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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


血の記憶:後編
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□――― 回想―遠い過去 ―――□
血の臭いが立ち込めていた。
路上には、もはや人とは呼べなくなった肉の塊が、哀れな屍を晒している。
つい先刻までの阿鼻叫喚ぶりが嘘のように、村は静まり返っていた。
「ただの人が、鬼を封じることなどできませぬ」
どこかで見た覚えのある老婆が、聞き取りにくい発音でそう言った。
「鬼を傷つけるには、あの刀でやつを斬るしかありませぬ。しかしあの刀は魂を喰らう。貴方の心もあの娘のように喰われてしまいます」
「だからと言って、あの娘を放っておくわけにもゆくまい」
低い男の声がして、チリと刀の鍔が鳴る。
「鬼の呪いを受ければ、親戚縁者にまで類が及びますぞ」
空気を振動させて、男が笑った。
「―――なに。私に身内はおらぬ」
言って男は立ち上がり、再びチリ、と刀が鳴った。
振り返り、血のように赤い夕日を浴びた男の顔が露わになる。
静かな光を湛えた黒い瞳。
誰かに似ている、と思った。

―――ああ、あの気の流れは……

今は目を閉じて動かない、あの青年とよく似ている。
見ることの出来ない青年も、きっとこんな顔をしている。

・・・・・・・・・・・

「坂崎の血の記憶でも覘いたか。呆けた顔をしておる」
鬼の声に意識を引き戻されて、みそのはようやく、自分の置かれている状況を思い出した。自分を取り囲む世界の、微妙な雰囲気。ほつほつとあぶくのように湧いてくる、小さな禍々しい気配。仲間たちが向かい合った、大きな黒い流れ。
自分は渋谷透(しぶや・とおる)の夢の中にいるのだ、とようやく意識が戻ってきた。
(では、今の景色は……?)
まるで白昼夢でも見せられた気分だ。光の届かない顔を巡らせて、みそのは仲間たちの雰囲気を探る。
「何だったのかしら、今の……」
。シュライン・エマが首を傾げる気配がした。その声には、何か引っかかるような響きも混じっている。みそのが感じたように、彼女もその幻に、透と共通するものを見つけたのかもしれない。……多分そうだろうと、何故か確信を持って思った。
「渋谷様の流れが見せた幻……でしょうか」
「そう……なのかしら、ね」
未だに納得がゆきかねるという声で、シュラインはしきりに首をかしげている。
と、空気が震えた。
からかうような笑い声。……鬼だ。驚いている彼らをおかしげに見つめた鬼は、瘴気を吐き出して笑い声を吐いた。
「あれは……坂崎は、強い剣豪だった。我の首を刎ねることが出来たのも、あの腕があってこそ。……そして、刀に魂を奪われてからも、強かった」
面白がるような、それでいて憎憎しげな声で、鬼は喋り続けている。
「今までに俺の刀を手にした誰よりも多く、坂崎は人を殺めた。この子どもに流れている血は、そういう血だ。鬼の俺が言うのだから間違いはない……この血は、鬼神の血よ。人の血を誰よりも多く浴び、国中のものたちに憎まれ、怨まれて殺された男の血族だからな」
「だからといって、透が貴様に怨まれる筋合いなどない」
本気で腹を立てているらしいケーナズ・ルクセンブルクが、鬼の言葉を言下に切り捨てた。真っ赤に燃えさかる目を向けて、鬼はケーナズを見た。その微妙な動きは、空気の流れを通してみそのにも伝わってくる。
「たかだか数十年生きただけの子どもにはわかるまい。怨みとはそういうものだ。血とともに受け継がれる」
「気持ちは……まー分からなくもないが、透に罪はねぇだろうに」
手で落ちかかる髪を掻き上げて、廣瀬・秋隆(ひろせ・あきたか)が苦々しげに呟いた。それでも透と直接の関わりもなく、年を重ねた分だけ経験もあるので、落ち着いている。みそのにしてもそれは同じだった。人の会話に耳を傾けながら、彼女はどこかで眠っている透の意識を探している。
少しでも透の身体に鬼が入るのを遅らせ、その間に何かの策を練る。口に出しては言わないが、誰もがそのことを考えていた。
そのことを知っているのか、鬼は愉快そうに動きを止めて、彼らを眺めている。
「俺を憎いと思うのなら、かかってくるがいい。途端に鬼の毒はこの子どもの血に混じり、内側からじわじわと身体を蝕んで行くことになる」
手出しが出来ない面々を見渡しながら、満足げに鬼は少しずつ身体を大地へと沈め始めた。嘲るように口を左右に開いた鬼は、ふと、僅かに顔を揺らめかせてその動きを止めた。
「お兄様!」
背後で声があがったのは、その時である。堪えきれずに足を踏み出しかけていたケーナズも、ここでは聞くはずもないと思っていた声を聞いて振り返る。流れを探ることで周囲のことを感知しているみそのには、この世界に、新しく三人の気配が増えたのが感じられた。
みそのには見ることが出来ないが、一人は高校の制服を纏った少女。そして、青年に……ケーナズと似た気配を持った女性。青年は、御影・涼(みかげ・りょう)。そして、真直ぐに歩いてくるのは……ウィン・ルクセンブルクだった。
「ウィン……おまえ、何故ここに」
驚きを隠さずに、ケーナズは近づいてくる妹の姿を見つめてつぶやいた。

