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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


花嫁のナイフ


 教会の鐘がなる。穏やかな陽の光。透き通る緑の木々。
 焼け付くような白い十字架と白い壁。
 永遠を誓う者たちが集うその祭壇の前で、彼女は純白のウェディングドレスを身にまとい、ただ静かに眠っていた。
 レースの端から覗くのは、生命の途切れた空虚な肌。閉ざされた瞳。薄く開いた唇。
 純白を彩るのは、突き立てられた白銀の刃。その柄を飾る宝石。鮮烈な紅の流れ。
 まるで洗練された芸術作品のようなその光景を前に、息をつめ、鼓動を高鳴らせながら、彼女はそっと手を伸ばす。
 宝石が放つ強い力に惹きつけられ、抗うことも出来ないままに花嫁の胸から美しい刃を奪うと、言いようのない高揚感に包まれながらどこまでもどこまでも歩き続けた。



 これから幸福になるはずだった青年は、絶望の影を落として、草間の前で空虚な笑みを浮かべる。
「アイツを殺した犯人を捕まえてくれ……何故殺されなくちゃいけなかったのか、その理由を教えてくれ………頼むよ、探偵さん……」
 花嫁は死んだ。婚礼の当日、まだ誰もいない教会の、永遠の愛を誓う準備だけが整えられた祭壇の前で胸を真紅に染め上げた。
「アイツの友達も、数ヶ月前、おんなじように死んだんだよ……ウェディングドレス着て、結婚式の日に胸を一突きだ………」
 彼自身は直接その現場に居合わせてはいなかった。だが、彼の花嫁となるはずだった者は、大切な友人の死を目の当たりにしたという。
「………かなりショック受けてて………それから少し様子が変で……でも、ようやく気持ちの整理がついたって言って………なのに、なのに…………」
 僅かに涙を含んだ声で、青年は頭を抱えこみ、かすかに嗚咽を洩らした。
 彼の言葉の続きを、ただ草間はじっと待つ。
 下手な慰めはむしろ相手に失礼だ。そして自分は、そういう役回りではない。
 しばらく、興信所の応接間に切なげな沈黙が続いた。
 それから、不意に何かを思いついたように青年はポツリと呟く。
「………ああ、そうだ……美奈子が持っていたナイフだけ…どこにもないんだよ…………アレ、どこに行ったんだろうな…………」
 同様の事件が彼女とその友人以外にも既に3件起きていることを彼は知らない。
 同様の事件がこれから起こることを、彼は知るよしもない。
 そして。
 草間の呼びかけに応じ、動き出した5人の調査員もまた、そこに絡まる糸の先に何があるのかを今はまだ知らない。



 死は、『闇』を介して連鎖する―――――



 始まりは3年前の冬。
 当時23歳だった細川祥子は、初雪がうっすらと積もった教会の中、純白のウェディングドレスをまとい、祭壇に掛けられた白い布を下に敷いた状態で息絶えていた。
 死因は胸部を鋭い刃物のようなもので貫かれたための失血死。
 凶器はいまだ発見されていない。
 全てが、依頼人の妻となるべき女性だった横田美奈子、そして他の絞り込んだ3件の事件と全く同じ状況下である。
 彼女達には特別なところなど何もなかった。
 命を失う理由など、どこにも見つからない。
 当たり前にこれからを祝福され、当たり前に幸せを掴むはずだった5人の女性。
「こんなこと、絶対許せません」
 ネットに流れるニュースをきつい表情で見つめる海原みなもの隣で、藤井百合枝と綾和泉汐耶は互いに何ともいえない表情で視線を交わした。
 この悲劇は、自分たちと同じ年頃の女性ばかりに訪れている。だからこそ、『すぐ隣にあるような身近さ』にみなもとは違う痛みを感じていた。
「………やりきれないわね」
 彼女達の心情をそのまま言葉に代えて呟いたのはシュライン・エマだった。
 既に読み終え、机の広げられたままになっている週刊誌や古い新聞を整理しながら小さく溜息をつく。
 当然のように毎日が死の報道で溢れ返っている。
 その中で、『花嫁』『刺殺』『呪い』などのキーワードを頼りにみなもが情報の海の中から検索を掛け、拾い上げた結果がそこにはあった。
 シュラインの視線が、本から依頼人が座っていたソファへ視線を向けられる。
 ぼんやりと自分たちを眺めていた彼の姿は、空気すらも重圧となっているのではないかと思うほどに深く沈みこんでいた。
 話を聞きだすことは酷なことかもしれない。
 それでも、自分たちは知らなければならないことがあった。
 彼女の交友関係、行動範囲、死の瞬間までの状況、そして、最も気に掛かるのは、消えたというナイフの詳細だ。

『ナイフの形状?……あんまり、じっくり見たわけじゃないんだけどな………鞘に納まったこれくらいの大きさで…』
『金色だった。真ん中に赤い石が嵌ってて…えらい高価そうに見えたんだよ』
『いつ……?……ああ、いつから持ってたかな……』
『そうだ………うん、そうだ。アイツの友達の結婚式、事件になっちまったあの後からだと思うんだ……思うんだけど、な……』
『………そのあたりから…少し……時々ひどく不安がって………』
『あのさ……俺はちょっと、それを見てるときの美奈子の表情が、なんかな……』

