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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


ホ短調『葬送行進曲』
〜Lieder ohne Worte - Op.62-3

「良い? 三下君、あんたはあくまでも取材≠ノ行くのであって、遊びに行くんじゃないのよ? 飛行機代だって経費で落としてあげるんだから。わかってるわね?」
 碇の視線は、欠片ほどの慈悲も持ち合わせていなかった。眼鏡の奥から冷たく微笑まれ、三下は引きつった笑顔でわかっています、と震えながらに返す他やりようを知らなかった。
 ……それにしても、
 又某枢機卿サマのオデマシ、ねぇ。
 ぴしっ、と背筋を真っ直ぐに立つ三下を横目で見やりながら、碇はこっそり、うんざりとした溜息を吐く。
 全く、もう。
「あぁ、それから、ユリウスへのお土産には氷砂糖でも持っていけばそれで良いから」
「……へ、編集長、なんだか投げやりじゃありません?」
「放っといて。もうそうでもしないと私だってやっていけないわよ……!」
 思い返せば思い返すほど腹が立ってくる。
 先ほど、アトラス編集部に一本の電話があった。
 挨拶も忘れた電話の向こうの声曰く、もうすぐ北海道でも花火大会なんですよ♪ こんな日は、取材日和ですよ麗香さん♪――だ、そうである。
 声の主は勿論、碇の知ったものであった。
 ――ユリウス・アレッサンドロ枢機卿猊下。
 教皇庁の要人にして、しかし、アトラス編集部にとってはただのトラブルメイカー。碇にとっても、できるだけ相手にしたくない人物のうちの一人でもあった。
 が、しかし。
 今回ばかりは、ねぇ。
「最近ネタもないのよ……あったとしても東京近辺だけ。これじゃあさすがにつまらないから、たまには遠出した現地取材を掲載しないと、」
 確かにユリウスの言う事には、一理あったりするのだ。
 夏の花火大会は、取材の狙い目でもある。元々、大勢の賑わいにつられてやってくる霊は多い。その上しかも、ユリウスの言う花火大会は、川岸で行われるのではなかっただろうか。
 霊は、水に縁が深い。
 更に、その花火大会の会場には、確か今、とある噂があるはずだった。
 幽霊の葬送行進が出る、と。
 なかなかに、場所にしては風変わりな噂だ。
 ……何かユリウスに利用されてるよーなのは……気に食わないけど。
「良い? くれぐれもユリウスには『編集長が宜しく申しておりました』っていかにも私が怒っていたっていうように嫌味に伝えておくのよ」
「へんしゅうちょぉぉぉぅ……」
 三下の涙声を聞きながら、碇はデスクに頬杖をつき、まだ明るい窓越しの空を見やった。
 ま、どーせユリウスなんて、一緒に遊ぶ人欲しさにわざわざこっちに電話をよこしたんだろうけど。
 それでもまぁ、ユリウスが一緒なら、三下君も安心だろうしね――。