□―――五里夢中
「透くんは大丈夫なの?」
「状況はどうなっているんですか」
ケーナズたちと合流して、女子高生と涼がそれぞれに口を開いた。女子高生の名前は、久喜坂・咲(くきざか・さき)と言うらしい。黙っていれば上品な雰囲気の少女だが、口を開くと中々元気のある少女だ。
後から来た三人は口々に問いかけて、戸惑った顔をしている。雰囲気から、のっぴきならない状況だということは分かるのだが、状況は今ひとつつかめないのだ。
「んー……大丈夫といえば大丈夫だけど、かといってこのままでは危ないわね。透くんを人質に取られているような状況で、手を出しかねているのよ」
腕を組んで、答えてくれたのは草間興信所のタダ働き、シュラインである。他の者たちと同様浮かない顔をしているが、それでも比較的冷静を保っているようだ。事態の深刻さを物語るように、難しい顔をしている。
そんな彼らの間をすり抜けて、ウィンは兄のもとへ歩み寄った。
「イヴ。待たせちゃってごめんなさい……頼まれものよ。確かに渡したわ」
ウィンから紙の束を受け取って、イヴ・ソマリアは口元に小さく笑みを浮かべた。彼女が受けたのは、ルクセンブルク兄妹の従兄弟が作曲した歌の譜面だ。その音を奏でることで、霊を浄化することが出来るのだという。
「ありがとう、ウィンお姉様。……これが助けになればいいんだけど」
「大丈夫よ。透のことは、私たちが必ず救い出すんだから」
静かに、だがはっきりとウィンは言い切った。常に見ない泰然とした態度と強い意志に裏打ちされた揺ぎ無い瞳を、ウィンは次に兄に向ける。
「お兄様」
何故来た、とは、ケーナズは口に出しては言わなかった。ただ咎めるような顔をしただけである。シャツに包まれた兄の腕に、ウィンは手を伸ばす。
サイコメトリーの力で、彼女はケーナズたちに起こった出来事を正確に把握したらしい。その顔が、みるみる懸念に曇った。
「坂崎の血……。透の中に流れるご先祖様の血のせいで、こんなことになっているのね?」
確認するようにウィンが呟くのに、ケーナズは頷く。
「ああ。……だが、手が出せない」
「渋谷様の意識に、鬼は半ば溶け込んでいます。鬼に不用意に傷を負わせれば、その血が毒となり渋谷様を傷つけてしまいます」
ケーナズの言葉を補足して、みそのは声のする方を振り仰ぐ。……女性の中では背が高い。
「下手に手出しをすれば、かえって毒を広げることになる……か。厄介だな」
ケーナズとみそのの言葉に、涼が考え込んだ。
「直接攻撃が出来ないとなると、私の能力も役には立たないからな」
珍しく荒々しい口調で、ケーナズが顔を歪めた。
傷を受ければ、鬼は毒を透の身体に流すのだ。かといって、一時的に鬼の動きを鈍らせたところで、いずれは透の心は侵食されてしまう。
「鬼の魂のみを排除すればいいのですが」
目を閉じたままの瞼に懸念の色を浮かべて、みそのは表情を曇らせる。
「その方法が……ね。わたしの歌で浄化するにしても、時間がかかるし」
難しい顔をして、イヴが譜面に視線を落とした。浄化しているうちに、透の身体に毒が流れ込んでしまったら話にならないのだ。
じりじりと、周囲の土も巻き込んで、鬼の身体は少しずつ地面に沈みつつある。土と鬼との間に見た地面は赤く、あれは渋谷透の血そのものなのだと、そんな比喩をした。じわりじわりと、鬼という名前の呪いは透の血に沁み込んでいく。
「妖刀を抜いちまったのがそもそもマズかったんだろ?もう一度封印してやりゃいいんじゃねえのか?」
「封印、ね……うん、できないことはないんだけど。本物の落陽丸は、祭ってあった寺社から盗まれてしまったらしいのよ」
と、顎に指先を当てて、秋隆に返事をしたのは咲だ。陰陽師の一族として、彼女には魔を退ける力がある。
「俺の黄天は、鬼封じでも有名な霊刀だから、十分に落陽丸の代理は務まるだろうけど……」
手にした刀を持ち上げて言いながら、途中で涼は顔を曇らせた。
「……それにしても、鬼を弱らせないことには。時間をかけていたんじゃ、鬼が彼の身体に毒を撒いてしまうんじゃないかな」
互いに互いの中に解答を見つけようとして、居並んだ者たちは顔を見合わせた。