 重苦しい溜息と共に吐き出された彼の言葉。
「凶器が見つかっていないって言うのが気になりますね」
 シュラインの思考と同調するように、汐耶が言葉を継ぐ。
 彼に思い出せる範囲で紙に描き出してもらったナイフの形は、まるで映画などで表現される『宝』のようなイメージである。
 血のような赤い石が嵌め込まれた緻密な細工のアンティーク・ナイフ。
「ここに事件を追う手掛かりがありそうね」
 茫洋として要領の得ない記憶を辿りながら、ふうっと遠くを見るような目つきになる彼の証言がシュラインの頭の中で再構築される。
 自分の取るべき行動、得るべき情報の方向をはじき出していく。
「あの……百合枝さん、確か美奈子さんのお友達さんに聞き込みに行くんですよね?」
 パソコンのディスプレイから、みなもが顔を上げる。
「ん?まあね。一応、過去の事件洗って、交友関係辿ろうかなと」
「じゃあ、あたしもご一緒していいです?」
「了解」
 にっこりと笑って頷く百合枝。
 最近、草間興信所で同じ調査対象に関わることが増えたせいだろうか。
 かつては、自身の能力を厭うばかりに、他社との間に一定の距離を置こうとしていた自分が、進んで彼女達を関わろうとしている。
 それは少しだけ不思議と思える変化の訪れだった。
「では、私はナイフからアプローチしてみますね。万が一にもソレが呪われた品の場合、放っておけないですし」
 銀縁の眼鏡を指で押し上げ、汐耶は自分が起こすべき行動を組み立てていく。
「………ん、私もそっちで気になることがあるんだけど、どう?汐耶さん、私と動く?」
 シュラインは唇に指を軽く添え、思案するそぶりで問いかける。
「そうですね。はい、お願いします」
 彼女の申し出に、汐耶はやや固い表情で頷きを返した。
 初めの事件から常にちらつくナイフの存在。それを掴むことで次の悲劇が食い止められるだろうか。
 二手に分かれた女性達が動き出す。



 御母衣今朝美は、切ない音色で鳴り響く教会の鐘をそっと見上げた。
 白銀の髪に縁取られた繊細な蒼の瞳は、深い憂いに翳っている。
 彼が住居を兼ねたアトリエを構える場所は、東京からかなりの距離を置いた森の中にある。人工物は日本家屋一軒のみであり、その周囲は全て自然に囲まれているようなところだ。
 新幹線、バス、その後の徒歩と、通常ならば東京からゆうに10時間以上は確実に掛かるだろう山間は、だからこそ東京にはない美しさに満ちている。
 だが、いま自分がいるこの場所は、空気も、木々も、目にするもの全ての色が褪せて映っていた。
 それでも、愛しい存在に変わりはない。
「………」
 そっと和服の袖から筆を取りだし、教会の入り口を飾る観葉植物の葉をなぞる。
 するりと深緑色が絵筆の先に乗り、それを以って空に描き出されたカタチは少年の姿を持って御母衣の前に現れた。
「少し、お聞きしたいことがあるのですが」
 ゆっくりと閉ざされていた瞳を開き、覚醒した精霊は、御母衣の深く澄んだ視線に触れて、
『ボクで知ってることなら』
 にこりと幼い笑みを浮かべる。
「貴方はここで殺された花嫁のことを知っていますか?」
『<殺された>花嫁?』
「ええ……何か、見ていないでしょうか?」
『<殺された花嫁>ならボクは知らない。でも<死んでしまった花嫁>なら知ってるよ』
 微妙な言い換えに、御母衣はかすかに眉を寄せる。
 殺すという概念がこの精霊にないのか。それとも。
 だが、引っ掛かりを覚えたこの言葉に問いを返すより先に、精霊は証言を重ねる。
『きれいなナイフを持っててね、嬉しそうだったよ?』
「ナイフ、ですか?」
 それは依頼人が気に掛けていたものだろうか。
『そう、金色でね、キラキラしててすごくキレイだった。でも、くっついていた赤い石は気持ち悪くてコワかったよ』
「赤い石が、ですか?」
 また、引っ掛かる。
 精霊の目を通して不快と恐怖を与える石がまともなものであるはずがない。
 伝わるイメージは、血の色彩。禍々しい穢れ。花嫁たちの純白を侵した許されざるもの。
「誰かそれを持ち出した人はいませんでしたか?」
『………んと…女の人だったよ。長いなが〜い髪のね、赤い爪のヒト』
 精霊が指差す先に連なる木々を見つめ、御母衣は静かに笑みを浮かべた。
「ありがとうございました」
 敬意を込めて一礼すると、精霊は笑って手を振り、空気にふわりと溶けて消えた。
 それを見届けると、優しい自然の色を筆に取りながら、御母衣は教会から続く軌跡を慎重に辿り始める。
 純白は、この世界で最も穢れのない色。
 ありとあらゆる全てに染まり、また、ありとあらゆる全てを反射する、善でも悪でもなく、ただひたすらに無垢であることを象徴する色。
「………けして、血に穢されるべきものではない……」
 固く結んだ唇に、強い想いが含まれる。