I

「ゆ、ユリウスさぁああああああんっ! そんな嫌がらずにっ! 取材っ! 手伝ってくださいよぉっ!」
 三下が、碇編集長から札幌に送り込まれたその翌日、まだ少しばかり世界に夕暮れ色の残されている薄宵色の空に、早速三下の絶叫が響き渡っていた。
「でもですね、今私、そういう気分じゃないんですよ。こうして浴衣を着てですね、ゆっくりしていますと、何もかも面倒になってくると申しますか……」
 花火大会を目前とした川辺には、沢山の人が集まり始めている。そんな人ごみの中を、三下の泣き言に引っ張られるままに、八人全員が人気のない方へと下っていた。葬送が出るんならこっちですよ! と泣きつかれては、どうしようもなかったのだ。
 その中でも、麗花に次ぎ、そんな枢機卿の言動に溜息をつかざるを得なくなった青年が一人いた。 
 ――日下部 更夜(くさかべ こうや)。
 三下の護衛と、葬送調査とを建前に札幌までやって来ていた、由緒ある骨董品店の店長でもある青年は、出会ったばかりの枢機卿のそんな言葉に、期待はずれの感を抱いてしまっていた。そもそも自分がここまでやって来た理由には、幽霊の葬送というものに対して興味があったから、という理由もあったものの、教皇庁の要人に会えるから、という理由もそこそこに大きかったのだ。
 漆黒の髪に、ミスマッチな金色の瞳で、周囲をざっと見回す。
「人の事を呼びつけておいて、良く言うよな、あの枢機卿も……」
「更夜さん、ユリウスさんにそれを言っても無駄ですよ」
 くすり、と小さく微笑みながら更夜に言葉を投げかけたのは、秘書の手によって用意されていた青色の浴衣に身を包んだ青年、セレスティ・カーニンガムであった。流れるような銀髪は、今日は黒いリボンでするりと一つに纏められ、しかしその手には、いつもと同じ銀細工の杖が握られている。
「セレス、結構酷い事言ってるね〜」
 その横で暢気に微笑んだのは、小さな銀髪の少女であった。セレスの彩を忘れた、それでも深く蒼い海色の瞳を、己の髪と同じ銀色の瞳で見つめ返す少女。
 海原(うなばら) みあお。
 海原家の三女にして、一番の元気っ子でもある彼女は、昨日姉達とお土産を買ってくる約束を結び、旅行鞄の中に大量のお菓子を詰め込んでからここまでやって来ていた。ちなみに、三下と一緒になった飛行機の中では、わざわざ不幸な三下の隣に座り、その幸運を呼ぶ能力で、三下の不幸を押さえつけていたのだが。
 おかげで、飛行機も堕ちなかったし。
 めでたしめでたし、と回想するみあおは、今日はセレスと同じく、青い色の浴衣を麗花の手によって着せ付けられていた。心地悪そうに歩きながらも、それでもいつものように、足の弱いセレスに気を使う事を決して忘れてはいなかった。
「あーああああっ!!」
 はぁ、面倒は嫌ですねぇ、と繰り返すユリウスの愚痴を、不意に三下の叫び声が遮った。思わず一瞬全員が立ち止まり、見てくださいよっ! と三下によって示された方向へと視線を投げかける。
 ――そこには、
「ああぁぅ……面倒ですねぇ……」
 何人もの幽霊達の並ぶ姿があった。これで編集長に怒られなくてすむ! と浮かれ気味の三下とは対照的に、ユリウスの方は心の底から大きく溜息をついてしまっていた。
 呼んでもいませんのに。
「私、最近暑くてもうバテてるんですよ……夜は静かにしてたいんです」
 川沿いの奥、人気のない場所から、不意に漂い始めた霊≠フ気配に、
「それがお前の運命だ、ユリウス。気が向いてない時に限って霊が出てくる」
 ユリウスの横からその肩を叩いたのは、ダージエルであった。異界の神にして、強大な力を持つはずの金髪碧眼の青年は、
「しっかし……似非枢機卿が浴衣姿で花火見物か。絵にならん」
 今日は、ユリウスと麗花をからかう事しか頭にないようであった。
「そんな事言わないで下さいよ……それじゃあまるで、私が厄介ごとを背負うのは当然、みたいな風に聞えるじゃないですかっ!」
「仕方あるまい。麗花の方も元々そういう体質なんだしな」
 二人の会話の中で話題にされている麗花の隣には、今日は、長い黒髪を白のリボンで一つに纏めた、しっかりとした印象を受けさせる青年の姿があった。
 ユリウスの自称生徒にして、直接口には出さなくとも、霊媒体質でもある麗花の護衛にまわっている、田中 裕介(たなか ゆうすけ)――ちなみに裕介の方は、ユリウスの手によって灰色の浴衣に着替えさせられていた。
「でもまぁ、今日は裕介さんに任せておけば大丈夫でしょう。裕介さんは、なかなか筋の良い退魔師でしてね。義母さんの才能をきちんと受け継いでいらっしゃるわけですから、当然と言えば、当然なのかも知れませんが……」
(という事は、あなた様方は霊能者さんなのですか?)
 ――不意に。
 ユリウス達に向かって、穏かにかけられる言葉があった。やわらかな女性の言葉に、全員が立ち止まる。
 気がつけばその目の前には、一人の老婆の幽霊が立っていた。どうやら、葬送行列から抜け出して来たらしい。
 ならば話は早いと、
「お婆さん、あの葬送行列って何でなの? 幽霊がそんなことする必要ないじゃん。しかも、毎日毎日出るって……」
 みあおは一歩足を踏み出し、率直に老婆の幽霊へと問うた。
「……葬送行列?」
 耳慣れない単語に、思わずユリウスが眉を顰める。が、
「まぁ、北海道ではそうはなってないみたいだけど」
 美味い物めぐりのついでにしてきたみあおの事前調査による所、どうやら東京の方で葬列として噂されているこの集団は、北海道では葬列ではなく、もっと別のものとして噂されているらしかった。
 ――いつの時代でも、噂は場所によって変わってくるものですからね。
「ただの幽霊の集まり、という事になっているそうですね」
 事前調査を念入りに行っていていたセレスの解説に、
(まぁ……確かにそういうことになるねぇ。悪いのは私さ……私達がいつまでも成仏できないから、それを可哀想に思ったのか他の霊達もここにいついちゃってねぇ)
「どういう事なんです?」
 ユリウスが問うた途端、ぽつり、ぽつりと周囲に霊達が現れ始めた。しかし、その霊達に攻撃の気配は一切ない。むしろその老婆の霊を見守るかのようにして、優しい佇まいを見せていた。
(私には孫がいてね。その子が成仏したがらないもんだから、私はずっとここで待ってるんだよ。あの子が成仏したい、って言い出すその日をね)
「はぁ、つまりはその子を成仏させたいと、そういう事、に、なりますよね?」
 背後から流れてくるアナウンスの声をしきりに気にしながら、ユリウスは短く解釈を加えた。どうやら花火の方は、もうそろそろ空へと光を散らし始めるらしい――遠くから聞えてくる、人々の賑わいに、
「様子からすると皆さん、天の方に上がりたいようですものね――でも私、子どもの説得って、苦手なんですよね……ちょっと面倒な事になってるんですねぇ……面倒は嫌ですよね、本当」
「先生……」
 子どものように愚痴を零す枢機卿の姿に、裕介深く溜息を吐かざるを得なかった。この人にしても義母にしても、
 確かに宗教家には変わり者が多いと言うが――。
