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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夜光牙〜和御魂(にぎみたま)編〜

【オープニング】

「刀を処分して下さい、か……」
 変な依頼だ、と、草間は思う。
 年代物の刀など、大枚を積んででも手に入れたい輩が多いこのご時世、逆に、金を払ってでも、粉微塵に破壊して下さい、などと。
 いい加減、どっぷりと日も暮れたころ、男は来た。骨董屋だ、と名乗ったが、そんな雰囲気ではなかった。
 処分してくれ、と刀を草間に差し出して、依頼料の十万円を押し付けて、そして逃げるように去ったのだ。去り際に、その刀の名は「夜光牙(やこうが)」だ、と、言っていた。
 何やら曰くありげな名前だと感心し、感心した次の瞬間には、男はもう目の前からいなくなっていた。名前すら、まだ聞いていなかったのに。探偵としては、信じられないミスだった。連絡を取りようにも、どこの誰かもわからない状態では、手の施しようがない。
 そして、現在に至るわけである。
「寺にでも預けるか……」
 現実的な結論を導き出して、自分自身を無理やりに納得させる。
 その前に、当の厄介物である刀を一目拝んでやろうと、草間は、丁寧に巻かれた風呂敷包みを、取り除いた。
「鞘は……なんだ。地味な造りだな」
 光沢のある漆塗りの鞘には、装飾の類が一切無かった。柄の部分もそれは同じで、しっかりとした黒皮がきつく巻かれてあるだけだ。草間は古物に関しては完全にド素人だが、これは値打ち物ではないな、と、一瞬で判断した。
 刀は、現代においては、人を殺傷するための武器ではなく、その美しさを愛でるべき美術品でなければならないのだ。言ってみれば、壺や絵画と同質のものである。螺鈿の模様も、巻貝の飾りも無い質素この上ない古びた道具に、誰が価値を見出せよう?
「燃えないゴミにでも出すか」
 寺に預けるという思考から、一気にランクダウンした。その辺に投げておこうかとも思ったが、ついでだから、鞘からも抜いてみた。

 その瞬間。

 草間は思わず声を上げそうになった。慌てて瞬きを繰り返し、じっと刃を見つめる。
「まさか、な」
 苦笑する。ありえない光景を、一瞬、見てしまったのだ。鞘から抜いた刃が、淡く蛍火を発していた。節約のために電灯をケチった薄暗い部屋で、まるで、生きているように、脈打った。
 何となく触れた刃は、驚くほど冷たい。しっとりと露を帯びていた。
 草間は、今度こそ本当に声を上げた。刀を鞘に仕舞い、風呂敷でぐるぐる巻きにした。
「夜光牙……」
 その名の意味が、よくわかる。
 夜に光る牙。
 これは、いわゆる、魔剣妖刀の類では……。