「………美奈子が死ぬなんて…ありえないの………だってあんなに、あんなに……」
 言葉が続かず涙ぐむ彼女を前に、百合枝は軽い戸惑いを覚える。
 何かを知っているはずだ。
 ありえないと繰り返しながら、どこかで彼女の死に確信めいたものを抱いている。
 いっそ彼女が抱える記憶を視ることが出来れば…そう思いながら、百合枝はじっと彼女の嘆きに耳を傾け、視線を注ぐ。
「あの…そういえば美奈子さんは、数ヶ月前にご友人の結婚式に出席されたと伺ってます。その時のことで何か変わった様子はありませんでしたか?」
 表情には出さないが、何かを見定めるように言葉を切った百合枝の代わりに、みなもが質問を引き継ぐ。
「どんな小さなことでも構いませんから」
「…………え?あ、あの……?」
 思い出したのか、複雑な表情で眉をひそめる。彼女にとって、知り合いが結婚当日に亡くなるという最初の事件がそれだった。
「そうね……うん、すごく落ち込んでいたのは確かなんだけど……」
「確かなんだけど?……あの、何かあったんですか?」
「ええと……」
 みなもの問い返しに、口ごもる彼女。
 百合枝はじっと自分の視界に意識を集中する。
 いま一瞬だけ、彼女の心の炎が違う揺らぎを見せた。
「………ええと」
 戸惑いと不安、そして僅かにエゴの混じる小さな暗い炎を心の中に覗き込んで、百合枝が言葉を添える。
「大丈夫よ。貴女が話したとは言わないし、迷惑になるようなことはしない。約束するわ」
 彼女の目を正面で捉え、やんわりと促す。
「………あ、本当に?本当に大丈夫なの?」
「本当よ」
「あたしたち、どうしても美奈子さんのために何かしたくて。あの、本当にご迷惑はかけませんから、お願いします!」
 みなもが勢いよく頭を下げ、さらに言葉を重ねる。
「お願いします!」
 真剣そのものなみなもの態度に、彼女の迷いが次第に薄らでいくのが見えた。
 女性は俯き、それから僅かの逡巡の後に、眉を潜ませ、呟いた。
「………友達があんなことになって…そのショックからようやく立ち直ってね、結婚を決意した少し後だったかな………美奈子、今なら死んだあの子の気持ちが分かるような気がするって、そう言っていたの………」
「え?」
 何かが百合枝の中で大きく反応する。
 殺された、ではなく、死んだと、そう彼女は言ったのだ。
「すみません、最後にもうひとつ」
 予感を確信に変えるように、百合枝が切り出す。
「今回の事件の後、美奈子さんと同じように様子のおかしいと感じる方はいらっしゃいません?結婚を間近に控えた方、とか……」
「…………美奈子と同じ………」
 指を噛み、彼女はそのまましばらく考え込む素振りを見せた。
 だが、百合枝には見えている。
 彼女が何を考え、どこに行き着こうとしているのか。
 少しの間を置いて躊躇いがちに告げられた名を胸に刻み、百合枝はみなもと共にその足で次の目的地を目指した。
「今日は土曜日。上手く行けば、出かける前の本人を捕まえることが出来るかもしれないね」
「はい!掴まえましょう」
 勢いをそのままに、ずんずんと進んでいくみなもを後姿を微笑ましげに見つめる。
 感受性豊かな13歳の少女ゆえなのかもしれない。
 純白のウェディングドレスは、女性にとって幸せの象徴のひとつである。
 みなもにとっても、それは神聖にして不可侵なものであり、十分に夢と憧憬の対象となっていた。
 だからこそ、幸福の絶頂から突き落としたものへの怒りは強いのだろう。
 いつもは優しさと真面目さから来る冷静な調査員であるみなもの、年齢相応な素顔が垣間見える。
「次で5件目。ちょっときついかもしれないけど、頑張っていこうか」
 励ますように、気負うみなもの肩を軽く百合枝が叩く。
「はい!」
 自分たちが追うべきものは、殺人犯ではなく、ナイフそのものである可能性が高いことは何となく予感できる。
 ただ、その所持者を見つけ出さなければ、自分たちは本当の意味で悲劇を食い止めることは出来ないのだ。



「え?自殺の可能性?」
 ざわめく喫茶店の一番隅のボックス席。観葉植物が死角を作るその場所で、シュラインと汐耶は思わず同時に声を出して聞き返してしまった。
 知り合いの刑事は慌てて「シーッ」と人差し指を唇に当てて沈黙を示す。
 それからきょろきょろと周囲を窺い、誰も不自然な反応を示していないことを確認すると、ずいっと2人の方へ身を乗り出し、小さな声で言葉を続けた。
「大きい声出すなよ、エマちゃん。それからええと、綾和泉さん?この辺、他の人に聞かれちゃまずいんだって」
「あ、ごめんなさいね」
「すみません」
 シュラインに続いて頭を下げた汐耶に、刑事の顔が間の抜けた表情を浮かべる。
「どうかしましたか?」
 不審げに問いかける。何となく、次に続く彼の言葉が予想できたが。
 案の定、彼は決まり悪そうに頭を掻いて、
「ごめん。勘違いしてた」
 男性に間違えたらしい。そういうことだろう。
 パンツスーツを好み、中性的な顔立ちにショートヘア、そして少々寡黙な汐耶の性別が男性だと間違われることはあまり珍しいことじゃない。
「気にしてません」
 現に、軽く笑って受け流せる。
「もう少し『目』を鍛えた方がいいわよ?」
 何を勘違いしたのか分かったらしいシュラインの、コーヒーを飲みながらの一言に、彼は『仰るとおりで』と苦笑いした。
「いえ、本当に気にしてませんから。それより、お話の続きをお願いします。自殺の可能性ということでしたが、それについて詳しいお話を伺いたいです」
「あ、ああ、OKOK!じゃあ、続き」
 気を取り直し、姿勢を正して話し始める。
「とにかくさ、不自然なんだよね。状況の何もかもが。犯人は捕まってないし、現場から凶器は持ち出されている。でもさ、どうにもしっくりこないんだな、これが」
「それはどういう意味なの?」
「どういうもこういうも……さっきも言ったとおり。花嫁達は死んだ。しかも5人全員が正面から心臓を一突きという同じ手口だ。だけど、その傷がさ、こう……」
 いいながら、刑事は生クリームのついたスプーンを逆手に握り、自分の胸に向けて振り下ろすジェスチャーをしてみせた。
「こんな感じの角度で入ってるんだよね。これって他殺だと難しかったりするわけだ」
 現場に争った形跡はない。花嫁自身にも抵抗のあとは見られず、状況から言えば自殺を想定した方がずっと分かりやすい。
 だが、凶器は見つかっていない。
 そして、全く同様の事件が3年という時期の幅はあるものの、確かに連続して起こっているのだ。
 ホラーかミステリー小説のネタにでもなりそうな勢いだろ?
 そう言って刑事は困ったように苦笑を浮かべた。
「そうね、確かに探偵の出番かもしれないわ」
 それも、『怪奇探偵』の二つ名で知られる草間のようなものの出番だ。
 汐耶は、姿勢は刑事にむいたまま、手だけが自分の横に置いたカバンに伸ばされる。中では彼女の『本』が反応を示していた。
 彼が語る言葉たちに魔の気配を感じ、封じられた力がざわめいているのだろう。
「貴重な情報を有難う。何か分かったらすぐ知らせるわ」
 コーヒー2つとフルーツパフェ1つ、3人分が記載された伝票を攫って、シュラインは立ち上がった。
「また宜しく頼むわね」
「情報、有難うございました」
 礼を述べ、汐耶がその後に続く。
 振り返りざまに彼を見やると、パフェの残りを頬張りながら、笑って手を振りかえしてきた。
「さてと、凶器として想定されているものが分かったら、次は肝心のナイフの出所ね」
「細川祥子さんから見つかると期待したいですね」
 初めの事件から既に3年。
 人の心の傷を癒すには短いかもしれない。だが、人々の記憶から正確さを奪っていくには十分すぎる。
 一抹の不安が過ぎりながらも、2人は入手した住所を元に駅へと向かった。