誰も、いい考えは浮かばないというように困った気配を漂わせている。みそのにしても、自分の能力が鬼を倒す直接の役に立つとは思っていなかった。サポートに回るつもりでいたのだが、いい案が浮かばないのではどうすることもできない。
「……このままじゃ完全にヤツが潜っちまうぞ」
彼らのように特殊な力を持たない秋隆が、とうとう腰まで地面に消えてゆく鬼を見咎めて舌打ちした。
「くそ……いっそ、燃やし尽くしてやるか」
ギリと歯を噛み締めて、ケーナズが足を踏み出す。
「待って」
今にもPKを全開にして体当たりしかけたケーナズを、シュラインの声が止めた。
今まで、他の者たちが意見を交わす間も、じっと沈黙していた彼女の久しぶりの発言である。動きを止めて、ケーナズもシュラインを振り返った。
指でしきりに顎のラインをなぞりながら、考え考え、シュラインは自分の意見を口にする。
「鬼が同化しようとしているのは、この地面の下にあると思われる透くんの『流れ』なのよね?」
「渋谷さんの血の中に、侵食しようとしてるっていってたけど」
この世界に向かう前に聞いたマリアの台詞を思い出して、涼が答える。それに何度か頷いて、じゃあ……とシュラインは首を傾げた。
「……そこなんだけど」
「透くんの中の流れから、鬼の部分だけを選別できれば、勝ち目はあるってことよね」
「だから、流れを操るなんてこと、できねぇんじゃねえのか」
キィキィと、まるでネズミの鳴き声のような音がどこからともなく聞こえてくる。高くて耳障りなそれは、小鬼の出す音だ。今は姿が見えないが、先走った一匹の小さな小鬼が秋隆に飛び掛って、難なく振り払われる。
自分の身体を抱くように腕を回しながら、シュラインは視線をみそのに向けた。
「流れを操る事……あなたの力で、どうにかならないかしら?」
集まった者たちの視線が、みそのの小柄な身体に集中した。見つめられた方は、小首を傾げて考えた。 その気になれば、世界中の水の流れを操ることが出来るみそのである。現実世界の「流れ」ではないので、多少の不安は残ったが……透の意識を辿れたくらいだ、大丈夫なのだろう。
「流れを選別……は難しいですが、今鬼のいる部分を、隔離することはできると思います」
考えながらも、みそのははっきりと頷いた。ここにたどり着くまで、地面に広がる「流れ」を辿ってきた彼女だから、水そのものを操れるのではないかと考えたシュラインの目算は当たっていた。
「なら、勝機はあるわね。みそのちゃんの力で、鬼を隔離して、毒の拡散を防ぐ」
「隔離された空間なら、私の結界で毒を中和することもできるんじゃないかしら」
と、咲。
「敵が弱ったら、隙を突いて鬼を分離させることも出来るね」
「で、鬼を刀に封じ直す、と」
固めた拳で手のひらを打って、秋隆は鬼の方を振り返った。まるで彼らの決断を待ち構えていたかのように、鬼の周りの地面から、ボコボコと黒い影が盛り上がっては歪な人の形を取る。
「となると……俺の役目は、雑魚の始末かな」
「廣瀬さん、加勢するわ」
イヴが腕を持ち上げ、虚空に指先で方陣を描く。イヴが空気を指でなぞると、指の軌跡を辿るように光が輝き、それが一つの呪文を形成した。
ぱぁっとひときわ明るく文字が輝き、その方陣を潜るようにして、黒金色の毛並みと力強い体を持った動物が出現した。犬のようだが、頭が三つに分かれている。……神話にいる、ケルベロスそのものだ。ケン、とイヴが名前を呼ぶと、野性の色に光る瞳を向けて、ケルベロスは顔を上げる。三つ頭を交互に撫でながら、イヴは恋人に頷きかけた。
「わたしたちのことは気にせず、鬼に集中して。いつまでもわたしの護衛だけさせるわけにはいかないものね」
普段はその力を極力使いたがらない彼女だが、いざとなればその実力は確かである。ケーナズが彼女に答えて頷き、シュラインがさて、と息を吐いた。
「では、行きますか。みそのちゃん、準備はいい?」
「いつでも結構です」
彼らは鬼に向き直る。待ち構えていたかのように、地面は沸騰した湯のように盛り上がって小鬼を生み出す。土から出た小鬼たちは、一斉に彼らに向けて襲い掛かってきた。

