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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


提案茶碗

 食器棚を見つめながら、守崎・啓斗(もりさき けいと)は「うーん」と唸った。皿の類は、柄がばらばらであるもののそこそこの数がある。湯飲みも……マグカップなどのイレギュラーを含めばちゃんと数がある。しかし、茶碗だけは違っていた。何度数えても、尤も数えるほどではないのだが、きっちり二つしかない。自分と弟の、二人分のものしか。
「流石に、どんぶりは変か」
 どんぶりを勘定に入れるかどうかを考えてから、啓斗は頭を振った。どんぶりは、茶碗とは違う。食べ盛りである弟ならば、どんぶりを茶碗として用いる事を歓迎するかもしれないが。
「……それは、うちのエンゲル係数をこれ以上恐ろしくしない為にも却下だが」
 ぽつり、と啓斗は呟く。やはり、必要だと思いながら。


 守崎家に、よく訪問する友人が居る。御崎・月斗(みさき つきと)を長男とする、御崎三兄弟だ。彼らと一緒にご飯を食べる事も少なくない。その度に啓斗はずっと感じていた。……茶碗が足りないと。
 その思いがはっきりとしたその時の食事は、いい秋刀魚が手に入ったので塩焼きにして大根おろしをちょこんと付けたものと、やわらかく煮たカブに田楽味噌をかけたふろふき大根ならぬ、ふろふきカブ、大根の間引き菜のおひたし、そして栗ご飯とお吸い物だった。
「……茶碗が」
 啓斗は栗ご飯をよそおうとしてはっとした。茶碗が足りない。正確に数えると、三つ足りない。机におかずを並べるのを手伝っていた月斗が啓斗の呟きに気付き、小さく笑う。
「ああ、気にすんなって。俺らのは何でもいいからよ。それこそ小鉢みたいなのでもいいんだし」
「……すまない」
 啓斗は何かしら茶碗の代わりになりそうなものは無いかと、食器棚を見る。だが、あまり代わりになりそうなものは無い。啓斗が呆然としていると、月斗はその様子を悟って啓斗に尋ねてきた。
「……そうだ、おむすびにしてもいいか?そしたら、食べ易いし」
 自らも家事をしている月斗らしい言葉だった。茶碗を気にする啓斗と、弟達の事を思っての提案でもあった。啓斗が「ああ」とだけ言うと、月斗は腕まくりをしてから手を水でぬらす。
「俺もやろう」
 啓斗は茶碗を収め、腕まくりをして月斗の作業に加わった。
「ん?お前らは茶碗でいいのに」
「いや……弟の異常な食欲を抑制するにも、今日はおむすびがいいのかもしれないと思って」
「違いねぇ。おむすびにしたら、どれだけ食ったのか一目瞭然だもんな」
 悪戯っぽく月斗が笑った。それに便乗するように啓斗も静かに笑った。
(いるな……茶碗)
 啓斗は熱い栗ご飯を手に取りながら、密やかに思う。きゅっきゅっとリズム良くむすんでいきながら。
「おい、啓斗。えらく大きいぞ?それ」
 月斗が啓斗のむすんでいたおむすびを見て笑った。啓斗ははっとして手の中にあるおむすびを見る。ぼんやりと考え事をしていた為か、おむすびは異様に大きくなってしまっていた。
「……食べさせればいい」
 啓斗はぽん、とおむすびを大皿に乗せた。これを手に取る相手はただ一人だけと決まっている。
「なるほどな。そういうのを食べるのは一人しか、まあいねぇからな」
 くくく、と月斗が笑う。向こうで弟達が遊んでいるのを、ちらりと見ながら。
(……早めに買いに行くか)
 啓斗は心に誓う。もう二度と、大きすぎるおむすびを結んでしまわぬように。


 夕方、啓斗は和服のまま家を出た。懐にきちんと財布を入れ、まっすぐに近所の雑貨屋へと向かう。
「いらっしゃいませ」
 にっこりと店員に微笑まれた後、啓斗は目的のものを探す。茶碗コーナーはすぐに見つかったが、その量や種類が豊富でつい目移りをしてしまう。
(月斗には……)
 まずは上から順番に決めていこうと、一通り見るがいまいちピンとこなかった。何度も何度も目を往復させたが、やはり駄目だった。啓斗はとりあえず月斗のは置いておいて、他の二人のものから決める事にする。
(次男は……)
 目を走らせ、すぐに決める。灰地に銀の蜻蛉柄。銀、という色が次男の髪の色を思い起こす。シンプルだが愛らしい蜻蛉柄が、きっと彼に似合う事だろう。
(三男は……)
 これもすぐに、目についた。白地に赤の兎柄。白が彼の髪の色である事は勿論、性格的におっとりとしている三男には兎という可愛らしい柄がきっと似合う。
「……で」
 啓斗は買い物篭を下におき、腕を組んだ。最初に選ぼうとし、選べずに置いておいた問題に戻ってしまったのだ。他の二人は子どもらしい可愛らしい柄を選んだ。だがしかし、月斗に限っては『可愛らしい』柄というものが思い浮かばないのだ。それどころか、絶対に違うとまで思ってしまう。
「月斗は、大人びているから」
 啓斗は呟く。彼が大人びて見えるのは、彼を纏う雰囲気からだ。ネットで退魔系HPを開き、兄弟三人の生活資金を稼いでいるからか。それとも、彼が弟達の分まで家事全般請け負っているからであろうか。そのどちらも在るにはあるだろうが、それ以上に大人びていると感じている事があった。それは、互いに弟を持つ兄としての感情の共有。年齢など関係なく、同志と思ってしまっているのかもしれない。……否、恐らくはそれ以上。
「……つまり、普通の柄で良いと」
 色々考えた後、啓斗は結論を導き出す。難しく考える事はいくらでも出来る。だが、今はそんなに考える必要など無いのだ。ただただ、月斗に合うであろう茶碗を見つければ良いだけなのだから。啓斗は再び茶碗のコーナーに視線を戻す。
「あ」
 茶碗のコーナーを見ていて、ふと啓斗は気付く。ストックが一つしかなくて、一瞬目に入りにくい所にあった一つの茶碗。黒地に金の月模様。ぽつりとあるのに、その茶碗は毅然と存在しているようだった。
(まるで、月斗みたいだな)
 啓斗は小さく笑い、その茶碗を手に取って買い物篭に入れた。おおよそ子どもらしくない柄では在るが、それはまるで月斗のようだと感じていた。ぴんと背筋を伸ばし、何事にも真正面から向かって行くような、そんなイメージ。
「有難うございました」
 店員の声を背中に受け、啓斗は雑貨屋を後にする。
「これで、もう大丈夫だ」
 啓斗は小さく呟き、微笑んだ。これで、異様に大きなおむすびを作る事は無いであろう。自然と、顔が綻んだ。

