女性社員が、
「だったら、第二システム部の野崎さんかも知れません。私、高橋さんと野崎さんが中古のパソコンのことで話してるの、聞いたことあるんです」
 そう言って、野崎を内線で呼び出してくれた。
「うっわー。これはこれは。美人ばっかりだ。嬉しいなあ」
 6人は、かなり長い間ロビーの長椅子で待たされた。
 しびれを切らしかけたころやっと野崎が現れて、女性陣だけににこにこと名刺を配り、発した第一声がこれである。
 ナチュラルに無視された隆之と春華は、『羨ましいだろう。ざまあみやがれ』と、彼に聞こえない小声で悪態をついた。
「それで何でしたっけ、最近、高橋に中古パソコンを譲ったかどうか……それはどんな代物だったか、ですか? そんなことで、大勢でわざわざいらしたと」
「大事なことなんです」
「メーカー名と機種名、購入日と販売店を知りたいのですが」
「店員さんは、曰くがあるようなことを言ってませんでしたか」
「今までに、異変はなかったですかね」
「教えてくれたら、すぐ帰るよ」
 口々に言った5人のうち、みなもとシュラインと汐耶にだけ、はい、はい、はい、と、野崎は頷いた。
 調子の良い少々軽薄そうな青年だが、一目を惹く容姿であるため、女の子にもてそうな印象を受ける。受付の女性社員にも軽く手を振り、振り返されているところを見ると、幸浩と話していたのが彼だったから、受付の彼女も覚えていたということなのだろう。
「うーんと。高橋に売ったのは、『エルフィン』シリーズの型落ちのやつでした。FS-3だったかな。あのメーカー、日本上陸していくらも経たないのにうまくいかなくて、早々にアメリカに撤退したじゃないですか。かなり安くなってたんでアキバで衝動買いしたんですけど、どうも気に入らなくて」
「気に入らなかったのは――そのパソコンが、普通とは違っていたから……?」
 シュラインが鋭く言う。しかし野崎は顔の前でひらひらと手のひらを泳がせた。
「そんなことはないです。デザインとかキータッチとかが、しっくりこなかっただけで。パソコンなんて、所詮消耗品ですしね。惜しいほどの値段でもなかったし、他にいい新製品を見つけたんで捨てちゃおうかと思ってたら、それはパソコンがかわいそうだと高橋が言って、それで」
「パソコンが、かわいそう――」
 ゆっくりと、汐耶が復唱する。
「ええ。捨てるんだったら、おれに売ってくれって」
 そこでようやく野崎は、
「……高橋に、何かあったんですか? 最近はずっと、自宅勤務ばかりみたいですが」
 と、問うに至った。
 それには答えずに、一同は顔を見合わせる。
 野崎が件のパソコンを購入したのは、首都圏にいくつもの店舗を持つ中古専門の大型店だという。しかも販売員によれば、『これは企業さんが研修用に一括購入して、倉庫に保管しているうちに陳腐化が進んだので下取りしたうちの一台です。中古品扱いではありますが、新品同様ですからお買い得ですよ』だそうで、つまり。
 出自に不審な点はない。野崎は新品同様の状態で購入したのだから、怪しいエピソードもくっつきようがない。
 なのになぜ、そんな普通の中古パソコンが、高橋幸浩に取り憑かねばならないのか。
 釈然としないまま、隆之は携帯してたデジカメを取り出した。
「ちょっとアンタの写真を撮らせてほしいんですがね」
「……どうしてですか?」
「いや、あんまりいい男なんで」
 野崎はものすごく嫌そうな顔をした。特に駄目だとも言われなかったので、隆之は遠慮なく激写する。皆が画像を覗き込んだが、案の定というか当然というか、カメラはあやかしの影を捉えてはくれなかった。
 首をひねる一同の中で、さやかだけが――真っ青だった。
 野崎と対峙してから終始無言だったさやかが、いきなり長椅子から立ち上がる。
「あの、私、幸浩さんが心配なので、先に家に帰ります。すみません。ごめんなさい」
「あ。さやかさん?」
「おいさやか! 何だよ急に」
 みなもと春華の制止も聞かず、スカートを翻し、ロビーを駆け抜け、走り去っていく。
 唖然として見送る一同に、野崎が呑気に口笛を吹く。
「あの人、高橋の彼女ですか? 違いますよね。ちょっとダサいけど美人だし」
「――え?」
 さやかに対する野崎の、微妙な、しかし決定的な認識のずれに、皆がぎくりとする。
「ご存じじゃないんですか……? さやかさんは高橋幸浩さんの、『奥さん』なんですけど」
 汐耶がおそるおそる言う。野崎は、さも面白い冗談を聞いたとばかりに笑い声を上げた。
「いっやだなぁ。そんなことあり得ないです。高橋っていうのは、良くも悪くもパソコンおたくなんで、女子社員からは敬遠されてるんですよ。彼女が出来たためしもないのに、結婚なんて、とてもとても」
 笑いながら、野崎は続ける。
「そういえば『さやか』って、高橋がずっと会社で使ってたパソコンに付けてた愛称だなぁ……。会社の備品だったんですけど愛着があったらしくてね。償却費の残りを負担して、自宅に引き取ったんです。半年前だったかな」
 ともかく、高橋幸浩は独身ですよ。急に野崎は真顔になり、そう断言した。

