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<東京怪談・PCゲームノベル>


音楽都市、ユーフォニア ─シェトランの帰還─

【-】

──何年前の事だっただろう。
 ヘッドホンでレコードを聴いていた俺に、忍が云った事がある。

「そんなフルボリュームを耳許で聴いてると、その内耳がおかしくなるぞ。聴覚が犯されると、高い音から順に聴こえなくなって行くんだ」

 別に、構わ無ェよ、と俺は答えた。

 どうせ、そう長く生きやしないだろう。俺も、──お前もな。

【zero】

差出人:ZERO<zero_ray_xx@XX.hotmail.com>
宛先:結城忍<pianoforte_xx@XX.musique.fr>
件名:レイです。
日付:Sat, 18, Oct 2003

レイです、パパ、元気?
最近、あんまりメール呉れないよね。
忙しいのかなー、とは思うんだけど、こっちのメールちゃんと届いてるのかな、とか、元気かな、とか心配だから、一言でも返事呉れると嬉しいです。

所で、12月に日本でコンサート演るのね。知らなかった。
凄く嬉しいんだけど、帰国日とか時間、直接私にも教えてね。

磔也のピアノは相変わらず、マニアックな技巧ばっかり極めてるっぽい。
聴いてて私が疲れるわ。
早くパパのピアノが聴きたいです。
そうそう、この間冨樫さんのオーケストラの公演に行きました。
冨樫さん、今年から第一奏者になったのよ、知ってた?
ボレロ、凄く良かったです。

返事、待ってます。

レイ

──────

「……、」
 結城・レイ(ゆうき・れい)はメールボックスを開き、溜息を吐いた。
──来てない。
 パリはフランスのコンセルヴァトワールで教職に就いているピアニスト、父、結城・忍(ゆうき・しのぶ)からの返信だ。6年前、レイと弟を東京に残してフランスへ発ってしまった父は、以前は最近の活動やパリでの生活について定期的にメールを送って呉れていた。それがぱたりと途絶えたのが半年程前からである。その間もレイはメールを送り続けていたのだが、弟から忍が近日帰国するらしい、という話を聞いてからも相変わらず返事は無かった。
「……何かあったんじゃなきゃ良いけど」

【0I】

 11月9日日曜日午前8時過ぎ、セレスティ・カーニンガムは就寝中の所を通信機の呼び出し音に依て叩き起こされた。
「……何事ですか」
 穏やかな彼の声は非常に不機嫌そうだったが、別に怒っている訳では無い。ただ、低血圧気味のカーニンガム総帥、単に気懈かっただけなのだ。然し、その事は屋敷の使用人や彼の統治するリンスター財閥内でも、総帥と会話できる地位にある者なら誰でも知っている。そこを敢えて叩き起こしたからには、それなりの理由があるのだろう。
 通信に出たのは、財閥との連絡と秘書、あとは勝手に総帥の忠実な護衛を任務としている秘書、陵・修一(みささぎ・しゅういち)である。
──お息みの所申し訳ありません、ですが……。
「……構いませんから……、何がありました?」
 セレスティは、──出来れば、もう少し眠りたかった所だが──と思いつつも寛容に先を促した。
──奴、……失礼しました、水谷の動向について、情報が入りました。

 水谷・和馬(みずたに・かずま)。
 2ヶ月程前の事だ。セレスティは勝手に邸内に潜り込み、書斎に突如出没した怪し気な自称メッセンジャーの少女の誘いで(後に「今度は玄関からお出でなさい」と注意した所、彼女は悪びれた風も無く堂々と「玄関から入ったわ」と嘯いたが)、ベルリオーズの「幻想交響曲」の世界を垣間見た。その幻想世界、当初はその水谷の依頼で、彼の親友でもある映像作家の青年が恋人の死のショックで病んだ精神を音楽に取り込まれてしまった、と云う事だったのだが、蓋を開けてみれば恋人を殺したのも、その罪を映像作家に着せようと画策したのも水谷本人である事が判明した。──大体、セレスティには大方の予測はついていたのだが。
 修一は水谷に殺された恋人の兄である。彼は個人的に水谷を疑い、裏付け捜査を草間興信所に依頼に行ったのだが、真相を知り、幻想世界を一部垣間見てしまった修一も精神を大分病んでしまった。
 幻想世界を脱出し、罰として精神を幻想の中に閉じ込められた水谷の肉体は植物状態となってとある病院に収容された。同時に修一もまた茫然自失の廃人一歩手前に陥り、社会復帰が危ぶまれる身となってしまう。……その修一を都合良くセレスティに押し付けたのもまた自称メッセンジャー、結城・レイ(ゆうき・れい)なのだが。
 
 植物状態である筈のその水谷が、入院から1週間後に病院から姿を暗ました事をセレスティは独自の情報網から知った。
 水谷を憎んでも憎み切れない修一に知らせるのはどうかとも思ったが、逆に云えば決着を着ける事にもなる。敢えて、修一にも方々の調査を任せてセレスティは調査を開始した。

『グルックの祭典──オルフェオとエウリディーチェの再発見と古典派ピアノの前夜祭── 日時:2003年12月19日(金)/20日(土) 場所:巣鴨ユーフォニアハーモニーホール 前夜祭ピアノ独奏:結城忍(コンセルヴァトワール教授)』

 修一が先ず、セレスティに示したのはコンサートの告知ビラである。
「おや」
 結城忍……、結城。
「裏を見て下さい」
 修一の言葉に、セレスティは一旦結城というピアニストの事は放置して裏面を見た。
 裏面の末尾には、次ぎの一言が書き添えてある。

