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<東京怪談ノベル(シングル)>


青の海域


 波間をたゆたう一隻の船。
 背後からは絶え間なく大きな笑い声や、怒鳴り声が騒がしく聞こえてくる。
 すぐ側には切望してやまない水がそこにあるのに、触れる事も手を伸ばす事すら出来ない。
 なぜなら、いまはこの船の先端に位置するこの船を守護する飾り像がみなもだからだ。
 白い肌をした、見る物全ての目を奪い……その繊細さは心を捉えて離さないだろう彫刻。
 背後の人間は、彼女がいればこの船は沈まないだろうとすら言っていた。
 それほどに美しい。
 真摯な瞳で真っ直ぐに前を見据え、槍を抱えた姿は祈りを捧げるようで真摯な印象を与えながら、背中をたゆたう髪は包み込むような暖かさがあった。
 まさに今にも動き出しそうだと思える人魚の尾ひれ。
 動けないなら見えないはずだが、解るのだ。
 それもその筈、今のみなもは海賊達に呪いを受けた彫像であるのだから。


 そう、これは夢。
 本当ならみなもは今布団の中で寝ているはずなのだ。
 解っているはずなのに、とても苦しい。
 それが身動き一つ出来ない息苦しさから来るのか、みなもが帰りたい海へと戻れない事が原因なのか。
 あるいはその両方。
 固定された視界では海を見続ける事しかできなかった。
 青。蒼。碧。
 太陽を一身に浴びる昼の海、夕日で真っ赤に染まる海、夜の静かな海も見る事しかできない。
 ここにいては、水を感じる事も、水の中から見上げる空の美しさも見る事は出来ないのだ。 
(早く目が覚めればいいのに)
 何度もそう思ったが、それからも繰り返しくり返し変わらない日々を送り続ける内に、これが夢か現実化なのかすら解らなくなってくる。
 朝と夜を何度見ただろう。
 もしも夢だと思っていたこっちが現実で、本当の自分が彫刻なのだとしたら。
(そんな……)
 必死に否定しても、一度考えてしまった思考は留まらない。
 もしこのまま二度と動ける日が来ないのだとしたら、家族と話せる事ができないと考える事は恐怖だった。
(戻りたい!)
 強く願う。
 その思いが叶ったのだろうか、数日過ぎた頃にこれまでとは違う雨音が耳に届くころには次第に風邪も強くなり、海や船も大きく揺れ始める。
 昼であるはずの海は真っ暗に染まり、雷も鳴り始めた。今頃空は厚い雲に覆われているのだろう。
 時間の経過と共に、荒らしは更に強くなっていった。
 嵐の夜。
「あれ……?」
 手足が自由に動く事を理解し、手や足を動かし大きく腕を伸ばす。
 今のみなもの姿は、白い布を巻き付けた神話に出てくるような女神のようであった。
 自由に動く指が、柔らかく背中を流れる髪が、肌を打つ雨がこんなにも気持ちいいものだと言うことを知る。
 だがこれは一時的なものにしかすぎない。
 今は強い嵐がみなもの体を浸し、戻れたに過ぎないのだ。
 本当の自由を手に入れるには、この船の主である海賊王からみなもを船の彫像に仕立て上げた呪いの核を探し出し壊さなければならない。
 何故か解らないがそれを知っていた。
 そう、これは……夢。
「大丈夫!」
 喉を振るわし、確認する。
 声も出る、自分の足で動けるのだ……きっと、出来るはず。
「人魚が逃げたぞ!」
 海賊達が気付き、迫ってくる。
 みなもは手にしていた槍を構え、突き出されたナイフを払いはじき飛ばしながら空きになった胴へと柄の部分を叩き付け眠ってもらう。
「ごめんなさい、あたし行かなきゃいけないんです」
 目指すは財宝室、そこが核のある場所だ。
 足の裏に直接感じる水が心地よく、それだけで勇気をくれる。
 けれども時間がない。
 肩に感じた重みを確かめようと触れた部分は白い石像に変化を始めていた。
 血の通わず硬質化された部分が増えればそれだけ不利になる。
 それ以上に体が石化するのはもう沢山だ。
 十分すぎるほどに、あの恐怖は味わっているのだから。
 世界の全てに触れる事を禁じられ、一人取り残される恐怖。
 キュッと唇を引き締め前を見据え、床を蹴り槍を振るい海賊達を受け流していく。
「お願いです、引いてください!」
「逃がすかよ!!!」
 尚も伸ばされた手から逃れるように、体を屈めて滑りやすくなった足下を払い転ばせ、背後からきたもう一人のあしへと槍を差し込み転倒させる。
 キシリと体か軋んだ。
「時間が……ないんです!」
 布の隙間から見える胸元が石化を始めた、固められていく息苦しさに動悸が速くなる。
「大丈夫……落ち着いて、落ち着かなきゃ」
 動ける内にたどり着かなければ、ずっと彫像のままかも知れないのだ。
 槍を握り治し、船の最深部へと向かう。
 いくつかの扉を抜け、はしごを下りた所には3人の海賊達が待ちかまえていた。
 部屋の反対側には今までの物とは明らかに違う装いの扉。
 もう少しなのに……。
「呪いが解けたか」
「……はい」
 細心の注意を払いながら、うなずく。
 この狭い部屋で3人を一度に相手するのは不利だ。
「海に帰りたいだけなんです、通してください」
 必死の訴えに3人がとっと笑う。
「通してくださいだと、かわいいなぁ」
「どうする?」
「いいじゃねぇか、通してやろうぜ。後一時間ぐらいしたらよぉ!」
 げらげらと笑う3人は腕に自信があるからこそなのだろう、笑うばかりでみなもを通す気はないようだった。
 時間がないのに。3人の後ろにある扉さえくぐれば財宝室なのに。
「本当に怒りますよ」
「だったらどうするよ!?」
「戦います!」
 水を呼ぼうと上げかけた片手が上がらず心臓が跳ねる。
 この短時間で左手が彫像に戻ってしまったのだ。
 自覚した途端、石化しきっていない腕の中の血液が不自然に流れ初め……生身の部分に、そして心臓へと負担がかかり始める。
(間に合う……?)
 顔には出さない様に槍を構えると背後の扉が開く。
 背の高い、豪華なマントを羽織った男。
「船長!」
「海賊王と呼べ!」
 大声を張り上げ、みなもを見据える。
「ここは俺達が、海賊王」
「絶対に通さねぇから!」
 3人の言葉にニイッと笑い、片手をあげる。
「女相手に負けねぇよ。表へでな、俺に勝ったらこの核は好きにしやがれ!」
「解りました、あたしも負けませんから」