 啓斗が家に向か時には、既に日は夕日になってしまっていた。夕方に出かけたのだからそこまでおかしい事は無い。だが、出かける時はこんなにも日は落ちては無かったのだ。
「どんどん、日が短くなるな」
 少しずつ赤くなってゆく空を見上げ、啓斗はぼんやりと呟いた。これからは、もっと早くに日は落ちてゆくのだろう。それこそが時が流れている証拠ではあるのだが、何となくもの悲しい気分になるのは何故であろうか。
「……あれ?啓斗?」
「え?」
 雑貨屋から少し行った所で、不意に声をかけられてぼんやりとしていた啓斗は振り向いた。そこには他ならぬ月斗が立っていた。ついさっきまで選べなかった茶碗の持ち主になる相手。だがしかし、きっと似合うであろう茶碗の持ち主。
「何か買い物でもしてたのか?」
 啓斗の買い物袋に気付き、月斗がそれを覗き込むようにして尋ねてきた。啓斗はそれを見せないようにしながら、「ああ、うん」とだけ答える。隠された買い物袋に、月斗は不思議そうに首を傾げる。
「……何?」
 別に言ってもいいのだ。だからと言って何が変わるわけでもないし、何が起こるわけでもない。だがしかし、啓斗はただただ無表情に考え込む。あんなに考えて考えて、そうして選んだ茶碗なのだ。
「内緒」
 無表情のまま、啓斗は答えた。月斗が不服そうに「えー」と声をあげる。
「ケチ」
 ケチと言われても、啓斗は答えない。ここで教えてしまっては、つまらないような気がする。否、きっとつまらない。
「いいじゃねぇか、教えてくれても罰は当たんないぞ?」
 尚も聞いてくる月斗。人は秘密にされると、その秘密を知りたくなってしまうものなのだ。啓斗は暫く考える。考えて、やはりここでばらすのは何となく気が引けると結論付ける。
(だが……そうだ)
 啓斗ははっとして月斗をじっと見る。月斗は「ん?」と言うように啓斗を見つめ返した。
「……月斗、今日は飯食っていくのか?」
 唐突な啓斗の言葉に、月斗は一瞬戸惑いながらも「うーん」と唸る。
「まだ、決めてねぇけど」
「もし来るんだったら、その時に教える」
(これなら、いいタイミングでばらせる気がする)
 啓斗は心の中で笑う。ばれないように、表情は崩さないように。月斗は苦笑しながら口を開く。
「仕方ねぇなぁ。……で、晩飯何?」
「まだ、決めてない」
 啓斗の言葉に月斗は再び笑い、それから少し考え込んでから口を開く。
「鯖の煮付けが食べたい」
「鯖の煮付けか」
 こっくりと、啓斗は頷く。
「ああ、それと。茸飯も食べたい」
「……判った」
 もう一度こっくりと啓斗は頷く。
(茸飯……いいタイミングで出せそうだ)
 茸飯をよそう時、この茶碗が登場する。三兄弟それぞれの為に買った、それぞれの為に存在する茶碗。下の二人はきっと素直に喜ぶだろう。そして、月斗は……どうするのだろうか。大人びた茶碗を喜ぶだろうか。もしかすると、何でも良いと言うのかもしれない。だが、いずれにしても驚く事には違いない。今まで無かった茶碗が登場した事に、子どもらしからぬこの茶碗に。
「啓斗、早く行こうぜ」
 月斗が声をかけてきた。夕日の中、妙に月斗は急ぎ足で守崎家へと向かっているようだった。
(やはり、気になっているのか?)
 啓斗はちらりと自らの持っている買い物袋を見てから、小さく微笑んだ。きっと今笑っているのを、月斗は知らない。月斗は前の方に、夕日の中にいて逆行になっているはずだから。
「啓斗」
「ああ、うん」
 もう一度声をかけられ、啓斗は小さく駆け出した。その拍子に買い物袋の中の茶碗たちが、カランと音をたてた。
「頼むから、もう少し内緒にしていてくれ」
 啓斗は音を立てた茶碗にそっと呟く。夕日の中で待ち構える月斗に聞こえぬように、そっと。

<茶碗はその登場を心待ちにしながら・了>