『現在、コンサート運営アルバイトスタッフ募集中。希望者は履歴書持参の上、担当者(水谷)まで』

「ホールに確認を取りました。水谷和馬、彼本人です。何故かは分かりませんが、今現在水谷はそのコンサートの運営で人事を担当しています」
「何か繋がりのある人間関係は?」
「ありません、以前の会社の繋がりでも無いようです。……ただ、繋がりらしい繋がりと云えば、その結城と云うピアニストですが。……彼の息子が、頻繁にホールの運営事務所に出入りしているようで、接触がある事が分かりました」
「その、結城氏の御令息の御名前は?」
「磔也です。結城・磔也」
「……、」

 それと、と最後に修一は告げた。
「総帥のお知り合いだと云う学生が、面会したいと云って来ています。御影、と云えば分かると云っていましたが、お会いになりますか」
 友人です、是非お越し頂くようにとセレスティは答えた。

【xxxD】

 磔也の精神は、妙に冷め切っていた。感情の起伏が無い。その代わり、異常な速さで回転する思考は時折その速度で以てダイナミクスを示した。
 思考の速度では涼も負けはしない。何とか彼の精神の流れに追い付こうとした結果、時折その中に引っ掛かりのある言葉を拾い出す事が出来た。

 舐めんなよ、この優男。──シドニー、……──他人と同調出来るんだか何だか知らないが、無駄だ。──クシレフ、……──俺は直感で物事を考えたりなんかしない。あのバカ女とは違うんだ。──シェトランが帰る、……東京コンセルヴァトワール、──
 物事に本質なんか無い。あるのは、理論に基づいた根本だけだ。

 ──芸術の勝利と革命を。──

【2I】

 11月13日木曜日、朝一番「手配」を済ませ、セレスティは修一を伴って車に乗り込んだ。
 先日、御影・涼(みかげ・りょう)が顔を見せ、こんな事を云い出したのである。

「磔也、──覚えてますよね、この間の幻想事件の時の。レイさんの弟ですけど。この間、あいつから電話があったんですよ、亮一さんに。何でも、護衛の依頼って云う事なんですけど、これがまた怪しくて。彼の父でフランスから帰国するピアニストが、空港で狙撃されるかも知れない、それを助けて東京まで連れ帰って欲しいって云うんですよ。妙な点がいくつかあるし、何か企んでそうなんですけど、敢えてノろう、って云ってて。当日は、亮一さんの他にも翔さんて探偵事務所の人と、俺、それに孝さんとシュラインさんが空港に行きます。……セレスティさんも誘ってみようかと思って」
 
 それをセレスティは快諾した訳だが、涼は去り際に情報を残して行った。

「磔也は、東京まで連れ帰って呉れればあとは自分で何とかするって云うんですよ。妙でしょう? それなら最初から空港に行けばいいのに。それと、孝さんから聞いたんですけど。レイさんが、妙な事を云ってたらしいんです。『私と磔也は東京から出られない』、って。あたかもそれが当然の事のように。それと、俺、ちょっと磔也に心理戦を仕掛けてみたんです。あいつもなかなか性格があれですから、素直には引っ掛かりませんでしたけど、ヒントになりそうな単語が拾えたので一応教えておきますね」

「シドニー、クシレフ、シェトラン、東京コンセルヴァトワール」
 車中で、修一は手にした書類を読み上げた。その単語と、結城忍、レイ、磔也についての情報を集めさせていたのだ。

【zero】

「まず、レイと磔也は結城忍の養子です。戸籍にはそう記載されている。結城忍に結婚歴は無い。レイは出生直後からですが、磔也が引き取られたのは彼女に遅れて7歳の時。磔也は現在も都内の公立高校に在学中で、義務教育も受けています。──が、結城レイには学歴は何故か一切無い。不登校なんてものでは無く、教育期間に入学手続きを取った痕跡さえ一つも無い」
 ──……──。
「因に、結城レイと磔也が生まれ育ったのは普通の施設では無く、音楽の早期教育を目的とした研究期間です。つまり、彼女達はそこで出生した訳です。結城忍は若い時にそこで音楽教育を受けている。……妙な話ですが。その機関は今から6年前に突如解体されました。……そして、全く同じ時期に今度は『東京コンセルヴァトワール』という、フランスのコンセルヴァトワールと提携した音楽教育機関が創設されています。……そう、それまでは対してフランスの音楽界にも繋がりの無かった結城忍が、突然コンセルヴァトワールでの教職に就いた時期と一致します」
 ──……──。
「現在、結城レイと磔也は都内の某マンション、これは結城忍の所有になっていますが、そこに2人で暮らしています。結城忍からの仕送りは無く、その代わり、ある機関から毎月、一定額の生活費が支給されています。磔也の学費等も含めて。……そう、東京コンセルヴァトワールから」
 ──……──。
「『シェトラン』については、ベルリオーズの著書の登場人物の名前と見て間違いは無いでしょう、他にそれらしい人名もありませんし」
 ──……──。
「シドニー、ですが、一体何を指すか断言はし兼ねますが、結城氏のコンセルヴァトワールでの教え子の中に同名の少女が居ました。……シドニー・オザワ。日仏ハーフで現在18歳。彼女の出身は日本で現在は留学中ですが。……彼女の出身が、実はレイと磔也が結城家の養子になる前に所属していた組織と同一です。詳細までは調べようがありませんでしたが、音楽の早期教育を主としていたその組織からは音楽面で好成績を残した子供が輩出されています。シドニー・オザワも9歳の時に国内の大型コンクールで目覚ましい評価を上げ、11歳からフランスに留学。留学資金は奨学生として東京コンセルヴァトワールが全面援助。実は、渡仏したのが結城忍と同時期です」