至上の幸福と思ったその次の瞬間に、絶望が目の前を掠めていく。



 人ではなく、この街に僅かに残された自然へと御母衣は言葉を投げかけていく。
 『こちら』『こちらですわ』『あっちの方よ』『ご苦労さま』『その先を行くの』『右だわ』『もっと右です』
 絵筆によってカタチを得、意思を持った緑たちが囁きかけ、進むべき道を指し示していく。
垣根を作る緑は、次第に黄色みを帯びた街路樹へと変わり、やがて紅へと葉の色を変えていく。
 季節の移ろいが、見事なグラデーションで街を彩っているのが分かる。
 どこまでも続くと思われた自然の道が途切れた後には、筆によって空に描き出した椛色の小鳥が彼を導く。
「次はどこに行くのでしょうか……」
 花嫁の死と共に消えるのは、金色のナイフと、それを握った1人の女性。
 この東京にどれだけの教会が存在しているのか御母衣は知らない。
 だが、それでも、奇妙な意思の介在を感じずにはいられない。
 アトリエからここまで出てくる間のタイムロス。それを考慮したシュラインが、草間興信所にその間の調査を残してくれていた。
 目を通し、教会を巡る中で犯人の手掛かりを得る方法を選択したが、奇妙なことに目撃者である精霊たちは一様に同じ言葉を繰り返すのだ。
『殺された花嫁は知らない。死んだ花嫁なら知っている』
『ナイフは金色でキレイだったけど、赤い石がコワかった』
 ナイフだけが、花嫁となるべき彼女たちの手から手へと渡っていく。
 まるで死を宣告するかのように。
 美奈子の死を受け止めた教会。そこから延びたこの線の先にあるものが最悪の事態でなければいい。
 そう願いながら、御母衣は足を速めた。

 紅葉から生を受けた小鳥が、次に御母衣を導いたのは一軒の洋風の白い建物だった。
 ふわりとある家の玄関先に舞い降り、そのまま溶け込むように消え失せる。
「ここにナイフが……?」
 そう呟いて周囲へと視線をめぐらせると、今まさに呼び鈴を押そうとしていた女性と目が合った。艶やかな夜の色彩を持つ彼女の隣には、海の色彩を纏う少女が立っている。
 2人には、今の精霊が見えていたのだろうか。
「御母衣…今朝美さん?」
 首を傾げ、少女がゆっくりと自分の方へ歩み寄ってくる。
「あの、シュラインさんから聞いてます」
 同じ件で調査しているものだと、自己紹介を添えて彼女達は説明してくれた。
 そして、2人と自分の考えが同じ方向を示していることを確認し、改めて、この家に住まうものへのアプローチを開始する。



 路地裏のこじんまりとしたアンティーク・ショップの前で、汐耶とシュラインは足を止める。
 重そうな木製の扉の上に掲げられている看板が目に付く。『獏』というのがこの店の名前だろう。
 少しだけ視線を動かすと、店のショーウィンドゥには、正確な名前は分からないが技巧の凝らされた椅子や鏡台、ビスクドールたちが飾られていた。
「ここですね?」
「多分、間違いないわ」
 手帳に書かれた住所や特徴と、この店を照らし合わせながら、シュラインは頷く。
 翻訳作家であり、ゴーストライターであり、また草間興信所のバイトでもある自分は、おそらく普通に会社と家を往復するだけの者たちよりずっと広範囲に行動している。
 だが、そんな自分でも、こんな場所にこんな店があることは知らなかった。
 古美術商や宝石商などが持つ情報網から手繰り寄せたこの店は、見知らぬ空気を纏ってひっそりと佇んでいる。
「さて、いきましょうか」
 薄暗い店内に向けて扉を押し開けば、重い鈴の音が来客を告げるように頭上でカランっと鳴った。
 経験によって培われた警戒信号に意識を向けながら、慎重に相手の領土へと踏み込んでいく。

