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花の乙女
■愛らしい助っ人
最近、アトラス編集部で「カゼ」が大流行している。
そもそもの発端は、外回りから帰ってきた三下忠雄の体調が急に悪化したことからだろう。締めきり直前ということもあって、その日は結局ほぼ終電に近い残業をして帰って行ったのだ。
その次の日から碇麗華を始め、スタッフ達が次々と体調を崩し、休むようになった。もちろんその被害は大きく、アトラス編集部は連日いつも以上の多忙ぶりだった。
「こうなったら……。助っ人を雇うしかないわ……！ 三下！ あんたの責任なんだから緊急のバイトを拾ってきなさい！」
「ええー！？」
「あの……アトラス編集部はこちらでしょうか？」
鈴のような声が聞こえ、２人は入り口のを一斉に注目する。そこには真っ白な服を身にまとった線の細い少女が佇んでいた。今にもかき消えてしまいそうな、儚げな印象を受ける。
「こちらでお手伝いをと派遣会社より参りました。得意は事務処理とデータ入力です。よろしくお願いします」
少女はぺこりと頭を下げた。その時、２人は不意に甘い花の香りが流れてきたのを感じた。
彼女（名前は日草（ひぐさ）といった）が来てからというものの、あんなに急がしかった編集部はとたんに平和になった。というものの、日草は予想以上の才能の持ち主で、いつの間にかすべての作業を処理し終えていたのだ。おかげで徐々にスタッフ達の体調は良くなった。が、それに反比例するように、奇妙な噂が編集部に広まっていた。彼女は本当に人間、なのか……と。
「そう言えば、派遣会社から……と言ってましたよね。でもそんなのにうちって契約してました？」
「あの子、家に帰ってないんじゃないですか？ いつも一番に来ているし、帰るのだって最後だし……いくら近所でも毎晩１１時過ぎの帰宅はおかしいですよ」
そう言えば気付かなかったが、日草が徐々に痩せ細っているのに麗華は気付いた。少しは先に帰ってはというが彼女は首を縦に降ろうとはしなかった。
「……あのままじゃ壊れてしまうわ、あの子。あんた達、ちょっとあの子を説得してもらえない？」
正体がどうであれ、このまま放っておくわけにはいかない。麗華は身近な者達に彼女を休ませるよう説得を試みさせるのだった。
◆人情と利益と
「こんにちは、お忙しかったでしょうか？」
扉を開けてひょっこりと榊船・亜真知（さかきぶね・あまち）が編集部室に顔を覗かせた。
事前に受付から連絡が入っているため、心配は無用なのだが、一応礼儀として亜真知は出入り口にて反応を伺った。
彼女の姿をみつけ、麗香は手に持っていたファイルを忠雄に押し付ける。
「へっ？ こ、これどうするんですか？」
「新人じゃあるまいし、中身見て判断しなさいっ」
いつもどおりの台詞を投げ捨てるように吐き、麗香は亜真知を応接ソファに案内する。お茶を出しに来た日草をちらりと見ながら、亜真知はソファに腰を降ろした。
「……なるほど、確かにあまりよろしくない状態ですね」
日草の足取りはどこか危なげでふわふわとしている。足取りからしてそうとう疲労がたまっているのだろう。
「あんまり言う事を聞かないようだったら、いっそクビにした方が彼女のためかも……と思ったんだけどね。でも正直、あんなに優秀な子を捨てるのも企業としては勿体ないのよ。忠雄と体を交換させてあげたいぐらいだわ」
苦笑いを浮かべながら、麗香は冗談とも本気ともとれない発言をもらした。
くすりと小さく笑い、亜真知はさり気なく手土産を差し出した。
「陣中見舞いにとお持ちしましたの。もしよければ皆で召し上がって下さい」
「あら、有難う。こういう差し入れってとっても助かるわ」
「疲れと病気には美味しい物が一番の特効薬ですしね」
カチャリと扉が開く音がし、土産を受け取ろうとしていた麗香は不意に顔を上げた。
「失礼しまーす」
大きな封筒を抱えた雨柳・凪砂（うりゅう・なぎさ）が入って来た。凪砂は麗香の姿を見つけると、あっと小さく声をあげる。
「麗香さん、ごめんなさいっ！ あの……まだ、調査半分しか進んでいないんですが……」
「あら、そんなに心配しなくても大丈夫よ。まだ特集号には余裕があるものね」
凪砂を安心させるかのように麗香は優しい微笑みを投げかけた。