「なるほど……。それで、うちに持ち込んで来たというわけか」

 普通の人間に、これを破壊するのは、不可能だろう。
 目には見えぬものを斬り、手には触れられぬものを屠る。抜けば蛍火を発し、その身は常に露を帯びる。
 
「砕くのか。……この刀を。砕かなければ、ならないのか……」

 草間にすら、そう思わせる。
 だからこその、妖刀。だからこその、魔剣。

「惜しい、と思っては、駄目なんだろうな……」

 草間の声など聞こえぬように、夜光牙は、ただ、頑なに、沈黙を守るのみ……。





【訪問者】

「何を砕くの?」
 聞き慣れた声が、草間の耳に飛び込んできた。
 そこに誰がいるかは、振り返らなくとも、わかる。
「シュラインか」
 重そうに買い物袋を両手に下げて、シュラインが、慣れた様子で、事務所の中に入ってきた。彼女が手伝ってよと言う前に、草間は、ごく自然に、訪問ついでの土産にしては大きすぎる荷物を、受け取った。
 とりあえずテーブルの上に置き、ごそごそと中身を探る。
「夕飯は、すきやきか」
 思わず、口元が綻ぶ。
 シュラインが、こうしてたまに興信所に寄ってくれると、その度に、草間の食生活はかなり改善される。義妹の零は、掃除は上手なのだが、料理の腕がいまいちなのだ。味が云々という話ではなく、とにかく質素なのである。
 「贅沢は敵だ!」という戦中思想が今になっても抜けないらしく、当たり前のように、大根飯やめざし一匹を草間に勧めてくるのだから、たちが悪い。
「それにしても、凄い量だな。三人で食いきれるのか?」
「仕度している間に、どうせ誰か遊びに来るわよ。これくらいで丁度良いの」
 草間自身より、シュラインのほうが、よほど興信所の実情に詳しい。
 ごもっとも、と呟いて、草間は部屋の奥から早速コンロと鍋を引っ張ってきた。零が、匂いの付きやすそうなものを、手際よくかたし始める。シュラインは豆腐や野菜を切りに台所に向かった。
 いつも夕食の遅い草間家で、たびたび見られる光景。
「ところで、さっきの話」
 シュラインが、草間の席の前に、卵を三個置いた。草間は見かけは細いくせに、意外にも大食だ。すきやきには、確実に卵三個を消費する。
「何を砕くの?」
 準備は、あっという間に終わった。
 草間が、鍋の火加減を見ながら、生返事をした。
「刀を砕いてくれって、変な依頼があったんだが……」
「だが?」
「とりあえず、食わないか?」
 壁の隅に立てかけられている、細長い風呂敷包みが気にならないわけでもなかったが、シュラインは、努めて平静に、そうねと頷いた。





【夜に光る牙】

 結局、すき焼きには、総勢七名が集まった。
 草間と零を除いて、五人の調査員たちだ。雨柳凪砂、シュライン・エマ、森村俊介、雪ノ下正風、セレスティ・カーニンガム。

 この七名が揃った鍋パーティーが、どれほど物凄いものとなったかは、各御仁の想像力に任せるとして……いよいよ、話は、本題に移った。

「これが、その問題の刀さ」

 消灯を、と、草間が森村に合図する。マジシャンが軽く指を鳴らすと、ぱっと全ての電気が消えた。
「夜に光る牙……」
 鞘から顔を覗かせた滑らかな刀身が、ぽつ、ぽつ、と、光を放つ。本当に、蛍が刃の周りを飛び交っているようだ。強く、弱く、その時々に応じて、朧に霞みながら色彩を変える、闇の中の幻想。
「綺麗ですね」
 凪砂が、感嘆の溜息を吐く。異形の武器から、不吉の影は感じない。彼女の内に眠る狼もまた、目覚める気配を見せなかった。
「本当に、壊さなければならないような、悪いものなの?」
 シュラインが、不審そうに草間を見る。その視線には、依頼人の名前を聞き忘れるなんて、某オカルト雑誌社の下っぱ編集員みたいな失敗するからよ、と、言外の意味が含まれている。事実なだけに、草間としては弁解の余地もない。
「草間さん。いらないなら、俺が引き取りますよ。餅は餅屋。武器は武術使いってね。俺に任せておいて下さいよ。三十万円でどうです?」
 壊す気など毛頭無く、頂戴する気満々で、雪ノ下正風が提案する。鋭くセレスティが突っ込んだ。
「雪ノ下さんは、確か、小説家をされていると記憶しているのですが……」
「あれ? 俺、小説家やってるってこと、セレスティさんに教えたことあったっけ? ……ひょっとして、俺の隠れファン?」
「いいえ。私は、雪ノ下さんの作品は読んだことがありません」
 柔らかく見せかけて、実は、けっこう辛辣なセレスティの一言。が、オカルト作家は怯むこともなく、そうだろうなぁ、と頷いた。
「わざわざ小説読まなくても、ここに来れば、好きなだけ怪奇現象と戯れることが出来るもんな」
「そういうことです。ここで見られる様々な真実は、どんな精巧に作られた物語よりも、強く、私を惹きつけます。小説の世界は、所詮は虚構。けれど、ここにあるのは、その一つ一つが、紛れもない本物です。興味は尽きませんね」
「あんたは、やっぱり、人間が好きなんだな」
 その雪ノ下の問いには答えず、セレスティは曖昧に微笑んだだけだった。
 好きでなければ、人ならぬこの身が、有り得ない変化を起こすはずもない。深く澄んだ水底に、二度と帰る日は来ないとしても……そこに後悔を挟む余地すらなく、この地上で生き抜いていく自信が、確かにある。
「夜光牙にも、私は、何か惹かれるものを感じます。妖刀魔剣と決め付ける前に、ぜひ、この夜光牙について調べてみたいですね」
「僕も、セレスティさんの意見に賛成です。夜光牙は、生きた剣です。少なくとも、そう思わせるだけの何かを、確実に秘めている。万一壊してしまったら、二度と元に戻すことは叶いません。人間が、二度生き返らないのと同じ理屈です。僕は、共存こそを、選びたいですね」
 森村が、また電灯に合図する。暗かった部屋が、昼間のような輝きに満たされた。その彼の手には、いつの間にか、一枚のカードが握られている。よくよく見ると、信じられないほどに薄く作られた、銀板だった。
 現れた絵は……。
「隠者(ハーミット)の正位置」
「その、意味は?」
 凪砂が尋ねる。マジシャンの代わりに、エマが答えた。
「隠された事柄。思慮深さ。そして……探求」
「求めよ。されば与えられん」
 雪ノ下が、茶化すように肩を竦める。ふ、と、全員が、気が抜けたように笑った。