 それにしても極端な例であるような気がする。こういう場合、性格の悪い司祭を除いた普通の司祭なれば、聖書の精神に則り、喜んでこの霊達を助けようとするのではないだろうか。
 それを、面倒だから嫌などと。
 口にこそ出されてはいなかったが、その気だるそうな表情が如実に内心を語っている。
 どうやらユリウスは、ここ最近の夏の暑さにすっかりとやられてしまっているようであった。
「猊下っ! この人達だって困ってるんですからっ! それを面倒だ何だって、枢機卿(カルディナーレ)たる者それで良いんですかっ?!」
「人間には休日も必要ですよ、麗花さん。今日は一日オフにしようと――、」
「猊下の場合いつでも休日でしょうにっ! ふざけるのもいい加減にして下さいっ!! そろそろ私も怒りますよっ?!」
「麗花、もう怒ってるじゃん……」
 みあおのつっこみを、しかし麗花はさらりと聞き流す。そのままの勢いで、ぐいと逃げ出そうとしていた上司の首根っこを引っつかむと、
「聞いていらっしゃるんですかっ?! 毎日毎日、同じ事ばかり言わせないで下さいっ! 朝は何度起こしても起きないわ、北海道に着てから一度も朝のお祈りなんてしてないし、一司祭としてそれで恥ずかしくないんですかっ?!」
「あ、朝のお祈りの話なんて今、し、してなかったじゃあないです――うぅっ?!」
「その他にも食前の祈りだってこの前サボられましたでしょうっ?! 私は見ていたんです! 見ていたんですからねっ! ステラプレイスでチョコレートケーキを食べていたあの日の事ですっ!」
「れ、麗花さ……苦し……っ、」
「田中さんも何か言ってやって下さいな! この人の弟子とか生徒とかになってもロクな目になんてあいませんでしょう? さぁ、日頃の鬱憤を遠慮なく!」
 相当頭にきているのか、ユリウスの首をぎゅうぎゅうに締め付ける麗花の姿に、流石の裕介も明らかな苦笑いを浮かべざるを得なかった。
「いえ、日頃の鬱憤、と言われましても……」
「麗花、最近カゲキだね、本当」
 困り果てる裕介の横で、のんびりとみあおが呟いた。新しい空気を求め、じたばたともがくユリウスの姿に、
 ――本当みあお、この人がエライ人だって未だに信じられないよ。
 ユリウスと言えば、姉が伯爵と呼ぶような人物であり、事実カトリックの聖職者の中ではかなり高位に立つような人物であるらしいのだが、そのような威厳が彼から感じられた事は、今までにただの一度もなかったりする。
「だ、ダージっ、さ……! てないっ、けて下さ――!」
 どうやらそれは、今日も変わらないらしい。麗花の制裁に苦しみ、残る息で必死に助けを懇願するその姿には、威厳は勿論高貴さの欠片すらない。
 不意に名指しで頼み込まれ、目の前からじっとユリウスの様子を伺っていたダージエルが腕を組んだ。
「ダージエルさん、見てないで助けてください? ってか?――そんな必要はないだろう」
 そうして一言代弁するなり、一蹴、ユリウスを見捨てる事にした。
 ――その方が面白いだろう。
「ダージエルとやら、今酷いことを考えていませんでしたか?」
「そうか、お前にはわかるのか。どうやら更夜、お前とは馬が合いそうだな……。それから、私のことは呼び捨てで構わない。敬語の必要もな」
 後ろから不意に飛んで来た更夜の言葉を否定する事もなく、ダージエルは意地の悪い笑顔と共に答えて見せた。
 枢機卿の魂が、今にも空へと散って行きそうになっているのを二人でのんびりと見つめながら、
「確かに、変わった人だとは思っていたが」
「そうだろう。あの似非枢機卿もヒステリーシスターも、あまり頻繁には見かけられないような性格をしていないからな」
 だから見ていて楽しいのだよ、と率直な理由ではあったが答えを返した。その先では飽きる事もなく、麗花に怒鳴りつけられ続けるユリウスの姿があった。
 そんな中、
 ふ、と、みあおがきょときょとと周囲を見回し始めた。
「あれ? セレスと三下は?」
 考えてみれば、先ほどからその二人の姿が見かけられない。列のおばあさん幽霊の姿も、いつの間にかみあお達の目の前からは消えていた。
 麗花の怒鳴り声を背後に、ぐるりと薄闇を一望、そうして暫く、
「あ、いた!」
 ご尤もな説教を受け、裕介に援護を頼んだユリウスの声音を最後に、みあおは少し遠くの方で身をかがめている、セレスと三下との方へと駆け出した。
「何やってるの? セレス」
「三下さんの取材のお手伝い、ですよ。それから、私で出来る事がありましたら――と思いまして」
 やわらかく微笑みを向けると、みあおさんもご一緒に、と、セレスは隣に少女を招き寄せる。その反対側の隣では、三下が決死の形相でメモ帳にペンを走らせていた。
 そうして、その前には、ひっそりと佇む、着物姿の老婆の姿。
 セレスに話を通すのが一番早いと考えたのか、いつの間にか場所を変えて彼と話していた老婆は、突然やってきた小さな少女にも軽く頭を下げた。
(どうもすみませんね……うちの孫が、ご迷惑をおかけしているようでして)
 穏かな物腰が、どこかセレスの雰囲気とそこはかとなく重なりを見せる。
 みあおは首を横に振ると、
「そんなことないよ、お婆さん。みあお、これでも楽しいし」
 陽だまりのような視線を見つめ返し、笑顔で元気良く手を上げた。
「でもお婆さん、みあおともお話できるだなんて、相当お孫さんのことが心配なんだね?」
 霊の持つ力によっては、様々な場合がある。その存在自体がわからぬ者、見えはしても話は出来ない者、声は聞こえても声を届かせる事は出来ない者――みあおの霊力を使わなくとも意思疎通が出来る幽霊は、彼女にとってはなかなかに物珍しい。
 相当困ってる証拠だよね。
 きっと本当は、助けてほしくてたまらないのだろう、と、
「みあおに出来るコトがあったらやるからね? だから、あんまり心配しないで、お婆さん」
(それはそれは……優しい子だねぇ、)
「ええ、みあおさんは本当にお優しい方ですよ。私にも、随分と気を使って下さります」
 時折三下のメモにアドバイスを加えるセレスの暖かな声音に、そんなことないよ、とみあおが照れた様に頭を掻く。
 セレスは思わず頬を緩めると、みあおの頭にそっと手を乗せた。
「みあおさんにと言い、お姉さんにと言い、本当に私は感謝していますよ」
 大きな、暖かい手。
 かつてみあおに、自分の意思とは裏腹に人のものならざる力を与えられたあの時のみあおに、救いの手を差し伸べてくれた、あの男の人の手にも似た――父の、手にも似た。
 同時に、
 お姉さんと、同じ匂いがする。
 この人に会う度、いつでも感じる水の香り。それは、姉のそれにも似た、甘やかな広がりを秘めた優しさでもあった。
「さて、」
 すっかり安堵するみあおの姿に愛しさを感じながらも、セレスは杖を拾い上げると、ふ、と立ち上がった。
「大体の事はお伺いできましたしね――みあおさんの仰る通り、きっと私達になら何かできると思います。皆さんもいらっしゃりましたしね、少し、色々と伺ってみると致しましょう」
 私だけでは、どうにかできる問題ではありませんが――と、見上げたその先には、ようやくこちらへと向ってくる五人の姿があった。