一時期、風邪が編集部内に蔓延（まんえん）し、スタッフの殆どが倒れてしまったため、編集作業を一時中断していた。その影響はもちろん執筆者にも起こり、骨とう品とその神話との関係調査をおこなっていた凪砂も、連絡や情報が来ないため、殆ど作業を終えられなかったのだ。
「それに、今回はこちらのミスでもあるわけだし……良い記事を書いてもらえるのならちょっとぐらい〆切りが過ぎても待っててあげるわよ」
「……編集長。僕の時はそんなこと言ってもくれませんでしたよね……」
ヨウカンを人数分に切り分けながら、忠雄がさりげなく言う。
「……何か言ったかしら？」
「……いっ、いえ！ ……なんでもありましぇん……」
忠雄はビクッと蛇ににらまれた小動物のような反応をみせる。隅で小さくなる部下を無視して麗香は話を続けた。
「でも、さすがに週刊のほうはそうも言ってられない状況よ。せっかくだから、臨時でお手伝いをお願い出来ないかしら？ そろそろ他のスタッフ達も……限界みたいだしね」
さりげなく麗香はちらりと日草をみやる。その意味を素早く判断した亜真知と凪砂はすぐさま承諾の返事をした。
「仕事の詳しい内容は三下から聞いてちょうだい。よろしく頼んだわよ」
◆気分転換のお誘い
黙々と洗いものの作業をしていた日草は不意に風を感じ、ゆっくりと振り返った。
「気分転換に涼しい風を提供してみたんだけど、気に入ってくれたかい？」
爽やかな笑みを浮かべた葛西・朝幸（かさい・ともゆき）はそう言って、背に隠していたビニル袋を日草に見せた。
「お昼ご飯……まだだったよね。よければ一緒に食べないかい？」
「……すみません、私、お昼は食べないんです……」
「それじゃ美容と健康に悪い。疲れてるんだから少し無理してでも栄養つけないと駄目だぞ」
「いえ、本当に大丈夫です。心配して下さって有り難うございます」
日草はふわりと柔らかい表情を浮かべる。その姿に胸の高鳴りを一瞬覚えるも、朝幸はやや強引に屋上へと連れて行くことにした。
「あの……っ、でも仕事が！」
「大丈夫、ちゃんと新しい助っ人が来てくれてるよ。ちょっとぐらい気分転換したほうが仕事の進みも早いんだぜ？」
「そんなもの……なんでしょうか？」
置いてきた仕事が気になるのか、日草はちらちらと下へ通じる扉を見ながら呟く。ぽんと軽く肩を叩いて、朝幸は出来る限り優しく告げた。
「一生懸命頑張るのもいいけどさ、倒れたりなんかしたら逆に皆の心配が増えるだけだ……でも、何をそんなに頑張ろうとしてるんだい？」
「……お礼がしたくて……」
外の騒音に掻ききえてしまいそうな小さな声で日草は呟いた。
「もう私の命もここで終わりなんだろうな……って時に助けてもらったんです。病気になられたのもきっと私のせいなんです。だから、少しでも手助けがしたくて……」
「……ならなおさら急いで頑張る必要はないよ、せっかく助けてもらった命をそう易々と手放すのかい？ それじゃあ逆に失礼に値するよ」
「でも、時間がないんです。私はもうすぐ……枯れてしまうから」
どことなく遠い目で日草は町並みを見つめる。その瞳には何も映っていないように朝幸は感じていた。
「それじゃ、俺も手伝うよ。パソコンとか使えるし、三下なんかよりずっと良い手助けになると思うぜ」
「……！ あの人を悪く言わないでください！」
「は……？ って、まさか……命の恩人って……」
日草は頬を少し赤らめながらこくりと頷く。深く大きな息を吐き出し、朝幸は眉をひそめる。
「まったく……なんでこういう近くの花に気付かないんだ、あいつは……」
「どうかしました？」
「ああ、いや何でも無い。それより仕事に戻るなら食事をすませてさっさと行こう、休み時間なんてあっという間に過ぎて行ってしまうからな」
「はいっ」
さわやかに日草は返事を返す。
その時、先程まで彼女から漂っていた花の香りが弱まってきていることに、朝幸は気付くのだった。
◇気分転換
「ここはいつも締め切ってるから風邪なんて流行るんだよ」
さすがに全開というわけには行かないが、朝幸は編集部の窓と言う窓を開けてまわった。外の風達に囁きかけ、室内へと誘導していく。程なくして、朝幸の導きで、初冬の少し冷たい風が編集部内を駆け巡った。
「た、たしかに空気は入れ替えたほうが良いかもしれないけど……これじゃ寒すぎるわよ！」
一気に部屋の温度を替えられ、麗華は身体を震わせて抗議の声を上げた。
「熱気を取るついでにと、風をそのまま入れてみたんだが、ちょっと辛すぎたか……」