「決まりね。さぁ、私たちはどう動くのかしら?」
 シュラインが、ざっと皆を見つめる。凪砂が、まず答えた。
「とりあえず、ネットで調べてみます。知人に、骨董屋や美術商の人もいるので、そちらにも当たってみます」
「では、私は、古い書物などから、探してみましょう」
 セレスティが、エマに一つの提案をした。
「手伝っていただきたいことがあるのです。協力していただけませんか?」
「私に?」
「ええ。翻訳家としての、エマさんに」
 そう言われると、シュラインとしては断りようがない。やはり、人を使うツボを良く心得ているものねと苦笑して、エマは素直に頷いた。
 必要とされることは嬉しかったし、もともと彼女は世話焼きな性質なので、お願いしますと誠実に頭を下げられれば、嫌と言えるはずもなかった。
「やっぱり、人を乗せるのが上手いわ。セレスティ」

「雪ノ下さん。あなたは?」
「俺は、そっちの魔術師さんに、くっ付いていこうかな。面白いものを見せてくれそうだし」
 雪ノ下が、森村を振り返る。つかみ所のない、不思議な雰囲気を醸し出す青年は、やんわりと、僕はただの手品師ですよと、正風の言葉を訂正した。
「種も仕掛けもないマジック、だろ? それを一般に魔術というのさ」
「雪ノ下さんは、どちらがお好みですか? 種と仕掛けのあるものと、種と仕掛けのないものと。お好きな方を選んでいただいて、結構ですよ」
「俺は平和主義だから。安全かつ平穏かつ無害なものを所望する」
「わかりました。では、そのように、取り計らいましょう」
 雪ノ下が、何かを考え込むかのように、顎に手を添えて、うーんと唸った。
「なぁ……。あんたは、やっぱり、うちのお袋と同じ……魔法使いなのか?」
 森村は、相変わらず、愛想の良い微笑を浮かべているばかりだった。肯定もしないが、否定もしない。触れただけで手が切れそうな鋭い銀のカードの束から、一枚を抜いて、雪ノ下に差し出した。
「へ、下手なナイフよりも切れ味良さそうだな」
 おっかなびっくり、雪ノ下がそれを受け取る。森村のように、器用に弄ぶなどという芸当は、出来そうにもない。カードは、言ってみれば、四方全てがカミソリ刃だった。薄すぎる面を摘まんでいる指先に、異様に力が入って、嫌でも緊張してしまう。
「雪ノ下さんが、手を切らずにカードをシャッフルできるようになったら、その問いに、お答えしますよ」
「……初めから、教える気はないってことかよ」
「ご名答」
「嫌な奴だな!」
「マジシャンですから」
「関係あるのかよ」
 森村が、一瞬、掌で雪ノ下の視界を遮った。あっと思った瞬間には、正風の手の中から、銀のカードは消えていた。辺りを見回したが、どこにもない。森村が、草間のデスクの引き出しを開けると、なんと、そこから発見された。
「種も仕掛けもある奇術を、いかにも魔法のごとく見せかけて、人を騙す……。それが、僕たちの職業です。マジシャンなんてね、嘘つきの代名詞のようなものなのですよ。つまりは、全員、間違いなく嫌な奴だということです」





