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<東京怪談ノベル(シングル)>


『泡となって消えたキミへ』
 ニューグレンジ。世界遺産に登録されているそこは多くの勧告客で賑わっている。その喧騒をノイズのように感じながら私は手に持った花束をキミが泡となって消えた場所にそっと供えた。
「早いものですね。あれからもう一年ですか…。本当に…。僕は今も自分の無力さを胸に抱きながら生きてますよ。そう、私がキミに言ったようにね・・・」

 一年前のあの日、私はリンスター財閥総帥としてではなくセレスティ・カーニンガムとして、アイルランドの街を歩いていた。
 アイルランドというのはまだそれほどメジャーな国では無いが、しかし日本からの留学生も多く、またイギリスの左隣に位置するこの国は気候的にも東京とはさほど変わらない。緯度で言えば日本よりも15度上にあり、また暖流であるメキシコ湾流の影響で冬も過ごしやすいのだ。また雪もめったに降ることはなかった。
 占いにここに財閥の本拠地を置くといいと出たからだけではなくそんな住み易さにも引かれてここにリンスター財閥の本拠地を置いてもみたのだが、こんな風にゆっくりとこの街を歩くのは意外にも今日が初めてであったりする。
 そんな首都ダブリンの街で私は彼女と出会った。
 その彼女はケルト系・アングロノルマン系アイルランド人がほとんどのその人ごみの中で懐かしい感触を持って、私の前に立っていた。
「こんにちは、ご同種さん」
「・・・」
 私は小首を傾げて、にこりと微笑んだ彼女に絶句した。
 ご同種とはすなわち・・・
「キミも人魚だと言うのですか?」
 しかし、私は長き時を生きる事によってこの姿を得たのだが、この彼女は・・・
「えっと、キミは何歳なのですか? その、随分と、お若いようですが・・・」
「嫌だぁー」そう言って彼女は私の背を思いっきり勢いよく叩いて、そして口に軽く握った拳をあててけほけほと咳き込む私に構わずに右手をひらひらと手首で曲げたりして、「女性に歳を訪くものじゃないわぁー」
 とけたけたと笑った。
「ま、まあ、確かにそうですね。この私とした事が・・・」
 乱れた髪の毛を手で掻きあげ、整えながら私は体裁を取り繕う。
「まあ、だけど実年齢で16歳なんだけどね。ぴちぴちよ」
 って……言うのですか………。
「って、16歳ですって? それで人の姿を? 人魚族の16歳など、稚魚の状態をようやく脱した時のようなものですよ。それでよくもまー、人の姿を得て、陸に上がってきたものです」
 そんな驚く私を楽しげに眺めながら彼女はその緑の瞳を細めて、
「ええ。そうね。わかるわ。セレスティ・カーニンガム。あなたって有名ですもの。長き時をその圧倒的な力と知力で生き抜き、人の姿を得、地上でもその有能さを活かして活躍してるって。だけどあたしはそんなあなたと違って、力も無いし、知恵も無い。あるのは覚悟だけだから、だから魔女に頼んだのよ。魔女に人間にしてって」
「魔女とは?」
 嫌な予感がした。昔、私がまだ人魚として海で暮らしていた時に聞いた事がある噂話。それは代価と引き換えにその願いを叶えてくれる海の魔女の話だ。だが、代価と引き換えにその魔女に抱く願いを叶えてもらった者で真に幸せになった者の事を私は聞いた事がなかった。
 そしてその予感は・・・
「ええ、海の魔女に叶えてもらったのよ。代価と引き換えにね」
「なんと馬鹿な事を」
 私が信じられぬとそう言うと、しかし彼女はとても綺麗に微笑んだ。
「本当にそう想う?」
「・・・」
「人の幸せなんてのはその人にではないとわからないでしょう?」
「ええ、まあ、確かにね」
 そう言えば人の間に伝えられる人魚姫も魔女に願いを叶えてもらい、陸にあがったという。しかしその彼女の想いは男に知られること無く泡となって消えた。彼女は彼女なりにその想いに殉じて、幸せだったのだろうが、恋愛を信じぬ私にはそれを理解できず、そしてこの彼女の願いとは・・・
 彼女は口を閉じた私に肩をすくめ、そして薄い笑みを浮かべる。
「だけどまあ、あたしの場合は幸せを求めて陸に上がってきた訳じゃないのだけどね。そう、人の間に物語として伝えられる人魚姫のような切なくも美しい恋話じゃやない。あたしが主役のあたしの物語は復讐劇。あたしはね、彼を殺すために海を捨てて陸にあがったの。そう、そんな復讐に生きるあたしが魔女に渡した代価とはすべての命と触れ合わぬこと。人に触れた時にあたしは彼女と同じように泡となって消える。だからあたしに触れないでね♪」