II

 セレス曰く、つまりはこういう事らしい。
「要するに、やはりお孫さんさえ天(うえ)に上がる事ができれば良いみたいですね」
 今はまだこの場に姿を現してはいないが、この葬列の――正確に言えば、ただの幽霊の集まりでしかないのだが――中心人物とも言える老婆の孫だけが、ここに来てからずっと天へと上がる事を拒んでいるのだと言う。今回の事件の発端は、ここに隠されていた。
 命日近くに戻って来ていた現世で、突然老婆の孫が交通事故で死亡。その少年は、年齢にしてまだ五つのやんちゃ盛りの子なのだそうだが、
((どうも、花火を見たいって、きかなくてねぇ))
 そこでこの川まで来たのは良かったのだが、まず第一に花火の季節までの時間があまりにも長すぎたのだ。結果、この場でその時期を待つ老婆とその孫との姿に何を感じたのか、他の幽霊達まで一緒になってこの場所に留まってしまったのだと言う。
 第二に、この夏初めての花火大会が行われた先日、突然その孫が天へと上がる事を拒み始めてしまった。理由は――、
「ぼ、僕だってキレイな浴衣なんて、早々着れるものじゃないのにっ!」
 嘆く三下の言葉を、しかし誰もが聞いていなかった。
「綺麗な浴衣、ですか」
 事情が事情だけに、と、セレスの説明を聞くなり呟いたのは、衣服にそれとなく深い関わりを持つ裕介であった。
「確かに、これだけ浴衣で来る人が多ければ……憧れもするでしょう。まして、五歳ともなりますと、」
 好奇心が旺盛な時期ですし。
((浴衣が着たいって、そう言い出したんですよ。けれどわたしゃあ、縫い物はできませんでしてね……))
 その孫の気持ちが、決してわからないわけではない。こうして光の花を見に来る人々の中には、多く色鮮やかな浴衣を身に纏った男女の姿も見受けられるのだから。
 麗花の、ユリウスの浴衣にしても然り。ユリウスによって無理やり浴衣を着せ付けられた裕介にしろ、気をきかせてくれた秘書から浴衣を受取っていたセレスにしろ、麗花の手により鮮やかな青を着せ付けられたみあおにしろ、夏の宵闇に普段とは違った風を漂わせていた。
「浴衣が着たい、ですか。なるほど、理由はそれでしたか……」
 一人こくこく頷くユリウスに、
「実はお前もそうだったんじゃないのか? ユリウス。異国情緒に触れてみたかったんだろう?」
 悪戯っぽく、ダージエルが指をおっ立てた。この枢機卿はこれでいて、自分の知りたい事の為には労力を惜しまない点がある。
 第一、こんな甘い物もないような所に、わざわざ浴衣に着替えて来るなどという面倒な事をするはずがないからな――ユリウスの場合、興味がなければ。
 ユリウスと言えば、割と頭の方の出来も悪くはないと――それどころか、教皇庁の知識人だという噂も聞くが、多分そこには彼のそういう正確≠ェ幸いしているのだろう。
 知りたい事は学ぶ、面倒な事は基本的に気に留めない。
「まぁ、否定はしませんけれどね。その物言いですと、まるで私が、」
「十分子どもだろう。甘いものは好きだわ、好奇心で何でもやるわの――」
「甘い物が好きなのは子どもだけじゃあありませんよ、ダージエルさん。麗花さんも好きですもの、ねぇ?」
「私に振らないで下さい」
 ダージエルが不機嫌要素の内の一つになっているのか、いつもよりも冷たく麗花がユリウスを突っぱねた。
「ん、また%{り出すつもりかね、シスター」
 からかうように付け加えられた言葉を、しかし麗花は寸前の所で無視してやった。ここで怒鳴り出せば、
 自分の敗北を認めるようなものだもの……!
 負けて堪りますか! と自分の中で気持ちを摩り替えると、
「田中さん、どうにかできませんか?」
 あれからずっと、一人で腕を組んだまま悩み続けている裕介へと質問を投げかける。
 確か裕介には、少しばかり風変わりな能力≠ェあるはずであった――どこからともなく取り出したトランクの中から、様々な衣装を取り出せる、と言った、手品にも似た能力が。
 あくまでもユリウスから聞いた話でしかないが。
「幽霊に着せるとなると……エクトプラズムの……そんなのあったか……?」
「貴重品だからな、エクトプラズムの布ともなると」
 骨董品については詳しい更夜がするりと口を挟む。エクトプラズムと言えば、幽霊にも触れられる物をつくる為の原料とも言える、貴重な代物であった。エクトプラズム自体が貴重なわけではないが、それを材料として精製するのに高い技術が必要とされている為、そう簡単に手に入るものではないのだ。
「俺の店にも、あまり数ある物ではないんでな」
「それはそうでしょう……エクトプラズムのメイド服ともなると、手に入れるのが大変でしたからね……」
「……メイド服?」
「あ、いえ、こっちの話です」
 随分と感慨深気な裕介の声に、一瞬更夜の眉が跳ね上がる。
 しかし裕介は、本当に何でもありませんから、とはたはたと手を振ると、すっとその場に身を屈めてしまった。
 そうして暫く、更夜の耳に、ぱちんっ、と、何かの弾かれる音が届けられる。
 弾かれたようにその異変に気がついた麗花が、慌てて裕介の傍に駆け寄って来た。
「本当に出てきてる……それが噂のトランクですか?」
「噂、って……麗花さん、どこでそんなお話を、って、聞くだけ無駄ですね」
 あまりにも答えの明白すぎる問いを止め、裕介は止め具を外したトランクの蓋をそっと開いてやる。
 そこには、底無しに並ぶ、様々な洋服が詰め込まれていた。
「洋服ばかりではないか」
 見下ろしながらぽつりと呟く更夜に、
「いえ、確か数点なら和服もあったような……あ、きっと更夜さんに似合う洋服もあると思いますが。たまには洋服の方もいかがです?」
「これが楽なんでな、断る」
「そうですか。それは少し残念です」
 裕介は更夜を一瞥すると、すぐに手元へと視線を戻す。身を屈めた麗花も驚くほどの数の服が、そこには沢山詰め込まれていた。
「あれば良いのですが……あ、でも、サイズですとかもわからないといけませんからね。やっぱり本人に出てきてもらわないと困るな……」
 除けられる服を、次々と麗花が受取ってゆく。二人がこうして、作業を進めるその内に、
「あ、あれじゃないっ?! お婆さんのお孫さんって!」
 不意に、周囲の霊と、少しばかりの霊力を用いて戯れていたみあおが、全員に告げるかのごとくに大声で川の方を指差していた。