 そして再び雨が降りそそぎ雷が鳴り響く甲板へと上がる。
「かかってきな」
「………いきます!」
 大きく揺れ動く船の上でみなもが槍を構え海賊王へと向かい軽い動作で床を蹴った。
 つきだした槍を避けながら腰にあった剣を抜き放ち応戦を始める。
 さすがに強い。
 水場では有利だが、体が石になりつつある状況では時間が立つほど動けなくなっている。
(焦ったらいけない……)
 完全に動かなくなった左腕を誤魔化しながら、みなもは何度も槍を打ち込むが受け流されてしまう。
 次第に足も動かなくなってきた。
「どーした、動かなくなってるのか!? 白い足が見えてるぜ!!!」
 勝負は一度。
「そんな事……ありませんっ!」
 槍を甲板へと突き立て、ヒラヒラとした服をなびかせながら高く飛び上がる。
「くっ!」
 生身でなら出来なくても、石化した足でなら剣だって折る事は可能だ。
 澄んだ音を折れる剣。
(やったっ!)
 確かな手応えを感じながらみなもは座り込む。
 両足とも完全に動かなくなっていた。
 早く核を奪い返して呪いを解かないと……たが、目の前に立つ海賊王は折れた剣の柄を捨て起き上がる。
「やるじゃねぇか」
 懐から取りだした銃の引き金を引く。
 ガウンッッ!
「……きゃぁ!」
 耳が痺れるほどの大きな音が耳元を掠める。
 幸い当たった箇所が石化していたおかげで事なきを得たが、次も上手く行くだろうか。
 槍を構えて反撃する隙はない、何とかして策を練らないと………。
 銃口から目をそらさないようにして、唯一動く右手で床を探る。
「残念だったな」
 引き金が引かれる直前。
 みなもは掴んだ何かを海賊王へと向かい放り投げる。
 それは……折れた剣の先端だった。
 とっさに身を引きはしたが、空を覆う落雷の一つが剣へと落ちる。
 海賊王の、そぐ傍で。
「ーーーーっ!!!」
 声に習い悲鳴。
 大きな体が煙を立てて甲板へと倒れた。
「お頭ーー!!」
「ゥ……うう……」
 どうやら生きてはいるらしい。
 手下達が駆け寄る海賊王の手からは、砕けた核が転がり落ちる。どうやら今の衝撃で壊れてくれたようだ。
 風に乗って流れていく核が、みなもの体に触れ元の肌の色と柔らかさを取り戻す。
 呪いは解けたのだ。
「よかった……これで帰れる」
 船のヘリに腰掛け、顔や体全体に浴びる雨を感じながらゆっくりと海に向かって体を傾けていく。
 人魚の姿を取り戻したみなもが水中へとその身を投じる。
 上の嵐が嘘のような静かな海。
 澄んだ音を感じながら、意識は水へと解けていった。



 ゆっくりと覚醒する。
 暖かい布団に包まれ、カーテン越しに差し込んでくる柔らかい光を浴びながら目蓋を開く。
「……夢?」
 時計を見ればアラームの鳴るきっかり五分前。
 珍しくすっきりした夢に気分がいい。
 今日は、一日気分良く過ごせそうだった。