【3BCDGHI】

 成田空港の入口では、身分証明書の提示を求められる。車を降りた亮一が触り気無く孝に手渡したのは、偽造の比較的簡単な保険証である。
「どうせ、そうじろじろ見る訳では無いでしょうから、大丈夫ですよ」
 その他はシュラインも涼も亮一も翔も問題は無い。
 警備員を振り返ったシュランがぽつりと呟いた。
「……話には聞いてたけど、特に厳しいのね、成田って。……この警備を通過して中に入る相手となれば……あまり甘くは考えられないわね」

 第二ターミナル1階。審査を通過して2階からエスカレーターで降りて来る旅客は今現在も絶えず、そうした流れや便名の表示をチェックしていたその時である、周囲が俄にざわめき立った。
「……あ、」
 そちらを見遣った一同は唖然とした。自然と身を引いて道を空ける群集の中を威風堂々と罷り通るのは黒服にサングラスの一団である。……何と云うか、良く云えば壮観、悪く云えば、──怖い。
 そしてその黒服の男達に前後を囲まれて姿を現したのは車椅子の青年、──白銀色の長髪を靡かせ、穏やかな微笑を浮かべた白皙の麗人である。
「……セレスティさんだ」
 涼が彼に気付き、元気よく手を振った。何も知らない周囲の人間から見れば、怖い者知らずとしか感想を抱きようの無い行動である。
 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)、彼等と同じく先日の幻想交響曲事件で幻想世界を垣間見た若き(多分、そう信じたい外見の)リンスター財閥総帥だ。セレスティは軽く手を上げて涼に応え、一同の前まで来ると莞爾と笑みを浮かべて挨拶を述べた。
「遅くなって申し訳ありません。……彼等の手配に手間取ってしまって。今日はよろしくお願い致します」
「彼等……、」
 シュラインは苦笑して黒服達を眺め、孝は慌てて「異世界監視日誌」ノートを取り出した。
「まさか、ここでセレスティさんにまでお会いするなんて」
「……これはエマ嬢、今日も相変わらずお美しい。先日は大変助かりました。礼を述べます」
「……涼?」
 亮一がにこにことそんなシュラインとセレスティを眺めている涼に苦笑を向けた。
「ナンパして来たんです。セレスティさんも、この間からの経過について色々調べてたみたいだから」
「……、」
 全く、怖いもの知らずな……。その時、彼等は車椅子を押していた青年があまり友好的とは云えない視線を向けている事に気付いた。──見ない顔だ。が、どこかで見た事があるような……。
「……ああ、陵・修一君です。先日来、秘書を務めて頂いています」
 ──驚いた。幻想交響曲事件の引き金となった女優、故・陵千鶴子の兄だ。
「先日は、妹の件で大変お世話になりました。……僕も少し気が立ってしまいまして、すみませんでした」
 修一はそれだけを素っ気無く云い、未だセレスティの車椅子を庇うように手を掛けたまま相変わらず穏やかでは無い視線を投げている。どこかで見たと思ったら、あの女優の兄だけあってどこか顔立ちが似ていたのだ。
 修一の険しい視線は、特に涼に向いている。
「……あ、先日は」
 涼はセレスティを「ナンパ」しに行った際、彼と顔を合わせている。今回の結城忍の護衛の件を告げ、セレスティ自身が首を縦に振ったものの、胡乱そうに涼を「監視」していた修一が血相を変えて反対した事は記憶に新しい。『何を云っているんですか、あなたは、そんな、どこの誰がどんな危険な行動に出るかも分からない場所へ総帥を連れ出そうと云うんですか?』と。
 どうも、一旦全てを失ってセレスティに引き取られて以来、彼に心酔していると思しい。
「申し上げておきますが、僕は例え総帥が寛容でも賛成した訳ではありません。……総帥に若しもの事があれば、僕はあなた方を決して許しませんから」
「……、」
 きっぱり、とそう告げた修一を前にシュラインと亮一は苦笑を見合わせつつに挨拶し、孝は首を傾ぎつつも肩を竦めた。──間違ってもカーニンガム氏と『アレ』やったらヤバいよな、完璧殺されるよな、いや、俺は不老不死だから本当には死なないけど、一応気を付けたほうが良さげだよな……。
「そちらの方は、初めてお会いしますね?」
 セレスティが笑みを向けたのは、翔だ。
「どうも。沼──田沼と同じ探偵事務所の特殊所在調査専門を受け持っています、緋磨・翔と云います。カーニンガムさんの事はこいつらから伺ってますので」
「初めまして、改めましてセレスティ・カーニンガムと申します。以後御見知り置きを」
 一応は和やかに挨拶が交わされる中、──とうとう孝が疑問を爆発させた。
「……ときに、あの連中は一体、何?」
 そう、未だ空港中の人間から畏怖の視線を集めている、黒服の男達の事である。──それを従えているセレスティ自身が最も畏れられているだろう、と云う事はこの際抜きにして。
「SPですよ」
 事も無げにセレスティは答えた。
「いや、それは彼等の顔に書いてあるんですけど」
「凄いなあ、流石セレスティさんだ。こんな人達を連れて来て呉れるなんて。これで、戦闘が起こっても大丈夫ですよね。空港の人へはセレスティさんに弁明をお願いして」
「無茶苦茶な事を云わないで下さい。総帥には、総帥の考えがお在りです」
 無邪気な歓声をあげた涼に、冷たく修一が云い放った。軽く手を上げて彼を制止したセレスティが後を継いだ。
「彼等は、いわば演出ですよ。表向き、取引先の重役をお迎えする為と云うことにしてあります。相手が手を出すのを躊躇う程に目立とうと思えば空港ではこれ位の効果が必要でしょう。何か野蛮な事が起こっても云い訳が立ちますが、流石に私達の中の人間まで武器を振り回すのは望ましく在りません。警察沙汰になれば厄介ですよ。空港内では相手が人目を避けて手出しを控えて呉れることを祈って、……御影君達の活躍は、空港を出てから」
「……なるほど……」
 矢っ張り、この人には適わないなあ……と涼は感心した。「でも、」と不安そうにSP連中をちらりと一瞥したのシュラインである。
「結城氏には何て説明すれば云いのかしら。自分がこんな……その、物々しい方々に護衛されて空港を出る理由を」
「では、或る財団のトップがあなたのファンなので是非、とでも」
「……、」
 シュラインは無言で深々と頭を下げた。「私も、あなたには適いません」とまたその態度が告げていた。
「……沼、みんな」
 翔が、俄に張り詰めた声を低く発した。
「──来たぞ、……敵さんのお出ましだ」