III

(どこに行ってたんだい、今日は帰ってくるのが遅かったねぇ……)
(そっちの方にね、きれーな石があったから! ずーっと見てたの。もってかえれないから……おばーちゃんにも、見せてあげたかったのに……)
 みあおの指のその先に現れた少年の幽霊に、先ほどの老婆の霊がゆっくりと近づいてゆく。
 周囲の幽霊も各々の事を止め、二人の方へと視線を巡らせていた。
(そうかいそうかい。でもね、ルー君、そろそろルー君達は、帰らなくちゃならないだろう? だから――、)
(いやっ!)
 帰る
 その言葉の本当の意図を悟り、少年は今日も昨日と同じ拒絶の言葉を繰り返した。
 しかし、この場にいる八人は全員知っているのだ。この少年が天に昇らない限り、ここにいる幽霊達はずっとこの場所に留まる事になるであろう事を。
「どうだ、あったか?」
「大人用のはあったんですけれどね……さすがに子どもサイズのものともなりますと……」
「それでもあったのか……」
 唸る裕介に、更夜は心底感心してしまう。最初からエクトプラズム製の子ども用の浴衣が出てくるとは考えてもいなかったが、
 まさか、大人用の浴衣は出てくるとはな……。
 あまり流通のしない布で、浴衣を作られる事自体が珍しい。事実裕介のトランクの中にあるその浴衣を売れば、かなりの財産になるであろう事は請け合いであった。
「まぁ、つまらない話ではなさそうだな」
 そこまで考えると、更夜は一息の後にふ、と空を仰いだ。風に乗せられ、ようやく花火の始まりを告げるアナウンスが聞えてくる――。
(ごめんよ、おばあちゃん、縫い物ができたら良かったのにねぇ……)
 少し離れた所から流れ込んでくる会話に、更夜は一瞬だけ瞳を閉ざした。
 死してなお、孫を愛する老婆の図。
 ……自分の唯一の理解者であった、祖父の姿がふと、目の前に鮮やかに過ぎったような気がした。
 色鮮やかに、闇夜を払拭するかの如くに。唯一自分に向けられた、暖かなあの微笑が。
「――翠霞、」
(はい、お呼びでございましょうか。更夜様)
 この場では、自分のみの知る名前を呼ぶと、穏かな甘い女性の声音が意識の中へ直接返事を返してきた。更夜に憑く狐にして、時に良きパートナーでもある、良く知った女性の声音。
「確か一番奥の部屋だ。茶色のタンスの――上から三段目だったか。あっただろう、違ったか?」
(ええ、確かにありましたはずですわ。すぐに持って参ります)
「ああ、宜しく頼む」
 最後まで言われなくとも、主の意図を悟った女性≠フ気配が、風と共に遠ざかってゆく。
 その瞬間、
 遠くに、轟きの木霊する音が響き渡った。
「始まったっ!」
 叫び、みあおが振り返った時には既に、空へと花火が打ち上げられていた。都会のネオンとは対なる空に、次々と咲き乱れる光の花。
「おや、始まってしまいましたねぇ」
 うちわを片手に、のんびりとユリウスが背後を振り返る。
 その声音を、再び轟音が飲み込んでいった。
 遠くに、軌跡が音を響かせる。
「……すっごい……」
 トランクの中に服をしまう裕介の横で、屈んだまま麗花が空を見上げていた。
「私、こんなに近くで花火見るの、初めてなんです……」
 無防備な姿で素直に驚くと、
「そうですか――年に何度もあるわけではありませんからね。ゆっくりと見ておきましょう、麗花さん」
 再びトランクをどこへともなくしまいこんだ裕介が、すっくと立ち上がった。そのまま麗花の手を取り、同じくして立ち上がらせる。
 二人の影が、草叢に花火の光の影と化す。
 裕介も麗花も、そのまま黙ったまま、じっと天を仰ぎ見ていた。
「……おや、お珍しい」
 そんな二人の背を見つけ、おや、とユリウスが呟いた。
 その隣から、すかさずダージエルが疑問を投げかけてくる。
「麗花か?」
「ええ、普段はあんな風に簡単に男を近づけさせたりしないはずなんですけどねぇ、あの子は。まぁ、一部例外とかいるようですけれど……そういえばダージエルさんは、随分と麗花さんに嫌われているようですよね」
「ユリウス、お前も人の事を言えた義理か?――麗花も随分と、苦労しているようだがな」
「そうですか? 麗花さんは元々苦労性なんですよ、きっと」
「お前……やっぱり酷いヤツだな。わかってて言ってるだろう? ユリウス。お主もなかなか悪よのぅ」
「さぁ、何の話だかさっぱり……それにしてもやっぱり花火は綺麗ですね。本国の花火も綺麗なものですけれど……こういう時は、やっぱりチョコレートが一番ですよ」
 ダージエルさんも食べますか? と、袖から一粒のチョコレートを取り出し、嬉しそうに口に頬張る。その気配にか、気がつけば、
「あー、ユリウス! ずるいよ! みあおにも頂戴! チョコレート!」
 走り辛い浴衣姿で、それでも懸命に周囲を駆け回っていたみあおが手を差し出してきていた。
 ユリウスは、ダージエルにチョコレートを断られ、それをそのままみあおの手へとそっと渡す。それからすぐに、お礼一つと共にみあおはどこかへと駆け出して行ってしまった。
 どうやら、周囲の霊との会話が面白くて仕方ないらしい。
「へー! 他にどんな美味しいものがあるのっ?」
 チョコレートを口の中に放り込みながら、先ほどからずっと話していた、幽霊達の輪の中へと戻って行く。