 彼女の一族は人魚族たちの中でも特殊な位置にあった。
 彼女らはすべての人魚族の音楽の語り部であったのだ。
 音楽の才能に恵まれていた彼女らの一族は人魚族に存在するあらゆる音楽を教えられ、それを記憶していた。そう、そうやってその一族がいつか滅んでもその一族の音楽だけは残そうというのだ。
 そしてその一族の次世代を担い、これからも永遠に現存する人魚族の、滅んでしまった人魚族の音楽を伝えるための若きその人魚族の一員であった彼女の姉は、このアイルランドの若者に恋をし、そしてその彼に伝えられていた人魚の音楽を教えてしまった。
 陸上で奏でられた人魚の音楽。
 それはすぐに七つの海に住まうすべての人魚族に伝えられ、そして誇り高き任を背負っていた彼女らの一族は人魚族の信用を無くした。
 そして彼女と彼女の姉は一族から絶縁されてしまった(両親はすでに死んでしまっていた)。
 彼女も彼女の姉を許さなかった。何よりも許せなかったのは一族から絶縁されたというのに自分にはまったく関係の無いその原因を作った姉は他の人魚から何を言われようがかまわずそれからもその人間に逢いにいっていた事だ。
 それを彼女は許せなかった。
 だが、心の奥底のどこかでは同時にそんな自分たちの住まう世界すべてを敵にまわしてまで愛する人と生きようとする姉に憧れていた。そしてそんな想いを必死に姉への恨みで覆い隠そうとしていた。
 しかしそれもそうは長く続かなかった。
 ある夜を境に男は姉に逢いには来なくなったのだ。
 他の人魚たちはこぞって口にした。才能の無い人の男が語り部の人魚をたらしこんで、人魚の音楽を得、それを元に出世して、音楽を貢いだ人魚は捨てたのだと。
 そして彼女の姉は命を絶った。
「姉は馬鹿よ。人なんかを信じて、一族を裏切って、すべてを捨てて……そしてもうそいつしかいなかったのに、そのそいつにまで捨てられて、独りぼっちになって…だからあたしは・・・」
「お姉さんの仇を取ると?」
 その私の言葉に彼女は頑なな少女の表情を浮かべて、顔を横に振った。
「いいえ、違うわ。あたしが流す涙は自分のためよ。自分がかわいそうだから。すべてに捨てられた姉を捨てた自分が抱く傷に苦しむ自分がかわいそうで、それで涙を流すのよ。人になってまで、そいつを追いかけてきたのも、そう。姉の敵討ちなんかじゃない。自分のためよ。そうすればあたしは楽になれるから。わかって、そういうの?」
「ええ、わかりますよ。キミがひどく面倒臭い部類の生き方に不器用な人だという事がね」
 彼女は私のその言葉に眉間に皺を寄せたが、すぐにそれを弛緩させてけらけらと笑った。
「それで、その彼を殺した暁にはキミはどうするんですか? もう、キミは海には帰れませんよ」
「ええ、まあね。でもまあ、その時はセレスティのお嫁さんにでもしてもらおうかしら。元は同じ人魚なのだし、助け合いましょうよ。それとも、Hもできないような女はいらない?」
 下世話なその会話内容に私は鼻を鳴らした。
「馬鹿な事を。私にはそういう事への興味は一切ありませんよ」
「あら、つまらない。そういうのって悲しくない。花やいい女を愛でるのって、優しい気持ちになるものでしょう」
「知らんよ」
「ホモ、なの?」
「いいえ、両刀使いですよ。しかし、そういう欲には溺れてはいません。あくまでそれはビジネスの一環としての行為ですから」
「うわぁ。これは是が非でもあたしに惚れさせて、愛することの素晴らしさを教えてあげなきゃね」
「結構ですよ」
「馬鹿ね。こっちだって、冗談よ」
 そんな感じで私は彼女のペースにすかっりとはまってしまった。そしてそのまま私は彼女の面倒を見ることになってしまう・・・。
「ねえ、お腹空いたわ。あたし、ちゃんとドル紙幣持ってるから、何か食べない? いい店、教えてよ。付き合わせるお詫びに奢るからさ」
 ・・・・・・・・・アイルランドの通貨はアイリッシュポンドです。