【4BCDGHI】

 翔は、空港に到着してからずっとそれを伺っていたのだ。涼の「感応能力」を拝借し、彼女自身が「アンテナ」役となって空港から周辺の広範囲に渡る感情の群れを。結城氏を狙っている連中が現れたとすれば、「人間一人抹殺しようと」している程の殺気は見分けられる筈だ。とうとう、現れた。
「数と方角は?」
 涼は即座に表情を引き締め、翔に確認を取る。
「……多いな、少なくとも、10人は居る。、そこそこ出来る奴が。……これからバラバラに配置するようだ」
「飛行機の到着は、未だよね。……見通し不良で、更に1時間程の遅れが出るようだし」
 シュラインが電光掲示板と、航空機の情報を伝えるサイトを表示した携帯電話片手に呟いた。
「あちらも余裕を持って行動する気でしょう。磔也君だって、念の為朝には空港へ行くように、と云っていたんですから」
「らしいな。で、どうするかな、沼?」
 ばらばらに空港内外に散りだした存在それぞれに注意を向けつつ、翔は田沼を振り返った。
「……ともかく、最優先は結城氏の安全です。相手が数でこちらに勝っている以上、この広い空港内であまり分散するのは危険です。どの道、結城氏が旅客機を降りてまず通過するのはこのロビーの筈。先ずは彼の身柄をこちらが先に確保できるよう務めましょう」
「あまり、騒ぎにならないようにね」
 セレスティがやんわりと釘を刺した。意外と血の気の多い、好戦的な性格の面々と踏んだらしい。
「だったら、尚更結城氏にも命を狙われている事は云えないわね、少なくともこの空港内では」
「でも、どうやって説明するよ? 結局、相手も俺達も全っ然面識が無いだろ」
「レイさんと磔也君の友人、と云いましょう。名刺でも渡せばある程度は信用して頂けると思いますし」
 亮一が、探偵の心得として(探偵と表記すると警戒されそうな際に備えて)名前と、連絡先だけを印刷した名刺を示しながら提案したが──。
「けど、あ、初めまして結城です、うちの子供がお世話になって、いえいえこちらこそレイさん達には迷惑掛けられまくって、とかぐだぐだしてる内に手間取って相手に追っつかれる時間を与えそな気がするんだが」
 くしゃくしゃ、と深緑色の短髪を掻き回しながら、孝は何気なく云う。大雑把な性格故の冷静な判断力は、意外に的を得ていた。
「盗聴、──相手に聞かれる可能性もある。別に、聞かれてそうそうヤバい事もないが、相手の正体が分からない以上何が致命的になるか分からないからな」
 翔もそう意見を述べた時、それまで軽く腕を組んで考え込んでいたシュラインが徐ら「ねえ、」と顔を上げた。
「結城氏の説得は、私とセレスティさんに任せて貰えないかしら。相手に聞かれても大丈夫なように、且つ迅速に私達に従って貰えるよう挨拶してみるわ。その間に『戦闘班』の皆には牽制と見張りをお願いして。……そうそう、田沼さんは、飛行機が到着したら直ぐにでも車を出せるよう準備して貰いたいかも」
「そうですね、」
 それもそうだ。空港を出たら直ぐにでも発進出来るよう、準備は必要だ。亮一は頷き、セレスティに非常口の場所を確認した。
「でも、どう説明するんですか?」
 涼の質問に、シュラインは片目を瞑って微笑んだ。
「コンセルヴァトワールの教師専用の作戦、かな」
 そしてシュラインは、孝にはこうも云い加えた。
「天音神さんの、先日の必殺技は予々伺っているけど……出来れば、アレは空港を出てからでお願いね」
「誰も進んでやるかよ、……つーか、何で知ってんだよ、シュラインさんが!!」
「レイさんに写メール、貰っちゃった」
 シュラインが悪戯っぽくちらり、と見せた携帯電話の中身を推察した孝は、場所が場所で無ければ絶叫する所だった。
「あああ……シュラインさん……、美人だし料理も上手だし良い人なのに……何で……、」
 孝は頭を抱えて空港の床に蹲った。レイがシュラインを始め幻想事件に関与した面々に配信した写メール画像、──それは、今は名前は伏せるが淡い緑色の長い髪に金色の瞳の美少女の写真である。
 そう云えば、とシュラインはふと携帯電話に視線を落とした。
 朝から、レイには「実況報告するから待っててね」とメールを送っていたのだが、一向に返事が無い。磔也の監視でもして、圏外に居るのだろうか?
「あ、亮一さん」
 そう、呼び掛けて涼は亮一の腕を引いた。
「はい?」
「あのさ、ややこしくなる前に車に戻るなら、……これ、先に積んで置いて欲しいんだけど。結城氏が到着したら、それ所じゃ無くなるかも知れないから」
「……、」
 亮一は、そうした涼が律儀に差し出したナイロンの買い物袋を見て苦笑した。空港内の土産物屋のロゴが入った袋の口から見える菓子折りには、「東京ばな奈、見ぃつけたっ」と云う文字。
「……ちゃんと、買ってたんですね。いつの間に……」
「……いや、あいつ、拗ねてるだろうしさ」
 分かりました、引き受けますから安心して、と亮一は「東京ばな奈」の袋を受け取った。