(北海道と言えばラーメンって思われがちなようだけどね、実はソバの生産は日本一だったりするんだよ、みあおちゃん。勿論ソバだって美味しいさ。広い台地で、沢山の光を浴びて育っているからね)
(私のオススメはあれかな。やっぱりとうきびとかね。大通り公園のとうきびは美味しいのよ。焼きたてだし)
(俺はあれだ! やっぱり肉まんだよな! あそこのコンビニの!)
「それ北海道名物じゃないじゃん! そんなのどこにでも売ってるって」
 明るく笑い飛ばすと、男の幽霊が照れたように器用にも頭を掻いて見せた。
「他にはっ? あ、待って、その前に記念写真撮ろっ! ね? 三下〜! 三下ってば! 写真撮ってよ!」
「はわっ?! ぼ、僕ですかっ?!」
 巾着の中からインスタントカメラを引っ張り出すみあおに全く予期せぬ大声で呼ばれ、三下は花火の打ちあがる音の中、大声で返事を返した。驚きのあまりに知らず立ち上がっていたらしく、その際取り落としたペンが草叢の中に行方不明となる。
「ああっ!」
「三下ってば! 早くしてよ!」
「は、はぁいっ!」
 隣に座り、根気強くネタを練り直してくれていたセレスを置き去りに、三下は何度も転びそうになりながらみあおのカメラを受取りに行く。
 そんな不幸な嘆きを遠くに聞きながら、セレスは準備良く用意していた敷物の上から軽く身を乗り出し、先ほど三下が落としたペンを拾い上げる。随分と使い古しているのか、ペンに乗り移った三下の必死の想いが、僕はここにいるよ! と訴えかけてくるかのようで、
「三下さんも随分と苦労していらっしゃるようですからね」
 それほど出来が悪い感じの方ではないのですが――と、小さく微笑んでしまう。
 まぁしかし――今は不幸でも、将来はもしかしたら大きく成長する方かも知れませんね。
 何の根拠もないが、ふとそんな事が思われる。ペンをくるりくるりと指先で回しながら、セレスは見えるはずのない空を見上げた。
 聞えてくる、大きな音がある。
 しかし、それだけでも十分であった。
 遠くから、風に乗せられて聞えてくる人々の営みの証、賑わい、喜び、楽しさ――その全てが花となり、一瞬輝き夜へと静かに花弁を散らす。
 小さく聞えてくる水のせせらぎの音色に、心に直接、暖かく染み流れるもの。
(わたしも、花火大会は好きなんですよ)
 のんびりと風を、せせらぎを感じるセレスの耳に、
(ボクも好きなんだよ! えーっとね、きれーなところがっ! 音も大っきいし、えとねー、それからっ、)
 いつの間にか、先ほどの老婆のやわらかな声音と、帰ってきたばかりだという孫の元気な声とが聞えて来ていた。セレスは瞳を開けると、自然な動作で色を正す。
「私も、こういう事は嫌いではありません。――だからキミの気持ちも、良くわかるつもりです。花火には、鎮魂の意味が込められる事さえあったりするようですしね」
 孫の気配へと微笑みかけると、
「花火を見たり、お祖母様と一緒でしたり……」
 日常の中に、ひっそりと光を潜める幸せの欠片。
 灯台下暗しとは良く言ったものですよね。
 セレスにでさえ、ふとそういうものに気づかされる瞬間というものはあるのだ。大切な友人達に、大切な部下達。そうして少年のそれらに当たるのが、この祖母であり、霊達であり――。
 セレスには、取り立てて少年の我侭を責めようとする気は全くなかった。少年の願いによって、周囲の霊達が引きとめられているとしても、この霊達には邪気というものが全くない。
 暫くなれば、放っておいても問題はないだろう。
 せめて、浴衣を取り寄せるまで、くらいは――。
 天へと昇らせるのは、それからでも遅くはない。
「私がキミの為に、浴衣を探させて頂くと致しましょう。少し珍しいものになりますから、すぐに、とは参りませんかも知れませんが……」
 しかし、セレスの情報網なればそれも十分に可能な範疇であった。
 セレスが巾着の中から携帯電話を取り出し、東京の屋敷で留守番をしている部下へと、浴衣の発注を頼もうとした――その時、
「坊主、ちょっとこっちに来い」
 更夜の声が、セレスの指を止めた。
 少年は更夜の呼び声に、素直にそちらへと駆け出して行く。セレスも杖をつき、立ち上がると、老婆と共にゆっくりとその後を追って行った。
「そこに立ってろ」
 更夜に従い、少年が立ち止まる。その横にすっと、大きなシーツを手にした裕介が現れた。
 いつの間にか、六人と幽霊を含む全員が、少年の方を見つめていた。しん、と静まり返った空間を、やわらかな風がするりと吹き抜け消えて行く。
 裕介は、その風にリズムを合わせるかのようにして、ふさり、とシーツを大きく広げた。純白が、少年を包み込むかのようにして、重力に引き付けらていったのを確認すると、間もなくそれを、ぱっと取り去ってやる。
 ――たった一瞬の、出来事であった。
 それだけで、全員が思わず息を呑む。
(……ぇ?)
 少年の方も、身軽になった我が身に、その出来事を思わず疑ってしまっていた。
 しかし、
(良く似合うねぇ、ルー君)
 泣き出しそうな、祖母の声。
 それは、孫の晴れ姿に喜びを隠し切れない、孫の鮮やかな緑色の浴衣姿に嬉しさを隠し切れない、祖母の暖かな心そのものであった。
 少年が瞳を輝かせ、裕介と更夜とを見上げた瞬間、わっと幽霊達の歓声が沸き起こる。
 煙に煙る空、また美しい花を咲かせる為に待たれる束の間の時間。轟きは暫くの間、その鳴りを潜めていた。