「ふーん、良い感じの店ね。こういうお店ってPubって言うのでしょう?」
「ええ。ここ、アイルランドにはこういたPubという名の酒場がいたる所にあるのですよ」
「なるほどね」
「それよりも・・・」
 そう、それよりも聞いておくべき事はたくさんある。これからの事。彼女の敵の事。
「それよりもキミが探すお姉さんの仇とは? その特徴や詳しい事を、キミは知っているのですか?」
 楽しげな表情を浮かべて、エールを喉に流していた彼女はその表情を苦そうな物に変えた。
「わからないわ。ただ、姉に見つからぬように、物陰から隠れてその光景を盗み見た時には、十字架が見えたわ。だから十字架を首に下げている男を探せば」
「・・・」
 私は首を横に振った。
「ここ、アイルランドの人々はほとんどがキリスト教徒ですよ。だから十字架を首から下げた者などたくさんいる。情報にはなりません」
「じゃあ、ミュージシャンよ」
「アイルランドは音楽の国とも呼ばれているんですよ。キミも見たでしょう。ストリートではバスカーズと呼ばれるミュージシャンたちがたくさんいる。だから・・・」
 その後の私の言葉は彼女が拳をテーブルに叩きつけた音に掻き消された。店内を包み込んでいた喧騒すらもそれに消える。しーんとなった店内に彼女の掠れた声が流れる。
「っるさい。何よ、あんたぁ。邪魔したいの、あたしの事ぉ」
 ヒステリックを起こした彼女に私は頷く。
「そうですね。そうかもしれない。人になったのはもう手遅れですが、復讐に生きるのは今からでもやめられる。そんなのは空しいだけですよ。それにキミ、彼を殺したら自分も死ぬつもりなのでしょう?」
 私のその言葉に彼女は身を固くし、そして次の瞬間に、その店から走り出ていってしまった。

 夜の街。どこからか流れてくるバスカーズたちが奏でる音楽。それは今の私の心境のせいか、それともその音楽と共に聞こえてくる彼女のすすり泣く声のせいか、とても物悲しく聴こえた。
「今宵は月が美しい。そんな月の美しい夜にはキミのその悲しい泣き声は似合いませんよ」
 私がそう言うと、彼女はびくりと体を震わせた。そして拳で涙をぬぐいながら私を振り返って、
「何さ、あんたぁ? 何しに来たのよ。そんなお世辞を言っても許してやんないんだからね。それでももしもどうしても許して欲しいのなら、あたしに死ぬ気で土下座して謝りなさい」
 私は両手を開いて肩をすくめる。
「謝りませんよ。私は別にキミに対して悪い事は何もしてませんから」
「・・・何、あんた、喧嘩を売りに来たの? だったら買うわよ。もう拒否できないわよ。そして買って、勝つわよ」
 ムキになって言う彼女に私はもう一度ため息を吐く。
「私がここに来たのはキミの手助けをするためですよ。そう、本当はものすごく気が進まないのですが、キミがすべてを背負い、そして人としての生を全うすると誓うのならば私は教えてあげましょう。すべてをね」