□―――
蝙蝠の大群のように、地面から湧き出した小鬼はこちらに向けて迫ってくる。とにかく標的に向かって、まっすぐに突っかかってくる小鬼たちは、こちらを恐れていない分厄介である。振り払われては起き上がり、どこでもいいから歯を立てようと、小さく鋭い牙を剥きだして噛み付こうとする。
「透!早く目を覚ましなさい!どれだけ私たちを心配させてると思ってるの!?」
肩に圧し掛かってきた小鬼を振り切って、ウィンが声を張り上げた。彼女の声は、しんしんと遠くまで吸い込まれていく。
……ずっと遠くまで響いていった声は、余韻を残してやがて遠くなった。荒廃した世界に、変化は見られない。不安を掻き立てる沈黙だけが、余計に静かに感じられるようだ。
「ちょっと、透くん!レディが声を掛けてるのに答えないなんて、透くんらしくないわよ!」
流れた沈黙の中で、今度はイヴが怒鳴った。歌手の声量である。声音は朗々と遠くまで響く。
「そうよ、女性がお願いしてるんだから頑張りなさい!」
「渋谷様。いつまでも眠っていてはいけません。鬼を追い出して、早く元の世界に帰ってきてください」
口をそろえたシュラインに、みそのまでが話しかけている。
この状況下において、女性にそう言わしめるとは一体渋谷透とはどんな男なのかと、数人は怪訝な顔をしている。だが、どこへともなく向かった彼女らの言葉に、皆が何らかの変化を期待したことは確かだった。
声は遠くまで響いたが、しばらく待ってみても世界に変化はない。彼女らの声に戸惑ったのか、小鬼たちの攻撃が鈍った程度だった。
「女の子が話しかけたらすぐ目覚めると思ったんだけど……ホントに沈没してるのねぇ……」
呑気な声とは裏腹に、考え込むようにイヴが眉を寄せる。
普段は呼べば答えるのだと、安心しているから余計に不安なのだ。ウィンは強く唇を噛み締めた。
ククク、と空気を震わせて笑い声が流れた。
「愚かな事だ……この世界は血の記憶。ここにあって意識を持つものは、異質である俺とお前たちにおいておらぬ。たとえ宿主であっても、血に干渉することはできぬのだ」
低く空気を震わせて、鬼は嘲笑う。慎重に、みそのが鬼の「流れ」を探っていることには、まだ気がついていないようだ。
気づかれてしまっては厄介である。一人、「流れ」に意識を集中しているみそのから鬼の注意を逸らそうと、涼が鬼をにらみつけた。
「何故、今更彼を狙うんだ?もう、何百年もの年月が経っているんだぞ」
手出しが出来ない風を装って発せられた台詞に、鬼は顔を歪める。赤い口が露わになる。
「幾星霜が過ぎようとも、恨みは晴れるものか。あの痛みを忘れ得ることができようか」
鬼の声が低くなり、怒りを押し殺すように喉が鳴る。
「愚かな。先祖の恨みを子孫で晴らそうというのか。数百年の間に、どれだけ血が薄くなっていると思っているんだ」
いつにない険しい顔で、ケーナズが苦々しげに吐き捨てた。
だが、鬼はケーナズの言葉に、歯を剥きだして笑っただけだった。
仲間が鬼をひきつけている間に、みそのは意識を集中させて、地層を流れる「流れ」を辿っていた。異質なものと、そうでないものを選別するのは簡単だ。鬼の流れは、真っ黒なタールのような色をしている。問題は、まるで血管のように広がったその色を、どうやって隔離するか、ということだ。
気づかれてもいけない。思った以上に広範囲にまで伸びている鬼の気配の末端から、じわじわとみそのは流れを変え始めた。
気づかれないほどに少しずつ、八方から鬼の黒い気配が流れていく先を変える。何かが起こっても、これ以上黒い血がしみこまないように……混ざり合わないように。
細かく細かく、流れを急き止める新たな水流を作っていく。
「知らぬから言えるのよ。お前らは何も知らぬのだ」
鬼が嘲笑った時である。
(捕らえた……!)
四方に張り巡らせた鬼の黒い気配を、完全に捉える手ごたえがあった。もう、気配を殺す必要もない。一気に水流を変えて、みそのは鬼の血を一箇所に閉じ込める。鬼の表情が変わった。
変化は、みそのが何か言うよりも早く仲間たちの間にも伝わった。それは、まるで風の流れが変わったような感覚だ。ざわりと空気が動いたのである。
「何だと……!?」
「今、透さんの中から鬼の流れを隔離しました」
みそのが言った。先ほどから沈黙を保っている間に、彼女は鬼に気づかれぬよう、少しずつ鬼の流れを確保していったのだ。今や、みそのの流れを操る力のために、鬼はそれ以上、透の意識に身体を沈めることが出来なくなっている。
「おのれ……」
赤く光る瞳がギラギラとした光を湛え、声の主を見た。みそのの瞳は閉じられたままだったので、その瞳を射抜くことは出来なかったが。
すぐに、彼らは行動を開始した。
「透くんに危害が及ばないならこっちのものだわ!ケン、結界を張って鬼の力を弱めるから、その間、安全確保よろしくね」
グルル、と喉の奥でケルベロスが唸る。イヴはすでに眉を寄せて、詠唱に入っていた。
「イヴさん、あたしも手伝うわ」
と咲。
「わかったわ。わたしはもしもの時のために、二重に結界を張って、透くんの血に鬼の血が混ざるのを抑えるから」
二人の少女の声に合わせたように、ずしりと重い足でイヴと咲の前に立ち、ケルベロスが彼女らを守るように立つ。
流れを止められた主を守るべく、一斉に襲い掛かった小鬼たちは、ケルベロスの白い牙の餌食になった。