IV

(それじゃあ、またねっ!)
(本当にお世話になりました――このご恩は、向こうの世界でも忘れません)
 更夜が、俗に言う使い間のような存在に取って来させた浴衣は着たままに、大きく両の手を広げた少年が、八人に向って手を振っていた。祖母はまず全員に向ってそっと頭を下げたその後、孫の浴衣の着崩れを丁寧に直してやっていた。
 その後ろには、老婆と少年とに付き添うようにしてこの川辺にいた幽霊達が、ずらりと並んで微笑んでいた。
「またね! 元気でねっ!」
 みあおが元気良く手を振ると、何人かも同じくして手を振り返して来る。
 寂しいけど、仕方のないことだよね。
 せめて彼等にも幸せになってほしい、と、みあおはそっと、少しばかり自分の力を解放った。誰かを幸せにする事の出来る、青い鳥の持つ能力を。
「それじゃあ、行くぞ」
 みあおの祈りが終わるや否や、ダージエルがすっと一歩前に出た。そのまま、右の手を肩の辺りまで上げ、瞳を閉ざして軽く精神を集中させる。
 そうして、
「――聖なる光(ホーリーライト)」
 すべり落とされるかのように呟かれた呪と同時に、淡く、白い輝きが幽霊達の周囲を取り巻いた。朝の光を思わせるきららはゆっくりと広がりを見せ、やがてその光の中に、幽霊達が取り込まれて行く。
(……さようなら)
 何人もの幽霊達が、最後まで、最期までその手をこの世に向けて降っていた。
 再び花火が始まる趣旨のアナウンスが、静かに流されて消えて行く。
 八人は、光が完全に消えるまでその光景を見つめていた。地に咲いた花の彩りは、時間の流れと共に、その鮮やかさを薄れさせて行き――
 やがて、完全に世界に闇が取り残された。
「……さて、」
 うーん、と伸びを一つ、まず始めにユリウスが踵を返した。感慨にか、沈黙に沈みがちな七人を元気付けるかのように満面の笑みを浮かべると、
「本番はこれからですよ。今度は向こうに行って見てきませんか? きっと賑やかですよ。それから、終わったらどこか喫茶店に行きましょうね。今日は大奮発して私が奢りますから」
「猊下ああああぁぁああっ! 私達の財政状況を知っていてそんな事仰ってるんですかっ?! ふざけるのもいい加減にして下さい! そんなの無理です!」
「良いではありませんか、麗花さん。三下さんもね、たまには甘い物、食べたくありませんか?」
「た、食べたいですっ! 勿論っ! クッキーとかアイスとか、チョコレートとか……」
「三下、発想が安すぎ。そんなに食べてないの? 甘い物」
 呆れたように、みあおが三下を見上げる。三下はその視線に、どこか気まず気に手元のメモ帳を握りなおした。
「だって……」
「まぁまぁ、良いではありませんか。で、ダージエルさんは?」
「私か。まぁ、一緒できないほど暇がないわけではないな」
「更夜さんは?」
「珈琲くらい頂いて行きますよ。ユリウスさん、いいえ、猊下、あなたから色々とお話を伺いたいと思っていた所ですしね」
「話す事なんて多分ないと思いますけどね……まぁ、ともあれ、それじゃあ裕介さんは一緒、っと、みあおちゃんも勿論来ますよね」
「うん、行く!」
「あ、セレスさんはどうなさいます? あ、入ると言いましてもね、どこかその辺にある喫茶店のような場所になるかと思いますけれども……」
「ええ、是非ご一緒させていただきたいですね。むしろ――麗花さんもああ仰っている事ですし、お食事代は、今宵は私の方が持ちましょう」
「それは嬉しいですねぇ。では是、」
「猊下っ!! 何を仰るんですか何をっ! セレスティさん、そんな悪い事していただく訳には参りません。それでしたら、猊下のお小遣いから出させますから……」
 言いかけた所を遮られ、次ぎの麗花の言葉を聞き、ユリウスは絶句のあまりにむせ返っていた。
 お、お小遣いからですかっ?!
「そんなっ! お菓子食べ歩き貯金はどうなるんですっ?! 毎月ちょこちょこと溜めていますのに……!」
「そんなの私の知った事じゃあありません! とにかく!」
「いいえ、良いんですよ、麗花さん。今日は皆さんにお世話になりましたから、そのお礼に、という事で」
「でも……」
「セレスが良いって言ってるんだから良いじゃん、麗花」
 麗花、セレス、みあおと続いた会話の展開に、ユリウスは影で大きく胸を撫で下ろしていた。
 ……これ以上お小遣いが減らされますと、食べ歩きもできませんからね。
「何、甘い物の食べ歩きか。ユリウスの頭の中はいつもそれか立ち読みの事だな」
「しっ! 麗花さんを刺激するような事は仰らないで下さいな!」
 ダージエルの言葉の中にある立ち読み≠フ響きは、幸いにも麗花には聞かれていなかったらしい。聞かれていれば、今頃また首を締め付けられていたかもしれないという恐怖に、ユリウスはこっそりと身震いをした。
 