「いらっしゃいませ」
 鈴の音によって奥から姿を現したのは、全身を覆う黒尽くめの服装に白いエプロンだけが妙に浮いて見える青年だった。
「何かお探しですか?」
 愛想の良い笑みが、その口元に浮かんでいる。
 だが、汐耶はそれを反射的に怖いと感じた。
 職業柄、自分は様々な人間を司書という立場からカウンター越しに観察してきた。そして、時には自身の能力を以って異界を垣間見る。
 そのせいだろうか。
 穏やかに自分へと微笑みかける青年の内側に、氷のような酷薄な印象を抱く。
 尋常ではない。
 冷静な表情は崩さないまま、シュラインをちらりと窺う。
 彼女はこの青年の姿をしたものをどう捕らえているのだろうか。そう思ったが、自分と同じか、あるいはそれ以上のポーカーフェイスから感情を汲み取ることはできなかった。
 ただ、肌で感じる。
 ぴしりと、緊張の糸が張り巡らされた。
「こちらで取り扱っている商品について、いくつか伺いたいことはあるのだけど。宜しいかしら?」
 シュラインは相手をまっすぐに捕らえる。
「ええ、もちろんです」
 快く店主が返事を返すと、汐耶から受け取った紙を彼の前に差し出す。
「この絵のナイフ、こちらで買い求められたもので間違いないかしら?」
「これ、ですか?」
 手に取って、そこから記憶を辿るように首を傾げ、それからおもむろに頷いてみせる。
「ああ、これでしたら確かに当店でご購入頂いた品です。待って下さい、今、記録を確認します」
 彼は分厚い帳簿を店の奥から引っ張り出し、まるでページ数すら暗記しているかのように、彼女の購入履歴を引き当てた。
「細川祥子様ですね。ご購入日は3年前の6月15日となっています」
 それが何か?
 そう問いかけるように彼は笑みを湛えたまま、2人に向き直る。
「彼女、亡くなりましたよね?ご存知かしら?」
「ええ、新聞で知りました。驚きましたよ」
 まるで驚いてなどいない顔で、頷く店主。
「では、これを購入したときの彼女の様子で、何かおかしい点などはありませんでした?」
「おかしい点ですか……?」
 シュラインの問いかけに、思案するように首を傾げる。
「……特になかったように思いますが。私が覚えているのは、あの方がこのナイフをとても気に入られたご様子だったということです。少々値の張る物だったのですが、カードでは支払いが出来ないことをお伝えしますと、その場でご予約され、後日現金でお買い上げくださいました」
「悩んでいた素振りとかはありませんでした?」
「いえ?……ああ、でも、そうですね……ほんの少し、不安定な表情を見せていたかもしれません……気のせいだと思いますが」
 互いに感情を表に出さない、表面上はひどく穏やかな問答が繰り返される。
 汐耶は2人のやり取りの呼吸とタイミングを計りながら、
「そのアンティークのナイフですけど……作者やどういった意匠を持って作成されたものだとか、そういう曰くのようなものはありませんでしたか?」
 そろりと核心に触れる質問を挟み込む。
「曰く、ですか?」
 彼はすっと目を細め、それからぐるりと店内を見回した。
「ここに置いてあるものたちは皆、長い歴史をその身に刻んできたのです。曰くというものが存在するのは、ある意味当然かもしれません」
 意味深な笑みを浮かべる店主に、汐耶は言葉を選んでいく。
「確かに、そのとおりだと思います」
 彼女にとって、世界は封じられたものに満ちている。
 自分が管理する本たちのように、眠らされた知識もまた多いだろう。
「それでも、店主のお知りになっていることを伺いたいのです。祝福を受け、幸福の絶頂にいた彼女たちが死を選んでしまったきっかけを、私たちは知りたいんです」
 言外に含むのは、このナイフが凶器となって花嫁を死に至らしめているのではないかという疑惑だ。
 意図的に向けられた汐耶のその問いかけに、
「――――知っていらっしゃいますか?幸福の絶頂とはすなわち、突き落とされる衝撃がもっとも大きい場所でもあるんですよ」
 いっそ鮮やかなほど冷たく彼は微笑んでみせる。
「裏切られるかもしれない。裏切るかもしれない。傷付け、傷付けられ、すれ違う……こんなにも幸福だと思っていた愛が、綻び、擦り切れ、憎しみに変わる瞬間が訪れるかもしれない」
 紡がれていく言葉が耳の中で反響する。
「その恐怖と猜疑心に、打ち勝つことは出来ますか?」
 意識の奥に浸透する、まるで呪文のような声。
「そんな想いをするくらいなら、いっそ幸福なこの瞬間に時を止めてしまいたい。そう願う気持ち、ご理解いただけますか?」
 闇色の瞳が、心の底まで見透かすように注がれる。
「貴女がたは、永遠の愛を望んだことはありますか?」
 呑み込まれそうになる。
「あのナイフは、愛を永遠にしたいと願う者たちを呼ぶのですよ。彼女たちの夢を叶えるために」
 沈黙が降りてくる。
 不意に鳴り響いた12時を告げる柱時計の鐘が、2人を現実へと引き戻した。
「お話、有難うございました」
 早くここから抜け出さなければいけない。
 そんな本能的警鐘を全身で感じながら、2人はアンティーク・ショップを後にした。