【古の謎を追って】

 シュライン・エマが、セレスティ・カーニンガムに案内され、訪れたのは、日本アイルランド大使館の奥の一角、普段は立ち入り禁止とされている、館内図にもその存在を記されていない、ごく閉じられた空間だった。
「ここには、古代から中世にかけての日本に関する、様々な書物が保管されています。これら書物の編纂者は、皆、何らかの事情を持って、古代中世期の日本に渡った外国人ばかりです。そう……ここにある本たちは、つまりは、異国人が書いた『日本国史書』なのです。これらの翻訳を、エマさんにお願いしたいのです」
 どことなく土臭い、圧倒的な量と存在感を誇示する本の群れを目の前にして、シュラインは、我知らず、感嘆かあるいは畏怖の溜息を吐いていた。
「……凄いわ。誰に知られることもなく、こんな本が眠っていたなんて。この貴重な資料の数々……誰にも研究されていないなんて、ほとんど奇跡よ」
「ここにある本は、その存在を、日本国政府に知らせるわけにはいかなかったものばかりです。何故だかわかりますか?」
「異国人が書いた、日本国史書……だからかしら? 日本にとって、この上もなく都合の悪い事柄でも、書き手が外国人なら、遠慮はしないし、隠しもしない。彼らは、見たまま、聞いたままを、ありのままに残すわ。だからこそ……その内容は、日本にとって好ましいものばかりではなかった」
「さすがです。私から付け加えることは、何もありませんね」
 歴史は、しいて言うならば、月の満ち欠けのように絶えず変化するものだ、と、セレスティは思っている。「事実」は、なるほど一つしかないだろう。だが、百の人間がいれば、百の人間の立場による「真実」が、そこには必ず生じるのだ。
 ある者にとっては「正義の戦い」が、ある者にとってはただの「略奪行為」にもなり得る。十字軍の遠征などが、良い例だろう。欧州にとっては、それは神に捧げるべき聖戦だった。だが、中東の人々にとっては、彼らは破壊者以外の何者でもなかったのだ。
「夜光牙に出会ったとき、私は、昔読んだある一文が、頭の中に浮かんでいました……」
 セレスティが、脳の片隅に辛うじて引っかかって残っていた儚い記憶を、懸命に呼び覚ます。少したどたどしく、彼は呟いた。


「その身は常に雨露に濡れ、邪なる全てのものを、氷の腕にて縛る。荒ぶる御魂を諌めしその剣、天叢雲(あめのむらくも)、大蛇(オロチ)の胎より再生を果たし、蛍火の力を得て、以後、神刀草那藝(くさなぎ)の銘を賜り、もって、倭の国、これを守り刀と定めるものなり……」

 
「ちょっと待って」
 エマが、セレスティの言葉を遮った。いつも冷静で、滅多に変化を見せないはずの彼女の顔色が、やや蒼くなっていることに、銀の麗人は、まだ気付いていなかった。
「天叢雲……神刀草那藝……それに、大蛇。八俣之大蛇(ヤマタノオロチ)。それは神話よ! 史実ではないわ。日本の古い書物に残されている、ただの伝説よ! 本当のことじゃない……」
 エマほどには、セレスティは、日本の古事に詳しくはなかった。そして、この場合、知らなかったことが、客観的に物事を見る目を、かえって彼に与えてくれているようだった。
「本当のことではない、と、言い切れますか? エマさん。どれが本物で、どれが本物でないか、その当時に生きていなかった私たちに、決めることが出来ますか? 現に、夜光牙は、私たちの目の前に存在しているのです。抜けば蛍火を発し、その身は常に冷気を帯びる……妖剣が。私は、ただ、知りたいだけです。夜光牙が、何所から来たのか。夜光牙が、何から生まれたのか。エマさんは、その全てを、知りたいとは思いませんか?」
 いつになく饒舌に語るセレスティを見ながら、エマは、子供みたい、と、何だか可笑しくなった。宝物を見つけた、まるで年端も行かぬ少年のような顔つきになっている。
 いや、セレスティに限らず、男は、多かれ少なかれ、そういう夢物語を愛する自由な気質を、潜在的に持っているものなのだ。
 伝説に憧れる。神話に夢を見る。有り得ないとわかってはいても、そういう話を聞くと、つい、意識がそちらへ向かってしまう。
 あの草間でさえも、そうなのだ。怪奇は嫌いだ、俺は現実に生きる、と豪語しながらも、何時まで経っても全く縁が切れないのは……彼が、心の何処かで、そういう非現実を追い求めてしまっているからだろう。
「私は、ここにある本を、読むことは出来ません。ここにある蔵書は、その一つ一つに、凄まじいばかりの念が込められていて……私には、強すぎるのです。私の目は、映像ではなく、感覚を捉えるためのものですから。エマさんが訳したものを、私に教えてください。私に見せてください。予感があるのです。夜光牙の伝説は、きっと、この中に、埋もれています。それを、見つけ出してください」
「この、物凄い量の蔵書の中から? おまけに、使われている言語は、外国語というよりは、まるっきりの古語ばかり」
「出来ませんか?」
「出来なかったら……適当なことを言って、ここから逃げ出しているわよ」
 シュラインは、手近な棚から、一冊の本を取り上げた。
「覚えておいてよ。私の翻訳料は、とびきり高いわよ」