ACT.3■妻と愛人

 神田駅から山手線で東京駅へ。京葉線に乗り換えるための長い長い移動通路を小走りに抜ける。
 5人が八丁堀駅に到着し、高橋『夫妻』が住むという公団住宅の前に立つまでに、さして時間はかからなかった。
 エレベーターも使わずに、非常階段を駆け上がる。部屋が502号室だということは、前もってさやかから聞いていた。
 玄関の鍵は掛かっていない。なだれ込むように室内に入った5人が見たものは、リビングの床にくずおれて、顔を手で覆っているさやかだった。
「さやかさん。あなたも、パソコンの精霊ですね。幸浩氏にとても大事にされてた機械だったから、半年前に会社から引き取られてからは、人型になってそばにいようと思った。新婚の奥さんのように、ひたむきに」
 シュラインが静かに言う。さやかは顔を覆ったまま、頷いた。
「私……。あのパソコンは、幸浩さんが気に入って買ってきたんだとばかり思ってました。だったら、魅入られるのも仕方ないかもしれないとも……。だけど、違ってました。ずっと倉庫に入れられてから転売されて、でも買った人が気に入らないというだけで捨てられるところだった機械でした。『彼女』は、人間を恨みながら、執着しています。いやな予感がして……帰ってきたんですけど……。仕事部屋にはもう、私の力では入れなくて……」
「さやかが精霊なら、それでもいいよ。最初っからそう言えよ。どっちにしてもおれたちがやることは変わんないんだからさ」
「そうね。私たちは、さやかさんから依頼を受けたのだから」
 だけど、どうすりゃいいんだろ。春華が眉を寄せる。汐耶は隣室とリビングを隔てているドアを見た。
「仕事部屋に入れないように、結界が張られてるわ。あの中には幸浩さんと、もうひとりのパソコンの精霊が閉じこもっている」
「浮気相手のかたは、精霊さんというよりは、電脳の怨霊さんだったんですね」
 みなもはバッグから霊水を取り出した。目に点してから、ふうとため息をつく。
「幸浩さんが、怨霊さんの方を愛しているのかどうか、お聞きしてみましょう」
「取りあえず、ダンナを引きずり出すか……。て、力まかせじゃ無理だな。ドアノブがびくともしない」
「下がってください。今、結界を解きます」
 汐耶がすっと片手を上げ、不思議な旋律の呪文を唱える。ドア全体が、青白く輝いたかと思うと、かちり、と小さく音がして――
 ゆっくりと扉が開く。まだ日中であるというのに、室内は真っ暗だった。
 椅子から滑り落ちるような体勢で、線の細い青年が倒れている。彼が、高橋幸浩だろう。息はあるにしてもどうやら気を失っているらしく、かなり危険な状態に見える。
 机の上で、妖しい紫色の炎のような光を放っているのが、例のパソコンのようだった。
 何も映されていないモニタに、砂嵐に似たノイズが起こる。
 