 汐耶は押し黙ったまま、先程の店主の言葉をじっと考えていた。緊張感はいまだ持続している。
 魔の気配がする。彼からも、彼の店が抱える全ての品からも。
 図書館で調べてみるのも悪くない。それも、一般にはけして開放されることのない奥の間で。
 疑惑を確信に変えるために、後は自分たちと違う方向で動いている彼女たちの言葉が欲しかった。
「「そろそろ他の皆と情報交換した方がいいわよね?」」
 まるで互いの思考を読んだかのようなタイミングで、シュラインと言葉がぴたりと重なった。
 その見事な一致に、一瞬驚いたように沈黙し、顔を見合わせ、それからふっと緊張の解けた笑いをこぼす。
「じゃあ、連絡つけましょう」
 シュラインが携帯電話を取り出してみせる。
 彼女といると、時折思いがけない同調が生まれ、面白い。



ずっと、愛していて……不安にさせないで……離れないで……捨てないで………



「美奈子さんのことでお聞きしたいことがあるんですが」
「え?」
 そう切り出した百合枝の言葉に、扉を開けた彼女はあからさまに動揺する。
 彼女のソバージュの長い髪、そして口元に添えられた赤い爪が、御母衣の目を引いた。
 他の関係者と同じようにゆっくりと問いかけていきながら、それと気付かせないくらい慎重に、彼女の動向を3人は観察する。
 ほんのわずかな違和感も揺らめきも見逃したりしないように。
「あの。あたしたち、美奈子さんがお亡くなりになった日のことについて、お伺いしたいことがあるんです。おかしな様子がなかったか、とか……」
「え……あの…それはどういう」
 御母衣の言葉が彼女に届く。同時に揺らぐ瞳。
 見知らぬ訪問者達に怯えを示しながら、ふとした瞬間にまるで何もないかのような安定を取り戻す。
「…………そうですね……うん、あの子、すごく辛そうだった……すごく、不安だったんだと思う……」
 ふたつの異なる炎が同時に存在し、時に強く、時に弱く互いを干渉している光景が百合枝には見えていた。
 これが何を意味しているのか、懸命に答えを探っていく。
「………もうじき貴女はご結婚されるそうですね」
「え?あ、はい…そう、ですけど……」
「そのことで不安を感じたり…そうですね、美奈子さんと同じような気持ちになったりはしませんか?」
「………美奈子と同じ……」
 また不自然に揺らぐ。
 だが、今度は安定を取り戻せなかった。
 唐突に、まるで予期しない激しさを以って、彼女の心を侵食する闇が黒炎となって百合枝に向かって噴き出した。
 嫉妬と独占欲と不信感で溢れ揺さぶられた彼女の感情が、自分から視界を奪う。

―――――イヤよ。行かないで。行かないで。行かないで、置いていかないで。私をヒトリにしないで……
―――――愛してくれる?本当に?本当に私だけ?違う誰かと行ってしまわない?私だけを愛してる?
―――――貴方は私のもの。ずっとずっと私のもの。誰にも渡さない。誰にも、絶対。許さない。

 血を燃やした鮮烈な赤い炎。呑まれそうになる強い力。

―――――永遠が、欲しい…………

 目眩にも見た感覚の喪失。百合枝の身体が後ろへと倒れ掛かる。
 それを寸でのところで支えたのは御母衣の一見華奢な左腕だった。
「百合枝さん?」
「あの?」
 突然のことに戸惑うみなもと彼女に視線を向け、
「すみません。どうやら彼女は貧血を起こしてしまったようです。今日はこれで失礼させていただきますね」
 心配はいらないと穏やかでよどみのない口調で御母衣が答える。
「貴重なお話を聞かせてくださり、有難うございました。」
 彼女への礼で会話を切り上げると、百合枝を庇うようにして、御母衣はその家を辞した。

 立ち並ぶ住宅街の一角に、半ば埋もれるようにして佇む児童公園。
 そこのベンチに腰掛けると、御母衣は気遣わしげに百合枝へとハンカチを差し出した。
「大丈夫ですか?」
「ああ、有難う。ん、もう大丈夫みたいだ」
 苦笑を浮かべ、受け取ったハンカチで額の冷たい汗を拭うと、嫌な頭重感を振り払うように軽く頭を振ってみる。
「あの人で間違いないね」
「………ええ」
「ナイフ……彼女から引き離せませんでしたね」
 突然噴き出したあの黒い炎。網膜に焼きつき、その残像は百合枝の視界を僅かだが冒し続けていた。
「あの様子では聞いてもらえないでしょう」
 重い溜息がふたつ重なる。
 と、唐突に電子的なメロディがみなものカバンから鳴り響いた。
「あ、すみません!」
 慌てて中を探って携帯を取り出すと、ディスプレイにはシュラインからのメール受信が示された。
 すぐに内容を確認してみる。
「―――――御母衣さん、百合枝さん」
「はい?」
「なに?」
「図書館へ行きませんか?シュラインさんたちも何か掴んだみたいです」



このまま、幸せな瞬間のまま、時が止まればいいのに



 閉館間近の都立図書館の前で待ち合わせた調査員達は、職員用の出入り口から図書館のさらに奥へと汐耶に案内された。
「すごい……」
 みなもが見上げ、溜息をこぼすように呟いた。
 そこは『本の海』という表現が似つかわしいほどに膨大な蔵書とともに刻まれた知識が眠っている。
 照明は次第に弱く、暗くなり、まるで海底を進んでいるかのような錯覚さえ覚える。
 誰もいない本の海底を漂うように、4人は汐耶の後をついて歩く。
 禁書や魔道書の類も封じられた地下倉庫へ向かうなかで、反響を抑えるように抑えられた声で互いの情報を交換していく。
 交友関係で繋がれた友人たち。知り合いの刑事。教会の植物。そしてアンティーク・ショップの店主。
 自分たちの前に提示された情報は、確実にひとつの答えを指し示している。
「店主の言葉も気になりますね」
 御母衣は形の良い眉を寄せる。
「綾和泉さん。宝石、特に魔石と呼ばれるものについての資料はこちらにありますか?」
「魔石ですか?それなら、『1649棚57A』の下段にあったと思います。待って下さい、持ってきます」
 自身の領域であるこの世界で、汐耶の纏う空気は鮮明な色を帯びる。
 