【-】

 千葉県、成田空港午後13時11分。
「──こちら、成田空港。AF27X便、只今到着した。シェップ、指示を願う。……『シェトラン』の帰還だ」

【5_1BCDGHI】

「もうすぐ出て来るぞ、気を抜くな」
 ゲートを見詰めながら、翔がそう告げる。
「……、」
 視線を一斉に向けた一同に緊張が走るのは仕方が無い。あくまで冷静且つ余裕のある微笑を浮かべたセレスティを除き。──こと、掛かっているのが他人の命であれば緊張して当然なのだ。
「じゃ、俺は車を回します。変更があれば、涼、連絡を頼みます」
「分かった、亮一さん、よろしく」
 亮一は少しだけ笑みを浮かべ、片手を上げて踵を返した。
 結城忍と同じ便に乗っていたと思しい乗客も、なかなか出て来ない。ゲートの中で先ず荷物を受け取って、チェックを受けて──、時間が掛かるのは当然だろうが、その隙にゲートの中で狙撃でもされたら? だが、無理に中へ飛び込んで騒ぎを起すのは避けたい。人目と云うのは、意外に厄介だ。
「……大丈夫、中には気配は見えない。……それより、大分空港の外で構えてるな。沼なら大丈夫だろうが……」
「矢っ張り、空港内では騒ぎを起したくないのは彼等も同じなんでしょうね」
 翔とシュラインの遣り取りを聞いていた孝が挙手した。
「……あのさ、この際、俺もバイクあるし、田沼さんと一緒に外で待ってようか」
「……そうだね、どうも、外に重点を置いた方が良いかも知れない」
 涼が同意したのを受けて、孝は田沼に合流する事に極めた。

【5_2CDHI】

 亮一と孝が去り、シュライン、涼、翔、セレスティ(+修一とその他大勢のSP)がゲートの外で待って暫くした時だ。
「……、居た、」
 入国審査を特に問題無く通過したらしく、たった今一人の男性がゲートを出て来た所だ。穏やかだが少し気難しそうな目許に、前髪の長い黒い短髪。写真にあった通りの結城氏の顔である。
「本物か、涼?」
「そうだと思う、……うん、あの人がレイさんと磔也のお父さんだ」
「陵さん、セレスティさんをお借りします」
 シュラインは修一に隙を与えずセレスティの車椅子を押し、結城忍へ向けて歩み出した。
「Monsieur YUKI!!」
 シュラインが叫んだ。──フランス語である。涼と翔は瞬時にシュラインの意図を理解した。
「そうか、……フランス語での会話。6年もフランスで生活していればフランス語は分かる筈、」
「『聞かれて』いても、理解するのに時間が掛かる筈だ。英語ならともかく、フランス語はな。こちらの意図を読まれる心配は無いな」
 各種言語を得意とするシュラインにとって、フランス語での挨拶など何でも無い。あとは、出来るだけ迅速に行動して貰えるよう、手際よく会話する事だ。
 笑顔で名前を呼んだシュラインを見遣った結城忍は、やや怪訝そうな表情で小首を傾いだ。──大丈夫だ、端から無視される事は無さそうだ。
「C'est bien Monsirur YUKI. Je suis tres heureux de vous voir. Permettez-moi de me presenter. Je m'appelle Shulein Emma. Ray et Takuya les mon amie.」
 シュラインは丁寧だが手短に、自分の名前とそしてレイと磔也の友人である事を告げた。そしてセレスティと背後の黒服達を示し、「この方は去る財閥の総帥なのですが、芸術に非常に造型の深い方で、あなたの帰国を知って是非御挨拶をと」と微笑みかけた。
「……Je vous remercie de votre……、……A vec tout ca……、」
 忍は戸惑い勝ちにシュラインとセレスティを見比べながらそう返事を返し、──その時だ。
「スリだ!!」
 涼だ。涼が突如大声を張り上げ、「掴まえてくれ!」と云いながらある方向へ向かって駆け出した。
 涼の行動に驚いたように目を見開き、慌てて踵を返したのは旅客に紛れていた、極普通のサラリーマン風の風体の男である。
 だが、周囲にくまなく注意を向けていた涼は見逃さなかった。いかにもビジネス中、といった風を装っていたその男が、アタッシュケースから銃を取り出そうとしたのも、携帯電話で話しながら妙に声を顰めていた事も。
 結城を狙っている連中の内一人だ、と気付いた。そこで、機転を利かせた行動で取り押えに走った訳である。
 面喰らったのはスリ呼ばわりされた彼の方だろう。自分が、忍を狙撃すべく彼等の隙を伺っていたのに、不条理にも何故か「スリ」と云う一言で追われる身に状況が急変したのである。
「スリか、そりゃとっ掴まえない訳には行かないな」
 翔は冷静極まりない声で呟き、シュラインには目配せを、セレスティには「私達で連中を食い止める、無事外に出たら追い付くから、先に」と耳打ちして涼に続いて駆け出した。
『南口三番から出て下さい。そこで、亮一さん達が待ってます』
 一旦振り返った涼は、シュラインに向けて口の動きだけでそう伝えた。