 そうしてその後、フラッシュ花火をもって大会は終わりを告げ、八人は近くの喫茶店へと入っていった。
 そこでは、三下の原稿が話題となり本人が泣き出したり、裕介との関係を猊下におちょくられ麗花がぶち切れたり、更夜の質問攻めにユリウスがケーキを喉に詰まらせたり、みあおとの会話の中でのセレスの微笑みにウェートレスがトレーを落っことしたりと、色々な出来事があったのだが。
 しかし、極めつけは、ダージエルが席を立ったその後の出来事であった。
「ただの角砂糖ではありませんか……猊下」
 突然、角砂糖が角砂糖でない! などと騒ぎ始めた上司に、呆れるようにして麗花が溜息をついた。しかしユリウスは、
「いいえ! なんかこれ、怪しいですものっ! 角砂糖って雰囲気じゃないんですよ、ね? わかります?」
「でも猊下、一度すくった物はきちんと使って下さいね。元に戻すだなんて……私は許しませんよ」
「でも……」
「そんなに言うんでしたら齧ってみれば良いじゃありませんかっ! ね、田中さんもそう思いますよね? 全く、猊下ったら……!」
「麗花さん、今日は随分とすぐに『田中さん、田中さん』って……」
「早く食べてみて下さいっ!」
 刹那、スプーンの上からユリウスの角砂糖が取り上げられ、麗花の手によって無理やり口の中へと放り込まれる。
 途端、
「――っ?!」
 喉を詰まらせたかのようにして、ユリウスがテーブルの上に突っ伏した。
「ちょっ、ユリウスっ?!」
 突然の出来事に、みあおが慌てて立ち上がる。しかし、みあおが突付けどおこせど、暫くの間ユリウスは全く顔を上げようとはしなかった。
 ――異界の『神』でもある、ダージエルの高等幻術魔法によって、ユリウスの苦手な和菓子が角砂糖に見せかけられていた事は、この場にいる誰もが気がつくことのできない事実であった。
 そうしてその当人が今、ビルの屋上にいるであろう事実にも。
「うむ、」
 お手洗い、と称しながら、夜の街のビルの屋上へと瞬間移動し、水晶球(クリスタルボール)を通じてそんな彼等のドタバタを見つめていた。火薬の煙の残る空、賑やかな都会の夜景のあの辺り≠ノ、先ほどまで自分のいた場所、つまりは、今ユリウス達が騒いでいるであろうお店があるはずであった。
 この後彼等がどうなろうと、それはダージエルの知った事ではない。
 しかし、
「コイツらはバタバタして苦労するのが一番楽しいのさ」
 あの似非枢機卿に平穏は似合わない、と、ダージエルは一人、意地悪く微笑み、全員のその後を見守るのであった。


Fin



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      登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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<PC>

★ セレスティ・カーニンガム
整理番号:1883 性別:男 年齢:725歳
クラス:財閥総帥・占い師・水霊使い

★ 海原 みあお 〈Miamo Unabara〉
整理番号:1415 性別:女 年齢:13歳 クラス:小学生

★ 田中 裕介 〈Yusuke Tanaka〉
整理番号:1098 性別:男 年齢:18歳 クラス:高校生兼何でも屋

★ 日下部 更夜 〈Kohya Kusakabe〉
整理番号:1892 性別:男 年齢:24歳
クラス:骨董&古本屋 『伽藍堂』店主

★ ダージエル
整理番号:1416 性別:男 年齢:999歳
クラス:正当神格保持者/天空剣宗家/大魔技


<NPC>

☆ ユリウス・アレッサンドロ
性別:男 年齢:27歳 クラス:枢機卿兼教皇庁公認エクソシスト

☆ 星月 麗花 〈Reika Hoshizuku〉
性別:女 年齢:19歳
クラス:見習いシスター兼死霊使い(ネクロマンサー)



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               ライター通信
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 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。
 この度は依頼へのご参加、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。
 また、今回も締め切りギリギリとなってしまいまして、いつもの事ながらに申し訳ございませんでした。

 今回のこのお話は、メンデルスゾーン作『Lieder ohne Worte(無言歌)』に題を借りたお話の中でも、『Op.62(作品62)』のシリーズとなります。一応、これの次回作となりますのは、ト長調『朝の歌』〜Lieder ohne Worte - Op.62-4』の予定ですので、もし宜しければ、頭の片隅にでも置いておいてやって下さいましね。

 葬送調査、とありながらも、実際は全く葬送とは異なるものであったりと、あたしからしてみてもなかなか意外な結果に終わらせていただく事となりました。今回はかなり長くなってしまいましたので、皆様のプレイングの方が、所によっては抜け落ちてしまっていたりもするかもしれません。この場を借りて、お詫び申し上げておきたいと思います。
 今回三下の方にはあまり存在感というものがありませんでしたが、多分皆様のおかげで、原稿は没にならずにすむであろうと思われます(笑)碇編集長曰くお土産は氷砂糖ですが、果して三下は本当にユリウスに氷砂糖を持ってきていたのでしょうか……?

 今回は申し訳ございませんが、都合により個別のコメントの方を割愛させていただきます。ご了承くださいませ。

 では、乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。又機会がありましたら、宜しくしてやって下さいましね。

18 novembre 2003
Lina Umizuki