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紡ぐ夜に
空には月。
厚く覆った雲の切れ間から下界を覗いている。
冷えた窓に額をつけた。透き通って見える街並みは、青い月光に染まって静かに時間を横たえていた。
――たったひとつだろ。
貴方は言ったけれど、それは逢えないでいた時間の長さ。
生まれ落ちたその日から、たったひとつの年の差を永遠に持ち続けているの。
窓を開ける。
秋の終焉の風が、暖かだった部屋へと流れ込んだ。湯気の立ち昇るカップには、琥珀色の水面が揺れている。月を映して揺らめく。
私は手に取ると、銀のスプーンでかき混ぜた。ひと口含む。苦味が舌に残って喉の奥へと落ちていった。
貴方を残して、逝ってしまった私。
このコーヒーのように、苦味だけを貴方に与えたのではないですか?
時間と世代を超えて巡り逢った奇跡。それでも、思わずにはいられないのです。
寂しくはなかった?
辛くはなかった?
目の前で愛する人、かけがえのない人を失ってしまう運命――私なら、きっとそんな孤独には耐えられないのに。
窓を閉めた。
寒風にすっかり冷えた体。手の平だけが暖かい。吐息が白く、ガラスを曇らせた。
「夜も昼も、弓弦を想っているよ」
ハロウィンの日。私の帽子を取って囁かれた言葉。いつまでも耳に残る声。
照れくさそうにぎこちなく握り締められた右手は、カップで暖められた体温よりもずっとずっと熱く心に残っている。
私は前世を――忘れられるはずない別れの瞬間を想い浮かべた。あの時も零れ落ちる涙を拭って、私の両手を握っていてくれたよね。
夕陽のような電球に照らされて、貴方ははっきりとした陰影を壁に映していた。木製の時計が深夜を知らせる鐘を鳴らし、灯るランプが風に揺れた。ひとつまたひとつと繰り返し、打ち鳴らす12の鐘。
記憶は胸の奥に仕舞われて、暗く長い暗黙の時間が流れていく。
忘れられるはずもない、生まれ変わってからも。
――早く迎えにきて欲しい。
そう願ったけれど、逢えた今だからこそ涙が零れる瞬間もあるのだと、出逢うまで知らなかった。
胸を突く痛み。
貴方を置いて逝く。贖罪の気持ちが私を苛むから。
だから……だからこそ、誓わせて。
必ずと。
いつもいつも優しい声と手のひらが私を支え、貴方の言葉が色々なことを教えてくれた。
青い空は貴方といる時が一番きれい。
星はふたりに向かって落ちてくること。
風がこんなにも気持ちがいいことを。
そして、貴方の傍にいられない寂しさと切なさ――そして、愛しささえも。
きっと私は貴方に逢えなければ、愛しささえ知らないままに神の御許に召されたのでしょう?
そして繰り返す輪廻。
ひとひらの花びらにも、貴方を想う強い絆。
私はそれさえも手に入れられず、この腕が貴方を抱きしめるためにあるさえも知らないままに。
すっかり冷めてしまったコーヒー。僅かに残った香りが、顔を寄せたカーテンに残っている。
私はクリーム色のカーディガンを羽織ると階段を降りた。途中出会った姉が、クッキーを手にして笑っていた。「後でね」と手を振って、外へと向った。
玄関ドアを開けると、窓を開けた時よりも鋭い冷たさが私を包んだ。小さい庭に植えられた木々が夜の湿気に光っている。遠くに連なった赤いテールランプが見えた。どこから飛んできたのだろう、野の花であるはずのナギナタコウジュが咲いていた。夜に軽く唇形花を閉じてはいるけれど、ほんのりと紅紫色の軟毛が並んでいる。
一方向にしか咲くことのできない花弁。閉じても尚、零れ落ちる想い。
それは私。貴方を想う私の心。
広い背中を夢に見た。
血の繋がりよりも深く、大好きと言う言葉じゃ足りない誰よりも愛しい人。
藍色の空。
街が放つ光と眩しい月の光に掠れながらも、見上げる私に精一杯の瞬きを届ける星が広がっていた。千億の星のたったひとつ。今見つめている光は、すでに失われているかもしれない遥か遠方の幻。
貴方の言った「たったひとつ」という言葉は、星の幻と同じ。永遠にも感じる長い長い時間の系図。指で辿って、確かに私へとつながっているけれど……。
私は胸の痛みを抱え、後から後から涙を零した。
それはなぜ?
愛しているから。
苦しいほどに。心を見失うほどに。
必ず傍にいます。たったひとつの時間を埋めて貴方を想い続ける。
この星が想いを紡ぐ夜に、貴方は良く眠れていますか?
そう、祈らずにはいられない。
私は両手を広げて、天を仰いだ。
星々が紡ぎだす永遠。貴方との時間を抱きしめるように――。
□END□
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想いは紡がれ、いつか必ず貴方に届く――。
ライターの杜野天音です。弓弦の彼に対する深い想いを、星とともに語ることができていればいいのですが。これからも素敵な物語を綴っていきたいと思いました。ありがとうございますvv
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