【5_3CI】

 忍の方は、一体何が何やら分かっていないようである。
 飛行機を降りてみれば車椅子の麗人と黒服連中の歓迎を受け、娘と息子の友人だと云う美女が笑顔でフランス語の挨拶をして来たと思えば今度はスリ騒ぎである。まあ、常人ならば混乱も来そう。
「Au voleur !(スリよ!) Allez vite, s'il vous plet !(早くして下さい!)」
 忍は益々混乱した表情になった。何故、スリ騒ぎが起こったからと云って自分が急がなければ不可ないのか?
「Mais,」
「Je suis presse !(急ぐのよ!)Tournez au prochan croisement a droite !(あそこを右に曲がって!)」
 半ば強引に背中を押したシュラインに、流石の忍も「Hola !」と抗議したが、こちらは命懸けなのである、それも、あんたの。
「Allons !  ……セレスティさん、」
 シュラインは殆ど気迫で忍を黙らせ、車椅子を押そうとした。が、セレスティは穏やかにそれを制止する。
「結城氏を。私は未だ少し残ります。車は別にありますし、先にともかく脱出して下さい」
「でも!」
「大丈夫です、SPも居ますから」
「……じゃ、」
 シュラインはセレスティを修一に任せ、忍の腕を引いて有無を云わさず非常口へ向けて駆け出した。

【-】

「どっちだ、どっちへ行った!?」
──……はぁ……あの、ト……トルネードが何たら……。
「はぁ!?」
──申し訳ありません、……外国語で。
「この、役立たず、」
 男は、苛立った様子で携帯電話を別の番号に繋いだ。
「シェップだ。……成田に於けるシェトランの捕獲は失敗だ。予定を変更する。東京に、結城の娘が居る筈だ。息子の方は厄介だ、姉の方を確保しろ。我々も直ぐ都内へ戻る」

【zero】

 ──居ない。
「も──!! どこ行ったのよあの不良学生!」
 レイはここ数時間、朝から姿の見えない弟を探して東京中を走り回っていた。
「まさか抜け駆けして空港行ったとか、……無いわよね、それは」
──東京を出られないのはあいつも同じだし。
「……パパに何かしたら、あいつ、本当に許さない」
 気を取り直し、再びロードバイクに跨がろうとしたレイの意識はそこで途絶えた。
「……──、」
 視界が、一瞬で真っ白になった。 

【5_6I】

 で、その間例の黒服達は本当に演出だけで何もしていなかったのか? と云えばそうでは無い。見た目に反して仕事量は他の面々の数%だが、一応は一般人らしく、他にも近くに潜んでいた狙撃手を一人、見つけだして無傷で連行して来たのである。修一と共にロビーに残った、カーニンガム総帥の前に。
「御苦労様です。……ここでは目立ちますし、立ち話も何ですから、……ああ、私は着席させて頂いていますが、御覧の通り身体の自由が利きませんので御容赦下さい。お話は別室で聞きましょうか」

 ──東京へ向かう車中、セレスティは亮一に電話を繋ぐよう、修一に命じた。
 
【-】

 東京から、結城・レイを捕獲したとの連絡が入った。
 そこへ向かう道中、一人の部下が彼へ向けて問い掛けた。
「……それにしても、護衛の連中はともかく、結城忍が異能者とは思えませんでしたが」
「奴は、シェトランを飼ってるんだ」
「……、」
 何故、と彼は再び問う。
「そこまで連中を目の敵にするんです?

 俺は、身内を音楽に殺された事があるんだ。彼、──『シェップ』は苦々しい表情でそう吐き捨てた。

【6BCDGHI】

 『東京都』と書かれた道路表示を越えた。都内だ。そろそろ、空港に居た連中よりも警察の追跡を心配しなければならない辺りである。
 亮一はシュラインの運転する単車にわざと追い越しを掛けて合図し、人気の少なそうなセルフ給油のガソリンスタンドに乗り上げて停車した。
 それとほぼ同じタイミングだった、携帯電話が着信を告げたのは。見慣れない番号だったが、出てみればセレスティの車中電話だった。

「もしもし、」
──田沼さん、失礼致します。カーニンガムです。
 亮一は涼と翔に目配せした。「セレスティさんです」と受話口を抑えて告げ、車内を出た彼の目の前に一台の単車が停止し、先ず彼の魔法少女がとん、と身軽に飛び降り、続いてシュラインがエンジンを止めた。
「田沼さん?」
 ヘルメットを外し、前髪を掻き上げて整えながらシュラインが訊ねる。亮一は彼女達にもセレスティだと告げた。
「すみません、取り込んでいまして。お願いします」
──御苦労様です、御影君には御一緒出来なくて申し訳無いとお伝え下さい。彼等とお話をしておりまして。
「何か、喋ったんですか」
──ええ。

 車を運転している修一が、不安そうにバックミラー越しにセレスティの様子を伺っている。現在車内にはセレスティと修一の二人しか居ない。
「……色々、事情が込み入っているのですが、先ず急ぎお知らせします。東京内の結城嬢が、人質として掴まったそうです」
 何ですって? と狼狽した亮一の声に続き、それを仲間に伝える声とざわめきが聞こえる。

 丁寧な態度で交渉に出向いたセレスティに、連中はそれなりに筋の通った対応をした。
「先ずは、一介のピアニストを空港で待ち伏せて狙撃しようなどと為さった理由と、あなた方の御名前を伺いたいですね」
 涼と翔に撒かれて空港に留まった一団は、大半が素手に拠る物と思しい痣を作って会話が不能な状態だったが、その中で最も年嵩らしい長身の男が、「人質」を連れて交渉に訪れたセレスティに応えた。
「リンスター財閥総帥にして水霊使いのセレスティ・カーニンガム殿か」
「おや、御存じ頂けたとは光栄です」
 既に気を張り詰めていた修一が、あくまで落ち着いた態度のセレスティを信じられない、と云う風に眺めていた。
「有名ですよ、あなたの事は我々の中では。……こうした形で御会いする事になるとは残念だが、まあ、今回はあなたも何も知らなかっただろうと云う事で黙認しましょう」
「黙認?」
「申し遅れた、我々はIO2(International OccultCriminal Investigator Organization)の者です。私が今回のミッションを指揮している。仲間内では『シェップ』と呼ばれているので、そう名乗って置こう」