高くもなく低くもない独特の旋律が、閉塞した世界に流れていく。 イヴの声色だ。
アカペラで紡ぎ出されるイヴの歌声は、荒れたこの地とそこに巣食う者たちには不釣合いな透明な音色だ。小鬼たちの喚き声で掻き消されそうな音量なのに、世界の隅々にまで響き渡り、人の心を和らげる。
ギィギィと、小鬼の声が余計に大きくなった。人間には心地よく感じる歌声も、小鬼には苦痛を与える不快な音である。小鬼の中でも小柄なものたちは、地面をのた打ち回り、まるで塩を掛けられたナメクジのように小さくしぼんで消えていく。
「流石アイドルの歌声……ってとこか?」
冗談交じりの声で、消えてゆく小鬼を眺めて秋隆が口笛を吹いた。子猫程度の大きさの小鬼は、最早人を襲う力もなくなって転げている。シュラインとみそのの周囲に落ちた小鬼を足で蹴り退けて、秋隆は周囲を見渡す。
歌声によって浄化されなかった小鬼たちも、明らかに弱っているようだ。つるりとした外見が、外から見てもわかるほどに震えている。それでも最期の力を振り絞って、イヴの歌声を止めようと襲い掛かっては、ケンの牙に引き裂かれた。
先ほどから、身体がどこかへ引っ張られるような感覚が続いている。
(タイムリミットが近づいているのですね)
落ち着かない気持ちで、みそのは鬼の方へ視線を投げる。鬼の気配と……まるで白く焼け付くような強い力がある。あれは……ケーナズだ。
ケーナズの全身を、ぼんやりと白い光が覆っていた。普段は見えることのない、彼自身が持つ超能力が視覚化しているのだ。傍目にも分かるほど、彼の身体を強い力が巡っている。
「無駄だと言っているのがわからぬのか」
鬼が嘲笑った。
「無駄かどうかは、試してみなければわからんだろう」
低く、ケーナズの声が響く。
彼の身体を取り巻いていた白い輝きが一層激しくなった。燃え上がる音すら聞こえたのではないかと思われるほど、盛大にケーナズの身体を白の炎が包み込む。力の放出だ。
息を呑んで見守る中、炎に包まれた恋人の後姿は、鬼に向かって突っ込んでいく。
「貴様……!」
鬼に体当たりをする直前、ニヤリと笑ってケーナズは何かを呟いた。
直後、世界は白い光に包まれた。
みそのの瞼の向こうで光が弾け、彼女の視界は赤く染まる。
それでも無理に意識を凝らすと、ようやく辺りの様子が分かるようになった。世界はまだ、白に覆われているようだ。……段々に遠くなっていく。現実の世界へと、引き戻されようとしているのだ。
今まで鬼がいた場所には、三角錐状の、奇妙な塊が残されていた。鬼の角だ、と咄嗟に思う。本体は……跡形もない。
身体が引き戻される感覚が強くなった。
時間切れだ……。
足が大地から離れ、景色が遠のいていく。