【伝説】

 薄暗い、洞穴。
 周りを見回すと、神話伝説の時代にはおよそありえない、精巧な製鉄のための機材が、揃っている。現代では見られない、神話伝説の時代ならではの呪術具も、揃っている。
 ここは……鍛冶師の仕事場。術師の聖域。
 奥の方に、男がこちらに背中を向けて座っている。一心不乱に、何かを磨いているようだ。
 エマは、恐る恐る、彼に近づいて行った。
「あの……」
 と、声をかける前に、男が叫んだ。
「完成した!」
 振り返る。粗末極まりない服装だったが、鍛冶師はまだ若かった。剣を造る製作者であり、それに魂を吹き込む呪術師であり、そして、同時に、優秀な剣士でもあるようだった。剥き出しの腕にも胸にも、無数の名誉の負傷の痕がある。
「黄真(オウマ)」
 勝手にシュラインの口が動き、彼の名を呼んだ。
「完成した! オロチを倒すための剣……オロチを封じるための刃が!」
 彼が誇らしげに差し出したのは、紛れもなく、夜光牙。
 ただし、蛍火を発してはいない。恐ろしいほど肌理の細かな刀身は、透明な露を帯びて闇の中で冷たく霊気を放っているが、「夜に光る」というその尊称に相応しいほどには、輝きを秘めていなかった。
「これが……?」
「すぐに、建(タケル)様に献上しよう。明日、明後日にでも、オロチ征伐に出るつもりだと仰っていた。この剣無くして、オロチには勝てぬ。建様を、無為に死なせるわけには……」
「待て。黄真」
 また、勝手にシュラインの口がしゃべった。どうやら、誰かの体の中にでも入り込んでいるようだ。シュラインは、しばらく傍観者に徹することにした。状況がわかるまでは、黙って話を聞いている方がいい。
「倭建命(ヤマトタケルノミコト)に、その剣を献上する気なのか? それは、おまえが造った、おまえの剣だ。何故、あのような放蕩者に渡すのだ。オロチ征伐には、おまえも行くのだろう? それは、守り刀だ。手放したら、おまえは間違いなくオロチに殺されるぞ!」
「かまわぬ。俺は鍛冶師だ。戦士ではない。せっかくの刃も、俺では、建様ほどには使いこなせぬ。ならば、一番強い者が持っているべきだ。建様ならば、この太刀の力を最大限に引き出してくれよう」
「信じられぬ。自ら打った剣を引き渡すだけではなく、のこのこ遠征にくっ付いて、わざわざ殺されに行くなどと。今からでも遅くはない。やめておけ。オロチ退治など、命の価値を知らぬ阿呆者に任せておけばよい」
「そういかぬのだ。俺は、太刀の完成を、見届けなければならない故な」
「どういう意味だ……?」
「太刀は、まだ、完全ではない。半分の状態なのだ。鍛冶師として、俺は、中途半端に仕事を放り出すわけにはいかぬ。太刀は、オロチを殺し、その荒御魂(あらみたま)を封じて初めて、完成する。これは、オロチをただ倒すための剣などではない。オロチの力を取り込んで、初めて、剣として大成するものなのだ」
「何だと……」
「オロチは、不死の怪物。荒ぶる邪神。その力を封じることが出来たら……その力を取り込むことが出来たら……」
 鍛冶師は、笑った。狂っているのかもしれない。シュラインは、そう思った。