「IO2!?」
 亮一は思わず声を上ずらせた。仲間達の反応は二手に別れた、目を見開いた者と、「何それ」と首を傾ぐ、と云う風に。
「何故、そんな組織が出て来るんです、……あれは、」
 
 そう、IO2──怪奇現象や超常能力者が民間に影響を及ぼさないように監視し、事件が起ころうとしているならばそれを未然に防ぐ非公式の超国家的組織だ。

「何故、あなた方が結城氏を?」
「それはお答え出来ない、守秘義務があるものでね」
 そしてシェップは、セレスティに部下を返すように願い出た。
「カーニンガム殿、我々が今まであなたを放置して来たのは、あくまで無害な存在だったからです。然し任務遂行上の邪魔をされたとなれば、今後はあなたもブラックリストに名を列ねる事になる。大人しく、仲間は返して頂きましょう。適わないとなれば、この場で交戦する事になります」
 セレスティはシェップに莞爾と微笑みを返し、「良いですよ。それだけ分かれば充分です。大変失礼しました、お返しします」とSP連に彼の解放を命じた。
 ──然しそこはカーニンガム総帥、黙って云いなりになっていた訳では無い。解放する前に、彼からある物を入手していたのである、こっそりと。
 専用の、無線機だ。

──そこで、車中で彼等の無線通信を拝聴していたのですが、先程、結城嬢と思しい『ターゲットの娘』を捕獲した、と云う東京内からの報告がありまして。取急ぎ連絡に。
「……しまった」
 涼は思わず、亮一の前なの忘れて車のボンネットを叩いてしまった。
 孝やシュラインはレイに事前に連絡を取っていたようだが、あくまでそれは「磔也の監視依頼」目的である。まさか忍を取り逃がした連中がターゲットを即座に都内のレイに移すとは気付かず、彼女の身柄はノーマークだった。
「無事なのか、彼女は」
 翔が、聞いてくれ、と亮一に促す。
──大丈夫でしょう、今の所は。今、彼等は磔也君の連絡先を調べているようです。結城嬢の身柄と引き換えに、結城氏の引き渡しを交渉するようですね。……あくまで、人質に彼女の方を選択して磔也君相手に交渉するらしい事も引っ掛かりますが。
「分かりました、有難うございました」
 亮一は一旦電波を切り、急いでそのまま磔也の短縮番号を押した。
──はいはい。
「田沼です」
──……あんたか。……で? 忍は?
 磔也の声は暢気である。亮一は少し云い淀んだが、やがて厳しい口調で告げた。
「今、東京に向かっていた途中なんですが……、磔也君、何も妙な事はしていないでしょうね?」
──……何だと? ……どういう事だ。
「レイさんが攫われました。俺達が成田で結城氏と合流して、東京に向かっている間に。磔也君、念を押しますがあなたは関係無いでしょうね?」
──知るか! 
 磔也の語調が一瞬で怒気を帯びた。
──俺はずっと巣鴨に居たんだよ、その件に関してはあんたらの連絡を待ってたんだぜ、ついでだけど葛城も居るぞ、何企んで近づいて来たかは知ら無ェけど、会っただろうが、この間! 
「……葛城・樹君ですか。……分かりました」
──忍は?
「無事ですよ、……その……、」
──出せ、忍に代われ。
 うっ、と亮一は返答に困った。無事は無事なのだが……。
 然し時間が無い。観念した亮一は、身内ではこっそり「魔法少女あまねちゃん」と呼ばれている少女に携帯電話を渡した。
「……久し振り」
──誰だお前? 忍に代われっつってんだよ、
 嫌々携帯電話に向かって挨拶した孝の声は、勿論高く清楚な声である。如何に久し振りでも父親のものとは間違え得ないその声に、磔也の苛々した怒号が返った。
「……だから、代わってるんだって、一応……。返事は出来ないけどな。覚えてないか、この声」
──はぁ?
「いや、嬉しいなあ、忘れてくれてて有難う」
──まさか、お前、天音神か。
「こうするしか無かったんだよ! まあ、磔也じゃ無いんだから良いじゃないか。だって、究極の護衛方法だぞ」
──……。
 流石の磔也も絶句した。先日のトラウマの記憶が甦ったのと、信じられ無ェ、こいつ、忍と合体しやがった……と云う驚愕が受話器越しにはっきりと伝わって来た。
──莫迦野郎、すぐ解除しろ、忍から離れろ! 乗っ取られるぞ、お前!
「乗っ取られる? 結城氏に?」
──忍なんかどうでも良い、シェトランだ、良いな、今直ぐにでも解除しろ!
「シェトラン?」
 すみません、と横合いから亮一が携帯電話を取り返した。
「ともかく、レイさんが攫われた以上あなただって他人ごとでは無いんです。一旦合流しましょう、結城氏も連れて行きます」
 だが、返事の代わりに聞こえてきたのは『そのまま、暫くお待ち下さい』と云う録音音声だ。
「何て?」
 妙に切羽詰まった磔也の忠告通り、本来の姿に戻った孝は忍が未だ意識を「封印」された状態である事を確認しながら訊ねた。
「途切れました、キャッチホンが入ったみたいです」
 亮一はそのまま、携帯電話を耳に当て続けた。
 数分が経過した時、再び回線が繋がった。
──連中からだ。……レイの代わりに忍を引き渡せと云って来やがった。予定変更だ。忍は引き渡す。巣鴨まで連れて来てくれ。
「どういう事です、良いんですか、それで」
──ま、歳の順ってことで。
 変だな、と亮一は違和感を感じた。磔也の口調が、先程はあれ程狼狽していたのに一旦キャッチホンに出た後は普段通りのやる気の無い感じに変わっていた。
 ……そうか、電話だ。恐らく、磔也の携帯に連中からの連絡が直接あったと云うことで、盗聴を心配しているのだろう。電波を介して話している限り、本当の所は聞けそうにもない。
 どうせ磔也の事だ、みすみす素直に相手の云いなりになるとも思えない。何か、考えはある筈だ。
「分かりました、巣鴨ですね」
──出来るだけ早くな。着いたらまた電話しろ。
 亮一は会話の内容を一同に告げ、一応念の為葛城・樹(かつらぎ・しげる)に確認の電話を掛けた。
 磔也がずっと巣鴨に居たと云うのは、本当のようである。