□――― 回想―近い過去 ―――□
静かな湖のように深みを湛えた男の黒い瞳は、気がつくと窓の外を見ている。
たまに、何かを探すように男の手のひらが腰のあたりに触れるのも、彼女は知っている。
そこにあるのは、あの時の侍と同じ顔だ。ただ、今は着物のかわりに洋服を着ており、腰に刀は差していない。
「貴方は奇跡を信じていないけど、あたしはそういうのを信じるの」
さらさらと白金の髪を流して、彼女は謳うように言う。その面立ちは、やはり今は眠って目を覚まさない青年の特徴を宿している。
「こんな遠くまで来て、あたしは貴方に逢ったのよ。それはもう奇跡みたいな確率で」
今はまだ平べったい腹を撫でて、彼女は男を振り仰いだ。
「だからどんな不幸に見舞われても、そのせいで命を落としたとしても、あたしは貴方を愛したことを後悔しない」
透き通るような青い瞳で、そこだけ強い意志を抱えて、彼女は男を見つめる。
「この子に名前を考えてくれる?」
長い時間沈黙して、彼は「トオル」と呟いた。
「それは、男の子の名前?女の子の名前?」
日本人の名前に疎い彼女は、首を傾げて聞き返す。
「男の子の名だな」
「女の子が生まれたらどうするの?」
「生まれてくるのは、男の子だ」
確信を持った口調で言って、彼は手を伸ばして彼女の細い身体を抱き寄せた。男の表情はまだ少し曇っていたが、安心させるように彼女の肩に回された腕は温かい。
「幸せになるわよ。あなたとあたしの子だもん」
聞こえるか聞こえないかの彼女の声は届いたらしく、男の腕に力が篭った。