 刀のために、命すら、捨てる。命すら、弄ぶ。

 だけど、だからこそ、魔性のものを、創り出すことが出来たのかもしれない。人間が起こす奇跡は、いつも、ほんの一握りの激情から生まれる。
「友よ。この剣に、お主の名を与えたい。建さまは、天叢雲と名付けるつもりだと、仰っていたが……それは、真の銘ではない。俺は、この刀を、お主の姿を思い浮かべながら、打った。天月読命(アメノツクヨミノミコト)……倭の和御魂(にぎみたま)の神よ。その真の名を、この太刀に、与えたい」
 シュラインの中に、迷うような、哀れむような、不思議な感情が流れ込んできた。
 長い長い沈黙の後、やがて、和御魂の神が、頷いた。
「俺の、真の名は……」
「真の名は?」
「一度しか、言わぬ。忘れるな」
「忘れぬ。決して……。この俺が、死んだ後も」
「名は……」
「名は?」



「夜光」





【和御魂(にぎみたま)の神へ】

 「夜光牙」は、またの名を「天叢雲(あめのむらくも)」と言った。
 邪神「八俣之大蛇(ヤマタノオロチ)」を封じし名剣。その胎より再生を果たし、以後、「草那藝(くさなぎ)の剣」として倭(やまと)の国三大神器の一つになった逸話は、あまりにも有名だ。
 荒御魂(あらみたま)は、倭の邪神。
 和御魂(にぎみたま)は、倭の善神。
 夜光牙は、八俣之大蛇(ヤマタノオロチ)の荒御魂を封じ、天月読命(アメノツクヨミノミコト)の和御魂を宿す剣。
 正真正銘の、神剣。
 そして、それを壊したときの代償は、邪神の復活。善神の消滅。



 夜光牙を草間に押し付けて去った男を探し出すのは、簡単だった。
 自らの気配を、痕跡を、綺麗さっぱり消してしまう気が、彼には初めから無かったのかもしれない。
 シュライン・エマ、セレスティ・カーニンガム、雨柳凪砂、森村俊介、雪ノ下正風の五人に囲まれても、怯える風もなく、男はあくまで淡々とした表情を崩さない。何の感慨も浮かばぬ顔つきで、無機質に来訪者たちを見返した。
 むしろ、彼に対峙した五名の方が、心を掻き乱されずにはいられなかった。
「夜光……。倭の国の善き神。天月読命(アメノツクヨミノミコト)」
 神話の世界に生きていた神は、古と寸分違わぬ姿で、そこにいた。
 服装も、髪型も、目まぐるしく変わる現代に少しずつ影響を受け続けて、なんら違和感が無い。ひっそりと、この雑然とした世界に溶け込んでいた。過去の残像を知った彼らでなければ、目の前に神代の存在がいるなどとは、夢にも思わなかったに違いない。
「なぜ、刀を砕いてくれ、なんて。あの刀は、あなたの分身……あなた自身と同質のものではないですか」
「神代の俺の兄弟たちは、みな、滅んだ。新たな時代を、新たな神や、新たな人に託して。だが、俺だけが、夜光牙に同化した俺だけが、こうして無様に生きながらえている。俺は人ではない。死に方が、消え方が、わからぬのだ。どうすればいいのか。あの刀を砕けば、この身を縛る鎖も切れて……何かが変わるのではないかと、思わずにはいられなかった」
「だから、武彦さんに」
「あの場には、奇妙な力が常に強く留まっている。中には、極めて俺に近い質の力も、感じられた。夜光牙を砕くことも、可能ではないかと、そう思ったのだ……」