【xxx】

「里井」
 練習室でアリアを歌っていた里井・薫(さとい・かおる)は、やや殺気立った様子で入ってきた磔也を振り返って顔を引き攣らせた。
 彼の目には、明らかな怯えが存在する。が、磔也はそれにはお構い無しで彼の手からスコアを取り上げてピアノの上に放り出した。
「とうとう来るぞ、IO2が。……あいつらを、3階に待機させとけ。俺が合図するまでは何もすんじゃ無ェぞ。分かったな」
 黙っていた里井は、「聞こえてんのか、分かったら返事しろ、このグズ!」という凄まじい怒号で慌てて首を縦に振った。
「……全く……使え無ェ奴。分かってんだろうな、お前の代わりなんざいくらでも居るんだぞ」
 全身を細かく震わせている彼に、磔也は練習室を去り際、振り返ってこう付け加えた。
「……それとな、連中が人質に女を一人、連れて来る。……お前がミスってその女が死んだら、命は無いと思っとけよ」
 磔也の声は低く、目はぞっとする程冷たい。
「水谷にも伝えて置け、……俺が、返り打ちにしてやるってな」

──結城磔也君だね。君ならもう我々の存在は分かっているだろう。君のお姉さんは預かっている。あまりお上品な方法で無い事は承知だが、こちらとしても使命があるのでね。クシレフの陰謀から、人々を護ると云う使命が。……その為なら、残念だが彼女を傷つける事も厭わない。無事、お姉さんと再会したくばショトランをこちらに引き渡し給え。場所は任せる。……東京の外では、都合が悪いだろう?

 ホールに戻った磔也は先程の電話を思い出し、くそ、と悪態を吐いて煙草に火を点けた。くわえ煙草のまま舞台に上がり、ピアノの前に座ると場所も構わずに床板に落とした吸い殻を踏み潰し、苛立ち紛れに適当に浮かんだ旋律を鍵盤に叩き付けた。
 
──冗談じゃ無ェぞ。
 あいつらに、何が分かる。怪奇現象と音楽の力の区別もついて無いような連中に、邪魔をされて堪るか。……ようやく、クシレフを見付けたんだ。
 怪奇現象と思って舐めて居るが良い。好都合だ、見せてやろうじゃ無いか。音楽の力を、芸術の勝利を。
 邪魔はさせない。オーケストラピアノもユーフォニアの完成も。……それに。
 
 レイは、俺の所有物だ。他人の好きな様にはさせない。……返して貰う。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0931 / 田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵】
【1532 / 香坂・蓮 / 男 / 24 / ヴァイオリニスト(兼、便利屋)】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生兼探偵助手】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1990 / 天音神・孝 / 男 / 367 / フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員】
【1985 / 葛城・樹 / 男 / 18 / 音大予備校生】
【2124 / 緋磨・翔 / 女 / 24 / 探偵所所長】
【2194 / 硝月・倉菜 / 女 / 17 / 女子高生兼楽器職人】

NPC
【結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【結城・磔也 / 男 / 17 / 不良学生】
【結城・忍 / 男 / 42 / ピアニスト・コンセルヴァトワール教師】
【水谷・和馬 / 男 / 27 / 巣鴨ユーフォニアホール人事担当者】
【シドニー・オザワ / 女 / 18 / 学生】
【冨樫・一比 / 男 / 34 / オーケストラ団員・トロンボーニスト】
【里井・薫 / 男 / 現時点で不明 / 歌手】
【陵・修一 / 男 / 28 / 某財閥秘書兼居候】
【シェップ / 男 / 31 / IO2構成員】

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■         ライター通信          ■
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皆様、今回は「音楽都市、ユーフォニア」への御参加有り難うございました。
先日の「幻想交響曲」シリーズからの流れや結城家の厄介な親子関係、果てはIO2まで出て来ましたので大分込み入った内容になりましたが、如何でしたでしょうか。
WRとしても、全てのPC様の行動をPL様の意図通りに把握し切れていたかが不安です。然し、色々な他PC様の視点なども目を通して頂きますと何らかのキーワードが見つかるのでは無いかと思います。
今作のエンディング直後からの流れとなります次回作、「音楽都市、ユーフォニア ─クシフレの陰謀─」は11月17日月曜日、午後8時からの受注と致します。
どちら様も、お気が向かれましたら是非御参加頂けます様、心よりお待ちしております。

今回時間的な都合により各PC様への御挨拶は割愛させて頂きますが、御参加の皆様には心よりお礼申し上げます。
お疲れさまでした、今後ともこの不条理な音楽を巡る世界をよろしくお願い致します。

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