 広大な面積を誇り、膨大な在庫を抱える巨大な書物の中から、彼女が手にしたのは1冊の厚い本だった。
 何故、永遠を願う花嫁があのナイフを呼ぶのか。
 その答えとなるかもしれない逸話がそこには記されていた。

 物語ははるか数百年の時を遡る。
 ある錬金術師の手によって、血を封じて生まれた深紅の宝石。
 あらゆる夢と願いを叶え、永遠を約束すると言われたその石を巡り、人は争い、運命は流転する。
 永遠を望む者たちの手から手を渡りながら捧げられた命を得、より峻烈な美を湛えて力を増していく魔の宝石。
 それはやがて、1人の鍛冶屋の手に転がり込む。
 石の魅入られ、突き動かされるように、彼は緻密な黄金の細工を施し、ナイフの形としてこの世界に永遠の美を具現化しようと試みた。
 だが彼は、生涯最高傑作と呼ぶべき作品が完成したその瞬間、生涯の伴侶となるべき女性によって殺害された。
 彼女もまた、事切れた彼の骸の前で自らの命を絶った。
 心が離れていく。
 色褪せていく。
 自分をかえりみないモノ。
 恐怖よりもさらに心を蝕む不安感が、婚姻の契りを交わすはずだったその日、2人の間に悲劇をもたらしたのである。

 そこから先の物語は、今、御母衣たちの前に、死の連鎖として紡がれているのだ。

「御母衣さんにお願いがあるんだけど、聞いていただけるかしら?」
 彼女からナイフを取り上げることが困難ならば、別の手を打つまでである。
 花嫁自らが死を選ぶことを食い止めることは出来ないかもしれない。
 だが、確実なカタチで彼女の命を守ることはできる。
「もう先は越されないわ」
「ええ……これ以上、美しい色を穢させません」
「花嫁さんの幸せを奪うなんて絶対止めなくちゃいけませんよね!」
「私たちで今度こそ終わらせよう」
「この物語を私たちの手で終わりにしましょう」
 勝負は一瞬だ。
 タイミングを図り間違えれば、待っているのは悲劇の繰り返しと取り返しのつかない結末である。



 ずっとずっと……貴方は私のもの………



 教会の鐘がなる。穏やかな陽の光。透き通る緑の木々。
 焼け付くような白い十字架と白い壁。
 ヴァージンロードの両サイドを飾る赤い薔薇の花たち。
 永遠の愛を誓う者たちが集う祭壇の前で、彼女は純白のウェディングドレスを身に纏い、ステンドグラスから注ぐ光を受けるキリスト像を見上げる。
 今日という日をずっと待ち焦がれてきた。
 幸福感に目眩を起こしそうになる。
 だが、この幸せは、時間と共に穢れ、色褪せていくのかもしれない。
「……美奈子……」
 視線を手元に落とせば、あの日、死を選んだ彼女の胸に突き立てられていたモノが、いま自分の手の中にある。
 赤い石が濡れた光を放つ。
「今なら貴女の気持ち、分かるわ………」
 この幸福の瞬間を閉じ込めて、永遠にしてしまえたらいいのに。
 全ての時間を止めて、ここで終わってしまえたらいいのに。
 結婚したその瞬間に死ぬことが出来れば―――――
 カラン……
 硬質な反響は、花嫁の足元に滑り落ちた金色の鞘がもたらしたものだ。
 日の光に閃く冷たい白刃の感触を唇に押し当てる。
「………貴女も、こうしたのね………」
 これで、私の愛は永遠になる―――――
 見入られ、導かれるように、ナイフを逆手に握りなおすと、夢見るような表情で自身の胸へとその凶器を振り下ろした。
「―――――っ」

――――――ばさっ………

 白刃は、彼女の心臓を生贄にする前に、ドレスから姿を現した影を貫き、同時に反発を受けて宙に弾け飛ぶ。
「んっ」
 衝撃に意識を持っていかれた花嫁はそのまま後ろに倒れこみ、駆けつけた百合枝がそれを後ろから抱きとめる。
「みなもちゃん!」
「はいっ」
 シュラインの声が飛び、空を舞うナイフを、みなもの指先が踊る細い水流で絡め取る。
「壊れちゃえっ」
 昂った感情を水に乗せて力を送れば、膜の中で金色のナイフは粉々に砕け散る。
 その対角線に位置する汐耶が、頭上に分厚い本をかざす。
 砕かれたナイフの破片から溢れ、渦巻くエネルギー全てが、閉じ込められた水ごと中へ吸い込まれていく。
 その衝撃に耐える汐耶の体を支えるのは御母衣の手である。
 ページが繰られ、白紙の面に次々と異界の言語が刻まれていく。
 遠い昔、石に見入られ、呪を掛けてしまった鍛冶屋の物語のように、白紙の本に死の連鎖が文字となってページを埋め尽くしていく。
 パタン…と、汐耶の両手が赤い本の表紙が閉じた瞬間、渦巻いていた空気が唐突に凪いだ。
「……封印完了」
 指でなぞれば、その軌跡を追って金字の飾り文字が表紙に現れる。
 ナイフと共に、これに関する一切の記憶と感情をこの中へと封じてしまう。
 花嫁たちの物語は、永久にこの中で眠り続ける。
「……なんとか間に合ったわね」
 安堵の溜息と共に、シュラインが呟く。
「お疲れさまです」
「やりましたね!シュラインさん、すごいです!」
 汐耶とみなもが彼女に笑いかける。
 御母衣の手を借りたシュラインの仕掛けにより、悲劇の連鎖は断ち切られた。
「藤井さん、その方を私の方へ。控え室まで運んできますから」
「あ、お願いするよ」
 御母衣は百合枝の腕から意識を失った花嫁の身体を引き受け、そのまま控え室へ続く扉へと向かった。
 他の誰にもこの騒ぎを悟られないように、ナイフに関わる記憶が抜けた彼女の眠りを守るために。
「これで全部終わったわね」
 一連の動きで乱れた装飾を元通りに治すと、彼女達は何も告げずに教会を後にした。