 ふわり、と。
 
 空中に、少女が現れた。
 長い黒髪に、白いワンピース。銀色の、光彩のない瞳。
「邪魔しないでよ。私はここにいたいの。どこにも行かないわ」
 室内に踏み込んだ5人を見回し、少女は不敵に微笑む。
「おっまえなあ! いいかげんにしろよ!
 春華が、一歩前に進む。
「退治されたくないなら、おとなしくしやがれ。せっかく幸浩に助けてもらったんだろ? 迷惑かけてんじゃねーよ」
「さやかさんと仲良くして、幸浩さんの仕事の手助けをするという風には、できないのかしら?」
「冗談じゃないわ!」
 春華と汐耶を睨みつけながら、少女はすいと降下し、とん、と着地した。
「あの女がいると、私はいらないじゃない。そんなのはいや。捨てられるのはいや!」
 少女の髪が羽根のように広がり、空気がびりびりと震える。放電したかのように、いくつもの白い球が浮かんでははじけ、倒れている幸浩の顔を照らす。
「うわっ!」
 少女は白い球を、次々に5人にぶつけてくる。そのうちのひとつをまともに食らい、隆之は尻もちをついた。
「さやかさん!」
 シュラインが振り返る。
「ここのネットワークの配線はどうなってるの?」
「無線LANです」
「パソコンは何台?」
「『彼女』と私の2台だけです」
 リビングテーブルにぽつんと置かれた年期の入ったパソコンが、さやかの本体のようだった。申し訳程度に繋がれた周辺機器と、薄緑色に光るランプが、かろうじてこのパソコンにも電源が入っていることを教えている。
「じゃあ、いったんブレーカーを落とさせてもらうけど、構わないかしら? みなも、お願い」
 さやかがブレーカーの位置を指さすと同時に、みなもが動く。
 ――しかし。
「きゃっ!」
 みなもの手にも、白い球が飛んできた。
「私はここにいるの! ずっといるの! 閉じこめられるのも、壊されて捨てられるのもいやよ!」
「……わかったわ。じゃあ、こうしましょう」
 肩をすくめ、シュラインは歩み寄る。
「まずは、普通のパソコンに戻りなさい。そして、幸浩さんを解放してあげなさい。世の中には、幸浩さん以外にもパソコンを大事に使ってくれる人はいくらでもいるわ。あなたが望むなら、みんなで貰い手を探すから」
「そんなの信じない!」
 白い球がシュラインの顔を狙う。すばやく身体をひねり、やり過ごした。
「だめだよシュライン。言っても聞きゃしねぇ」
 春華の背に、漆黒の翼が広がった。戦闘を決意したらしい。
「困ったわねぇ……」
 あまり困ってもいない声で、シュラインは少女に話しかける。
「ここにいるお姉ちゃんやお兄ちゃんやおじさんは、すごい力を持ってるの。あなたが飛ばしている電撃の何千倍もの威力を持つ『雷』を、落とすことができるのよ。そうしたらもう、動けなくなるわ。いい子にするなら、今のうちよ?」
「信じないもん!」
 少女は、ぷいとそっぽを向く。なぜか余裕たっぷりのシュラインを横目で見ながら、春華もみなもも汐耶も隆之も、ひそひそと囁き合う。
「……だよな。つーか、おれも信じねぇ。この中には誰も、雷を呼ぶ能力を持ってるやつなんていないじゃん。おれが使えるのは風だしさ」
「あたしは水だし」
「私は封印力ですものね」
「おれは腰を抜かすくらいだ」
 そんな4人に、ひとりひとり近寄って、シュラインは耳打ちをした。計画を聞くなり、春華の瞳がみるみる輝きだす。
「なっるほどな。よっしゃあ! まかせろ!」
 天狗は黒い翼をはためかせ、開けた窓から外へと飛翔した。
 刹那、東京湾を席巻するかのような激しい風が、公団の建物全体を包んで吹き荒れる。
 みなもは、隆之に向かって手を差し出した。
「お手持ちの『海のしずく』をお借りしたいのですが」
「あ? そんな大層なもん、持ってねぇぞ?」
「暗黒の深海を流れる、芳醇な海水のことです」
「なんだ。これのことか」
 隆之から『沖縄海洋深層水』のペットボトルを受け取ったみなもは、手のひらに数滴、水をたらした。手のひらから床にこぼれ落ちるかに見えた水滴は、春華の後を追うように、窓を抜けて外へ――東京湾へと飛ぶ。そして。
 突風にあおられて窓硝子を叩く、大粒の雨――雨によく似た、水滴たちの激しい来襲。
 晴れた秋空の下、不思議な豪雨が出現した。春華が起こした風と、みなもが操る東京湾の水が融合した結果だった。
「な……なに……?」
 少女の表情に、初めて動揺が走る。
 ――突然。
 