「あなたは、死にたいの?」
 凪砂が、尋ねる。神は曖昧に笑った。
「かもしれぬ」
「あなたは、消えたいの?」
 同じ質問を、繰り返す。神の答えに、迷いが生じた。
「おそらくは」
「嘘つき」
 臆する様子もなく、凪砂が、神に言い渡す。不遜と言われようが、かまうものか。そう思った。
 卑小なる存在の自分ですら、内に宿す「影」の大きさに恐怖に近いものを覚えながら、それを懸命に受け入れて、自らを形作る一つとして共存の道を選び取ろうとしているのに、数千年も生き抜いてきた「神様」が、何たる体たらくだと、怒りにも似た感情が、ふつふつと湧いてくる。
 全ての倭の神が滅んだのに、彼だけが残った。
 それは、紛れもなく、奇跡。
 人が謳歌するこの世界で、彼だけが、未だ消えない。
 それは、紛れもなく、運命。
「生きてください。消えないでください。あたしには、あなたの気持ちが、少し、わかるような気がします。あたしは人でした。でも、今は、人ではありません。あたしは一度死にました。でも、ある力によって、今、生かされています」
 神でありながら、人の打った剣に同化し、生かされている「夜光」。
 かつては確かに神と呼ばれる存在であったはずなのに、今は、人でもなく神でもなく、中途半端に、怠惰に年輪を重ねるだけの、「何か」。
「でも、あたしは、あたしを生かしてくれているこの力に出会えたこと、後悔はしていません。あたしとフェンリルは、今、一生懸命、探しています。共存できる方法を。どちらかが、どちらかを、食らったり拒んだりするのではなく……一緒に歩いて行ける道を。あなたも、諦めないでください。この世界で、この世界の人間たちと共存できる方法を、探してみてください。それは、決して、難しいことではないはずです」


「あなたは、生きているのが、辛いわけではありません。あなたは……ただ、寂しいだけです。自分が、置いて行かれてしまったことが、悔しいだけです。……違いますか?」
 水霊の青年の言葉に、びくりと神が反応する。一瞬見せた、その人間くさい表情が、かえってセレスティを安堵させた。
「あなたは、自分が人ではないからと思い込むことによって、自分から壁を作ってしまっていたのです。それでは誰にも馴染めません。取り残されるばかりです」
「人の身が、この俺に意見するか……いや」
 夜光は、すっと目を細めた。
「おまえ、人ではないな……」
 セレスティは、優雅に微笑む。彼のその表情が、誰もを魅了するほどにいつも清冽に見えるのは、自らに対する自信が自ずと滲み出ているからだろう。卑屈な考え方しか出来ない他人に、惹かれる人間など、いやしない。
「ええ。私も人ではありません。そして、一族の中においても、異端と呼ばれる存在でした」
 寂しくなかったかと聞かれれば、答えは、きっと、否だろう。どう頑張っても消えない疎外感は、確かに、セレスティの内にもある。
「ですが、私は、この世界が好きです。この世界に馴染みつつある自分を、愛おしくさえ、感じます。人であるか、人でないか、それは、さほど問題ではないはずです。自分次第です。全ては。自分から動かなければ、何も変わらない」


「まったく。友人知人が欲しいなら、はじめから素直にそう言えばいいだろう。どうして考え方がそう極端なんだ。ここに馴染めないから、消える、だって? はじめから馴染んでしまっている人間なんて、いないぞ? みんな、生きていく途中過程で、自力で色々なものを探して手に入れているんだ。友達の作り方なんて、いまどきの小学生だって知っているぞ」
 ああ、でも。雪ノ下正風は、奇妙に納得して、一人うなずく。
 目の前にいるのは、神様だ。人間どころか、もしかすると、生き物ですらないのかもしれない。あらゆる意味で、異端だった。部外者だった。だからこそ、誰にも教えてもらえなかったのだろう。気付くことすら、なかったのだ。
 輪の中に入りたかったら、自分から、声をかけていくしかないのだということに。
「とりあえず、オカルト研究会にでも、引っ張って行くか。あそこの連中は、変なのばかりだから、いまさら神様の一人や二人、メンバーに増えても、驚きもしなさそうだし」
 恐れ多くも、倭の国の古代神を、大学のマニア研究会に引っ張り込むつもりらしい。雪ノ下正風。うちに下宿させてもいいかなとまで、言い始めた。座敷童の代わりでも務めさせる気なのか。
 確かに、天月読命は、和御魂の神。守護と繁栄を司る吉祥の象徴だ。家に居ついてくれれば、こんな有難いことはない。
「うーん。これぞまさしく正攻法でのゲットかも。刀も、その化身も、まとめて面倒見てやるぞ」