朝幸はパチンと指を鳴らす。冷たい風に熱気が帯びはじめ、部屋を柔らかく暖めはじめた。
「沖縄の暖かい風をご提供……」
「へえ、こんなことも出来るのね」
「風に関することなら何でもおまかせあれ。ってね」
まわりから浴びせられる、感心と尊敬の視線にさすがに照れくさくなったのか、朝幸は苦笑いを浮かべる。
「でもおかげで空気が綺麗になって気持ちいいわね」
自主的禁煙をうたってはいるが、訪問客や他の部からのスタッフが煙草を吸うため、どうしても煙が室内に漂ってしまう。空調機器で室内の温度を調整しているものの、空気のよどみはどうしても人が多いと空調機器だけでは充分に調整出来ない。
入れ替えられた空気を存分に吸い、麗香はゆっくりと深呼吸をする。
「うーん……ねえ、朝幸君。うちの部の空調メンテナンスを定期的にお願いできないかしら？」
「は……？」
「ほら、空気が気持ちいいと仕事の方もはかどるでしょ。それにうちは扱ってる仕事の関係でよく変なものももらってきちゃうみたいなのよ。そういうのも濁った空気と一緒に入れ換えできないかしら？」
もちろんそれなりの謝礼は出す、と麗香は言う。そんな簡単なことで仕事になるなら、お小遣い稼ぎ代わりにもってこいなのだが……
「うーん。まあ考えておくよ」
「分かったわ。美味しいお茶菓子を用意して、良い返事を期待してるから」
にっこりと麗香はほほ笑む。
なんだか麗香にそそのかされ、今後しばらくもアトラス編集部に世話になっていそうな気が朝幸には感じられた。
◆乙女の正体
「それでは、やはり派遣会社から来た方ではないのですね？」
漢和辞典から目を離し、亜真知は確認するような口調で告げた。校正の作業の片手間、亜真知は編集部スタッフから日草のことや今までの経緯をそれとなく尋ね回っていた。概ねの内容は亜真知の予想通りで、彼女は話を聞く度に思案顔をより深めていった。
「……この展開ですと、やはりこれ以上は命の危険性も……」
「なんだか、鶴の恩返しみたいな話ですね」
隣で乱丁の確認をしていた凪砂がぽつりと言う。確かに彼女の言う通りなのだ。恐らく忠雄がまた関わっているのだろうが、当事者本人は全く記憶にないという。日草に聞こうにも、自分の話になると途端に口を固くさせるため、真相を知るには外堀から埋めて行くしかない。
「と、いうことは最後は……」
いつの間にか来ていた朝幸が間に割り込んできた。何時の間に手に入れたのか、ヨウカンの切れ端をほおばり、しばし思いにふける。
「ええ。でももしかすると……知っているからこそ、あれだけ必死になっているのかもしれません」
「と、いうと？」
亜真知の発言に２人は目を瞬かせる。コホンとひとつ咳を払い、亜真知は自分の考えをのべた。
「わたくしの予想ですが、日草様は植物の……花の化身なのだと思われますの。殆どの草花は冬を越える事ができない命の短いものです。日草様も、ご自身の命の灯火が消えるのが、遠い話ではないと気付いておられるのかと存じます」
「花の命は短し、か……」
「でもそれでしたら、あたし達がどうしようと日草さんの衰弱は止められない、ということではありませんか？」
「いいえ、そうでもありません。無理をさせないよう、適度にいたわり、充分な栄養を与えてやれば草木は長く生きていられるものです。日草様が満足されるまで、わたくし達がさりげなくお手伝いを致せばよろしいと思いますわよ」
「……難しい話だな……」
日頃の行動と朝幸への発言からして、日草が忠雄の為に動いているのは確かだ。だが、彼女のために出来ることはそれぞれ限られている。ここはやはり忠雄の記憶を取り戻させるのが一番なのだろうか？
その時だ。編集部内が突然ざわついた。
「日草ちゃん！ しっかり！」
麗香の声が響く。
騒ぎの中心へ急ぐと、ぐったりと苦悶の表情で意識を失っている日草の姿があった。
「とにかく救急車を……！ 急いで！」
◆また会う日まで
「待って下さい！」
麗香の指示を制したのはいち早くたどり着いた朝幸だった。
「彼女をそのままにしてあげて下さい。病院に連れて行っても恐らく意味はありません」
「どういうこと？」
日草を抱き上げながら麗香は眉をひそめる。彼女はまだ、日草の正体に気付いていないのだろう。
人ではない者が普通の病院にいったところで適切な治療を望むことはできない。それが化身や精霊の類いならばなおさらだ。