 タアアァァァァァ――――――――ン!!!
 
 天地を揺るがすような轟音が響いた。落雷の音だ。
「きゃあああああ!」
 怯えてうずくまった少女に、汐耶が近づく。
 ふたこと、みこと。何事かを問う。
 ぽつりと言葉を返した少女に、片手を伸ばす。
 少女の銀色の目が静かに伏せられ、広がった髪はおとなしく垂れる。
 
 ――汐耶の唇から、封印の呪文が放たれた。
 
            *               * 

「大丈夫?」
 腕組みをしたシュラインは、あきれ顔だ。
「あんまり、大丈夫じゃない」
 隆之は、本当に腰を抜かしていた。
 シュラインが発した『落雷の音』が、あまりにも真に迫っていたので。

ACT.4■EPILOGUE

「幸浩さんは軽い栄養失調だけど、命に別状はないそうです。さやかさんの愛の勝利ですね」
 三日後。草間興信所でミルクティを飲みながら、みなもはにっこりした。
 そうかぁ? そういう話か? 春華と隆之が考え込む。
「電脳だってなんだって、心配してくれる人がいるだけいいわよね。どう? ギックリ腰の調子は?」
 シュラインに言われ、隆之は青ざめる。汐耶も容赦なく追い打ちをかけた。
「なんでしたら『彼女』に看病してもらうという手もありますよ?」
「……勘弁してくれ……」
 壁に背を付け、床に座って頭を抱える隆之に、春華は怪訝そうだ。
「どうしたんだ、おっさん? 『彼女』って?」
「銀色の目の、可愛い怨霊のことよ。汐耶さんが彼女に施した封印は『条件付き』だったの。私たちの中から次の持ち主を指名することと、今度の持ち主が大切にしてくれなかったら、いつでも大暴れしていいっていう、ね」
「ご指名なんだから喜んでください。彼女、傷ついているんですから大事に使ってあげてくださいね」
 ――そう。
 件のパソコンは、今は武田写真事務所にある。
 封印前の少女が、次の持ち主として選んだのは武田隆之だったのだ。
 理由は単純。『変な力を持ってなさそうな、普通の人だから』だそうである。

 あやうく今様牡丹灯籠を再現しかけたパソコンの怨霊は、よほど雷が怖かったらしい。
 
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13/中学生】
【1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)/女/23/都立図書館司書】
【1466/武田・隆之(たけだ・たかゆき)/男/35/カメラマン】
【1892/伍宮・春華(いつみや・はるか)/男/75/中学生】

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■         ライター通信          ■
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シュラインさま。みなもさま。汐耶さま。隆之さま。春華さま。
はじめまして。神無月です。
お会いできて感無量です。天を仰いで目幅泣きです(落ち着け自分)。
この度の調査、まことにお疲れさまでした。
ACT.1は5者5様の視点になっております。よろしかったら他の方の心境を覗いてみるのもオツなものかと存じます。

ずっとみなさまと一緒に冒険したい気分になっており、大変名残惜しいです。
いつかどこかで、またお会いできますように。