 花嫁は幸せそうな笑みを浮かべ、純白のドレスを身にまとう、純白の教会の石段を、花婿の手を取り、降りてくる。
 ナイフに関する記憶と共に命の代価に永遠を望んだ心の闇すらも本の中に封じられた彼女は、迷うことも怯えることもなく、まっすぐに幸福の道を歩き出した。
 降り注ぐたくさんの祝福の花びらを受けながら、彼女はブーケを空に投げた。


「お嫁さん、きれいでしたね」
 木陰から彼女の式を見届け、うっとりと夢見るように笑みを浮かべるみなも。
「なあに?早く結婚したくなったの、みなもちゃん?」
「いいんじゃない?みなもならきっと可愛いお嫁さんになれるよ」
「そうね、いいと思いますよ?」
「え?え?あのっ」
 年上の女性達から口々に本気とも冗談とも取れない口調で肩や背を叩かれ、みなもの頬が一気に赤く染まる。
 御母衣はぐるりと彼女たちを見、それからふわりと優雅に。笑みを浮かべた。
「よろしければ…皆さんに化粧をさせていただきませんか?」
 彼にとっては、個性的で魅力的な最高の素材が4人も目の前にいる。
 化粧師としてというよりは芸術家としての性が、彼女達を放ってはおけないと告げている。
 思ってもみない御母衣の申し出に、彼女達はワッと歓喜の声を上げた。
「喜んで!」
 4人の笑顔が、眩しい陽の光の中で弾ける。
 彼女達のやり取りに口元をほころばせ、御母衣が静かに申し出る。
 教会と緑をバックに笑いあう彼女達の切り取られた瞬間。
 色褪せることなく存在する世界。
 


 あなたは、永遠を望んだことがありますか?



 結婚式場で撮った写真の画像をシュラインにCD−ROMに焼いてくれた。
 御母衣の手により化粧を施された、みなもたちの笑顔もそこには収まっている。
 あの幸福なひと時が、パソコンのディスプレイに、想い出をなぞりながら展開されていく。
 みなもが次々とファイルの中身をクリックしていくその隣では、興味深そうに同い年の妹が覗き込んでいる。
 依頼人の花嫁を取り戻すことは出来なかった。
 けれど、悲劇の連鎖を止めることは出来た。
 もう、あのナイフが幸福な2人を引き裂くことはなくなったのだ。
「もっと見る?」
 キレイだよね。素敵だよね。カッコイイよね。
 そうやって他愛のない言葉を掛け合いながら、はしゃいだ声で互いに自身の未来予想を思い描いていく。
 いつか自分たちも花嫁となる、その瞬間を夢見て笑いあう少女たち。
 『永遠』なんて望まない。
 『永遠に変わらないもの』など望まない。
 『愛』は命の代償に得るものではない。
 この一瞬一瞬を大切にして行きたいと、ただそれだけをみなもは強く願う。



「今回は思いがけず楽しい時間を過ごすことが出来ましたね」
 誰の耳にも届かない闇に沈んだ店の奥。
 アームチェアに腰掛けて、店主はゆるりとその口元に綺麗な笑みを形作る。
 コーヒーテーブルの上には橙の光を灯す天使を模ったオイルランプ、そして、白紙の赤い本と砕かれたはずの金色のナイフが置かれていた。
「………あの美しい者たちは、今度はどんな夢で私を楽しませてくれるんでしょうか」



END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13/中学生】
【1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)/女/23/都立図書館司書】
【1662/御母衣・今朝美(みほろ・けさみ)/男/999/本業:画家 副業:化粧師】
【1873/藤井・百合枝(ふじい・ゆりえ)/女/25/派遣社員】

【NPC/夢喰(ゆめくい)/男/?/アンティーク・ショップ『獏』店主】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。カワイイ顔して凶悪な某イタズラくまさんにトキメキモード全開の駆け出しライター・高槻ひかるです。
 このたびは、当依頼にご参加下さり誠に有難うございます。
 そして、相変わらず読むのが少々困難な長さになってしまって申し訳ございません。
 たいっっへんお待たせしました! 『花嫁のナイフ』をお届けいたします。
 さて、今回は皆様のプレイングを拝見し、普段より2割増ハッピーエンド志向(当社比)で展開させて頂きました。
 雰囲気もやや軽めな感じで、キャラクター性を重視しての展開とさせていただいております。
 なお、ラストのエピローグ部分は個別となっておりますので、もしよろしければ他の分岐点にも目を通してみてくださいませ。


<海原みなもPL様
 5度目のご参加有難うございます!!いつもお世話になっております。
 そして、先日はシチュエーションノベルのご指名、有難うございました。
 まっすぐで一生懸命だからこそ抱く事件に対する怒りと、花嫁に憧れる少女らしい側面が少しでも表現できていればと思います。

 それではまた、別の事件でお会いできますように。