「日の良くあたる場所にソファを移動させて。あと綺麗な水を」
「お水ならこちらにございます」
事前に用意していたのか、亜真知はさりげなく竹筒に入った水を差し出す。窓際にソファを移動させ、そこに寝かせた日草にそっと飲ませてやる。はじめは息が荒かった日草も徐々に落ち着いた表情になり、呼吸も整いはじめた。
「ん……」
うっすらと瞳を開け、焦点の定まらないままに日草は辺りを見回す。
「おい、大丈夫か？」
「……朝幸さん……私、そっか……また倒れちゃったんですね」
日草はあきらめにも取れる薄い表情を浮かべる。
「有難う皆さん、でも……もういいんです」
「もういいって……そんなこと言うな、まだ恩返しが終わってないんだろう？」
「ごめんなさい、せめて……本が出来上がるまでお手伝いしたかったんですが……結局最後まで皆さんにご迷惑かけてしまいましたね」
苦笑いを浮かべる日草。必死に笑顔を作っているものの、息をするのでさえ苦しそうなのは周りからみても明かだった。
「私、あるべき場所に帰ります。皆さん、ありがとう……」
ザ……っと編集部内に草原の土の香りがする風が吹き抜けた。嗅覚が鋭いものならば、風に少しだけ潮風が混じっているのに気付いただろう。吹き抜けた風にさらわれるように、日草は花びらとなって散っていった。
「この花……」
床に落ちていた花びらを拾い上げ、忠雄ははっと息をのむ。
「百日草、ですわね」
別名ジニアと呼ばれる小さな花だ。夏の庭でよく見かけることができ、ひかくてきポピュラーな花として知られている。
「何でこんなものが……？」
「三下さん、この花に本当に見覚えがないんですか？」
あきれたような口調で凪砂は言う。忠雄は困ったような顔をさせて申し訳なさそうに首を縦に振った。
「やれやれ……いくら日草ちゃんに気を使ってあげても、想いを寄せている本人がこれじゃあ……浮かばれないか」
肩をがっくりとおろし、朝幸も哀れみに満ちた瞳で忠雄を花びらを交互に見た。
「でも、彼女が来て下さったおかげで仕事もずいぶんはかどったようですし。最悪の事態は避けられましたから、一安心ではありませんか？ 日草様も元気を取り戻したらまた来て下さることでしょう」
にこやかに亜真知は言った。
「え……日草ちゃんは死んだわけじゃないのか？」
「とんでもありません。日草様は力を回復させるために故郷へ戻られただけです。じきにまたひょっこりとこちらに来て下さいますよ」
「へー……でも、なんでそんなことがお分かりになるんですか？」
感心しながら問いかける凪砂に、亜真知は可愛らしく片目をつぶって言った。
「それは秘密です♪」
おわり
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号／ ＰＣ名 ／性別／年齢／ 職業 】
１２９４／葛西・ 朝幸／男性／１６／高校生
１５９３／榊船・亜真知／女性／９９９／超高位次元知的生命体
……神さま？
１８４７／雨柳・ 凪砂／女性／２４／好事家
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■ ライター通信 ■
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お待たせ致しました。
「花の乙女」をお届けします。
案外あっさりと正体が見破られ、参加者の読みの深さを侮っておりました。この場を借りてお詫び申し上げます。
忠雄がどうして風邪を引いたのかというのは、当事者がどうしようもない状態のため、皆様のご想像におまかせ致します。まあ……なんとなく分かるかと。でも間違っても、野宿して風邪を引いたわけではございません（笑）忠雄氏ならありえなくもない話ではありますが。
葛西様：ご参加ありがとうございました。葛西様のお気持ちは充分に日草に届いていると思います。情の深い子のようなので、もしかすると今度は葛西様に会いに……とやってくるかもしれませんね。
少しプライベートでバタバタしていたため、文章作業が遅れてしまうと思いましたが、行動内容がどれも書きやすく、すんなりと書くことが出来ました。
改めまして、ご参加頂きありがとうございました。
それではまた別の物語でお会い致しましょう。
文章執筆：谷口舞
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