□―――夢の終わり
今までぴくりとも動かなかった青年は、皆が見下ろす中、ようやく意識が浮上したらしくもぞもぞと動いた。
「……くぁ。あーよく寝た。腹減った……ん?」
まだ眠そうな顔で目を開けた渋谷透は、自分を取り囲んで見下ろす人々の顔に、むくりと半身を起こした。
「……ん?」
どうやら、無事らしい。無事は無事だが、一体どれだけ苦労をしたんだと説教してやりたくなるほどに平和な顔をしている。
透が目覚めるよりも一足早く透の世界から引き戻された面々は、その顔を見てそれぞれにほっとしたような顔をした。
透は気圧されたように自分を取り囲む人々を見渡し、辺りの暗さに怪訝そうな顔をし、それから結局、にこっと笑って見せた。
「おはよー」
「……殴り殺したくなるくらい平和だな」
ボソリと太巻が低く呟く。まあ、あれだけ苦労と心配をかけて彼を救った結果がこれでは、その気持ちも分からなくないと言うものである。
「透……!」
「透くんっ!」
いつもどおりの平和ボケした顔を見せた透に、右と左からウィンとイヴが抱きついた。左右からの衝撃に、うぇっと透がつぶれた声を上げる。
「無事で良かった、透くん。心配したのよ」
などと言って、イヴは目に涙すら浮かべている。本当に良かったと思っているのは確かだが、それにしてもその切実さといったらこのままアイドルを引退して、演技派女優に転向せんばかりの演技力である。恋人に(故意に)抱きつく相手を間違えられた美貌の貴族は、やや面食らった顔をしていた。その恩恵に預かった透はと言えば、まだ完全に目覚めていない脳みそでは事態が把握できず、きょとんとしている。
「……へ?えっ、何?……ごはん?…今、朝?」
皆が見守る中で、ぼーっと少しずつ意識を夢の世界から引きずり出したらしい透は、今更自分を見つめている顔ぶれを改めて眺め回した。
「やれやれ……心配したのよ。突然眠ったきり起きなくなっちゃったんだから」
と、腕を組みながらシュラインが呆れた顔をする。
「当分、ホラーは見なくてよさそうだよ、お陰さんで」
と、秋隆。無事でよかったですよと涼は苦笑し、みそのも開かない瞳を透に向けて「ご無事で何よりでした、渋谷様」と頭を下げた。釣られて頭を下げようとした透は、イヴとウィンに抱き付かれているのを忘れていたので、自分で自分の首を絞めた。ぐぇ、とカエルが潰れたような声がしたので、はっきりとその姿を想像することが出来る。思わず笑うと、照れたような声で「えへへ」と頭を掻く透の気配がした。彼の視線はみそのの前で止まり、透は怪訝そうに首を傾げる。
「目、悪いの?」
「ええ……あまり光のある世界に慣れていませんので」
普段は光射さぬ深海で暮らしているのだ、とは説明するのも面倒なので省略した。ふぅん、と感心して、透は納得したらしい。
「目が見えたらぱっちりしてて可愛いと思うんだけどな。あっ、今も十分可愛いよ。5年後くらいにデートしようね」
余計なことまで言いながら、ようやく部屋の人口密度の多さに素直に感心して、
「今日は仕事忙しそうだね。珍しいね」
悪気もなくズバっと言う。遠慮とか、気遣いとかいう言葉とは、どうやら無縁のようだ。「この……」と不穏に草間が拳を握る気配がした。
やりとりを見ていた咲が、思わずといった様子で苦笑する。
「透くん、相変わらずねー。今回はさすがにちょっとびっくりしたわよ」
「あっ、咲ちゃんだ。元気?」
元気も何もない。平和な会話に、一同は肩を落とした。
「あまり心配をかけさせるんじゃない」
ケーナズに言われて、透は怪訝な顔をして考え込んだ。しばらくして、どうやら寝ているうちに自分が心配をかけた……ということは、いくら平和な頭にも理解できたらしい。
どんな表情でどんな台詞を言うか迷った挙句、結局彼はへらっと笑った。
「ごめんね。なんか最近、よく寝れてなかったからウッカリ熟睡しちゃったよー」
「いや……その、睡眠不足を心配したわけではなかったんですが」
なんとも言えない顔をして、涼が苦笑している。
あふっともう一度欠伸をかみ殺した顔を両手で挟んで自分の方を向かせ、ウィンが透を覗き込んで笑う。
「……おはよう、眠り王子様」
間近で見つめられて固まっている青年に顔を近づけて、彼女は透に口付けた。
「…………え?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、透の顔は一気に赤くなる。左右からレベルの高い美女に抱きしめられ、キスまでされて動揺しないようでは、青少年失格であろう。
「あっ!」
と声を揃えたのは、某紹介屋と怪奇探偵、モテない男二人組である。「あら」とシュラインは眉を上げ、「若いっていいな…」としみじみと秋隆が呟いた。「いいなー」と唇に指を宛てて、イヴがそんな二人を眺めている。
何にせよ無事でよかったと、透の無事を確認した一同は、ぞろぞろと解散の雰囲気だ。
肉体は全く動いていないとはいえ、本来なら身体と連動するはずの精神だけで動き回ったのだ。彼らの疲労も頷ける。
相変わらず両手に花(本人は舞い上がりすぎてあまり満喫は出来ていないようだ)の透に、丁寧に頭を下げた。
「妹がお世話になったそうですので、及ばずながらお手伝いさせていただきました。ご無事でなによりです」
ご無事って何が?と案の定透は怪訝な顔をしたが、もう一つの台詞にはにっこり笑って返事をした。
「妹さんって、青い髪した子だよね。お世話になったのはオレの方なんだけど……あっ、床で寝たから、ベッドはきれいだよ……!」
女の子の寝室を使うわけにはいかないからさと、年上風を吹かせて言ったあと、「お母さん美人だね」と、透は当然のような顔でやに下がって付け加えた。