「……とりあえず、雪ノ下さんの所にお邪魔するのは、遠慮しておいたが良いでしょう」
 やんわりと、森村が釘を刺す。思わず睨んだ正風の視線には気付かぬふりを決め込んで、魔術師は微笑した。
「時間を持て余しているのなら、それこそ、草間さんの所にでも、頻繁に顔を出せば良いのですよ。色々な事件が、数え切れないくらい、あそこには集まってきます。その一つ一つに、人間の思いが詰まっています。良いものも。悪いものも。それらを見るだけでも、この世界のことが、少しわかるはずです。貴方が貴方自身を壊すのは、その後からでも、遅くはないはずです。取り残された、とは、思わないで下さい。貴方は、他の倭の神には与えられなかった、選択肢を得たのです。そう考えるだけでも、この世界が、違って見えてくるのではありませんか?」
「選択肢……」
「占いは、僕の本業ではないし、そちらに本業の方がいらっしゃるので、少々控えさせていただきたいのが、本音ですが……。たまには、良いかもしれませんね」
 夜光の前で、森村が、ぱっと手首を翻す。開いた掌の上に、一瞬後、例の危険な刃のカードが立った。絵柄が、徐々に浮かび上がる。
「ああ、思った通り。良いカードが出ましたね」
 森村が笑う。こんな人懐っこい顔もあったのかと、正風は密かに横で驚いた。
「太陽(ザ・サン)の正位置」
「その意味は?」
「その意味は」
 森村が、ふっと手を離した。カードが、消えた。
「秘密です。ご自分で、探してみてください。これも、退屈しのぎの一つですよ」





【答えは】

 数日後、夜光牙は、草間事務所からひっそりと消えていた。
 雪ノ下は、手に入れ損ねた!と叫んだが、シュラインは、これで良かったと思っている。
「今にして思うと、勿体無いことをした」
 本気で悔しがっている草間に、苦笑する。高値でどこぞの古美術商にでも売り飛ばす気でいたらしい。
 だから義侠心が狭いとか言われるのよ、と、シュラインが睨んでやると、草間はわかっているよと肩を竦めた。
 恐らくは、口だけだろう。
 草間は、たとえ夜光牙が傍らにあったとしても、絶対に、それを心無い者に引き渡したりはしない。
 そういう人間なのだ。だから儲からないし、損ばかり見る。そして、そんな草間だからこそ、得にもならないと知りながら、いつも、たくさんの物好きたちが、集まってくるのだ。
「夜光……。今頃、どうしているのかしらね」
 死に方が、消え方が、わからないと言っていた、迷い子。
 答えは、見つかっただろうか?
 


 不意に、誰かが扉を叩いた。



 お客だろうかと、シュラインが呼びかける。何故か、返事はなかった。
 予感が働いて、慌てて玄関に駆けつけた。蝶番ごと壊れそうな勢いでドアを開けると、そこには、最後の倭の神が立っていた。

「見つけたの?」
「わからない」
 返答は、相変わらず、朴訥だった。
「時間は腐るほどもあるのだから、探せばいいわ。飽きるまで」
「そうすることにした。……あの者たちにも、伝えておいてくれ」
 ほんの少し、変化の「兆し」のようなものが、見えた。
「直接、言えばいいのに」
「説教は、懲り懲りだ」
 憮然とした顔が、おかしくてたまらない。
「あんたは、その辺の人間よりも、遥かに人間らしいわよ」
 シュラインは豪快に笑った。
 夜光の表情が、ふと、柔らかさを増したような気がした。
 


「悪くはない。この世界。この国。この都。捨てたものではないと……そう、思える」

 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【86 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【391 / 雪ノ下・正風 / 男性 / 22 / オカルト作家】
【1847 / 雨柳・凪砂 / 女性 / 24 / 好事家】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2104 / 森村・俊介 / 男性 / 23 / マジシャン】

並び順は、整理番号によります。
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■         ライター通信          ■
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今回の参加者さまたちは、非常に冷静かつ理知的でした。
問答無用で刀を壊す、という方は、一人もいらっしゃらなかったです。
したがって、主に太刀の伝説を紐解いてゆく、探索話、和御魂(にぎみたま)編への移行となりました。
実は、もう一つ、このお話には、別ストーリーとして荒御魂(あらみたま)編があります。
こちらはバトル。ヤマタノオロチとのバトルです。
いつか募集をする……かもしれません。ノリはRPGラスボス戦で。しかし、予定は未定……。(あれ?)

シュライン・エマ様。
初参加ありがとうございます。
エマ様はとても書きやすいキャラのお一人でした。
草間氏とのからみが妙に楽しく……違う話になりそうな勢いでした。(笑)
また、どこかでお会いできれば嬉しく思います。