 私は実は知っていた。彼女の探し人を。その彼女の復讐劇の結末を。
「どういう事よ、それ?」
 彼女は路上で遊ぶ幼い男の子を眺めながら、両拳を握り締めて震える声を出した。私はそんな彼女を見えぬ目で眺めながら、静かに言葉を紡ぐ。
「キミのお姉さんに教えてもらった音楽を彼は奏でた。だけどそれはしょうがなかったのですよ。あの子を…弟の命を救うためにね。彼は音楽家だった。売れない。そしてそのわずかな稼ぎは本当なら余命幾ばくも無かったあの子を…腹違いの弟のために使っていた。だけどそんな彼に朗報が入った。それが人魚の音楽だった。キミは知っていますか? キミのお姉さんが彼に教え、そして彼が奏でた音楽とは奏者の命を聴く者に与えるための魔曲であった事を」
 彼女は表情の無い顔を横に振った。そう、そういう事だったのだ。
「そして彼は死んだ。自分の命を自分が兄だとも知らぬ弟に与えて。そしてキミのお姉さんはそんな彼の後を追ったのですよ」
「そんな…じゃあ、あたしはなんで・・・。そ、そうよ、どうしてあんたは…なんでそれを知ってるのよぉ?」
「陸上で人魚族の音楽が奏でられ、それを調査し、彼とキミのお姉さんとに出会い、その時に二人の覚悟を知りました。だから私はその調査から手を引いた。実はね、本当の事を言えば今日、私がキミに出会ったのも偶然ではないのですよ。占いによって今日、キミが陸に上がってくると知っていたから、私はキミに会いに来たのですよ。まさか人間になっているとは予想外でしたがね」
 私はやり切れぬ声で言った。
 彼女は黙ってそれを聞いていた。そしてそうやってしばらく無言であった彼女が口を開いた。
「あの子は…あの男の子はもういいの?」
「ええ。兄の命をもらい、そして私が寄付したお金で手術をしましたから、もう大丈夫です」
 そしてそれを聞いた彼女は、
「そう、よかった」
 と、ぽつりと漏らした。

「さあ、もうここを離れましょう。これからの事は私が相談に乗ります」
「・・・ええ」
 彼女は魂の無いかのような声でそう言って、
 そして次の瞬間に、彼女の気が一気に強まった。
 その訳を私も悟る。
 足長おじさんである私を見つめた彼がこちらに向かって走ってきていて、そして道路の真ん中に到達した彼に向かって暴走車が突っ込んできていて、
「えーい、この私とした事がァ」
 私は叫んだ。彼女を気遣うばかりに完全に周りへの気配りがおろそかになり、そしてその一瞬の隙の間に事はどうしようもなくなっていたのだ。
 水は無い。故に水霊も使えない。
 暴走車の運転手の血流を操作しようが、もはや手遅れだ。
「くそぉ」
 だが、彼女は迷わなかった。
「死なせない。お姉ちゃんたちが守った命を奪わせない」
 人外を超えた力で道路に駆け出し、彼を突き飛ばした…そう、彼を助けるためにタブーを犯した。そして彼女はただ立ち尽くす私を振り返って、ただただ綺麗に微笑んで・・・

「ありがとう。大好きだよ、セレスティ」
 泡となって消えた。

 後にはただ甲高いブレーキ音がまるで泣き声かのように無機質にその場に上がった。

 路上の真ん中に供えた花束。
 そして私はそれを光しか感じぬ目で眺めながら、髪を掻きあげて小さく笑った。
「すみませんね。私はどうにもこうやって死んでしまった者にでさえ、自分の弱いところとかを見せるのがどうにも苦手で。だからキミのために涙を流してあげる事も、悼む言葉も言えません。だけどキミが、そして彼やキミのお姉さんが守った命は私が守るので、安心してくださいね」
 そしてそう言って私はその場を後にした。
 その時に吹いた風には懐かしさを覚える潮の香りがした。