→→A chance acquaintance is a divine ordinance.




→→→→Move on?


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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1388 / 海原・みその / 女 / 13 / 深淵の巫女】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼世界調査員】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女 / 25 / 万年大学生】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【2073 / 廣瀬・秋隆 / 男 / 33 / ホストクラブ経営者】
【0904 / 久喜坂・咲 / 女 / 18 / 女子高生陰陽師】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生兼探偵助手】

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
NPC
渋谷・透(しぶや・とおる):大学生。父親は日本人、母親はヨーロッパ人のハーフ。実の父親の顔は知らず、母親とその再婚相手は事故で他界している。
太巻・大介(うずまき・だいすけ):紹介屋。厄介な事件は草間興信所に持ち込むことにしている。そして無責任。

鬼(落陽丸):妖刀「落陽丸」に憑き、多くの人間の命を奪った鬼。「坂崎惣介」と名乗る剣豪に首を刎ねられた。坂崎の血にかけた呪いのために、渋谷透を狙っていた。今回の事件で角の一つを失っている。

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あとがき
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ぐはっ、お待たせしました!遊んでいただいてありがとうございます。
なんだか小出しに納品で申しわけありません……。色々と不測の事態で引っ込みがつかなく……(殴)
そろそろ秋も真っ盛りでしょうか。朝、起きて着替えるのが寒い時期になってきました。それさえなければ秋も冬も好きな季節なんですが。
今回の依頼ですが、みそのさんの能力のお陰で、まさかの渋谷が無傷で救出でした(まさかって…)。依頼をアップしてから、色々と自らを振り返って青くなっていたんですが、おかげさまで助かりました(そしてそんなWRですいません)
ちなみに、半ば渋谷の身体に入り込んでいた鬼の部分を無視して無理に取り除こうとすると、渋谷の身体は洩れなく毒に侵されるというオチでした。
死ぬ直前に卵を産んで子孫を残す、とある寄生虫を元にしているのですが(うぇっぷ)
一生アフリカにはいけそうにありません(行かなくても)
この話はこれで終わりですが、微妙に関連した話は続きます。今後納品される文章に「あれ?」という名前が出てきたりしたら、これのことかよと思ってやってください。
ではでは、本当にありがとうございました。
また、気が向いた時にどこかで遊んでいただけたら幸いです。


在原飛鳥